主のみ衣のすそ

 ヴァージニア・ブラントのライフストーリー       

 「ヴァージニアのブルー・リッジ山脈で」

 

  ブルーリッジ山脈の山すそを縫って、一人の巡回牧師が福音を説きながら旅をしていました。西ヴァージニアのロンスヴァートからヴァレー・フォージ、ローノークなどを通って東海岸のオールド・ポイント・コムフォートのあたりまで、聖書にある「昔の物語」を説いていたのです。彼はヴァージニアの山地とそこに住む素朴な人々をこよなく愛していましたが、まだ若く野心家で、いつか大きな教会で大会衆に向かって説教をするという夢が実現する日を心待ちにしていました。また、著作家になり、説教の他に、本に書いたメッセージをもって人々の心をつかむようにもなりたいと思っていました。彼の名はジョン、彼もまたあの主に愛された弟子ヨハネ(英語ではジョン)のように、何よりも主に喜ばれる者となりたい、命のきわみまで主の役に立ちたいと願っていたのでした。

  行く手には、最もきびしい試練と犠牲や極度の貧しさなど、多くの障害物が立ちはだかっていました。当時、小さな町の教会の人たちがこの巡回牧師のためにできることといったら、その日その日をやっと生きのびるだけのものをあげることぐらいでした。けれども、この若い牧師には、確固たる意志と不屈の精神がありました。それは、少年時代に経験したオハイオ州の古い農場での骨の折れる作業や窮乏生活を通して、彼の心に植えつけられたものでした。その不屈の精神に加えて、心に抱く神への信仰と祈りのゆえに、数々の障害にもかかわらず、彼は自分の夢を実現するに至ったのです。今日、あの有名なアメリカの名士録をひもとき、Bの項目を入念に見ていくと、ブラントという名字に行きあたり、そこにジョン・リンカーンという名前が載っていることでしょう。*註

 

註:1933年版「アメリカのフーズ・フー」からの抜粋

 

ブラント、ジョン・リンカーン:クリスチャン(ディサイプルズ)教会の任命された牧師、講演者。牧会任地歴:デンバー、テレ・ポート、トレド、ヴァルバリン、セントルイス、ムスコギー、オクラホマ、キャシードラル・チャーチ・オブ・クライスト、オーストラリアのメルポルン。現在ロサンゼルスのノース・ファーモント・クリスチャン・チャーチの牧師、学会講師。旅行家。メーソン。著書:「主の晩餐」1888年、「人生の転機」1890年、「結婚と家庭」1892年、「虚偽と真実」1893年、「魂を救う説教」1895年、「アングロ・サクソン覇権主義」1915年、「聖書にある大きな諸問題」1926年、「キリストの発見」1939年、「キャプテン・ジャック」。宗教新聞・雑誌などの寄稿家。

 

  けれども、本書の物語に関係する部分は、この若い巡回牧師がまだブルーリッジにいた頃に始まります。すなわち、彼の家庭に女の子が生まれた時です。私がその子でした。私はウエスト・ファージニアロンスヴァートで生まれましたが、誕生当時は手の平にのるほどに小さな赤ん坊でした。今日、こうして自分の生涯について語る時も、私は自分のことを実にちっぽけな人間に感じます。けれども、私が本書を書いているのは、自分自身の人生について語るためではありません。もう一つの別な人生、主が与えて下さった、とても美しく素晴らしい人生について語るために書いているのであって、そのことを思うだけで私の心は躍ります! たぐいなき方、「人間に生命を与えるため、しかもそれを豊かに与えるために来た」と言われる方、キリストご自身が生きられた聖なる人生について語るのです。この素晴らしい栄光のキリストは、エルサレムの路上でしばしば、この世で最も貧しく最もみじめな人々のために立ち止まり、彼らに手を差しのべて慰められましたが、その彼がある日、私の家の前で立ち止まり、身をかがめて私の砕けた体に手をふれて下さったのでした。

  主なる神がこれほどに小さな者を顧みて下さるというのは、奇跡中の奇跡です! こうして低い者のところにまで身がかがめて下さるとは、何という憐れみでしょう! 神がこれほども私たちを愛して下さるということこそ、昔からの不思議です! 私たちがまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死んで下さったということも、終わることのない不思議です! このいと高く聖なる人、栄光の神から出た愛の人が、ある日、身をかがめて私の死にかかった肉体にふれ、砕かれ消え入りそうな生命を、彼の恵みの奇跡によって永遠に生きるものに造り変えて下さったのです。

  救済者こそ力ある方であり、彼の犠牲と勇気こそ、ほめたたえられ、敬われ、愛されるべきです。救済された者は、身をかがめて救済者に助けてもらった者に過ぎません。ですから、本書を読まれる方が、救済された者の名前や生涯に関心を向けるのではなく、力ある救い主に目を向け、彼の不思議な愛を知ること、それが私の願いです。すべての栄光は主の御名に!

 

         クリスマスの朝

       (24年たって)

  クリスマスの朝、病院中が見舞いの人たちで活気づき、興奮に満ちていました。人によっては帰宅の許可をもらえます。帰宅できない人たちも、クリスマスを病院で過ごさなければならない人を慰めるためにはるばるやって来た親類や友人と、喜びのあいさつを交わしていました。私も、枕を支えに体を起こしながら、クリスマスを家で過ごすために帰宅させて下さいと医者に嘆願していました。「家に帰るのは賛成できません。たとえほんの2、3日でもです。まだとても弱っていますから。あなたは危険な状態にあったのですよ。あなただけが頼りのこの小さな命のためにも、今は自分の体を大切にしなければ」と医者が言います。「でも、先生、今日はクリスマスです。病院ではちっともクリスマスの気分がしませんもの。今朝、私を帰宅させて下さるなら、ちゃんと気をつけるとお約束します。」 私がそんなふうにしきりに頼んだので、医者もついに折れて、帰宅の許可を与えてくれました。

  家、夫、クリスマスのことを考えるだけで、うれしくてたまりませんでした! 私は、多くの母親が体験した苦難の谷におりて行き、小さな生命を生んだのでした。そしてただもう、うれしさ一杯で戻ってきました。神さまが私に息子を与えられ、この私のそばに置かれた小さな温かい包みは私のもの、私はこの子を抱いて家に帰る…、家庭はこれからまったく違った場所になることでしょう。もちろん、私たちの家庭はいつも素晴らしい場所だったし、夫と私はとても幸せでしたが、赤ちゃんができた今、本当の意味で家庭らしくなるのです。近所の人たちは、クリスマスの御馳走をすっかり準備しておきますからね、と言ってくれていました。こんな幸福が現実にあり得るのでしょうか、こんなにも美しいクリスマスの朝が本当にあり得るのでしょうか。抱きかかえられて、病院の前に停めてある車に連れて行かれた時(私はまだとても弱っていて歩くのは無理でした)、こんなに美しいクリスマスの朝は初めてだと思いました。地面はふかふかとした厚い雪のマントでおおわれ、木々の美しさがいっそう際だっていました。私は、あたりを新しい希望と喜びをもって見回しました。生きているだけでも素晴らしいのに、新しい宝を与えられて、心は喜びであふれんばかりでした。しかも今日はクリスマス! 私は前から、クリスマスの日が大好きでした。ほら、もう家が見えてきます。何という嬉しいながめだったことでしょう!

  でも、神は、人とは全く異なった方法で働かれます! 「神の道は私たちの道とは異なり、神の思いは私たちの思いとは異なる。」「神は御自身の奇跡を行うために、不思議な方法で彼ご自身のわざを行われる。」「天が地よりも高いように、神の道は、私たちの道より高く、神の思いは私たちの思いよりも高い。」

  私たちの人生の小道には、いかに突然、思いがけなく、悲劇が忍び寄ることでしょうか。太陽が明るく輝いていると思ったら、次の一瞬、黒雲の背後にその顔を隠し、世界があっという間に不幸せの闇に変わることもあるのです。私の心にあふれていた素晴らしい幸福感と美しいクリスマスの朝の輝きに、突然不幸せの黒い影が差して、それはその後、何年間にもわたって、私の生活を深い苦悩の内に閉じ込めることになったのでした。

  私たちの小さな家が見え、もうすぐわが家という時に、事故が起こったのです。私の体は投げ出され、背中が道路の縁石に打ち付けられ、二箇所骨折してしまったのです。人々は一瞬ぼう然としましたが、事態の重大さに驚き、私の体をかかえてベッドに運びました。友人たちはびっくりして周りに集まり、愛する夫は心配のあまり大声を上げていました。そして何時間かたってから医師の診断が下されました。職務的な静かな口調で告げられましたが、それは私の心の一番深い部分に冷たいものを打ち込みました。その一語一語が正確に私の記憶にたたき込まれ、そのまま凍りついたかのようでした。

  「腰から下が完全に麻痺しており、何の反応も認められません。触診だけからでも脊椎が損傷しているのは明らかですが、けがの程度がどれだけかは、レントゲンにかけてみないと何とも言えません。とてもお気の毒です。手を尽くしたいのですが、あまりできることはありません。手術したとしても成功の可能性は千に一つでしょうし、しかもそれは大きな危険を伴います。とにかく、レントゲン検査の結果が出れば、もっと詳しくお話しできるでしょう。では。」  ドアが閉められ、私は狭い部屋に取り残されました。体は砕かれ、希望も砕かれ、心も砕かれ…。隣の部屋で友人たちが押し殺したような声で心配そうにささやいているのが聞こえました。夫は、何かを調達するために外出していました。親切な看護婦がかがみ込むようにして、「赤ちゃんが泣いていますが、つれて来ましょうか」と言ったので、私はただかすかにうなずきました。この時に口を開いて一言でも言おうものなら、心の中にうっ積した悲しみが激流になって流れ出て、私の傷んだ体をばらばらにしてしまったことでしょう。彼女は赤ちゃんをそっと私のわきに置いてくれました。前と同じ、抱きしめたくなるような、小さくくるまれた赤ん坊…でも、その時、私の心から喜びは失せていました。

  私は、体を静かに冷たく横たえたまま、じっと天井をみつめていました。無感覚で意識も薄れた状態で。でも、医者の診断の言葉だけは、はっきり私の耳に鳴り響いていました。おくるみが小さく動いてかすかな泣き声を上げると、それが私の心に響いて、目に涙があふれてきました。この後五年もの間、私の目にあふれ続けた涙。こうして、五年間の苦悩と、苦しみ、絶望、耐えがたいほどの痛み、孤独感、淋しさが始まったのでした。

  読者の皆さん、下の註は、とても重要なので、必ず読んで下さい。

 

註: 私はミセス・バーグの容態と手術に関して次の事実を証言したいと思います。

  すべてのレントゲン写真から、脊椎が二箇所で折れており、折れた脊椎がそれぞれ脊髄を圧迫しているのは明らかでした。私は、医師たちが折れた背骨の手術をする間ずっと手術室で立ち会いましたが、医師と外科医が全部で九人、手術に臨みました。執刀医は、この方面では腕利きとして有名なオリバー・フェイ医師でした。数人がその助手を務めました。また、滅多にない手術だったので、じっと手術を観察しているだけの人もいました。彼らは背骨のところを30センチほど切開し、脊髄をおおっている骨を20センチ近く取り除いて、その部分の脊髄をむき出しにしました。その後の数ヶ月間、彼女は絶対安静にして横たわり、脊髄をおおう軟骨組織ができるのを持たなければなりませんでした。(今日、脊髄のその20センチの部分には、それをおおう骨が全然なくて、軟骨組織によっておおわれているだけです)

  執刀医たちの素晴らしい腕と優れた医療措置のおかげで、麻痺していたミセス・ブラントの下半身は部分的に感覚を取り戻しましたが、すでに衰弱していた体は、手術のせいで最低の状態に落ち込み、手術後の回復に数ヶ月かかりました。その後、寝たきりの生活が5年続き、その間私は、他の人たちの助けを受けながら彼女の看病をしました。彼女はもともと心臓の動脈と僧帽弁が狭小(心臓弁膜症)だと言われており、そのために急性狭心症を併発し、今日の医学知識では治療不可能と宣告され、それが彼女の苦痛を倍増することになりました。私はしばしば彼女の脇に座って腕の脈拍を測りましたが、心臓は、5回のところを2、3回しか鼓動しない状態が続き、その5年間の終わりのほうには、何秒も脈拍が止まったままのこともありました。胃も正常に機能せず、腸も一部が麻痺したままの状態でした。

  飲み込む力がなかったため、かなり長期に渡って、管を通して食べ物を流し込まなければならず、肺も支障をきたし、右肺はほとんど機能していない状態でした。後頭部の小脳の基底部には大きなしこりができました。損傷で、頭を動かす妨げになり、そのせいで意識を失ったりしたものです。体力が低下するにつれて、その問題も悪化し、ついには頭を全く動かせないほどになりました。歯ぐき全体が歯槽のう漏になって、膨れ上がって炎症をおこし、歯はほとんど全部ゆるんでしまいました。彼女は、わずかな例外を除いて固形物はほとんど取れず、薄めた流動食を管を通して取り入れるだけでした。

  病床について5年目には左半身が完全に麻痺し、視力も急速に衰え、ただ興奮剤の力で生きているだけでした。5年以上も、望みのない無力な患者として横たわっていた彼女は、体重も約35キロしかなくなり、やせ衰え、頬はこけ落ちていました。その頃には、ほとんど四六時中、意識のない状態で、それでも痛みは激しく、医者もさじを投げ、後はただ死を待つだけかのように思われました。彼女は、しばらくでも背中の痛みを和らげるために寝返りを打たせてもらうこともできませんでした。ちょっとでも横向きにすると、すぐに心臓の鼓動が弱まり、いつ停止するかわからない状態になるからです。一度、危険をおかした時には、実際に心臓が止まってしまったこともあったのです。 

 

  私は、心臓病のすぐれた専門家を求めて、担架に乗せたままの彼女をバトル・クリーク・サトナリウムへ、さらにはミズリー州のセントルイスへ連れて行きました。その後も、やはり担架に乗せたままテキサス州のコプス・クリスティーへ、さらにはカリフォルニア州のサンフランシスコへも連れて行きましたが、彼女の容態は悪化する一方で、医師たちも、もう手のほどこしようがなく、誰に見せても無駄だと言われました。せめて後はおだやかに死を迎えさせてやるために、どこか静かな所に移してやることに決めました。

  私は当時、カリフォルニア州のユカイアのファースト・クリスチャン・チャーチの牧師を務めていましたので、その牧師館で私たちは彼女との最後の時を共に過ごすことにしました。私たちが最初ユカイアに到着した時には、容態が少し良くなりかけ、この分なら健康を回復できるのではないかと、かすかな望みをいだいたものでしたが、それもつかの間、彼女の容態は急に前以上に悪化しました。医者たちは皆、彼女がそこまで持ちこたえたのさえ奇跡であって、後はただ時間の問題だと言いました。彼らはその5年間、最善の医療処置を与え続けてくれましたが、ミセス・バーグの場合はもう医学の限界を越えたところにきてしまっていると、私に告げざるを得ませんでした。もうどんな人間の処置も彼女を救うことはできない、と。彼らは皆、良い人達で、彼女のために出来る限りのことをしてくれたことをとても感謝していますが、彼らが、回復の見込みはなく、もう人力の及ぶところではないと言った時、私たちは彼女をより高いレベルの方のところへ携えて行き、「神には不可能はない」こと、また「人間の窮地は神の機会である」ことを知ったのでした。

  私は彼女が手術を受け、その後長い期間、生死の間をさまよっていた時、終始、一番身近な所で彼女を見守っていたので、これらの事実を証言し、ミセス・バーグに起こったこと(彼女が本書で語ること)はすべて真実であり、一点の疑いもなく奇跡であったと言うことができます。

  本書を読まれる皆さんを神が豊かに祝福し、皆さんの信仰を強め、神に対する愛をいっそう深めて下さいますように! 「一夜のうちに、死の床から講壇に」というのも、神の御力にとっては何でもないことです。神は皆さんのためにさらに力あるわざを行うことができます。エレミヤ書33章3節では、「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す」と約束されています。あなたの信仰どおり、あなたの身になりますように。

    H.E.バーグ(バージニア・ブラント・バーグの夫)

 

記憶 

  果てしなく長く思われた、ものうい年月を、私はただ記憶と共に過ごしていました。ある日突然、記憶の棚から取り出すものだけが、唯一の友、そして慰めの源になる日が訪れるなど、誰が予想できることでしょう。私は、時には一度に何時間も何時間も一人で過ごすことになり、自分の思考だけが友となりました。目が見えないので読むこともできず、衰弱していて話すこともできず、いつも死とすれすれのところをさまよっており、健康な人との共通点はほとんどありませんでした。文字通り、自分の記憶の世界に閉じ込められていたのです。

  少女の頃、父は、私たち子供に、毎週、何かを暗記させていました。暗記をしておくならそれがとても役に立つと心から信じていた父は、私たち子供の頭を立派な倉庫にしようと最善を尽くしました。過去にあったことはすでに存在せず、それは単なる記憶に過ぎないと考える人がいますが、病床にあった私は、記憶は生きていて、長年の間、来る日も来る日も、ただ記憶と共に生きていかなければならないことを発見しました。いつか、記憶だけが自分の人生の伴侶になる時が来ると知っていたならば、私の人生はどれほど異なっていたことでしょう!

