ヘブンズ・ライブラリー Vol.40

 子供から大人まで楽しめる

 天国の図書館からのストーリー集

 

啓太郎とサムライ

ある武士による前置き

  「この刀で大勢を殺し、大勢を征服した。しかし、御霊という、命を与える剣のほうがどれほど力強いことか。この刀は一瞬にして死をもたらすが、御言葉は命と平安をもたらす。人の人生に常に働きかけるのだ。

  自分が何者かがわかるよう、あなたがたの前によろいを来て出るよう言われ申した。拙者(せっしゃ)、名は桜井真之条(しんのじょう)と申す。このよろいは、拙者の過去そのものであるがため、これが憎々しい。地獄から解放されるには、拙者が過去を語り、あなたがたが拙者のために祈って下さらねばなりませぬ。真理を語れるとは光栄でござる。拙者は自分の過去、自分がした事を恥じておりますが、真理は拙者を自由にしてくれるとの約束を受けたゆえ、それを語らねばなりますまい。

  別の者がこの話を語る助けをしてくれまする。拙者は、自分の見方から語ることはしますまい。拙者はもう、以前のような怪物ではないからでござる。火が拙者を清めてくれ申した。自分の悪事を見、拙者が苦しめた聖なる方々の痛みを苦しまねばならぬという、痛みの火でござる。準備は整い申した。時が来たのだ。この物語によって、拙者に解放がもたらされ、間違いを正し、犯してしまった害が取り消されんことを。神よ、拙者の魂に憐れみを」

1657年、九州

  啓太郎は、自分の村である門司から長崎へと続く道を見下ろす、若草の丘に寝そべっていた。見張りという大役を与えられて、啓太郎は鼻が高かった。

  「イエス様はよい羊飼いだ。神父先生が、日夜おいらを見守ってくれる天使の話をして下さった。今、おいらは同じ事をしてるんだ。10歳にしては、責任の重い仕事だぞ」

  この地域の隠れキリシタンの指導者である神父は、啓太郎の実の父親が迫害で殉教者として死んで以来、啓太郎の父親的存在であった。啓太郎の母もそれからまもなく病死したが、兄弟もいなかったので、神父が啓太郎を家族の一員として引き取ったのであった。

  神父は啓太郎に暗記するようにといくつかの聖書の節を渡した。一つはとても長い節で、このように始まった…。「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした」、啓太郎は今それを暗記している最中だ。それから、もう少し短い節があり、よく啓太郎の頭に浮かんだ。「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」 誘惑、つまり、勤務中の見張りが眠くなったりすることだ、神父は啓太郎に一度そう言ったことがある。

  だが、眠くなるという問題はなかった。啓太郎は元気いっぱいだったのだ。彼にとっての誘惑は、退屈することだった。大海を泳ぎ回って、村の人達と魚を捕まえる方がずっと楽しかった。それか、新年の凧(たこ)上げ大会で上げる凧を上げてみたり、友達にあげるコマをつくるのも楽しい。

  だが啓太郎は今、そのどれも出来なかったので、見張りについての節を再び暗記し始めた。それから木の葉を数えたが、それ以上の数を知らないところまで数えたのであきらめた。しかし啓太郎の想像力は尽きることがないらしい。雲は、まるで何も書かれていない本のぺージを啓太郎の想像力で埋めてほしいと誘っているかのようだった。

  夕焼け、竜、つる、たぬき…。啓太郎が雲を見て想像した動物達が、神父先生が話してくれた、はるか彼方の天の都に飛んでいった。

  「いつかきっと、黄金の船であそこまで行くぞ。前に絵で見た南蛮人の貿易船みたいなのかも知れないな。でもおいらのはずっとかっこいいんだ。おいらの船は黄金で出来てて、帆は絹だ。魔法で雲の中を飛ぶんだ」

  別の雲が啓太郎の思いをさえぎった。砂けむりだ。馬に乗った一団が村に向かってやってくる。少しして、掲げられた旗が見えた。

  旗には桜井の紋がついていた。

  「皆、戦いの衣装だ。ということは、役人として来ているということだ。でも何の用だろう? きっと悪い事に決まってる! 村に知らせなくちゃ。時間がないぞ。急がなくちゃ!」

