宝 P308-311

 

歴史に見る冒険実話集!

 

忠誠心について (使徒行伝3−5章)

  噂が広まるにつれ、宮全体が、興奮した雰囲気を帯びてきました。ほんの少し前に、人々は、生れつき足のきかなかった年老いた乞食が、歩き回ったり、踊ったりして、神を賛美しているのを目にしたのです!

  「足のきかなかった男が癒され、ペテロとヨハネとにつきまとっているのを見て、人々は皆ひどく驚いて、彼らのところに駆け集まって来ました。」ペテロはこれを見ると、驚嘆している人々に向かって、イエスのことを大胆に語ったのです。そして「その言葉を聞いた多くの人達は信じた。そして、その男の数が五千人ほどになりました。」

  しかし、けわしい表情をした者達もおり、彼らがこの出来事を苦々しく思っていることは明らかでした。実際、祭司達、宮守がしら、サドカイ人達は、「ペテロやヨハネが人々に教えを説き、イエス自身に起こった死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て」彼らを捕え、翌朝まで尋問のために留置したのです。

  翌朝、宮の指導者達の大きな集まりがあり、ペテロとヨハネはその面前に呼び出されました。そして大祭司は、挑むようにこう尋問しました。「あなたがたは、一体、何の権威、また、誰の名によって、このことをしたのか?」

  するとペテロは、聖霊に満たされ、揺るがぬ信仰をもって語りました。「足のきかなかったこの人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、ナザレ人イエスの御名によるのである!」と。

  人々はペテロとヨハネの大胆な話しぶりを見、また同時に、二人が無学な、ただの漁師であることを知って、不思議に思い、そして彼らがイエスと共にいた者であることを認めました。

  奇跡が起こったのを見た後では、彼らには返す言葉がありませんでした。

  祭司達は、互いに協議をしました。「あの者達をどうしたらよかろうか。彼らによって、著しい奇跡が行なわれたことは、否定のしようもない。」

  けれども、この奇妙な新しい教義が広まることのないように、彼らは、ペテロとヨハネに、今後はいっさいイエスの名によって語ってはならぬと言い渡し、人々の反応を恐れて、二人を釈放することにしたのでした。「みんなの者がこの奇跡のために、神をあがめていた」からです。

  法廷に戻り、祭司や支配者達の決定を耳にした「ペテロとヨハネは、彼らにこう言いました。『神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。私達としては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない。』」

  そこで、議会は、二人をさらに脅したうえ、立ち去る許可を与えました。けれども、使徒達は、立ち去りながらも、福音を宣べ伝えるのをやめることなど考えもしませんでした。

  二人が兄弟達のところに帰って、一切のことを報告すると、一同は、心を一つにして祈りました。「主よ、今彼らの脅迫に目を留め、しもべ達に、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そして御手を伸ばして癒しをなし、聖なる御子イエスの名によって、しるしと奇跡を行わせて下さい。」

  すると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同はますます証しのための力に満たされました! そして、さらに多くの人が癒され、弟子達はいっそう証しに励みました。そして神は、一同に、大いなる恵みを注がれたのです。

  ちょうど、イエスが地上におられた頃のようでした! 近くにあるあちこちの村から、人々が、病んだ人を連れてエルサレムに集まり始め、「主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた」のでした。

  祭司達や支配者達にとって、これはまさに泣きっ面に蜂となり、「彼らは妬みでいっぱいでした。」イエスに従うこの者達の方が自分達より人気があるのを、目の当たりにするのには我慢ならなかったのです。そこで彼らは、もう一度、使徒達を捕え、公共の留置場に入れました。

  しかし、それでもなお、この者達をやめさせることはできませんでした! 彼らは、入れられるや否や、また出て来たのです! 「夜、主の天使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った。『さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉をもれなく、人々に語りなさい。』」

  それで、ペテロとヨハネは獄を出て、教えを宣べ伝え始めました。彼らは、何事もなかったかのように、宮で、イエスや真理について証しをしたのです。

  しかし、この間ずっと、祭司達は、使徒達が逃げたことも全然知りませんでした。彼らの裁判の時がやって来て、祭司達は「彼らを引き出して来させるために、人を獄につかわした」のですが、そこには囚人がいなかったのです! 下役達は、ひどく当惑し、戻って来て、こう言いました。「獄にはしっかりと錠がかけてあり、戸口には番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中には誰もいませんでした。」

  議会の者達がどれだけ驚き怒ったかは想像がつくでしょう。彼らは叫びました。「何だと! 誰もいないだと? どこへ行ったと言うのだ? 錠のかかった戸から、どうやって逃げおおせると言うのだ?」

  そこへ、ある人が駆け込んできて、逃亡した使徒達が、またも「宮の庭に立って、民衆を教えている」という衝撃的な知らせをもたらしたのでした!

