宝 P87-92

 

あなたは孤独ですか?

−−これがその解決法です!

 

  エデンの園で、アダムは申し分のない環境にいました! ただ一つのことだけを除いては‥‥でも、それが何なのか、彼には言い表すことができませんでした。何の不満もなかったのは確かです。このうっとりするようなパラダイスは、すべてが美しくて、素晴らしく、神は、アダムのために何もかも備えて下さっていました。しかし、彼の心の奥深くには、何かが欠けているような、そんな心の痛みがありました。

 

  主は、その感情をよく理解しておられました。こうしたことを許されたのは、主が創造された美しいものに囲まれていても、その美しさを共に楽しむことのできる、彼自身に似た誰かがいない限り、決して真に幸せにはなれないということを、アダムに示すためだったのです。そこで神は言われました、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために連れ合いを造ろう。」−−創世記2:18。そしてまもなく、アダムはイヴを得たのでした!

  ですから神はもともと、人が孤独であったり、一人だけで暮らすことを望んではおられませんでした。神は、私達が家族を作って共に暮らし、愛し合い、人生を共に楽しむようにと望んでおられたのです。「神は孤独な者に家族を与えられる。」−−詩篇68:6。現代社会においては、核家族化が進んでいるので、孤独という問題がこれまでになかったほど大きな問題となっているのも、驚きではありません!

  終わりの時には「多くの人の愛が冷えるであろう。」(マタイ24:12)とイエスが預言された通り、ますます多くの人々が孤独感を抱いています。それはもはや、お年寄りだけの問題ではありません。子供達やティーンエイジャーの間でも深刻な問題となっているのです。アメリカにおける最近の調査では、都会の小学生の間での一番の悩みは、孤独感となっています!

  医学関係者達は皆、孤独感が人の健康に害を及ぼすと考える医者が増えてきていることを認めています! 調査によれば、一人暮らしの人の方が、結婚している人よりもよく医者にかかるということです。

  また、人は、孤独感をまぎらわすために、過度の喫煙や飲酒といった、体の害になることをしたり、無謀運転などの危険な行為に走ったりしやすくなります。一人暮らしの人々の自殺率は、「普通の」人々の実に5倍にものぼっています。

  けれども、孤独感の解消法は睡眠薬ではないし、ましてや自殺などではありません。ただ、もう一人の人が一緒にいてくれたら、孤独感はなくなるのです!寂しい人は、話し相手を必要としています。人生を共に楽しむ事の出来る人を必要としているのです。エデンの園で、アダムがどうして一人ぼっちで暮らしていけなかったかは、誰にでも簡単に理解できます。それなのに、現代社会では、人々はどういうわけか、一人でもやっていけると自分に言い聞かせているのです!

  こうしたおかしな独立心は、広告やその他のマスコミによって、毎日、さも良いことであるかのように宣伝され、私達がお互いを必要とするのは、弱さの表れだという印象を与えています。私達は、誰よりもまず自分自身のことを世話すべきであり、他の人々のことを気にかけるのではなく、何よりも「自分第一」の生き方をすべきであると教えられているのです。

  ですから、大勢の人々が孤独であるのも、不思議ではありません! 特に都会ではそうです。都会は、「何百万という孤独な人々が集まっている所」と言われていますが、まさにその通りです。多くの人がまわりに住んでいるというだけで、必ずしも孤独感が和らげられるわけではありません。というのも、まわりに人がいないからだけでなく、まわりの人から孤立していることからも、孤独感を抱くようになるからです。そして悲しいことに、人はよく、自らを孤独に追いやっているのです。人々は、自分の回りに壁を作り、自分は孤独だと愚痴をこぼします。他の人達に向かって橋を築こうとするのではなく、壁を作るのです!

  どうしたら孤独感から解放されることができるのでしょうか? その答えは、この短い言葉に要約されています。「他の人を愛するなら、自分も幸せになる。自分自身を愛するなら、孤独になる。」 さて、次に挙げる実話について考えてみて下さい。

  ひどく寂しいために、いつも新しい恋人を探し求めていた女性がいました。けれども、彼女の寂しさをいやし、いつまでも彼女を幸せにしてくれる人を見つけることはできませんでした。なぜでしょうか? それは、彼女がいつも、愛を得ること、愛を受け取ること、愛されることを求めていたからです! けれども、そうやって何年も愛を探し求めていた彼女に、ある人がこんな助言をしたのでした。「人に愛を示すこと、そして、他の人の幸せを願って非利己的に愛することを学ぶ必要があるのではないか」と。そんなことは前に一度も考えたことがなかったので、その助言は、彼女にとってとても新鮮なものに聞こえました!そしてまもなく、自分がずっと探していたもの、つまり、真の愛を見つけたのです! 自分が愛することで、幸せにしてあげられる誰かを見つけようとすることによって!

