宝 P312-320

 

歴史に見る冒険実話集!

 

ラビが光を見る! (使徒行伝5-9章)

 

  「神が彼らを呪われんことを!」と叫ぶ大祭司のカヤパの声が、サンヒドリン−−全ユダヤ教の最高議会−−の堂々たる広間中に、とどろきわたりました。「われわれの恐れていた通りのことが今起こっておる! あの者どもの教義が、またたく間にエルサレム中に広まっている! 私は、それが自分の責任のように感じるのだ!」

  「息子よ、落ち着くのだ。」カヤパの義理の父である年老いたアンナスは、物思いに沈んだ様子で白く長いあご髭をなでながら、こう言いました。「われわれも、議会の長老も、誰一人として、あの異端の新興宗教が、今まで通り広まり続けるとは思いもよらなかった。われわれは、ローマ人を説得して、彼らの預言者、神を冒涜するナザレ人を処刑させたのだからな。」

  これに応えて、カヤパは嘆くように言いました。「そのことは承知しております。先週、彼らの中心的な指導者である二人の漁師、ペテロとヨハネを始末する、絶好の機会があったのです! 二人を捕えて、ここに連れてこさせ、議会は二人を殺すことで意見が一致しました!」

  「では、どうしてそうしなかったのだ?」と、アンナスは聞きました。

  「ガマリエル先生が議論に加わり、二人を釈放すべきだとして、彼らを殺さないように議会を説得したのです! 先生はこう言われました。『その企てやしわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人達を止めることはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかもしれない。』」−−使徒行伝5章28-42節

  するとアンナスはこう打ち明けました。「承知の通り、わしはガマリエルを最も優れた律法学者の一人として尊敬しておる。だが明らかに、ガマリエルがおまえにした助言は間違っていた。そして議会があの異端者どもを釈放したというのは、重大な間違いだった!」

  「あの二人を鞭打ちの刑にはしました。そして、今後、処刑された彼らの指導者であるイエスの名によって教えを説き続けるなら厳罰に処せられると、彼らを脅しておいたのです。」とカヤパは答えました。

  「しかし、それが何の役に立つというのか?」とアンナスは尋ねました。「あの者達の人気は日々高まっておる。弟子の数もますます増えており、われわれの祭司の多くまでが、この新興宗教の隠れた信者、追従者になっているとの報告も耳にした! (使徒行伝6章7節) カヤパ、何とかしなければ、それも今すぐにだ! 何もしないでいたら、エルサレム中の者があの死んだナザレ人は救い主だと言うようになるだろう!」

  カヤパは言いました。「その通りです、父上。単なる脅しや、鞭打ちや、投獄ぐらいでは、効き目がありませんでした。われわれが本気であることを示さねばなりません! 何といっても、モーセ自身が、神を冒涜する者や偽預言者は石で打ち殺されねばならないと命じたのですから! しかし、ご存知のように、ローマ人は、われわれが自ら処刑を行なうことを禁じております。」

  それに対して、アンナスはこう言いました。「もちろん、そのことは知っておる。だが、状況は実に深刻なのだ。法律など構わず、われわれが直ちに、自らの手で制裁し、何らかの処置を講じないなら、この新興宗教を阻止することができなくなるかもしれんのだ! しかし、万が一、われわれがこの異端者どもを死刑に処したことにローマ人が気づいても、われわれに面倒がかからぬよう、サンヒドリンとは直接関係のない兄弟を何人か使ってはどうだろうか?」

  「素晴らしい考えです、父上!」と、カヤパはにやっとしながら言い、言葉を続けました。「私は、その仕事にうってつけと思われる人物を知っています! ラビ (ユダヤ教の教師)のサウロです!知っての通り、彼は、キリキヤの首都、タルソの出です。そして、ギリシャやアジアから来た敬虔なるユダヤ人の集まりである、エルサレムの『リベルテン (解放された者)の会堂』の主要指導者の一人です。サウロは、実に熱心な若きパリサイ人で、われわれの宗教の大義を推進するためなら、どんなことでもするでしょう。」

