宝 P325-329

 

歴史に見る冒険実話集!

 

宗教ライバルの騒動!

(使徒行伝13章13-52節と14章21-24節)

 

    南トルコの海岸で船から降りた後、使徒パウロと彼の連れであるバルナバは、ローマ領のピシデヤに向けて旅に出ました! 前途に、胸踊らせるような冒険が待ち構えているなどとは夢にも思わずに!

  彼らは、中央トルコのスータン山脈を越えて、アクシュヒル湖のそばにあるピシデヤのアンテオケの町の耕作された肥沃な丘にやって来ました。周辺の土地は、穀物がよく取れ、羊や家畜もいたので、多くの裕福なローマ人やギリシャ人がそこに住んでおり、ユダヤ人の小さな共同体もまた、その土地の裕福な生活に魅かれてその町に住みつくようになり、そこでいろいろな商売をしていたのでした。

  パウロとバルナバは、新しい町に入ると、いつも通り、イエスのことを宣べ伝えるためにまず会堂に行きました! 彼らがそこに行った理由は単純です。パウロとバルナバ自身、ユダヤ人であって、キリストを信じるようになったので、同胞のユダヤ人にイエスのことを宣べ伝えたかったのです。またある意味では、彼らはまずユダヤ人にそのことを告げる義務がありました。なぜならユダヤ人は何百年もの間、救い主が現れて自分達を救ってくれることを心待ちにしていたからです。それゆえに、パウロとバルナバは、自分達が出会う人の中でも、ユダヤ人が誰よりもイエス・キリストについての良き知らせを一番聞きたがっていると思っていたのです!

  ピシデヤのアンテオケに来て数日後、安息日が訪れたので、パウロとバルナバは近くの会堂に入って席に着きました。ユダヤ人が、このいくぶん孤立した町を訪ねることはまれだったので、長老達は新顔の二人を見て喜びました! あたりを見回したパウロは、ユダヤ人だけではなく多くのギリシャ人の男女もそこにいることに気づきました。そのギリシャ人達は、改宗して全知全能の神を信じるようになった人達でした。

  長老の一人であるヨエル・バル・ザブディエルという名の老人が立ち上がって巻き物を開き、モーセのおきてと旧約聖書の預言者の書を読み始めました。読み終えると、彼は若者をパウロとバルナバの座っているところに送りました。その若者は、「兄弟達よ、この人々に何か励ましの言葉がありましたら、どうぞお話し下さい。」というメッセージを二人に伝えたのです。

  パウロは立ち上がり、長老の方を見てうなずき、話し始めました。彼は、人々が長い間待っていた救い主が来た事、また救い主の名はイエス・キリストである事を告げたので、会衆は驚いてしまいました! しかし、驚きながらも会衆は、イエス御自身の生と死とによって、旧約聖書の預言者の書いたメシヤについての預言が成就されたと語るパウロの話に、熱心に耳を傾けたのでした!

  そしてパウロは語りました。「エルサレムの人々や支配者は、毎週安息日に預言者の言葉を読んでいても、イエスが預言者の語ったメシヤであることを認めませんでした! だが、それでも彼らは、イエスを十字架による死刑に処することによって、イエスが世界の人々の罪を取り去るためにそのような死に方をするという預言者の言葉を成就したのです!(詩篇22篇1,7-18節、イザヤ53章4-12節)

  それゆえに、イエスを通して罪の許しを得ることができるということを、あなたがたに知ってもらいたい! 誰でも、彼を信じるなら、すべての罪から解放されるのです! それはモーセの律法によっては決してできなかったことです!」

  会衆の中には、この良き知らせを聞いて大喜びした人もいましたが、何人かのユダヤ人の長老達は、腹立たしげに互いの間でささやいたり、不平を言ったりしました。

  「なぜだ。私は60年以上も忠実にモーセのおきてに従ってきたのに! 私は何年も正しい行ないをしてきたというのに、この見知らぬ男は、私が未だに義人ではなく救いを手に入れていないと言うのか? このイエスという奴だけが私を救い得るというのか?! 馬鹿な事を!」と、ヨエルは憤慨しながらつぶやきました。

