宝 P244-252

 

天国とのコミュニケーション!

--「主よ、私達にも祈ることを教えてください!」(ルカ11:1)

 

  祈りの内に主に呼ばわるというのは、真に生まれ変わったすべての神の子にとって、ごく自然の行為であるべきです! 神は、真に神を知っている神の子供達の一人一人が、誰か他の人の祈りを通してだけではなく、自ら神と直接のつながりを持つことを期待しておられます。だから、私達は皆それぞれ、祈りを通して、主と個人的に親密につながりを持つことを学ばなければなりません。祈りというのは、天国とのつながりであり、私達と主を結ぶ、聖なる電話なのです。

  主は、私達の質問や、問題や、悩みに対する答えを与えることをとても好まれます。主は、私達が何をすべきか、どうやってすべきかを正確に知っておられ、私達が、自分達でわざわざすべてを解決しようと頑張るのではなく、ただ主に尋ねることを望んでおられるのです。主は、「求めよ、そうすれば与えられるであろう。探せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう!」と言われました。−−マタイ7:7

  主にとっては、答えはすべて簡単で、解決策も本当に簡単です! 私達はただ求めればよいのです。そうすれば、私達は受け取ると主は約束されました。ですから、自分の問題をすべて自分で解決しなければならないなどとは思わないで下さい。ただ祈り、神の答えを受け取ってください! 主は言われます。「わたしに呼び求めよ。そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されていることを、あなたに示す。」−−エレミヤ33:3

  「主なしには、あなたには何ひとつできない。」けれども、主がいて下さるなら、「あなたがたを強くして下さるキリストによって、何事でもすることができる。」−−ヨハネ15:5,ピリピ4:13。 だから本当に助けが必要な時には、イエスにそう言うのです!「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えられる!神はあなたがたを顧みて下さるのであるから、自分のわずらいをいっさい神に委ねるがよい!」−−詩篇55:22、第一ペテロ5:7 主の肩は、どんな荷でも負えるほど十分大きいので、主ご自身の重荷も含めて、一度に全ての重荷を負うことができます! だから、祈って、自分の重荷や試練や疑問や問題や必要を全て主に委ねることを学ぶのは本当に大切なことなのです!

  イエスは言われました。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。」でもそれには条件が一つ付いています。それは、「わたしのもとに来なさい」という条件です。−−マタイ11:28  祈りを通して、信仰を持って主のもとに行き、主に答えを求めるなら、答えを得ることができます! まさにそのために祈りがあるのです! 祈りというのは、単なる宗教的儀式ではなく、生きた関係なのです!

 

天国から聞くこと!

  ほとんどの人達にとって、祈りは一方的な会話で、当人ばかりが話しています。5才の時に「主よ、しもべは聞きます。お話し下さい。」と言った、幼な子の預言者サムエルとは違って、ほとんどの人々は、「主よ、しもべは話します。お聞き下さい。」と祈るのです。−−サムエル記上3:10。でも、主があなたに言おうとなさっていることを聞く暇もないほど、自分ばかりまくしたてるよりは、主に耳を傾けた方が、はるかに多くのことを成し遂げることができるでしょう。

  祈りとは、ただひざまずいて自分の言いたいことを言うことだけではありません。神に語りたいと思っておられることを語っていただくことでもあるのです! だからこそ、私達一人一人が主を個人的に知り、聖霊に満たされ、それぞれが聖霊によって導かれるべきなのです。そうすれば、私達は各自、主を尋ね求め、個々の状況において必要な答えを自分で見いだ すことができます。

  神に従い、毎日神から新しく聞くこと、それは、実際のところ、私達が学ぶ必要のある事柄の中でも最も大切なことです! 一度だけ霊に満たされて、残りの人生は、ただその霊感だけでやっていくことはできません! ちょうど食事のようなもので、一回の食事では一日ともたないし、ましてや、何週間、何ヶ月とはもつはずがありません! だから、毎日食事をしなければならないのと同様、毎日霊に満たされなければなりません。あなたには毎日毎日、自分を新たな霊で満たしてくれる、新鮮な霊の食物、新鮮な霊の力、御言葉の乳、高きところからの火が必要なのです!

