宝 P341-349

 

使徒パウロについての調査報告!

 

  聖パウロは疑いもなく、初代教会で最も偉大な宣教師で、今までに最も多くの永遠の魂をイエスに勝ち取った人物と言えます! 彼はどうやってそれをしたのでしょうか? 彼はその人生を神に捧げ、福音を宣べ伝えることにすべてを捧げることによって、それをしました! そして、天における彼の報いは大きいのです!

  「使徒行伝」にある聖パウロのエキサイティングな伝記は、「ルカによる福音書」の著者でもあったルカによって書かれました! パウロの冒険を読んでわかる通り、彼は、その幾度にもわたる宣教の旅の途中で、相当の迫害にあっています。イエスについての福音を宣べ伝えに行った町には、必ずといってよいほど、妬み深く、憎悪に満ちた敵がいて、彼に反対したり、迫害を加えたりしたのです!

  無論、あなたも私も、パウロは神に従い、福音を宣べ伝えるという良い行ないをしていたのだから、誤っていたのは彼の敵のほうだったということを知っています。しかし、もし聖パウロが今日も生きていて、現代のどこかの教会の会員になることを申請したとするなら、そして、教会の幹部が、パウロを会員として受け入れる前に、まず彼の履歴を念入りに調査することに決めたとしたら、一体どうなるでしょうか? 調査員がまずパウロの敵に話をしに行き、敵の報告書を読み、敵の意見を先に聞いたとしたらどうでしょうか? そうするなら、彼らは偏見で凝り固まった心で、聖書にある聖パウロの宣教の冒険談を読むことになるでしょう!

  パウロへの憎悪に満ちた敵の、批判的で歪んだ観点から読むなら、人々から親しまれ、こよなく愛されてきたこれらの聖書の物語は、どれだけ異なったものとなってしまうことでしょう! 調査員はどんな報告書を書くでしょうか?! さて、以下のようなものになってしまう可能性が濃厚です‥‥

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『一点の汚点もないと評判の教会』

    フレドリック・B・グッド教団主事殿

 

拝啓

  タルソのパウロという「使徒」が私共の宗派で宣教師となる申請を出したということを、先日貴殿より御通知いただきましたが、幾つか引っかかる点があったとのお申し出により、その経歴を正式に調査致しました。

  誠に残念ながら、私が暴いた事柄は貴殿がこの男に抱かれた疑念を全面的に裏付けるもののようです。率直なところ、今に至るまで、パウロが正真正銘の宣教師として認められてきたことには、全く驚かされます。この男が私どもの宣教師となるための必須条件のいずれをも満たしていないばかりか、言語道断たる公然のスキャンダルに関する情報も見受けられるからです!

  私が、パウロの敵と話して彼らの側の言い分を聞くのに大半の時間を費やしたのは事実ですが、はっきりさせておきたいのは、私の調査は全く公平で偏見がないということです。事実、パウロに関して最もスキャンダラスで、パウロの評判にダメージを与えるような情報は、彼の一番親しい友人の一人から出ているのです! パウロの仲間であるルカが記した、「使徒行伝」と呼ばれる私信を何とか入手しましたが、パウロの事を赤裸々に暴露しているこの書簡の抜粋箇所に御注意を促したいと存じます。

  まず第一に: (1) パウロは、改宗すると、直ちにユダヤ教の会堂で宣教を始めました! 最初に、神学に関する幾年もの教育を受けることもしないでです! 考えてもみて下さい! 「パウロはただちに諸会堂でイエスについての良き知らせを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた!」(使徒行伝9章20節)

   (2) この愚かな過ちのために、パウロはダマスコで殺されそうになり、考えもつかないような全く馬鹿げた方法で、そこらの犯罪者同然に、命からがら逃れなければなりませんでした。「ユダヤ人指導者らは彼を殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした!」 (使徒行伝9章23-25節)とあります。