  何人かはヨエルと同感でしたが、大勢の人々は救いのメッセージを聞いて大喜びし、パウロとバルナバに、次の安息日にまた来て、もっとそのことについて詳しく聞かせてほしいと頼みました! ヨエルはいやいやながらも、パウロ達に次の週にまた来てもらって、話をしてもらうことに同意しました。

  会衆が解散すると、大勢のユダヤ人やユダヤ教に改宗したギリシャ人は、会堂から出てパウロとバルナバについて行きました。パウロは彼らに、救われるにはただイエスを信じるだけで良いという事を更に詳しく説明しました! パウロが1週間後に会堂に立って、ユダヤ人とギリシャ人の両方に、どのようにしたら救われるかを教えてくれるというニュースは、あっという間に町全体に広がりました!

  そのようなニュースは、外の世界とのつながりがあまりないこの町では大きな騒ぎとなり、そのため次の安息日には殆ど町中こぞってパウロの話を聞くために集まったのです! 大半の人は、これまで、会堂の近くに来たことすらありませんでした。ほとんどの人にとって、ユダヤ人の厳格な伝統的宗教は興味を引くものではなかったからでした。

  ヨエル・バル・ザブディエルや常連のユダヤ人の会衆がやって来た頃には、会堂の回りに何千人もの人々がいたので、群衆をかきわけて前に進んで行くことはとても難しい事でした! やっとのことでヨエルが正面の扉までたどり着くと、ちょうどパウロとバルナバが話し始めようとするところでした。

  パウロは、会堂の段のところに立ち、すべての人に聞こえるように大きな声で、神の救いの簡単な方法を説明し始めました。しかし聖書にあるように、「ユダヤ人たちは、その群衆を見て、妬ましく思った」のでした! ヨエルは、60年という生涯の間、ほんのわずかのギリシャ人がユダヤ人の宗教に改宗するところしか見たことがなかったのに、今、1万5千人近くの群衆が会堂の回りに集まっているのです! しかもそれは、ヨエルの話を聞くためではありませんでした! この「正道を外れた、ユダヤ人の新興宗教」のどこの馬の骨とも知れぬ指導者の話を聞くために来たのです!

  妬みに満ちたヨエルは、段のところに立ち、パウロの語っていることを否定し、それに反論し始めました。するとユダヤ人の他の長老達もヨエルに調子を合わせ、イエスを公然と非難し、イエスは救い主などではなく、パウロが嘘を語っていると言いました!

  ヨエルは叫びました。「偽預言者イエスを信じるだけでは救われない! 自分の救いを手に入れるには、義人になり、厳格で清い生活をし、モーセの律法をすみからすみまで完全に守らなくてはならないのだ!」

  町中の人が驚きですっかり静まりかえり、耳を傾けていました。ユダヤ人が怒った様子で議論するのを聞いて、群衆が困惑し始めていることにパウロは気づきました! その時突然に聖霊がパウロとバルナバに下り、パウロは大いなる力に満ち、大胆に声をあげて語りました。「私達は、最初にユダヤ人に語る義務を負っている! しかしながら、あなたがたはそれを拒み、自分達が永遠の命を受けるのにふさわしくないことを明らかにしたので、これからはギリシャ人の方に行こう!」

  何千人ものギリシャ人の間から、拍手喝采が起こりました! 嫉妬に燃えるユダヤ人の長老達は、やじに負けて黙らされてしまいました。その日、大勢のギリシャ人が心を開いてイエスを自分達の救い主として受け入れたのです! 彼らは、救われてとても嬉しかったので、そのことをピシデヤ地方のあらゆる村に住む友人や親戚にまで広め始めました!

  ヨエルは、嫉妬に狂っていました。それは、彼が独善的なぺてん師であることが暴露されたからだけではなく、今、自分達の所に来ていたユダヤ人の会衆の半分以上と、町や周辺の村々に住む何百人もの人々が、この新しい宗教に改宗したからです! パウロたちを止めるために、彼に何ができたでしょうか? すでにパウロ達は、公衆の面前で議論した時に、自分達が正しいということを聖句によって証明し、ヨエルを打ち負かしています! しかしとうとう彼は、悪巧みを思いつきました。

  町には、神を信じ、ユダヤ人に同情的なギリシャ人の有力な婦人が何人かいました。だからヨエルと他の長老達は、パウロとバルナバに敵対するように、彼女達をそそのかし、この見知らぬ者達が人々を惑わしているので、彼らを阻止しなければならないと信じ込ませました! それからユダヤ人は、その有力な貴婦人達と一緒になって、町の統治者達のところに行き、パウロとバルナバを何とかするように圧力をかけました!

