宝 P359-366

 

イエスを第一に!

 

  神の御子イエスを愛し信じる神の子供達は、キリストの花嫁、イエスの妻です! (黙示録19:7,8を読んで下さい)  あなたが心の中にイエスを招き入れた時、イエスは、婚礼の夜に夫が妻の中に入って行くように、霊的にあなたの心の中に入り、あなたと一つになったのです!

  「しかし、まだ罪びとであった時、私達のためにキリストが死んで下さった‥‥それは、私達が他の人、すなわち、死人の中からよみがえられた方(イエス)のものとなるためなのである!」−−ローマ5:8、7:4。イエスが私達を見いだし、愛によって救って下さるまでは、私達は皆、罪の中をさまよっていました。「わたしは再びあなたのかたわらを通って、あなたを見たが、あなたは愛せられる年齢に達していたので、わたしは着物のすそであなたをおおい、あなたの裸を隠し、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものになったと、主なる神は言われる。」−−エゼキエル16:8。「花嫁が花婿を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。」−−イザヤ62:5。何と素晴らしい愛でしょうか! ヨハネの第一の手紙4:19に、「私達が神を愛するのは、神がまず私達を愛して下さったからである。」とありますが、全くその通りです。(主の教会である私達とキリストとの婚姻について、エペソ5:23-32も読んで下さい。)

  しかし、悲しいことに、多くの結婚は、初めは、生き生きとしていて、燃えるように熱く情熱的な愛から生まれたのに、その愛も、しばらくすると冷えきってしまい、結婚生活も、形ばかりになってしまうことがあります。そして、それと同じ事が、キリストの花嫁であるクリスチャンにも時々起こるのです。主が自分にどれだけの事をして下さったかを忘れてしまい、最初イエスに対して抱いていたあの素晴らしい愛が、少しずつ色あせてしまうのです。最初は、イエスに対する愛に燃え、イエスのためなら何でも喜んで一生懸命するつもりだったかもしれませんが、時がたつにつれ、その炎と情熱も冷めてしまい、イエスとの関係は、形ばかりの冷えきった関係になってしまいます。

  このことがイエスの心をどれほど傷つけるか考えてみて下さい! イエスにとってそれは、あなたの最愛の妻または夫が、あなたの愛に応えず、他のものに興味を示したり、他に愛する人を作ってしまい、あなたよりもその人のほうを愛し、大切にするようになるのと同じくらい、つらいことなのです。

  実際それは、イエスを傷つけるだけでなく、イエスを嫉妬させます! 「あなたの神、主であるわたしは、妬む神であるから、あなたはわたしの他には何ものをも神としてはならない!」−−申命記5:7,9。 私達が他のものをより愛すると、神が嫉妬されるのは、神が利己的だからではありません。神は、私達のために嫉妬されるのです。なぜなら、私達が、何にもまして主を愛するのでない限り、人生の意味を知り、幸福感や充足感を得ることはできないと、神は知っておられるからです。使徒パウロは、「私は神の妬みを持って、あなたがたに嫉妬している。あなたがたをきよいおとめとして、ただ一人の男子キリストに捧げるために、婚約させたのである。」と言っています。−−第二コリント11:2。

  そして主が嫉妬深いのは、失われた魂のためでもあります。私達が自分達の人生において主を第一におくのでない限り、他の人達を助けて、彼らもイエスを知ることができるようにしようという強い確信を持つことはできないと、主は知っておられるからです! もし私達の心が完全に主のものとなっていないなら、私達は充実感を覚えず、魂を勝ち取る強いクリスチャンになることもないと主は知っておられるのです!

  では、どうすれば、私達は自分達の生活において、一時的にではなく、いつもイエスを第一におき続けることができるのでしょうか? 一つの方法は、日々の主への務めにおいてです。何をする時にも、始める前に、祈って、主に尋ねるのです。そして、それが主があなたに望んでおられることかどうかを確認するのです! これは、あなたの毎日の仕事にもあてはまることに気づくことでしょう。時間に追われている時は、主を私達の生活の外に押しやって、日々の仕事にしか目が向かなくなってしまうことがよくあります。誰でもたまにそういうことをするものですが、主を二の次にしても、何の解決にもなりません!

