宝 P350-354

 

種蒔きのたとえ話!

 

  群衆に向かって話す時、イエスはしばしばたとえ話を使って教えられましたが、それは、話を聞いている者達が自分の状況に容易に結びつけて考えることのできるような、よくある出来事や状況や事柄についての単純な物語でした。イエスが話をされた人々の大部分は無学な人達でした。それで、もしそういった、たとえ話を使って話すなら、子供達でさえそのメッセージに興味を持つことを、イエスは知っておられたのです。

  「種蒔きのたとえ話」は、マタイ13章、マルコ4章、ルカ8章にあり、三つの異なる福音書のどれにも書かれている数少ないたとえ話の一つです。この素晴しいたとえ話は、四種類の心の状態を描いており、人の心の状態はこのどれかに当てはまります。今、イエス御自身の御言葉を読むにあたり、あなたは、この四つの内のどれに当てはまるかを自分に問うことができるでしょう!

  「農夫が種を蒔きに行った。蒔いている内に、(1)道端に落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。(2) 他の種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

   (3) 他の種はいばらの地に落ちた。すると、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。 (4) しかし、他の種は良い地に落ちたので、はえて、育って、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍もの実を結んだ!

  こう語られたのち、イエスは声をあげて『聞く耳のある者は聞くがよい! 種蒔きのたとえ話が意味することに耳を傾けなさい』と言われた。」

  このたとえ話が、正確には一体何のことを言っているのかを、イエスはこう解き明かし、説明されています。「種は神の御言葉である。道端に蒔かれたものというのは、聞きはするが、それから悪魔がやって来て、信じることも救われることもないように、その心から御言葉を奪い去っていく人々のことである。」

  命を与える、神の御言葉の種が、この最初の種類の地に、つまり、このような種類の心に蒔かれると、どうなるのでしょう? 道は普通、土が堅く、踏み固められています。だから種が土の中に入る前に、つまり、彼らがそれを理解さえしない内に、また、それを受け入れ、救われもしない内に、サタンがやって来て、その種を奪い去ってしまうのです!

  ああ、悪魔はいかに神の御言葉に対して戦うことでしょう! 聖書には、「信仰は神の言葉を聞くことによって生まれる」(ローマ10章17節) とあります。だから、人々がイエスを信じ、救われるのを妨げようと、悪魔はあらゆる手だてを尽くして、彼らが神の素晴らしい御言葉の真理を、聞くことも受け入れることもしないようにするのです! 使徒パウロはこう言っています。「もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合、この世の神 (悪魔) が不信の者達の思いをくらませて、キリストの栄光の福音の輝きで照らされることのないようにしているのである! (第二コリント4章3,4節)

  これを読んでいるあなたは、もうすでに救われており、もうすでに神の御言葉の尊い種を受け入れて、御子イエスに心の中に入って下さるようお願いしたと信じています。もし、イエスを受け入れているなら、主に感謝すべきことに、自分はこの最初の種類の地ではないかと心配する必要はありません!

  でも、イエスが描写しておられる第二の種類の地は、どうなのでしょうか? イエスは、「ある者たちは、石地に蒔かれた種のように、御言葉を聞いて、初めは喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、御言葉のために困難や迫害が起こってくると、つまずいて、たちまち信仰を捨ててしまう!」

  この二番目の種類の地は、実際に喜んで御言葉を受け入れて、成長し始めるのですが、御言葉のために試練や困難や迫害の時が来ると、その熱心さがなくなり、信仰が枯れ果ててしまう人々のことです! でも、一度イエスを心に受け入れた人は、永遠に主のものなので、その救いを失ってしまうという意味ではありません。イエスは、「わたしはいつもあなたがたと共にいる。決してあなたを離れず、あなたを捨てない!」と言っておられます。 (マタイ28章20節、ヘブル13章5節) しかし、このたぐいのクリスチャンは全くのところ、「根がなく」、深みがなく、軽薄なので、しっかりと立ち、成長したり、実り豊かなものになったりすることは、決してありません。試練の時が来たり、迫害や患難の熱い太陽が昇ると、彼らはただ、霊的に死んでしまい、信仰を捨ててしまいます。彼らは弱く、それに耐えることができないのです。

  いかに多くのクリスチャンが同じ状態にあることでしょうか! 喜んでイエスを受け入れるけれども、神の御言葉を学んでそれによって養われることが決してなく、心の中に主の真理を深くしみ込ませることをしないのです。彼らは「自分に都合の良い時だけの信者」です。救いという神の贈り物を喜んで受け入れはしますが、彼らにとってそれは、地獄の火から自分達を救ってくれる非常に便利な火災避難設備か、来世のためのいわゆる「生命保険」のようなものでしかないのです。けれども、自分の信仰のために本当に立ち上がり、他の人達にイエスのことを告げ、福音のためにはあざけりや拒絶や屈辱を、さらにはひどい苦難や迫害をもいとわないで受けるべき時が来ると、彼らはただ枯れ果ててしまうのです!

