宝 P266-274

 

歴史に見る冒険実話集!

 

忍耐のなかったヨブ!

  10月下旬のことでした。まだ雨の臭いが残っています。武装したしもべ達に囲まれて、純白のアラブの雄馬にまたがったヨブは、小高い丘の頂上にやって来ると、眼下に見渡す限り広がっている広大な畑を見下ろしました。「東方の人々」の中に、偉大さ、または裕福さでヨブに勝る者は一人としてありません。ウヅの地で最も肥沃な土地をヨブが所有していたからです。

  一人のあごひげをたくわえた年老いた召し使いが、何頭もの牛を使って畑を耕している何百人もの使用人達を指さしました。「ご主人様、雨がちょうど良い時に降って、堅く乾ききっていた土壌を柔らかくしてくれました。たった今、ご主人様の雄牛500頭全部が畑を耕しております! また、近くの牧場では、ご主人様のろば500頭が青草を食べているところです。」

  「よろしい、申し分ない!」とヨブは答え、「では、羊はどうかな、シーカー?」と問いかけました。

  「羊でしたら、7,000頭全部を、昨夜、ご主人様の冬用の牧場に移し終えたところです!」と、シーカーはにっこりほほ笑んで答えました。

  「らくだの方はどうだ?」

  「ご主人様、万事うまくいっています。あなた様は世界で一番優れたらくだをお持ちでございます! 実は、遠いバビロンから来た大人数の隊商が近くで野営しておりまして、その内の100頭を買いたいと申し出ております。」

  「もし100頭を売ったら、私には何頭残るのか?」とヨブが尋ねると、シーカーは「ご主人様、不足することはございません! まだ、2,900頭残るからです!全く主はあなた様を豊かに祝福されました!」と答えました。

  ヨブは威厳ありげに馬にまたがると、こう言いました。「そうだ、まことに主は祝福して下さった! 私が長年に渡って、忠実に主に仕え、主の喜ばれることを行なってきたので、主が私の所有物を守り、私を大いに栄えさせて下さったのだ!

  では、町へ行くとしよう。仕事があるから!」

 

  1時間もしない内に、町の高い壁が見えてきました。そして、馬に乗ったヨブの一団は南門に向かいました。壁の内側には商人達の露店が並び、市場は大勢の人でごった返していました。

  ヨブは馬から降りると、町の長老全員が集まって熱い論議を交わしている、大きな石の門の陰のところへと歩いて行きました。

  ヨブが上座に座すると、町の長老、貴族、年老いた者達が皆、うやうやしく立ち上がりました。ちょうど、君主ザブドゥールが話していたところでしたが、話を途中でやめて、口に手を当てました。ヨブのいる所では、君たる者もヨブの許可なしに語ることはしないのです! (ヨブ29章7-10節)

  「どうしたというのかな?」とヨブは尋ねました。

  君主ザブドゥールは、長老達の前に立つ一人の商人と一人の年取った婦人を指さして言いました。「この男が裁きを求めて私どものところに来たのです。この未亡人は、この者に借金があるので、この者は、その支払いとして、二人の息子を奴隷として差し出すように要求しているのです。」

  老婦人はヨブを見ると、その足元に駆け寄ってひざまずき、必死に訴えました。「わが主よ、もし二人の息子を取られたら、私は貧困にあえぎ、食べる物もなくなってしまいます! どうか助けて下さい!」集まったすべての人の視線がヨブに注がれ、この問題をヨブはどう裁くだろうかと、皆はしんと静まりかえって、かたずを飲んで見守っていました。 (ヨブ29章21-25節)

  ヨブは長老達を見回して、立ち上がると、「この女に息子達を与えよ。私がその負債を支払おう!」と言いました。そして手首から純金の腕輪を外すと、それを商人の足元のほこりっぽい地面に投げて、「それで十分以上なはずだ」と、厳しい口調で言いました!商人はそそくさとそれを拾いあげると、人混みの中に姿を消したのでした。長老達は皆、ヨブの正しい裁きと気前の良さとに驚き、互いにささやき合っては、それを称えました!