  あなたは毎日神から聞くことができます! それは大きな声である必要もなければ、耳に聞こえる声である必要もありません。ただ、あなたの心の内に感じる、あの「静かな細い声」でもよいのです。 (列王紀上19:12) また、言葉ですらなく、単にあなたが何らかの印象を受けるという場合もあります。神は必ずしも言葉で意志を伝えなければならない、ということはないのです。神には、あなたに何らかの印象や、絵像や、アイデアを与えることもできるのです。

  主の御霊は、四六時中放送している放送局のようなもので、あなたはただそれに周波数を合わせることを学べばよいのです! ただ、信仰を持てばよいのです! あなたがそう信じるなら、イエスはいつでも、どこでも語られます! だから、主に答えを求める時には、答えが得られると期待しなさい。そして、最初に受け取ったものを答えとして受け取るのです。

  心から信じて主に尋ね、聞く、あるいは見ることを望むなら、失望に終わることはありません! そして、あなたが霊の目や耳で見たり聞いたりすること、それが、主の与えて下さったことです。それは、あなたにとって大きな慰めとなることでしょう! ですから神は答えて下さると期待しなさい! もし心を尽くして主に呼ばわり、主に求めるなら、主は答えて下さいます!

  けれども、あなたがいつも急ぎ、あわただしく動き回り、やきもきし、いらいらしているなら、あなたの全神経を主に集中させることはできません。そんな状態では、問題への解決策、質問への答え、状況に対する最善の決断を求めて、目も、耳も、精神も、心も主に集中させるというようなことはできません!

  静かになって主を求めようとしないなら、一体どうやって主から何かを得るのでしょうか? 主は言われます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ、穏やかにして信頼しているならば力を得る!」−−詩篇46:10、イザヤ30:15。あなたが主から聞くつもりなら、自分一人の静かな時間をとらなければなりません!

  モーセからイエスに至るまで、神の偉人達はすべて、冥想し、祈って、神と親密に語り合う時を持つために、しばらくの間一人だけで山に引きこもらなければなりませんでした。イエスもよく夜明けに弟子達よりも早く起きて、丘を横切って歩いたり、山に登ったりして、神と二人だけになり、その日のための命令を父である神から受け取らなければなりませんでした。−−マルコ1:35、ルカ6:12。イエスでさえそうしなければならなかったとしたら、私達にはなおさら、そうすることが必要です!

  だから、主から聞いて、一日を正しく始めなさい! あなたにはそうすることが必要で、そうしないなら、物事はうまく運びません。主の力と導きがなかったら、主の仕事をすることはできません! そして主の力や導きを得るには、主との時間をとらなければならないのです!

  もしあなたが、主の言われることに耳を傾けるなら、まだ一日が始まってさえいない内に、主はあなたの問題の多くを解決して下さいます。けれども、祈り深く御言葉を読んで心を養い、主と語って、最高司令官である主から指示を受けるために一息つくこともなしに、急いで問題や仕事に取りかかるなら、あなたは、司令部の言うことも聞かずに独力で戦争をしようとする兵士のようになってしまいます!

  私達は皆、休息の内に、主の御言葉の生ける水を飲んで聖霊で満たし、祈りの内に主との親密な交わりを持ち、霊において愛の営みをするための静かな時間が必要です。そうすれば、あなたは全く新たにされ、新たなビジョン、新たな活力が与えられ、新しい力、休息、平安、喜びが与えられます! なぜなら、「主を待ち望む者は、新たなる力を得、わしのように翼をはって登ることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない!」とあるからです。−−イザヤ40:31

 

「すべての道で主を認めよ!」−−箴言3:6

  私達は毎日、主との特別な静かな時間を過ごすべきですが、聖書には、私達は常に祈るべきで、一日中絶えず祈り続け、私達のするすべてのことにおいて、「イエスを仰ぎ見て」いるべきであるとも書いてあります。主はこう言われます。「人は失望せずに常に祈るべきである! 絶えず祈りなさい! 目を覚まして祈っていなさい!」−−ヘブル12:2、ルカ18:1、第一テサロニケ5:17、マタイ26:41。 主は、私達に祈りが必要なことを知っておられ、祈りは、主が私達を主の近くにとどまらせ、主のおられるところから片時も離れさせず、常に主と主の保護に頼っているようにさせるための一つの手段です。  祈りは、何をしているかにかかわらず、常にしているべきことです! あれやこれを終えるまで待ってから祈るというのではいけません。それは行動しながら考えるようなものです! というより、呼吸のようなものでしょう! いつも聖霊を吸い込み、絶えず主との交わりを持つのです。