  次は、三番目の種類の地に関するイエスの説明です。「また、いばらの中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、この世の心づかいと、富の惑わしと、他の事に対する願望が入り込んで御言葉をふさぐので、実を結ばなくなる人達のことである。」

  この世の心づかいや富によってふさがれてしまうことは、おそらく、今日の世界のほとんどのクリスチャンにとっての最大の落とし穴でしょう! 神は彼らを素晴らしく用いることができるのに、この一時的でしかない世の中の、物質的なことに関する気づかいによって、彼らは妨げられ、ふさがれてしまっているのです。主や、主の御言葉や、主の仕事とは関係のない実に多くの事−−「この世の事」(第二テモテ2章4節)−−に大忙しで、その霊的な成長がひどく妨げられ、力が弱められてしまい、この世のいばらにふさがれて豊かに実ることがなく、神の永遠の王国にとって無益なものになってしまうのです!

  さて、富が悪いと言っているのではありません。すべての悪の根源は、「金銭を愛すること」なのです。(第一テモテ6章10節) 私達が、主よりも富や財産や者を重んじると、「富の惑わし」によってふさがれて実りのないものとなり、迷い出し始めてしまうのです!

  最後に、第四の種類の地を、イエスはこう描写しておられます。「良い地に落ちた種を受け入れる者達とは、御言葉を聞いたのち、正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで、蒔いたものの30倍、あるいは60倍、あるいは100倍も実を結ぶ者達のことである!」

  他の、実を結ばない地とは違って、この第四の地は御言葉を受け入れ、これを保ち、しっかりと守って耐え忍び、成長して神の栄光のために豊かな実を結ぶのです!

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  あなたの心の地は、どのようなものでしょうか? かなり多くのクリスチャンが、主に対する不従順のゆえに、救われていても、二番目の種類のような、石地で、岩が多く、また土の浅い地のようになってしまいます。その心は、「罪の惑わしに陥ってかたくなに」なるのです。 (ヘブル3章13節)そして、主のための強い植物となることもできたのに、決してそうならず、霊的に成長することも成熟することもなく、実を結ばないものとなってしまうのです。だから、誘惑の「火のような試練」にあうと、信仰が枯れてしまうのです! なぜなら、深みがなく、また、「信仰に根差し、堅く立てられて」いるべきだったのに、そうなっていなかったからです! (第一ペテロ4章12節、コロサイ2章6,7節)

  あるいは第三の種類の地のように、彼らは、いばらのような、この世の中の物質的気づかいによって、神に役立つ者となる可能性がふさがれるままにしてしまっているのです。彼らは、祈りをこめて神の御言葉を読んでそれによって養われる時間を、見つけることも、作ることもしません。そのため、彼らは主の御言葉が与えてくれる「霊と命」とに欠けているのです。 (ヨハネ6章63節)

  それは、主と主の御言葉とを何よりも優先する四番目の種類の地のような人についての聖書の描写と、どれだけ違っていることでしょうか。「このような人は主の御言葉を喜び、昼も夜もその御言葉を思う。このような人は流れのほとりに植えられた木のようだ。時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える!」(詩篇1篇2,3節)

  ああ、もし私達が、農夫が耕すままに任せ、農夫の蒔く種をよく受け入れ、耐え忍んで作物を実らせる、肥沃ですぐれた地のように、神の御言葉と御心に服従することの永遠の重要性を悟ることさえできるなら! そうすれば私達は、束の間の物質的なものによって、自分達の有用性がふさがれてしまうのを許すことなど、絶対に考えないでしょう! また、福音のゆえにちょっとした反対や苦難や迫害を受けたからといって、自分達の信仰が枯れてなくなるのを許してしまうことも決してしないでしょう!

  もし、主を喜ばせ、また主のために実り豊かで役立つ者となるのを願うのなら、今日、あなたの心を主に委ね、主が望まれる者に、自分を造り変えていただきなさい。もし、命を与える神の御言葉を忠実に読み、そこから力を引き出すなら、自分が霊的にどれだけ早く成長するかに驚くことでしょう。そして、「福音を宣べ伝えよ」というイエスの戒めに従い、他の人に主の愛のことを教えるなら、あなたが彼らの心の中に蒔く神の御言葉の種は根をはやし、成長します。そうしてあなたは他の人をイエスに勝ち取るようになり、こうして、あなたの人生の内に最初に蒔かれたものの30倍、60倍、100倍もの実を結ぶようになるのです! そして、神御自身が、永遠に救われた魂をもってあなたに報い、あなたは星のように永遠に輝くようになるのです!(ダニエル12章3節)

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  祈り: 愛する主よ、どうか私達があなたの御心に服従し、あなたに対して従順な者となるよう助けて下さることを心から求めます。そうすれば、あなたが望まれるような、実り豊かな良い種類の地となれるからです! あなたは「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。彼らは飽き足りるようになるからである。」と言われました。だからどうか私達が、あなたと、命を与えるあなたの御言葉を求めて心から飢えかわき、忠実に御言葉を読むよう助けて下さい。そして他の人達もあなたを見出すことができるように、御言葉を彼らに分け与えるのを助けて下さい。イエスの御名によって祈ります。アァメン。