  啓太郎は、大急ぎで走った。かろうじて転ばず、啓太郎の裸足はとがった岩をうまくよけて走った。村に続く、よく踏み固められた小道の、一番平らな場所を知っていたのだ。

  村へ着くと、広場の大きな鐘をならした。鐘は大きな古い桜の木の下にあった。啓太郎は村の花見の時にここで笑いころげたり、遊んだりしたものだ。だが、今そんな事を思い出しているひまはなかった。啓太郎は村を守る者なのだ。ひもを引いたり放したりして、勢いよく鐘を鳴らした。

  「鐘が3つ! 役人が来たんだ。先生、隠れて下さい!」

大旦那(おおだんな)が、忙しそうに手紙を書く神父に言った。

  「今回は、隠れませんよ」

  「でも、将軍の怒りを買ったのはあなたなのです。将軍の臣下がキリシタンになることを廃止するというおふれが出ました。それにそむくと死罪ですよ! 前の大名は見てみぬ振りをしてくれましたが、桜井は違います!」

  「桜の花が咲くのを8回も見ました。主はいつも私を守ってくださるのです」

  「確かに…」 

大旦那は言った。その動揺した霊は、この老神父の素朴で静かな信仰によって突然穏やかになったのである。

  「危ういところを幾度も切り抜けられました。幾たび逃れられたのですか?」

  「さあ…数え切れませんね」 神父は笑いながら答えた。

  「それに人はあなたが追跡されるのを楽しんでいたと思っていますよ」

  「昔は心の臓が高鳴るのを楽しんだものです。だが、もう疲れました」

  「誰か貨物船でこの辺りを行ったり来たりする友人を見つけましょう。外国と貿易を再開して、他の船乗りからイエスの話を聞きたいと思っている者は大勢おります。次の船は来週着きます。それにお乗りになったらいいでしょう」

  「いや、そのつもりはありません。ただ北にいる私の友達に手紙を書いておきます」

  おふれが出ても、神父のような者達が信者の間で幅広い通信網を築いていた。その主要な手段の一つが、品物を交換しながら日本中の港を渡り歩く商船だったのである。米俵などの荷物に隠して伝言を伝えるのだ。

  船乗りの中には、航海の途中で宣教師に会ってキリシタンとなった者もいた。監視の厳しい村と違って、海では自由だった。これらの船乗りや商人達は、いつの日か再び外国との自由貿易が確立される日が来るよう願っていた。外国船はどれも日本の港に入れなくなっていて、長崎の出島という小さな島だけが開かれていたのだ。それも中国とオランダの船だけに限られていた。オランダは、いかなる宣教活動も一切しないと約束することで、この特権を勝ち取ったのだった。

  二人が話していると、突然、啓太郎が飛び込んできた。

  「大名だ! もうすぐやってくるよ。20人は連れてくる!」 啓太郎はそう叫んだ。

  「早く、みんな、書類を隠して」

  まるで、十分に油をさした機械のように、合図を見て誰もが証拠になるような書類をすべて隠し始めた。一番重要な書類は、神父の知り合いと信者の居場所のリストだ。

  ろうそく立ての一つの裏に作った隠し場所を開けて、神父は名簿をその中に隠した。これ見よがしの態度を振りまいて大名の家来が村にやってきた。みんな家来と目が合わないよう注意していた。武士の怒りを買うような目つきをすると、自分の首が飛ぶことになるからだ。

  「皆をここへ呼べ」 桜井が大旦那(おおだんな)にけしかけた。

  再び鐘が鳴らされ、村の男達がうやうやしく集まってきた。女達の多くは陰に隠れていたが、逃げた者もいた。しかし、大名は今日、そんなことは気にかけていなかった。男達に話があったからである。

  「キリシタンの指導者がこの村に隠れているとの知らせを受けた」

  村の誰もが来るべき時が来たと思っていた。大名は手打ちに出来るキリシタンを出来るだけ大勢捕らえようと躍起になっていることを知っていたからだ。キリシタンの指導者の居場所を教えた者には銀三百両、また平信徒の居場所を教えた者には銀百両の褒美が出る事になっており、その触書は村の広場に貼ってあった。

  「このキリシタンを引き渡したほうが身のためだ。隠れキリシタンを一人残らず引き渡すがよい。居場所がわかるような証拠でも構わぬ。何か知っている者は前に進み出よ。ここは褒美を望む者がおらぬらしい」 大名は触書の方を指して言った。一瞬しんと静まり返ったが、突然、シュッという刀の音がその沈黙をやぶり、村人が一人打ち首となった。

