宝 P21-25

 

「すべての恋人の中で最高の恋人!」

 

  彼は、弱くて無力な、小さな赤ん坊として地上に来られ、身分の低い素朴な乙女のもとに生まれました。その乙女は、男性と床を共にしたこともないのに奇跡的に彼を身ごもったのです! 事実、彼女の妊娠のニュースはとてもショッキングだったので、彼女の婚約者はそれを知った時、即座に婚約を破棄して、結婚式は取りやめにしようと決心したのでした。しかし、力強い天からの使いが、とりなしにやってきて、婚約者に、彼女と共にいて、彼女の宿しているこの特別な幼な子を守り、育てるようにと指示したのです。

  彼は、王となるべく、事実、王の王となるべく定められ、宿命づけられていたにもかかわらず、著名な栄誉ある宮廷の貴族達の立ち会うもとで、体制の誉れと称賛を浴びながら、宮殿にて誕生したのではありませんでした。そうではなく、馬小屋の汚い床の上で、家畜やロバの見守る中に生まれ、ぼろにくるめられて、家畜のかいば桶の中に寝かされたのです。

  彼の誕生の時には、立派なファンファーレも鳴り響かず、もろもろの機関や政府からのお祝いの挨拶もありませんでした。その夜、近くの丘では、星空からパッと照らし出された、まばゆいばかりの目もくらむような光に、貧しい羊飼い達が畏敬の念に打たれていました。そして大勢の天使の一団が天からのお告げを知らせ、「いと高きところでは、神に栄光があるように! 地上では、御心にかなう人々に平和があるように! 今日、あなたがたのために、救い主、主なるキリストがお生まれになった!」という歌声が夜空いっぱいに響き渡りました。

  はるか東方では、別のしるしが天に現れました。一つの明るく輝く星が、ある博士達の注意を引いたのです。博士達はその星の意味を解き明かし、その後を追って、星に導かれるまま、何千キロにも及ぶ砂漠を横切りました。そして星は、博士達を、かのベツレヘムという小さな町の、幼な子のいる場所まで正確に導いたのです。博士達はそこで幼な子をあがめ、高価な贈り物を捧げました。

  その子供の地上での父親は身分の低い大工であり、子供は、父と共に暮らし、働いて、私達人間の生き方、慣習、言語、生活に順応されました。それは、私達をもっと良く理解し、愛し、また私達自身の限られた人間的な理解力のレベルで私達と意志の疎通をされるためでした! 彼は私達人間を愛することを学ばれたのです。人の苦しみを見、深くあわれんで、その病んだ傷ついた体を癒すだけではなく、その不朽の魂をも救うことを切に望まれたのです!

  時が来て、その生涯の仕事を始められると、彼はあらゆる所へ行って良い行ないをされました。人々を助け、子供達を愛し、心の痛みを癒し、弱った体を強め、できる限り多くの人々を救われたのです。彼はただ教えを説かれただけではなく、私達の間でその教え通りに生きられました。人々の霊的な必要ばかりでなく、その肉体的な必要を満たすためにも相当な時間を費やされました。彼らが病んでいる時には奇跡的に癒し、空腹の時には食物を与え、その愛と人生を彼らのために捧げられたのです!

  彼はとても素朴で、彼の宗教も実に単純であって、その宗教を信じるためには幼な子のようにならなければならないと言われたほどでした。宮での礼拝や会堂通いや教会通いを説くようなことはせず、込み入った儀式や難解なおきてを説くこともされませんでした。彼は神の子供達を真の神の御国に導き入れようと努力しておられましたが、そのためにされたこととは、愛を説き、愛を与えることだけでした。神の御国の律法は、「心をつくして主を愛する」ことと、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛する」ことだけだったからです。

  その時代の宗教的指導者達、つまり、贅沢な衣服をまとった、高慢な教会主義の律法学者やパリサイ人や偽善者達に、批判的な質問でうるさくつきまとわれた時を除けば、イエスはそのような者達とほとんどかかわりを持たれませんでした。そして、そのような質問攻めにあった時には、敢然と彼らに反撃され、「盲人を導くめくらの指導者」であるという彼らの本性を大衆の面前で暴露し、彼らは白く塗られた墓であるとさえ告げられたのでした。つまり、外側はまことに美しく、きれいで、聖なる装いをしているけれども、内側は、腐敗と堕落と悪臭を放つ死人の骨とでいっぱいだと!