   (3) 教会にもっとトラブルを起こしてやろうと決意して、パウロはエルサレムの教会本部に行き、そこで口論を始め、群衆を逆上させ、殺されそうになったので、不名誉にも生まれ故郷に送り返されなければなりませんでした。その時にやっと平穏が戻ったのです。「彼は(エルサレムで)、主の名によって大胆に語り、ギリシャ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。兄弟たちはそれと知って、彼を生まれ故郷のタルソへ送り出した。その時、教会は、ユダヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保った。」(使徒行伝9章28-31節)

   (4) パウロは次から次へと、町から追い出されたり、あるいは逃げ出したりしなければなりませんでした! そのようなショッキングな例を一つだけ、ここに挙げましょう。「民衆が襲い、石で打とうとしていることに気づいたパウロとバルナバは、命からがらそこを逃れて、ルカオニヤの町々、ルステラ、デルベに向かった。」(使徒行伝14章5,6節)では質問させて下さい。もしパウロが何も悪いことをしていなかったのなら、逃げる必要などあったでしょうか? もちろん、「ひとつの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい!」(マタイ10章23節)とイエスは言っていますが、そんなことをしたら、罪を犯したように見えるに決まっています!

   (5) パウロが確かに悪いことをしていたことを知っていただくために、ルカが彼の敵について記している以下の箇所について考慮していただきたいと思います。「ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出させた!」(使徒行伝13章50節) そのことを考えてみて下さい。「信心深い貴婦人たち」や尊敬されている「町の有力者たち」が間違っていることなどあるでしょうか? 

   (6) パウロは再三再四、平穏な町に行っては大騒動を引き起こし、それによって町の人々をキリストにつくか否かで真っ二つに分けてしまいました。「そこで町の人々が二派に分かれ、ある人たちはユダヤ人指導者の側につき、ある人たちは使徒の側についた。」(使徒行伝14章4節)

   (7) 町から引きずり出され、死にそうになるほどに石で打たれ、死んだと思われて取り残された後で、パウロは奇跡的に起き上がって再び町にもどり、宣教を続けました! 「群衆はパウロを石で打ち、死んでしまったと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいる間に、彼は起き上がって町に入って行った。」 (使徒行伝14章19,20節) 何という目立ちたがり屋でしょう! 彼がこれをしたのはただ人目を引くためだったということは、間違いありません! 私は、彼が、他人に良い印象を与えるために気をきかせるという能力を全く持ち合わせていないことにもショックを受けました。聖職者であり宣教師でもある者が、町の門から引きずり出され、群衆に襲われたり、石打ちにされたりするのは、どう見ても好ましいことではありません!

   (8) パウロのもう一つの非常に悪い癖は、浮浪者のようにどこにも定住せずに絶えず移動し、無宿者として、町から町へ、国から国へと渡り歩くことです。以下はそのほんの一例です。「翌日、彼はバルナバと一緒にデルベに向かった。その町で福音を伝えて、大勢の人を弟子とした後、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰っていき、神のために愛において成長するように信者たちを助けた。それから、ピシデヤを通過してパンフリヤに来て、ペルガで御言(みことば)を語った後、アタリヤに下り、そこからついに舟でアンテオケに帰った。」(使徒行伝14章20-24節)  そのような無責任な浮浪者が一体どうして宣教師を自称できるのか、私にはわかりません!

   (9) パウロは、イスラエル、ギリシャ、およびイタリアの三カ国で投獄され、鎖につながれました。ある時などは、むちで打たれ、獄に入れられて鎖につながれた後で、真夜中に、相棒らと一緒に賛美歌を歌い始めたのです。そんな遅い時間に平穏を乱すことなど想像できますか? 「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、祈り、主に賛美を歌いつづけたが、他の囚人たちはそれに聞きいっていた。」 (使徒行伝16章25-26節) 歌を歌って平穏を乱したことを、彼が謝罪したという記録はどこにもありません。

   (10) パウロとその一味はまた、テサロニケにて社会的かつ政治的な動乱を引き起こしたとして訴えられました。ですからユダヤ人達は、「天下をかき回してきたパウロとシラスが、私達の町までかき乱しています!」と町の支配者達に通達しなければなりませんでした!(使徒行伝17章6節後半) 何とひどい評判でしょう! しかしパウロは、このような人騒がせな事や乱暴な振る舞いを誇りに思っているようです! 人々が確かにパウロや彼のメッセージのことを耳にしたというのは、認めざるを得ませんが!

