宝 P53-58

 

歴史に見る冒険実話集!ペテロの劇的な変貌!

 

  聖書の中で最も傑出した人物の一人は、今日一般に聖ペテロとして知られている、シモン・バルヨナという使徒です。彼は、非常に個性の強い、荒っぽく無骨な漁師で、いつもエネルギーにあふれた行動派でした。

  最初の何年かの間、キリストの個人的指導と教えのもとで、ペテロは、無神経で無骨な人間のごとく自分のやり方を押し進め、結果などまるで考えず、自分の正しいと思った事やすべきだと思った事は何でもしました。ペテロは、12人の使徒の中でも飛び抜けて率直にものを言い、思ったことは何でも口にしたのです。でも、しばしば彼は矛盾した事を言ったようです。そして強い性格の持ち主ではあったものの、自分の知恵や力や自信はしばしば彼の妨げとなり、失敗や間違いをする原因になりました。

  しかしペテロは、まる3年イエスに従った後、ものすごく劇的な変化を遂げたのです。そしてこれから話すのは、彼の遂げたその変貌についてなのです。イエスの地上での使命が終わりに近づいた時のことから話を始めましょう。イエスは、弟子達と一緒に最後の晩餐をしていました。イエスが逮捕されて十字架刑に至る、わずか数時間前のことです。

  イエスは、まもなく御自分がこの世の人々の罪のために、十字架にかけられて死ぬことを知っておられたので、弟子達を見回して、悲しそうに、しかし確信をもってこう言われました。「今夜、あなたがたは皆、私につまずき、私を残して去るであろう。『わたしは羊飼いを打つ。そして羊の群れは散らされるであろう。』と書いてあるからである。」(マタイ26章31節)

    これを聞いたペテロは、自分の信仰と力を買いかぶり、大胆にもこう断言しました。「たといみんなの者があなたを見捨てても、私は決してあなたを見捨てません!」けれどもイエスは、これから起こることを知っておられたので、「よくあなたに言っておく、今夜、にわとりが鳴く前に、あなたは三度わたしを知らない、と言うだろう!」(マタイ26章31-35節) と静かに答えられました。ペテロは、そのような預言にショックを受け、さらに断固としてこう言い張ったのです。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたと一緒に行く覚悟です!」(ルカ22章31-33節)

  しかしイエスの預言はすぐに成就したのです!まさにその夜、イエスが弟子達と一緒にゲッセマネの園で祈っていた時、祭司長や長老達がつかわした大勢の兵士の一団が、剣やこん棒やたいまつを手にやって来ました。彼らはイエスを捕えましたが、おびえるばかりの弟子達は一人残らず、夜の暗闇の中へ死にもの狂いで逃げて行ってしまいました!

  イエスは、大祭司の屋敷に連れて行かれ、ペテロは勇気をふりしぼって、「遠くからイエスについて行き」ました! 屋敷に着くと、ペテロは離れた所から裁判の成り行きを見ようと、扉のところに立っていました。屋敷の門守りの女性が、そわそわして落ち着きのない様子の人がいるのに気づき、疑い深い様子で、「あなたも、あの仲間の一人ね。」と言うと、ペテロは驚いて、「いや、私はちがう!」と言ったのでした。

  しばらくたってペテロが火のそばで手を暖めていると、他の女性が、そばに立っている人たちに、「この人もナザレのイエスと一緒だった! この人も、あの人たちの仲間よ!」と言いました。しかしペテロは、彼らの前で、「私は、その人を知らない!」と怒鳴ったのです。

  状況が刻々と緊迫したものになるにつれて、ペテロはだんだんそこに居づらくなりました! 突然、イエスが捕えられた時にそこにいた男がペテロを指さして、「ゲッセマネの園でイエスと一緒にいたんじゃないか?」と大声で尋ねると、またもやペテロはそれを打ち消しました。しかし群衆の中に立っていた他の人達も、「確かにあなたは彼らの仲間だ! そのなまりで、ガリラヤ人だとわかる!」と言い張るので、ペテロは、どうしようもなくなり、「何のことを言っているのかわからない! あなたの話しているその人のことは何も知らない!」と言い張り、乱暴な言葉でののしり始めました。(マルコ14章70,71節)

