ヘブンズ・ライブラリー Vol.18

 子供から大人まで楽しめる

 天国の図書館からのストーリー集

 

すり切れた写真

  カーリン・ブラッドフォードは、若い小児科医です。はた目には、何不自由ない生活を送っているようでした。17歳の時に初めて出会い、二年後に学生結婚した同い年の夫のパトリックとは、周囲もうらやむ仲の良さです。郊外に家を持ち、二人とも仕事は順調で、何よりも自分の好きな仕事に専心できることに満足していました。

  でも、一つだけ、彼女にはほしくてほしくてたまらないものがあったのです。

  カーリンは、勤務先の病院で、誰よりも患者を深く思いやる、優しく親切な医師でした。とにかく子供を助けたり、面倒を見てあげたりするのが好きでたまらないのです。そのようにして人助けができる自分は、本当に恵まれているとさえ思っていました。

  それでも、時折、診察中に、心の奥が痛くなることがあります。毎日、患者の子供とその親と接していると、自分もいつか親になりたいという思いで、いたたまれなくなるのです。でも、カーリンは、何人もの医者から子供を産める体ではないと診断されていました。

  さて、12月も半ばのある日のこと。どこもかしこも華やかなクリスマスのイルミネーションが輝いているというのに、カーリンはなぜかクリスマス気分に浸ることはできませんでした。暗くなってから、近所に散歩に出ることにしました。運動にもなるし、ひんやりした外の空気にあたりたかったのです。パトリックは残業なので、きっと遅いことでしょう。

  その時です。耳をつんざくようなタイヤのきしみ音が、夜の静寂を突き破りました。

  振り向くと、20メートルほど後ろで、車がひっくり返っているではありませんか。路面が濡れて滑りやすくなっていたので、ハンドルを取られたのでしょう。カーリンは心臓が止まりそうでした。

  夢中で車に駆け寄りました。近くに住む女の人が、何事かと玄関から飛び出して来たので、カーリンは叫びました。

  「すぐに救急車を呼んで下さい! 警察も!」

  かがんで車内の様子をのぞいてみました。

  乗っている人を何とか救出する手だてはないものだろうか…。

  運転していた女性は、意識がありません。それから後部座席にもう一人、いえ、二人います。 男の子で7才か8才ぐらいでしょうか? それにチャイルドシートに赤ちゃんもいるのです。姿は見えませんが、泣き声が聞こえます。救急車が到着するまでに、10分か15分はかかるでしょう。

  カーリンの母性本能が騒ぎだしました。

  「この子たちを今すぐ助け出さないと!」

  ドアを開けようとしましたが、ロックされていて、まるで動きません。反対側も同じでした。窓ガラスを叩き割ろうと、すぐそばの家から庭石を持って来ました。やっと窓が割れた、そう安心したのもつかの間、ガソリンが漏れて自分の方に流れて来ているのに気がつきました。 母親らしき女性は、気を失っているだけなのか死んでいるのかわかりません。

  一刻も早く救出しなければ。ガソリンが引火して、火の海となるかもしれないのです。

  ロックを外し、ドアを開けると、男の子の姿が目に入りました。急いでシートベルトを外すと、すぐそばの雪の降りしきる歩道に、手早く、でも慎重に引きずり出しました。

  「あとの二人を…」と振り返ったとたん、背後からいきなり男の人がしっかりした口調で叫ぶのが聞こえ、ぎくっとしました。

  「俺が中に入って女の人と赤ん坊を何とかするから、その子をもっと遠くにやってくれ! 車はすぐぶっ飛ぶぞ!」

  カーリンは見知らぬ人間をすぐ信用するほうではありませんでした。一人が赤ちゃんを出してる間にもう一人が女の人を引きずり出さなければ、と言おうとしましたが、何故かこの人の言うとおりにしなければいけないような気がしたのです。

  そこで、男の子のほうに戻ると、大急ぎで車から離れた場所に移動させました。

  でも、ほんの4,5メートル動いた所でガソリンが引火し、車は大音響を立てて燃え始めました。

  思わず男の子の体の上におおいかぶさりながら、思いました。

  「母親と赤ちゃんは間に合わなかったのね。」

  救出に入った人も、大やけどを負ったに違いありません。

  けれどもいくら車内の様子を見ても、その女の人とその男の人の姿はないのです。

  やっとサイレンの音が聞こえ、パトカーや救急車や消防車が到着しました。遅かった…。

  「ああ、かわいそうな赤ちゃん!」

  カーリンは叫びました。

  その時、どこから出てきたのか、あの男の人が通りのすぐ向かいの歩道に、赤ちゃんを抱いて立っているではありませんか! あの女の人もその人の足元に横たわっています。

  消防士がまたたく間に火を消し、救急救命士が三人を担架に乗せて救急車に運び込みました。

  カーリンは運転席にいた救急隊員に叫びました。

  「私は医師です。 一緒に行かせて下さい!」

  そして、女の人と子供を助け出した人に声をかけようとあたりを見回しましたが、どこにもいません。でもぐずぐずしてはいられません! 救命士の処置を助けるために、急いで救急車に乗り込みました。

