宝 P.691-694

 

私達が許すべきでない時!

  神がイエス・キリストを通して私達に与えて下さる愛と憐れみと許しはあまりにも偉大で素晴らしいので、私達はそれらを完全に理解することができないほどです! 私達は絶対にそれらを受けるには値しません! 罪の許しや、永遠の命という神からの贈り物を受けるにふさわしいほど「善良」な人など一人としていないのです! しかしそれでも、私達がただ主を信じ、利己的で誤った生き方を悔い改めて、主の許しを求めるなら、主は私達を許し、永遠の命を与えて下さるのです。何と素晴らしい愛でしょうか!

  イエスは、私達に、イエスから賜っている愛と許しを他の人々にも示してあげるようにと命じておられます。エペソ4:32にはこう書かれています。「互いに情け深く、憐れみ深い者となり、神があなたがたを許して下さったように、あなたがたも互いに許し合いなさい。」 主の祈りの中で、イエスはこう祈るように言われました。「私達に対して過ちを犯した者を許しましたように、私達の過ちをもお許し下さい。」 そしてこう付け加えておられます。「もしも、あなたがたが人々の過ちを許すならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを許して下さるであろう。もし人を許さないならば、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを許して下さらないであろう。」−−マタイ6:12,14,15。イエスは、私達が敵をさえも愛し許すべきであると言われました。

  −−それは、彼らが自分が悪かったと思っているなら、という条件付きです。聖書には、悪かったとも思わず、悔い改めてもいない人達を許すようにとは書かれていません。忘れてならないのは、私達でさえ、自分が罪を犯したことを認め、悔い改めない限り、神は罪を許して下さらないということです。ところが、中には、神は、地上にいる人を誰でも許し、たとえキリストを憎み、その悪い行いを全く悔い改めようとしない人でも無条件に許す、寛大で甘やかしてばかりいる父親のような方だという間違ったイメージを抱いている人達がいます!

  しかし、神の許しには条件があります。イザヤ55:7にはこうあります。「悪しき者は、その道を捨て、正しからぬ人はその(悪い)思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼に憐れみを施される。」 神は憐れみを施し、豊かに許しを与えられますが、それにはまず、悪しき者がその悪い思いや行いを捨て、悔い改め、許しを求めなくてはいけません!

  イエスは言われました。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」−−マタイ5:44。しかし、あなたを憎んでいて、あなたや愛する者達から略奪したり、あなたや愛する者達を奴隷にしたり、殺すことさえ望んでいるよこしまな敵どもを、どこまで愛し許すべきなのでしょうか?

  神がご自身の敵どもに対してどうなされるかを考えてみましょう。まず、神は彼らに悔い改める時間を与えられます。愛を示し、正しい道を教え、選択する時間、真理を知るチャンスを与えられるのです。しかし、一定のタイムリミットが来ると、神の忍耐は切れ、こう言われます。「わたしの霊は長く人の中にとどまらない。」−−創世記6:3。そして、敵どもが反抗と悪事を続けるなら、結局は彼らを滅ぼされるのです! ちょうど全世界に洪水を送って、ノアとその家族を除いたすべての人類を溺れさせた時のように! 聖書全体を通して、このような例は数え切れないほどあります。

  ですから、私達は忍耐を持って、敵に時間を与え、もし彼らが悔い改めるならいつでも許すつもりでいるという、愛と許しを彼らに示してやるべきです。しかし神ご自身も、悔い改めない人々を許されはしませんでした。悔い改めようとせず、ひたすら悪を行って、私達や私達の愛する者達や私達の国に害を与え続けようとする敵さえも、私達は愛し、許すべきであると信じるのは愚かなことです! 確かに、私達はクリスチャンとして、敵にさえも愛を示す義務がありますが、敵が残忍に攻撃してくる時に自分の身を守るべきではないということではありません! 敵が何の罪もない人達を殺すのを止めるためなら、私達が敵を攻撃することさえ禁じられてはいないのです!

  私達は、道徳観念や善悪についての観念をすっかり失い、後ろに引っ込んだまま、彼らの悪い行いを止めようともせず、それを大目に見るほど、「許しに満ちた」態度を取るべきでありません! 私達は彼らを勝ち取ろうと愛を示しますが、その悪い行いは決して容赦してはいけないのです! そして、彼らがその邪悪な暴力行為によって私達や他の人達の命をおびやかしている時には、必要とあれば、彼らの悪い行いを阻止することさえためらうべきではありません! 殺人や脅迫行為、または何の罪もない人達を苦しめる犯罪行為は、絶対に許すべきではないのです!