  父の教えで、私は数々の聖書の言葉を記憶に蓄えていましたが、それは素晴らしい祝福であり、後に人生の転機をもたらすことになりました。でもこの時にはまだ、私の人生は大きな不信仰の影に曇らされていたので、そうした聖書の言葉は私にとって何の意味もなしませんでした。後になって私は、神の言葉による慰めや、神の約束への信仰を見いだし、神の存在に気づくようになりましたが、恐れにさいなまれていた日々にそれらのものを知らなかったのは、悲劇としか言いようがありません。私の人生は空しさばかりの底知れぬ深淵のようで、私の魂はまるで抜け殻でした。そこにあるのはただ、満たされぬ願望ばかりでした。肉体が壊れていただけでなく、信仰も壊され、希望もなく、神もない状態だったのです。

  ここで皆さんに、私の記憶をたどってもらいたいと思います。そうすれば、神がどうして私をこのように扱われたのか、もっと理解してもらえることでしょう。正直言って、私が持っていた宗教は、「親譲りの宗教」に過ぎず、ちょうど親の性格を幾らか譲り受けたように、宗教も譲り受けたのですが、家財を受け継いで宝のようにしまっていても、実際に使うことは決してないのと同じで、この親譲りの宗教も使うことはありませんでした。

  私は牧師の娘で、教会のひざもとで生まれ、教会のこと、つまり教会の礼拝、会衆、教え以外のことは知らないままに育ちました。6才ぐらいの時、「どこで生まれたの」と聞かれて、「もちろん教会よ」と答えたものです。それ以外のどんな答があったでしょう。私は信仰リバイバル(復興)運動の最中に生まれ、幼い頃のほとんどを教会への行き来で過ごしたのです。牧師だった父と敬けんな母は常に家庭礼拝をしており、物心ついてからというもの、聖書がいつも部屋に置いてあるのは当たり前のことでした。ですから、9才の時、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる人は前に出さないと言われた時、私はごく自然に他の人たちと一緒に教会の通路を通って前に進み出、父の手をとって尋ねられた質問に全部答え、教会の一員になったのです。

  その日以来、私は教会の様々なグループの一員として働き、日曜学校、クリスチャン・エンデヴァー、ミシシッピ川流域の開拓伝道などに参加しました。少女の頃から若い娘の頃に至るまで、私は祈りと伝道に励み、自分がキリスト教信者で、活動的な教会員であることを実証しました。私は確かにとても宗教的な人間でした。でも、この世界の他の宗教の信者にも、宗教的な人たちは沢山います。私は活動的な教会員でしたが、私の知っている、神を神とも思わないような人たちの一部もやはり活動的な教会員です。また、私は確かに祈ったし、自分の知っている祈り方で常に祈っていたものですが、祈りへの答を期待することはありませんでした。そして、イエス・キリストとの直接のつながりもありませんでした。イエス・キリストについては知っていましたが、直接、彼を知っているわけではなく、イエスとの個人的なつながりはなかったのです。彼は遠い存在で、沈黙の人であり、どちらかというと厳しくて、思いやりがなく、私が何か悪いことをした時以外は、何の関心も払ってくれない人、そして何か悪いことをすると、とても怒る人、というイメージでした。(そして私はたいていの時は、イエスが自分に怒っているように感じていました。) 正直言って、彼は大いなる裁判官で、私の罪の故に怒っていたので、いつも私から顔をそむけ、私とはあまりかかわりたくないと思っているように感じていたのです。私がそう考えたのは、父の教えとも、母のしつけとも全く関係ありませんでした。私はとても強情で、独立心が強くて、自分の道を行くことしか考えず、神や他の人に耳を傾けることなど思いもしなかったのでした。また確実に、私は新しく生まれてはいなかったので、キリスト・イエスにあって「新しく造られた者」になる時に「古いものは過ぎ去った」という聖書の言葉は、私には当てはまらなかったのです。私は、教会員になった時、自分の人生をイエス・キリストと結び合わせることなど考えておらず、単に一つの宗派の組織に加わっただけでした。何の改心も経験せず、洗礼を受けても、乾いた罪びとが水にぬれた罪びとになって出てきただけでした! まさに、聖書にある「信心深い様子をしながら、その実を捨てる者」だったのです。(テモテへの第二の手紙3章5節)

  年を重ねると共に、私の宗教は、外見は完ぺきだったものの、何の力もありませんでした。イエスはパリサイ人たちに言われました。「あなたがたは皿の外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている」(マタイによる福音書23章25節)。私の宗教生活は、教会に行き、祈りの会に出席し、皆に証しをし、歌い、ほどこしをするなど、見かけは全く模範的でしたが、内面的には、イエスが言われた皿と同様、少しも変わってはいませんでした。私は幼年時代から人々をよく観察したものですが、教会員たちから得たクリスチャン像は、全く助けになりませんでした。教会育ちとも言える私は、いわゆる名目上のクリスチャンと近く接する機会も多く、不運なことに、そうしたクリスチャンの表向きの良い顔だけでなく、醜い実態までもしっかり見てきました。両親の知らない所で、私が初めてダンスを覚えたのも、クリスチャン・エンデヴァーの会合の後で仲間の一人の家に呼ばれた時のことでしたし、私に最初にポーカーなどのゲームを教えたのも、有名な職に就いていた、自称クリスチャンの婦人でした。この種の例はまだいくらでも挙げることができます。要するに、私は「名目上のクリスチャン」ばかり見てきたということです。「名目上」とは、「名ばかり」ということですが、聖書には、「生きているというのは名だけで、実は死んでいる」とあります。(ヨハネの黙示録3章1節) 母は、クリスチャンがこれこれのことをするのは間違っていると教えたものですが、私はある日、母に向かって、そんな考え方は間違っていると言いました。私がとても尊敬していた多くの教会員が、母がクリスチャンとしてすべきでないと教えてきたことをするのを見てきたので、私がそういう結論に達したのも無理はありません。残念なことに私は、キリスト教と教会教の違い、「名目上の」クリスチャンと真のクリスチャンの違い、「自称」クリスチャンと、実際にイエスを心の内に持つクリスチャンの違い、歴史上のキリストと、今なお生きている、個人的な救い主との違いを知りませんでした。今日、教会はそのように分かれています。ただイエスについて知っている人と、真にイエスを知っている人の二つです。イエスは言われました、「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいのか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(ヨハネの黙示録3章15節) そんな状態だった私は、母が死ぬと憤りを抱きました。母を取り去り、家庭の幸福を奪った神を憎むほどでした。こうした事は誰にも話さず、自分の心の内に秘めていましたが、はけ口がないために、そうした思いは消えることなく、心の深い傷となっていました。

 

            遠い国、そして放らつ

  母が死んでまもなく、私は家を出てアメリカ南部へと旅しました。テキサス州アントニオの世俗的な友人を訪ねた時、私は自らを俗世間のうずの中に投げ込み、世間のいわゆる「楽しみ」の内に、自分の空虚な心を満たすものを見いだそうとしました。別に不道徳なことをしたわけではないものの、「放らつ」な生活に変わりはありませんでした。そして、ちょうど聖書に出てくる放蕩息子が「遠い国」へ行って好き放題をした時と同じように、私にとってもすべてが無に終わり、結局は、そのような生活に飽き飽きし、すっかり興味を失ったのでした。その時の心境は、次のイラ・ホィーラー・ウィルコックスの詩の言葉のようです。

  

 私は幸福への道を見失ってしまった

  誰かその道を知る人はいないだろうか

 私は毎朝の目覚めが心地よいところに住んでいた

  なのに、いつしか私はさまよい出てしまった

 

 私は珍しい歓楽の泉を見つけたと思い

  それを追い求めた。でも…

 私は幸福への道を見失い

  どこへ行ったらいいのかわからなくなってしまった

 

  ダンスにも飽き、劇場も退屈でしかなく、大勢でトランプをしながら、むだ口をきくのにもすっかり嫌気が差したので、心の内に神に対する憤りを抱き、しかも自分のそうした生き方にも不満を抱き、変化を求めていました。何でもいい、自分を満足させてくれるものがほしい、と思ったのです。永久に放らつな生活を続けることはできなかったのです。ああ、もし私があの時、人の心を満足させのは神だけだということを知ってさえいたなら…。土から造られた肉体は土によって養われるが、直接に神の息から来た魂は、神ご自身によってしか満たされないということを知ってさえいたなら!

  この自分の生活に対する嫌悪感が高じて、ある晩、私は大きな決断を下すことにしました。その決断をした動機、そこにたどりつくまでの過程について書くだけでも一冊の本になるほどですが、本書に関連したことに限って言えば、そうした自暴自棄な生活をやめて、何かに熱中したいとはっきり決意したのでした。あの単調で空虚な生き方には耐えられず、嫌悪感を覚えたのです。その頃はまだ、すべてを満たしてくれる救い主キリストを知りませんでしたが、とにかく、そうした空虚な生活、放らつには耐えられなかったので、投げやりな生活をするのをやめて、何か人の役に立つこと、博愛事業のようなものに人生を捧げたいと思ったのでした。社会奉仕事業についてはよく聞いており、それが私の心をとらえました。(すぐに、そうした社会奉仕をするには、どこでどのような訓練を受けたらいいかを調べることに決めました。)

 

 

         大学生活

  私はある有名な大学に入り、積極的に学業に取り組みました。誰に言われるまでもなく、進んで勉強に没頭したのです。私は父と違って、生まれ付きの秀才ではありませんでしたが、読書好きだったので、勉強は苦になりませんでした。そしてここで挙げておかなければならないのは、私の性格に一つの得がたいものが植えつけられていたということです。私は、子供の頃から厳しく教えられ、親からの素晴らしい影響の結果、高い理想を抱いていたのでした。また、他の人たちに奉仕したいという、強い無私の願いがありました。それをどこでどのような方法でするかはわかりませんでしたが、自分の生涯を何か良い目的に捧げたいと固く決心していました。それは必ずしも、キリストあるいは彼の栄光のための奉仕という積極的なものではありませんでしたが、ただ、人々の苦しみを軽くする助けとなりたかったのです。この目標に向かって、私は努力し、勉強し、訓練を受け、犠牲を払いました。私は最初から非常に有利な立場にありました。私にはすでに多くの点で恵まれていたからです。父は何百冊という本が収められた立派な書庫を持っていて、私は家庭で優れた教育を受けることができました。15才になる前ですら、かなりの教育をほどこされていました。それに旅行からも学びました。18才になる前には、すでに何度も全ヨーロッパを旅行して回っており、さらには、優れた人々とのつき合いもありました。それらの人達に会ったというだけでなく、避暑地や、外国、父の家で出会った立派で気高い人たちと、個人的に知り合うことができました。その内の多くは、父が講演旅行などで方々を回る際に同行した時に会った人たちです。ここで私の過去の生活にふれているのは、それが後年になって私の理想と願望を形作る上で、大いに関係があるからです。

  大学時代はあっという間に過ぎて行きました。私は二つの大学で勉強しましたが、本書に出てくるのは、その内、一つの大学だけです。

 

               今日の近代主義

  大学で、私はある教授の講義に深く興味を持ちましたが、この教授は近代主義者でした。近代主義とは一体、何でしょう。ある人はこう言っています。「近代主義とは、新しい衣装を付けた不貞である。ただひげをそり、髪を刈っただけの不可知論である。」 私は、A・P・グーシー博士の「イエス・キリストは人であったか、それとも神であったか?」という本が、近代主義の意味を一番良く定義し、描写し、また暴露していると思います。その一部をここに引用しましょう。「近代主義は新しい主知主義の産物であるふりをしているが、実際は、古い時代から繰り返し提起されてきた陳腐な議論のむし返しであり、使徒たちの時代から今日に至るまで、そのつど、キリスト教信仰の弁議者たちによってうち負かされてきたものである。それは高等批評と呼ばれているが、つまるところ、それは非常に程度の低い下層批評に過ぎない。なぜなら、それはたいがい、何の前提もない議論であり、科学の名の下に、実は哲学的空論を提起しただけで、救済者キリストを抜きにしたキリスト教を公言し、聖書は単に時代遅れの書であって、論理や科学の試練に耐え得ないものとし、ついに最終的には、ほとんど二千年にわたるキリスト教信者の経験という、今まで蓄積されてきた証拠を完全に無視した暴論である。」

  私はこの大学で、他の色々な科目と共に聖書も専攻していましたが、この教授が教えていたのは聖書だけでした。まさに、聖書だけを専門としていたのです。私は毎日この教授の講義を受けながら、自分でも全く気づかない内に、それまで待っていたわずかな信仰ですら、徐々にむしばまれていきました。それまでは聖書の話は真実として教えられてきましたが、それも単なる比喩に過ぎないと教えられました。私が事実として教わった数々の聖書の章も、この教授にかかると、次々と神話になっていくのでした。あるいは単なる伝説に過ぎないと。聖書に書かれている多くの約束は今日では通用せず、キリストが行った奇跡というものも、様々な自然の法則に通じている人なら誰でも行えることであったと。

  聖書の真実性と、聖書が神の霊感を受けた人によって書かれてということ、キリストの神性および彼の奇跡などに対する私の小さな信仰は、急速にそして確実にくずれていきました。クラスに一人、友達づきあいをしていた学生がいましたが、彼はこの「新しい考え方」に関してはるかに先を行っており、この新しい神学と彼が考えていたものを、繰り返し私に説明したのでした。彼はその教授よりももっと率直な話し方をしました。教授は、自身の近代主義におおいをかけ、遠回しに語っていたのです。「さて、諸君、私は諸君に問題の両面を示してきた。あれは古い神学であり、これは新しい神学である。あれは古い物の考え方であり、これは新しい物の考え方である。講義では、諸君にその両方を提示するのが最善であると思う」と。でも、教授がそのどちらを信じているかは明白でした。彼は、単なる批評家ではなく、言葉巧みに信仰を破壊する批評家だったのです。

  この新しい神学、いわゆる近代主義とは、いったい何なのでしょう。

  聖書は、何の間違いもなく与えられた神の啓示ではなく、啓示などではあり得ない。聖書とは、単なる伝説、神話、人が作った教え、作り話などの寄せ集めに過ぎない。

  人間は、神の姿に似せて造られ、神の息を吹き込まれて生きたものになったという従来の解釈は嘘で、人間は単に不完全な動物に過ぎない。

  イエス・キリストに神性はなく、また聖書が語っている聖母受胎も真実ではなく、彼は、どんな人間も神性を有するという意味においてのみ、神性を有する。彼も同様に不完全な人間だったからである。

  神の子が人間として生まれたということは否定されている。もしイエス・キリストが今日の世界に生きておれば、彼自ら、自分の考えを変えただろう。

  聖書の預言は、御霊に霊感された人によって書かれたのではなく、黙示的な空想に過ぎない。

  罪は反抗ではなく、ほんのちょっとした過ちであり、むしろ、人の目を覚まさせてくれるものだ。

  すべては推測である。絶対的な真理というものは何一つない。結局のところ、真理を突き止めるというのは不可能だからだ。

  したがって、人間とは闇の中を模索する動物である。私たちが崇めるべき、神によって立てられた先祖など存在せず、将来への確かな確信もない。また、現在についても、拠り所となる保証など何もない。

 

  私が教わった新しい神学、近代主義というのは、簡単にまとめると以上のようなものでした。

 

 

                捨てられた聖書

  ある信心深い年老いた長老について、このような話があります。この長老は、牧師が引退するにあたって、その送別会の席で、ていねいに包装した包みを彼に手渡しながら、こう言いました。「多分これは、今まで受け取ったどんな餞別とも少し違っているでしょうね。」 好奇心にかられた牧師は、すぐさまその包みを開けてみたのですが、中にあったのは、中味をすっかり取ってしまった、聖書の色あせた表紙だけでした。この牧師はうろたえてこう尋ねました。「何かの間違いではないですか。これが贈物ですか。どういうことでしょう。」 それに対して、長老はこう答えました。「いいえ、間違いではありません。あなたが私に残してくれたのは、これだけだったのです。それで、残った表紙も差し上げてしまおうと思いまして。あなたが何かについて、これは今日は通用しないと言うたびに、私はその部分を破って捨てました。また、これは神話だとか、これはたとえ話、これは誤った解釈などと指摘した箇所や、それに関連した箇所も全部破って捨てました。それで残ったのがこれです。中味はあなたが全部取り去ってしまいました。ですから、どうせなら表紙も差し上げた方がいいだろうと考えまして。」 私も、大学を卒業した時には、聖書についてこれと全く同じように感じていました。まるで昨日のことのように覚えています。寮の小さな部屋いっぱいに持物を広げて、荷造りしていた時のことを。学校が終わり、寮を出る準備をしていた私は、持って行けない物を捨てていったのですが、こんな思いが一瞬頭をよぎりました。「あの聖書も捨ててしまった方がいいんじゃないかしら。聖書が神の霊感によって書かれたという信仰ももう持っていないし、聖書は『神の言葉』でもない。あの長老と同じように、残っているのは表紙だけなのだから。」 私は実際に聖書を捨てはしませんでしたが、心の中ではそれを捨てていました。けれども、私はなお、聖書が世界に与えられた最高の倫理体系であり、イエス・キリストは歴史上で最も偉大な教師であると信じていました。プラトー、アリストテレス、ソクラテス、ディオゲネス、釈迦、孔子などの教えも学びましたが、イエス・キリストの教えが、他の誰の教えよりもはるかにすぐれていることは明らかでした。だから聖書の絶対的確実性に対する信仰は跡形もなく消え去ったにもかかわらず、私は前と変わらず聖書のページを入念にめくってはその中身を学び、偉大な原理を自分の生活の規範とし、道徳の基本とするように努めたのです。私は不可知論者と少しも異なるところがありませんでした。私にとって宗教は外面的な形式だけで、祈りは宗教的な幻想であって、祈る人に潜在意識的な効果を与えるだけだと考えていましたから。