  「確かに。私もサウロが少年であった時に会ったことがある。サウロの父親もまた、実に献身的なパリサイ人で、私が大祭司であった時に、一年ほど議員を務めた。」とアンナスは答えました。−−使徒行伝22章3節、23章6節、26章4,5節、ピリピ3章4-6節

                   *   *   *

  直ちに宮の中の祭司達の集会場に召喚されたサウロは、有名なクリスチャンを一人捜し出して捕え、その「不信者」が殺されるよう取り計らう、という任務を、喜んで受諾しました! サウロは、そうした行為が、エルサレムにいる他のクリスチャンへのみせしめや警告となり、願わくば、彼らの活動を阻止するであろう、ということに同意したのでした!

  自分の会堂に属する者達の中から、熱心なユダヤ人を何人か選び、サウロとその一団は、エルサレム中央にある市場のはずれに直行しました。そこは、クリスチャンが民衆に教えを説いているのをよく見かける場所だったからです。彼らはそこで、ステパノという弟子が、大勢の人に向かって、イエスのことを公然と力強く証ししているのを見つけました。

  以下は、宗教上の尋問をする一行がステパノに出あった場面を、聖書の言葉を使って記述したものです。「すると、いわゆる『リベルテン』の会堂に属する人々、キリキヤやアジアからきた人々を含む、外国出身のユダヤ人が立ち上がった。これらのユダヤ人はステパノと議論を始めたが、ステパノは知恵と御霊とによって語っていたので、それに対抗できなかった! そこで、彼らは人々をそそのかして (賄賂をやって)、『私達は、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた!』との偽りの証言をさせた。

  その上、民衆や長老達や律法学者達を煽動し、ステパノを襲って捕えさせ、議会に引っ張ってこさせた。それから、さらに偽りの証人達を立ててこう言わせたのだった。『この人は、私達の聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしてもやめようとはしません。あのナザレ人イエスは、この聖所を打ち壊し、モーセが私達に伝えた慣例を変えてしまうだろう、などと彼が言うのを、私達は聞きました。』」−−使徒行伝6章8-15節

  大祭司のカヤパが、軽蔑を込めてステパノのほうを見やり、告発は正しいかと尋ねると、それに応えて、ステパノは力強い説教をしました。その中で彼は、アブラハム、イサク、ヤコブからモーセに至るまで、さらには預言者達や王達について、詳しく、順を追って語り、イスラエルの人々に救い主を迎える準備をさせるために、神が、あらゆる時代を通して彼らに対してしてこられたことを述べたのです。

  しかし、ステパノはすぐに、この自己満足した独善的な律法学者やパリサイ人や偽善者達は、その説教には興味を持っていないことに気づきました。そこで彼は、一気に真理をまくしたて、こう語ったのです。「強情で、心にも耳にも割礼のない人達よ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている! それは、あなたがたの先祖達と同じである! いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたか。彼らは救い主の来ることを予告した人達まで殺し、今やあなたがたは、その救い主を裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、律法を受けたのに、それを守ることをしなかった!」−−使徒行伝7章51-53節

  議員達も、また、ステパノを捕え議会に引っぱってきたサウロの一行も、この心に突き刺さるような叱責には耐えられませんでした! 「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り」ました! (使徒行伝7章54節) そして、彼らはこの異端者を即座に石で打ち殺すことに同意したのです!

  「しかし、ステパノが聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えました。彼は一同に向かって、『ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える。』と言いました。」−−使徒行伝7章55,56節

  人々は、この言葉を聞くなり耳をおおい、大声で怒鳴って、「ステパノを目がけて一斉に殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った」のでした。−−使徒行伝7章57節

  事がまさに、自分が望み計画していた通りに運び、サウロは大喜びでした! 彼は、逆上して暴徒と化した信者達から少し離れた所にとどまっていました。彼らがステパノに石を投げつける準備をしていた時のことが、聖書にはこう記してあります。「彼らは、自分の上着や外套をサウロという若者の足元に置いた。−−サウロは、ステパノを殺すことに賛成し、全面的に同意していた。」−−使徒行伝7章58節、8章1節

  しかし、サンヒドリン議会が驚いたことに、ステパノが死んだのに、クリスチャンの活動は少しも弱まったり、衰えたりしていないことがわかったのです。クリスチャンは数を増し、その教えをますます盛んに広め続けたのでした。それに対して激怒したのは議会だけではありません。ラビのサウロも、クリスチャンへの憎しみに取りつかれ、彼らを皆殺しにしようと自ら決意したのです!

