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愛の御霊!

−−「あなたがたは力を受ける!」(使徒行伝1:8)

 

  1.自分の心にイエスを受け入れて救われた人は皆、ある程度聖霊、つまり神の御霊を受けている! 事実、聖霊の力なしに救われることはあり得ない。救いとは神の業だからであり−−「御霊によって生まれ変わる」ことだからである! (ヨハネ3:8) そうでなかったら、あなたは行いによって救われたことになる。だが、自分の行いによって救われることはできない!

  2.しかしながら、救われたというだけでは、完全なる塗油を受け、聖霊に満たされ、聖霊による「洗礼」を受けたという事にはならない。それは普通、イエスを受け入れた後に起こる。ギリシャ語の「バプティゾ(洗礼)」という言葉は、十分に覆われる、または完全に浸るという意味である。だから聖霊によって「バプテスマを受ける」とは、神の御霊によって溢れるまでに満たされるという意味である!

  3.私はこれを簡単に説明して見せる為、いつも水の入ったコップを用いたものだ。コップには、沢山の水は入っていないかもしれないが、もし幾らかでも入っているなら、少なくとも完全に空っぽではない。中の水は、溢れ出る程には沢山入っていないかもしれないが、それでも水の入ったコップだ。さて多くのクリスチャンも、そのように水が少しだけ入ったコップのようだ。−−神の御霊を少しだけ持っている−−底の方に少しだけ、救いに足るだけの少量である。

  4.だが、聖霊によって洗礼を受けるということは、コップに水が注ぎ入れられ、溢れ出るまでに満たされるようなものである! 聖霊がものすごく豊かに注ぎ入れられるので、満ち溢れ、流れ出るのである! つまり、天からものすごく多くの力を授けられるので、それで満ち溢れるのだ!

  5.イエス御自身こう言われた、「『私を信じる者は、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。』 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。」(ヨハネ7:38,39)

  6.私の母は、よくこう言っていた。「聖霊による洗礼とは何か、知っていますか?−−聖霊による洗礼とは、愛によって洗礼を受ける事です!」−−つまり、失われた者達への愛、証ししたいと思うほどの愛、人々を主の元に勝ち取ろうと思う程の愛、全ての人を愛せるような大きな愛を受ける事である! あなたの内から川となって流れ出る水のようになるだろうとイエスが言われた力によるバプテスマとは、主の愛の力によるバプテスマなのである! 事実、神の聖霊は愛である。なぜなら、「神は愛」だからである!(第1ヨハネ4:8)

  7.だから聖霊のバプテスマとは、神の愛のバプテスマである!勿論、神の力によるバプテスマでもある。つまり他の人達にイエスの事を伝え、証しし、イエスの愛を他の人達にも分け与えられるようになる為の力である! 本当に愛でいっぱいのバプテスマなので、自分の内にしまっておけず、その愛を他の人達に溢れ出さずにはいられないものなのだ。誰かにイエスの事を話さないではおれず、それを抑える事ができず、とにかく人々に伝えなければならないと感じる事−−それこそ溢れ出る事であり、神の御霊のバプテスマなのである!

  8.まだ聖霊によって完全なるバプテスマを受ける前の若かった時、私はものすごく内気で臆病だったので、ほとんど何もできないほどだった! だが19歳になって私は、神が聖霊で私を満たして下さるようにと一生懸命に祈った。そしてもっと聖霊に満たされるようになったこの経験の直後、私は突然として、もはや他の人達がどう思うかが気にならなくなったのである!−−私は大胆になった。恐れ知らずの、神によって与えられた大きな勇気があったのだ!

  9.聖霊の力強い完全なるバプテスマを受けた後、私は獅子のように大胆になった! 自分が正しく、また正しいことをしており、正しいことを言っているということがわかっている限り、他の人達が自分のことをどう思うかなど、もはや問題ではなかった。自分が神の御心の内におり、神が私に望んでおられることを行っているとわかっている限り、神の御霊はこの大胆さを与えてくれた。

  10.自分自身のことなど、もはやどうでもよかった! そんなことは全く気にならなかったのである! 私はもはや自意識過剰になるのではなく−−キリストを意識するようになっていた! 本当に聖霊によって塗油されていた! 真に力強く、人々に対して敢然と神の御言葉を語り始めたのだ!

