宝 P.681-685

 

共産主義に関する様々な見解!

  1.共産主義者達は偽りのものに対して熱意を持っていますが、クリスチャンが、真実に対して彼らと同じくらいの熱意を持っていたなら、そしてその熱意を持って、最初から共産主義に立ち向かっていたなら、共産主義は現在のように強い支配力を有することはなかったでしょう。

  2.ほとんどの共産党員は、ほとんどの教会の教会員よりもはるかに献身的で、自分達の大義が正しいと確信している!

  3.キリスト教がその役目を果たさずにいる所に、共産主義が入り込む。クリスチャンが義務を怠って、約束を果たさないでいると、共産主義が入り込んで、その約束を実現するのである!

  4.アレキサンダー・ソルジェニーツィンは帝政ロシアのキリスト教会についてこう語っている。「20世紀初期のロシア教会の堕落した状態が、1917年の革命を避けられぬものとした、大きな原因の一つである。」

  5.共産主義の統治下にある国の人を、共産主義に転向させることはできないと、私は確信する。共産主義独裁政治の下では、大多数の人間が奴隷になる。自由な政府のもとに生まれた人間は、無理矢理強いられることはあっても、決して心から従うことはない。共産主義は邪悪なものであって、それを喜んで受け入れるのは、愚か者と、実際に共産主義の支配下にいない理想主義者だけである。元ポーランド首相、スタニスロー・ミコルヤツク

  6.「共産主義に対処する場合に、共産主義に一つの面でも譲歩したり、あるいは屈服したりするなら、同時に、他の面での共産主義の進出を阻止しようとする努力も必ずやむしばまれるのである。」−−ダグラス・マッカーサー将軍

  7.「共産主義はただ一つの目的のために、見せかけでしかないデタント(平和的共存)を必要としているのだ。その目的とは、次の大規模な攻勢に転じる前に、共産主義をさらに強化することである。共産主義は人類を常に死の危険にさらすであろう。それは、世界という有機的組織体にある伝染病のようなものである。収まっているように見えても、いつか必ず発病し、世界はその恐ろしい病魔に犯される。」−−アレキサンダー・ソルジェニーツィン。

  8.約束とはパイ皮のようなもので、破られるために作られている。−−ウラジミール・レーニン。

  9.「共産主義の目的は、現存する社会秩序をことごとく、力づくで転覆させることによってのみ、達成することができる。」−−カール・マルクス

  10.「敵対するものを何もかも暴力的に破壊すること、それこそ、共産主義階級闘争の核心であり、真髄である!」

  11.共産主義とは、人間の思いと心とを所有しようとする宗教である。共産主義が広まった所ではどこでも、共産主義が他の宗教の教義に取って代わる。共産主義は独自に、キリスト教のほとんどの教義および実践の模造物を持っている。マルクス、レーニン、毛沢東などといったメシヤ(救い主)も何人かいるし、『人民に対する罪』からの改心や、革命に対する誓約という教義もある。また、聖典であるマルクスとレーニンの著書もあるし、福音伝道に匹敵する、世界大の革命を進める推進力もある。」−−『鉄のカーテン』著者、及び宣教師、ブラザー・アンドリュー

  12.まず国の青年層の既成の道徳観念を打ち砕くなら、共産主義の革命はすでに勝利したも同然である。−−ウラジミール・レーニン

  13.共産主義は、富の平等な分配を説いているが、最終的には必ず、誰もが貧困にあえぐことになる。

  14.「いや、我々(共産主義者)が最初に暴力を行使するようなことはない。我々はただ、社会体制の現状維持を不可能にするだけである。そうすると、社会体制を今まで通り維持しようとする者達は、暴力的手段に出るか、降伏するかのいずれかをしなければならなくなる。ブルジョア紳士諸君、最初に攻撃してくるのは、君達なのだ。」−−フレドリック・エンゲルス

  15.共産主義は宗教である。悪魔の宗教である!