  「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、彼らはことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行きました! そして、サウロは教会を荒らし回り、破壊し、家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に放り込んだのです!」−−使徒行伝8章1,3節

  クリスチャンに対する迫害は、実に乱暴で悪意に満ちたものとなったので、クリスチャンは、事実上、エルサレムの都全体から逃れました! しかし、熱心なパリサイ人サウロは、そのパレスチナの首都からほとんどのクリスチャンを追い出しただけでは満足しませんでした。

  「サウロは、なおも主の弟子達に対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、シリアのダマスカスの諸会堂に宛てた公式文書を求めました。それは、クリスチャンを見つけ次第、誰彼構わず縛り上げて、エルサレムに引っ張って来る権限を得るためでした!」−−使徒行伝9章1,2節 考えてもみて下さい! 彼はおよそ240キロも離れた、他の国の首都にいるクリスチャンを、捕え、獄に入れる権限をカヤパから手に入れたのです!

  何年もたってからサウロは次のような告白を記しています。「私自身も、以前には、ナザレ人イエスの名に逆らう数多くの行動をした。祭司長達から権限を与えられて、多くの聖徒達を獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、声をあげて彼らをののしり、非難した! 至るところの会堂で、彼らを罰して、無理矢理に神を汚す言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手を伸ばすに至ったのである。」−−使徒行伝26章9-12節

  しかし、サウロが、宮の護衛達を引き連れて、ダマスカスへ向かう乾燥したほこりっぽい道を馬に乗って進んでいると、その旅も終わりに近づいた頃に、思いもかけなかった驚くべき出来事が彼の身に降りかかったのでした。

  「ダマスカスの近くに来た時、突然、天からまばゆい光がさして、彼をめぐり照らしたのです! 彼は地に倒れましたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞きました。」−−使徒行伝9章3,4節

  この熱狂的なユダヤ人のラビは、いまだかつて、こんなことは経験したことがありませんでした! 聖書を研究してきたので、神はしばしば、神の言葉を伝える預言者に、超自然的な方法で語りかけ、呼びかけるということは知っていましたが、自分にこんなことが起こるとは、夢にも思わなかったのです!

  サウロは、驚愕し、また恐れおののき、この目をくらませるような光と超自然的な「声」は一体何なのだろうかと思いました!「これがもし本当に神の声ならば、どうして、『なぜわたしを迫害するのか』と言ったのだろう? 私は、神の敵を迫害するという、神のための聖なる任務についているのに。あの厄介者、ナザレのイエスに従う、異端の新興宗教を信じる者どもを迫害しているのだ。当然、神はそれをご存知のはずだ。」かろうじて正気を保っていたサウロは、声を出して尋ねました。「主よ、あなたはどなたですか?」

  返ってきた答えは、ラビのサウロにとって、ひどく衝撃的なものでした! この熱狂的な若いパリサイ人の人生を一変するほどのものだったのです!ゆっくりと、しかもはっきりと、その声は答えました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。サウロ、突き棒を蹴れば、傷を負うだけだ。」−−使徒行伝9章5節 主はサウロを、主人の突き棒を蹴り返す雄牛にたとえておられたのです。突き棒とは、先の尖った棒で、農夫は昔、それを使って動物を働かせていました。つまり、サウロは、良心という突き棒に抵抗して、クリスチャン達を激しく迫害していたということです!