  当時の私は、よくたとえ話で聞いた探鉱者に非常に似ていました。この探鉱者がアラスカでキャンプファイアーのそばに座っていた時、仲間連中がにわかにこう尋ねました。「おい、ジム、もし運よく金鉱を探し当てたら、アメリカ本土に戻って一番初めに何をしたいと思うかね?」 ジムは答えました。「そうだな、きっとおいしい新鮮な食料を買うだろうな。新鮮な野菜と新鮮な肉を。缶詰の豆やいわしには飽き飽きした。もう見るのもいやだ。」 するととうとう、その日がやって来たのです。ジムは金鉱を探し当て、お金ががっぽり入ってきました。サンフランシスコに着いたジムはすぐに有名なレストランに行きました。ウェイターがメニューを持って来ると、ジムは思わず目をほころばせ、こう言いました。「クランベリーソースをかけた七面鳥。それに、付け合わせも全部頼む。」 すると、ウェイターは咳ばらいをしながらこう言いました。「申し訳ありませんが、七面鳥とクランベリーソースは切らしてしまいまして。今日は思いがけないお客様が沢山あったものですから、何か他のものでは?」 ジムはまたメニューにさっと目を通して言いました。「それじゃあ、鳥肉入りのすいとんでいいよ。かえって家庭的でよかろう。」 するとウェイターはまた咳ばらいをしながらこう答えました。「まことに申し訳ありません。実は団体客が幾組もフェリー乗り場に行く途中でお立ち寄りになって、鶏肉入りのすいとんも切らしてしまったのです。何か他のものではどうでしょう。」 今度はさすがのジムも、少し渋面になりました。「わかったよ。じゃあ柔らかいステーキをくれ。肉の上に玉ねぎをたっぷり乗せて。それでいいだろう。」 ウェイターは、今度はすっかり当惑してこう言いました。「まことに残念です。お客様、ごらん下さい。あそこにいるあの太った旅行者の方、あの方が最後のステーキをいま召し上がったところです。申し訳ありません。」「それでは、一体何があるんだ?」 ジムは少しむっとして尋ねました。「缶詰なら色々ありますから、御希望のものをお聞きいたしましょう。」 ウェイターはそう答えました。「缶詰なんかいらん。」 ジムはさっと立ち上がって帽子をわしづかみにし、出口の方に向かいました。そして、缶詰以外なら何でもいい、何か別のものを食べさせてくれる店を探しに行ったのでした。

 

  私はジムと同じ気持ちです。多くの牧師がこの話をよく引合いに出しますが、このたとえは、まるで私のために書かれたかのように、私自身の経験にぴったり合うのです。あの教授は、私の飢えた魂に向かって、新しく生まれ変わるということに関しては七面鳥もクランベリーソースももうない、と告げました。純然たる生まれ変わりの経験? それはもう、とうの昔に全部食べ尽くしてしまった。聖霊によるバプテスマで天から力が授けられる、だって? それもとうの昔に弟子たちが皆食べてしまった、と。だから、私の飢えた魂を満足させてくれる鳥肉入りのすいとんも、全然残っていません。そして、キリストのいやしの力? あれはキリストの伝道活動に人を集める手段に過ぎない。そんなおいしいステーキは初期の弟子たちがすっかり食べてしまったから、肉汁だって少しも残ってはいない。キリスト自身? 彼は今日では昔と違うということを理解すべきで、今日のキリストはもはや奇跡の人ではなく、彼が当時開いたごうせいな祝宴から残っているのは、もっぱら缶詰製品だけなのだ、と。合理主義、型式主義、近代主義などといったラベルが貼られた缶詰製品だけ。キリストの驚くべき力の現れや、人間をすっかり造り変える超自然的な経験、真の力、聖霊の火などに関して言えば、神の食料貯蔵室の棚は、すっかり空になっているのです。私たちが缶詰製品に見向きもしたくなくなっても、なんら不思議はありません。それは私たちの魂をだめにし、混乱させたので、もうそんなものは欲しくなくなったのです。私たちを満足させ得るものは、本物の食べ物だけです。缶にどんなにきれいなラベルが張ってあろうとも、私たちはそんなものには引かれません。ただ純粋なものだけが、私たちの魂を満足させてくれるのです。

 

            イエスのいない教会

·                  当時は、すべてのことが私に都合悪くできていて、大学で教わることは徹底的に学ばなければなりませんでした。

·                   私は湖水地方の教会に出席していたのですが、友人の多くは何年も前からそこの教会員をしていました。その荘厳な建物の雰囲気は、冷たいとか形式的だとかいう表現ではとても言い表せません。万事が申し分なく適宜に、秩序正しく行われていましたが、そこには神の温かさとか力とかいうものはひとかけらもありませんでした。洗練された雰囲気はありましたが、霊がありません。教育的ではありましたが、魂を霊感し、高めるものではありませんでした。牧師は非常に迫力ある演説をする人で、とても雄弁で壮大なものでした。ところが、それを聞く人々の気持ちを表すには、ある老婦人の、こんな言葉に最もよく表現されるでしょう。この婦人は、牧師の説教があまりにも知的で高度なあまり、さっぱり理解できなかったので、とうとうたまらなくなって、こう叫び出しました。「先生、どうか、あなたのおいしいクッキーを下の棚に置いて下さい。」 私はこうした知的な演説を絶えず聞き続けたのですが、それは昔ながらの本当の宗教や、生きたキリストとは全くかけ離れたものでした。この教会は、たとえ話に出てくる教会にとても似ています。ある年老いた黒人は、教会の会員にしてもらおうと何ヶ月も待っていました。牧師は、彼が教会員になることは望みませんでしたが、彼の心を傷つけるのもいやでした。それで、のばしのばしにしていたのですが、とうとう、その老人もだんだん何か変だと思うようになりました。そしてついに、自分は教会員として望まれていないと気づいたのです。先回牧師に会った時、そのことについてよく祈っておくようにと言われていたので、ある日、彼は牧師に電話をかけて、こう言いました。

「先生、あなたの教会の会員にしていただく件についてですがね。もう結構ですよ。」 それを聞いて、牧師はこう尋ねました。「それでは、そのことについて祈ったんですね、サム。」「はい、祈りましたよ。すると、主が私にこう言われたのです。『サムよ、教会に入れてもらえないことを気にする必要はないよ。わたしももう20年もの間、何とかして入ろうとしているのだが、まだうまくいっていないのだから。』」 私たちはこのたとえ話に思わず苦笑してしまいますが、事実、何年もの間、毎週教会に出席していながら、一度もイエス・キリストに会うことができないというのは、何と悲惨なことでしょう。そういうことから考えると、一人の女性が飢えた貧しい心を抱いたまま、ある日、「近代的」な牧師の机の上に、聖書のこんな一節を書いた紙切れを置いて立ち去ったというのもうなずけるでしょう。「誰かが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです。」 この牧師は「缶詰製品」をこの上なく見事に調理しました。でも、それを聞く人々は、一点の非の打ち所もない演説を聞いて知的に啓発されたと感じることはあっても、心は前以上に飢え渇き、虚しさでいっぱいになっていたのです。

  この影響の下で、私の憐れな傷んだ心は前以上に冷え切っていました。そうした形式主義、主知主義、近代主義によって、文字通り凍ってしまったのです。いつかまた教会に行って、ある黒人の老婦人が次のように言った言葉が、教会の事情をよく言い表しているかどうかを見てみたいものです。この婦人はマーサといって、その町では一番のアイスクリームを作る人でした。教会の集まりやバザー、慈善のための催し物がある時には、いつもマーサおばさんがアイスクリームを作っていました。彼女ほど上手に作れる人は、誰もいなかったからです。ある日の午後、近所に住む上流階級の婦人から電話をもらって、マーサおばさんの心は高鳴りました。彼女は玄関の揺り椅子に腰掛け、婦人たちの思いがけない訪問に喜びながら、ほほえみをたたえて客をもてなしました。ところが、そうした喜びは、突然疑惑に変わったのです。婦人たちが訪問して来た本当の理由がわかったのでした。一行は、彼女に会うために来たのではなく、アイスクリームの作り方を知りたかったのです。一団を代表して、ある婦人がこう言いました。「マーサ、こんど教会の親睦会があるので、あなたにアイスクリームの作り方を教えてほしいの。この町中であなたほど上手にアイスクリームを作れる人はいないんですもの。」 マーサおばさんはがっかりして、こう答えました。「そうですか。よろしい、皆さんにあたしのクリームの作り方をお教えしましょう。ただ卵と砂糖とクリームとバニラエッセンスを器に入れて、アイスクリームメーカーに入れてかき回し、ふたをするんです。それから夕方になったら、アイスクリームメーカーごと肩にかついで、あんたたちの教会に運んで、朝までそこに置いとくんですよ。すると、朝に行った時にゃ、他のどこにおいておくよりも見事に 『凍って』いるってわけですよ。」 この哀れな老女の言葉は、あの冷たい形式的な教会への私の反応を的確に言い表しています。「あなたがたは生きているというのは名前だけで、実は死んでいる」という聖書の節は、何と真実なのでしょう。

  確かに、当時、温かみと力と聖霊の火を持っていた教会もありました。どの教派であっても、キリストが崇あがめられ人々の心が祝福され、人々が新しく生まれ変わっている教会はあるものです。でも、もし私がその頃そうした真の教会を見つけていたなら、多分このような本は書かれなかったことでしょう。

 

  これを言うのは恥ずかしいことですが、私はそうした状態でありながら、当時アメリカ政府が公認していた国内最大の伝道組織に参加し、国内伝道部の幹部として仕事をしていました。州から州へと旅行して回っては委員会を組織し、いろいろな会合で講演をし、ほとんど毎週日曜日にはどこかの教会の朝の礼拝で説教をしていたのです。そのような時、私は自分の倫理体系である聖書を使いましたが、今日の不可知論者と同じく、聖書の基本的な真理はもはや信じてはいませんでした。聖書にある数々の約束は私には無緑なものであり、今日の近代主義者たちと同様に、そうした約束が生きた現実のものであるとは信じていなかったのです。説教壇に立った不可知論者ですって? でもそれは今日ではむしろ普通のことではありませんか。その当時は、人は教会の外から聖書に泥を投げ付けました。でも今日では、破壊的な批評家たちが説教壇に立ち、最も神聖な教えと聖書の根本的な教義に泥を投げ付けています。実に私たちは、今、聖書の中でこのように言われている時代に住んでいるのです。「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集める時が来るであろう。」 また、こんな節もあります。「彼らは、その口をもって大言を吐き、利のために人にへつらう者である」 ユダの手紙1:16。

 

                  ロマンス

  先に述べた仕事に従事していた時、私はネバダ州のリノに駐在していたことがありましたが、そこで私の夫のバーグと出会い、彼は後になって、私の生涯でも最も驚くべき経験において非常に大きな役割を果たすことになりました。リノでの仕事を終えた私は、ユタ州のオグデンに行き、そこでやりかけの仕事を終える予定でした。私はその後すぐ東部に行くことになっていたので、バーグは急いでオグデンにかけつけ、そこの小さいメソジスト教会で、水曜日の夜の集会が終わった後で結婚しました。バーグは声の美しい歌手で、結婚して間もなく、父が私たちを伝道旅行に同行するように招待してくれ、バーグはその音楽を担当することになりました。バーグが伝道者になることを決心したのは、そうした信仰復興の時期において、私の父の説教を聞いたからでした。彼はそもそも、幼い頃から神の言葉に誠実な信仰を持っており、しっかりしたキリスト教の背景があることから、イエス・キリストが救い主であるという揺るがぬ信仰を一生涯持ち続けていました。夫は私と結婚した時、私がどういう宗教上の信念を持っていたかを知りませんでした。ですから、私が心の中に抱いていた不信仰など、夢にも想像できなかったのです。事実、私は、それほどの強い疑惑が心に入り込み、私自身の一部となり、私の人生観を根底から変えていたことを誰にも話したことがありませんでした。

  今では、そうした不信仰を口に出さなかったことを喜んでいます。私はそれらしいことを匂わせるようなことをして誰かを傷つけたことは一度もありませんでした。それは父のおかげであり、私はそのことを感謝しています。父はよく私にこのように言い聞かせていたものです。(その正確な言葉ははっきりと覚えていませんが)、「疑いを抱いたら、それは自分の内にとどめておきなさい。決して他の誰にとってもつまずきの石となってはいけない。誰かのつまずきの石となってその人を滅ぼすよりは、自分が地獄に落ちた方がましだ」と。私は、全世界を全く違った見方をさせてくれるものや、他の何ものも取って代わることのできない不変の力、自己抑制をさせる影響力を有するものを失ってしまったことを、自分でも知っていました。言葉に出して言ったことは一度もありませんでしたが、私はいつも自分にこう言い聞かせていました。「私は誰からも信仰を取り去るようなことはすまい。なぜなら、私には、その代わりに与えるものが何もないのだから。」

  バーグは、伝道者になるための必要な勉学を修めるためにアイオワ州ド・モインズのドレイク大学に入学することを決めました。そしてそこで持った幸せに満ちた小さな家庭で、私は再び家庭生活の喜びを知ったのです。私は公の脚光を浴びる生活をかなり経験し、二度とそんな生活をする気にはなれませんでした。静かな場所でひっそりと暮らすのは、何という安らぎでしょう。読書をしたり、くつろいだりするだけの午後。夜は静かに家で過ごし、ランプのそばにある座り心地の良い椅子で縫物をしたり、読書をしたり、夫と会話を交わしたり、時には少し音楽を聞いたり。そんな毎日が永遠に続いたなら、と思いました。演壇や、説教壇や、脚光や、はなやかさや、人気や、売名行為はもうご免でした。それらはすべて過去のこと。おわかりでしょうか、私が以前に従事した奉仕の仕事は、決してキリストの精神によって、あるいは彼の栄光のためになされたのではなく、しばしば利己的な動機、あるいは個人的な野望によってなされたものだったのです。ですから、それには真の喜びも永続的な満足もありませんでした。その味は私の口の中で苦さに変わっていました。これからは、私は自分自身のため、そして自分ひとりで(もちろん、私の家族を含めて)、残された生涯を、隠れた所で静かに生きるつもりでした。でも神からの使命はその反対でした。神はその御手を私の上に置かれました。私の生涯は最初から最後まで、奉仕のために用意され、訓練され、教育されていたのです。私の非凡な父のもとにいた子供時代だけではなく、学校時代も、また先に述べた伝道事業に従事した時代もそうでした。そして主は、ご自身の軍隊から、一員たりとも兵士を失うつもりはなく、かえって手もとにある人材をさらに良く造り変えようとしておられたのです! 聖書にはこうあります。「陶器師は手に持った器を砕いて、それを他の器に作り変えた。」 このように、神は私の人生を砕かれました。それを作り変えるために。昔のヤコブのように、神はある人たちに栄誉を与えるために、その体をかたわにしなくてはなりませんでした。そして、新しいものに造り変えるために、まずそれを砕かなくてはならなかったのです。

 

  ランプのそばで縫物などをして過ごしたそれらの静かな夜、そうした目に見える情景の背後で、神が静かに、しかし確実に動いておられ、私に新しいことをさせるために人生の舞台を整えておられたことを、私は想像すらできず、その変化に少しも気づいていませんでした。私は全く利己的に、来るべき日々のこと、来るべき年々のことを計画していたのです。神の選択、神の望みではなく、自分の選択、自分の望みを。私は完全に満足していました。世俗的な意味では幸福でしたが、私の心の奥底には、いつも痛いほどのむなしさがありました。常に熱く燃える、飽くことを知らない底知れぬ欲求の淵があったのですが、それを満たしてくれるキリストがいなかったのです。でもその時は、どんなむなしさも、新しく見つけた幸福でおおわれていました。大きな喜び、嬉しい期待が私の生活に訪れたのです。もうすぐ小さい足が家中を走り回ることでしょう。そしてどの部屋にいっても、片言のおしゃべりが私の後をついてまわるのです。もう待ちきれない思いでした。ベビー服は一枚残らず、手縫いで作りました。ミシンにすら、それに触れさせたくなかったのです。出産準備のバスケットは、部屋のすみにある階段のわきに置かれていました。まるで玉座ででもあるかのように、テーブルの上に高くどっしりと。もっともそれは全部白くふわふわで、ピンクのリボンがかけられてありました。とうとう準備がすっかり整いました。最後の幾晩かは、私もランプのそばで縫い物をするのをやめ、胸の高鳴る思いで、新生児の扱い方、母親になることの素晴らしい機会と責任などについて書かれた本を読みました。今でもはっきり覚えていますが、私はその頃、もうすぐ自分たちのものとなる小さな命を傷つけまいと、一つ一つの思考に気をつけようと、懸命になっていました。いつも、高尚なもの、最高のもの、最も純粋なことを考えようとしたのです。準備は万端です。家の中もすっかり整頓されました。出産を待つ日々は、何と静かで、平和に満ちていたことでしょう! その時、あの恐ろしい悲劇が私のすぐ背後に追い迫っていたなんて、夢にも思っていませんでした。測りしれない苦悩と、失望と、痛みが、そのすべてが千倍も増幅されたものが、すぐそばまで来ていたとは。「神の道は人の道とはなんと異なっており」、しかしなんと素晴らしいものでしょう! 私たちが未来をおおい隠しているカーテンを引いて開けてみることができないというのは、なんという恵みなのでしょう! 聖書にはこうあります。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一カ年滞在し、商売をしてひともうけしようという者よ、あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。」(ヤコブの手紙4:13,14)