  ヨブが門の所から立ち去ろうとしていると、ヨブの息子の一人がやって来て、「お父様、今夜、兄弟姉妹が皆集まって、私の家で宴を設けます! ぜひおいで下さい!」と言いました。

  するとヨブは、「息子よ、構わずに宴を開きなさい! 私のような者が若者達の宴会に加わると、威厳が損なわれてしまうのでな。」と答えたのでした。

  その夜、12人の召し使いが給仕する中で、ヨブが妻と食事をしていると、門衛がその大きな部屋に入って来ました。「わが主よ、15人の乞食が門のところにいます。追い返しましょうか?」

  ヨブは憤慨して言い返しました。「断じてそんなことは許さん! 貧しい者が助けも受けずにヨブの家から追い返されたなどということは、ウヅの全地で決して聞かれてはならない! それよりはむしろ、私の右腕が肩から引きちぎられるほうがましだ!」食卓から立ち上がると、ヨブは自ら召し使い達と共に門の所まで見に行きました。 (ヨブ31章16-19,22節)   一人の老人が進み出て、言いました。「良きご主人様、お助けを! 何ケ月も前に、シバ人が襲ってきて、私どもの家畜や持ち物をすべて奪ってしまいました。それからというもの、食事といえばレダマの木の根だけで、岩山の裂け目、洞穴が私どもの住み家となり、そこで雨や寒さをしのいできた次第です! 来る日も来る日も、着る服もなく、貧窮にあえぎながら、あなた様の隣り人のオリブ園で労苦してきましたが、未だに、ひもじい思いをしております! どうか、お助けを!」(ヨブ24章2-12節、30章3-7節)

  ヨブは、泥まみれの、汚れた老人を同情のまなざしで見ました。牧羊犬と一緒に群れの番をさせるためにでさえ雇わないであろう男が、ここにいるのです! (ヨブ30章1節) しかし‥‥

  「そうか! 私の隣り人達はおまえ達に食べ物を与えなかったのか?! それなら、私が与えてやろう!」ヨブはきっぱりとこう言いました。

  ヨブは直ちに召し使いに命じて、その寒さで身を寄せあっている何人かの乞食に暖かな衣服と毛布を与えさせました。それから、ヨブ自身の食事を召し使いに持って来させて、この貧しい者達に食べさせたのです。 (ヨブ31章16-22節、31-32節)

  ヨブは自分のしたことに非常に満足し、その夜はぐっすりと眠りました。けれども、朝になると、ヨブの心は落ち着きませんでした。宴を設けて、飲み食いしている息子や娘達のことを思うと、「事によったら、子供達は昨夜酒に酔って、心の中で神を呪ったり罪を犯したりしたかもしれない。」と心配になったのです。

  ヨブは直ちに子羊10頭を、主にいけにえとして捧げ、祈りました。「もし、子供達が罪を犯したなら、どうか主よ、お許し下さい!」そして息子や娘達がまだ何日か宴を続けたので、ヨブは毎朝早く起きて、祈りと燔祭とを続けたのでした。 (ヨブ1章4-5節)

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  ウヅのほこりっぽい平原や山々から遠く離れた所、はるか上空の、人間の視界を越えた、筆舌に尽くしがたいほど美しい世界では、私達が見たこともないような光景が展開されていました。

  神の子達、すなわち、大いなる力と壮麗なる栄光とをまとった天使達が、神の御前に集まりました。突然、伝令の天使が告げ知らせました。「主なる神よ、サタンがあなた様との謁見を申し出ております!」悪魔が来た理由を十分承知していた主が入廷許可を与えると、すぐに、黒っぽい姿をした悪魔が、キラキラと輝くガラスの海を渡って、肩をいからせながら御座にやって来ました。(ヨブ1章6節)

  「おまえは、わがしもべヨブのことを考えていたのか? この地上にはヨブのような者はいない。彼は善良かつ高潔で、神を恐れ、悪には近寄らない!」と、神は悪魔に向かって挑むように言われました。

  すると悪魔はせせら笑ってこう言いました。「ヨブが神を恐れ敬うのは当然でしょう。あなたは、彼とその家およびすべての所有物のまわりに、くまなく天使の囲いを設けられたではありませんか? あなたは彼を祝福され、その家畜はウヅの地一帯にふえました! しかし、彼のすべての所有物を滅ぼしてごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、呪いの言葉を吐くことでしょう!」

