宝 P216-223

 

歴史に見る冒険実話集!

 

愛の園で! (創世記2章と3章より!)

 

  アダムは、マンゴの木陰に座り、困って頭をかいていました。彼は、主が自分の所に連れて来られたいろいろな動物すべてに名前をつけていたのですが、考えられる名前は使い果たしてしまったのです。最後の2匹の動物がアダムの所に来た時、アダムはすっかり疲れていましたが、その動物達を見た時、思わずほほ笑まずにはいられませんでした。「ちょっと前に『馬』と名づけた動物に似ているなあ。」と彼は思いました。「ただ、こっちのは白地に黒の縦じまが入っている!」 彼は、その動物の長い鼻をなでながら言いました。「さて、おまえを何て呼ぼうかな?」

  彼は、他のすべての動物と同じように、その動物にも雄と雌がいることに気づきました。「君たちを『しま馬』と呼ぼう。」 そう言うと、彼はやれやれとため息をつきながらしま馬の背をなでました。それから向きを変えると、とても言葉では言い表せないほど美しいエデンの園の中を一人で散歩しました。彼の回りにある木はどれも、ありとあらゆる種類のおいしいフルーツをいっぱい実らせていました! しかしアダムは、空腹ではありませんでした。すべてがとても素晴しく、とても美しかったのですが、何かが欠けている、何か物足りないと感じていたのです。

  アダムは、いろいろな動物が2匹ずつ園の中をぶらぶら歩いているのをチラリと見ました。「動物には、みな、ちょうど同じような姿をした連れ合いがいる! 私にも連れ合いがいるのだろうか?」と彼は思いました。いくぶん悲しげに、彼は園の中央にある、きらきら光る滝の方に歩いて行きました。しかし、園の中で一番お気に入りの場所でさえも、何か欠けていて、物足りないように思われたのです。アダムは一人ぼっちで気分も沈んでいたので、柔らかで冷んやりとした草の上に横になり、眠りにおちました。

  主は、アダムがすべての動物に名前をつけるのを見て楽しまれました。主はまた、すべての動物には連れ合いがいるのに、彼には自分に似たような連れ合いがいないことに気づいた時、アダムがどのように反応するかにもとても興味を持っておられました。主は、アダムにも連れ合いを今与えるなら、彼は心から、その連れ合い、つまり配偶者をありがたく思うことを知っておられました。そして主は、こう言われたのです。「人が一人でいるのは良くない。わたしは、彼のために助け手を造ろう。」そこで主は、アダムを深い眠りに陥らせました。アダムが眠っている間に、主は彼の骨を一本取って、それからそこをふさがれました。その肋骨から、主は、最も美しい最高の創造物を造られました。女性を造られたのです!

  しばらくしてアダムが目を覚ますと、かたわらに主が立っておられました。アダムは以前に主にお会いしたことはありましたが、主の隣に裸で立っている美しい創造物を見たことはありませんでした!

  主はこう言われました。「わたしは、あなたの肋骨から女性を造った。彼女はあなたの連れ合いとなり、あなたといつも共にいて、あなたを愛するであろう!」

  アダムは飛び上がって喜び、彼の心臓の鼓動は高鳴りました。そして、その顔は喜びで輝きました!

  「ああ主よ!」と、彼は感嘆の声をあげて言いました。「彼女は、あなたが創造されたどんなものよりも美しいです! 彼女は、私の骨の骨であり、私の肉の肉です。私は、彼女を『女』と呼びましょう。彼女は、男から取って造られたからです!」

  それから主は、二人を祝福して言われました。「生めよ、ふえよ! 数を増し、地をあなたの子供たちで満たしなさい。」

  するとアダムが困った様子で、「どうやったら子供ができるのですか?」と尋ねました。

  主は、「あなたは女と結び合い、一体とならなければならない!」と、微笑みながら言われました。「私は、その知識をあなたの心の奥深くに入れておいた!」 そう言って主は、静かに姿を消され、アダムは、主が彼のために造られた美しく魅惑的な裸の女性と二人だけになりました!