  (この妊娠期間の日々の後に起こった出来事については、この本の第一章で述べました。あの美しいクリスマスの朝のこと、そしてその後に起こった事故のことです。)

 

 

                道の果て

  北部カリフォルニアの、ある古風な牧師館で、私は道の果てに来てしまいました。助けを求めるという道の果て、救済の見込みという道の果て、可能性という道の果てに。最後の数ヶ月間は、生きているというよりもむしろ死んでいる方に近かったと言えます。意識がある状態よりもむしろ無意識の状態に近く、何もかも終わりでした。私はすでに忍耐の限界に達していました。そんなある日、バーグが急に部屋に入って来ると、私のベッドのそばにひざまずいて、妙な、しかし幸福そうな声でこう言ったのです。「たった今、素晴らしいことを発見した。」「発見?」 私は、もう何かに興味を示すにはあまりにも弱りすぎていて、ただ一言、そう言いました。「私は発見したんだ。イエス・キリストは、きのうも、今日も、そしていつまでも変わることはないということを!」 私の興味を引いたのは、夫が言った内容ではなく、その興奮した誠実な態度でした。夫は心の底から感動しているようで、私も思わず彼の言うことに耳を傾けました。「覚えているかい? しばらく前、私は小さな本を看護婦に渡して、君に大きな声で読んでやってくれ、と頼んだだろう? (それは長老派の牧師、A.B.シンプソンが書いた本で、彼が重病にかかった際の、神の見事な対処の仕方と、彼がいかに奇跡的にいやされたかをしるしたのものです。本章未尾の註を参照。) 君は、看護婦が最初の一、二章を読んだ時、『これは狂気もいいところで、こんなものを信じる愚か者などいない』と言って、もうその先を読ませなかったね。けれど、私はそこに書いてある一語一句を信じるよ。それに私は、彼が引用した聖書の箇所を全部調べてみたんだ。彼の祈りに答えられた時に、神に要求した聖書の中の約束すべてをね。その結果、確かに、その約束は今日の私たちのためであって、現実のもので、神はその言葉通りのことを意図されたという結論に達したんだ。そして、神を心から信じれば、神はその約束を守り、私たちの心の願いをかなえて下さるのだと。それから数日かけて聖書にある約束に印を付け、それをじっくり調べてみたんだが、その約束が取り消されたという証拠はどこにもないのだよ。それらの約束は、聖書が書かれた当時の人々のためであったのと同様に、あるいはそれ以上に、今日の私たちのためでもあるんだ。キリストは少しも変わってはいない。彼は聖書が書かれた当時と全く同じであられる。同じ愛、同じ憐れみ、同じ力を持っておられるんだ。聖書には、『イエス・キリストは今日も、そしていつまでも変わることはない』とある。今まで、どうしてそれに気づかなかったのだろう。」 私は夫の真剣さに驚きました。彼はそれほども深く感動していたのです。その顔は輝き、目は燃えていました。そして表情は、素晴らしい発見に興奮してじっとしてはおれないというようです。ところが私は、夫が言うことにほとんど興味を感じることができませんでした。それどころか、私には彼が何でもないことで大騒ぎしているとしか見えなかったのです。神は不思議な方法を使って夫の心に新しい光を投じ、彼の心を開き、御自身の言葉を彼に解き明かされたのですが、それはまだ私には無緑のことでした。神はエペソ人への手紙の中でこう言っておられます。「彼らの知力は暗くなり、彼らは神の命から遠く離れている」と。その頃の私は、この聖書の言葉そのままでした。夫が言ったことに対して、ちっとも信仰を持てなかったのですから。むしろ、夫が変な狂信に走ったのではないかと心配になったほどです。でも、バーグはそうやすやすと落胆しませんでした。夫の心には、生きた、そして力強い信仰が生まれ、彼は私の心が変わり、私の健康が完全に回復されるのを見るまではあきらめないと、強く決意したのでした。

 

  夫はまさに、昼も夜も祈り続けました。一度に何時間も続けて。私のベッドのわきにひざまずいて祈っているかと思うと、次は古い信仰の賛美歌を次々に歌っている姿が、今でも目に浮かぶようです。しばらくの間祈り、それから少し歌い、その次に聖書に記されてある、様々な約束を私に引用してくれるのでした。夫は、自分の心に生まれたのと同じ信仰と光と確信を私の心にも生まれさせようと、日夜努力しました。私は彼のそうした真剣さと、どれほどねばり強く祈り続けたかに驚かされたのを、今でもとても良く覚えています。その様子を見ていると、聖書で、荒々しい信仰の人が「天国を攻めて奪い取る」とありますが、それはこのようなことを言うのだと思わずにいられませんでした。今、当時を振り返ると、夫の体がそうした緊張の連続にどうして耐えられたのかと不思議でなりません。朝早く目を覚ますと、カリフォルニアの山々にやっと日が昇ろうとしている時間なのに、夫がまだそこにひざまずいている姿を見ることがしばしばでした。両手を高く天に向けて挙げているかと思うと、今度はベッドに頭をもたれて祈っていました。その姿を見て私の心は痛みました。私にとってはもう望みがないので、いつか夫がそうした失望と落胆を味わう時のことを思って、不安になったのです。私にとって天国とはまがい物であり、何時間もひざまずいて祈り、幾晩も寝ずにひざまずくなどといった行為は、無駄にしか思われませんでした。けれども、あのヤコブの手紙5章16節にある、「義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである」という素晴らしい聖句は、なんと真実なのでしょうか。それから間もなく、私の心の中にかすかな希望の灯がともり始めたのです。それは光というほどのものでもありませんでしたが、私は、以前より開かれた心と興味を抱いて、夫が祈り、聖書を読み、私を説得する声に耳を傾けるようになったのでした。彼は私の古い聖書にある、大切な神の約束のところに印を付け、それを「信仰の踏み石」と呼びました。彼は辛抱強く、それらの節を教えてくれました。私は本が読めなかったので、夫がそれを繰り返し繰り返し読んで、私にそれを暗記するようにと強く勧めたのでした。彼は何曲かの古い信仰の賛美歌についても同じようにしました。それらの歌をまず自分で暗記し、私のそばにひざまずいて、心を込めてその一節一節を歌ってくれました。私は一度彼に、「主の尊き御言葉は」(賛美歌284)を、さかさまに歌うことだってできるのではないかと言ったほどです。珠玉のような古い賛美歌! この歌には思い出がまつわっていて、私にとっては今でも一番なつかしい歌です。聞くたびに、あの時の情景がよみがえってくるようです。

     主の聖徒たちよ、

     主の素晴らしき御言葉の内には、

     あなたの信仰のための

     いかに堅固な土台が

     敷かれていることか!

     イエスに逃れ場を得たあなたには

     主がすでに語られた言葉以上に

     いったい何を語ることができようか。

 

     深い水の中を進めと命じる時、

     悲しみの川はあなたの上にあふれない。

     わたしがあなたと共にいる故に

     あなたの試練は観喜に変わり、

     最も深い嘆きも聖別されるのだ。

 

     イエスに信頼と安息を求める魂を

     わたしは決して敵には渡さない。

     その魂のために黄泉のすべてが襲いかかってきても。

     わたしは決して、決して、決して見離さない。

 

  もう一つの美しい歌、「わが王キリストの約束に立ちて」についても同じです。当時、信仰の戦いを戦っていた、神の貴い人であった夫は、闘いが激しくなると、床を歩きながらこの歌を歌ったのでした。それも、何と力強く歌ったことでしょうか。

 

「約束に立ちて」

 

     わが王キリストの約束に立ちて

     とわに主をほめ歌え

     いと高き者に栄光

叫ぶよ高らかに

     神の約束に立ちて

 

     コーラス

 

     今、立つ

     キリストの約束の上に

     今、立つ

     神の言葉の上に

 

  私がこの世からそっと去ってしまうかのように思われ、夫の祈りも努力もすべて無駄であるかのように見えることもありましたが、彼はそのたびに、戦場で戦った兵士と同じぐらい現実的に戦いをしかけました。神の約束を引用しつつ私を監督し、同様にしてそれらの約束を用い、敵を撃退しようと剣を振りかざす兵士のような真剣さで戦ったのでした。私の、衰え、鈍くなった頭からは、夫が目に見えない幾つもの軍団に対して戦っているかのように見えたこともありました。実際その通りだったのです。今では、闇の力もまた、私の命をねらって戦っていたことがよく理解できるからです。私が意識を失いかけると、夫のこんな言葉が聞こえました。「主よ、それはあなたの御言葉です。だからそれが失敗することはあり得ません。これらは皆、あなたの約束で、私はそれにしがみついています。そしてあなたがその約束を守って下さるものと、絶対に信じています。」 聖書には「信仰の戦い」という言葉があります。「信仰の良き戦いを戦え」と。あのカリフォルニアの古く小さな牧師館の寝室は、文字通り戦場だったのであり、そこで戦っていた夫は、決してあきらめようとしなかったのでした。

 

註: ここにA・B・シンプソンの著書から、幾つかの言葉を引用しましょう。主は彼のこの著書を大いに使って私たちの祝福としました。また彼の信仰に満ちた生き方は、数多くの人々にとって励ましとなっています。

 

 

  人間には二つの性質がある。人間とは、肉体的な存在であると同時に霊的な存在でもあるのだ。そしてこの両方の性質は、堕落から同じだけの影響を受けている。人の身体は病気にさらされ、魂は罪によって汚されている。したがって、主によるあがないの計画には、肉体と霊、その両方が含まれる。霊の命が新たにされることと同時に肉体の回復も与えられるということを知るのは、何という恵みだろうか! 救い主が人の中に現れたときには、私たちの苦痛と困窮に対して両手を差し伸べ、救いといやしの両方を差し出して下さった。主は極限まで、救い主として到来されたのだ。主の内に宿る御霊によって私たちの霊を救い、主の復活されたからだによって、私たちの死すべき肉体を救うために。主は、いやしを必要とするすべての人々のために、いやしのミニストリーを始められた。そして、十字架にかかって私たちの罪を完全にあがなうことでその仕事を終えられた。それから、「全世界」に対して「世の終わりにまで至る」二つの任務を残して、死からよみがえって天国へと行かれたのだ。その任務とはこれである。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。」

  これは、「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰」であった。だが、いったいそれはどうなってしまったのだろう。今ではもはや、これが世界中で教えられず、認められていないのはどうしてだろうか。使徒と共に消えてしまったのか。ペテロとヨハネが殺された時に、取り消されたのだろうか。いや、断じてそうではない。これは、何世紀にも渡って教会に存続してきたのだが、ただ世俗的傾向、堕落、形式主義、不信仰によって、次第に姿を消してしまったのだ。

   信仰が復活し、霊的生活が深まり、また、聖霊と生きたキリストがより注目されると同時に、聖句によって認められ、主御自身の再臨が近づくにつれ、からだのあがないに関する喜ばしい福音は、再び、古来の位置に戻されつつある。また教会は、そもそも決して失うべきでなかったものを失ったのだが、それを取り戻すことを徐々に学びつつある。だがそれと同時に、深い不信仰と、冷たく、伝統的な、神学上の合理主義の兆候も表れていることから、私たちは「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦」うことが必要になっている。

  病気や苦しみの原因は、紛れもなく、堕落と、人間の罪深い状態にまでさかのぼる。病気が自然界の摂理の一部であるならば、私たちは、自然という分野において、自然の方法によって、それを処理しなければならない。

 

 

しかし、もしそれが罪ののろいの一部であるなら、真の治療法は、偉大なるあがない以外にはない。病気があの堕落の結果であること、そして罪のはらむ実の一つであることには、疑問の余地はない。すべての人が罪を犯した故に、死がすべての人に及んだと言われており、すべての小さなわざわいは、この大きなわざわいの中に含まれているのである。

  もし病気が霊的作用の結果であるなら、単なる自然の治療法ではなく、より高い霊的な力によってそれを処理し、打ち勝つべきであるのは明らかである。また、もし病気が神の訓練とこらしめであるとするなら、それを除去する方法もまた、機械的あるいは物質的手段によってではなく、霊的な手段によるべきであるのは、明らかだ。

  (クリスチャンと宣教師連合会の創立者A・B・シンプソン博士著「いやしの福音」から)

 

 

                光がさしこむ

  ある晩、バーグは慰問で外出し、私の看護婦は台所で忙しくしていました。突然、切ないほどの願いに襲われたのはその時でした。私は見えない力に対して、思わず声を上げて助けを求めずにはおれなくなりました。ささやき程度の声しか出せませんでしたが、ともかく、真剣に嘆願しました。「もしどこかに神がおられるならば、どうぞあなたの存在を示して下さい。もしあなたがおられるなら、あなたは夫の言うことも、彼がどのように祈っているかも聞かれたはずです。そして、あなたは御自身の存在を私に現すことがおできではないですか。」 まるで見えない力から「叫べ、叫べ」と駆り立られているかのように、私は同じ言葉を何度も繰り返しました。「もしあなたがいらっしゃるのなら、どうぞ、どうぞ、あなたのいますことを私に現して下さい。」 すると、その嘆願に応えるかのように、私の心に深い罪の意識が込み上げてきたのです。私は、自分が最悪の罪人であるかのように感じました。これはとても珍しいことです。というのも、私は以前からずっと多少独善的な傾向があり、非常に道徳的な生活を送り、それをかなり誇りに思っていたからです。つまり、自己満足をしていたのです。自分の過去を振り返り、また自分がした奉仕活動を思い出すたびに、私はかなり満足感に浸りました。人助けのために、時には生命をさえ危険にさらしたではないか、と。たとえ死の扉の真ん前に立ち、心に大いなる恐れが宿る時ですら、長年の犠牲的な奉仕を思い出して、大きな満足感を抱いていたことでしょう。ところが今では、それが全くの「汚れたぼろきれ」のように思われて来たのです。まるで突然目が開かれ、生まれてから初めて自分の真の姿を見たような気がしました。過去の仕事は全くの無駄であったように思われました。私は主のために奉仕してきたのではなく、奉仕の動機も、主の栄光のためではありませんでした。罪と自我の重荷がだんだん大きくなって耐え切れない気持ちになり、私はついに泣き出しました。

  その時、心の中で起こったことを読者の皆さんに説明できたならと思いますが、そんなことは到底できません。新しく生まれ変わるということは神秘的なものであって、主御自身がなされる超自然的なわざです。主がそれをどのようにしてなされたかを説明することはできませんが、とにかく、主は私の心を完全に変えて下さいました! あの夜、あのベッドでひとり横たわっている時に、私は新しく生まれ変わったのであり、それはまぎれもなく信仰による祈りの結果でした。「私は変わった」とか「私は新しく生まれ変わった」とかいう言葉は、じつに単純でありふれています。でも、私があの晩、自分に起こったことを詳しく言葉で表現しようとするなら、神のみわざと奇跡的な生まれ変わりが小さく見えてしまうでしょう。私に言えるのは、イエスからいやされた目の見えない人が言ったのと同じ、この言葉だけです。「私が知っていることはただ一つ、私は以前は盲であったが、今は見えるということです」(ヨハネによる福音書9:25) イエスはニコデモに言われた、「風は思いのままに吹く、あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみなそれと同じである」(ヨハネによる福音書3:8)

  私はもう、一人ではありませんでした。主の存在をその部屋の中で感じることができ、それはまるで家族の誰かが私の病床のわきにつきそっていてくれるような感じで、私は、まるで幼な子が母に話しかけているかのように、ごく自然に主に話しかけていました。私は心にあることをすべて主に話しました。そして私は、主がそれを全部聞き、理解してくれたのを知っていました。なぜなら、人間の理解を越えた、言葉に表すこともできない甘美な平和と素晴らしい平安が私の悩める心を満たしたからです。幻を見たわけではなく、何かの声を聞いたわけでもなく、五感によって何かをはっきりと感じ取ったわけでもありませんでしたが、心の中で「静かな細い声」を聞いたのです。私は、主とのとても現実的で個人的な接触を持ったのであり、それによって、心からこう言うことができたのでした。「わたしは自分の信じた方を知っており、またその方は、わたしにゆだねられているものをかの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。」 神はじつに存在しておられ、私は「イエス・キリストにあって全く新しいもの」となったのです。

「光が差し込んだ!」

 

 

 

