宝 P330-334

 

歴史に見る冒険実話集!

 

ガリオと、偽りを語る民衆!

−−使徒行伝18章を脚色した物語!

  時はおおよそ西暦52年、イエス・キリストが十字架で処刑された22年後のことです。キリスト教は、神からの霊感を受けたダイナミックな使徒パウロのリーダーシップのもとに、ローマ帝国のいたる所に広まっていました。けれども、福音を宣べ伝えるということは、危険この上ない任務であり、相当の勇気と神への信仰が要求されました!

  パウロの行く先々ではほとんど何処でも、おびただしい数の、支配者階級に属する者達、政府高官、商人達が、一般労働者や奴隷ともども、神の言葉を喜んで受け入れました! しかし、宗教上の宿敵や妬み深い敵によって扇動された悪評や迫害もしばしばありました! ある時パウロは、トルコの宗教上の敵から逃れて、ギリシャのアテネまでエーゲ海を船で渡り、そこから約80キロ離れたコリントの町まで、ギリシャ半島を下って旅しました。コリントはローマ帝国の貿易ルートの中心で、その当時、最も裕福で最も大きな重要都市の一つでした。

  そこに短期間滞在した後、パウロはアクラとプリスキラという名のユダヤ人夫婦に出会いました。二人の職業はテント造りでした。彼らは喜んで心の中にイエスを受け入れ、自分達の家に泊まるようにとパウロを招きました。パウロは彼らのテント造りを手伝い、安息日ごとに彼らと共にその地方の会堂に行き、そこで宣べ伝え、ユダヤ人に、イエスは彼らのメシヤであり、神の御子(みこ)であることを説得しようと努めました。

  会堂司(かいどうづかさ)はクリスポという名のユダヤ人でしたが、彼は、パウロの話を聞いて、その語っていることが真理だと確信したので、その家族一同と共に喜んでイエスを心に受け入れました! けれども、他のユダヤ人指導者達の中には、真理を受け入れなかった人もいました。その先頭に立つのはソステネという名の男でした。会衆をイエスの信者として勝ち取っていたパウロに対する憎悪から、ソステネは立ち上がってパウロに公然と敵対し、イエスの名を冒涜しました! そして彼は、悪意に満ちた嘘や噂を広め出し、まもなくパウロを会堂から追い出してしまったのです! 

  キリスト教に改宗したために、クリスポが会堂での指導者としての地位を追われたのは、その後まもなくのことでした。貪欲に権力を欲しがっていたソステネが、クリスポに代わって新しい指導者となったのです。

  独善的なユダヤ人宗教家らはパウロの宣べ伝えるメッセージを拒んだので、パウロは、会堂の隣にあるテテオ・ユストというクリスチャンの家に行き、そこから、コリントのギリシャ人達に福音を宣べ伝え始めました。ギリシャ人達は宗教的なしきたりにそれほど満足していなかったので、やがて大勢の者がキリスト教に改宗しました!

  これは、宗教的な嫉妬に燃えていたユダヤ人には耐え難いことでした! ソステネはひどく腹を立て、会堂での彼の非難攻撃は過酷さと辛らつさを増すばかりでした。「コリントにもう何年もいるが、我々はこのギリシャ人たちを我々の宗教に改宗できないでいる! それなのにパウロは、わずか数カ月で、おびただしい数のコリント人を、イエスを信じるその偽りの宗教に改宗させてしまった!」 彼はそう怒鳴りました。

  彼としては、パウロを殺させるか、コリントから追放したくてならなかったのですが、パウロの方は、すぐ隣りのユストの家に住んで、何百人もの人々をイエスの信者にしていたのです! そこで、パウロの成功に対する憎悪と妬みに燃えるソステネは、コリント中のギリシャ人に矢継ぎ早にパウロに関する嘘を広め出したので、生まれたばかりの、コリントの町のクリスチャン教会にとって、前途ますます多難になってきました! ある晩のこと、パウロはこの状況について、涙を流して、必死に祈りました。