  すると、彼がまだ言い終わらぬうちに、にわとりが鳴いたのです。イエスは、御自分を捕らえた者によって屋敷の中の他の場所に連れて行かれるところでしたが、振り返って、まっすぐペテロを見つめました。するとペテロはすぐに、「にわとりが鳴く前に、三度わたしを知らない、と言うであろう!」と言ったイエスの言葉を思い出したのです。自分のしたことに気づいたペテロは、悲しみをこらえきれなくなり、思わず涙がこみあげてきました。彼は戸口のところまでよろめきながら歩いて行き、それから、夜の暗闇へとまっしぐらに駆けて、とうとう人気のないエルサレムの壁の下のところまで来ると、地面に伏して激しく泣いたのでした。(ルカ22章59-62節)

  それからイエスは、裁判にかけられ残酷な十字架刑を受けましたが、わずか3日後に奇跡的に死からよみがえりました! 一方、弟子達は、「ユダヤ人を恐れて」彼らから身を隠し、小さな部屋に集まっていたのですが、弟子達の隠れ場所を知っておられたイエスは、突然彼らの前に姿を現しました。その時から、彼らの人生が変わり始めたのです!

  復活の後、40日間、イエスは弟子達の間に姿を現され、彼らを励されました。また、御自分が去ることになっていたので、彼らの使命について詳しく説明されました。そして、40日たって昇天する直前に、イエスは弟子達にエルサレムに戻るように命じられ、「上から力を授けられるまでは、わたしの父の約束を待っているがよい! 聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けてわたしの証人となるであろう!」と言われました。(ルカ24章49節、使徒行伝1章8節)

  使徒達は、エルサレムに戻り、他の120人以上の弟子達、さらに彼らの妻や子供達と一緒に、屋上の間に集まっていました。イエスの昇天の前の最後の命令に従って、そこで祈りながら待っていたのです。10日後に神のすさまじい力が現れました!「突然激しい風が吹いてきたような音が起こって、一同が座っていた家いっぱいに響き渡った。また舌のようなものが炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は、聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(使徒行伝2章2-4節)

  これこそ、弟子達が待っていたものでした。彼らは、主イエスが去られた後も、主の仕事を続けていくのを可能にするための、主からの超自然的な力を待っていたのです! そして、もう一つ驚くべきことが起こりました! 神の聖霊の超自然的な力によって、心も人生もすっかり変わったペテロは、弟子達を、歴史上まれに見る驚異的な証しの冒険へと導いたのです!

  その時、エルサレムの路上では、盛大な宗教祭が行なわれており、そのユダヤ人恒例の収穫の祭りを祝うために、国外から多くの人々がやって来ていました。ペテロが、今やあふれるまでに聖霊に満たされた120人の弟子達を連れて路上に出ると、彼らは全員、その日にエルサレムを訪問していたたくさんの人々の国の言語で超自然的に語り出したのです。けれども、弟子の中の誰一人として、それらの言語を前から知っていたわけではありませんでした! 弟子達は、全群衆に、大胆にもイエスのうちにある神の愛の素晴しい知らせと救いのメッセージについて証ししました。

  それからペテロは、そばにある建物の階段のところに上がって、手を上げ、群衆に向かって大声で呼びかけ、静まらせました! 彼が並々ならぬ権威と確信をもって話し始めたので、その結果、3千という驚くほどの数の人々が救われただけではなく、それらの人々は、その日に弟子として全時間主に仕える決心をしたのです!

  ペテロは変わりました。イエスが逮捕された後、彼はとても臆病に振るまい、三度もイエスを知らないと否定するほどでした! しかし、その彼が今度は、イエスが十字架にかけられたまさにその同じ町で、何千人もの人々の前に立って、恥じることもなく大胆に、すべての人に神のメッセージを宣言しているのです! 何がこの突然の変貌をもたらしたのでしょうか? 白熱した聖霊の力です! 主が約束された通り、彼らは聖霊が下った時、力を受けたのです。

  ペテロは、わずか数週間前に彼の人生で最も厳しい試練と苦難とを経験したのですが、その時感じた苦痛と苦悩はもはや覚えていませんでした。悔やんでいるような時間は全くなかったのです。証しをして他の人々を神の王国に勝ち取るという仕事が、爆発的に進行しており、主は、ペテロが夢にも思わなかったような方法で彼を使っておられたのです。かつては、彼はとても衝動的で、いつも場違いなことを言っているようでしたが、今彼は、主が祈られた通りに、「兄弟を力づけ」ていたのです!(ルカ22章32節)

  主がとても多くの奇跡を行なっておられるのを見て、ペテロが励まされただけではなく、全ての弟子が大喜びしました! 主が最も絶望的な状況にあった時に、彼らは皆主を見捨ててしまったものの、イエスがなお自分達を愛している事を知ったのです! そして今では、イエスが彼らと共に歩まれた時以上に強い信仰を持つようになったのです!