  11.それはちょうど、聖書の使徒行伝にあるように、ペンテコステの日に弟子達が主の御霊によって満たされ、立ち上がって大胆に人々に神の御言葉を宣べ伝えた時のようなものだ! イエスが逮捕された時、あまりにも恐れるあまり、イエスとの関係を3回も否定したペテロでさえ、神の御霊によって満たされた直後、大胆不敵にも勇敢に群衆に福音を宣べ伝えたのである!

  12.御霊で満たされる前は、ペテロは誤ったことばかりしていた! けれどもそれは、ペテロが成し遂げたことはすべて、彼自身によるものではなく、初めは彼と共に暮らされ、後に彼の中に生きるようになられたキリストによるものだったことを示している。「しかし私達は、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私達から出たものではないことが、あらわれるためである!」(第2コリント4:7 ) だから私達には皆、神の愛と力のバプテスマが必要であり、また神の貴い聖霊で溢れるほどに満たされる必要がある。事態をうまく切り抜け、また神の望んでおられる者になるための力を得るために!

  13.中にはクリスチャンになるためには、御霊で満たされることが必要不可欠だと言っている宗派もあるが、私は、そう言ってはいない。事実、私が言っているのは、それとは正反対なのだ!−−ただ救われるためだけ、さらには他の人達に証しするためでさえ、御霊で満たされていないとできないということはない! 救われていて、他の人達に証ししているけれども、御霊で満たされてはいない人達を、私は大勢知っている。しかし、もしより良い証し人になり、もっと多くの魂を勝ち取り、もっと大きな力を持ち、主のためにもっと多くのことを成し遂げたいなら、御霊で満たされていなければならない!

  14.復活された直後、主は使徒達にこう言われた。「上から力を授けられるまでは、あなたがたはエルサレムにとどまっていなさい!」(ルカ24:49) さらに主はこう説明して言われた。「ただ、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう!」(使徒行伝1:8) この力のバプテスマは、あなたに証し人になりたいと願わせ、イエスが人々を愛している事を告げ、証明する為に、地上の最も暗い所にさえ行きたいという願望を与えるだろう!

  15.聖霊が与えられる主要目的は、あなたが証し人になるのを助ける為である!−−「全世界に出て行って、全ての造られたものに福音を宣べ伝え」るように人をつき動かすほどの強い力で人を満たすためである!(マルコ16:15) そしてあなたは、神の御霊、まさに神の愛によるバプテスマを受ける時にだけ、そのような愛を持ち得るのである! 私にはそれ程の愛はない。あなたにもそれ程の愛はない。しかし、神はそのような愛、超自然的な愛、自分の好きでない人達や知りもしない人達でさえ愛する事のできる愛を与えることができる!

  16.著名な福音伝道師であり、また魂の獲得者でもあるドワイト・L・ムーディーはこう言った。「御霊で満たされる前、私は何百人も勝ち取った!」−−御霊を持っていない人にしては、かなりの数字だ! ムーディーは自分の持っていた僅かの霊と少しの真理を携えて出て行き、実に熱心に証しした。その結果、聖霊のバプテスマを受ける前にでさえ、何百人もの人をキリストの元に勝ち取った! けれども彼はこう続けた。「そして御霊に満たされた後は、何千人もの人を勝ち取った!」−−だから、かなりの違いがあるわけだ!

  17.とにかく、魂を獲得するためだけなら、聖霊によるバプテスマを受けていなくてもできる。−−必要なのは、聖書とイエスの愛と、他の人達に福音を宣べ伝えたいという願望だけだ。−−そして、受け入れる用意ができている魂を見つけ、福音という救われるための簡単な方法を教え、イエスのことを話してあげれば良いのである! けれども、もしそれに聖霊の力を加えるなら、あなたは何も、また誰も止めることのできない証しができる!−−力の源を持つのだ!