  主は答えて言われました。「よろしい、それでわかるだろう。では彼のすべての所有物をおまえの手に委ねよう。ただ、ヨブの身には指一本触れてはならない!」

  するとサタンは主の御前を去り、不毛のアラビアの砂漠に下って行き、砂漠のそよ風を「塵旋風 (じんせんぷう) 」に変え、さらにそれを激しく吹きすさぶ砂嵐にして、不毛の岩地や砂漠を越えてウヅの地へと向かわせたのでした。

  ウヅの東の、バビロニアからの貿易商の野営では、酒宴が行なわれていました。「一体何だって、ヨブのらくだ100頭を買わなければならんのだ?」と、隊商のリーダーが叫びました。「見ろ! 俺達には武器がある! 買わないで、全部奪ってしまおう!」

  南東では、遊牧民シバ人の砂漠の野営で、大騒ぎが起こりました。「馬に乗れ!」と、ラスホイドは目を輝かせて手下達に向かって声を張り上げました。そして、「ヨブの裕福な地を襲うのだ! 長い間待ちに待っていたこの時が、今訪れたのだ!」と叫んだのです! 戦士達は、走って行って馬にまたがり、その何百人もからなる野蛮な襲撃隊が、ウヅの地に向かって、塩地の砂漠を猛スピードで我先にと横切って行ったので、あたりはすぐに、ものすごい騒音に包まれました。翌日の夕方近く、ヨブの畑では、牛が耕し終わろうとしていたところでした。畑を見渡せる丘の上で、シバ人は馬を止めました。  暗く、雲行きの悪くなってきた空を見ながら、ラスホイドは、「物凄い砂嵐が間もなく襲ってくる。だが、砂嵐がここを襲う頃には、俺達はもうとっくにここを去っていることだろう!」と言いました。彼はきらきら輝く剣をさやから抜き取ると、頭上高く振りかざして叫びました。「突撃!!」

  その晩、ヨブは妻と家の中に座して、食事をしていました。彼が食べているその後ろでは、女中達がリラの竪琴とフルートを優しく奏でていました。

  すると突然、一人の使いが食堂に慌ただしく入って来ました! その服は破れ、腕からは血が流れていて、必死にあえぎながら、「ご主人様、牛が耕し、ろばがそのかたわらで草を食べていると、突然シバ人が襲ってきて、これを奪い、剣をもってあなたのしもべ達全員を殺しました。私はただ一人生きのびてこれを逃れました!」と言ったのでした。

  ショックを受け、信じられないといった様子でヨブは急いで立ち上がり、何が起きたのかをその使いに説明させました。その使いがまだ話し終わらない内に、突然また一人があわただしく部屋に飛び込んできました。服も髪も焼けこげていたその使いは、「ご主人様! 火が空から下って、羊およびその世話をしていたしもべ達を焼き滅ぼしました! 大災害です! 私だけが生き残りました!」と泣き叫びました。

  彼がまだ話し終わらない内に、また別の使いがよろめきながら部屋に入って来て、言いました。「バビロニア人が三つの襲撃団を組んでやって来て、らくだを襲い、3,000頭全部を奪い、ご主人様のしもべ達を皆殺しにしました! ただ私だけが生き残ったのです!」

  ヨブは唖然とし、椅子にへなへなとくずれ落ちてしまいました! けれど、最悪の知らせはその後に来たのです! 最後の使いが飛び込んできて、ヨブの足元にひれ伏し、泣きながら告げました。「ご主人様の息子さんや娘さん方が、一番上のお兄様の家で宴を設けていますと、砂漠の方から突然大風が吹いてきて、家を直撃したのです! 若い人達は倒れた家の下敷きとなって、皆死にました! ただ、私だけが生きて逃れました!」

  ヨブはこれを聞くと、悲しみ嘆き、立ち上がってその立派な飾りのついた衣を上から下まで引き裂きました! そして、悲しみに打ちひしがれて一睡もせず、邸宅の中を行ったり来たりしていました! ヨブに残されたものといえば、誰もいない家だけでした!富も、しもべ達も、そして子供達までも‥‥失ってしまったのです!

  しかし、悪魔は、まだ手を引いてはいませんでした。何日もしない内に、悪魔は、主から許可をいただいて、さらにヨブを試し、足の裏から頭のてっぺんまで、痛々しい化膿した腫れ物でもってヨブを悩ませたのです!