  バーンと、目もくらむような、天からの啓示のまばゆい閃光を浴びたサウロは、クリスチャンを迫害し、拷問し、殺害したのが、どんなに間違ったことだったかを悟りました! 彼は、驚きで頭がくらくらしていました。「神よ、神よ、イエス!‥‥イエスこそ主なのだ!‥‥イエスこそ救い主なのだ! ああ、神よ、私は何ということをしたのでしょう! 主よ、どうか私に憐れみを!」

  サウロは、体を震わせて涙し、もう一度声に呼びかけて尋ねました。「主よ、私にどうせよとおっしゃるのですか?」すると主はこう答えらたのでした。「さあ立って、町に入って行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう。」−−使徒行伝9章6節

  「サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えませんでした。目が見えなくなっていたのです! だからダマスカスまで、誰かに手を引いて連れて行ってもらわなければなりませんでした。彼は三日間、目が見えず、また食べることも、飲むこともしませんでした。」−−使徒行伝9章8,9節

  考えてもみて下さい! このかつておごり高ぶっていたパリサイ人のラビ、サウロは、イエスご自身からの超自然的な一撃を受けて、馬から落とされ、神の光によって全くの盲人にされてしまったのです! 自分の身に降りかかった、この劇的で超自然的な出来事に、サウロは、すっかり動揺し、また畏怖の念に撃たれたので、食べることも飲むこともできず、ただ、あれこれ物思いにふけりながらベッドに横たわり、必死に祈って、どうすべきかを神が自分に示されるのを待っていました。

  三日後、「主は、ダマスカスにいるアナニヤという一人の弟子にこう語られました。『立って、サウロというタルソ人の家に行きなさい。彼に手を置いて、彼の目が再び見えるように祈りなさい。』」−−使徒行伝9章10-12節

  けれども、サウロはクリスチャンの弟子達の間で非常に悪評が高かったので、アナニヤはこう答えました。「『でも、主よ! あの人がエルサレムで、どんなにひどいことをあなたの聖徒達にしたかについては、多くの人達から聞いています! そして彼は、ここでも、御名をとなえる者達をみな捕縛する権を、祭司長達から得てきているのです!』

  しかし、主は仰せになりました。『さあ、わたしに従って行きなさい。あの人は、異邦人達、王達、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。』」 (使徒行9章13-15節) それでアナニヤは、いくらかためらいながらも行ったのでした。

  アナニヤが、ラビの横たわっている部屋に入り、「兄弟サウロよ。」と挨拶をすると、サウロは物も言えないほど驚きました。彼はそれまで大勢のクリスチャンに会ったことがありましたが、自分達を残酷無比に迫害してきた人物を「兄弟」と呼ぶような者には、一人も会ったことがなかったからです!

  以前、自分の仲間をひどく苦しめた者が哀れな状態にあるのを見て、アナニヤは彼に憐れみを感じ、こう言いました。「『サウロ、あなたがここに来る途中で現れた主、すなわちイエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために祈るようにと、私をここにおつかわしになったのです。』そして彼がサウロの目に手を置いて熱心に祈ると、サウロの目はたちどころに癒され、彼は起き上がり、食事をとって、元気を取り戻したのでした。」(使徒行伝9章17-19節)

  サウロは、ダマスカスで弟子達と共にわずか数日間を過ごした後、「ただちに諸会堂でキリストのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説き始めました! これを聞いた人達はみな非常に驚いて言いました。『あれは、エルサレムでこの名(イエス)をとなえる者達を殺した男ではないか。その上ここにやってきたのも、クリスチャンを縛りあげて、獄に投げ入れるためではなかったか?』しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスが真に救い主であることを論証して、ダマスカスに住むユダヤ人達を言い伏せたのです。相当の日数がたった頃、ユダヤ人達はサウロを殺す相談をしました。」(使徒行伝9章19-23節)と聖書にはあります。こうして、前は迫害していた者が、迫害されるほうになったのです! こうして使徒パウロの素晴らしい任務が始まったのでした!

 

考えてみるべき課題!

   (1) 初代教会に敵対していたサウロやその他の者達は、クリスチャンを迫害していましたが、実際には誰を迫害していたことになるのでしょうか?イエスを迫害していたことになるのです! 人が、神の子供達や神の御仕事を、攻撃し、偽って悪く言い、中傷し、迫害する時、彼らは誰に対してそうしていることになるのでしょうか? イエスに対してです!