  「明日また戻る。誰も前に進み出る者がなければ、この村全員がこうなるのじゃ。よいな?」

  たいまつに火がつけられ、集会所の屋根に投げられた。桜井は家来に合図をすると、向きを変えて帰って行った。村人は一行がいなくなるまで火消しを待たねばならなかったが、その頃には手遅れだった。ただ他に広がらないように出来るだけだった。

  村人は恐れた。大名達は何をするつもりだろう? 村を焼かれることは、彼らにとって死罪同様だった。まもなく冬がやって来る。家も倉もなくなってしまう。寝床も米もなければ、寒さと飢えで死ぬのは間違いない。

  皆が集まって、これからどうするかが話し合われた。啓太郎は寄り合いに加われない年齢だったが、戸口で立ち聞きしていた。「村はどうなるんだろう? 広場の桜が咲くのを再び見られるのだろうか? 凧上げ大会はどうなるんだろう? 友達にあげるこまは仕上げられるのかな?」 こういった様々な質問が啓太郎の脳裏を走った。

  まず、大旦那が話した。

  「これは村のキリシタンだけではなく、われわれ全員にかかわる問題だ。大名は、無実の者を罪人にして罰することで有名だ。機嫌を損ねる者なら誰でも罰せられる」

  状況が重苦しくのしかかり、一瞬沈黙となった。すると神父が立ち上がって言った。「明日、私が降伏します」

  「そんな…やめて下さい。拷問にあって、殺されてしまう。そうなったら、我々はどうすればいいんです? 先生は我々の霊的な指導者なんです」 神父の助手の一人である、辰之助が言った。見かけも霊もたくましい男だ。

  「私はもう年だし、主の元へ行く日も近い。もう逃げ隠れするには年を取りすぎています。私の王のために死ぬという栄誉を受けさせて下さい。春に咲く桜の花のように、いさぎよく死なせて下さい」

  「では、桜井が欲しがっている情報はどうするのですか?」

  「神は私に計画を示し賜うたのです。今すべてを話すわけにはいきません。万が一問われた時には、知っていることが少ないほうがいい」

  「あなたの後を誰が継ぐのです?」

  「皆さんの世話を辰之助に任せようと思っています」 そう言って、神父は辰之助のそばに行くと、その頭に手を置いて言った。

  「辰之助なら、必ず皆さんを緑の牧場に導いてくれます。私が知っていることは、すべて教えました。聖霊がすべてのことを教え、すべての真理に導いてくれるでしょう」

  「神の助けによって、最善を尽くします」 辰之助はそう言って頭を下げた。

  「霊の世界から、私にも導かせて下さるよう、神にお願いするつもりです。まもなく直面する試練には、多くの助けが必要でしょう」と神父は言った。

  「先生が連れ去られたあと、私たちはどうすればいいのですか?」 神父の別の助手が尋ねた。

  「逃げなさい。神は、皆さんが魚の背に乗って安全な地に逃げるという幻を見せて下さったのです」

  「魚の背ですって? どういう意味ですか?」

  「漁船じゃないでしょうか?」 誰かが言った。

  「きっとそうだ!」 別の者が同意した。

  「残りのみんなはどうなるのですか? 私たちは? 大名にこの計画が知れたら、きっと復讐される」

  「だからこそ、皆さん全員が逃げなくてはならないのです。私が自首することで、時間が稼げる。キリシタンと一緒に行きたくない人達も、別の村に行くのです。遠くまで散らばりなさい。この村を捨てるのです」

  「必要なものを取った後、村を完全に焼き払ってしまいます。分散した人達は、村が全滅したといううわさをばらまくのです。そうすれば、大名はあきらめて追って来ないので、我々は安泰というわけです」 大旦那は言った。

