宝 P480-487

 

 歴史に見る冒険実話集!

 

不平を言う者の運命!

  (この物語は、出エジプト記16:31-36、民数記11:1-10,18-24,31-35、詩篇78:20-32、105:40からです。)

 

  3百万にものぼる男、女、子供達からなるイスラエルの民の一団が、ものすごい羊やヤギの群れ、それにおびただしい数の牛を連れて、移動していました! 奇跡的に紅海を横切った彼らは、南に向かってシナイ半島へと行き、1カ月たつと、風の吹きすさぶ、不毛のシンの荒野にある、エリムのオアシスにたどりつきました。そこは、シナイ山から北へ少し行ったところにあります。

  やしの木陰に天幕を張り終えると、宿営のあらゆる所で、人々が集まり、話し合いをしていました。事態は深刻なようでした。シンの荒野の不毛の地の真っ只中にいながら、エジプトから持ってきた食物がついに底をついてしまったのです。それで、彼らの信仰が真に試されたわけですが、この信仰の試練を通して、大半の者がお粗末な信仰しか持ち合わせていないか、全く信仰に欠けているということがはっきりしました!

  宿営の一角では、大勢の男女がナバル・バアレアイカの天幕のまわりに集まっていました。ナバルは腹立たしげに不平を言っていました。「これほども、わびしく荒涼とした、不毛の砂漠など、未だかつて見たことがない! 草一本はえていないではないか!」

  「しかし、神は私達のために供給して下さる!」と、ユダの部族の代表者の一人であるカレブが答えました。「神は、私達を約束の地に連れて行って下さると約束された。だから必ずそうして下さる! 見なさい! 美しいオアシスだ! 12の泉があるし、それに‥‥」

  「ヘッ! 御託を並べおって!」 ナバルはやじって言いました。「食べ物は底をつき、餓死寸前だというのに!」

  集まった人々は、怒りをあらわにして、ナバルの言うことにうなずきましたが、カレブは大声でこう言いました。「しかし、われわれの神は、奇跡を行われる神である! ほんの1カ月前に、神はわれわれを、エジプトでの過酷な奴隷生活から奇跡的に救い出して下さったではないか! 神は、紅海で、パロの軍を滅ぼされた! 神は必ずや‥‥」

  しかし人々は、そんな言葉に耳を貸そうともせず、まるで信じようとはしませんでした! すぐに、宿営のあらゆる所から、大勢の人の群れが幾つかモーセの天幕のまわりに群がってきて、大胆にもモーセやアロンに対して不平を並べたてました。群衆をかきわけながらその先頭にやってきたナバルは、モーセに向かって大声で言いました。「どうしてわれわれを、こんな砂漠へと導いたのか? われわれを餓死させるためなのか?! どうせ死ぬのなら、エジプトで、鍋のかたわらで死んだ方がましだった! エジプトでは少なくとも、腹いっぱい食べることができたからな! だが今、何を食べるというのか、モーセよ?!」

  主はその不平不満を耳にされ、彼らの信仰のなさに腹を立てられました! 神は彼らを約束の地に連れて行くと約束されたのに、彼らはその約束を信じていなかったのです! 神には必要な食物を供給することができるとは信じず、たとえ、奴隷生活に逆戻りすることになろうと、エジプトで死ぬことになろうと、とにかく、エジプトの「安定した生活」に戻ることを望んでいたのです!

  それでも、主は、この不毛の砂漠にいては、民ががっかりしても無理はないと知っておられたので、今回は、憐れみをもって、彼らの疑いや不平を大目に見られ、モーセにこう言われました。「まさにこの夕暮れに、あなたがたは肉を得るであろう。そして朝になると、パンが得られるであろう。わたしが天から、あなたがたのためにパンを降らせるからである!」

  そこでモーセとアロンは、イスラエルの民に告げました。「夕暮れには、あなたがたは、エジプトの地からあなたがたを導き出されたのが主であることを知るであろう! それは、私やアロンの考え出したことではなかった! 主は、あなたがたが主に向かってつぶやくのを聞かれ、あなたがたに肉とパンを送って下さる! あなたがたは、実は、主に対して不平を言っているのである! 結局のところ、アロンや私が何者であるというのか?」

  期待通り、その夕暮れ、強い風に吹かれて、ものすごく大量のウズラが宿営に飛ばされてきてそこで落ちたので、地面は足の踏み場もないほどになりました! かくして、何百万というイスラエルの民が、数日分の肉を得たのです! しかし、最大の奇跡が起こったのはその夜でした! 眠っている内に、砂漠のひんやりとした大気の中で、霧が濃くなり、地面に露がおりました。朝になると、宿営のあたり一面に露がおりており、それが蒸発すると、砂漠全体の岩や砂がすべて、不思議なほどに白くなっていました。まるで、霜か雪がその一帯を薄くおおっているかのようでした!