  (11) 彼はまた非常に狂信的でもあります! エペソでは彼の新しい改宗者達に彼らの高価な学術書を焼かせてしまいました! 「魔術を行なっていた信者の多くは、自分の行為を打ち明けて告白した。それから、魔術の本を持ち出して来ては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀5万にも上ることがわかった!」 (使徒行伝19章19節)  それは現金にしてどれくらいだかわかりますか? 何百万円です! それらの本が、黒魔術や妖術についての、胸をむかむかさせ、身の毛もよだつような倒錯した本であるのは事実ですが、それでもやはり、私からすれば、焼き捨てるというのはちょっと行き過ぎに思えます!

   (12) パウロはまた、革命家や民衆扇動家であるとの評判があります。パウロを訴えた者はこう言いました。「さて、この男は悶着の張本人であり、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起こしている者で、ローマ政府にも反乱を起こしています! 彼はナザレ人の異端のかしらであります!」(使徒行伝24章5節)  パウロの敵の訴えから、パウロがとても評判の悪い、奇怪な『新興宗教』に属しており、確立され公認されている私共の教会には所属していないことがおわかりになるでしょう。この新興宗教が「いたるところで悪く言われている」のは言うまでもありません!(使徒行伝28章22節) そのやり方を考えるなら、誰からも悪く言われて当然です!

   (13) 結局パウロはエルサレムの教会本部に戻って来たのですが、そこでもう少し分別のある何人かの兄弟が、彼に身を正させようと努めました。そうすれば、「あなたについて、うわさされていることは、根も葉もないことで、あなたはまた私達の慣習に習い、モーセの律法を守っていることが、みんなにわかるだろう」と彼らは言ったのです。 (使徒行伝21章24節)  私の思うところでは、それは実際、正常な生活に順応するための彼の最後のチャンスだったのですが、彼はこの最後のチャンスもだいなしにし、町中でものすごい暴動と騒動とを始めてしまい、それを止めるには軍隊が出動しなければならないほどでした!

   (14) そこの彼の敵たちは、「この人は、いたるところで私たちの民と私たちの宗教とにそむくことをすべての人に教えている! その上、私たちの宮にも逆らって言葉を発している!」(使徒行伝21章28節) と訴えました。パウロはこれらの訴えを否定し始めましたが、幸いにも、それ以上の騒動を引き起こす前に、獄に投げ込まれたのです! (使徒行伝21章26-33節参照)

   (15) その後、裁判の際には、鎖につながれながらも、パウロは図々しく、自分を裁いていたアグリッパ王を改宗させようとしたのです。「パウロは言った。『わたしが神に祈るのは、ただあなただけではなく、ここにいるすべての人が、わたしのようになって下さることです。このような鎖は別ですが。』」 (使徒行伝26章27-28節) そこに座って聞いていたもう一人の王、フェスト王は、パウロが明らかに狂っていると思いました! 「パウロがこのように弁明していると、フェストは大声で言った、『パウロよ、おまえは気が狂っている! 博学がお前を狂わせている!』」(使徒行伝26章24節) それは、私達の伝統的な観点からして、全く正しい判断であると言えましょう! それほども知性と教養のある人物にそんなことが起こってしまうとは、非常に残念なことです!

  ルカの書簡から赤裸々な事実をあげるのは、この辺でやめにしておきましょう! それ以上に暴露しているのは、パウロが自ら書いた私信です! 次にあげるのはそのほんの一部にすぎません。

  (16) 彼がした個人的な告白を聞いて下さい。「ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが5度!」(第二コリント11章24節) 言いかえれば、全部で195回、背中をむち打たれたわけです!さて、正直に言って、もし彼が本当に善良なクリスチャンであるなら、一体どうして神は彼がそんなに何度も打たれるのを許されたのでしょう? そう、彼が善良な人物などであるはずがないというのは、私達の見解を支持する方々には明らかなはずです!