                天の銀行

  神が答を送って下さるまで、祈ることを決してやめなかった夫を、神に感謝します! 私が得たこの素晴らしい勝利によっても、夫は満足しませんでした。彼は私の魂だけでなく、私の肉体が救われることをも求めたのです。私に起こった変化を夫に話す必要はありませんでした。なぜなら夫は一目でその変化に気づいたからです。それでも、二人でその出来事についてよく話し合った後、夫は確信に満ちた声でこう言いました。「今度は、主は君の健康も回復させ、君をベッドから立ち上がらせて下さるよ。」「主が私の体をいやして下さるとおっしゃるの?」 私はそう尋ねました。確かに主は私にとって現実的な存在となられたけれども、キリストが今でも何かの奇跡を行われるという事は、私にとって、どうしても理解を越えたものでした。どうしてそんな事があり得るのか、私にはどうしてもわかりませんでした。ほとんど理解不能だったのです。私は、過去の記憶をたどって、神が確かに自分にそのようなことを行って下さったと確信を持って言えた人に会ったことがあるかどうかを考えてみました。でも、思い出せる限りにおいては、そのようなことは何一つ思い当たりませんでした。もちろん、いやしを強調する新興宗教のことはいろいろ聞いていましたが、神の約束の言葉をそのまま取り上げて、神がそれを成就して下さるなどと信じるなんて、聞いたこともありません。確かに私は、夫がこの部屋で私のために祈ってくれていた時、そのような信仰の現れを見ました。そして、それが私の心の変化をもたらしたことも事実です。確かに夫は、神にその約束を果たして下さるようにと神に要求し、神はそれを聞いて答えられました。けれども、それらの約束はすべてに適用できるような、現実的で実際的なものであり得るのでしょうか。私は契約書に自分の名前を書くだけで、それを天の銀行で現金化することができるのでしょうか。それらの約束の一つを取り上げて、自分のものとし、要求することによって、健康すらも回復されるのでしょうか。主が私たちにそれほどの特権と力を与えておられるなんて、あまりにも突飛なことのように思われました。

  私は、それらの聖書の約束は実行可能なものであり、私たちの日々の必要にすべて適用できるものであるという現実性と事実に、初めて目が開かれた日のことを決して忘れません。それは私にとって、全くの啓示でした。バーグの言っていた意味がやっとわかったのです。そして、彼が私の部屋に入って来て、「私はたった今素晴らしい発見をした」と言った時、どうしてあんなに幸福そうにしていたかも。今では私自身がそれを発見したので、はっきり理解することができます。今では、神は聖書の中で与えておられる多くの約束を、本当に果たすつもりでおられる事がわかります。私たちはただ、信仰の手を差し出し、はっきりとした形で約束を要求しなければならないのです。

  神の御言葉にはこうあります。「また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである」(ペテロの第二の手紙1:4)

  ですから、これらの神の約束を見下したり、軽視したりすることは重大な誤りです。私たちは、それらの約束によって「神の性質にあずかる」ことができるのですから。私はそれまで、神の約束を取り上げて、神が現実にその約束を私に現実させて下さることを期待しつつ答を求めるなどということはしませんでした。なぜなら、私の非常に限られた信仰の知識からすれば、聖書にある様々な約束は単なる美しい聖書的な言語であって、決してそれを真剣に受けとめたり、現実の生活に適用したりすべきものではなかったからです。残念ながら、私は、ある女の人と同じでした。彼女はこんな質問をしたのです。「どうして神様は聖書に沢山の約束を書いていられるのでしょうか。いったい何のためなのですか?」 それを聞いて、私はこう思いました。「あら、空白を埋めるために決まっているわ。」

 

  けれども、当時、少しでもその事を考えていたなら、自分があの無知なスコットランドの老婦人の方によく似ていると気づいたことでしょう。スコットランドの田舎の山奥に住んでいたこの婦人は、非常に貧乏で家賃も払えない状態だったので、教会が彼女の代わりに家賃を払って、面倒を見てやらなければなりませんでした。ある日、そのとても親切な牧師が家賃を届けるために、彼女を訪ねてこう言いました。「マッキントリックさん、今日は率直にお話ししたいのですが、それを失礼などと思わずにわかってくれるでしょうね。実は、家賃を援助してくれているあなたの友人たちが、どうして息子さんがあなたに仕送りをしないのか、どうもわからないと言っているのですよ。聞くところによると、息子さんはオーストラリアでとても良い地位についていられるということだし、またとても良い息子さんで、あなたを心から愛していられるということですね。それに違いありませんか?」「ええ、そうです、」とこの母は言いました。「息子は私のことを決して忘れていません。その証拠には、毎週決まってとても優しい手紙を書いてくれます。どうぞ一通、見て下さいな。」 牧師はますます不思議になりました。そんなにも良い息子で、そんなにも母親を愛していながら、母親に仕送りもしないで放っておくとは。そこで牧師はすぐさま、ぜひその手紙を何通か見せてほしい、と言いました。婦人はさっそく二つの包みを持って来て、その一つを牧師に手渡ししながら、こう言いました。「これに手紙が入っています。」 牧師がその包みの色あせたひもをほどきにかかった所、婦人がこう続けました。「息子は私に手紙をくれるたびに、きれいな絵を一枚づつ同封してくれるのですよ。大きな絵ではなくて、封筒にちょうど入るぐらいの大きさなんですが、それを見ると、息子が私のことを思ってくれていることがよくわかりましてね。」 牧師は思わず、顔を上げてこう言いました。「どの手紙にも絵が同封されているって?」「そうなんですよ。時には男の人の顔だけのもあるし、時には男の人が馬に乗っているのもありますが、いちばん多いのは、王様の絵が描かれたものです。ほら、これを見て下さい、これは英国の王様でしょう。王様、万歳!」「あなたの息子さんも、万歳!」 牧師も思わず驚きの声を上げました。「奥さん、あなたは金持ちなのにそれを知らないのですね。これはみんな小切手ですよ。これはみんなお金です。あなたは財産家じゃないですか。それなのに、いつも苦しい生活をし、毎日不自由な思いをして暮らしてきたのです。家の中にこれほどの大金をかかえながら、みんなきれいな絵とばかり思っていたのですね。」

  確かに、私にとっての神のもろもろの約束も、それと全く同じようなものでした。私は、それらの約束が、ただきれいな絵、つまり美しい言葉の羅列以外でしかないと思ったのです。たとえば、「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる」という有名な詩篇第23篇の言葉も、私には美しい詩や絵物語以上のものではありませんでした。それが実生活に適用できるもなどとは夢にも思わなかったのです。イエスがわれわれの牧者であり、われわれが心からイエスを信じさえすれば、この詩にある言葉の一つ一つをこの身で体験できるとは。今日、とても多くの人々が、当時の私と同じような見方で神の言葉の中にある何百という約束を見ているとは、何と気の毒なことなのでしょう。

  でも今では、すべてが変わりました。今になってみると、以前、神の言葉を文字通り受けとめなかったことが不思議なくらいです。神はそれらの言葉を文字通りの意味で言われていたのです! どうしてそれ以外のことが考えついたのでしょうか。私はなんと盲だったのでしょう! 私たちは皆、なんと盲だったのでしょうか! 神はじつに無限の財産を、私たちの手の届く所に置いておられるのに、私たちはその一つも求めようとせず、それらの約束はただいたずらに言葉数が多いだけで、何の意味もないと受けとめていたのです! ある人が言ったように、「美しい言葉でつづられた、ただのきれいな絵」ぐらいですませていたとは!

  けれども、病気の回復には深刻な障害物が横たわっていました。当時、私には、生きたいという心からの願いがなかったのです。「心の変化」が起こって以来、死の恐怖はすべて消え去り、私は天国に対して文字通りホームシックを感じました。あまりにも多くの苦しみを味わったので、生きることにはもう魅力がなくなった一方、この新しい経験によって、天国がより魅力的なものになったのでした。かつて天国を非現実的なもの、空想の産物と見ていた私が、いったん、天国は自分が今生きているこの世界と同じだけ現実的なものであると信じるようになったとたん、今度はその天国の安らぎと祝福に熱く恋いこがれるようになりました。主御自身は私にとって非常に貴いお方となり、顔と顔を合わせて主と相まみえる日が待ちどおしくてなりませんでした。祈りは何と大きな変化を来たらせたのでしょうか! かつては死への恐れでおののいていたのに、その次には恐れがすべて消え去り、その代わりに、死の境を越えてより好い世界に行きたいという願望が取って代わったのです。私は天国へのホームシックにとらわれました。しかしバーグは私に言いました。「主が君の人生を使いたがっておられるとは考えたことはないのかい? 主の栄光のために生きなければならないと考えたことは? 主が君を死の床から立ち上がらせたとしたなら、それによってどんなに多くの人の信仰が強められることだろう! 君は主の栄光を現したいとは思わないのかい?」 私のような者が何かの方法で、主の御名の栄光を現すことができる、何かの方法で主に仕えることができる、そう思っただけで、その素晴しさに私の心は高鳴りました。どんな小さなことでもいい、それを主のためにすることができたら、何と嬉しいことでしょうか! 主は私のためにとても多くの事をして下さり、私も主をこれほど愛するようになっていたので、主にお仕えすることを思っただけで、私の心は喜びに踊りました。

 

  その夜、家政婦が私のために聖書を(無作為に開いて)読んでくれていたのですが、その中にこんな聖句がありました。「この病気は死に至らず、かえって神に栄光を表すためのものである。」 この節を聞いた時、まるで神御自身が私に語りかけたかのように、心が強く打たれました。それからの何時間もの間、この言葉が私の心の中でこだまし、私はとうとうこう言いました。「主よ、今まで私は、あなたのために喜んで死にますと言いましたが、これからは、あなたのために喜んで生きます。今、私に、生きるための信仰を与えて下さい。私に、あなたの御約束に頼る信仰を与え、私をこの死の床から立ち上がらせて下さい。」 そしてその夜、夫のバーグが部屋に入ってきた時、私はこう言いました。「私はこれから主のために生きようと思うの。でも、そのためには、あなたが主に、私に必要な信仰を与えて下さるように祈って下さらないと。私のような状態にある者を主がどのようにして立ち上がらせて下さることができるか、私にはちっとも理解できませんから。私はこんなにも価値のない者ですし、信仰もこんなにも小さいからです。」 まことに主は私にとって真実で尊い方であるけれど、今日そのような奇跡を行って下さると考えることは、私にとって、常識を越えた信仰の飛躍を必要としていました。

  さて、とうとうその日取りが決められました。私を立たせて下さるよう、主に祈る日です。バーグは、祈りを極めて明確なものにすべきであると信じ、たびたびこのように言っていました。「神は常に私たちにはっきりした応対をしてこられた。よりどころとすべき明確な約束を与え、その約束を明確な言葉で私たちに示しておられるのだから、私たちもまた、神に対して明確な態度で応えなければならない。私たちははっきりと心の準備をし、幾つかの約束をはっきり要求し、はっきりした日時を決めて取り引きを完結し、その後はずっと、それが成就されたものと考えるべきだ」と。

  神の答を待つ日々の間、私は神の約束を暗誦しながら眠りに落ち、またそれを繰り返しながら目を覚ましたものです。何とかして信仰を得たい、それも、主からそれほども素晴らしいものをもらえるだけの、大きな信仰がほしいと思いました。私は自分のすべき分を果たしたいと思いました。あの頃私が、神から何かを与えられることは決して「大それたこと」ではなく、神の言われることをただそのまま受けとめることだと知ってさえいたら良かったのに!

 

 

               評議会にて

  ここで少し時間を取って、一連の出来事の合間合間に起こった、珍しく興味深い出来事をお話ししましょう。折にふれて私の所に見舞いに来てくれていた、一人の福音伝道者がいました。名をデービッド・キャッチポールといい、とても信心深い神の人でした。彼は私たちの町でも最大かつ有力なバプテスト教会の牧師で、何にもまして、神の御言葉を心から信じていました。彼は断じて近代主義者ではありませんでした。

  ある日彼が見舞いに来て、私にこう言いました。「バーグさん、うちの聖職者会が、次の月曜日の午後三時に、お宅の客間で定例集会を開くことになりましてね。それで、あなたの病室がその客間のすぐ隣なので、あなたにも話し合いが聞こえるように、よろしければドアを開けておいたらどうかと思うのですが。きっととても淋しいだろうし、時間が経つのもゆっくりでしょうから、少なくともその会議の一部分でも聞いたら、気持ちがまぎれるのではないでしょうか。それで、ぜひ、あなたが選ばれる本を議題にしたいと思って、こんなふうに急に訪ねて来たのです。どの本か決まれば、私たちも事前に準備ができますから。どの本がよろしいでしょうか?」 それを聞いて、私は答えました。「キャッチポールさん、お心遣いをありがとうございます。実は夫のバーグがずっと私にある本を読んでくれているのですが、できればぜひその本を聖職者の定例会で討議してほしいのです。」 この本はA・B.シンプソンの著書で、彼自身の生涯についての証しであり、素晴らしいいやし、その他の驚くべき祈りの答について書かれたものでした。そして次の月曜日の朝、様々な教派の牧師たちが牧師館に集まり、予定通り、私たちが渡しておいたその本について討議をしました。その日私はとても具合が悪く、かなり弱っていたので、その著書を読む部分と討議の最初の部分は全然聞くことができませんでした。でも、討議に熱がこもって来て、声が高くなってきてからは、こんな会話が聞きとれました。また、後に夫のバーグとキャッチポールさんが詳細を教えてくれ、その要旨は以下のようなものでした。

  同じ町のメソジスト教会の牧師であったピネアス・T・リン師は、私がこれまで知った中で最も素晴らしい神の聖徒の一人でしたが、彼の発言の要旨はだいたい次のようなものでした。「私はもちろん、神は聖書の中で言っておられる言葉通りのことを意味しておられると信じます。また、イエス・キリストは少しも変わっておられないとも信じます。変わってしまったのは私たちの方です。私たちにはもはや信仰がありません。そして、信仰のなさを認めるかわりに、神の御言葉に責任をかぶせ、神の言葉は今日には通用しないと言っているのです。だから私たちは、もう一度、信仰を神の御言葉のレベルにまで高めなければならないと思います。」

  バーグ:「リン牧師は私の考えをじつに正確に表現してくれました。教会は信仰を失ってしまったので、これらの約束はみな使徒たちの時代のためだけであって、今日の時代のためのものではない、そしてキリストが行った奇跡は、単にキリストのミニストリーの到来を告げただけであると言って、神の御言葉を自分たちの低い信仰のレベルまで引き下ろそうとしたのです。教会は、信仰を神の御言葉のレベルまで高める代わりに、それをしたのでした。何についても少しも信仰がないというだけで、それは今日のためではないと言っているのです。」

  リン牧師:「さて、バーグさん、私としては、堕落したのは私たちの方であると告白したいと思います。私はやはり聖書にある通り、『神には何も不可能なことはない』ということと、イエス・キリストは今日でも使徒たちの時代と同じように祈りに答え、私たちの信仰を省みて下さることを信じています。主の御名において大きなわざが行われないのは、決して主の恵みが足りないせいではなく、私たちの信仰が足りないからです。」

 キャッチポール牧師:「私は聖書に『イエス・キリストは昨日も今日もそして永遠に変わらない』という言葉をそのまま信じます。」

 

  ある懐疑的な牧師(この牧師の名前は挙げずにおきます。彼は、どうにも処置なしと言ったような不愉快そうな態度で発言しました。):「よろしい、これまでの発言を聞いていると、あなたたち説教師の中には、今日でもキリストは奇跡を行われるとか、これらの聖書の約束は今でも文字通りに受け取るべきだと信じている人がいるようですね。それでは、一つ提案があります。これはちょっと挑戦めいているのですが。そこの病室にバーグ夫人が寝ておられますね。彼女は私がこれまでに見たこともないような気の毒な病状です。 私はここに来る途中で彼女の主治医に出会ったので、呼び止めて夫人の容態のことを聞いてみました。医者はこう答えました。『彼女があんな状態で、しかも栄養らしいものも取るや取らずでどうして生きておれるのかは驚きですよ。最近では電話が鳴るたび、ああ、これが最後の知らせだろう、バーグさんが亡くなったのだろう、と考えるようになっています。だって、彼女の生命は糸一本でつながっているどころか、切れかかった毛一本でつながっている状態ですからね。』 さて、皆さん、私は彼女の医者の言うことを信じます。ところがあなたたちは、こんな夢のようなことを信じています。というわけで、ぜひ、これを試験にかけようではないですか。私としては、この内の何人かの方には同意しないことをはっきりさせておきましょう。何と言っても、今日ではどんな馬鹿者でも、奇跡の時代はもう過去のものだということを知っていますからね。いいですね。そこにバーグ夫人が横になっています。彼女が絶望的な状態にあること、これはもう全員が認めるところです。そこで、もし皆さんがそれを本気で信じているのなら、それを彼女に試みるとよろしいでしょう。」 そう言うと彼は玄関までずかずかと歩いて行き、ドアをばたんと閉めて去って行ったのでした。

  しかし、彼がそのドアを閉め終える前に、キャッチポール牧師が間髪を入れずこう返事しました。「それこそ、私たちがこれからしようとしていることです!」

  この話を終える前に、ここで言っておきたかったのですが、彼らは「それを私に試みた」のであり、そしてその次の月曜日の午後三時には、私は聖職者たちの集会に、「身体のすみずみまで健康になって」、そこにいたどんな頑丈な男性にも劣らず幸福で、希望に満ちて出席していたのです!