  それを見るや、イスラエルの民は顔を見合わせて言いました。「マナ? マナ?」 それは、「これは何だろう?」という意味です。

  モーセは答えました。「これは主があなたがたの食物として賜ったパンである! 日が昇って、暑さで溶けてしまわない内に集めなさい! 一日一人当たり2リットルずつあるように、それぞれの家族が人数に応じて必要なだけ集めなさい。そして、焼くなり、煮るなり、好きなようにしなさい。」

  そこで人々は外に出て行き、丸くて薄いマナの薄片を拾っては器に入れて、みんなに十分なだけ集め、それを天幕に持って帰り、焼きました。それをうすで挽いた者もいれば、乳ばちですりつぶして粉にした者もいました。それから、フライパンで調理し、小さな薄いパンにしたのでした。

  ナバルは嬉しそうに妻に話しかけました。「生まれてこのかた、こんなうまいものは、食べたことがない! 蜂蜜の入ったウエハースのような味がするが、こっちのほうがうまい!」

  「本当に!」 妻は答えました。「金持ちのエジプト人しか買えないような、あの、おいしくて良い香りのするコエンドロの実のスパイスを加えて、新鮮な野菜オイルで調理したような味がするわ!」

  カレブがマナのパンを食べながらやってきて、言いました。「主が供給して下さると言っただろう!主は、約束通り、われわれを約束の地に連れて行って下さるばかりか、そこに行くまでずっと、われわれは、世界中で最もおいしいパンを食べることになる! 天からのパン、天使の食べ物だ!」

  ほとんどまる一年、人々は食べ物のことで何も不平を言ったりはしませんでした。マナは非常においしく、栄養があったし、主がまさに奇跡的にそれを供給して下さっていると知っていたからです! けれども、キブロテ・ハッタワに着くと、また不平が聞かれ始めました! それは、外国人、つまり、ヘブル人と共にエジプトを出てやってきたエジプト人の間で始まりました。以前彼らは、よく肉をたくさん食べていたので、肉が少ないと言って不平を鳴らし始めたのです! するとすぐに、不平が広まり、宿営全体のイスラエル人の誰もが、肉のないことで文句を言うようになりました! そしてその内に、他の食べ物を持っていないことでも不平を言うようになったのです!  ナバルはすぐに他の者達に影響されて不平を言い始めました。しかしカレブは言いました。「ナバル、わからないのか? あなたはただ貪欲になっているんだ! 私達は、時々は肉を食べているじゃないか! 羊やヤギや牛の群れがいて、ビーフやマトンや‥‥」

  「そうだが、好きなだけ家畜を殺すことなどできないし、つましいものだ!」 ナバルはあざ笑いました。「肉を、自分が食べたいだけ食べることもできない! 神は、砂漠の中で食卓の用意をすることができるだろうか? 神は私達にパンを与えて下さったが、神の民に肉を与えることもできるだろうか? 無理な話だ! だが、できるなら、エリムでされたように、私達にもっと、あのおいしいウズラを送られてはどうだろうか!?」

  不平不満が募り、ついには、宿営にいる誰もが、天幕の入り口の所に立ち、嘆き悲しむようになりました。こんなふうに言って嘆くのです。「肉が食べられたらいいのに! 前にエジプトで食べていた魚の味がなつかしい。それに、きゅうりやメロンやネギや玉ネギやニンニクの味も!」 そして、天からのパンにさえ不平を言うようになりました。「今ではわれわれは腹ペコだ。主はこれしか与えて下さらない。このまずいマナだけだ! ああ、エジプトにいた時はどんなに良かったことだろう!」

  彼らのつぶやきを聞かれた主は、今度は激しく怒られ、モーセにこう命じられました。「民に言いなさい。『あなたがたは泣いてわたしの耳に、神は私達に肉を与えて下さるのかと言った。そこでわたしは、あなたがたに肉を与える! 明日、あなたがたは、食べるための肉を得るであろう! それは1カ月食べていくに十分である! あなたがたはウズラの肉を食べ、ついには、それが鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる! あなたがたがわたしの御心に背き、泣いて、『私達はなぜエジプトを出たのであろうか?』と言ったからである。」

  その夜、主は東風を起こされ、吹き荒れる嵐がイスラエル人の宿営を襲いました。すると奇跡が起こったのです! アカバ湾を渡っていたおびただしい数のウズラがその嵐で、まっすぐ、イスラエルの民の宿営に吹き流されてきたのでした! 詩篇78:27-28にある通りです。「神は彼らの上に肉をちりのように降らせ、翼ある鳥を海の砂のように降らせた!」