  彼は、単なる宗教改革者ではなく、革命家でした! 偽りの宗教体制と妥協することを拒み、完全にその体制の外で働かれました。とうの昔から既成の宗教に見捨てられ、自分達のほうでも、とうの昔に既成の宗教に見切りをつけていた貧乏人や一般大衆に救いの手を差し伸べたり、愛を分け与えたりされたのです。彼は、鞭を手にしてバーに入って行き、ビンを割ったり、バーテンダーを放り出されたりはしませんでした。また、売春宿に入って行って、哀れな女の子達を殴りつけたり、ベッドをひっくり返して男達を窓の外に放り出すようなこともされませんでした。けれども実際に、彼は鞭を作って、大きくて美しい宮の中に入って行き、テーブルをひっくり返し、お金を撒き散らして、金に狂った両替人達を教会から追い出されました。祈りの家と唱えられるはずのものを強盗どもの巣にしてしまったことで、彼らを厳しくとがめられたのです!

  彼は、自らの評判を落としてまでも、酔っ払いや、売春婦や、取税人や、罪人や、社会に見捨てられ、虐げられた者達の友となられたのです。彼は、「善良」と言われている人々、すなわち、彼を拒み、彼の愛の教えを拒絶した独善的な宗教指導者よりも、むしろそうした者達の方が先に天国に入るだろうとさえ言われました。彼の愛の力と、人を引きつける力は非常に大きく、誠実に真理を捜し求める者達にとても大きな信仰を与えたので、そういった人達は一切を投げ出し、即座にすべてを捨てて、全時間彼に従う者となることをためらわなかったのです!

  ある時、弟子達と一緒に小さな舟で湖を渡っていると、大きな嵐が起こって舟が沈みそうになりました。そこで彼が、風と波とに静まるよう命じられると、すぐ大なぎになったのです! 弟子達はそのような奇跡的な力をまざまざと見せられてひどく驚き、「この方はいったい何という方なのだろう。風も波も従わせてしまうとは!」と互いに言い合いました。

  彼は盲人を見えるようにし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、らい病人を清め、また、死人を甦えらせることに終始されました! 事実、彼に最も激しく反対し、憤っていた宗教組織がありましたが、彼のみわざは実に驚くべきものだったので、そのリーダー格の一人まで、「私達は、あなたが神から来られた者であることを知っています! 神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるような奇跡は、誰にもできはしません!」と感嘆の声をあげたほどでした。

  その愛の教えが広まり、従う者達が増えてくるにつれて、既成の宗教の嫉妬深い指導者達は、この、以前まで全く無名だった大工が自分達にとってどれだけの脅威になってしまったかを悟りました!  その単純な愛の教義は、偽善的な大祭司達、つまり、大物の宗教家達の支配から人々を解放しており、その結果、彼らの宗教的な権威、人々に対する力、統制、および支配力といった彼らの宗教体制全体が崩壊しつつあったのです。

  とうとう、これらの強力な宗教上の敵共は、彼が民衆を扇動し、政府打倒を図っているという偽りの告訴をして、彼を捕らえさせ、裁判にかけさせました。総督は、彼が無実であることがわかったものの、こういった宗教家達によって、彼を処刑するよう圧力をかけられ、説得されてしまったのです。彼は、捕らえられる直前に、こう言われました。「わたしの父の許しがなければ、彼らはわたしに触れることはできない! もしこの指一本でも上げるならば、父は天使の軍団を遣わしてわたしを救って下さるであろう!」と。けれども、彼はそうなさらず、死ぬことを選ばれたのです。あなたと私を救うために! 誰かが彼の命を奪ったのではなく、彼は、自ら進んでその命を捨てられました。自ら進んで命を捧げて下さったのです。

  しかし、彼の嫉妬深い敵共は、彼が死んでも満足しませんでした! 弟子達がその死体を盗み出して、彼が生き返ったなどと言うことが絶対にないように、彼らは非常に大きな岩をその墓の入り口に置き、さらにローマ兵達をその護衛に当たらせたのでした。しかし、それも無駄な試みでした。他ならぬこの護衛達が、何よりも素晴らしい奇跡の証人となったのです! 彼の死体がその冷たい墓に収められてから3日の後、彼はよみがえり、死と地獄に対する永遠の勝利者となられたのでした!