   (17) パウロの告白はさらに続きます。「棒でたたかれた事が3度、石で打たれたことが1度、難船したことが3度。」(第二コリント11章25節) おわかりの通り、私達の牧師や宣教師はすべて、おとなしく、社会にしっかりと定着したメンバーであり、このたぐいの愚かな危険に身をさらしたことなど決してございません! クリスチャンなら、イエスの御名(みな)のゆえに迫害にあうとイエスは約束しておられますが(マタイ5章10-12節)、ただ、私とグッド主事との間だけの話ですが、私達の主はこの一つの事で間違っておられたと思います。しかし‥‥私がそう言ったことは内密にお願いいたします。

   (18) パウロは幻想や夢を見ると私は聞いております。まず彼は、「天からの明るい光」が彼を地に倒し、次に「彼の名を呼ぶ声」を聞いたと言っています。また、トロアスでは、夢で「マケドニヤの人を見」、別の時には、「第三の天にまで引き上げられた」そうです。またさらに、「主が彼のわきに立たれた」とも主張しています! これは私の意見ですが、世界福音伝道の任務には、もっと現実的で、実際的な考え方をする者が必要とされていると思います。 (使徒行伝22章6-10節、16章9-10節、第二コリント12章1-7節参照)

  (19) そして、一体どうして彼は、名を変え、偽名を使う必要があると思ったのでしょうか? 彼の本名が「パウロ」などではなく、実は「サウロ」だったとわかるなら、ショックをお受けになるかもしれません!(使徒行伝13章2,9,13節参照)

   (20) 最後に、パウロの調査をしていて発見した最もショッキングな事をお知らせしましょう。パウロの私信や教えを集めたものがまとめられて一冊の本として出版されており、その本が世界中の書店で売られているのをご存知でしたか? 教会に通う何千万人もの立派な人達が、この書がクリスチャンの優れた教えであると信じ込み、他ならぬ自分達の家庭にその本を所有していることを知って、私は思わず気分が悪くなってしまいそうでした! もちろん、主事はその本について聞いておられると思いますが、それは「新約聖書」と呼ばれています!

  幸い、私どもの上品な教会員は、ほとんど誰一人としてこの本を読んだことがないので、正道を外れたパウロの教えによって堕落させられてしまった者がいるとは思えません。もちろんこの私がこの書によって堕落させられてなどいないのは、言うまでもありませんが! 今では、それを書いたのがつまらぬごろつきだとわかったので、わざわざ時間を割いてそれを読もうとしたことが一度もなかったことを喜んでおります! 私のキリスト教がそのような狂人、大ぼら吹きによって導かれることなど、私は絶対に望みません!

  グッド主事、これを言うのは傷心の極みですが、私が宣教師志願者を調査する仕事に就いて、もう25年になるものの、これほども私どもの海外宣教師の資格に反する人物に出会ったのはこれが初めてです!  もしパウロを受け入れるなら、私どもが長年に渡って守ってきた規則をすべて破ることになってしまうでしょう!

  終わりに、私は以下のことをお勧めしたいと思います。 (A) パウロを宣教師とするのを却下すること。 (パウロを使えないのは誠に残念です! 彼以上に多くの人々を自分の大義に引き入れた人を私は聞いたことがないからです!) さらに、 (B) すべての善良なクリスチャンに、彼とはかかわらないようにと警告する教会の会報か教会誌をただちに発行すること! そういった腐敗を暴き、私どもの信者がそのようないかがわしい人物とかかわりあって、恥を受けることのないようにするのは、神の御前における私どもの義務と感じております! きっと、パウロの本性が知れたなら、彼とつきあっているのを見られて自分の評判をだいなしにするという危険を犯すような者は、私どもの気高き会衆の中には一人もいないことでしょう! 敬具

    たわごと教会

      正統調査部門

      平凡聖一牧師

 

考えてみるべき課題:

  簡潔に言うと、聖パウロの敵や批判者が彼に浴びせたおもな非難とは、以下の通りです。「彼は間断なく暴動を引き起こし、教会の礼拝を妨げ、社会を徐々に害していた。そして、絶えず不法行為に従事し、その結果、再三再四投獄され、何かの犯罪者のように、常に当局から逃げ回っていた。」 けれども、それはすべて嘘だったのです!