  宿営のまわり何キロにも渡って、あたり一面ウズラでおおわれました! 一日中、そして夜もずっと、そして次の日も終日、人々はウズラを集めました! 何千万羽もいたので、一番少ししか集めなかった者でも、百ブッシェル集めました! その夜、宿営の至る所で、何万も火がおこされ、誰もが座って肉を調理し、喜々として食べました! ところが、1カ月もつはずのウズラを、多くの人々は欲を起こして狂ったように、次から次へとむさぼりました。そしてついにはひどく満腹になり、死ぬほどの病気になってしまったのです。

  ナバルも、歓喜の声をあげ、舌なめずりをすると、その夜ウズラをたらふく食べました! しかし、次の日の朝には、他の何千人と同じように、死んでしまったのです! 聖書にある通りです。「こうして彼らは食べて、飽き足り、食べ過ぎるまでになった! 神が彼らにその望んだものを与えられたからである。それから神はその内の最も肥え太った者達を殺された! それで、その所の名はキブロテ・ハッタワ(欲心の墓)と呼ばれた。貪欲で不平を言う民を、そこに埋めたからである。」(詩篇78:29-31、民数記11:33-34)

 

考えてみるべき課題:

  (1) 人間は、不平を言ったり、つぶやいてしまうことがよくあります。ついそうしてしまうのです。しかし、だからと言って、それが正しいとか、容認されるということではありません! 神から見て、つぶやきは、全く我慢ならないことなのです! 神は不平を言う者には我慢されず、つぶやいたり、不平を言ったり、愚痴をこぼすことを、他のどんな罪にもまして憎んでおられます!

  (2) イスラエルの民は確かに苦難を味わっていましたが、彼らが不平を言ったのはそれが理由ではありませんでした! 彼らが不平を言ったのは、不信心のためだったのです! 彼らは、神が自分達を苦境から抜け出させて下さるとは信じていなかったのです!(詩篇78:19-22,32を読んで下さい)不平は疑いの声ですが、賛美は信仰の声です。自分のいる状況がどんなに困難であっても、神がそこから抜け出させて下さると信頼し、信仰を持っているなら、不平を言ったりはしません!

  (3) シンの荒野にいたイスラエルの民が食べ物のことで不平を言ったのを批判するのは簡単です。しかし、覚えておいて下さい。私達はしばしば、もっと小さくて、それほど重要ではないことで主からのテストにしくじり、ぶつぶつ不平を言ってしまうのです。ですから、人を批判することはできません! 私達にできるのは、神を恐れ、他の人達の間違いから学ぶことだけです!(ローマ11:20-22)

  (4) 民の抱いていた疑問の中には、もっともなものもありました。たとえば、何を食べるのだろうかと思ったりすることです。もう少し肉を食べたがることでさえ、それ自体は、さほど悪いことではありませんでした! 主には確かに、それを供給することができたからです! けれども、大切なポイントはこれです。何か理にかなった必要があるからといって、または、そう思ったからといって、その必要物を得ようとして、くどくど言ったり、あるいは、主がそれを与えまいと決められた場合に、そのことについて不平を言ったりするのは、正しいことではありません! ピリピ2:14には、こう書いてあります。「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」

  だいたいは、何のためにほしいのかという、あなたの動機や、それを求める時のあなたの霊によって判断されます。もしも、謙遜で、穏やかで、信仰に満ちた態度で何かを求めるなら良いのですが、過度に要求したり、不平不満でいっぱいの態度を取ったり、あちこちで愚痴を言い、自分が「どんなにひどい扱いを受けているか」をみんなにふれ回ったりするなら、それは全く間違っています!

  (5) ほしいものがすべて手に入らない時もあります。ですから私達は、どんな境遇にあっても満足することを学ばなければなりません!(ピリピ4:11) 必要物が豊かに与えられた時にだけ幸せに感じるのではなく、どんな困難に遭っても、何が欠けていても、喜んでイエスに従い続け、自分が持っているもののゆえに神をほめたたえることを学ぶ必要があるのです! 第一テサロニケ5:18にある通りです。「すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」

  聖句や主のことを考え、くちびるに歌や賛美がある限り、あれがいやだ、これがいやだと不平を言ったり、愚痴をこぼしたりすることはできません! 悪いことも、少しは起こらなければなりません。そうすれば、悪いことがしょっちゅう起こらないことを感謝するようになります! いつも、自分の思い通りに事が運ぶわけではないし、自分のしたいことがすべてできるわけでもないし、自分のほしいものがすべて手に入るわけでもありません。なぜなら、もしそんなふうになったら、そのことを有り難く思うことすらなくなってしまうからです。