  ですから、孤独感を解消する鍵は、人間が最初に造られた時から変わってはいません。すなわち、愛を与えるなら、愛を受け取る、ということです! もし心から他の人を思いやり、愛を示すなら、彼らも、あなたのことを思いやり、また愛を示してくれるでしょう! もちろん、クリスチャンである私達は、恋人の中の恋人、イエスご自身の、最高の愛を人々と分かち合うことができます! イエスについて話してあげることによって、他の人々に手を差し延べ、彼らを愛し、助けるべきなのです! 完全な愛がほしい、完全に理解されたいという、すべての人の持つ切なる心の願いを満たすことができるのは、イエスだけだからです! 私達は、イエスだけが、永遠に続く完全な満足感を与えて下さると知っています。私達のまわりに家族や友人がどれだけいようと、私達の誰もが時おり感じる、あの空虚な孤独感をいやすことができるのは、イエスだけだからです。

  主は私達の心の中に、主だけが満たすことのできる特別な空間を造られました。この世のものである人の体は、この世の物で満足させることができても、人の霊、つまり、人の体の中にある、目には見えない真のあなた、つまり、あなたの魂は、自分を造ってくれた偉大なる愛の神との完全な結合なしには、真に満足することは決してありません。

  もちろんイエスは、私達が他の人々を愛し、他の人々と親しくなることを望んでおられますが、私達は、何よりも誰よりもまず、イエスを愛さなければなりません! 古い歌にあるように、「イエスにだけ、イエスにだけ、満足がある」のです! たとえ、自分にとって愛しく親しい人がいても、心の奥深くには、常に、あの満たされない思いがあり、それは、イエスに自分の心をすべて捧げ、イエスに近くなることによってのみ満たされるのです!

  事実、これは、孤独であることの別の一面です!ある程度寂しく感じることが、私達のためになる時さえあるのです。主は、私達の主との関係をより豊かで深いものとするために、主の子供達である私達が少し寂しく感じるのを許される時があります!

  あの有名なクリスチャンの作詞家、ジョージ・マセソンの話が思い出されます。彼には恋人がいて、まもなく結婚することになっていました。けれどもそんな時、医者から、彼は視力を失いかけており、6カ月以内に盲目になると宣告されたのです! 彼が悲しみに打ちひしがれたのは言うまでもありません。しかしジョージは、自分のフィアンセにそのことを打ち明け、それでも結婚を望むかどうか選択させるべきだと考えました。彼女が本当に自分を愛しているのなら、失明しても彼女は自分と結婚し、自分の世話をしてくれると思ったのでした。

  そこで彼は、その晩フィアンセの家に行きました。互いに手を握ってソファーに座りながら、あれこれおしゃべりをした後、とうとう勇気を奮い起こして、彼女にその事を打ち明けたのです。「実はとても悲しい知らせがあるんだ。医者に言われたんだけど、僕達の結婚式の頃までには、僕の目は見えなくなってしまうんだ!」 すると突然、彼女の手が小さく震え、彼の手を握り締める力が弱くなるのを感じました。そして彼女は、冷たくその手を引っ込めると、向こうを向いてワッと泣き伏し、こう言ったのです。「ああ、ジョージ、残念だけど‥‥でも、わかって、目の見えない人と結婚することなんか、私にはできないわ!」

  絶望のどん底につき落とされ、悲嘆に暮れたジョージは、悲しみに肩を落としながら、家に帰りました。そして一人寂しく机に向かい、考えたのでした。今、この世で自分に残されているのは、イエスだけだと。それから、紙と使い慣れた羽根ペンを取ると、ジョージは素晴らしい賛美歌を書きあげました。それ以来、何百万もの人々の心の慰めとなっている、あの有名な「ああ、決して私を去ることのない恋人よ」という歌を! その恋人とはイエスです!