  16.共産主義の教義、共産主義者の戦法は、常に「分割して征服せよ!」である。歴史を通して、これが悪魔のやり方であった。悪魔が、神の民をお互い同士争うように仕向けることに成功するなら、神の民は力を失い、一致団結して反キリスト勢力に立ち向かい、戦うことができなくなる。そうなるとクリスチャンの敗北である!

  17.「その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである。」−−詩篇55:21

  18.共産主義者はどこまでも共産主義者である! 誰を使おうと、誰を操ろうと、彼らの最終的な目標は、共産主義を確立することであって、それが唯一の目標なのである!

  19.クリスチャンが分け合うことと、共産主義が分け合うこととの違い、それは、共産主義は「あなたの物は私の物。だから、銃を突きつけてでも、それを取ってみせる。」と言うが、真のクリスチャンは、「私の物はあなたの物です。あなたを愛しているから、これをあげましょう!」と言う。

  20.マルクス・レーニン主義は、反キリスト、反神であり、無神論である! ロシアで、ボルシェビキが真っ先に手をつけたのは、教会を全滅させ、クリスチャンを一掃しようとすることだった!

  21.共産主義は貧しい者への同情や愛を説いているが、実際には、自分達が権力を握るために貧しい者を利用するだけである。そして、貧しい者を奴隷とし、自分達は、絶対的独裁君主となって権力をふるうのだ!

  22.権力の座につく手段としてテロ行為を行う者は、権力の座についても、テロ行為を行うことだろう。

  23.貧困は共産主義を生み出す。

  24.共産主義は答えを提供していない。共産主義の説く地上のユートピアは、理論上の目標に過ぎない。自分達がまだその目標に到達していないこと、また、そうなるのは遠い将来だということさえ認めている。

  25.共産主義は宗教である。これを宗教として見る時、私達はその力を理解することができる。と言っても、その宗教は、神の存在を認めぬ宗教だが。

  26.「ボルシェビキ政権は、武力によって確立され、流血の末、権力の座にのしあがった。共産主義者は、血まみれの手に平和の鳩を持って交渉の席につく。」−−シカゴ・トリビューン誌

  27.キリスト教を完全に撲滅させようとする大規模な迫害が起こったのは、2千年前のローマ帝国による迫害以来、20世紀が初めてだと言われている。これも、反キリストの共産主義のゆえである! 今世紀になって、信仰を貫いて殉教死を遂げたクリスチャンの数は、何百万という数にのぼり、それ以前の2千年近くの間に殉教死を遂げたクリスチャンの総数を上回る!

  28.今日の世界のおよそ半分が、共産主義の支配下にあって、一致団結してキリストに従う者達を絶滅させようと努力している。なぜなら、真の信仰を持つクリスチャンだけが、共産主義に抵抗できる唯一の勢力であることを知っているからである。

  29.マルクスと共に働いたバクーニンはこのように記している。「この革命では、人々の心の中にいる悪魔を目覚めさせて、最も卑怯で下劣な感情をかきたてなければならない。」と。又、ソビエトの新聞はこのように書いている。「我々は、信者や聖職者に対してのみ戦っているのではない。我々は、神に対して戦っているのだ。神から、信者を奪い取るために!」

  30.ソビエト連邦刑法第142条では、未成年者に宗教を教えることを禁じている。青少年は、18歳になるまで教会の会員になることが禁じられており、教理問答書を教えることやキリスト教教育も堅く禁じられている。又、キリスト教の文書を印刷したり、クリスチャンでない人をキリスト教に改宗させようとすることは違反である。ソ連の熱心なクリスチャンが精神病院に入れられ、ショック療法などを施されるというのは、よく知られている事実である。