  男の子はショック状態で、赤ちゃんは激しく泣いていました。病院に着いたらすぐ緊急治療室で精密検査をしなければなりませんが、さいわいなことに、二人とも骨折も頭部のケガもなさそうです。でも、女の人のほうは未だに意識不明で、重体のようです。

  病院に着くやいなや、その女の人の様態を安定させようと、緊急治療チームが必死の努力を始めました。

  一方カーリンは、救命士の一人と、子供たちのところに行きました。検査の結果、多少のすり傷やあざがあるだけで、他は異常なしとわかったので、ほっと胸をなで下ろしました。

  カーリンは赤ちゃんを抱っこして、あやしてみました。青い目がとてもきれいな、かわいい女の子です。泣き疲れて静かになったかと思うと、もうすやすや眠っていました。

  赤ちゃんをベッドにやさしく寝かせると、男の子が聞いてきました。

  「先生!  何があったの?」

  カーリンはその子を見つめ、ちらっと隣の部屋を見ました。医師たちがあきらめ顔で首をふっています。

  「あなたの乗っていた車がひっくり返ったの。あなたと赤ちゃんは大丈夫だけれど…。」

  その子を見つめていると、涙がほほを伝わってこぼれ落ちました。

  男の子は隣の病室に目をやりながら言いました。

  「死にそうなの?」

  「そうなの。 あなたのお母さんの容態は、とても悪いの。お医者さん達が一生懸命ばんがっているけど…。何て言ったらいいのかしら…。」

  「あの人、ママじゃないんだ。叔母さんなんだ。パパの妹。本当のこと言うと、僕、嫌われてるんだ。僕と赤ちゃんのルーシーは足手まといだって、いつも言ってる。しょうがないから僕たちの面倒みてるんだって。叔母さんのほかに面倒みてくれる人もいないし、誰もやりたがらないからだってさ。」

  「あなた達のパパは今どこにいるの? おばさんが電話してもいい?」

  「パパ、去年ガンで死んだの」そう言って、男の子はうつむいた。

  「ご、ごめんなさいね! それでママは?」 ためらいがちに聞いてみた。

  「今、どこにいるのかわかんない。パパが死んだのがすごくショックで、何もできなくなっちゃったんだ。お酒飲んでいつも寝てる。とてもおまえ達の面倒まで見てられないって言われたの。だから、ベス叔母さんのとこにおいてもらうしかなかったんだ。」

  こみあげてくる涙もふかず、カーリンは立ち上がった。

  「疲れたでしょう。少し休むといいわ。」

  それから、ベスのベッドの方に歩いて行った。

  別の救急患者が到着したので、たまたま医師と救急救命士の二人しかいなかった。

  ベッドのそばに来ると、べスが目を開けた。今いる場所も何が起こったかもわかっているようだ。そして、自分の命はもう長くはないことも。

  カーリンを見つめると、ささやくような声で言った。

  「もう、だめ。もうすぐ死ぬのね。わたしって、いつも自分のことしか考えてなかった。もっとまともな生き方もできたのに。血を分けた兄の子供達にだって、何にもしてあげられなかった。先生! お願いがあるんです。」

  「何でも言って下さい。」

  「この子達の世話をしてくれる人を探して! 私みたいにただ、食べさして着るものを与えるだけじゃなくて、この子達を本当に愛してくれて、一緒に遊んであげて、夜はベッドに寝かせてあげて、本を読んでくれたりする人…。お願いです。約束して! 私がやってあげなかったことをしてくれる人、見つけてください。」

  「ええ、ぴったりの人がいると思うわ。」 カーリンは答えた。

  ベスは意識がもうろうとなり始めたが、最後に目を開いてこうささやいた。

  「ロ、ロバートにお礼を言わなきゃ。私とル、ルーシーを助けてくれたから。危ないところで、私たちを引っ張り出してくれたの。」

  「その人を捜しましょう。 そのロバートっていう人は…?」

  と言いかけたが、もうベスの息はなかった。

  カーリンは座って、気持ちをしずめようとした。その時、ベッドから出てきた8歳のボビーの足音が聞こえた。ボビーは、ベスのベッドのかたわらに来ると、涙でうるんだ目でカーリンをしっかり見つめて言った。