 「ああ、私を去ることのない恋人よ、

 私の疲れ切った魂をあなたの内に休めます。

 私の人生をあなたに捧げます。

 あなたの海の深みにあって、

 この人生がますます豊かになりますように!」

 

  クリスチャンであることで、とても素晴らしいことの一つは、もう決して、全くの一人きりになってしまうことがないということです。なぜなら、いつもイエスが一緒にいて下さるからです! あらゆるものが自分から離れて去っても、なおイエスがいます! 他の人達がすべてあなたを見捨ててしまっても、やはりイエスがいるのです! この世を愛する者達や、友人や、恋人が、自分はクリスチャンになりたくないという理由で、あなたを見捨てても、あなたにはやはりイエスがいます! イエスはこう約束されました。「わたしは世の終りまで、いつまでもあなたがたと共にいるのである!」−−マタイ28:20。 この世に、あなたのためのものが何一つなくなってしまっても、それでもあなたにはイエスがいます! そして、あなたに本当に必要なのは、イエスだけなのです!

  というわけで、クリスチャンが孤独感を味わうのを主が許されるのには、おもに二つの理由があります。一つには、最も深い満足感や、親しい交わりを、イエスに求めるようになるためです。そして二つめは、寂しい思いをしている人達に、あなたが、イエスの愛や慰めを与えるようになるためです! あなたのまわりには、以前のあなたと同じように、孤独で、愛を切望している人が本当にたくさんいて、彼らは、あなたの方から話しかけてくるのを待っているのです!

  ですから、信仰によって一歩踏み出し、今日、誰かにイエスや神の愛について話しなさい。そして、他の人達が、ただ誰かから愛され、その人と親しくなることによってだけではなく、神の愛によって、完全な満足を覚え、永遠に幸せになるのを助けてあげなさい。なぜなら、神は愛であり、愛を求めているあなたや他の人達の心を、永遠に満たして下さるからです!−−第一ヨハネ4:8。

  だから、今日誰かを愛しなさい! 愛がどんな奇跡を行なうかを見てみなさい! あなたは、夢にしか見たことのなかった、全く新しい愛の世界を発見することでしょう! あなた自身、その愛の奇跡を、他の寂しい人達と共に楽しむことができるのです。もしあなたが、ただ試みさえするなら!

  けれども、他の人達に主の愛を示すのは、彼らの心をただ自分に引きつけ、誰か一緒にいてくれる人がほしいという自分の必要を満たすためではなく、彼らの最も切なる願望を真に満たすことのできる唯一の方、つまり、主を、彼らが受け入れるのを助けるためだということを心に留めておかなければなりません!ですから、そのような愛と思いやりを彼らに示すようにさせているのは、実は、あなたの内にある主の愛なのだということを、はっきりと知らせる必要があります。そうでないと、彼らは、あなたとの関係のことばかり考えて、主の存在を忘れてしまうかもしれないからです。そうすると彼らは、あなたが一緒にいないとやはり孤独に感じ、真の満足感を見いだすことがなくなってしまいます。そして、あなたが主と主の御言葉にあって強くないために、彼らがあなたとの関係のことばかり考えるようになってしまうのを許すなら、最終的には、あなたも、自分の人生で主を第一におかなくなってしまうことさえあります!

  ですから、必ずあなたの人生で主を第一において下さい。そうすれば彼らもそうするようになるでしょう! そうでないと、孤独な者同士が、ただ自分達の利己的な願望や必要を満たそうとしているだけになってしまいます。そして、その関係は、幻滅に終わってしまうことでしょう。 第二コリント6章14節は、私達にこう警告しています。「不信者と、つり合わないくびきを共にするな。」 言いかえると、あなた自身やあなたの肉体にだけ関心があり、主には何の関心もない人との関係には陥らないようにということです。主と主の御言葉が、あなたの人生で一番大切なものなのだということを、相手の人に対してはっきりさせなさい。また、あなたを主から引き離すことはできないのだということを!

  彼らが主を第一に置き、あなたとの関係ばかりに目を留めないことを望むなら、その秘訣は、彼らを、主や主の御言葉に夢中にさせることです。ちょうど、あなたが主や主の御言葉に夢中になっているように。あなたにとっても、彼らにとっても、真の幸福は、他の人達と御言葉や主を分かち合うことによって得られるからです。だから、もし本当に誰かを助けたいなら、彼らがその人生を、主と御言葉という正しい土台の上に築くのを助けてあげることです。アァメン?  以上のことが、幸せになるために必要な愛を見いだす助けとなり、あなたがもう孤独ではなくなるようにと願っています。そして、あなたから愛を受け取ることによって、他の人達も幸せを見いだすことができますように! 神があなたを祝福し、守られ、そして、神の愛によって、あなたが他の人達にとって祝福となるのを助けて下さいますように! このことを忘れないで下さい。

  人生で最高のものはすべて、分かち合われる!−−愛はあなたの心の中にしまっておくために与えられるのではありません。愛は、他の人に与えて初めて愛と言えるのです!