宝 P372-375

 

愛するべきか?−−それとも、憎むべきか!

−−愛、憎しみ、恨み、許し、憐れみについての金言と聖書の言葉!

 

  1.「何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。」−−第一ペテロ4:8

  2.「わたしたちは、兄弟を愛しているので、死から命へ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠の命をとどめてはいない。」−−第一ヨハネ3:14,15

  3.「『神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。」−−第一ヨハネ4:20,21

  4.「わたしたちも以前には、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。ところが、神の慈悲と博愛とが現れたとき、‥‥わたしたちは救われたのである。」−−テトス3:3-5

  5.「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」−−ルカ6:36-37

  6.「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主があなたがたをゆるして下さったように、あなたがたもゆるし合いなさい。」−−コロサイ3:13

  7.「あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」−−レビ19:17-18

  8.「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていた事は、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽を上らせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」−−マタイ5:43-47

  9.聖書には、自分の隣り人を愛しなさい、と書いてある。また、自分の敵を愛しなさい、とも書いてある。それはおそらく、その人達がしばしば同じ人達だからなのだろう!

  10.自分の隣り人を愛するには、神を愛さなければならない。なぜなら、ただ私達の内にある神の愛だけが、人間には不可能なことをするのを、たとえば、普通なら嫌うような人を愛するのを助けてくれる。

  11.愛していない人に対しては、あなたは、その歩き方にさえ欠点を見つける!

  12.「神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。」−−第一ヨハネ4:11

  13.たとえ誰かを好きでなくても、その人を愛することはできる!

  14.「これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。」−−ヨハネ15:17

  15.憎しみは酸のようなもの。それが注ぎかけられた物よりも、それが入れてある器に、より多くの害をもたらす。

  16.復讐は、お粗末な勝利。スズメバチに刺されたからといって、そのスズメバチを殺しても、それで刺された所が少しでも早く癒されたという話は、今だかつて聞いたことがない。

  17.敵を始末する最善の方法は、敵を自分の友人にしてしまうこと。

  18.他の人を許すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなもの。すべての人が許してもらう必要があるのだから。

  19.「あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。」−−ヤコブ2:13。

  20.双方が真に神を愛しているなら、その二人が互いに憎み合うことはできない。

  21.「『光の中にいる』と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。兄弟を愛する者は光におるのであって、つまずくことはない。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである。」−−第一ヨハネ2:9-11

  22.恐れ、緊張、憎しみは、様々な心理的病いや精神的病いだけでなく、心臓病や胃潰瘍のような生理的な病いも実際に引き起こします。ひどい関節炎はたいてい、精神的なことが原因で起こり、そのほとんどが、恨みや憎しみ、人生に対する悲観的な態度によって引き起こされています。そうした感情は実際に、体の中の毒を増加させるので、それが関節にたまって痛むようになるのです。

  23.「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」−−エペソ4:32

  24.自分は許していると言うが、そのことを忘れない人々は、和解して、斧を埋めておきながら、後で素早くつかめるように、その柄が見えるように出しているも同然である。

  25.許しは、最も崇高な復讐である。過ちを正す方法は、許し、忘れることである。

  26.

    彼は自分のまわりに輪を描いて、

    私を締め出した。

    しかし、私と愛は

    彼を仲間に入れる方法を知っていた。

    もっと大きな輪を描いて、

    彼も中に入れてあげたのだ。

  27.「わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える。互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」−−ヨハネ13:34

  28.許しは、足で踏みつけられてつぶれた花がその足に放つ芳香のようなもの。

  29.「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」−−第一ヨハネ4:7-8

  30.神は、自分の好きでさえない人達を愛する超自然な愛を与えてくれる! 彼らを好きになる必要はないが、彼らを愛さなければならない!

  31.「愛は寛容であって、忍耐に忍耐を重ね、ついには、怒りを爆発させる」のだろうか? そうではない、「愛は忍耐に忍耐を重ねていっても、なお情け深い!」−−第一コリント13:4

  32.他の人達の批判ばかりするのではなく、彼らの立場に立って考えてみなさい。

  33.「最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。」−−第一ペテロ3:8

  34.実際に見ている自分の兄弟や姉妹、夫や妻、リーダーや、自分に従っている者、父親や母親を愛することができないなら、どうやって、まだ見ていない神や、全く見ず知らずの人達を愛することができようか?−−第一ヨハネ4:20

  35.すべての人の心に通じる鍵がほしいですか? 愛を試してみなさい! 愛は、決して失敗することはありません! なぜなら、神は愛であり、神は失敗することなどあり得ないからです!

  36.「互に心から熱く愛し合いなさい。」−−第一ペテロ1:22

  37.医師達は、憎しみは、癌、心臓発作、頭痛、皮膚の発疹、そして喘息(ぜんそく)などの原因となりうると言っています。憎しみは、憎んでいる相手の人を良い気分にさせることもありません。

  38.自分の隣り人を、自分を愛するのと同様に愛しているなら、あなたは、自分をその人の立場に置いてみて、自分がその立場だったらどう感じるかを考えてみるでしょう。

  39.「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。」−−マタイ22:39

  40.正義には、憐れみがない。正義はただ、物事が正しいか正しくないかを決める、それだけである。けれども、愛と憐れみは、正しくない罪人をも、許す。

  41.「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」−−マタイ5:7

  42.「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」−−マタイ5:23-24

  43.許しは、憤りから解放し、憎しみの手錠をはずす鍵である。許しには、恨みの鎖と利己主義の足かせを壊す力がある。

  44.「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」−−マタイ6:14-15

  45.もしも、他の人を許す分だけ自分も許され、他の人に示した憐れみの分だけ自分にも憐れみを示されるようになるなら、人によっては、かなりの苦境に陥ることになる!

  46.もし許すだけの愛がないなら、あなたには愛がない−−なぜなら、許しは愛だからである!

  47.「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。‥‥愛はいつまでも絶えることがない!」−−第一コリント13:7,8前半