  (6) 主が彼らに与えられたマナは、非常においしく、栄養もあったので、実際、彼らには肉は必要ありませんでした。けれども、彼らがそれでも肉がほしいと言い張ったため、主はウズラを与えられました。すると彼らは、ついに病気になるまで食べ続けたのでした! 「主は彼らにその求めるものを与えられたが、その魂をやせ衰えさせられた。」(詩篇106:15) 時々、私達が何かがほしいと言い張ったり、強く要求して、「神様、私はどうしてもそれを手に入れなければなりません! それを私に与えて下さい!」と言うなら、時々、神はそれを与えて下さいます。しかし、神がそうなさるのは、それが私達のためにならないことを示して教訓を教えるためです。

  自分がほしかったものを手に入れても、心の中には空虚感が残るのです! 私達が主や主の御心を求める以上に、それを求めたためです。これは罪です! 主の御心に反してまで、そして、主にまさって、何かがほしくてたまらないと思うなら、あなたは神との交わりを失ってしまいます!(ヤコブ4:3、詩篇37:4、106:15を読んで下さい)

  (7) 「神は彼らに天使のパンを送られた。」(詩篇78:25) それなのに、人々は全く感謝せず、不平を言ったのです! 自分の受けている祝福を感謝するかわりに、何か持っていないもののことでつぶやいたり、不平を言ったり、愚痴をこぼすなら、神は、そうした人にはもう何も与えたくないとお思いになることでしょう。事実、私達が自分の持っている祝福を感謝しないならば、神はしばしば、それを取りあげてしまわれます! そして、その祝福がなくなってしまって初めて、私達はその有り難みを知るようになるのです!

  (8) ある人々は、神がどれだけのことをして下さっても、決して、幸せに思ったり、満足することがありません! 何が起ころうと必ず、批判したり、不平を言う対象を見つけ出すのです! 不平を言う常習犯は、何か不平を言うことがあるなら、それで幸せなのです! けれども、一つ一つの祝福について神に感謝するならば、不平を言ったり、嘆いたりする時間などありません!

  (9) エリムでは、人々は、自分達が苦境にあることでモーセやアロンを非難しましたが、モーセが指摘したように、彼らは実際には神を非難していたのです! 多くの人々は、神を非難すべきではないと知っているので、かわりに、自分達のリーダーや監督者を非難します。けれども、神の御仕事においては、リーダーは神の人です。だから、不平を言うなら、あからさまに神を非難したらいいでしょう。なぜなら、実際には、彼らは神を非難しているのですから!

  (10) キブロテ・ハッタワで最初に不平を言い出したのは、ほんの数人の者達でした。ところがすぐに、何百万というイスラエルの民が一斉に不平を鳴らすようになりました! これが、敵からの疑いや恐れを口に出し、その嘘を他の人々に話したことの結果です。それをすると、神の真理や御言葉を証しするのと正反対の結果を生みます! あなたが疑いや悪魔の嘘を他の人達に話すなら、他の人達も、あなたと同じように、落ち込み、不幸せになり、落胆し、疑い、恐れ、ついには、ブツブツつぶやいたり、不平を言うようになるのです。ですから、そのようなことをしてはいけません!

  「ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は死の使いに滅ぼされた。」(第一コリント10:10)

  (11) つぶやく者はいつも、最初は心の中でつぶやき始めます。それでついに口から出てくるのです。「おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。」(マタイ12:34)  あなたは、心の中に不平不満を抱いていて、敵の嘘を人に伝える一人ですか? 用心しなさい! つぶやきは非常に伝染しやすく、極悪な病気で、「少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる」(ガラテヤ5:9) ように、少しのつぶやきが神の御仕事に携わる人達みんなを毒してしまうことがあります! 不平というのは、敵の声であって、批判的な霊は、兄弟の内に、争い、不和、分裂をもたらします。それは、神から見て七つの憎むべきものの一つです!(箴言6:16-19)  だからこそ、神はそれほども、つぶやきを忌み嫌われるのです!

  ヘブル12:15はこう警告しています。「気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい」と。ほんの少しの苦い根、つまり、つぶやきでも、もしすぐに取り除いてしまわないなら、心や口から「はえ出て」、多くの人を悩まし、汚してしまいます! ですから、あなたの心の中で、苦い根やつぶやきなどに、根をおろさせてはいけません!−−アァメン?

  (12) 人が不平を言うのは、まわりの状況のせいではありません。それは、その人の思いや心の状態のせいです。心に疑いがあるなら、何が起ころうと不平を言いますが、心が信仰で満ちているなら、何が起ころうと主をほめたたえます! ですから、私達全員が、不平を言う者ではなく、快活な弟子となるよう、神が助けて下さいますように! 悪魔に降伏してしまい、行く先々で不平を言ったり嘆いたりして、悪魔の疑いをまき散らすようなことは、絶対にしてはいけません!