   (2) だから、迫害されている神の子供達のために戦って下さるのは誰でしょうか? イエスです! 主はこう言われています。「引き下がって、わたしが戦うのを見なさい! この戦いはあなたがたの戦いではなく、わたしの戦いだからである! 復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する! あなたがたにさわる者は、主の目の玉にさわるのである! 主に油そそがれた者達にさわってはならない!」 (出エジプト14章14節、歴代志下20章17節、ローマ人12章19節、ゼカリヤ2章8節、詩篇105篇15節)

   (3) 神の子供達を攻撃し、迫害しようと思うより、年老いた賢い律法学者ガマリエルの助言に耳を傾ける方が賢明でしょう。ガマリエルは、サンヒドリン議会で人々が、いかにしてクリスチャンを攻撃しようかと論じていた時に、こう発言したのです。「このしわざが、もし神から出たものなら、誰もそれを止めることはできない! しかし、もし人間から出たものなら、自滅するだろう! 神を敵にまわすことがないように、気をつけるがよい!」 (使徒行伝5章38,39節)

  私達の敵が私達を攻撃するなら、彼らは単に私達にそうしているだけではなく、神に戦いを挑んでいることになるのです! だから、神ご自身が、ご自身の良しとされる時に、そうした敵を片付けて下さいます! 私達の武器は、神の真理と、神の愛だけです! もし敵がこれらを攻撃してくるなら、神ご自身が敵と戦って下さるのです!

   (4) サウロが馬から落ちて地に倒れた時、イエスが彼に何と言われたか覚えていますか? イエスは、「あなたが突き棒を蹴れば、傷を負うだけである!」と言われました。「突き棒」というのは、先の尖った棒で、前に進むのを拒む頑固な雄牛をつつくために農夫が使ったものです。雄牛が非常に反抗的ならば、ただ動こうとしないだけでなく、農夫や突き棒を蹴りさえするのです!

  ですから、イエスがサウロに言わんとされたのは、「あなたは年老いた頑固な雄牛のようだ! わたしの聖霊の鋭い棒であなたをつついても、それでも行こうとしない! わたしの道を行かず、わたしの仕事をしないばかりでなく、蹴り返し、わたしの子供達を迫害することで、わたしと戦っているのだ。」ということでした。サウロが、ステパノの殉教死を目撃したその瞬間から、聖霊が自分をとがめているのを感じていたことは疑いもありません! でも、彼は心をかたくなにし、「突き棒を蹴って」拒んでいたので、とうとう神は彼を打ち倒さなければならなかったのです。

   (5) 神に感謝することに、サウロはついに主の裁きと懲らしめに身を委ねて、突き棒を蹴るのをやめ、神の道を歩むことに決め、やがて初代教会の最高指導者となったのでした! 人生が変わり、「キリスト・イエスにあって新しく造られた者」になることの、何と素晴らしい例でしょうか!−−第二コリント5章17節  彼はもう、憎しみに満ち、独善的で、律法厳守主義者のラビ、サウロではなく、神の愛と憐れみと恵みに従い、それを宣べ伝える、愛情深く謙虚な、使徒パウロになったのです! 神をほめたたえましょう!

   (6) 改宗してからパウロは何をしたでしょうか? 「ただちにキリストを宣べ伝え」ました! 何週間、何ヶ月、何年と待ってから、主のための証し人となったのではなく、ただちに自分の新しい人生の証しをし、他の人を主へと勝ち取ろうとしたのです! だから聖書の章をいくつも暗記していなくても、人前で雄弁に語ることができなくても、真にイエスを心の中に受け入れたなら、他の人も永遠の命という神からの贈り物を見いだすことができるように、イエスのことを他の人に話すべきです!

  私達全員が、献身的で大胆で熱心な証し人になり、真理を証言するのを、神が助けて下さいますように! さらに、できるだけ多くの人にイエス・キリストの愛と真理をもたらすため、私達が自分の人生を捧げるのも助けて下さいますように! そうすれば、偉大なる使徒パウロが言ったように、人生の終りに「私は戦いを立派に戦い抜き、走るべき行程を走りつくし、信仰を守り通した。今は、義の冠が私を待っているばかりである。かの日には、主がそれを授けて下さるであろう!」と言うことができます。−−第二テモテ4章7,8節