  すぐに、迫害は役場の後押しを得ました。パウロとバルナバは町の役人に呼び出され、2日以内に、町からだけではなくてピシデヤ地方から立ち去るよう命じられました! 彼らが間違いなく出て行くように、町の統治者達は、ヨエルなどのユダヤ人や貴婦人達と一緒に、彼らを町の門の所まで連れて行きました。

  しかし何百人という信者達は、町の壁から彼らを見守り、町の外へと通じる道に列をなして立ち、またすぐに来てほしいとしきりに頼みながら、パウロとバルナバを声援しました。そして聖書には、これらの新しいクリスチャンが「喜びと聖霊に満たされた」とあります!

  幸福な結末 パウロとバルナバは、不当にもこの地方から追放されたものの、1カ月もたたない内に、彼らは「弟子達を力づけ、信仰を持ち続けるようにと奨励する」ために、こっそりとピシデヤのアンテオケに戻りました! パウロは彼らに、「私達が神の国に入る前に、多くの苦難や迫害を経なければならない。」と警告し、それからパウロとバルナバは、新しいクリスチャンの中から指導者達を任命して、その町の教会の責任者としました。指導者達のために祈った後、彼らはそこを去り、その地方の多くの村々を行き巡り、弟子達を力づけました。(使徒行伝14章21-24節)

 

考えてみるべき課題

  (1)毎週安息日に、ユダヤ人は、救い主が出現することを述べている聖書の箇所を読んでいましたが、それでも、イエスが実際に来られた時、イエスを救い主として認めなかったのです。イエスはこう言われました。「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについて証しするものである。しかし、あなたがたは命を得るために、わたしのもとに来ようともしない。」(ヨハネ5章39,40節)  なぜ、そんなにも多くの人が、イエスのもとに来てイエスの許しをただ受け入れようとはしないのでしょうか? それは、そうしたら彼らは、自分が、自分を救えるほど正しい人間ではないと認めることになるからです。そして、そのように認めることは、多くの独善的な「善人」達にとってあまりにも屈辱的なので、できないのです!(ローマ10章3節参照)

  (2)ピシデヤのアンテオケのユダヤ人が、パウロとバルナバを迫害したおもな理由は、ユダヤ人が、パウロ達のしていることは聖句から外れていて、彼らは「偽新興宗教」だと心から信じていたからではなく、人々を解放する彼らの愛のメッセージが一般庶民にアピールしたことに嫉妬していたからです!

  (3)イエスのメッセージは、独善的な宗教指導者達には受け入れられませんでしたが、聖書には、「一般の群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた!」(マルコ12章37節)とあります。宗教指導者達は、大勢の人がイエスに従っていたことを妬んでいたので、イエスを殺そうとたくらみました。 (ヨハネ11章47-50節、53-54節) そしてとうとう、恨みのためにイエスをピラトに引き渡したのです。 (マタイ27章18節) 今日の真のクリスチャンである私達が迫害を受けているのと同じ理由です!

  (4)パウロとバルナバは、神の御言葉によって、自分達の語っていることが正しいことを証明することができました! だから、宗教上の敵は、彼らを公正な討論で打ち負かすことができなかったので、町のいわゆる「善良」で信心深い人達に嘘をついて、パウロに敵対させ、その人達の影響力を統治者達に対して利用し、パウロ達を追放するという手段に出たのです。現代の宗教上の迫害者も、これと全く同じ戦法を使っているのです!

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    祈り: 「愛する主よ、どうか私が、あなたの御言葉を読んで、真理を謙虚な気持ちで受け入れ、プライドや嫉妬の霊をもってそれに抵抗したり、それに逆らって戦ったりしないよう助けて下さい。イエスの名前で祈ります。アァメン」