 

 

註: ここで読者の皆さんに知ってほしいのですが、あの中途で部屋を出て行った人、あるいは彼と同じ見解に立つ人々に対して、私は悲難よりもむしろ同情を感じています。なぜなら、この面については今日あまりにも多くの誤った教えが人々を毒していることを知っているからです。今日ではあまりにも多くの「宗教的崇拝」や、「心の持ち方」や、「科学」が病気のいやしを表看板にしているので、いやしという言葉を使うのをたじろぐ人を責めることすらできないほどです。私がこの素晴らしい経験を語る際にも、できるだけそういう表現を避けるようにしていることは、皆さんも気づいておられることと思いますが、それは、私の経験をそういういやしを表看板にする宗教や哲学的なグループと混同されることを望まないからです。私たちは、混じり気のない神の御言葉、単純で古風な信仰、聖書に記されてあるままの神の約束以外の何ものとも、いっさい関係なく、それに関わることも望んでもいません。一方、これらのいわゆる「哲学的な団体」、あるいは「近代哲学」、あるいは「サイエンス」が、貴重な聖句を幾つか取り上げて、それを聖書に基づかない自分たちの教えでくるみ、全く新しい教えとして世に宣伝しているからといって、私たちは神の尊い約束を自分たちの問題に適用するのをやめたり、あるいは彼らが盗用した信仰の原理そのものに反対したりすべきでもありません。

 

 事実、そうした「冷血な」宗教が数多くあります。そして、それらの宗教は素晴らしい全体から一部分を取って、正体がわからなくなるまでゆがめています。私たちの教会からも何千という人たちが、精神的・肉体的な安堵を求めて、新興宗教へと去って行きました。その理由とは、教会員に対してこの小さい真理の一粒、つまり信仰の原理を詳しく述べ、説明してくれたのは、これらの新興宗教の指導者達が初めてだったからです。「溺れる者わらをもつかむ」というのたとえ通り、今まで絶望状態だった所に希望を見出すのです。けれども彼らは、その一粒の中に多くのまがいものが混ぜられてあること、そのような疑わしい筋からいったんその一粒を手に入れると、結局、キリストの教えの根源的な真理を否定することになり、まがい物に関わり合ってしまう羽目になることに気づいていません。それらの惑わされた人たちは何と哀れなのでしょう。彼らは、私たちの魂の敵はしばしば神の言葉の真理を使ってそれをにせ物と混ぜ合わせ、まがい物の宗教を作り上げようとしていることに気づかないのです。聖書の言葉が引用されてあることで、にせ物をやすやすと受け入れる人たちが大勢います。しかし私たち教会の者たちは、この力ある信仰の原理をないがしろにしたのであって、その結果、何万という人々が私たちのグループから離れ、これらの新興宗教の大聖堂に加わって行くのです。それをいみじくもこう表現した人がいます。「病める羊は何にでも、あるいは誰にでもついて行く」と。私たちは、自分たちの内にいる病人のために祈るべきではないのでしょうか。これらの病気にかかった人たちに信仰の道を教えてあげるなら、私たちの教会は大きくなり、私たち自身の信仰も強められ、主の御名によって数多くの素晴らしいわざが成されることでしょう。ですから、仲間内の病める人たちのために祈ろうではありませんか!

 

 

            指定された日:そして失望

  とうとうその日が来ました。そして私のために祈ってくれる友人たちが集まりました。キャッチポール牧師夫妻、それに夫のバーグが私のベッドの脇に立ち、祈る前に少し会話を交わしました。夫はこう言いました。「どの約束を選んだか、教えてくれないかい?」「じつは、一つだけではなくて、たくさん選びましたの。一つの約束が役に立つなら、多ければ多いほど良いでしょうから。」 すると、部屋にいた誰かが笑いながらこんなふうに言いました。「彼女は薬を飲む時にも、いつも同じようなことを言う。もし一錠の薬が効くのなら、三錠の方がもっと効くだろうし、一さじで効くのだったら、四さじの方がなお良かろう、ってね。」 私は言いました。「でも、これは皆一つ一つ違った約束です。ほら、聞いて下さい。」 私が選んだのは、これらの約束でした。出エジプト記15:26、「わたしは主であって、あなたをいやすものである」、詩篇103:3、「主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやす方である」、マルコによる福音書9:23、「イエスは彼に言われた、もしあなたが信ずることができれば、信ずる者には、どんな事でもできる」、ヤコブの手紙5:14,15、「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。」

 

  ところで、この最後の聖句を私が選んだのは、少し不思議なことでした。というのも、私は油を注ぐという行為を一度も見たことがなかったからです。私の教会では一度もそんなことは行われなかったし、他にもそういうことをした人を見たことはありませんでした。でも、私はこの聖句に大きな信仰を置きました。そこにはっきりと、「あなたがたの中に、病んでいる者があるか、その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい」と書いてあるからです。私は、この聖句はとても詳しい処方箋であり、非常に明確に説明されているので、何をどういう手順で行うべきかがはっきりわかると感じました。また、その処方箋に書かれている要素はすべてそろっているとも感じました。まず、この聖句には、「あなたがたの中に、病んでいる者があるか」とありますが、私が確かにその病人です。第二に、「その人は、教会の長老たちを招き」、と指示してあり、ここには二人の長老、つまり二人の福音伝道者がいます。第三に、「油を注いでもらえ」とありますが、私はすでに油も準備してもらっていました。そして、第四の要素は何でしょう。「信仰による祈り」です。その点については、誰か信仰による祈りをする事ができたとしたら、それは夫のバーグである、と私は感じていました。ヤコブの手紙第五章にあるこの聖句に関しては、私も聖書学校で勉強したので知っているのですが、ヤコブの手紙はキリストの昇天のずっと後に書かれたものでした。ですから、それはただキリストの時代のために書かれたのではなく、キリストがこの地上から去られ、教会がよく組織化されるようになった時代のために書かれたものであり、今日のどんな教会にも適用されるべき指示なのです。

  私は、「準備はできました」と言い、上に挙げた聖書の約束を引用しました。キャッチポール夫妻は身をかがめて私の体に手を置き、キャッチポール牧師が聖句を幾つか引用しました。部屋はしーんと静まりかえり、居合わせた人たちは皆、自分の上にある厳粛さと責任を感じているようでした。キャッチポール牧師が私の求めに応じて、私の頭に油を注ぎ、ヤコブの手紙5章14節と15節を引用しました。ついで、夫のバーグが「信仰による祈り」を祈りました。じつに、それは信仰による祈りでした。生涯でそのような祈りを聞く機会はほんの数えるほどしかないと思います。決して肩ひじを張った儀式的な祈りではありませんでした。夫はただ主に「語りかけ」て、私たちがすべてを祭壇に置いたと告げ、ただ御心を求めたのです。もう私たちにできることといえば、ただひたすら主に頼り、主が約束を守って下さると期待することだけです。その祈りには、もうこれが最後だというきっぱりしたもの、これですべてのことに結着をつけるのだという響きがあり、主にはそれをする以外に何もないと感じさせるものがありました。正直のところ、私はその祈りを聞いて少々驚いてしまいました。なぜなら、その祈りには、「わたしに命じよ」というあの聖書の言葉を思い出させるような響きがあったからです。私はそれまで主に嘆願し、衰願することしか知りませんでした。ですから、まるで天国の門にずかずかと近づいて、「あなたは、私の分け前があるとおっしゃいましたね。それを取りに来ました」と言わんばかりの態度に、私はむしろびっくりしたのです。でも、その祈りには深い誠実さと幼子のような信仰があったので、主はきっと理解して下さるだろうと思われました。(私自身、完全に理解できたのですから。) 私は祈っている夫の顔を懸命に見ようとしたのですが、先にも述べたように眼のかすみが急速に進んでいたので、顔の輪郭がぼんやりと見えるだけでした。でも夫の祈りの声は私の心の奥深くに触れ、神はこの祈りに答えずにはいられないはずだと思いました。私はバーグの信仰に頼り切っていたのでした。

  部屋に人がいることで余分に気を使い、すっかり疲れてしまったので、私はしばらく一人になって休息を取りました。事実、私はこうした状況に耐えるだけの信仰を持たなければと努力するあまり、すっかり消耗しきっていたのでした。私の心には終始、信仰というものは何か大きなもので、私たちはそれを、ちょうど贈答品のように、少しも間違いのない正しい方法で主に差し出すべきだという概念があったのです。すべてが終わった時、先ほど言ったようにすっかり疲れ果てると、私の心に、ある恐れが訪れました。私の信仰は十分に大きくなかったのではないか、このいやしに必要とされるほどに高められていなかったのではないかと感じたのです。おわかりのように、私は上にある神の約束を見上げるのではなく、自分の信仰を見降ろしていました。私は貧弱な自分自身から何かを期待していました。そして、主からは何も期待していなかったのでした。

  その日は、来て、去りました。予定されていた祈りも捧げられました。私は聖書の言葉に従いました。それなのに、何事も起こらなかったのです。何か変化があったとすれば、それは良い方にではなく、悪い方への変化でした。それどころか、その一、二時間後には、もうこれで死の瀬戸際を越えるのではないかという状態になったのです。今までずっと、数日間の準備や、様々な会話、来訪者などについて話してきましたが、それでも私の状態は少しも変わらなかったことを知っていただきたいのです。私は前と同じく絶望的な状態で、むしろひどくなったと言ってもいいほどでした。声は、かすかなささやき声を出せるだけで、実際、私の身体で自由に動かせるのは、目と唇と右腕だけでした。私は、自分のひどい状態を思い、少しも良くなっていないことに気づいて、希望は死にかけ、苦々しい失望と恐怖が私の心を捕えました。私は激しく泣きました。

 

 

                静かな細い声

  夫のバーグは用があって数時間家を開けていました。私のような病人を扱うのに慣れていた看護婦は、数日前、今の時代に主が奇跡を行って下さるなどと信じるのは馬鹿気ていて、自分がそんな馬鹿気たことに関わるのはごめんだと言って、突然やめてしまいました。このように、この人はもう絶対死ぬと決めてかかり、神にその人を生かし続けていただこうともしない人々がいるものです。

それで、あるハワイ人女性が、私の看護人兼家事手伝いの役を勤めることになり、たびたび部屋に来ては親切に用を足してくれていましたが、私はほとんど一日中、主と二人だけでした。何か用がある時に鳴らすようにと、呼び鈴が手のとどく所に吊り下げられていました。私は一人であることをかえって嬉しく思いました。もう一度、よく考えてみたかったのです。なぜ主は夫の祈りに答えて下さらなかったのか、それを知るまでは決して満足できません。心に苦々しい思いはありませんでしたが、深い傷がありました。でも、心にあの素晴らしい変化が訪れ、主を良く知るようになって以来、私は主と親しく心を通い合わせるようになっていたのです。そうしたひとときは、私にとってとても現実的で貴重な時間であり、まるで一番親しい人と顔と顔を合わせて語り合うようなものでした。祈る時には、主がそれを聞いて下さっているのを肌で感じ取ることができました。どんな地上の会話よりも自然なやりとりで、私と主とのちょっとした会話は、他の何にも増して純粋で現実的なものでした。それで、私はこの問題について主と徹底的に話し合い、どこに誤りがあったのかを突き止めたかったのです。私はこう祈りました。「愛する主よ、私たちはあなたの御言葉に一語一句従いました。あなたの約束を要求し、それを全部信じました。私の夫は信仰による祈りを捧げ、私がいやされることを心から期待していました。ところが、何一つ変化は起こりません。よけい悪くなったとまではいかなくとも、前と同じぐらい悪い状態です。主よ、それはいったいどういうわけか、どこに誤りがあるのか、どうぞ教えて下さい。私は自分のことだけを気にしているのではありません。これはあなたの評判にも関わってきます。五つの教会がそれぞれ私のために特別の祈祷集会を開いてくれました。またあの聖職者会議でもそうです。それにあなたもご存じのように、他にも私のために祈ってくれている牧師たちがいます。主よ、あなたの大義が傷つくではありませんか。人々は信仰を失ってしまいます。どうぞ、以前私に語って下さったように、今、私に語って下さい。それを理解するように、あらゆる努力をしますから。アァメン。」(私たちが神の評判を気にするとは、何とおかしなことでしょう。今では、神は神御自身の評判を完全に守ることがおできになると知っています。) 私はそのことをはっきと主にお任せしました。すると、心の中で、主は決して私を闇の中に一人で置き去りにせず、なぜ私の祈りに答えられなかったのか、なぜ私をいやして下さらなかったのかを、何かの方法で知らせて下さるだろうと感じたのでした。

 

  私は静かに休んでいました。ほとんど眠ったような状態で。すると突然、ある聖書の一句が私の心に浮かんだのですが、それが全く特異な、そして思いがけない浮かび方だったのでした。特異と言ったのは、それまで聖句が心に浮かんだ時に比べて、全く違っていたからです。聖書の節のようではありませんでした。声だったのです。それも私の頭に語りかけているのでは全くなく、心の中からわいてきた声のようでした。聖書には、私たちの心の中で語りかける「静かな細い声」のことが書かれてあり、それについてはずっと前からたびたび耳にしていました。それは聖書の一節にすぎず、私はそれを今まで幾度となく聞いてきました。ところが、その時その言葉が突然、全く新しい言葉となり、まるで初めて聞いたかのように感じられたのです。私はそれ以後、数多くの敬けんなクリスチャンから、聖書の言葉がそれと同じように解き明かされた経験があるという話を聞きました。それまでは特に心が動かされもしなかった聖書の節が、しばらく祈った後に、突然本のように開かれて理解できるようになり、まるで火によって書かれたかのように心に深くしみ込んで、まるでそのメッセージが神の王座から直接、自分だけに与えられたかのように感じられたというのです。この聖句が私の心に来た時に、それがどんなに明らかになり、私の心に直接、強く訴えかけたかは、これまでの経験の中でも説明するのが最も難しいことの一つです。今でも、神が私に対処しておられたその当時を振り返ると、その聖句が与えられた方法は、私がすぐさま病床から起きあがった時と同じぐらいの奇跡的であることをしみじみ痛感します。先にも言ったように、それは聖書の一節としてよりも、むしろ声のようであって、私の心にはっきりと、優しく、しかし威厳をもってこう語ったのでした。「そこであなたがたに言うが、なんでも祈り求めることはすでにかなえられたと信じなさい。そうすればそのとおりになるであろう」(マルコによる福音書11:24) 「すでにかなえられたと信ぜよ」という言葉は、特に私にとって強烈な印象を与え、この聖書の節が「すでにかなえられたと信ぜよ」という概念だけで成り立っているようにさえ感じられたほどです。その節はたちまち私の心を捕え、私は、主が何を気づかせたがっておられるかがわかりました。私はすでに与えられたと信じていなかったのでした! 確かに、主が私たちの心の願いをかなえようとしておられることは固く信じていましたが、その祈りがすでにかなえられたとは信じていませんでした。するとその時、私の心に小さい反抗心が生じ、私は混乱した気持ちで主にこう答えました。「主よ、あなたが私にそれを求めておられるなんて、信じられません。あなたのような愛情深く偉大な父なる神が、私のようなつまらぬ被造物に対して、もう受け取ったというほんのわずかな証拠もないものを、すでに受けたと信じるように求めておられるなんて。あなたは全知全能であられますが、私は一片のちりに過ぎません。五感のどれにも感じることができず、私の容態に少しの変化も見られないのは全くもって明らかですのに。あまりにも大きな要求です。私には理解できません。」 すると、その最初の聖句が語りかけたのと同じような方法で、次の聖書の言葉が語りかけてきました。私はその聖書の箇所を特に記憶していたわけではなく、そういう言葉があることを漠然と知っていた程度でしたが、まるで聖書を直接読んでいるかのように、それがはっきりと私に語りかけてきたのでした。「アブラハムは、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じ」、「彼自身のからだが死んだ状態であることを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった」、「彼は、神の約束を不信仰の故に疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し…」(ローマ人への手紙4:17、19、20) 私はこの言葉を何度も繰り返し考えてみました。そして、神が私に何を示そうとしておられるかが、はっきりわかったのです。そう、アブラハムの肉体はすでに死人同然であったにもかかわらず、彼は自分の肉体を見ず、神の約束を見、神はきっと約束を守られると確信して、不信仰によってぐらつくことなく、かえって神に感謝したのでした。それは、神は必ず約束を果たすことができると固く信じていたからでした。そのすべてが、まるで閃光のようにひらめいたのです! 私は死人同然の自分の体を見ていました。自分が死につつあること、病気、苦しみ、症状を見て、そのすべてを考慮に入れていたのですが、神は私に、御言葉だけに目を留めるよう望んでおられたのです。その時、私は、自分の状態にこれっぽっちの変化が見えようと見えまいと、主は私に対して、ただ主を信じることを求めておられるのだと、はっきり気づきました。主は、見えるものによってではなく、信仰によって歩くことを期待しておられたのです。たとえ目に見える証拠は少しもなくても、神がそう言われたという理由だけで、それを信じることを。「信仰は望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」 その言葉がまるで力強い啓示のように私に語りかけ、主が何を言っておられるのか、何を教えようとしておられるかが正確に把握できて、私は心から叫びました。「主よ、わかりました。やっと理解できました。私がそれを感じたり見たりしたからではなく、あなたがそう言われたからと言う理由で、それを信じてほしかったのですね。私はあなたの御言葉を信じます。それがあなたの御言葉であるからです。私はあなたの御言葉を、他の何よりも信じます。あなたの御言葉は失敗することはあり得ません。主よ、私は、彼らが私のために祈ってくれたその時に、あなたは私が求めたまさにそのものを下さったと信じます。ただ私はそれをいつか将来に受け取ることを期待していたので、その時、受け取らなかったのです。御言葉は、「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい」と教えているのに、私は祈った時に受け取りませんでした。私は、いつか将来、あなたが良しとされる時に与えられると思って、ただ待っていたのです。でも、今、本当は彼らが祈ってくれた時に受け取ったのに、その時には何の証拠も見なかったので、それを信じなかったのです。主よ、今やっとそれがわかりました。そして今、喜んであなたの御言葉だけに信頼します。主よ、それを示して下さったことを感謝します。信仰のない私をゆるして下さい。」

