宝 P494-497

 

 歴史に見る冒険実話集!

 

神の諜報活動! (ヨシュア2章)

 

  ヨルダン川の平野にさしかかった時、モーセの旅の終わりが訪れました。

  自分の行くべき時が来たのをモーセは知っていました。モーセはすでにイスラエルの12部族に最後の祝福の言葉を与え、またヌンの子である「ヨシュアは知恵の霊に満ちていました。神の民を治める新しいリーダーとなるために、主が主の霊を注いで下さるようにと、モーセがヨシュアのために祈ったからでした。」 さて、モーセは平野が見渡せるネボ山の風の吹きすさぶ頂きに一人立っていました。そこで主は、「ヨルダンの向こうの全地をモーセに示し、『わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。』と言われたのでした。」(申命記34章1-10節)

  そして、モーセは、ただ主だけに見守られながらその近くの谷で死に、天国における報いを受け取りに行ったのです。

  モーセの死の知らせが伝わると、イスラエル中の人々は「30日の間泣き」ました。それはまた、人々にとって、さらには自分に与えられたリーダーとしての重大なる責任に直面しなければならなかったヨシュアにとってはとりわけ、真剣に祈り、自らの心の内を探るべき時でもありました。力を求め、また自分の持つ多くの質問に対する答えを求めてモーセのところに行き、彼に頼っていたヨシュアにとって、モーセがいなくなったその当初は、かつてなかったほどの学びの日々でした。今やヨシュアは、彼がまさに絶望的に必要としていた助けや導きを得るのに、全面的にただ主のみに頼らなければならなかったのです。

   しかし、主はヨシュアと共におられ、主の羊たちの新しい羊飼いに、とても素晴らしい約束と励ましの言葉を与えられました。「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない‥‥強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。」これこそまさに彼が必要としていた励ましでした。自分が一人ではないと知ることは、何という力づけだったことでしょう!

  モーセのために喪に服する期間が終わった後で、主御自身がヨシュアにこう告げられました。 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたとこのすべての民とは、共に立って、このヨルダン川を渡り約束の地に行きなさい。」そして主はヨシュアに、「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。」と約束されました。

  ヨシュアの物語は、神が御自分の約束を忠実に守られるということを明らかにしています。主はその民の為の国を約束されていましたが、今や彼らはそこに入ってその地を手に入れようとしていたのです。しかし、彼らの骨折りなしに全てがただ手渡されたという訳ではありませんでした。神は、その地を彼らの国として与えると約束はされましたが、彼らが実際にそれを獲得する為には、彼らが実際に戦闘に従事する事を要求されたのです。そしてイスラエルの民が戦った時、主は彼らと共におられ、歴史上で最も邪悪で、かつ倒錯した文明の一つを打ち倒すのを、超自然的に奇跡的に助けて下さったのでした。その文明とは、のべつまくなしに男色行為をする民、カナン人の文明です!

  ヨルダンの向こう岸、カナンの地にあるエリコに渡って行く前に、ヨシュアは賢くも兵士の中から誰よりも信頼の置ける二人の者を選び出し、大いなる城壁で囲まれた都エリコの防御の様子を探りに行かせました。彼らが入手できる情報はどんなものでも、初めてのカナン征服の作戦を練るには欠かせないものでした。

  翌日、エリコの市民のような身なりをした二人の斥候(せっこう)が、町の巨大な門をくぐり抜け、町の防壁に沿ったところにある宿を見つけ、その晩はそこに泊まることにしました。その宿はラハブという名の売春婦が経営していました。

  二人の斥候はラハブと話し、彼女が貴重な情報源であることを知りました。しかしながら、彼らの会話は、宿に向かう武装兵の立てる鎧のぶつかり合う音によって、突然に中断されてしまったのです。

  二人は知らなかったのですが、二人のイスラエル人がこの地を探るために夜の間に入り込んだと、王に告げた者があったのです。そこで王は、ラハブに対し、二人の者を自分の前に引き出すようにとの命令を出していたのです。

  ラハブはせきたてるようにこうささやきました。「後について来て! 急いで! ここに隠れなければ。王の衛兵が来ます!」

  そしてラハブは落ち着きを取り戻し、深く息を吸い込んで、戸を激しくたたく者に応じに行きました。何も知らなさそうに笑みを浮かべて、ラハブは戸を開け、こう尋ねました。「はい、どうなさったのですか? 何かご用ですか?」すると兵士達は、「ここに来た二人の者をここへ出しなさい。彼らはイスラエル人で、この町をいかに征服しようかと探りに来たのだ!」と要求しました。  でもラハブはもっともらしくこう言いました。「しばらく前に、確かに二人の人がここにいました。でも、その人達がどこから来たのか知りませんでした。たそがれ時、門の閉じる頃に、彼らは出て行きました。でも今行って、急いでその後を追うなら、二人を捕えられるかもしれません!」