  神は多くの素晴らしいクリスチャンの実業家を祝福し、彼らに富を与えてこられましたが、それは、彼らが毎日の決断の際に、イエスの御心を一番重要視したからです! 有名な実業家であり、億万長者のロバート・G・ルトルノーは、まだ事業を始めたばかりで、小さな工場を経営していた頃のことについて次のように話しています。「ある晩、私は、新しい機械の設計をし、翌朝には、契約先の人達がそれを作れるようにしなければなりませんでした。ところが、その同じ夜に、私はあるクリスチャンの若者達に、一緒に証しに行くように招かれました。私はどうしたらいいのか決断に迷い、しばらくの間、主とかなり口論をしました!

  どうやったら、翌朝までにその設計図を書きあげられるか、皆目見当もつかなかったのですが、私は若者達と出かけることにしました。そして、多くの成果があり、とても素晴らしい、有益な時を過ごすことができました! 私が家に戻ったのは、10時頃でした。その時まで、私には何の案も浮かばなかったのですが、机に向かって5分もすると、大体のアイデアと設計図がはっきりと浮かび上がってきたのです! それどころか、その晩に設計した、ちっぽけな機械をもとにして、多くの機械を次々に製作することができたのです! 神を第一におくのは確かに価値のあることです!」

  ウイリアム・グラッドストーンも、毎日の決断を下す際に神の御心を第一においていた、有名なクリスチャンの一人です。グラッドストーンは、3度英国の首相を務め、1800年代の最も有名な英国人政治指導者の一人となりました。その彼は、毎日議会の建物の階段をのぼる途中で、立ち止まっては、そこにいる新聞売りの少年にイエスの愛について証しをしていたそうです!

  ところが、ある日、彼が秘書と議事堂に入ろうとしていたところ、別の新聞売りの少年が近づいてきて、こう言うのです。「聞いて下さい、ここでいつもあなたに新聞を売っていた少年を知っているでしょう。その子が昨日馬車にひかれてひどいケガをして、死にそうなんです。それで、あなたに来て、入れてほしいと言っているんです。」 首相は聞き返しました。「どういう意味なんだい。『入れてほしい』って?」 少年は答えました。「わかるでしょう? 天国へ入れてほしいんです!」

  しかし、秘書はさえぎって、「とんでもないことです。首相には死にかけている新聞売りの少年を見舞いに行くひまなどありません! 今日の演説がどんなに大切かご存知でしょう。英国の歴史を変えるかもしれないのですよ!」と言いました。

  しかしグラッドストーンは、ほんの一瞬ためらったものの、こう言ったのでした。「ひとつの永遠の魂は、議会での私の演説より大切だ!」 そして、新聞売りの少年の住む小さな部屋へと向かったのです。そこでは、死にかけている少年が、すみのみすぼらしいマットの上で苦しげに横たわっていました。ほおを涙でぬらしながら、グラッドストーンはその少年と祈り、少年にイエスを受け入れさせました! 新聞売りの少年は、この偉大な人の顔を見上げ、こうささやきました。「来てくれると思っていました。入れてくれてどうもありがとう!」 それから、少年は目を閉じ、イエスのもとへと行ったのです。

  一、二時間後、グラッドストーンは、白熱した議論の飛び交う議会に何とか戻ることができました! 遅れて、もう少しで自分の演説の番を逃すところでしたが、何とか間に合った彼は、雄弁に演説をし、大成功に終わりました! 後で秘書はグラッドストーンに言いました。「首相、なぜあんな新聞売りの少年なんかにかまって、非常に重要な演説の機会を逃しそうになるほどの危険をおかしたのですか?」

  グラッドストーンは答えました。「今日の私の演説は、確かに重要であり、良きことだった。だが、新聞売りの少年を救い、天国に行けるようにするほうが、もっと重要で良いことだったのだ! 神は、私が演説に間に合うように戻れると知っておられた! 神は、私が神の仕事を第一におくかどうか、私を試しておられたのだよ!」 価値観についての、何と貴重な教訓でしょうか!