  18.そしてあなたが聖霊にみなぎっている時、人々は何か偉大なものがあるのに気づく!−−あなたは、いわば脚本通りに調子よく進み、完全に一致して、波頭に乗るようなものなのだ。だがあなたはそれが、神から来るものであって、あなた自身ではない事を覚えていなければならない!−−それは油注ぎであり、神の御霊なのだ!あなた自身ではない!−−それはあなたがイエスを愛し、イエスの御心に服従しているが故に、神から来るものなのだ。そして他の者達は、ただあなたを見ているのではなく、あなたの内にある主を見ている事に気づく!−−これこそが彼らを霊感して、あなたを受け入れ、又あなたの告げる神の愛のメッセージを受け入れる気にさせるものである!

  19.だから、あなたが良い証し人、つまり真に魂を勝ち取る者になるつもりであるなら、聖霊は必要不可欠と言えよう! 私は、あなたが聖霊に満たされるよう助言するし、あなたが聖霊によって満たされることを熱心に勧める!−−聖書が、「御霊に満たされていなさい」と命じているように。(エペソ5:18)実に素晴らしい神の御霊を受けなさい。聖霊を受けることは、性的なオルガスムに似ている!−−あなたは神の愛によって最高潮に達し、すべての人にイエスについて伝えたい気持ちになるだろう!

  20.私達がこの素晴らしいバプテスマを受ける時、主は私達をご自身の愛と力で満たされるだけでなく、聖書が「御霊の賜物」と呼ぶものをもまた与えて下さる。最も一般的な賜物は、第一コリント12章に書かれている通りだ。「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。すなわち、ある人には、御霊によって、知恵の言葉が与えられ、他の人には、同じ御霊によって知識の言葉、また他の人には同じ御霊によって信仰、また他の人には同じ御霊によっていやしの賜物、また他の人には奇跡を行う力、また他の人には預言、また他の人には霊を見分ける力、また他の人には種々の異言、また他の人には異言を解く力が与えられている。」(第一コリント12:4,8-10)これらは全て、神とのコミュニケーションを助け、神や神の御心を理解するために、愛情深い天の父がご自身の単純な子供達に与えられる贈り物なのだ。

  21.だから、他の人達に証しをする力を得る為だけではなく、主との個人的な関係を助けてもらうためにも、聖霊ですっかり満たされる必要がある! 例えば、バプテスマを受けて、「御霊が語らせるままに、色々な他国の言葉で語る」時(使徒行伝2:4 )、つまり御霊があなたの口を通して、今まで知らなかった言語で語ったり、祈ったりする時には、自分の身をまさに主に委ねている事になるからだ。あなたはその時、霊のエクスタシーを知るようになる!あなたはそれをセックスになぞえる事ができる!−−異言で語ったり祈ったりする事は、あなたが主とのはるかに親しい関係を持つのに役立つのだ。

  22.主は、ご自身の御霊や賜物を、私達が受け取りたいと思う以上に、喜んで与えようとされる。−−私達はただ、快く受け入れ、自分の身を主に捧げればよいだけだ。そして、信仰によって救われたと同じように、私達は信仰によって聖霊を受け入れるのである。−−つまり、聖霊で満たして下さるよう神に求めるその瞬間に、即座の、超自然的な、外に現れる証拠を必ずしもいつも得るわけではないということだ。−−中には、幾年も、外に現れる証拠を見ない人もいる!

  23.例えば、主の御霊が私達の舌を支配する時、これは体で感じることの出来る超自然な体験だ。−−外に現れた証拠であって、自分で霊感されていることがわかるものだ! 「異言を語る者は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語るのである。それは誰にもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。」(第一コリント14:2)しかし、御霊のバプテスマを受ける時に、必ずしもすべての人が異言の賜物を受けるわけではなく、御霊によって満たされていることを証明するためには、異言の賜物がなくてはならないというのではない。結局のところ、さっき読んだところには、少なくとも他に8つの賜物があるのだから、どうしていつも異言の賜物を受け取らねばならないということがあろうか?

