宝 P.501-502

 

聖書にある驚くべき戦い!

 

  新約聖書には、神の子供、すなわち、本当に主を知り、主を愛しているすべてのクリスチャンは「イエス・キリストの兵卒(兵士のこと)となるように選ばれている」ということが度々書いてあります! (2テモテ2章3,4節) 神は御自身の民を、悪魔とその邪悪な全軍勢とに対する、 不断の戦争に従事している霊的な軍隊として描いておられます。「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、この世の闇の主権者、天上にいる悪しき霊の軍勢に対するものである!」と、神の御言葉に書いてあるように。(エペソ6章12節)

  旧約聖書には、イスラエルの民について、またその民が、神を敬わない国民や敵対する異教徒と実際に交えた戦いや戦争についての物語が、幾つとなく出てきます。こういった物語は、ただ単に胸踊らせるような歴史的読み物となるだけではなく、使徒パウロが記しているように、「これらの事が彼らに起こったのは、わたしたちに対する警告としてであって、それが書かれたのは、わたしたちが学ぶため」なのです。(1コリント10章11節)言いかえると、今日の私達の霊的な戦争においても助けとなるような良い教訓が含まれているということです。

  イスラエルの軍隊は、剣や槍などといった、当時よく使われていた武器で武装してはいましたが、たいていの場合敵は、人数においてはるかに勝っていたし、優れた戦闘能力を備えていました。だから神は、御自分の子供達に昔からのありふれた戦略で敵と交戦させるようなことはなさらず、むしろ、しばしば非常に不可思議な方法で事をなされ、超自然的に御自分の民を守り、戦われたのでした!

  自分の代わりに神に戦っていただくというのは、勝利するのに、かなり容易な方法に思えるでしょう? けれども、実際に神が奇跡を演じてその敵を撃ち破って下さる前に神が御自分の子供達に要求された、全く型破りで、伝統を打ち破り、気違いじみていて、突飛に思える幾つかの事柄を考慮するなら、彼らがとにかく神に従い、命じられたとおりに行なうのに、どれだけ多くの信仰と神への絶対的な信頼が必要だったか察することができるでしょう。また、大変な労働が伴ったこともしょっちゅうでした!

  「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なる!」と主は言われます。(イザヤ55章8,9節)  また主は、「イスラエルが自ら誇り、『わたし自身の手で自分を救ったのだ』と言わないように」(士師記7章2節) 当然の期待に全く反するような方法でしばしば事を行われました! イスラエルが勝利を収め、その敵より救い出されたのは、「彼ら自身の強さでも、彼ら自身の力でもなく、ただ神の霊のおかげで」あったということが、主の子供達に、さらには世界中の人々に対して、疑いもなくはっきりする事を神は望まれたのです!(ゼカリヤ4章6節)

  私達が従い、自分達の役割を果たすなら、神は忠実に御自身の役割を果たされます! 神は、「これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである!それゆえに、あなたがたは恐れてはならない。主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい!」と言っておられます。(歴代志下20章15節、 出エジプト記14章13,14節) だから、主の子供達が戦い、また勝利するのを主が助けて下さった、想像もつかないような戦いの物語を幾つか読んでいくにつれて、「強い者をはずかしめるために、弱い者を」使われることを神がどれだけ喜ばれるかが、 あなたにもわかるでしょう。(1コリント1章27節) そして、主の子供達が、ただすべての功績を主のものと認め、 栄光を主に帰するならば、主は常に勝利を与えて下さるということもわかるでしょう!