  「彼らをここに連れて来るんだ!」と祭司長が叫びました。下役達は彼らを見つけ、自分達が「人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、彼らを連れて」来ました。

  大祭司が怒ってこう言いました。「あの名を使って教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それだのに、何という事だ。エルサレム中にあなたがたの教えを氾濫させている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任を私達に負わせようとたくらんでいるのだ。」

  これに対して、ペテロをはじめ、そこにいた使徒達は答えました。「人間に従うより、神に従うべきである。私達の先祖の神は、あなたがたが殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪の許しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、上げられたのである。私達はこれらの事の証人である!」

  これを聞いた者達は、怒りのあまり、彼らを殺そうと相談したのでした。ところが、議会の一員で人々から尊敬されていたガマリエルが、大声を張り上げていた者達をさえぎって、賢明な助言を与えました。彼はこう警告したのです。「あの人達をどう扱うか、よく気をつけるがよい。その企てやしわざが、人間から出たものなら、それは失敗に終わる。しかし、もし神から出たものなら、あの人達を滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかもしれない。」

  ガマリエルの賢明な言葉を聞いては、議会の者達も返す言葉がありませんでした。それで、むち打ったのち、使徒達を釈放することにしたのです。

  むち打ちが終わり、使徒達は「御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら」議会から出てきて、「毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引き続き教えたり宣べ伝えたりした」のでした!

 

考えてみるべき課題:

  というわけで、この物語では、結局、誰に罪があったのでしょうか? 神が定められたのではな

く、守ることもできないような法を破った者達に罪があったのでしょうか? それとも、そういう法を作った者達に罪があったのでしょうか? 神に従い、神に身を捧げているなら、守ることなどできないような法を破ったからといって、その人には本当に罪があるのでしょうか? それとも、神に従う者が破らざるをえないような法を作った人の方に、罪があるのでしょうか?

  守ることが難しいので、使徒達が公然と無視したような法もあります。彼らはそれを破ったことで、神ご自身から大きな祝福を受けました! それは、どんな法でしょうか? 彼らが証しをし、人々をイエスへと勝ち取り、御言葉を宣べ伝え、真理のために立ち上がるのを禁じるような法です。

  確信を持った人、信仰のある人、忠誠を尽くす人、そういった人こそ、今日の世界が必要としている人です。忠誠を尽くす人と言っても、ただ、人に対して忠誠を尽くすとか、政治的な信念に忠誠を尽くすのではなく、真理、理想、信条に忠誠を尽くす人のことです。

  残念ながら、今日の世界では、ほとんどの人は、女性が服を変えるように、その時の気まぐれによって、忠誠を尽くす対象を変えてしまいます。聖書には、その時その時、自分の立場がはっきりしない二心 (ふたごころ) の者は、すべての行動に安定がないとあります。(ヤコブ1章8節)

  私達の内の誰一人として二心の者となるようなことがありませんように! 主よ、勇気と確信を持った人、真理を知り、何が正しいかを知り、たとえそれが自分にとって損となろうとも、必要なら、喜んで真理の為に立ち上がる人、そんな人を私達に与えて下さい。

  信仰を持った人を止めることはできません! そんな人には、やめるように説得しても無駄です!あなたが一緒であろうとなかろうと、必要なら、あなたを乗り越えてまでも、進み続けるからです。自分が真理であると知っているものに確信を持っていて、何があろうとも、喜んでそのために立ち上がり戦う覚悟でいるのです!

  世界史上で、今この時ほど、強い信条、信仰、確信を持った人を必要としている時はありません!確信を持っていなかったら、生きていくことはできません。そして、その確信に基づいて何かをしなければなりません。何もしないなら、自分に我慢ならなくなってしまうからです。どっちつかずでいることほど、あなたを苦しめることはありません!

  最初に真理を聞いた時に、それを受け入れ、それに従い、忠実でないなら、その人は嘘によって惑わされ、ひどい混乱状態に陥ってしまいます!

  真理が、そのために生きるほどの価値があるのなら、そのために死ぬほどの価値もあるのです! そうでなかったら、私達は何のために生きているのでしょうか? あなたが真理に忠実であるよう神が助けられますように!