  聖パウロに浴びせられたこれらの非難は、どれも私達に関して、時々語られる非難や嘘に奇妙にも似た響きを持っています。そうではありませんか?私達は、「社会に対する脅威」、政府や教会や教育機関に全く敵対する「熱狂的信者」であるとして非難されており、社会の道徳的価値観をむしばもうとしている「邪教」と呼ばれています! パウロやイエスも批判者に全く同じようなことを言われました! しかし、これらはすべて悪魔の嘘なのです!

  彼らの馬鹿げた非難には際限がありません。彼らによれば、私達は法律の網をかいくぐろうとしている犯罪者であり、平和を乱し、無秩序を作り出そうと決意している反抗者なのです。私達の宣教師の中に、「福音を自由に宣べ伝えることを禁止する国」で福音を宣べ伝えたことで投獄された者がいたために、私達は何か不法なことをしてきたに違いないと、彼らはわめきます! そしてさらには、私達が神も聖書も信じていないとまで言うのです! そんなひどい非難があるでしょうか?! 私達をよく知っているあなたなら確かに証言できるように、これほど真実からかけ離れた非難はありません! どれも極悪な嘘なのです!

  先ほどからお話している通り、私達に対するこのような非難は全て、パウロの敵が彼に対して語ったのと同じ嘘のように聞こえます! なぜかと言うと、私達はパウロがしたのと同じことをしており、ちょうどパウロのように、イエスの愛で世界を勝ち取るために自分達の人生を捧げている、全時間主に仕える活動的な宣教師だからです! ですから当然私達も、辛らつで、妬み深く、偽善的な同じような敵から、パウロが受けたのと同じ類いの迫害を受けるのです! イエスはこう言われました。「弟子はその師以上のものではなく、しもべはその主人以上のものではない。弟子はその師と同じ運命にあり、しもべはその主人と同じ運命にある! 家の主人であるわたしがサタンと言われるならば、あなたがたはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう! しかし、あなたがたを脅す者どもを恐れるな。真理があらわにされるようになる時が来るからである。彼らの隠されたたくらみは公けに知られるようになるだろう。」(マタイ10章24−26節)

  聖パウロは、聖ペテロと並んで、クリスチャン教会の最も偉大な使徒であり創始者でした! それなのに、彼らの手本に従うのは間違ったことなのでしょうか? そんなことはありません! 事実パウロは、こう言いさえしました。「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい!」(第一コリント11章1節)  ですから、私達はパウロの手本に従っているのです! 他の人と神の愛を分かち合うという、同じ動機、同じ目的のために! そうだとすれば、ちょうど使徒達の敵が彼らのことで嘘をついたように、私達の敵が私達のことで嘘をついても、さして驚くべきことではないはずです。イエスは言われました、「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたのことで偽る時には、あなたがたは、さいわいである! 預言者達も、同じように迫害されたのである!」(マタイ5章11節) あなたは、イエスのために迫害されていますか?

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人通りの多い街角に立ち、

男達がビルを倒すのを見ていた。

 「ほらよーっ!」 とたくましい叫び声をあげて巨大な鉄球をぶちこむと、ビルは倒壊した。

 

現場監督に尋ねてみた。

「ビルを壊している人達は、

ビルを建築する技術も持っていますか?」

監督は答えた。 「いやいや、とんでもない!

この仕事には普通の労働者で十分ですよ。

その気になれば、一日で倒せます。

熟練した者が一年がかりで建てた建物でもね!」

 

そこから立ち去りながら、私は考えた。

「私は実際にはどちらの役を演じているのか?

人生の道を、いろいろ心を配りながら歩いて来ただろうか?

他の人について私の語る言葉は真実で公平だろうか?

それとも私は、人を引き倒して喜んでいる、

町の解体業者だろうか?」

 

 

  覚えておくと良いし、実際に行えばなお良いこと、それは、解体業者とではなく、建築業者と働くこと!