宝 P438-442

 

誰に栄光を帰すべきか?

−−イエスのために証言しなさい!

 

 

  主を喜ばせ、主に仕えることを求めているクリスチャンとして、私達が仕事において成功したり、何かを成し遂げた時、私達はそれをどう受け止めるべきでしょうか? ほとんどの世俗的な人々のように、自分自身を高く評価し、 「私は、なんとすばらしい事をしたんだ! 私はたいしたものだ!」というような態度をとるべきでしょうか? それとも私達の動機と態度は、単なるプライドと、他の人からの称賛と尊敬を受けたいという願望以外のものであるべきでしょうか?

  その答えは、私達が神の御心を行なっていて、主に仕えているのか、それとも私達が自分自身の意志を行なっていて、自分の興味の向くままのことをしているのかにかかっています。もし私達が自分の心と人生をイエスに捧げ、私達の願いが、主を喜ばせ、主に仕えることであるなら、私達はもちろん、助けと導きとを主に求めるでしょう。だから、私達が成功するのを主が助けて下さる時、主に感謝し、主に栄光を与えたいと思うのです!

  神の御言葉は私達にこう告げています。「主にあがなわれた者は言え。主は彼らを悩みからあがなわれた!」またこうも言っています。 「主のことを語る者よ、黙ってはならない!」(詩篇107篇2節、イザヤ62章6節) 主を知っていて、主を愛する子供達が発言し、他の人に主が彼らの神であり、力であり、助けであり、救い主であることを知らせることを、主は望みまた求められるのです! だから私達は、自分達が主のものであり、主の側にいて、主のために生きていて、主こそ、私達が主の御心を成し遂げるのを助けて下さる方だということを、他の人に知らせるのを恥じたり、恐れたりすべきではありません!−−「あなたがたの内に働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである!」(ピリピ2章13節)

  そしてもしあなたが、あなたは主の御手の中の道具にすぎず、主だけが本当に何かを成し遂げることのできる方だということを、絶えず自分自身と他の人とに思い起こさせるなら、その時、主は、あなたを通して行なわれるどんな良い事においても、すべての栄光を得られるでしょう。そして忠実に主にすべての栄光を帰するなら、かつて以上に主があなたを祝福され、用いて下さることに気づくでしょう。

  神の御心と目的とを真に成し遂げるためには、あなたは主の助けに頼らなければなりません。あなたが直面するチャレンジに挑むためには、真の強さが、「あなた自身の強さや力」から来るのではなく、「私の霊によるのであると、主は言われる!」(ゼカリヤ4章6節)ということを、知らなければなりません。しかし私達が手柄と栄光を自分達のものにしようとするなら、神は祝福したいと望んでおられるほどには、祝福できないでしょう。

  聖書には、思いあがった統治者であったヘロデ王についてこのような話があります。「定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。集まった人々は、『これは神の声だ。人間の声ではない。』と叫びつづけた。するとたちまち (聖書はこのように続けています) 主の使いが彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて、息が絶えてしまった!」(使徒行伝12章21節-23節)

  神は、ヘロデが偉大な演説をしたというだけで、彼を殺すことはしなかったでしょう。事実、彼がその演説をするのを、神はおそらく助けたことでしょう! しかし彼は神に栄光を与える事を拒み、人々が自分のことをひたすら称賛するのをやめさせず、 それどころかその全ての栄光を自分のものとしたので、神は非常に怒られ、それ故に彼を打たれたのです!−−「彼は神に栄光を与える事をしなかったからである!」

  聖書に出てくる良い王達や預言者達や神の人の話とは、何と違うことでしょうか? 彼らが主にすべての栄光を与えたので、主は彼らを力強く使うことができたのです! この良い例はダビデです。彼がただの少年だった時、彼は自分の民の敵の前に勇敢に進み出て、巨人ゴリアテとの対決の挑戦に応じました。

  その巨人と交戦する前にダビデは、すべての人に聞こえるように、ゴリアテに向かって大声でこう叫びました。「おまえはつるぎと、やりと、投げやりをもって、私に向かってくるが、私は万軍の主の名、すなわち、おまえが挑んだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。今日、主はおまえを私の手に渡されるであろう。またこの全会衆も、主は救いをほどこすのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう! この戦いは主のものであって、主が我々の手におまえ達を渡されるからである!」(サムエル記上17章45節-47節) そして主は奇跡を行なわれ、小さなダビデが巨人に勝利するのを可能にして下さったのです。そしてすべての人はそれが、神の行なわれた事であることを知っていました。なぜならダビデが主にすべての栄光を与えたからです。彼は、ゴリアテを打ち負かしてしまう前でさえ、そうしたのです!