  「いつ始めますか?」

  「今すぐ準備しなさい。神父先生が自首されたら、我々は出来るだけ早く逃げなくてはならない」と大旦那は答えた。

  「旅はとても厳しく取り締まられている。他の村が我々を受け入れてくれるはずがない」

  「受け入れてもらうもっともな理由を見つけなければ」と村人の一人が言った。こうして何時間にも渡って詳細が話し合われた。

  太陽が昇ると、村人達は立ちあがって広場で祈り、大名が来るのを待った。神父は最前列に立っていた。

  ひづめの音が聞こえ、沈黙が破られた。角のついたかぶとに日の光がまぶしく反射し、馬に乗った武士達はまるでイナゴの群れのように見える。仮面が顔を覆い、見えるのは鉄よろいの隙間から見える冷たく光るまなざしだけだ。

  砂けむりが上がり、大名と家来達が村に入ってきた後、しばらくして砂けむりはおさまった。大名達が来るや、村人達は皆、土下座した。

  啓太郎は群集の端のほうでひざまずいていた。ちらっとでも見ることは許されていないのだが、誘惑には勝てなかった。

  「何と怖い顔なんだ。まるで別世界から来た異星人みたいだ」 武士の装束は人の心に恐れを抱かせるように意図されていたが、啓太郎は動じなかった。自分の神がいかに強いかを知っていたからだ。

  「神は全宇宙の創造主だ。イエス様はいつか白い馬に乗って戻ってきて、鋭い諸刃の剣で敵をやっつけるんだぞ。その時には、信者を迫害した者達は嘆くだろうな。火の海も、泣く事も、歯がみをすることも奴らにはもったいない。うじがつきず、火も消えることがない地獄だって…。イエス様がそう言ったんだ」(マルコ9:43,44)

  「尋ね者はどこにおる? 口を割る者、引き出す者はおらぬのか?」 桜井は落ち着かなく動く馬を御しながら叫んだ。

  「私がそれでございます」 神父が進み出た。

  「何? 老いたおぬしがそうだと申すのか?」 大名は疑い深そうに言った。

  「はい、確かに。神は強い者をはずかしめるためにこの世の愚かな者を選ばれたのでございます」神父は穏やかに答えた。

  「愚か者とはよく言ったものじゃ! 拙者のわなをすべて逃れたのがおぬしだったと信じよと申すのか?」

  「神は私の敵の前で私の前に宴を設け、敵のわなから逃れさせて下さいました」 再び神父がこう答えた。

  「普通の言葉で話せぬのか? しかり、おぬしは運が良かったのかも知れぬ。それほど運がなかった者もおるがな。おぬしの神とやらは、火あぶりの死からそやつらを守る事は出来なかったではないか」

  「神は彼らを御胸に召されたのでございます。そこでは火はもはや焼け付くことがありません。彼らの形見には灰しか残りませんでしたが、今、彼らはもっと美しい庭におります。花がいつも咲き乱れる庭に」

  「もうよい。おぬしは拙者が求める情報を知っておるのか、それとも拷問で引き出さねばならぬのか?」

  神父はためらいながら書類を差し出した。大名はそれを引ったくって目を通し、うなり声をあげると、うなずいて家来に合図を送った。乗り手のいない馬が一頭、前に引き出された。

  「この馬に乗れ。城に連れかえってさらに尋ねる事がある。残りの村人については、触書を知っておるな。キリシタンは禁じられておる。南蛮人の毒であって、ここで栄えさせるわけにはいかぬ。僧侶と共に3日後に戻って参る。おのおのは踏み絵をして、将軍への忠誠と、このキリシタンの神に背く証しをすることになる。それらの像を冒涜することを拒むものは皆、死罪とする。皆には生きていてもらいたい。死人は年貢を納めぬからな! だが背くならば、仕方あるまい」

  「乗馬には良き日和でございますな」 神父は大名に明るく皮肉を言った。大名はただしかめ面をした。村に広まった悲しみは手で触れられるほどだった。桜井は家来達に合図し、引き上げて行った。

  その朝、村の大切な存在が馬に乗せられて行ってしまった。村人は皆、姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。中には、悲しい別れの歌を歌い始める者もいた。新しい門出を余儀なくされたのだ。大半は安定した暮らしを望んでいた。畑仕事をして、穏やかに家庭を守ることを…。だが、もう引き返す事はできない。崖から突き落とされたかのようだった。奇跡でも起こらない限り、死は免れないだろう。

  啓太郎も、先行きが不安になった。神父が前に教えてくれた節が頭に浮かんだ。

  「主を恐れる者の周りに、天使の陣をしいて守られる…彼らはその手であなたを支えるだろう…」 いつか天使に会ってみたいな。きっととても強いんだ。さむらいだって怖くて逃げ出すぞ。