  31.自分の信仰を否定することを拒否したために、ブルガリアの強制収容所で13年過した、ブルガリアの牧師ハーラン・ポポフはこう記している。「今日、鉄のカーテンの背後では、何万人という人達が収容所に入れられている。宗教の自由が容認されているというイメージが巧みに作り出されているが、その背後では、クリスチャン殉教者のリストは長くなるばかりだ。信者は容認されると見せかけているものの、実際には、キリスト教信者の両親を持つ子供達は、両親から永久に離れさせられ、無神論の寄宿学校に入れらている。」

  32.1921年に発足した中国共産党は、キリスト教を撲滅すると宣言した。ギネス・ブックで、毛沢東は、歴史上、一番大勢の人の殺害を直接指揮した責任者であるという「栄誉」に輝いている。

  33.新しい共産体制はしばしば、「ハネムーン」のように始まる。つまり宗教活動も容認し、善良な意図を持っていることを示そうとするのだ。周恩来はこう言った。「もし、誰かを殺したいのに、その人に近寄るすべがないなら、味方のふりをすべきだ。そうすれば、抱擁しながら、背中にナイフを突き刺すことができる!」 ラオスにいた宣教師、ジョン・ケレンズは、ラオスでまさにこの通りのことが起こった時のことを述べています。

  「革命家達は最初、教会を続けてよいと許可する。ただし、クリスチャンは教会外では宗教について話さないという条件付きだが。伝道することは、反共産主義活動とされ、聖書は没収される。家で集まって集会をすることも不可能となる。彼らは『教会での崇拝は許可するが、その代わりに、家で集会することは禁じる。』と言う。そして、集会を許可する回数を減らし、教会に通う者達の名前を記録し始める。名前が記録された者達は職を失い、様々ないやがらせを受ける。

  数か月すると、当局者はこう言う。『我々は銀行や産業を国有化した。我々が教会と協調していることを示すために、教会も国有化したいと思う。』というわけで、教会は国有となり、政府の高官が教会の『監督者』となる。じきにこの監督者は、牧師は全員、政府に登録すべきだと言い、又、植民地的帝国主義の名残だという理由で、キリスト教の文書が制限されると発表する。

  しまいには、勇敢なクリスチャンが立ち上がり、国が教会を攻撃していることを公然と非難するが、彼は逮捕され、国家打倒を図ったとの罪で、2年間強制労働収容所に送られる。それから、教会の監督者は、教会の建物を国が使えるようにするために、村の教会を閉鎖すると発表し、『村から100キロほど離れた都市に、まだ毎週、礼拝を行っている教会がある。そこでの崇拝は許可する。』となだめる。その頃までには、それに反対の声をあげる者も出なくなる!」

  こんなことが起こりうるのだろうか? この一連の出来事はすべて、1976年、ラオスにおいて1年の間に起きたのだった。」

  34.ウィンストン・チャーチル卿は、「第2次世界大戦回顧録」の一つである「最も輝かしい時」の中でこう書いています。共産主義は、一つの教義であるだけでなく、組織的活動の計画である。共産主義者は、特定の思想の持ち主であるだけではなく、その思想を実行すべく綿密に計画された手段を実践していくという任務に非常に忠実なプロである。穏健でリベラルな、あるいは社会主義的な政権を設立することが、最初の目標である。しかし、それが確立されるや否や、本格的な独裁政権がそれに取って代わる。

  平和主義的プロパガンダは、この世界で今まで表に出されたことがなかったほどの憎しみをおおい隠すためのものに過ぎない。政府や政治家が共産主義を容認し、和平を結んだり、善意ある行動や慈悲深い行動を取るなら、それが逆に、その政府打倒のために利用されることになる。そして、格好の時が到来すると、群衆の暴動から、暗殺に至るまで、あらゆる形の暴力が容赦なく無制限に使われる。既存の政府は、自由と民主主義の旗の下に打倒され、ひとたび共産主義者が権力機構をその手に握ると、反対派、反対意見はすべて始末され、闇に葬られる!」