 

  その瞬間、私の心に、自分はどうして証拠がなければ信じられないというほど盲だったのだろうという、全くの驚きが生じました。それは実際、信仰によってではなく、見えるものによって歩こうとする態度でした。そして、なぜ自分は、神がそうだと言われたからそうなのだ、そしてそれで十分なのだということがわからなかったのだろうという驚きが生じたのです。私の心は喜びで踊り、その時、心に新しい何かが生まれました。それは神の御言葉への、いつまでも続く揺るぎない信頼であって、その日から今に至るまで、それは少しも変わっていません。私は繰り返し繰り返し、声に出してささやきました。「これは神の御言葉だわ。絶対に失敗することはない。これは神の御言葉。神は絶対に嘘をつかれない。」 まるで、この素晴らしい神の御言葉が、しばしばあざけられ、批評家によってかき乱され、敵によって焼かれつつも、時間と迫害という試練に耐えて、今なお変わらず、絶対確実な、無尽蔵の素晴らしい神の御言葉として堂々と進軍するのが目に見えるようでした。私の心には、大きな喜び、言葉に言い表せない恍惚感が訪れました。神からすれば、私はもういやされたのです。そして、神がそう言われたのだから、そうなのです。それには寸分の疑惑の余地もありません。もはや神の御言葉を疑うことはできないし、疑うつもりもありませんでした。主はこう言われました。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすればその通りになるであろう。」 私はまさにそれをしました。もう自分がそれを受け取り、すでに手にしていると信じたのです! 誰が何を言っても、私にそれ以外のことを信じさせることはできません! その瞬間、私は自分が全然動くことも見ることもできないことが、少しも不思議なことではなくなりました。自分が全く望みのない状態にあり、死にかかっているにもかかわらず、私は、主が完全に私の生命と健康を回復し、全く健やかにして下さったことを喜んでいたのです。すると、ローマ人への手紙にある聖句から、こんな思いが浮かびました。「アブラハムは、神が約束を果たして下さると信じて、神に栄光を帰したのだ。」 私もそれと同じことをしよう。聖書の言葉によれば、私が次にしなければならないのは、祈りへの素晴らしい答と、神が与えられた素晴らしい贈物ゆえに、ただ神をほめることのように思われました。そこで私はささやきました。「神に栄光、神に栄光。」 私はこの言葉を何回も何回も繰り返しました。アブラハムもそれと全く同じことをしたのです。よくなじみのある「主をほめよ」という言葉は、一度も頭に浮かびませんでした。もし電報を受け取って、自分が思いがけなく大きな遺産を相続し、それで問題がすべて一挙に解決し、家族にも思い通りのことをしてやれるとわかったとしたら、きっとその人は電報を抱きしめ、言葉も出ないくらい喜ぶでしょう。そう、私もそんな電報を受け取ったのでした。そして、私は聖書の中にある数々の約束を抱きしめ、「言葉にならない、栄光に満ちた喜び」をもって小踊りしたのです。その時、奇跡中の奇跡が起こりました! 突然、自分の腕が両方とも上に上がっているのに気づいたのです! 今まで完全に動かなかった片方の腕が、上に上がって主をほめたたえているではありませんか。まっすぐに完全に上まで伸びて! 私は、まるで不思議なものを見るかのようにそれを見つめ、もう片方の手でそれにさわってみました。そして上に上げたり下ろしたり、また前後に動かしてみました。別の腕と同じようにちゃんと動きます! それに目もすっかり見えます! 今までかかっていた霞は消えました! 私は無意識の内に頭を左右に動かしていました! それから、誰の助けも借りずに、ベッドの上で動きました! 私はうれし泣きをしました。喜びの涙を流したのです! そして急いで体をよじると、右手の所につり下げてあるベルを鳴らしました。するとメアリーがすぐに来てくれました。彼女はドアの所に立ちすくみ、自分の目が信じられないといったように、まじまじと私を見つめました。私は言いました。「さあ、いそいで、メアリー。早くクッションを重ねて私の体を支えてちょうだい。これから座るのだから。どうか、急いで。」 どうしてあの時、立ち上がって歩こうとしなかったのか、自分でもわかりません。実際、その数分後には歩いていたのですから。きっと、主が私にある教訓を教えたがっておられたからかもしれません。それについては、後でお話ししましょう。メアリーは何のことかわからず、おびえ、心配しながら、枕を重ねて私の体を支えると、電話の所まで飛んで行って、医者に電話をかけました。

 

  私には二人の主治医がいて、一人は整骨療法医、もう一人は薬物療法医でした。夫のバーグはこの二人の医者の所に行って、主が私をいやして下さると期待していることを率直に話しておいた方がいいと考え、すでにそうしていました。整骨療法医とその夫人はこれを誠実な態度で聞き、自分たちも神には不可能なことはないと信じているという信仰を表明しました。ところが、薬物療法医はかなり懐疑的で、夫に対して、私には助かる見込みは少しもないとはっきり言い渡し、何もおかしなことをしてはいけないと釘をさしていました。それで電話連絡を受けると、その医者はすぐこう答えたのでした。「奥さんが立って歩きたいと言っておられるですって? もうベッドに座っておられると? 今、妊婦の出産で手が離せません。後で行きますから、奥さんを静かにさせておいて下さい。」 メアリーが顔をこわばらせて部屋に戻り、私をまたベッドに寝かそうというしぐさをしました。それで私は言いました。「メアリー、神が今この部屋で働いておられるのですよ。だから神の邪魔をしてはいけません。神がこんなにはっきりと働いておられる時に邪魔をするくらいなら、急行列車の前に飛び出した方がましなくらいですよ。」「でも、これはあきらかに、死の歩行です。奥さま、お医者さまが言われたように、静かに休んでいて下さらないと。」

 

      註:「死の歩行」とは、死を目前にした人に起こる現像で、その人に急に力が流入したような行動をとることを指して言う。死が数時間後にせまっているような時に、それまではかすかなささやき程度のことしか口にできなかった人が、急に歌ったり、祈ったり、家族に別れの言葉を言い始めたり、時には無意識状態でそれらのことをすることは、よく言われることである。

 

  それでも、私がどんなに必死だったか、また主がその部屋の中で実際に働いていられるかを見て取ると、メアリーは部屋から出てドアを閉めたのですが、どうやら泣いている様子でした。メアリーとそうした言葉のやり取りをしたため、私の目はしばらく主から離れ、彼女と医師の心の中にあった不安のようなものが、しばしの間私の心に影響しました。その数分間に経験した恐るべき信仰の試練を述べるだけの紙面はありません。ペテロはこう言いました。「こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精練されても朽ちるほかはない金よりもはるかに貴いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れる時、賛美と栄光とほまれに変わるであろう」(ペテロの第一の手紙1:7) それから何年も経った今になってみると、神がなぜ私にそうした信仰の試練をくぐらせたのかがわかりますが、その時の私にとって、それは非常に苛酷な試練で、とうてい理解できませんでした。でも、一つだけ理解できたことがあります。それは、神の言葉は真実であり、それには失敗はあり得ないということでした。試練に襲われるたびに、私はこう言いました。「これは神の言葉。それには失敗はあり得ない。これは神の生きた言葉なのだから、何も恐れる必要はない。」 試練の火が燃えさかる時は、その激しさに圧倒されそうになり、まるで地獄の軍勢が解き放たれて、神の御言葉の証しを台なしにしようと決意しているかのように、疑いや恐れが私に襲いかかってきました。その数ヶ月前、ある友人が私に、悪魔というものはまるで人格を持った実在の人物であり、闇の軍勢の長であると言った時、私はそんな概念を笑ったものでした。でもあの瞬間、この軍勢が実際に、私の求める祝福を受けさせまいと固く決意しているのが、私にもわかったのです。私は自分の戦いが「血肉に対するものではなく、もろもろの支配と権威と、闇の世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」ことを知っていましたが、心の中には神の言葉が真実であることに対する確固とした信頼があったので、それがゆるぐことはありませんでした。誘惑や試練、恐怖が襲いかかるたびに、私の心はこう答えました。「それは神の言葉。だから絶対に失敗はあり得ない。」 そしてついに(試練がますます激しくなって)、「何一つ証拠も見ないまま、いったいいつまで神の言葉を信じるつもりなのだろう」という考えが、まるで地獄の穴からでも出てきたかのように私を襲った時、私は現に、「それは神の言葉だから、私はそれを信じる。たとえ証拠を一目も見なくとも。ただそれが神の言葉だから、私は信じる。それで十分」と言って答えたのです。私はその間中、イエスがペテロに言われた、「見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」という聖書の言葉を考えずにはいられませんでした。そしてちょうどその瞬間、私はいやされたのです! その時、主は私に目で見させて下さったのでした。それは私が今まで信じていたからです。体はもう麻痺していません! 私はすっかり落ち着き、楽になって、ベッドの上にまっすぐ背を伸ばして座りました!

 

  その時、ドアが開いて夫のバーグが入って来ました。とっさに何が起こったかを悟り、主に感謝を捧げ始めた夫を、私はこう言ってさえぎりました。「お願い、キモノとスリッパを取ってちょうだい。あり合わせの服でいいから。歩きたいの。」 私はベッドのわきからそっと床に足をつけ、まっすぐに立ち、何の支えも使わずに床の上を歩き始めました。誰も私に手を触れませんでした。その必要はなかったのです。私は主に触れたのですから。それから隣の部屋に歩いて行って、ベッドの上にかがみ、それまでちっとも見てやれなかった愛児にそっとキスしました。その時、ふと、母子を引き離し、私の心をこなごなに砕いた、あの恐ろしい事故が起こったクリスマスの朝の記憶がよみがえったのです。そのすべてが一瞬の内に私の思いをよぎり、私は心の中でこう言いました。「今やっとわかったわ。なぜあのことが起こったかが。神は私のかたくなな心を砕かなければならなかったのだわ。私を全く新しい人間に造り変えるために、まず私を砕かれなければならなかった。私に愛と祝福を授けるために、まず私を全く無能にしなければならなかったのね。」 私は床を歩きました。そして自分がこの世界で一番幸福な女であるかのように感じられました。病気、悩み、罪の重荷が人生から取り去られたのです! 私は霊的に生まれ変わっただけではなく、まるで肉体的にも全く新しい人間に造り変えられたように感じました。昔の預言者が、「陶器師はその手の中で器を造ったが、それをまた別のものに造り変えた」と言った通りです。私は向きを変えてまた元の部屋に戻りましたが、そこでは夫がじっと立ったまま私を見つめていました。その時、ある詩の一部分が心に浮かんできました。前にどこかで聞いたことがある詩なのですが、全部思い出すことはできませんでした。

 

      私はむなしく音楽を待ちこがれる

      二度と私のものにならない音楽を

      ただの足音を

      床に響く私の足音を

 

      私はもう消えてしまった日々を夢見る

      私の唇が初めてものを言うのを学んだ日のこと

      また幼な子の私に歩くことを教えてくれた

    母の愛のこと

  

      私はむなしく音楽を待ちこがれる

      二度と私のものにならない音楽を

      ただの足音を

      床に響く私の足音を

 

 

  でも私はその音楽を聞いたのです。私は歩いていたのでした。「床に響く私の足音」を聞いたのです。もちろん私はその間中、心を主に向けていました。なぜなら、一瞬でも主から目を離そうものなら、波に飲み込まれると思ったからです。当時、多くの人たちから、「その時、どんな気持ちだったのですか。その時の気持ちをありのまま話して下さい」と尋ねられたものですが、肉体的には、何も変わったものは感じませんでした。ただ嬉しく、また普通と同じに感じたのですが、一つ、私の意識の中で何よりも際だっていたものがありました。それは、私が主に対して感じた「身近さ」でした。それを言葉で言い表すことはできません。ただ、主の存在をじつに現実的なもの、身近なものと感じたので、もしその時、この目で実際に主を見たとしても、ちっとも驚かなかったことでしょう。

  夕食のベルが鳴り、私はバーグに、「おなかがすいているの。何か食べる物はあるかしら」と尋ねました。その真剣さを見て、夫はほほえみながら答えました。「そうだな、普通の女性が食べるようなものでいいのだろう?」「わかったわ。それでは本物の食事を取りましょう。『栄養物』にはうんざりですもの。」 ちょうどその時、メアリーが流動状の「栄養物」が入ったコップとそれを私の喉に流し込むガラス管を持って部屋に入って来ました。私はしばらくそれを見つめ、心の中でそれにさよならを言いながら、声に出して言いました。「本物の『食べ物』と『栄養物』では、大変な違いね。」  他の人たちは夕食に何を用意していたと思いますか? ハンバーガー、サワークラウト、ラードで揚げたフライドポテトです! そのおいしかったこと! 私は前に置かれたもの全部を食べましが、気分は少しも悪くなりませんでした。その晩私は左半身を下にして、一晩中ぐっすり眠りました。まるで小さな子供のように。夫のバーグは後で、その晩、私の寝ているところを何度も見に来たけれど、そのたびにさらに主を賛美しながら去って行ったと言いました。何年ぶりかで初めて横向きに静かにぐっすりと眠っている私を見たからです。

 

            一夜にして死の床から講壇に                

  あくる朝、私は教会まで歩いて行き、そこに集まっていた会衆に話をしました。私の夫が牧師をしている教会です。

  私はまるで骨と皮の状態でした。教会に行くドレスを着た時、ある人が笑いながら言いました。「まるで豆づるの支柱に袋をかぶせたみたい。」 また、まるで私は幽霊みたいで、これできょうかたびらを着せたらラザロ復活の場の再現だと言った人もいました。でも私には何でもかまいませんでした。外見など少しも気にならなかったのです。私の頭の中にあったのはただ一つ、キリストは生きていられるということ、そしてキリストが私に御自身を現して下さったということだけでした。主の御言葉は生きており、それが明らかに私に対して証明されたのです。そして祈りは現実的なものであって、祈りが私の人生を全く新しくしてくれたのでした。これからは、神に喜ばれる人生を送るとしたなら、このすべてと共に、私には天の宝を自由に使うことが許されるのです。まるで、無限の可能性を秘めた人生が私の目の前に開かれたかのようでした。それまで、人生というものがそんなにも素晴らしいもの、そんなにも祝福されたもの、新しい希望と願望に満ちたもの、主の存在を絶えず身近に感じられるものであるとは知りませんでした。人生は完全に、そして根底から変わったのです。もし誰かから、「あなたは大きな祝福を受け取ったのですか?」と尋ねられたとしたら、私は、「いいえ、私は祝福を下さる方を受け取ったのです。」と言ったことでしょう。また、「救いを受け取ったのですか?