  大名達が見えなくなると、辰之助が村人に向かって言った。

  「さあ、冒険の始まりだ。祈って始めよう。愛する主よ、どうか過去のあなたの民をすべて守られたように、どうか私たちも導き守ってください。私たちが恐れないよう助けて下さい。私たちはあなたに信頼します。イエスの御名で、アァメン。出発の準備だ! 夜明けには出発するぞ!」

  その日、啓太郎の生涯で一番忙しい日だった。誰もが忙しく走り回っていた。一家庭で持ち出せるのは行李(こうり)一つだけだ。その中に入れて持って行きたいものはたくさんあったので、何を残して行くかの難しい選択が下されなければならなかった。船も用意しなくてはならないし、家畜も殺して料理しなくてはならない。長旅のために肉が必要だからだ。

  辰之助は持ち物や聖書を荷物に詰めながら、ふと考えた。

  「死とはこの旅のようなものかも知れない。一つの人生の終わりであり、見知らぬ土地での新しい出発だ。何もかも最初からやり直しだ。だがやりがいはあるし、胸も踊る。万策尽きた今、生き残るのは奇跡でしかない」

  乗船の時が近づいた。辰之助は船に向かい、食料などを調べている補給係のところへ行って声をかけた。

  「全部そろったかい?」

  「みかんを6樽、米14袋に干し柿3樽、干しざかな20樽、肉の塩漬け…はい、全部そろいやした」

  「よし、船の準備は?」

  「小型の漁船10そうも、辰さんが舵を取る大型船一隻も、荷積みは終わったし、出発の準備は出来てやすよ」

  「あとは別れを告げるだけ…か」 しばし遠くを見つめて、辰之助は沈んだ声で言った。大旦那(おおだんな)が近づいてくるのが見え、二人で肩を抱き合った。

  「一緒に来ないのか?」

  「出来れば、村の衆をうまく逃がさねばならんのでね。またどこかで会えるだろうよ」

  「それはそうだ。この世でなければ、来世でな。」

  「達者でな、さようなら。道中、幾千の輝く星に導かれんことを」

  「大旦那も、天使に守られん事を」

  二人はこの世で再び会う事はないとわかっていた。大旦那が村に向かって歩き始めると、辰之助は大型船に乗り込んだ。このおんぼろ艦隊の指揮船である。この船から、辰之助は羊を導くのだ。啓太郎もこの船に乗って、出来る限り手伝うことになっていた。

  辰之助は、最後の準備を整えるのに忙しくしていたが、心は重かった。この先、多くの危険が待ち受けている。それらに立ち向かうだけの力量など自分にはないと感じていたのだ。遠出ということは、深い海に乗り出し、嵐や強い潮の流れに合うことになる。こんな小さな漁船が、そんな状況で安全に浮いていられる保証はない。周りを見まわして、辰之助は、不安なのは自分だけではないことがわかった。

  最後の準備が整って、出発の用意が出来ると、辰之助は皆を集めて言った。

  「これは全員に影響する重大な決断だ。いったん岸を離れたら、もう後戻りは出来ない。大変な旅になるだろうが、出なくてはならない。皆で必死で祈って、主を求めよう。成功するか否かは、主だけにかかっている。海を静めるのも、自由の地に安全に連れて行ってくれるのも、主だけにしか出来ないからだ」

  皆は忙しい手を休めて祈った。啓太郎や他の子供達でさえじっと座って、辰之助が導いて、主に完全に頼るという心からの切なる祈りを聞いていた。辰之助が祈り終わると、しばらくの沈黙があった。そして、その沈黙の間、すべての悩みがずっと遠くに思えた。皆、人知をはるかに越えた平安を感じていたのだ。だが、船に当たる波の音で、現実に引き戻された。これから、この小さな船で大海に出て行くのである。

  「イエス様は、地の果てまで行けと言われたじゃないか。一つの町で迫害されたら別の町に行けと言われただろう?」 一人が言った。他にも似たような声を聞いた者、ビジョンを見たり、節をもらった者達がそれを口にしたため、みんなの信仰が強められ、新たな希望がわいてきた。