  主は、「すべての道で主を認めよ。そうすれば主はあなたの道を導かれる。」と言われました。−−箴言3:6。 あなたが、仕事を始める前にまず祈ることを忘れないなら、主は、私達が多くの仕事やトラブル、時間を省けるようにして下さいます! 自分のしなければならないことが何であれ、そのことについて祈りなさい! 主はいつもあなたのかたわらにいて下さいます。主は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」と言われました。−−ヘブル13:5 神が私達のかたわらにおられない時は決してありません。祈るのを忘れてどこかに行ってしまい、主を置き去りにし、主のかたわらから離れることがあるのは、私達の方です。

  クリスチャンは、主が通常の道理とは全く相反し、全く異なったことを考えておられるのに、自分が、これは当然そうに違いないと思うことや「常識」に頼ってしまうために、大失敗をすることがあります。主が考えておられることは、主の御霊によってしか啓示されません! 聖書の中には、人が自分の考えに従って決断を下したものの、主を尋ね求めず、主の御霊によって導かれなかったために、結果的にそれが全く間違っていたことがわかったという例がたくさん載っています。

  私達の人生において最も大切なものは、イエスです。だから、イエスに近くとどまり、イエスに導いてもらうことは非常に大切です。イエスだけに私達を導いていただかなければなりません。なぜなら、私達を導くことはイエスにしかできないからです! イエスから離れてしまうなら、私達には、どこに向かっているのかも、どうやってそこに到達するかも、何もわからなくなってしまいます! けれども、イエスは行き先も、行き方も正確に知っておられ、私達はただ後ろの座席に座って、イエスに運転していただけば良いのです!

  イエスは、もしあなたが主を見上げ、主を認めるなら、あなたの道を導かれると約束されました! ですから、何でも始める前にまず主に尋ねなさい。あなたがそれをするのをイエスが望んでおられるということを確認するのです。問題であれ、決断であれ、何事に関しても主を尋ね求めなさい。そうすれば、主は絶対に失敗されないし、あなたをがっかりさせることもありません!

 

必死の祈りの力!

  主は私達が幸せであることを望んでおられます。そして主に感謝することに、私達は普段は幸せです。でも、変化が必要な時に、そのために真に主を尋ね求め、主に向かって心を注ぎ出して必死に祈るという時もあるべきです。主は言われました。「あなたがたは、わたしをたずね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしをたずね求めるならば。」−−エレミヤ29:13  神が自分達に何を示そうとしておられるのかを知る必要のある、深刻な事態が持ち上がったら、私達一人一人が本当に必死になって祈る必要があります。

  しかし、どちらかと言うと怠惰な態度を持ち、何が起ころうと主がすべて解決して下さると考えているような人達も大勢います。でも、実際には、多くのことが私達にかかっているのです! 多くの場合、神が何をなさるかは、あなたの意志、あなたの行動、あなたが何を望み、どう祈るかにかかっているのです! ただ何もしないでいて、神に悪魔と最後まで戦ってもらう、というのではいけません!

  聖書には、ある時神の民に災難が続いたのは、「みずから励んで、主に呼ばわる者がいない」ためであったと書いてあります。−−イザヤ64:7 というわけで、主は多くのことを私達に任せておられるのです。もし私達が励むなら、神も励んで下さいます。実に多くの事が私達に、つまり私達の信仰や祈り、それに何が成されることを私達が望んでいるかにかかっているのです。

  神にはどんなことでもすることができますが、神はあなたを通して働くようにご自身を制限しておられます。そしてあなたが祈るなら、力あるわざをすることができるのです! しばしば神はただ、私達が状況を指揮するのを待っておられます。神は、「わたしに命じよ!」とさえ言っておられます。−−イザヤ45:11 神は人間に大きな信仰や権威を与えておられるので、あなたは、自分が神に望むことを神に命ずることさえできるのです!

  あなたは神の御手の内にいますが、ある意味では、神もあなたの手の内におられます。ちょうど、アラジンのランプの魔神のように、「あなたの思いのままに」あやつることができるのです! もし主の御霊と主の御心の内にいて、主に栄光を帰することだけを望み、主だけを心の喜びとするなら、あなたには、自分が望むことを何でも神に命ずることができるのです。なぜなら、あなたの望むことはすべて主が望まれることだからです。

  あなたには、祈りによって神の考えを変える事さえできます! かつて、主がイスラエルの民を滅ぼそうと心に決められた時がありましたが、モーセが本当に懸命に祈ったので、神はご自分のなさろうとしていたことを変更したと聖書にあります。モーセの祈りの故に、神は彼らのことを哀れに思い、考えを変えられたのです!−−民数記14:11-20 勿論、神の全体的なご計画や全体的な御心は決して変わりませんが、何かの詳細に関しては考えを変えられることもあります!