  その話を信じた兵士達は、一時をも惜しんだので、もう宿の中を探すことはせず、慌ただしく町の外に出て行き、二人に追いつこうとヨルダン川に至る道を下って行きました。

  兵士が行ってしまったので、ラハブは安堵の溜め息をつきましたが、なおもおののいた様子で、二人にこう告げに行きました。「主がこの地をあなたがたに賜った事、この地の民がみなあなたがたの前に震えおののいている事を私は知っています。あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干された事、また、ヨルダンの向こう側でのあなたがたの偉業を、私達は聞いたからです。私達があなたがたを恐れているのも不思議ではありません! そのような事を聞いた後では、誰もが闘志を失ってしまいました。あなたがたの神は、並の神ではなくて、天におられる至高の神であらせられるからです!」

  ラハブは嘆願しました。「それで、どうか、私があなたがたを親切に扱ったように、あなたがたも私の家族を親切に扱われることを、あなたがたの神によって私に誓って下さい。」そして、二人の者は同意し、「もしあなたがたが私達を裏切らないならば、あなたとあなたの家族とが害を受けないように取り計らいましょう。私達は、命にかけてあなたがたを救います。」と約束したのです。

  そして、ラハブは二人を窓際に連れて行き、紅色のひもを窓枠にくくりつけて、夜のとばりに隠れて二人をそのひもでつりおろしたのでした。ラハブの家は町の城壁の上にあったのです。

  「山に逃れなさい。追っ手が帰ってしまうまで、三日の間そこに身を隠し、それから去って行きなさい。」とラハブはささやきました。

  二人はラハブに礼を言い、最後にこう警告しました。「この紅色のひもは、あなたの家の窓にくくりつけたままにしておかなければなりません。また、あなたとあなたの家族とが家の中にとどまっていないなら、あなたがたの身に起こることについて、私達には責任がありません。」

  そこでラハブはひもを引き上げましたが、外側から彼女の宿だとわかるように、そのひもを窓のところにはっきり見えるように結んでおきました。

  そして、とうとう二人の斥候は無事にヨルダンを渡り、喜びをもって、起きた事をすべてヨシュアに報告し、こう告げたのでした。「ほんとうに主はこの地をことごとくわれわれの手にお与えになりました。住民はみなわれわれのゆえに震えおののいています。」

  敵と直面するという、エリコでの危険に勇敢に立ち向かったその二人の忠実な部下から、ヨシュアは何と励ましに満ちた報告を受け取ったことでしょうか。それでヨシュアは、進軍の時が来たことを知ったのです。まずはヨルダンを渡り、それからエリコへと進んで行くわけです!

  モーセの下で仕えていた初期の日々に、ヨシュアは、自分が民の優れたリーダーであることを身をもって示しました。ヨシュアは単に忠実に従う者、また従順で忠誠心のある武官であっただけではなく、メッセンジャーとしても忠実で、モーセが安心して物事を任せ、頼りにすることができたのです。

  ヨシュアは、「悩みに会うとき不真実な者を頼みにするのは、悪い歯、またはなえた足を頼みとするようなものだ」という諺の意味を、十分に知り尽くしていたのです。 (箴言25章19節) ヨシュアは、二人の斥候がそれほども勇敢に、また忠実にその極めて重要な使命を果たしてくれたことをとても感謝しました。

  そして今日でも同様に、頼りになり、忠実で忠誠心のある人々に対する必要性は、かつてなかったほどに大きいのです!

 

   神よ、私達に人を与えてください! 

 このような時には、強き精神、高潔な心、

    真の信仰を持ち、いかなることをも

 喜んでする人が要求されるのです!

    昇進欲のために己を滅ぼすことなく、

 役得によっても買収されず、

     強い確信と意志を持ち、誉れを愛し、

 偽ることのない人が!

 

  ━━━━━━━━今日の祈り━━━━━━━━━

  主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。わが神よ、私はあなたに信頼します。どうか、私をはずかしめず、私の敵を勝ち誇らせないで下さい。すべてあなたに望みを置く者は決してはずかしめられることがなく、みだりに信義にそむく者ははずかしめられます。  

  主よ、あなたの大路(おおじ)を私に示し、あなたの道を私に教えて下さい。あなたのまことに私を導き、私を教えて下さい。あなたはわが救いの神であり、私はひねもすあなたを待ち望むからです。アァメン。(詩篇25篇)