  パウロは神に向かってこう叫びました。「主よ、この町にはあなたのことを一度も聞いたことがなく、救いを必要としている人が40万人もいます! このつまらぬ一人の男が、真理に反対するような嘘を執ように広めて私達をこの町から追い出そうとするのを許すわけにはいきません! 主よ、この悪鬼に霊感された男がその邪悪な策略に成功するなら、幾万もの哀れな失われた人々が救いの福音を聞くことができなくなり、暗闇の中に取り残されてしまいます!」

  その晩パウロが眠っていると、主は夢の中で幻となって現れ、彼に語りかけ、こう慰められました。「パウロよ、恐れるな、語り続けよ、黙っているな。わたしがあなたと共にいるがゆえに、誰もあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町にはわたしの民が大勢いるからである。」

  主からのこの素晴らしい約束に励まされたパウロは、その遠慮を知らぬ宗教上の敵の広める嘘と誤った情報に対して大胆に立ち上がり、その後1年6カ月に渡り、コリントで引き続き福音を宣べ伝え、人々の魂をイエスへと勝ち取り続けたのです!

  「パウロがこれ以上イエスの信者をふやす前に、パウロを阻止しなければ!」 ソステネは、憎悪と妬みを燃え上がらせて宣告しました。「だから、こうしてやる‥‥」

  ユストの家でパウロが座って読んでいると、突然、近くの会堂で民衆が大勢集まっているざわめきが聞こえてきました。そのざわめきはますます大きくなっていくばかりです! するとまもなく、戸を激しく叩く音がして、突然、ソステネに率いられた暴徒が家にどっと押し入ってきたのです! 「そこにいるぞ! 奴を捕らえろ!」とソステネは叫びました。パウロが立ち上がると、たちまち10人あまりの男達が襲いかかり、彼を壁に押さえつけてしまいました!

  ソステネは怒鳴りました。「我々の宗教上の律法によってお前を裁けるなら、たった今この場で、石で撃ち殺してやるところだ! 誰よりも先に、この俺様が石を投げつけてやるところだぞ! だが、ローマの法律ではお前を市民裁判にかけることが必要だ。お前を殺して我々自身が困った羽目に陥るのもいやだから、ローマ人にお前を裁かせよう!」

  「だが、私は何の律法も破っていないし、法を犯すようなことは何もしていないので、あなたたちは私を訴えることはできない。」と、パウロは訴える者達に答えました。

  ソステネはパウロに顔を突きつけて、邪悪な目を間近にギラつかせながら言いました。「黙れ、外を見ろ! お前がローマの法律を破ったと確信している何百人ものギリシャ人の群衆が、我々と共にいる! そして我々の訴えが終わるころには、ちょうどお前達のイエスがされたように、お前もローマ人によって十字架にはりつけられるだろう!」 そう言うと、パウロの顔につばを吐きかけ、町の大通りを暴徒を率いて、ローマの総督の法廷がある大きな大理石の宮殿へと向かいました。

  さて、ギリシャの地方総督はユニア・アノエウス・ガリオでした。著名なローマの元老院議員セネカの兄です。彼は、「重大な犯罪が起こった」ことを聞き、ユダヤ人と怒れるギリシャ市民の群衆とが法廷に入るのを許しました。

  彼らが総督の前に集まると、ソステネは進み出てパウロを訴えました。「この者は、律法に背くような方法で神を拝むように、人々をそそのかしています!」 ソステネが、次から次へとパウロに対する訴えを持ち出したので、総督はパウロに対して浴びせられているおびただしい重大な犯罪の訴えに、だんだん不安を覚えてきました。総督は彼らの怒りに満ちた訴えにますます当惑したのです。というのも、総督が耳にした幾つかの報告によれば、パウロは、この町で良い事をしており、悶着の種であった者達をキリスト教に改宗させることで、平和と秩序を保つ手助けさえしているということだったからです!