 

「わたしはあなたの言葉のとおりに許そう!」(民数記14:20)

 

  ですから、今度あなたがのっぴきならない立場に置かれ、神の助けが本当に必要な時には、向き直って、神に何とかしてもらうよう迫りなさい! 主を呼び求めなさい。そうすれば主を通して、あなたはあらゆるものに勝る力を持つことができます! イエスは決して失敗なさいません! 私達が自らを奮い立たせ、心から主に呼ばわるなら、主は必ず答えて下さいます。

 

さらに祈りの原則について!

  良き祈りの生活を送るために、あなたが一番知っておく必要のあるものとは、神の言葉です。信仰は、御言葉を忠実に学ぶことによって成長します。「信仰は神の言葉を聞くことによってくる。」−−ローマ10:17  どちらにしても神には答えることができますが、まずあなたの信仰を増してくれる御言葉を読むなら、それによって励まされ、自分の祈りに対する信仰が深められます。

  神は聖書の中で数々の約束をなさいました。だから、祈る時には、「あなたはこう約束されました。」と言って主に念を押すべきです。そうやって、神に向かって神ご自身の御言葉を言うなら、あなたがその御言葉に対して信仰を持っていることを示すことになります。聖書には、こうした御言葉の約束を要求する積極的な信仰の宣言こそ、神を喜ばすと書かれています。でも、「信仰がなくては神に喜ばれることはできない」のです!−−ヘブル11:6

  「また、それらのものによって尊く大いなる約束がわたしたちに与えられている。それは、あなたがたがこれらのもの (主の約束)によって神の性質にあずかる者となるためである。」−−第二ペテロ1:4。 あなたは契約書 (聖書)にある約束をその契約書の作成者 (神)に向かって言い、その約束を守らせるようにしなければなりません! 神には、ご自分の御言葉を必ず守る義務があります! ですから、神に向かって「あなたはこう約束されました」と言い、神の約束にしがみつき、それらを暗記して、神に向かって言い、一瞬たりとも、神が答えて下さるということを疑ってはいけません。そうすれば神は答えて下さいます!

  けれども、いつも神の側の条件、神の側の契約条項も忘れてはいけません。それは、信仰と従順です!まず信仰をもって従うなら、その時、神は祈りに答えられます! 私達が主に従い、忠実で、信頼し、信じているなら、神は私達を祝福して祈りに答える義務があるのです。

  もちろん、神は私達の信仰をテストすることを望まれることもあり、私達が、神がすでに語られたことや示されたことに従うまでは、私達に答えを下さらないこともよくあります。神がすぐに何かをして下さらないとしても、それは必ずしも絶対して下さらないということではありません。答えて下さるのを、ただ信仰を持って待たなければならないこともあります。それにより、「私達の信仰が試され、それによって忍耐が生み出される」のです。−−ヤコブ1:3

  もう一つの祈りの大切な原則とは、主に明確に求めることです! 祈る時には、具体的に尋ね、その通りに答えられることを期待する必要があります! 多くの場合、人々は漠然と祈りますが、それは、いずれにしろ答えを受け取ることを期待していないからです! でも、祈る時に明確に求めるなら、あなたは、その通りの答えを得るのを期待していることを示しているのです! そして、それはあなたの信仰を示しているのです。

  覚えておいて下さい。神はあなたの言葉通りに受け止められます! 以前私の知り合いだった牧師は、「主よ、車を与えて下さい。どうしても必要なのです。どんな古い車でも構いません!」と言ったのですが、彼は自分の求めた通りのもの、つまりポンコツ車を受け取りました。「次に祈った時には、はっきりと良い車を下さいと祈った。そうしたら、良い車が手に入ったんだ。」と彼は話してくれました。ですから主に何をして下さいと頼むかについては注意深くなければなりません。なぜなら、主は言葉通りに受け止められるからです! 主はあなたが求めた通りのもの、そして言うまでもなく、あなたが、必ずそれは与えられるという信仰を持っているものだけを与えて下さいます!