  「私によく似た者がいて、共に話したり、喜びや幸せを分け合うのはどれだけ素晴しい事だろうか!」と、アダムは思いました。しかしアダムが最も魅了された事というのは、主が二人を祝福され、彼女と結び合って「一体」となる事を命じられたということでした! 彼は、その美しい連れ合いの手をとって、優しく言いました。「女よ、私は、主が命じられたように君と「一つ」になりたい。君もそうなりたいかい?」 「ええ!」と彼女は、愛で目をキラキラ輝かせ、美しく無邪気な表情で答えました。「でもどうやって?」

  アダムは、彼女の手を取り、青くやさしい目を深くのぞき込んで、こう告白しました。「僕にもよくわからないんだ。ただ君に近づいてさわりたいという気がするんだ!」 これまで感じたこともなかった素晴しい感覚がアダムの全身をかけめぐり、彼は不意に彼女を腕に抱くと、優しくキスをし始めました。すぐに二人は、まるで自分達を誘うような柔らかな草の上に倒れるようにして横になりました。そして神ご自身が造られたエデンの園の完全な純粋さと純潔さの中で、一番最初に創造された男女はゆっくりと、愛の歓喜の内に美しく一つに結ばれたのです! エデンの園は真のパラダイスとなりました! 彼女は、すべての生きた者の母となるので、アダムは、彼女をイヴと名づけました。それは、「命の泉」という意味です!

  それから何週間もの間、アダムとイヴは天国のような園を一緒にあちこち探検し、美しくみずみずしい果樹園の中を走って遊びまわりました! 来る日も来る日も、喜びと幸福であふれていました! 主は、この男女にたくさんの素晴らしい祝福を与えられましたが、どれにもまして二人が楽しんだのは、美しく愛に満ちたセックスという純粋な快楽でした!

  けれども残念なことに、パラダイスでは何もかもうまくいっているというわけではありませんでした! 悪魔は、男女が愛し合って、子供を生み、神の永遠の王国のために地上を新しい人々で満たすという、神の大いなる計画に激怒していたのです! 「私はこの計画を阻止し、破壊しなければならない!」と叫びました! 悪魔はエデンの園に入って、すべての生き物の中で最もずるく狡猾なヘビに乗り移り、園の中央に高くそびえ立っている、威厳のある木のところまで行き、イヴを気長に待ちました。

  彼女が木のそばを通ると、悪魔は彼女の名を呼んで、こう聞きました。「園にあるどの木からも取って食べるな、と本当に神が言われたのかい?」

  驚いたイヴは答えました。「園にある木の実はどれでも食べてよいことになっているけれど、ただ善悪を知る木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと神は言われたわ!」

  「死ぬだって?!」と悪魔は笑いました。「死ぬどころか、あなたの人生は始まるのだ!  絶対に死ぬなんてことはない! とんでもないことだ! 神が食べてはいけないと言われた本当の理由は、あるものをあなたたちに与えないでおくためなんだ!あなたたちが持っていて当然なものを、神は、あなたたちに与えなかったんだ! それは、知識や知恵なんだよ!

  この木の実を食べると、あなたがたの目が開け、神々(天使)のように善悪を知る者となることを神は知っている!

  それにこの木は、エデンの園で一番おいしい木の実だ! さあ、食べてごらん! 取って食べてごらん!」そう言うと、悪魔はシューという音を立てました。

  ヘビの言ったことをじっくり考えながら、イヴはうっそうと生い茂った枝からぶらさがっている、みずみずしくてよく熟れた実をじっと見つめて、こう思いました。「確かにおいしそうだわ! それに、見た目も本当にいいわ!」 そして何よりも彼女は、女神のようになれるという思いに、すっかり心を奪われていました。だから、この禁じられた知恵と知識とを手に入れたいと思ったのです!