  イエスは、十字架の上で苦しみながら息を引き取ろうとしておられた時、ご自分を十字架につけられた者達に大いなる許しと愛を示され、「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」と言われました。−−ルカ23:34。 イエスは、誰のことを許して下さるようにと神に求めておられたのでしょうか? 主を死刑にした偽善的なパリサイ人や大祭司や宗教指導者達でしょうか? 違います! 彼らは、イエスを十字架にかけた時、自分達が何をしているのかはっきりとわかっていました! イエスが祈っておられたのは、事の真相を知らないまま、ただ命令を遂行していた、無知で哀れなローマ兵たちのためだったのです。イエスはこう祈られました。「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」

  キリストは宗教上の邪悪な敵さえも許すことを望んでおられました! しかし、彼らが拒んだのです! イエスはエルサレムのために泣かれ、こう言われました。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人達を石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾度集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった!」 憎悪に満ちた敵どもが主の愛と許しを拒んだために、イエスは言われました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あながたがは、わざわいである! へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰を逃れることができようか? あなたがたは地獄の子であり、もっと厳しい裁きを受ける!」−−マタイ23:37,29,33,14,15。明らかに、イエスはそのような邪悪な敵どもを許されはしませんでした!

  それなら、自分の敵を「7たびを70倍するまで」許すべきだと書かれている聖句(マタイ18:22)はどうなるのかと尋ねる人もいることでしょう。さて、それはイエスが言われたことと全く違います!残念な事に、多くの人はこの聖句を間違って引用しているのです。実際にはこう書かれています。「その時、ペテロがイエスのもとにきて言った。『主よ、兄弟が私に対して罪を犯した場合、幾たび許さねばなりませんか。7たびまでですか?』 イエスは彼に言われた。『わたしは7たびまでとは言わない。7たびを70倍するまでしなさい。』」

  この章で、ペテロとキリストは、兄弟、つまり仲間のクリスチャンの過ちについて話しているのであって、あなたから略奪したり、あなたを殺したり、あなたの妻に暴行しようとしている残酷な敵のことについてではありません! クリスチャンの兄弟は普通、それほどもひどい悪事を働くことはないでしょう。真のクリスチャンは、普通、互いに対して深刻な危害を加えたりはしないので、たいていは小さな事です。というわけでペテロはこう尋ねていたのです。「もし兄弟が私の所に来て、すまなかったと言うなら、私は何度その兄弟を許すべきでしょうか?」 主は、これに対して、事実上、無限に許すようにと答えられました! しかし、それは、その兄弟が後悔し、許しを求めている場合の話です!

  また心に留めておいてほしいのですが、兄弟の場合でも、もしその罪が非常に深刻で、見逃したり、許したり、大目に見られるような小さなことではないなら、すぐにその兄弟を許さなくてはいけないという義務はありません。ルカ17:3を見てみましょう。ここでは、キリストが弟子達にこう命じられました。「あなたがたは自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、許してやりなさい。もしあなたに対して一日に7度罪を犯し、そして7度『悔い改めます』と言ってあなたの所へ帰ってくれば、許してやるがよい。」

  つまり、もし兄弟があなたの所に来て、自分が悪かったと言い、悔い改めるなら、許さなくてはいけないということです。しかし、深刻な罪や本物の犯罪の場合には、見逃したり、それを正すために何もしないでいるべきではありません! たとえ罪を犯したのが兄弟であってもです。そして、あなたの国を武力で引き倒し、国民を自分達の奴隷にしようとしている、悪魔に霊感された反キリストの敵どもについては、絶対に簡単に「許す」べきではありません!

  ですから、神の許しや憐れみの概念に対して、あまりにも甘い考えを持たないようにしましょう。特に、神に反する敵どもに対してまで、神が限りなく許しや憐れみも持たれるなどと考えてはいけません! イザヤ1:18-20 の聖句は、そのような反キリストの勢力に対して非常によくあてはまります。「主は言われる。さあ、互いに論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」 こうして、主は完全な許しを約束しておられますが、次にこう警告しておられます。「もしあながたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。しかし、あなたがたが拒みそむくならば、つるぎで滅ぼされる! これは主がその口で語られたことである!」 悔い改めるか、滅びるかです! あなたはどちらになるでしょうか?

 

今日のための祈り                                                                   

  主イエスよ、あなたは私達の敵のために祈                                                

れと言われ、私達はそうしました。悪い行いを                                                 

悔い改め、あなたと和解した人々をあなたに感                                                

謝します。しかし、あなたの愛を拒み続け、あ                                                

なたの民と戦うよこしまな人々や悪を行う人々                                                 

は、あなたの御手に委ねます。ああ神よ、彼ら                                                

を裁いて下さい! アァメン!