」と尋ねられたとしたら、「いいえ、救って下さる方を受け取ったのです。」と言ったことでしょう。私の人生に入って来られたのは、すべて、尊い友人、なぐさめ主、伴侶であるキリストでした。私の魂に与えられた祝福は、肉体に与えられた祝福よりもずっと大きいものでした。まことに、「彼にさわった者はみないやされた」のであり、今、その聖書の言葉の意味がはっきりとわかります。なぜなら、私も主にさわったからです。これは決してある種の精神療法や心理学的な療法でもないし、いやしの手順のようなものではありません。ただ、幼な子のように手を伸ばし、「主のみ衣のすそ」に触れるという単純な信仰でした。

 

註: バーグ氏は次のように証言した。「妻が本書の最後の章に述べた決定的な転機があった日から三週間経った頃には、もう家事をいっさい自分でやり、病人を慰問し、他の人々への奉仕活動を毎日やるようになっていました。そして2ヶ月ぐらい経った頃には、公けのクリスチャン奉仕事業に従事していました。

  あれ以来もう何年も経ちますが、彼女は二人分の仕事をこなし、今日でも、普通の人よりもずっと行動的で、多くの責任を負っています。」−H.E.B

 

               主のみ衣のすそ

 

  その朝、夫の小さな教会に自分の足で歩いて行くといっせいにどよめきが起こり、あちこちですすり泣きの声がもれ、ついで強い期待に満ちた静寂があたりを包みました。夫のバーグが私に起こったことを手短かに話すと、私に話すようにと促しました。私の胸はあふれんばかりでした。今こそイエスとその御力のことを語る機会なのですから。主の深い憐れみ、いつでも祈りに答えようという大きな愛について語る機会なのです。イエスはこの人たちのために死なれたのです。彼らへの強い愛が私の心にもあふれ、私がイエスを見出したように、この人たちにもぜひイエスをあますところなく知ってほしいと、私は深く願わったのでした。数年前まで、イエスのことや彼の栄光のことなど何一つ思わずに皆の前に立っていたこの私が、今では、「キリストとその復活の力を知り、すべてのことをただキリストの栄光のために」というただ一つの願いを抱いています。(ピリピ人への手紙3:10) そしてそれは、「キリストとその復活の力を知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなりたい」からなのです。そこにいる人々が皆、飢えた羊のように見えました。キリストだけが飽かせて下さることのできる羊のように。私はその時、人を愛すると言うことはどういうことかを初めて知りました。中には、私たちがキリストを知ったように、彼を知っている人たちもいました。でも、まだキリストを知らない人たちも沢山います。ですから、私はその人たちが主を発見することができるように、必要とあれば自分の生命をも喜んで捧げようと思ったのでした。私は、これまえでくぐってきた苦難によって、少なくともある程度は「カルバリーの心」を知ることができたのです。

  キリストのことを証しし、主がどんなに素晴らしいことをして下さったかを告げる最初の機会が与えられた時、私はあまりにも胸が一杯で、多くを語ることができませんでした。そこで私は聖書を開き、そこに出て来るある女の人について読みました。彼女もまた、多くの苦しみをかかえており、キリストに触れたことによっていやされたのでした。「するとその時、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスの後ろからみ衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。イエスは振り向いて、この女を見て言われた、『娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』 するとその女はその時に、いやされた。」(マタイによる福音書9:20、21、22) 私は講壇に立ちながらにして、その女性が目に見えるように感じました。長年の苦しみ悩みの末、人ごみの中をやっとくぐり抜け、力果ててひざをつくようにして、通り過ぎるイエスに手を伸ばして触れた彼女の気持ちがよくわかったのでした。私はこの女の人がどう感じていたかを知っていました。イエスに振り向いて触れてもらうにも値いしない自分。どうしてイエスにいやしてほしいと求めることも、他の人々のように大声で彼を呼ぶこともできなかったのかが、私にはわかります。どうして、ただじっとして主が近くを通られるのを待ち、手を伸ばして、そっと「彼のみ衣のすそ」に触っただけであったかの理由が。私は大きな声で言いました。「ああ、この昔の女性を私はよく知っています。私には彼女のことが良くわかります。なぜなら、私も『主のみ衣のすそ』に触ったからです。」

 

 

約束はあなたたちのために(神から答を受け取るための八段階ステップ)

 

  信仰の明らかなステップを踏んで行きたいと志しておられる方々のために、この章を掲載しました。これが皆さんにとって、何かを実際に受け取る信仰に関する実際的な助言となれば幸いです。

  「神は人をかたより見られない。」 思い切って、神の約束にかけてみませんか? もしクリスチャンであるなら、神の約束にかけて、信仰と祝福の新しい世界に乗り出しませんか? 思い切って乗り出し、新しい世界の高みに登ってみませんか? それともあなたは恐れのあまり、勇気を持つことができず、神の約束にかけるという一歩を踏み出すことも、自分のすべてを神の忠実さにかけることもできないのですか? ペテロも一瞬、波の下に沈みましたが、少なくとも「思い切って踏み出す」勇気はありました。私たちはいつまでも、同じ小さく限られた世界に閉じ込もるつもりなのでしょうか。思い切って一歩踏み出し、神の御言葉を試みないのならば、いつまでたっても、あのエレミヤ書33:3で「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す」で言っている、「大きな隠されているもの」とは何なのかを知ることはできません。神はあなたを「大きな場所」に導いて行き、「新しいものを見せる」と言っておられます。

  それなのにあなたは言います。「そのような勝利を得させるような信仰など、どうして持てるだろう。これらの約束を自分のものと考えることが、どうしてできようか。それが真実だということを証明できるのだろうか」と。さて、これからの数ページで、私たちは「神から答を受け取るための方法」について、幾つかの実際的な手引を、ごく手短かに紹介しましょう。

 

     第一: 清い心で始める

  まず神から答を受け取るには、正しい心を持つことが必要なのは言うまでもありません。告白していない罪があると、信仰の妨げになります。心のどこかに神に明け渡していない部分があると、何か試練に直面する時にそれがあなたの前に立ちはだかり、あなたを非難するでしょう。そのことで気落ちしてはいけません。神は完全を求めてはいないのですから。神が求めておられるのはただ、私たちの意志を神の側に置くことです。自分で知っている最善を全心全霊で行うのです。多くの人はこの点につまずいて、「ああ、私はそんな立派な人間ではない。他の人たちはそれに値するだろうが、私だけは値いしない」と言います。それでも、彼らの心には、正しいことをしたい、神に喜ばれる者になりたい、という深い願いがあります。神が求めておられるのただこれだけ、つまり完全に心を委ねること、全面的に自分を明け渡すこと、すべてを祭壇に捧げることです。そうすれば、あとは神が全部して下さいます。さあ、私たちも昔のダビデのように、こう呼ばわりましょう。「神よ、わたしのために清い心を造り、わたしの内に新しい正しい霊を与えて下さい。」「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知って下さい。」

 

     第二: 周到な準備をする。神の約束を暗記する。

 

  神に何かを求めている時に忘れてならないのは、神の御言葉の上に立っている時、私たちには御言葉の権威があるということです。私たちは約束にしがみつき、それを暗記するだけでなく、心の奥深くにまで染みこまなくてはなりません。私たちは神の御言葉に権威を見出すべきで、そうすれば、信仰はおのずと生まれて来るでしょう。神に何かを求める時、神がそれを求める権威を自分に与えていて下さるかどうかがわからなければ、何を求める信仰も持てません。ですから、大切な約束の幾つかを暗記しておく必要性は、いくら強調してもしすぎることはないぐらいです。以下の節は、長年に渡り多くの信仰の戦士たちにとって頼りになる言葉となってきました。箇所をあげておくので、どうぞそこに何が書いてあるかを調べてみてください。マルコによる福音書11:24、同9:23、ヨハネの第一の手紙5:14、15、およびエレミヤ書33:3。あまり多くの約束を覚えることはできないかもしれませんが、たとえ一つでも二つでも、悩みの時には大きな力になって、きっと、今までどうやってそれなしにやって来たのだろうと驚くことでしょう。

          * * * * * * * * * * 

 

     第三:明確に

 

  神と取引する際には明確でなければなりません。神の方は私たちに対して明確な態度を取り、私たちに明確な約束を与えておられます。それらはとても単純なので、幼な子でも理解できるほどです。だから、私たちも神に対して明確な態度を取らなければなりません。私たちは人間同志の商取引には明確さを重んじます。特に金銭が関わる重要な取引においてはそうです。そういう場合、私たちは「契約する」とか「契約を締結する」とか言葉を用い、契約が成立すると、双方の名前を所定の所に慎重に署名して、契約を成立させるのです。これと同じように、神と契約を結ぶ時にも明確さがなければなりません。神の言葉を文字通りに受けとめ、いわば約束の下に書かれている所定の欄に名前をサインして契約を成立させるといったような、明確な時がなければなりません。その瞬間に契約は成立したのです。くいを打って請求地を確保し、これは永久に契約ずみと見なすわけです。それ以後は、私たちの態度は一変します。希望は信仰に変わります。つまり、まだ見ないものを信じるのです。人間の言葉は簡単に信用できて、明確な取決めをして取引を結べるのに、神との取引についてはじつに不明確な態度であるとは、何と残念なことでしょうか。私たちは、まるで祈りがいっぺんの形式的なものに過ぎず、全く気が抜けていて、何の意味もないかのような態度を取るのです。さあ、神に対して明確な態度を取ろうではありませんか!

          * * * * * * * * * * 

     第四:神から期待する

 

  私たちは祈りの生活において、他の何よりも多くの誤ちを犯しています。それというのも、私たちがこんなに沢山の願い事をするだけで、その返事を待とうとせずに、ただ祈りをやみくもに天に向かって送り出すだけで、返事が返ってくるのを全然期待しないからです。そしてついには、受け取るという筋肉を鍛えていないせいで、魂の筋肉がたるんでしまいます。

  クリスチャンには二種類あります。祈った後は何かが起こることを期待するクリスチャンと、祈っても何も期待しないクリスチャンが。祈りとは、結果に至る最初の行為であって、人間の必要と神の供給源とをつなぐリンクです。父に向かって泣く幼な子の声のようなものであり、幼な子は父が自分を心から愛していることを知っており、望んでいる以上のものを与えたがっておられることを期待しているのです。

  極めて模範的なクリスチャンで、その生活ぶりにはほとんど欠点がないにもかかわらず、どうして主からほとんど何にも受け取っていないのだろうと思える人がいますが、それは単に、受け取ることを期待していないからです。彼らは期待することを全然知りません。この信仰の重要な原理を少しも知らないのです。確かに神を愛しているし、聖書が神の言葉であると信じているけれど、期待という点になると、それが全くありません。無限であられる神にとっては、どんなに心が痛むことでしょうか。自分の子がただ祈りを果てしなく繰り返すだけで、心から期待するという態度を少しも表さないのですから!

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    第五: 神から受け取る

 

  「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」「祈り求める時は、信じなさい!」 神に与えて下さいと求め、その後で実際に受け取るという行為まで神がして下さると期待する人たちがどんなに多いかは、じつに驚かされます! 私たちは自分の側で何の努力もせずに、神がやって来てそれを私たちのひざの上に置いてくれることを望みます。神は確かにそうして下さいますが、それは神御自身の条件である、「すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう」にかなった時だけです。神は、その条件を定める権利を持っておられ、神は私たちに、御言葉を信じることによって神に栄光を帰することだけを求めておられます。いったい、それよりも小さな要求などあるでしょうか。聖書には、完全でなければ神に喜ばれることはできない、とは書いていません。そうでなくて、信仰がなければ神に喜ばれることはできない、と書いてあります。もし今あなたの心に、神を喜ばせたいという願いがあるならば、自分では手に入れるのが不可能なものを神は与えることができると信じることによって、神に栄誉を与えましょう。ただ、不可能に向かって信仰の一歩を踏み出しましょう! 「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」 でも、見てから信じようとするのは信仰ではありません。それは目に見えるものではありません。なぜなら、「義人は信仰によって生きる」のであり、私たちが感じるものによって生きるのではないからです。信仰が自分のものであると主張するものによって生きるのであり、自分が考えることによって生きるのではありません。それについて神が何と言われたかが大切なのです。信仰は物事を過去のこととし、それがすでに行われたと見なします。神がそう言われるから、もう成されたのであり、私たちはそれを今、持っているのです。あなたはこう言います。「でも、それを見ることはできません。手を触れることができない。だから自分が受け取ったのかどうか、よくわかりません。」 でも、私たちは受け取ったと知っています。なぜなら、神がそう言われたからであり、神の言葉だけで十分なのです。私たちが信じるのは、五感のどれかによって証明できるからではなく、神がそう証言しておられるからです。「あらゆる人を偽り者としても、神を真実な者とすべきである。」 私も、自分たちの願いがかなえられたことの何か目に見える証拠が欲しいという、人間本来の願いがどれだけ根強いかを知っています。でも、神の言葉以外に何か他の証拠をほしがるのは、信仰ではありません。信仰によって生きる人は、それ以外のどのような証拠も必要としないのです。

  あなたたちは、「祈ってはいけない」時があるのを知っていますか? それ以上主に嘆願するのが筋違いである時があるのを? 主はヨシュアにこう言われました。「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。」 この聖書の言葉は、それ自体が説明になっています。この話に出てくる人は、自分の心の願いを神に訴え続けてきたのですが、そこを読んでいくと、どうやら、彼は神がもうとっくの昔に願いを聞かれ、答はもう間近なのに、なお嘆願し続けていたようです。それで主は、彼がいつまでもぐずぐず同じことをしているのを叱責され、もう立ち上がって自分の仕事に精を出す時であることをはっきり示されました。なぜなら、彼の願いはもう聞かれ、主に関する限りは、それ以上祈り続けるのはもう不必要だったからです。疑いもなく、それ以上祈り続けるのは不信仰であるという時が来るものです。祈ることが信仰からはずれているということもあり得るのです。ですから、神の言葉を文字通りに受けとめ、それはすでに行われたと見なしましょう。神がそういわれたのですから!

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     第六:信仰の立場を貫く

 

  「すべてのことをなし終えたら、信仰の立場を貫きなさい。」 地歩を保つというのは、自分の土地を守り、それを人に渡したり、そこから逃げたりしないということです。それと同じように、神から何かを受ける人は、神の言葉にある約束を取ってその上に立ちます。そしてそこに立った瞬間から、それを完全に自分のものと見なします。約束を要求した後に何が起ころうと、また、一寸先すら見えなくとも、推測航法で航海するのです。そのような人はこう言います。「あの時、私はその約束を果たして下さるよう、主に要求しました。そして、たとえ真っ暗闇の中を航海しなければならなくなくとも、今もその立場に固守している。」 そのような人は、波とか、霧とか、嵐とか、状態とかいった周りの状況に目をとめず、「神はその約束されたことを、また成就することができる」と確信して、ひたすらに聖書の約束だけに目を向けます。ある人はこう言いました。「自分の困難に一度目を向けるたびに、神の約束に百回目を向けなさい。」

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     第七:信仰を行動に移す

 

  神から何かを受け取る人は、その信仰を行動に移すものです。ヤコブの手紙2:17−26。「霊魂のない体が死んだ者であると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。」 死んだ信仰とは何でしょう。死んだ信仰とは、働かない信仰です。死んだ信仰とは、効果のない信仰です。真の信仰は受動的ではありません。信仰は、信じることを行動に移します。信仰とは実際的なものであって、私たちに出来ることまで神がして下さるとは期待しません。信じる人は信仰を行動に移します。神に何かを求める時、すでにそれを持っているかのように行動します。そのような人が、聖書にある何かの約束について神の言葉を文字通り受けとめる時、その人自身に関する限りその言葉は作動し始めているのであって、たとえ人間本来の感覚が、信仰が真実であると主張するものをことごとく否定したとしても、彼は願ったものがすでに自分のものになっているかのように行動します。(信じる信仰によれば、実際にその人のものになっているのです。)

  これを最も良く表している例は、聖書にあるらい病人たちの話です。イエスは彼らに、「祭司たちの所に行って、からだを見せなさい」と言われました。そして聖書には、「彼らが行ったところ、いやされた」と書かれています。つまり、彼らがその信仰を行動に移した時、神は願いに答えて下さったのでした。私たちが信じるという意志を行動に表そうとする時、神はその一歩をたたえて、私たちの願いに答えて下さいます。手のなえた人の話で、イエスは、「あなたの手を伸ばしなさい」と言われました。その人にとって、手を伸ばすのは実際、不可能でした。でもイエスがそう命じられた時、その人は伸ばすという努力をし、その手は完全にいやされたのです。 

  信仰は、意志の内に宿ります。そして私は、神はまさに、私たちが信仰を行動に移すことを期待しておられることを知りました。ある人はこのように言いました。「信仰が市場に行く時には、必ず買物かごを持って行く。」 ちょうど、雨乞いの祈祷会に行く途中の老婦人の話のようです。その年は干ばつで、とても暑く、水が不足していました。その祈祷会に、この老婦人は扇子を持って出かけたのですが、途中で、雨靴とレインコートをつけ、傘まで持った8才の少女に出会って、自分の信仰のなさを恥じたというのです! 単純で疑うことを知らないその少女は、信仰を行動に移したのでした。

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     第八:贈物を神に感謝する

 

  さあ、神が下さった答を感謝しましょう! 神の忠実さゆえに、神を賛美しましょう。荷物はまだ戸口に届いていないかもしれませんが、あなたはすでに神専用の直通電話で、神と契約を結びました。そして、あなたの心の中には、神の約束への甘美な信頼と安心感があり、あとは静かにドアのベルが鳴らされるのを待つだけです! 「信じる者たちは休息に入った。」 これは聖書の中でも最も美しい節の一つです。私たちは祈りをもって始め、賛美をもって終えるのです。「神はその立てられた約束を一つも破られたことはない。」 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることはない。」「神の約束はことごとく神の栄光のために『しかり』となり『アァメン』となった。」 あなたも手を伸ばして主のみ衣のすそに触れてみませんか?

 

 

               『霊的な土台』

 

  イザヤ書53:4−5:「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった、そして彼の打たれた傷によって、われわれはいやされた。」

  

  マタイによる福音書8:16,17:「彼は病人をことごとくいやされた。これは、預言者イザヤによって『彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた』と言われた言葉が成就するためである。」「彼は病人をことごといやされた。」「彼にさわった者はことごとくいやされた。」

 

  ヨハネによる福音書14:12:「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」

 

  マルコによる福音書16:15−18:「全世界に出て行って、すべての造られた者に着く音を宣べ伝えよ。信じる者には、このようなるしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。」

 

  ヤコブ書5:14:「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈りは病んでいる人を救い、そして主はその人を立ち上がらせて下さる。かつその人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。」

 

  ヨハネの第三の手紙2:「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。」

 

  ローマ人の手紙8:11:「もし、イエスを死人の中からよみがえらさせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かして下さるであろう。」

 

  詩篇103:2、3:「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやされるだろう。」