  「イヴ、見てごらん!」と、ヘビは誘うように言いました。「賢くなりたいと思うなら、手に取って食べるといい! 知恵と知識があなたのものになる! ただ取って食べるだけで、神々の知識があなたのものとなるのだ!」

  イヴはそうっと手を伸ばしておいしそうな実をもぎ取り、その甘い香りをかいで一口食べたのでした。でもちょうどその時、突然アダムがやって来たので、彼女はぎょっとしてしまいました。アダムは叫びました。「イヴ! いったい何しているんだ?! この木の実を取って食べることは禁じられているって、知っているじゃないか!」 けれどもイヴはすでに神の言われたことに背いてしまったため、今では深く暗い変化が彼女の内に起こっていました! 彼女の無邪気さと純真さは粉々に打ち砕かれ、彼女の物の考え方全体が歪み、堕落してしまったのです!

  イヴは、アダムにその実を手渡し、彼も食べるようにとすぐに説き伏せてしまいました。その最初の一口を飲み込むや否や、奇妙な感じが彼の内に起こってきました! 彼は、あたりを見回して言いました。 「何もかも前とは違って見えるよ!」

  「さあ、見てみろ! 自分を見てみろ!」と、サタンは上機嫌でかん高い声を立てて笑いました。

  「何? 何を見るの?」とイヴは聞きました。

  「見えないのかい?」とヘビは答えました。「おまえたちは二人とも裸だよ! 自分の性器を見てごらん! すっかりさらけ出されている! 恥ずかしく思うべきだ! 早く、何かで覆うんだ!  お互いを見て、おまえたちの邪悪な心が、汚らわしくて堕落し、倒錯したむかつくようなセックスを渇望し始める前に!」

  神に対して不従順な事をし、そして罪を犯した結果、ものの見方が歪んでしまったために、二人は悪魔の嘘を信じ、裸であることを恥ずかしく思うようになりました! それで、素早くいちじくの葉をつづり合わせて前かけのようなものを作り、自分の体を覆いました。ちょうどその時、主が、一日の涼しい風が吹く頃に、園を歩かれる音が聞こえ、二人は恐れました!

  罪の意識を感じて、アダムとイヴは急いで木々の間に身を隠しましたが、主は二人を呼ばれました。「どこにいるのか? なぜ私から隠れるのか?」

  罪を告白するのを恐れ、アダムは答えに詰まりました。「私が恐れて、隠れていたのは、実は‥‥実は‥‥自分が裸だったからです!」

   主は、「あなたが『裸』であると誰が言ったのか?‥‥アダム!‥‥イヴ!‥‥あなたたちは、私が取って食べてはならないと命じておいた、善と悪を知る木から取って食べたのか?」と問いただされました。

  そうです。二人は、その木の実を取って食べたのです! そして、知恵や知識や力を手に入れて神のようになりたいという欲望の故に、神に背いたのです! 二人の思いと心は、罪で満ち、汚れました。もはや二人がエデンの園にとどまることは許されませんでした。これで二人が永遠の命を与える命の木の実を食べたら、不従順で堕落した状態のままで永遠に生きることになってしまうからです! だから神は、悲しみながらも彼らをエデンの園から追い出されました!

 

考えてみるべき課題

 

   (1) 神が人間に与えられた最初の戒めは何でしたか? 「生めよ、ふえよ」です! (創世記1章28節) 言いかえると、神が人間に与えられた最初の命令は、セックスをせよということだったのです!セックスをしないなら、どうやって子供を生み、子孫をふやすことができるでしょうか?

  だから、幾つかの教会の教義に反して、人間の最初の罪はセックスではありません! それどころか、人間が神に従って最初にしたことが、セックスだったのです! それゆえに、セックスは罪ではなく、人が楽しめるようにと、神が世の初めに造られたものなのです! アダムとイヴは、罪に陥るずっと前からセックスを楽しんでいたのです。そして二人は、セックスをするように、初めから性的器官を備えて造られていたのです! だから、彼らが堕落する前に、セックスをするよう命じられていたのならば、セックスは罪深いものなどということがありうるでしょうか?