  しかし、偉大なクリスチャン達がそのように偉大だったのは、ただ神に対して立派な奉仕をしたからというだけでなく、神と親密で近いフェローシップ (交わり) を持っていたからです。神を知れば知るほど、人は神に似てくるものです。しかし、残念ながら、多くのクリスチャンが一番犯しがちな間違いとは、あまりにも主の仕事に没頭してしまい、主ご自身をなおざりにしてしまうことです! その結果、主のための仕事をしていても、目標を見失い、実を結ばなくなってしまうのです。なぜなら、主の力を借りずに、独力でやろうとするからです。主は言われます。「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない!」−−ヨハネ15:5。主の力なしに、主の仕事を行うことは不可能です! そして、主の力を得るためには、主と共に時間を過ごさなくてはなりません!

 

今朝少し寝過ごしたとしても

  目を覚ました時に

あなたはイエスに話しかけただろうか

  そして、主の祝福を求めただろうか

あなたは主の憐れみを感謝しただろうか

  主が一晩中自分を守ってくれたことを

そして何の災いも降りかからず、涙なしに

  一日を迎えられたことを感謝しただろうか

あなたは主に祝福を求めただろうか

  一日中、主が共にいて

安全に導いて下さり

  自分が道を外すことのないようにと

あなたは、主に告げただろうか

  主の導かれる所へはどこでも行きますと

そして、主の命令に従って

  さまよう魂をすべて助けますと

 

これらの祝福なしに

  新しい一日を始めるなら

あなたは必ず力尽き

  途中で倒れてしまうだろう

ああ、主のおそばで生きなさい

  主のすぐそばにいないなら

主があなたにささやく愛の言葉も

  あなたの耳には届かないから!

 

  時々、私達は、主に仕えるのにやたらと忙しすぎて、主を愛するのを忘れてしまうことがあります! 神は、あなたが神に奉仕するのをありがたく思っておられるし、神はそれを必要としておられます! しかし主は、あなたが主のことを思い、主を敬愛し、主と親密なコミュニケーションを持つことも望んでおられるのです! 聖書には、そのことについての注意として、「それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。」と書いてあります。 −−マタイ23:23。

  マリヤとマルタの話を知っていますか? イエスが訪問された時、マリヤは「主の足元に座って、御言葉に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで忙しくて心を取り乱していた。」と聖書にあります。マルタは、主のために何もかもきちんとしなければと忙しく働いていたので、主の言われることに耳を傾けるひまさえなかったのです! だから、イエスは、優しく彼女をたしなめられました。「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである!」−−ルカ10:39-42。

  証しをして他の人をイエスに勝ち取るといった、主の為の仕事も、とても重要ですが、イエスと一緒に過ごす時間は、それにもまさって重要です。そして、イエスと二人きりで時間を過ごすなら、他にすべき事を全部する時間も十分にでき、しかも、より短い時間で、驚くほど素早く、それらの事を終わらせることさえできるようになるのです。

  ある朝、マルチン・ルターと共に働いていたメランヒトンは、その日がとりわけ忙しく、大変な一日になると知っていたので、一日の初めの祈りの時間を半分にしようと提案しました。するとルターは猛烈に反対し、今日はすることがものすごく沢山あるのだから、いつも通り2時間祈る代わりに、主の御前で4時間過ごさなくてはならないと強く主張したのでした!

  王の王との交わりを怠ると、あなたの霊的な成長と主との歩みは、みじめでお粗末なものとなってしまいます! 神は後回しにされるのを我慢されません。私達が神の奉仕に夢中になって、それを、神との交わりよりも優先することにさえ、神は我慢なさらないのです! 「あなたはわたしの他に何ものも神としてはならない」−−出エジプト記20:3。そして信じがたいことかもしれませんが、あなたが何かを主よりも優先させるなら、それが、あなたの神となってしまいます!