  ヨブは、世界中の誰よりも惨めな気持ちになり、家の裏に灰の山を見つけると、その中にくずれるように座しました。そして陶器の破片を取ると、それで腫れ物からにじみ出る膿を注意深く掻き取り始めたのです。ヨブの妻さえとうとう愛想を尽かしてヨブをののしり、「神を呪って死んだらいいわ!」と告げました! しかし、ヨブは少なくとも神に対する信仰を打ち消すことだけは拒み、こう答えたのでした。「たとえ殺されても、それでも私は神を信じる!」と。つまり、「たとえ神が私を癒して下さらなくても!」と言ったのです。

  来る日も来る日も、ヨブは灰の山に座したままで、その痛々しい腫れ物とかさぶたを弱々しく掻き取っていました。膚は黒ずみ、皮が剥げ、体は熱のために焼けるようで、生き残った召し使い達も、一人また一人とヨブを見捨てて出て行きました。妻と親族は皆ヨブを軽蔑し、わらべ達さえ、また最も汚ない乞食でさえ、ヨブをあざけり、唾を吐きかけるために立ち止まる時を除けば、彼を避けて通るようになったのでした。 (ヨブ7章5節、19章13-20節、30章1,7-10,30節)

  ヨブには、エドムや他の隣接の国々にとても裕福な友人が何人かいました。彼らはヨブの災難のことを聞くと、共に集まってウヅにあるヨブの邸宅まで旅をしてきました。何もかもどんなに違って見えたことでしょう!  いつもなら手入れの行き届いていたヨブの所有地は見捨てられ、廃虚と化しつつありました。彼らが遠方からヨブを見た時、ヨブは灰の上に座し、腫れ物に覆われ、痩せ細って骨と皮だけになっていたので、それがヨブだとは認めがたいほどでした! (ヨブ2章11-13節、19章20節) 彼らはらくだから降りると、泣きながら、ヨブの脇に腰をおろしました。

  七日七夜、彼らは一言も語りませんでした。ヨブの悲嘆が非常に大きいのを見たからです。ヨブはあまりの悲しみにとうとうこらえきれなくなり、口を開いて、自分がこんなにも没落させられてしまったことで、苦々しく不平を言い始めました!「私が大いに恐れていたことが私に臨んだ!」と、ヨブは叫びました。(ヨブ3章1-14節、10章1節、3章25節)

  エドムから来たヨブの友、テマン人エリパズは、神が自分を虐待していると言って不平を鳴らしていたヨブをたしなめました。そして「人は神よりも正しくありえようか? 人はその造り主よりも公正でありえようか?」とヨブに問うたのです。(ヨブ4章17-18節)

  しかし、ヨブは助言に耳を貸すどころか、何一つ悪いことをしていないのに、神は理由もなく自分を罰していると、激しく不平を言うばかりでした! (ヨブ6章8-9節)

  そこでアラブ人のシュヒ人ビルダデは反論しました。「いつまであなたは、そのような事を言うのか? 神は公義を曲げられるであろうか?」(ヨブ8章1-3節)

  ヨブはまたも自分の完全な無実を主張しましたが、エドム北部からやって来たナアマ人ゾパルは、「あなたはどうして神に向かって、『私は神の目に潔い!』と言えようか? 全く無実な者は一人もいない!」と言って反論しました。(ヨブ11章4節)

  ヨブは皮肉たっぷりに答えました。「まことに、あなたがたこそ『知恵を授かった人』だ。知恵は、あなたがたが死ぬ時、地から滅び去るであろう! しかし、あなたがたが告げているようなことを知らない者がいるだろうか? 私はこのすべてをすでに知っている! あなたがたは皆、無用の医者だ! ただ黙している方が、その方が、あなたがたにとって賢明なことである! さあ、黙って、私に語らせなさい!」そして、またしても自分の無実を主張し始めたのです!(ヨブ12章1-3節、13章4-5,13,18,23節)

  エリパズは答えて言いました。「しかし、あなたは自分が全く無実であるなどと、どうして言えるのか? 清くもあり義でもある人とは、いかなる者なのか?」(ヨブ15章14節)

  ヨブは言い返して、「神は私を惨めに、憐れみなく扱われたが、しかし、神が私を虐待されても、私はやはり義であって、その祈りは清い。」と言い張りました!(ヨブ16章11-17節) そして、「神が私を虐げられたことを知りなさい!」と、不平を言うのでした。(ヨブ19章6-11節)