  「でもこれで、叔母さんは天国でパパと会えるね。」

  カーリンは、すでに帰宅しているパトリックに電話を入れた。極力、自分を落ち着かせて事の次第を詳しく伝えた。

  「お願い。病院まで迎えに来てくれない?」

  15分ほどで、パトリックがやって来た。

  「ねえ、クリスマスまでにうちで赤ちゃんが産まれるって言ったら、どう思う?」

  「うーん、そりゃあ願ったりかなったりと言いたいとこだが、いったいどういうことなんだ? 気は確かかい? 君はきっと疲れてるんだ。」

  「クリスマスに、家に男の子もやって来るって言ったら、どう思う?」

  「おいおい、どこの子のことを言ってるんだ?」

  「多分、私たちのね。ボビーとルーシーには、あたたかい家庭と世話をする両親が必要なの。それがベスの死ぬまぎわの願いだったの。約束したのよ。そういう人を見つけますって。それで…私たち以上にこの子達を必要とする人ってほかに思いつかないでしょう?」

  パトリックはとまどいの表情を見せたが、不意に子供の声がした。

  「僕たちをクリスマスにおばさんのおうちに連れて行ってくれるの?」

  ボビーは、二人の話をずっとベッドで聞いていたのだ。

  パトリックは、カーリンの手を握りしめた。「よし! やってみよう。」

  「君のママと連絡を取って、できるだけのことをしてみるよ。」

  翌朝、二人はボビーとルーシーの母親アンドレアを捜し出した。アンドレアは、子供たちの命を救ってくれた上、二人を預かってくれると言うカーリンに、涙を流しながら何度も感謝した。

  「あの子達の世話は、私には無理なんです。主人のロバートが死んで以来、すっかり駄目になってしまって、自分のことも何にもできなくなって。とても子供の面倒なんて…。でも、あなたがたのような、立派な方のところにおいて頂けるのなら、もうこれ以上のことはありません。私、立ち直るように努力します。明日の朝、更生センターに行くつもりです。いつの日か、またあの子たちの母になれるかもしれませんが、今のあの子たちには、あなたがたが必要なんです。」

  パトリックが言った。

  「クリスマス休暇は子供さんたちと一緒にうちで過ごしてもいいですよ。そして、年明けにまたお会いして、保護者になる手続きの打ち合わせをしましょう。」

  アンドレアは笑みを浮かべた。

  「ありがとうございます! あなたたちは、神様がおつかわしになった方です。』

  「ご主人のお名前、ロバートっておっしゃいましたか?」

  「はい。ボビー*という名前もあの人にちなんでつけたのです。でもあの人の話はしないことにしてくれませんか? お願いですから。私にはとても…ちょっと失礼します。」(*ロバートの愛称。)

  そう言うと、アンドレアはバスルームに行った。

  その時、ドアのそばで会話を聞いていたボビーが(いつもそうなのだが)、パトリックとカーリンのそばに近よって来た。

  「パパの写真、見る? ママはちっとも見てくれないけど、ぼく財布の中に入れてるんだ。」

  そう言って、一枚のすりきれた写真を取り出した。

  カーリンはその写真を見るなり、はっと息をのんだ。

  「どうしたの? 具合でも悪いのかい?」と、パトリックが聞いた。

  「あなた、ベスとルーシーを助け出した男の人の話覚えてる? 後でどうしても見つからなかった人。この写真の人よ! 父親のロバートだったのよ! あんなに素早く助け出すなんて、ふつうの人間にできることじゃないわ。でも、それだけじゃなくて、あの人はとっくに死んでいたなんて、そんなことってあるのかしら。」

  それから、眼を天に向けて、こうつぶやいた。

  「ベス、あなた、ロバートに自分でお礼を言えるわね。」

  「今度のクリスマスに、アンドレアさんもうちに呼んだらどうかな?」

  パトリックがカーリンにやさしくささやいた。

  「まあ、すてき! きっとあの人にとっても、いいことだわ。長い間ここでひとりっきりで閉じこもっていたみたいだし。」

  アンドレアは最初辞退していたが、別に支障もないし、来てもらったほうがこちらもありがたいから、ぜひ、という二人の申し入れに、そうさせて頂きますと答えた。

  一週間後、二人は、アンドレア、ボビー、ルーシーの三人を迎えての初めてのクリスマスを過ごした。その素晴らしいクリスマスは、それから毎年続いていった。

  これは愛を通してひとつになった家族である。悲しい出来事をくぐり抜けて、やさしさと思いやりによって、そして神さまの奇跡によって築きあげられた家庭なのだ。