  24.このバプテスマの力を実際に受け取っても、いかなる即座の証拠も、特定のしるしも、何か特別大きな、体で感じることのできる体験もなかった人々を、私はかなり多く見てきている。彼らは、主の御霊がすぐその場で、何らかの形で現れなかった事でがっかりしたものだった。さて、あなたがドアを開いてゲストを中に迎える時、あなたはその人に何を期待するだろうか?−−入って来るやいなや、あなたに歌を歌ったり、ダンスを披露したりする事か? 神に機会を与えなさい! たぶん、それはまだ主の時ではないのかもしれない!−−おそらく神は、御霊の現われが誰か他の人にも益になる機会を得るまで、待つことを望んでおられるのだろう!

  25.だが、心配はいらない。聖霊は、必ず自らを現すようになる。まさに受けた瞬間かもしれず、後になってからであるかもしれないが! 「各自が御霊の現れを賜っているのは、全体の益になるためである。」(第一コリント12:7)

  26.私は、聖霊を受けても、異言で語ることをしなかった沢山の人を知っている−−それでも私は、聖霊を持っている大半の人は、遅かれ早かれ異言で語るようになると思うが。異言で語ることは、とても素晴らしい祈る方法だからだ。これは、最も一般的な賜物の一つだが、実際には、証しをしたり、他の人達を助けたり導いたりすることに関しては、一番役に立たないものである。異言で祈れることは、たいていは、御霊によって、あなた自身の益となり、徳を高めるのである。−−「異言を語る者は、自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。」(第一コリント14:4)

  27.私は、19歳の時に聖霊のバプテスマを受け入れ、特にその時以来御霊に導かれるようになったことを知っている。私は聖霊がいることを感じ、御霊に満たされ、御霊に導かれていたのを知っているが、その後何年にも渡って、異言で語ったことは一言もなかった!

  28.だから、「異言」の賜物があろうとなかろうと、一度主の御霊による天与の油注ぎ、すなわち主の力の外套を受けるや、あなたが主に御心に従い、主との波長を合わせているなら、あなたは常に正しい道にあり、主の御霊に導かれ、主によって保護され、供給を受け、祝福され、繁栄されるのである。−−「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。」(ローマ8:14)

  29.旧約聖書の計画によれば、特定の王や預言者や指導者だけが聖霊を受け取り、リーダーシップの責任の重荷全体が彼らにのしかかったのだった。しかし、新約聖書の時代が幕を開け、ペンテコストの日が訪れた時、神は、人々が導きを得るために、すっかり人間のリーダーに依存しているという古いやり方を完全に捨て去り、一人残らずすべてのクリスチャンが、直接、神の聖霊に対して責任を持つようにされたのだった。

  30.主は言われた、「終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。」(使徒行伝2:17)−−今では、全ての者が、直接責任を負っているのだ。彼らはもはや、あらゆる問題を自分達のリーダーのせいにする事はできない。全ての者が、リーダーと全く同じように、望むだけ、あるいは受容できるだけの聖霊を持つ事ができ、主によって直に導かれているべきだからだ。主はご自身の教会を多様化させ、分散させるためにこのようにされた。また、多くの迫害を生き延びなければならず、一人一人のメンバーが直接主によって導かれる必要のある時代の為に教会を備えるように。

  31.だからあなたは確かに、「上から力を授けられる」必要がある!(ルカ24:49 )主の力なしに、主の仕事はできない!−−そして、主が与えて下さっている、その力というのは、ご自身の聖霊なのだ! だから「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされなさい!」(エペソ5:18)ウイスキーを飲んで、息も絶え絶えになる必要はない。ただ、聖なる幽霊、つまり、聖霊にたっぷり満たされることだ!