  セックスや私達の体に誤ったところや邪悪なところがあると言うのなら、どうして神はそれを造られたのでしょうか? 私達にセックスを楽しんでほしいと思っておられなかったのなら、神はなぜ私達の性的器官に、気持ち良く感じさせるすべての神経を備えられたのでしょうか? だから結局のところセックスは悪ではなく、神からの素晴しい贈り物であって、正しい関係において思う存分に楽しむべきものなのです!

   (2) アダムとイヴは、服も着ず、おおい隠すこともないまま、美しいエデンの園に住んでいました。そしていつも全裸でしたが、そのことを何とも思っていませんでした! 二人は神に背き、心に罪を持つことによって堕落してはじめて、神が造られた清い体を恥じるようになったのです。それは誤った罪深い態度です! それまでは罪のない純真な心を持ち、天国的なものの見方をしていたので、裸であることに気づきもしませんでした! 裸でいるのがあたりまえのことだったからです!

  サタンが、二人に嘘をつき、知識の木について神が言われたことに対する信仰を弱めるまでは、何もかもが素晴らしかったのです。彼らが主の言われたことに背いてから、自分たちの性的器官が悪いものであると思い始めたのです! 主は、二人に尋ねられました。「あなたが裸であると誰が知らせたのか?」(創世記3章11節) 裸であることを二人に告げたのは、明らかに悪魔だったのです! 悪魔は、裸であることが悪であり、彼らの性的器官が悪いものであると嘘をついて、彼らの清い思いを汚し、堕落させてしまったのです!

   (3) 悪魔は、二人に、裸であることが悪だと信じさせることができるなら、勿論セックスが非常に悪いことであるに違いないということも信じるようになると知っていたのです! 思い出して下さい。神の最初の戒めは、「生んで、増える」事であり、セックスをして子供を造ることだったのです!しかし、裸とセックスが悪であると説得することによって、悪魔は神の創造の根源そのものを攻撃していたのです! なぜなら、裸にならないと、セックスの邪魔になるし、セックスなしには子供はできません! だから悪魔の最初の戒めは、人間はセックスをするなということであり、悪魔は人間を神に背かせて、それによって人間のための神の愛情深い計画を滅ぼそうとしたのです!

  だから、宗教を信じる多くの人々が教えている事に反して、悪魔はセックスを憎み、それと戦っているのです! なぜならそれは、神御自身が造られた美しい創造物で、神が考え出されたものであり、神からの私達への贈り物だからです。悪魔は、セックスの最大の敵です! もちろん悪魔は、セックスが悪魔からのものであると偽って、自分が手柄を得ようとしています。でもあなたがセックスをすると、悪魔は狡猾にも向き直って、あなたがセックスを楽しんだことを非難し、セックスは罪だと告げるのです!

   (4) 悪魔は、セックスが大嫌いですが、セックスをなくしてしまうことができないので、セックスを支配しようとし、また自分がその手柄を得ようとします! だから世界をずる賢く欺いて、悪魔はセックスが大好きで、それを楽しむためには神と聖書のおきてを破り、悪魔の罪人(つみびと)にならなければならないと考えるようにさせたのです! 悪魔は、セックスに対する人々の態度を完全に歪めてしまい、セックスが悪であり、間違ったことなので、セックスを楽しみたければ悪魔に従わなければならないと思い込ませているのです!