  「もう後戻りはできんぞ。船を出せ!」 辰之助が叫んだ。

  縄が解かれて甲板にたぐりよせられ、それぞれの船が海に押し出された。そよ風はすぐに強い風になった。まるで目に見えない手がどんどん推し進めているかのように…。帆ははためき、風をいっぱいに受け、船は磁石で引き寄せられるかのように岸から離れて行った。皆が愛し、そのお返しに皆を愛し、養ってくれた土地から…。

  船に乗らなかった村人は岸から見送り、出発するキリシタン達に手を振って、激励した。辰之助は船首から前方を見た。牡鹿島までは1日もすれば着くだろう。それからは前進あるのみだ。その後のことは誰にもわからない。その時、悩める心を慰めるかのように、辰之助は預言を受けた。

  「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。悪を行う者ゆえに思い悩んではならない。高ぶる者は低くされるが、へりくだる者を救われるからだ。わたしは逆巻く波の中、あなたを守ろう。あなたがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、わたしはいつもその所であなたを愛し導く。わが霊はいつもあなたのそばにある。

  今から先の日々の幻を見せてあげよう。わたしには千年は一日のよう、夜の見張りのようである。これらの者たちは、まず身を低められねばならない。そうすれば心を開くであろう。いつの日か、わたしを信じる者がわが言葉をすべての村で宣べ伝える時が来る。福音が全世界に伝えられ、それから終わりが来るのである。あなたはわたしについて一度も耳にしたことがない新しい地へと種を携えて行く。わたしはそれを栄えさせ、成長させる。そして冬の突風を使ってはぐくむであろう」

  ちょうどその時、まるで神がその御言葉を裏付けようとしておられるかのように、辰之助はアザミの種が風に飛ばされているのを見た。辰之助の心は再び慰められた。啓太郎に着物のすそを引っ張られて、辰之助はふと我に返った。

  「ねえ、桜井の手を逃れたから、主イエス様はおいら達に何も悪いことが起こらないようにしてくれるかな?」

  啓太郎のそば立っていた年下の友達、良太も尋ねた。

  「ねえ、これからおいら達、どうなるの?」

  辰之助は二人の肩に手を置いて答えた。

  「神はここまで我々を導いて下さった。今になって放っておかれることはないさ」

  穏やかな美しい海を見つめながら、辰之助はこう続けた。

  「ほら、イエス様が語っておられる。『あなたがたはわが手の内にある』とな。『この広い海をごらん。わたしは魚たちを顧みる。あなたがたは、魚よりも尊いのだ。わたしは必ずわが子供達を助ける。』そう言っておられるよ」

  3人はしばらく波の静かな音楽に聞き入った。啓太郎は心の中でその言葉が何度も繰り返されるのを聞いた。良太は目を閉じて、イエスが自分達に語りかけている姿を想像した。辰之助は体をかがめて、幼い二人をしっかりと抱きしめ、上を見上げてこう言った。

  「恐れる事はない。天の父が必ず顧みて下さるから」

  「わかってるよ」 啓太郎が言った。そして3人は互いに微笑み合うと、満足と平安とが心にあふれた。

  一行(いっこう)はそよ風の中を進み続けた。どんどん家から離れ、西にある五島列島に向かって…。辰之助は帆の縄を持って振り返り、後ろでゆっくりと昇ってくる太陽を見つめた。ついに自由なのだ。

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  神父から手に入れたのが他のキリシタンの居場所ではなく、その地域の信心深い僧侶の名簿だと知って、桜井は激怒した。神父の願いは聞き入れられ、この世を去った。一粒の種となって地に落ちて死に、桜の花が一気に開くように、栄光ある永遠の命へと生まれ変わったのだ。だがその前に、城で大勢の者に自分の信仰を証しした。

  桜井は3日後に村へ戻ったが、もぬけの殻だった。激怒して大声を上げたものの、返事はなかった。後にキリシタンを探し出そうと試みたが、すぐに戦(いくさ)に巻き込まれ、桜井は大きな傷を負った。

 

1667年、五島列島にて

  「わっしょい、わっしょい!」 

  良太が砂丘の上から啓太郎に向かって叫んだ。啓太郎は下にある谷を走っている。良太は、天国の記章で飾られた色鮮やかな凧(たこ)を放した。啓太郎の手にある凧糸がぴんと張った。二人で注意深く作った凧の糸が、しばらくぴんと張って風に乗った!