  32.あなたは、御霊によって素晴らしい体験をすることができる。実に素晴らしい解放である! 聖書は、神の、御霊に満たされた子供達が、「天の賜物を味わい、聖霊に預かる者となり、十分な神の御言葉と、来たるべき世の力とを味わった」と言っている! これは、天国や死後の人生を前以て少し味わうことなのだ。天国で私達は、この肉体から、つまり、沢山の問題を引き起こし、私達を縛り付けようとするこの土くれから解放されるだろう!

  33.聖霊はまた、救いの保証としても語られている。−−「約束された聖霊‥‥わたしたちが神の国をつぐ事の保証であって‥‥」(エペソ1:13,14)この保証の意味は、保証金や頭金、見本のことだ。聖霊は、私達が死後の人生において、天国で受け取るようになることの、今ここでの見本なのだ!

  34.イエスは、彼がこの世から去られるという知らせに、いささか気落ちした弟子を慰めていた時、こう言われた。「わたしはあなたがたを離れて孤児とはしない。」 それから彼は、「助け主(訳注:英語ではComforter:慰め主)」と呼ばれる聖霊を遣わすことができるように、彼が地上を去ることがむしろ益になることを告げられたのだった。(ヨハネ14:16-18,26)−−イエスの尊い聖霊は、まさに慰め主そのものなのだ。ある意味では、愛情深い母親のようであり、子供達を常に思いやり、いつも優しく、愛情深く、求愛し、慰め、心を勝ち取り、なだめ、癒してくれる−−まさに母親のようだ。

  35.「あなたがたは信仰に入った時に、聖霊を受けたのか?」(使徒行伝19:2)あなたは、イエスを受け入れ、救われて以来、あなた自身の魂に、神の御霊の力を受けただろうか? 素晴らしい「御霊の賜物」を、何か持っているだろうか?−−ご自分の子供達が楽しむようにと、父である神が与えて下さる素晴らしい賜物を!−−また、あなたのミニストリーのための道具でもある! あなたはそれをたった今持つことができる! ただ主に求めるだけで! (マタイ7:7-11)あなたがしなければならないことはそれだけである! あなたはそれを稼ぐことはできないし、それにふさわしくもない。それは賜物なのだ。賜物を受けるために、あなたは何をしなければならないか?−−ただ受け取るだけだ。

  36.イエスご自身がこう約束された。「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである。あなたがたの内で、父である者は、その子が魚を求めるのに、魚の代わりにへびを与えるだろうか? 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか?このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊を下さらないことがあろうか?」(ルカ11:9-13)

  37.神に聖霊を求める時、それを受け取ったことを知るのは、私達が求めるなら神が聖霊を与えると約束されたからだ。あなたはどうやって自分が救われていることを知っているのか?−−ただ聖書がそう言っているから、自分が救われたことを知っている。「信仰は神の御言葉を聞くことから来る!」(ローマ10:17)だから、神の御言葉がそう言っているがゆえに、自分が救われていることを知っているのだ。前とは違って感じるからとか、何か大きな体験をしたからとかではなく。ただ聖書がそう言っており、それを信じているから、あなたは救われているのだ。

  38.だから、どうやって自分が聖霊を受けているとわかるのか?−−それは救いと同じである!−−聖書が、「求めよ、そうすれば与えられるであろう」と言っているからであり、信じて、主に求めるなら、受け取るのであり、それを持っているのだ!−−それほどに簡単な事なのだ! 御霊がどのように自らを現すかは問題ではない。あなたが神に求めて、それを本当に信じるなら、あなたはそれを持っているということなのだ!

  39.信じているか?−−信じているなら、たった今神に聖霊を求めなさい! 待つ必要はない! 神は、私達が受けとりたいと思う以上に、喜んで与えようとされる! だから、イエスの愛と真理と救いとを、あなたの家族、友人、また隣人に、力強く証しできるように、神の尊い聖霊を今日受けなさい! 神があなたを祝福し、御霊の内に守られますように! 力を今、受けなさい!