  突然、事の次第を悟った総督ガリオは苦笑いしました。「これは馬鹿げている! これは慣例や教義上の相違をめぐる宗教的な妬みと口論に他ならない! それなのに彼らは、パウロが何かの法律を破ったと訴えて、私にパウロを有罪にさせようとしているのだ!」と思ったのです。

  ソステネや他のユダヤ人らの訴えが終わり、パウロが弁論を始めようとすると、ガリオは立ち上がってこう言いました。「ユダヤ人諸君が、何か実際に不法の行為とか、悪質な犯罪とかについて訴えているのなら、むろん私は諸君の訴えを取り上げもしようが、これは諸君の言葉や名称や宗教的律法に関する問題なのだから、諸君自ら処理するがよかろう! わたしはそんなことを裁きたくはない!」

  こう言って護衛兵に合図すると、ガリオは民衆全員を法廷から追い払ったのでした。そしてまだそこに立っていたパウロを見ると、ガリオは、「お前も行ってよろしい。」と言いました。

  法廷の建物を出て、大きな階段を降りてきたパウロは、怒りのこもった言い争いが起こっているのに気づきました。パウロについてのソステネの嘘にまんまとだまされ扇動されていたギリシャ人の怒れる群衆と、ユダヤ人との間の言い争いでした。つまらぬことに自分達をけしかけたソステネに激怒した群衆は、今や、ソステネに向き直り、自分達が欺かれ、利用されたお返しに、ソステネを打ち叩き始めたのです!

  パウロはその後かなりの間コリントに滞在し、神の御言葉を教え、宣べ伝えたので、幾千もの人が、イエスを信仰するようになりました! 事実、パウロがそこを立ち去った頃には、ヨーロッパ全土で最強のクリスチャン・グループの一つが確立され、数え切れないほどの人々が人生における真の幸福と目的を見いだしたのでした!

 

考えてみるべき課題

  (1) 歴史を通じて大勢のクリスチャンが迫害されてきましたが、パウロも例外ではなく、彼はしばしば妬み深い宗教上の敵から迫害されました! 「でも、敬虔な人、クリスチャンと自称している人達まで惑わされて、他のクリスチャンを迫害することがあるのですか?」と尋ねる人もいるかもしれません。残念ながら、その通りなのです! イエス・キリスト御自身、「あなたがたを殺す者が、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう!」と予告されています。(ヨハネ16章2節)

  (2) ガリオは、パウロの宗教上の敵共の訴えを、単なる宗教上の口論、また妬みであるとして退けましたが、ローマ政府の要職につく人々が、みんながみんなそのようにしたわけではありません。中には、政治的な理由で、彼らの圧力に屈した方が容易だと悟った者もいました。パレスチナのローマ総督ピラトがその典型的な例です。

  イエスを死刑にさせようと、ユダヤ人らがイエスをピラトの前に引き渡した時、マルコ15章10節には、「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、妬みのためであることが、わかっていた」と書いてあります。「これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、『もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。』」(ヨハネ19章12,13節) 妬み深い宗教家達が政府の高い地位につく人々にかける最も強力な政治的圧力とは、自分達の言う通りにしないなら、政府に対して不忠誠であるとして彼らを訴えることなのです!

  自分の政治家としての将来を心配したピラトには、自分の確信を貫き通す勇気がありませんでした。イエスは無実で正しいと知っていたし、また、イエスの宗教上の敵共が訴えていたことのどれ一つとして真実ではないと知っていたのに(ルカ23章5,14,15,22節)、 彼は政治的な圧力に屈し、イエスを十字架にかけさせてしまいました! あなたならどうしていたでしょうか? ガリオのようにしていたでしょうか? それともピラトのようにしていたでしょうか?

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  祈り: 主よ、あなたは、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者はみな迫害を受ける」(第二テモテ3章12節) と約束されたので、それが必ず起こることを私達は知っています! しかし、たとえ私達、あるいは私達の愛する者たちが、あなたに対する信仰のゆえに迫害にあったとしても、敵の嘘によって動揺したり落胆したりすることがないように、どうか助けて下さい。イエスの御名によって祈ります。アァメン。