  凧が空高く飛んでいる間、良太と啓太郎は砂丘に座って話した。

  「糸、うまくつなげたと思う?」 良太が聞く。

  「もちろんさ! 見ろよ! 鷹(たか)みたいに飛んでるじゃないか!」 啓太郎は誇らしげに答えた。

  「今年、凧上げ大会で優勝できたらいいね」

  「ああ、優勝できなくても、作ってて楽しかったさ」

  二人はしばらく笑っていたが、静かになった。二人とも物思いにふけっているようだ。

  「良太、おいらには自信がないよ」

  「何が?」

  「辰之助さんが言ったんだ。自分がいなくなった時には、おいらが指導者になるって主が言われたんだって」

  良太は少し黙っていた。目は空高く舞っている凧を再びじっと見つめている。

  「ほら、あそこの雲の中で飛んでる凧をごらんよ。竹ひごと薄い紙が集まっただけだけど、風を受けると鳥みたいに飛べるんだ。イエス様は、霊から生まれた者は風と同じだって言われた(ヨハネ3:8)から、あんちゃんが立派な指導者になるのを御霊が助けてくれるよ。」

  「そうだな。神がして下さらなくちゃ。これは神の仕事だもんな。主の子供達を導くようにおいらを召されるんなら、主が助けて下さるだろう。良太、お前にも助けを頼むよ」

  「そうさ。みんなでこの凧を飛ばすんだ」

 

現在、霊の世界で

  桜井真之条は、手に巻物を持って暗闇にひざまずいている。

  「さて、この巻物は終わりとなり、拙者の話もこれで終わりでござる。拙者ごときが憐れみを受けるに価せぬことは承知でござるが、あなたがたの祈りによって解放されたあかつきには、再びよろいと剣を手にすることを約束いたす。今度はあなたがたのために、悪の軍勢と戦うのでござる。光を消そうとする者は多く、拙者は不届き者のあくどい手口や、戦い方を心得ておりまする。ですから、どうか拙者をゆるし、あなたがたのために戦わせて下さらぬか」

  これらの言葉が語られると、啓太郎とその父、また神父、辰之助、良太が暗闇から踏み出して、桜井の方に歩み寄った。みんなまばゆく白い衣に身を包み、光輪がついていた。神父は手を伸ばして、立とうとする桜井に手を貸してやった。

  神父がまずこう語った。

  「ゆるしてあげますよ! あなたは憐れみを受けるに価しないと言いましたね。受けるに価するのなら、それは憐れみではありませんよ!」

  啓太郎は桜井の目を見つめて言った。

  「この話をすることで、あなたは自由になったんだ。神の御言葉には、こう書いてある。自分の罪を告白するなら、神は忠実で正しい方であるから、あなたがたをゆるし、すべての不義から清めて下さると」

  「それが真(まこと)なら、いかに素晴らしいことか」 桜井は希望をもってそう言った。

  「本当ですよ」 神父は、桜井にもっと近づいてこう言った。桜井は、殉教者である神父の栄光ある輝きに自らを恥じて下を向いた。

  「桜井よ、立ちなさい。そして過去という鎖や重荷から解放されるのです」

  神父の言葉によろいが外れて落ち、桜井は新しい義の衣を身にまとった。喜びで心ははずみ、一千のよろいの重みが魂から取り外されたかのようである。

  「信者のために戦いたいという願いのゆえに、歴史上最も重要なこの時に、あなたは解放されたのです。かつてなかったほどに大いなる悩みの時が、間もなく世界にやってきます。天使長ミカエルは、立ちあがって主の民のために戦うでしょう。私たちがかつてそうだったように、主の民は試され、清められます。彼らには助けが必要なのです。彼らのために戦ってくれますか?」

  「この刀にかけて誓い申す」 桜井は誓った。

  「刀は必要ないよ。この戦いの武器は肉のものじゃないからね。でも、こういった事をこれから学ばなくちゃね」 良太が説明する。

  「では、拙者は何をすればよいのでござるか?」

  「一緒においでよ。知る必要のあることを教えてあげるから」

 