  神の祝福と助けがほしいなら、ダビデのようになって、あなたが反対している事だけではなく、あなたが何を支持しているかも大胆に告げるのです!つまりあなたがイエスと神と神の御心のためにいるということを!「主が私に味方されるので、恐れることはない。人は私に何をなし得ようか!」(詩篇118篇6節)

  使徒行伝の書には、主の為に確信をもって語り、神に栄光を与える事に関する良い例がもう一つあります。使徒ペテロと使徒ヨハネは、足の不自由な人のために祈りました。するとその人は奇跡的に、たちまち癒されたのでした。そこにはこうあります。「人々は皆、ひどく驚いて、彼らのところに駆け集まって来た。ペテロはこれを見て、人々を叱って言った。『なぜ、私達が自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、私達を見つめているのか? 神は御自分の御子イエスに栄光を帰された。イエスの御名による信仰が彼を歩かせたのである!』」(使徒行伝3章11節、12節)

  神の言葉にはこうあります。「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る者はこれを誇りとせよ。すなわち悟くあって、私を知っていること、私が主であることである。」(エレミヤ9章23節、24節)

  もしあなたに、本当に信じているものがあるなら、あるいは本当に好きなものがあるなら、または何か興奮しているものがあるなら、あなたはそれについて語り、それを自慢し、そのことを誇りとするでしょう! もしあなたの気にいっているスポーツチームがすぐれていると思っているなら、あなたはそのチームについて話すでしょう! もし自分の仕事が良いと思っていて、それを楽しんでいるなら、そのことを話すでしょう! もしあなたの支持している政党を信頼しているなら、そのことを話すでしょう! もし自分のレジャーや遊びを楽しんでいるなら、そのことについて話すでしょう!−−だからあなたが本当にイエスを信じているなら、あなたは彼のことを話すのです! イエスが言われたように、「おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。」(マタイ12章34節)

  だからと言って、あなたが教養のある神学者、祭司、牧師、組織化された宗教団体の聖職者にならなくてはならないというわけではないのです。事実、あなたは自分の行くどこででも、ただ主と主の愛を認め、その事について話し、主の言葉と真実とを他の人に話すのを恥じたり、恐れたりしないことによって、主に栄光を与えることができるのです。

  物事がうまくいく時、ただ単にこう言えばいいのです。「神に感謝しよう!」と。そうするなら、あなたは神に栄光を帰しているのであり、それを聞く者に対する証しとなるのです!「主よ、感謝します!」と言う度に、あなたは神に栄光を与えているのであり、忠実な証人となっているのです。たとえあなたが「神はあなたを祝福します!」と他の人に言うだけでも、あなたは彼らに主のことを思い起こさせているのです。

  しかし、もしあなたが自分に対して幾分確信がなく、自信がなく、他の人の前で主の御名を大胆に語ることなどできないと思うなら、初代教会の弟子のことを考えて、それを励ましとして下さい。有力な宗教の権威者達が、彼らを脅し、イエスのことを他の人に告げるのをやめるように命令した後、彼らは必死にこう祈りました。「主よ、彼らの脅威に心をとめ、あなたのしもべ達が引きつづき、大胆にあなたの御言葉を宣べ伝える力を授けて下さい!」彼らは自分達の弱さと恐れを告白し、助けを求めて主に呼ばわりました。すると主は答えて下さったのです!「一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した!」(使徒行伝4章29、31節)

  イエスはこう約束されました。「聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受け、全世界において私の証人となるであろう。」(使徒行伝1章8節) だから他の人の前でイエスのために立ち上がり、大胆に主の御名を語るための力がもっと必要だと感じるなら、ただ、主の尊い聖霊の力によって満たして下さいと祈ればいいのです。そうすれば主は満たして下さいます!

  イエスは言われました。「私と私の言葉を恥じる者に対しては、人の子もまたその者を恥じるであろう!」(マルコ8章38節) しかし、イエスはまたこうも言っています。「人の前で私を受け入れる者を、私もまた、天にいます私の父の前で受け入れるであろう!」(マタイ10章32節) だから今、イエスのために立ち上がりなさい。そうすればあなたが間もなく、主の前に立つ時、主は私達の天の父の前であなたのために立ち上がって下さるでしょう! そして天国にいるみんなは、あなたが主と主の言葉を恥じず、他の人の前で主への信仰を告白したことを知るでしょう!

  今日、イエスのために立ち上がりなさい。そうすればイエスもあなたのために立ち上がって下さるでしょう。そしてあなたは、主がこう言われるのを聞くでしょう。「良い忠実なしもべよ、良くやった。私と共に喜んでくれ!」 (マタイ25章21節、使徒行伝7章55、56節) 神の祝福があなたにありますように!