  死でさえも、彼のみわざと彼の御言葉を止めることはできませんでした! 彼は、ご自分に従う者達の小さな群れを究極的な勝利−−愛と福音の力とによってローマ帝国を覆すという勝利−−へと導くために、よみがえられたのです! 神の愛は、まるで巨大な津波のようにその嫉妬深い敵共を飲み込んで進み、とうとう全地を覆ったのです! そして敵共は、ちょうど彼の言葉の通りにすたれ、はるか後方に取り残されてしまいました!

  2000年近くも前の、その奇跡的な日以来、この方、イエス・キリストは、ご自分の前および後に現れた他のいかなる指導者やグループ、政府、帝国よりも多くのことをなして、歴史と、文明の進路と、人間のありさまを変えてきました! キリストなしに何の希望もなく死んで行くことから幾十億もの人々を救い、ご自分の名を呼び求める人すべてに永遠の命と神の愛とを与えてこられたのです。

  この方、イエス・キリストは、単なる哲学者でも教師でもなければ、ラビ (ユダヤ教の教師) でも、教祖でも、預言者でもありません! 神の御子なのです! 偉大なる創造主であられる神は霊であって、全知全能であり、あらゆる所に存在し、あらゆるものの内に満ちていて、私達人間の限られた理解力をはるかに超越しておられる方です! そこで、神は、ご自身がどのようなものであるかを示し、私達をみ元に引き寄せるために、イエスを人間の姿で遣わされました。多くの偉大な教師が愛について、また神について語り、教えてきましたが、イエスこそが愛なのであり、イエスこそが神なのです! 世界の人々の罪のために死に、死人の中からよみがえられた唯一の方なのです! だから、イエスは比類なき存在なのです。それは、イエスこそが唯一の救い主だからです! 彼はこう言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。誰でも、わたしによらないでは父のみもとに行くことはできない!」

  イエス・キリストが本当に神の御子であり、救いに至る道であることを、一体あなたはどのようにして見いだし、確信をもって知ることができるでしょうか? その答えは簡単です! イエスを試してみることです! ただ、ご自身をあなたに現して下さるように謙虚な気持ちで心から求めればいいのです! つまり、あなたの心の中に入って、あなたのすべての罪を許し、あなたの人生をその愛と平和と喜びとで満たして下さるように、イエスにお願いするのです!

  イエスは実在しておられ、あなたを愛しています! あなたの身代わりになって死に、また、あなたの罪をその身に受けて苦しんで下さったほどにあなたを深く愛しておられます。そのことによってあなたは、ただイエスとその永遠の命という贈り物を受け入れるだけで、自分の罪のために苦しまなくても済むようになるのです! でも、あなたがイエスに救ってもらうことを望まない限り、イエスにはあなたを救うことはできません! イエスの愛は万能ですが、無理矢理あなたの人生の中に入って来ようとはされません。イエスはあなたの心の扉をたたかれます。それを蹴飛ばして中に入ったり、押し入ったりはされないのです。愛と忍耐をもって、優しく、かつ柔和に、扉の外に立って、あなたの方から扉を開いて、彼を招き入れるのを待っておられるのです。

  あなたは、イエスを受け入れるでしょうか? もし受け入れるなら、彼はあなたの人生の内で最もかけがえのない方となられるでしょう! いつでもかたわらにいて下さるあなたの無二の親友、話し相手となるのです! なぜなら、ただ彼だけが全ての恋人の内の最高の恋人だからであり、私達が永遠に生き、永遠に愛するようになるよう、愛のために来て、愛の内に生き、そして愛のために死んで下さった方だからです!

  あなたは、次の簡単な祈りを心から祈ることによって、たった今、あなた自身の心の中にイエスを受け入れることができます。「愛するイエスよ、私のすべての罪を許して下さい。あなたが私の身代わりに死んで下さったことを信じます。あなたが神の御子であると信じます。どうぞ今、私の人生に入って下さい。戸を開けて、あなたを心にお招きします。イエスよ、どうぞ心の中に入って下さい。そして、他の人もまたあなたを知ることができるように、彼らの前で私があなたのことを告白するのを助けて下さい。イエスの御名によって求めます。アァメン。」