  しかしあなたはこう言うでしょう。「すべてのセックスが良いとは思えない! 性的倒錯や暴力などを美化しているセックス・マガジンや映画などは、どうなんだ?」

  さて、それに対する答えは簡単です。悪魔は、セックスが悪魔からのものだと信じさせて、自分を崇拝させたいがゆえに、セックスという神の驚異的な、美しい贈り物を横取りし、それを醜く恐ろしいもの、また邪悪なものにまで歪めようとするのです! だから悪魔はしばしばセックスを奨励しているかのように見せかけ、実際には、完全にセックスを堕落したもの、下品なものとし、汚し、神の素晴しい創造物を不潔なものにしようとしているのです! 神は、セックスが美しいものとなるよう計画されました。そして実際に、セックスは美しいものなのです! 性器が主役になっている一連のポルノ映画のように、セックスを倒錯させ、醜くし、露骨なものにし、胸がむかつくようなものにしようとするのは、悪魔です!

  芸術的なヌードや、愛情深くて、清潔で、ロマンチックなセックスは美しいものであり、神はそうなることを望んでおられたのです! けれども暴力的なセックスや人を傷つけるようなセックス、あるいは倒錯したセックスは、どれも胸をむかつかせます! 聖書は、「神は愛である!」と語っています。(第一ヨハネ4章8節)  だから愛の伴わないセックスは、神の意志に沿ったものではなく、悪魔からのものなのです!

  私達の体は、神の美しい創造物であり、体のどの部分も、適した時に適した相手に対して使うなら、全く正常で自然なものなのです。そして本当に良い目的のために、神によって造られています! 私達の性的な部分は、他の体の部分と同様に良いものであり、性行為や、性的に感じることや、性的快楽は、食べたり飲んだり運動したり、神が造られた他の身体の機能や楽しみを味わうのと同じく、自然で正常なものです。

  神は、楽しむことに反対しておられません! 神は、御自分が楽しむために、私達と全宇宙とを造られさえしたのです! 聖書にはこうあります。「主よ、あなたは万物を造られました。あなたの楽しみのために万物は存在し、また造られたのです!」(黙示録4章11節) それと同じように、神は、私達のために造って下さった人生の素晴らしい楽しみの数々を、私達に楽しんでほしいのです! (伝道の書5章18-20節参照)

     (5) 神が創造された性的快楽を自由に思う存分楽しむためのただ一つの方法は、他の人に対して真の愛を持てるように、心の中に神の愛を持つことです。真の愛なしには、本当にセックスを心ゆくまで楽しむことはできません。本当の愛が伴わない単なる肉体関係だけでは、満足をもたらすことがなく、何かが欠けているように感じるからです。神は、最高に美しい肉体的経験となるように、セックスを造られたのですが、「愛は神から出たものであり、神は愛」(第一ヨハネ4章8節) なので、まず初めに真の愛を経験し、それを知らない限り、セックスを心ゆくまで楽しむことはできないのです。

   (6) セックスに対する罪悪感から完全に解放されるには、つまりアダムとイヴが堕落する前に持っていた、エデンの園での自由を取り戻すには、方法はただ一つ、イエスを通して神の愛と罪の許しとを知ることです。聖書にはこうあります。「清い人にはすべてのものが清い。しかし汚れている不信仰な人には清いものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている!」(テトス1章15節)  心の中にイエスがおられ、またイエスの愛と許しとを知っているなら、あなたは最初エデンの園にあったような自由を取り戻すことができるのです。「真理はあなたがたを自由にするであろう!」(ヨハネ8章32節)

  人間がエデンの園の自由を取り戻す方法は、神と昔のような交わりを持ち、神とのつながりを取り戻し、神の御言葉を信じて神と神の創造に信仰を持つことです。つまり、神がそのすべてを造られたこと、また、神は私達が、清く、正しく、健全で、愛に満ちたすべての快楽を味わい、神が男女の間に創造された愛の歓びの内に生きることを望んでおられることを知ることです!−−だから、神と神の言葉と神の愛とに戻ることによって、エデンの園に戻りましょう! そして、愛に満ちたセックスという神の贈り物を、心ゆくまで楽しみましょう!