  ゾパルは、ヨブが罪を犯したに相違ないと、つまり、神が裁かれるのは悪を行う者達であって、善良なる人ではないからだと答えましたが (ヨブ20章全部)、ヨブはそれに対して、神はしばしば悪しき者の罪を裁かないで彼らを逃げおおさせてしまうので、もし神が正しい者にこのような扱いをされるのであれば、神に仕え、善良な者になろうとしたところで何の益があるのかと答えました! (ヨブ21章7-14節、34章9節)

  すると再び、ビルダデがヨブを説得しようとしてこう言ったのです。「人がどうして神と比べて義であり得ようか?」

  しかしヨブは、「私を公平に扱われない神が確かに生きておられるように、私も、あなたがたが正しいとは決して認めない! 私は死ぬまで、私の正義を主張してやめない!」と厳しく言い返しました。 (ヨブ25章4節、27章2-6節)

  そしてヨブはその理由を論じました。「見よ! 私は貧しい者を救い、みなし子および助ける人のない者を救った! 私はまた、やもめの心をして喜び歌わせた!  私は正義を着、正義は私をおおった。私の公義は上着のごとく、また王の冠のようであった! 私は盲人の目となり、足なえの足となり、貧しい者の父となった!」(ヨブ29章12-17節)

  ヨブはさらに、「私は、決して乙女を肉の欲をもって見ないと誓った! また、私はいつも私のしもべ達を公平に扱った。私の大いなる富に貪欲にもならなかったし、むやみにほしがったりもしなかった! 決してしなかった! ああ、もし神が正しいはかりをもって私をはかってさえくれるなら、神は私の潔白を知られるであろう!」(ヨブ31章1,6,9-10,13-18,24-25節)

  聖書には、結局、「ヨブが自分の目から見て正しいことを主張したので、これら三人はヨブに答えるのをやめた!」と書いてあります。 (ヨブ32章1節)

  ヨブの一番の問題が、「独善」であったのは明白ですが、ヨブの三人の友はそのことを十分に理解してはいませんでした。かえって、神がヨブを裁いておられるのは、ヨブが正しい人でなく、何かの重大な罪を犯したか、不正を行なったからに違いないと思っていたのです! (ヨブ22章4-11節) けれども、実際はそうではありませんでした。なぜならヨブはかなりの「義人」であって、多くの「良い行ない」をしてきたからです。そして、ヨブはそれを知っていました! その三人がヨブを説得できなかったのは、そのためだったのです!

  エリフという名の若者は、ヨブの三人の年老いた友人がヨブと論じ合うのに、敬意をもって聞き入っていましたが、ヨブの問題が何であるのかはっきりと知った今、エリフはその三人に対して怒りを覚えました。それは、彼らが、ヨブを訴えるための正当な理由を指摘できなかったにもかかわらず、なおも批判的にヨブを責めていたからです! (ヨブ32章1-5節)

  エリフはまたヨブにも怒っていました。「ヨブが神よりも自分の正しいことを主張したから」です! (ヨブ32章2節)  彼はヨブをこう叱りつけました。「神を不義であるとして訴えることにおいて、あなたは、ちょうど悪しき者なら誰でもするように、愚かにも自分の災いの責任は神にあると責めている! ヨブよ、これは神に対する反抗だ!」(ヨブ34章7-9,36-37節)

  まず三人の友の方を向き、それからヨブに向き直って、エリフは言いました。「ヨブは言った、『私は正しいが、神は私を公平に扱われない』と。ヨブ、あなたはこれを正しいと思うのか?『私の義は神の義に勝る!』と言ったことを。」(ヨブ34章5節、35章2節)

  エリフが言い終わったちょうどその時、突然、空が奇妙に暗くなり、大きなつむじ風が地を横切って彼らの方に向かってきました! その嵐の真っ只中から、主が、風の吹きすさぶ物凄い音よりひときわ大きな声で、ヨブに語りかけたのです。「あなたは無知なことを言っている! 神と争って神を正す者がいるだろうか?」(ヨブ38章2節、40章2節)