  だから、私達の生活においてイエスを第一におくというのは、人々の心や人生を主に勝ち取るという主への奉仕を優先させるだけでなく、私達の生活の中で、主の御言葉を読む時間を優先させることでもあるのです! 事実、聖書には、イエスは言(ことば)であると書いてあります。「初めに言があった。そして言は肉体となった。」−−ヨハネ1:1,14。さらにイエスはこう言っておられます。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である!」−−ヨハネ6:63。

  神の言葉はあなたの魂の糧であり、霊的な成長に絶対欠かせないものです! イエスの御言葉という糧を得るための時間を取らないなら、あなたの魂は実際に飢え死にしてしまうでしょう! あなたは、最終的には、発育の遅れた栄養失調の子供か、霊的な小人のようになってしまうのです! そうなると、神のためのあなたの奉仕も力がなくなり、何の成果もあげられないことでしょう。

  また、私達は祈りを通してイエスを第一におくこともしなければなりません! あなたは、一日を正しく始めるために、自分一人で、あるいは自分の家族と一緒に、毎朝、良き祈りの時を持っているでしょうか? あなたにはそれが必要です。それをしないなら、何もかもうまくいかなくなってしまいます! 目を覚ましたら、誰かを呼んだり、誰かに話しかける前に、まずイエスに話しかけなさい! その日の命令を主から受け取るのです! さもないと、あなたは、司令部の言うことに耳も傾けず、自分の最高司令官である方からも何の指示も受けないまま、自分一人だけで戦争をしようとする兵士のようになってしまいます!あなたが主を何よりも優先し、祈り、主が御言葉を通して語られることに耳を傾けるなら、私達の天の司令官であるイエスは、一日が始まりもしない内に、あなたの多くの問題を解決して下さるのです!

  毎日、十分に御言葉を読み、祈ることをしないなら、力を与えられることもなく、自分自身の知恵や力に頼って、結局はつまずいてしまうことでしょう。イエスは「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」と言われます。−−ヨハネ15:5。しかし、その一方で、聖書にはこうも書いてあります。「私を強くして下さるキリストによって何事でもすることができる!」−−ピリピ4:13。そのような力は、イエスを第一におき、祈り、神の御言葉を読むことによってのみ得られます!

  あなたは自分の生活において、イエスやイエスの御言葉、そして祈りのために、十分時間をとっていますか? あなたは、それらを優先させていますか? それともあなたは、他のことを優先させて、神と神の御言葉を2番目、あるいは3番目においているのでしょうか? もしそうなら、あなたの生活は、バランスを崩し、その結果、ちぐはぐで混乱したものとなってしまうことでしょう! 私達は、現代の世界において、それと同じことが巨大なスケールで起こっているのを見ることができます。世界は、人々が神を第一におくことを拒否してきたために、それどころか、神を全く無視してきたために、まさに崩壊の瀬戸際にまできているのです!

  イエスを第一におくもう一つの方法は、毎月の収入の幾らかを、神の仕事の援助のために与えたり、十分の一税を納めることです!(594ページと764ページの「神に与える!」と「天の窓」参照) 十分の一税というのは、神の絶対的な経済法則にのっとっています。すなわち、主を第一において、主の仕事のために自分の収入の十分の一を全額納めるなら、神はそれを祝福され、必ず、他のすべての支払いに必要な額よりも多くのお金を与えて下さるのです! 主は言われます。「与えよ、そうすれば自分にも与えられるであろう!」−−ルカ6:38。

  自分の心や生活の中でイエスを第一においただけではなく、様々な請求書の支払いをする時にも、まず最初にイエスに与えるようにしたために、神の祝福を受け、事業に成功した偉大なクリスチャンの実業家の話は沢山あります! 彼らは、他の支払いをする前に、まず、神の十分の一税を納めなくてはならないと知っていたのです!

  億万長者の製造業者、A・A・ハイドは、彼が十分の一税を納め始めた頃は、10万ドルの借金を抱えていたと言っています! 多くの人は、自分が負債を抱えているのに、神に自分の収入の十分の一を与えるのは、不誠実なことだと言います。ハイド氏もそう考えていたのですが、ある日突然、神こそ、自分の第一の債権者であるということに気づいたのです。そこでハイド氏が、神に支払いを始めると、最終的には、他の負債も全額返済することができたのでした。誰かがあなたに借金をしているなら、賢明なのは、その人に、まず神に借金を返すよう勧めることです。そうすれば損をすることがありません。

  ジョン・D・ロックフェラーは、最も偉大な慈善家の一人ですが、こう言ったことがあります。「そうです。私は十分の一税を納めています。どうしてそうするようになったか教えてあげましょう。私は、母を助けるために、幼い頃から働き始めなくてはなりませんでした。最初の給料は週に1ドル50セントでした。最初の週が終わって、その1ドル50セントを家にいる母の所に持って帰ると、母は、お金を自分のひざの上で握りしめ、私がその十分の一を主に与えるなら、本当に嬉しいよと言ったのです! 