  イエスは去ってしまった、という感じはもうなくなり、それどころか、かつて以上にイエスと近くなったようにさえ思われました! 彼らは、主が以前自分達に語った言葉を思い出しました。「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければあなたがたのところに助け主は来ないであろう。それは、聖霊である。今聖霊はあなたがたと共にいるが、その時になればあなたがたの内にいるであろう! わたしを信じる者はまた、わたしのしているわざをするであろう。そればかりかもっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである!」(ヨハネ14章12,16,17節、16章7節)

  3千人以上の新しい改宗者が勝ち取られ、証しの活動に加わったという驚くべき日からまだそれほどたっていないある日のこと、ペテロとヨハネは、生れつき足のなえていた人を群衆の目の前で即座にいやし、見ていた人達をびっくりさせました! そこでペテロは、その奇跡を見に来た数え切れないほどの人々に向かって語り、さらに5千人が弟子として加わりました。だから弟子の数は8千人にまで増えたのですが、それには、女性と子供の数は含まれていません! まさにこれこそ、イエスが語っていた「もっと大きなわざ」だったのです! 何故でしょうか? それは、イエスが、ただ彼らと一緒におられただけではなく、聖霊を通して彼らの内におられたからです!

  そしてその後、ペテロとヨハネは、救い主を十字架にかけた邪悪な宗教指導者によって起こされた迫害に直面しました。しかしこの時は、恐れもせず、臆することもなく、主を否定することもなかったのです!ペテロは、議会の前に立っても全くびくともせず、勇気を持って御霊の権威によって証しをしました。聖書にはこう書いてあります。「人々は、ペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時にふたりが無学な、ただの人たちであることを知って驚嘆した。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認めた!」(使徒行伝4章13節) どうして人々は、驚嘆したのでしょうか? 彼らは、イエスが地上で持っておられたのと同じ力を、弟子達が持っているのを見たからです!

  そしてこの話の素晴しいところは、あなたも、ただイエスを心の中に受け入れ、神の聖霊の力によって満たされるなら、この力を持つことができるということです!

 

  「ただ聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けて、わたしの証人となるであろう!」(使徒行伝1章8節)「あなたがたは、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、もしあなたが求めるなら、あなたに聖霊を下さらないことがあろうか!」(ルカ11章9-13節)

 

考えてみるべき課題!

  1.ペテロは、前からイエスを信じていたものの、聖霊に満たされる前には、間違いばかりしていました! けれども、それによって私達は、ペテロが成し遂げた事は、それが何であれ、彼自身の力によるのではなく、最初は彼と共に、その後は彼の内に生きたキリストの力だということがわかります。「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものではないことがあらわれるためである!」(2コリント4章7節) だから私達は全員、主が私達に望んでおられる通りの者になるための力を得るために、神の愛と力によって満たされること、つまり神の愛と力の「バプテスマ」を受け、尊い聖霊に満ちあふれることが、確かに必要です!

  2.聖霊の第一の目的は、証人となる力を与えることです。しかし又、聖霊のバプテスマは、主との個人的な関係においても大きな助けとなります。それによって、主とのより強いつながりができ、祈りを通して主とより良いコミュニケーションを持つようになり、また神の御言葉を読む時に、はるかによく理解できるようになるのです! (使徒行伝1章8節とヨハネ16章13節参照)

  3.「あなたがたは信仰に入った時に、聖霊を受けたのか?」(使徒行伝19章2節) あなたは、イエスを受け入れて救われた後、神の御霊の力をあふれるほどに受け入れましたか? ただ求めるだけで与えられるのです! ペテロの例からわかるように、あなたも良い行ないによってそれを得たり、それを受けるにふさわしいほど善良になる事は出来ません!それは贈り物です。ただ受け取るだけなのです!

  4.今すぐに、聖霊という神からの贈り物を求めてはどうでしょうか? 下の、短い祈りを祈って下さい。

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 「親愛なるイエス様、聖霊というあなたからの尊い贈り物を感謝します。どうか、私がもっとあなたを愛し、もっとあなたに従い、より大きな力を持って、あなたの愛と救いを他の人に告げることができるように、今、素晴しい天国からの愛の霊で、私をあふれるばかりに満たして下さい!

 イエスの名前で祈ります。アァメン。」