  ヨブは震えあがらんばかりになって、しどろもどろに答えました。「見よ、私はまことに卑しい者です! なんとあなたに答えましょうか? ただ手を口に当てて、重ねて語ることはいたしません!」(ヨブ40章3-5節)

  主は続けて言われました。「あなたはわが公義を汚そうとするのか? あなたは私を非難し、自分を正当とするのか?」(ヨブ40章8節)

  ヨブは答えました。「おお、主よ、私は確かに自ら悟っていなかった事を言いました! それで、私は自らをさげすみ、ちりと灰の中で悔います! 私を許して下さい!」(ヨブ42章3,6節)

  ヨブは、全面的に悔い改め、自分の罪は独善的な傲慢さにあったことを悟りました。それで、ヨブの三人の友は、ヨブがとうとういくらかの罪を告白したことにかなり満足したのですが、今度は彼らの番でした。彼らがとても批判的であり、また、ヨブに対して誤った告発をしていたことで、主は彼らを叱責されたのです。そして主は、「わたしが、彼らに憐れみを持つように彼らのために祈りなさい。」と、今や謙虚になり悔い改めているヨブに告げられたのでした! (ヨブ42章7-10節)

  そして、ヨブがその三人の友のために祈ると、すぐ主はヨブを癒され、間もなく彼を再び栄えさせ、家畜や持ち物などを以前の2倍にして与えられたのでした! そして、息子7人、娘3人が生まれ、その後、ずっと生きながらえて、4代目の孫まで見ることができたのです!

 

考えてみるべき課題:

  (1) ほとんどのクリスチャンは、「どうして主が、ヨブにそんなにひどい扱いをしたのか」理解できず、ヨブ記の主要な教訓は、その「不当な悩みや災い」をものともしないヨブの信仰と大変な忍耐であったと考えています。彼らは、神が自分を不当に扱われたとヨブが不平を言うのももっともだと、間違って解釈し、この書の肝心な点を見落としてしまっているのです!

  (2) 神はなぜ、悪魔がヨブに災いを与えるのを許されたのでしょうか?−−(A) ヨブの信仰をテストするため、そして、(B) ヨブの高慢さを砕くためです。なぜなら、その時まで、彼は自分自身の善良さや正しさをかなり誇っていたからです! そして、ヨブはとうとう、自分が善良ではなく、善良なのはただ神だけであること、そして、彼自身の義は神の目には「汚れたぼろきれ」であって (イザヤ64章6節)、ただ神の憐れみだけに全面的に頼る必要があることを悟ったのでした!

  (3) ヨブ記42章7節で、「あなたがたは、わたしのしもべヨブのように正しいことをわたしについて述べなかった」と主が言っておられるために、結局ヨブは正しかったのであり、ヨブの友人達は間違っていたのだと思っている人達がいます。けれども、神がここで言っておられるのは、ヨブの悔い改めのことなのです! なぜなら、その時までは、ヨブのしていたことと言えば、ただ主に対して不平を並べ、主が公義を曲げたと言って主を非難することだけだったからです!

  (4) これは誰にでも言えることですが、人にとって一番危険なこととは、物事がうまくいかない時に、「主よ、なぜ私が?!」と言って、神の責任だと責め始めることです。「私はこんなに善良なのに、どうして私にこんな仕打ちをなさるのですか?」そのような不平は、紛れもなく独善からであって、神はそれに我慢なさらないのです!

  (5) ヨブの三人の友の訴えは、殆どが正しかったのです! ヨブの何かが間違っていたことを、彼らは知っていました! そして、結局ヨブには、非常に深刻な罪が確かにあったということが判明したのです。それは独善でした! ヨブがずっと主張してきたのは、自分がいかに善良であったかということでしたが、そのこと自体、一つの罪なのです! 事実、最悪の罪なのです!

  (6) ヨブ記には、信仰と忍耐に関する教訓もありますが (ヤコブ5章11節)、最も重要なものは、独善は良くないという教訓なのです! ヨブの罪とは、彼が自分の正しさにそれほども確信を持っており、自分の「完璧さ」を誇っていたことでした! 私達も、これと同じ罪に陥ってしまうことがよくありますが、ヨブのように、神だけが義であることを学べますように!「あなたがたの救われたのは、実に恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがたから出たものではなく、神の賜物である。決して行ないによるのではない。それは、誰も誇ることがないためなのである。」(エペソ2章8,9節)