  それから、ものによっては、主に、与えて下さいと言い張らないように注意して下さい。主は、人々に教訓を学ばせるために、たとえ彼らに良くないものでも、それを与えて下さることがあるからです。主は、イスラエルの民について、「主は彼らにその心の求めるものを与えられたが、彼らの魂はやせ衰えさせられた。」と言われました。−−詩篇106:15 あなたが求めているものが、主の栄光のためであり、主の御心にかなったものであるかどうか気をつけて下さい。

  あなたが神の尊い聖霊で満たされているなら、聖霊があなたの祈りの生活に力強い影響力を持っていることに気づくことでしょう。一度聖霊によって満たされたなら、霊の内に祈ることができるので、あなたの祈りはより大きな効果を持つようになります。あなたは霊によって祈っているからです。「御霊もまた同じように、弱い私達を助けて下さる。なぜなら私達はどう祈ったらよいかわからないが、御霊自ら、言葉に表せない、切なるうめきを持って私達のためにとりなして下さるからである。」−−ローマ8:26

  そして、一度何かについて祈り、それを主に委ねたなら、あなたは信仰を持つ必要があります。「祈る時、なんでも願い求めたことは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。」−−マルコ11:24 一度何かについて祈って、それを主に委ねたなら、それ以降は神の仕事です。もうあなたは、そのことについて心配する必要はありません! ただ主に信頼し、主を賛美し、あなたの祈りを聞き、答えて下さったことで、主に感謝するのです!−−たとえ、すぐに答えが得られなくても!

  事実、あなたの祈りの終わりに主を賛美し感謝するだけでなく、祈りの始めにも、主を賛美し感謝すべきです! 主の言葉には、「ただ、ことごとに感謝をもって祈りと願いを捧げ、あなたがたの求めるところを神に申しあげるがよい。」とあります。−−ピリピ4:6。 また、「感謝しつつその門に入り、ほめたたえつつその大庭に入る!」ともあります。−−詩篇100:4  ちょうど、王の前に行く時、敬礼し、王に捧げるにふさわしい尊敬の念と栄誉とを捧げるようなものです。

 

  たとえ疲れていたり、落胆していたり、あるいは主をほめたたえるような気分ではなかったとしても、主がそうしなさいと言われたし、そうすると主を喜ばすことになるとわかっているというだけの理由から、とにかく主をほめたたえるべきです! それは、旧式のポンプに水をさすのに似ています。少し注ぎ込むだけで、たくさん出てくるのです! 信仰によってとにかく主を賛美し、ポンプに呼び水を差し、始動させるなら、すぐにあなたは主にあって幸せになり、主を賛美してよかったと思うことでしょう。なぜなら、主があなたの上に主の御霊を注ぎ出され、そのことのゆえにあなたを祝福されるからです!

  ですから、上を見上げ、あなたの祝福を数えなさい! 主に感謝し、主や、良いものに目を留めなさい! 祈り始める時、賛美の内にあなたの心を上におられる主に向けなさい! 「だから、わたしたちはイエスによって賛美のいけにえ、すなわち、彼の御名に感謝を捧げる唇の実を絶えず神に捧げようではないか!」−−ヘブル13:15

  また、「一人では千人を追うことができるが、二人なら万人を敗走させることができる」ので、時には、特に試練を味わっている時には、誰かにあなたと一緒に祈ってもらうと大きな助けになるということを覚えておいて下さい。−−申命記32:30  「ふたり、または三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいるのである。」−−マタイ18:20 「もしあなたがたの内の二人が、どんな願いごとについても地上で心を合わせるなら、天にいます、わたしの父はそれをかなえて下さるであろう。」−−マタイ18:19

  団結した祈りには、大きな力があります! ですから、必要な時には、主を愛し、主に従っている他の人からの助けや祈りを求めることを、決して恥ずかしく思ってはいけません。「互いにあやまちを告白し合い、またいやされるように、お互いのために祈りなさい。」−−ヤコブ5:16

  最後になりましたが、もう一つ言っておきたい大切なことは、イエスの御名によって祈るということです。新約聖書を通して、主は、イエスの御名で祈ることがどれほど大切かについて話しておられます。私達は、イエスを通してのみ神に近づくのです。−−「神は唯一であり、神と人との仲保者もただ一人であって、それは人なるキリスト・イエスである。」−−第一テモテ2:5  イエスの御名には力があります! その御名を使わないなら、力はありません! イエスはこう言われました。「何事でも、わたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう!」−−ヨハネ14:14。主をほめたたえよ!

  あなたの心にはイエスがいますか? そう私達は願っています! でも、いないなら、今すぐイエスに心の中に入って下さいとお願いして下さい。そうすれば、イエスは心に入って下さいます! そして、あなたは、祈りを通してイエスと交わりを持ち、コミュニケーションを持つようになり、本当に個人的に親密にイエスを知ることができるようになります! そして一緒に祈ってくれる人、あるいはあなたのために祈ってくれる人が必要なら、どうか今日私達に手紙を下さい! 神があなたを祝福され、障害がなく明瞭で、御霊にあふれた「天国とのコミュニケーション」を与えて下さいますように!