  私はそうしました。そしてその時から、今日この日に至るまで、私は主が与えられたお金は1ドル残さず、その十分の一を納めています! そして、私は言いたいのですが、もしその最初の1ドル50セントの十分の一を納めていなかったなら、私は生まれて初めて100万ドルを稼いだ時にも、その十分の一を納めはしなかったことでしょう。あなたがたの読者の方達に、子供達に十分の一税を納めるよう教えなさいと書いて下さい。そうすれば、神は必ず祝福し、栄えさせて下さるでしょうと!」

  ロックフェラーは生前に、クリスチャンや慈善事業のために7億ドル以上もの寄付をしました。他のどの人の寄付した額も、その3分の1にも及びません!

  この読み物の中で先にあげたR・G・ルトルノーも、かなりの額を十分の一税として納めた人です! 一度、彼の事業が倒産しかかった時に、彼は必死に祈りました。「主よ、あなたが私の事業を救い、運営し続けていけるだけの大量の注文を与えて下さるなら、私は自分の収入の10%を定期的に納めます!」 すると、10万ドル分の注文が来たのです! そのすぐ後で、彼は20%与え始めました! すると、彼が神に与えれば与えるほど、神はもっと彼に与え返して下さったのです! 20年後には、自分の収入の90%を宣教師に与え、彼と彼の家族は、残りの10%で生活していましたが、それでも彼はやはり億万長者でした! 神の御言葉には、もしあなたが主を第一において、忠実に十分の一税を納めるなら、「わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みをあなたがたに注ぎ、それをしまう場所もないほどになるであろう!」とあります。−−マラキ3:10。イエスを第一におくなら、必ず報いがあります!

  私達は、生活のどのような面においても、イエスを優先しなくてはなりません! イエスは言われました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」−−マタイ6:33。「まず求める」というのは、私達の生活において、イエスを、何よりもまさって第一におくということです! それは、ただ自分のために働くよりも、また、お金や楽しみや健康のため、国のため、その他どんなことのために働くよりも、イエスと他の人達のためにもっと働くという意味です!

  そして、あなたが自分の生活でイエスを第一におき、主と主の仕事を最優先させるなら、主は必ずあなたのすべての必要を満たし、食べ物も服も家も与えて下さいます。また、主は、ご自分の与えるものが、主とあなたの関係を薄れさせたり、主とあなたの関係にとって邪魔になったりしないとわかっているなら、それらの必要物以上に、あなたが楽しむためのものまで与えて下さるのです! 神に感謝することに、セックスやおいしい食事やレクリエーションや仕事を楽しんだり、さらには、私達が五感によって楽しむようにと神が造って下さったものを満喫するのは、罪ではありません! しかし私達は、それらのものが自分の生活において最も大切なこととなり、主を楽しむよりも、それのほうを楽しむ、などということにならないようにしなくてはいけません!

  あなたはどんなことを価値あるものとみなしていますか? 神の御国を、まず何よりも求めていますか? 魂を勝ち取り、福音を広めていますか? それとも、他の人がそれらのことを行うことができるように、自分の仕事を通して、彼らにお金の援助をしたり、住む場所を提供したり、福音を広める機会を提供したり、彼らが政府の保護を受けられるようにしてあげていますか? 「たった一度の人生、それはすぐに過ぎ去る! ただキリストのためにしたことだけが残る!」 あなたは何をしていますか? それは誰のためですか? それは永遠に続くでしょうか? 主は間もなく帰って来られます! 今こそ、あなたが主を第一におくための最後のチャンスです! 今日というチャンスも明日には永遠に過ぎ去ってしまうでしょう!

  イエスをあなたの最愛の人とし、いつまでもそうし続けて下さい! 御国を第一に求めるなら、必ず祝福が注がれます!