神父からの最後の言葉

  「私は願いをかなえられ、霊の世界から自分の群れを助け、台風や津波や海賊、敵からの攻撃や飢饉や病といった、多くの危険から群れを守る事ができました。困難にもかかわらず、イエスと互いへの愛は育まれ、菊のように花開いたのです。実際、彼らが多くの面で強められたのは、まさにこの困難のおかげです。

  とにかく、彼らは生き延び、神の言葉とキリシタンの信仰を守りました。そう、啓太郎は再び自分の凧を飛ばす事が出来たのです。

  1800年代後半に日本が再び開国した時、私の小さな群れは数百人から何千人という人数に増えていました。五島列島の信者は他の者とほとんど連絡を取りませんでした。その方が安全だったのです。

  忘れてしまわないように、彼らは学んだ事柄をすべて編纂し、『天地事始』という聖なる本にまとめました。その本は今も存在します。私が啓太郎に教えた節はすべて、その時行動に移されました。当時は完全な聖書はなかったからです。けれどもそれらの節でさえ、人々は鏡を通して見るようにおぼろげにしか見えませんでした。今、私たちは私たちの主と顔と顔を合わせて見、真理を知っているのです。

  後に私の群れの中から、数人が北海道まで旅をし、彼らはそこで将軍の怒りから安全に守られました。そんな北国の荒地にまで入ってくる者はほとんどいなかったからです。けれども彼らの冒険は、別の機会にお話しましょう。

  さて、どうか桜井のために祈って下さい。彼が自責の念から完全に解放されるようにです。桜井は学ぶべき事をすばやく学ばねばなりません。そうすれば霊の敵と戦う皆さんを擁護し、もろもろの支配と権威と闇の世の主権者と戦うのを助けるため、皆さんの意のままになれるからです。もっと多くの魂が解き放たれ、この世のものにつながれている鎖と重荷から解放されるように、また闇の力から救い出され、イエス・キリストの王国に移されるように祈って下さい。皆さんの祈りは力強い事が出来るのです。だから祈りなさい! 私たちには皆さんの祈りが必要です。そして皆さんには私たちが必要なのです!」

 

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  1549年、スペインのイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルが宣教のために日本の鹿児島に到着した。地元の大名の保護下でキリスト教を広め始め、同様に熱心な証し人である大勢の宣教師達がザビエルの後に続いた。彼らは教会をはじめ、宣教師や神父のための学校も建てた。ポルトガル船が宣教活動を許した大名の領地に停泊することを選んだため、大名は宣教師たちを保護し、宣教活動を奨励し、より大規模な貿易ができることを望んで改宗さえした。1582年までに、日本での改宗者の数は20万人に達したと言われている。

  最初、将軍豊臣秀吉はクリスチャンの宣教活動を許していたものの、1587年になって、大名がキリスト教に改宗するには許可が必要であるとした。次に、宣教師は全員、20日以内に日本を出るよう命じた。けれども秀吉は貿易を奨励したかったため、クリスチャンに対する多くの措置を厳格に実施することはしなかった。しかし1596年、仏教徒の助言者からの圧力に負けて、26人の宣教師とクリスチャン達が捕まり、長崎に送られ、そこで処刑された。

  それにもかかわらず、キリスト教は国内の様々な地域に広まり続けた。1614年、次の将軍徳川家康は、クリスチャンの神父は全員日本を出よとの命令を出した。1637年、島原の乱では、数千人もの日本人クリスチャンを幕府軍が大量虐殺した。その後の迫害はもっと厳しくなり、1650−1870年は「暗黒の時代」として知られている。鎖国である。クリスチャン達は厳しく迫害された。様々な隠れキリシタンのグループは、幕府の監視が最も弱いへき地で生き残った。2百年以上にも渡って、彼らは自分の宗教を密かに守り、やがて迫害はなくなった。以下の物語は、そういった背景の下で起こったのである。

 

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  イエズス会は、1534年にロヨラの聖イグナチウスによって設立されたカトリックの一派で、設立後まもなく外国への宣教活動に乗り出した。聖イグナチウスの右腕とも言えるフランシスコ・ザビエル(1506-1552)が、イエズス会の他の3人と共に東方へ派遣された。彼は後にローマ・カトリック最大の宣教師の一人となった。

  イエズス会は、しばしば論争の的となり、その仕事やミニストリーにおいて教育を重視していた。教育に携わるほか、イエズス会の大半は宣教の仕事に活発にかかわった。