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砕きを通して造られる! 編集 1987年4月

−−「御心に委ね、従いなさい!」−−パート3 DFO 2305

 

  1.私の母はよくこう言ったものだった。 「主は私の意志をへし折るために、私の背骨を折らなければならなかった!」 と。彼女がとうとう要点をつかみ、主に自分の人生を委ねるようになるために、彼女は5年間もベッドで寝たきりの生活を送らなくてはならなかった。しかし、彼女がいったんその砕きに服従して、自分の罪を悔い改め、自分の人生を完全に主に引き渡した時、どれだけ主が彼女を力強く使うことができたかを考えてみなさい。−−彼女はものすごく実りある人生とミニストリーを持ったのであり、それによって数えきれないほど多くの魂が救われ、おびただしい数の病んだ体と心がいやされた。TYJ!

  2.だが私達のほとんどの困ったところは、今の自分のままで使われることを望み、砕かれることを望まないことだ! しかし神は砕けた人だけを使われ、それ以外の人は使われない!−−それ以外の人はあまりにも高ぶっていて、自分の肉体や才能や生まれながらの能力に自信がありすぎるので、神が彼らを使われると、自分に栄光を帰してしまう。だから神はそれが理由で、弱い者、愚かな者、軽んじられている者を選ばれ、使われるのである。それは、 「どんな人間でも神のみまえに誇ることがないためである。」(1コリント1:25-29)

  3.聖書の中で、神が使われる前に卑しめなければならなかった全ての人、高く上げる前に、神がどん底までおろさなければならなかった全てのリーダー達をあげれば、きりがないくらいだ。神がそうされなかったなら、彼らは神に栄光を与えないで、自分の手柄にしただろうからである!

  4.ヨセフを見てみなさい! ヤコブの12人の息子の中で、ヨセフは父のお気に入りの子供であった。彼の兄たちは、彼のことをとてもねたんで、とうとうもう少しで彼を殺すところであった。兄たちは、彼を穴の中に放り込み、その後、奴隷として売り飛ばしたのである! しかしそれこそ、主が彼を謙遜にするために使われた手段だったのである。ヨセフは、神が彼を高めて神の民の救い主にすることができる前に、奴隷となり、囚人となり、犯罪人と宣告されなければならなかったのである!(創世記 37,39-41)

  5.またモーセを見てみなさい! 40年間、彼はまさにパロの宮殿で育てられ、古代エジプトという強力な世界帝国において、上から二番目に有力な者となるように育てられた。聖書には彼が 「エジプト人のあらゆる学問を教え込まれた」と語っている。 (使徒行伝7:22) しかし彼は、神の流儀ではなく、この世の流儀でいっぱいだったために、神は御自分の民を自由へと導くために彼を使うことがまだできなかった。モーセは最初、砕かれなければならなかった。だから神は、彼がパロから逃げて亡命者となることを許されたのである。彼は羊を飼うこと以外何もしないで、荒野で40年間暮らさなくてはならなかった。そしてとうとう彼は、砕かれ、謙遜になり、神が彼にさせることを計画しておられた大きな任務に使われる用意ができていたのである! (出エジプト2,3章)

  6.またイスラエルの歴史上、最も偉大だったダビデ王のことを考えてみなさい。彼がバテシバに恋をし、故意に彼女の夫のウリヤを戦場に送って死なせたのである。そして、嘘をついて、全犯罪を隠そうとした!神は、完全に彼を暴露し、その高慢の鼻をへし折り、厳しく裁かれなければならなかった! そのすぐ後に彼は自分を裏切った息子アブサロムによって王座から降ろされたのである。(サムエル記下11,12,15章)

  7.しかしダビデの転落は本当に下向きの転落だったのか、それとも上向きの転落だったのか? 神の上への道は、時々、下に下ることである。事実、たいていそうなのだ! 私達が考えるのとは正反対である! そしてダビデは身を低められ、王国の国民全体も身を低められ、皆が、主こそ、自分たちを偉大にしたお方であることを思い起こさせられた! そしてダビデの人生がつぶされ、ねじられたことによって、そこから詩篇という甘美な蜜と、また、主の憐れみのゆえに捧げられる主への賛美という芳香が出てきたのである! その時以来、このことは、あなたや私のようなひどい罪人に励ましとなっているレッスンである!

  8.偉大で勇敢で力強い預言者エリヤは、天から火を呼びおろして、バアルの偽預言者を打ち破り、自分が正しいことを証明することができた! (列王紀上18章) しかし何百人もの偽預言者を殺した後、彼は怖くなって、一人の取るに足らぬ女、すなわち邪悪な女王、イゼベルから逃げて行ったのである! 荒野に隠れて、彼はとても落胆し、死ねたらよいのにと思ったほどであった! しかし絶望的な状態であったその時に、この火と雷の預言者は神の静かな小さな声を聞くことを学び、柔和で謙遜な人となったのである! そして彼は以前よりもはるかに優れ、謙遜な、主の御手の内の道具となったのである。彼は、女王だけではなくて、王や全ての兵士をも恐れぬ預言者となって戻った!(列王紀上19,21章)

  9.また使徒ペテロを見てみなさい! 彼はとても高ぶっていて、非常に自信にあふれた人だったので、イエスに 「例え他の人があなたを見捨てても、私は獄にでも、また死に至るまでもあなたと一緒に行く覚悟です!」と誓うほどであった。−−ヨハネ13:37,22:33。しかしわずか数時間後に、イエスが宮の番兵達に捕まえられて、ユダヤ人の宗教裁判が開かれる所に引っぱられて行かれた時、その建物の外にいた人々はペテロがイエスに従う者の一人であることに気づいて、彼を指さした。ペテロはイエスを知っていることさえ強く否定し、彼らが何のことを語っているのかわからないとさんざん言張ったのである!(マルコ14:66-71)

  10.彼が主を三回目に否定した時、ご自分を捕らえたもの達によって建物の別の場所に連れて行かれようとしていたイエスはペテロのほうを振り返って、彼を見つめた。その時ペテロは突然、自分が絶対にイエスを裏切らないと誓ったことを思い出した。聖書にはその時ペテロが、「外へ出て、激しく泣いた。」とある。−−ルカ22:62 これで主のためのペテロの奉仕は終わりとなったのか? いや、そうではなかった! この屈辱的な敗北、この大きな失敗、このプライドが砕かれる経験をしたしばらく後に、主はペテロに油を注ぎ、彼を初代教会のリーダーとされたのである!

  11.そしてまた偉大な使徒パウロのことを考えてみなさい。彼は、有力なユダヤ人のリーダーだった。彼はラビであって、サウロという名前であった。彼は、急速に広まっている、ナザレのイエスの信奉者からなる新興宗教に、自らとどめを刺すことにした。見つけられる限り多くのクリスチャンを見つけては、一人残らず捕まえ、投獄し、処刑しようと、馬に乗ってダマスカスへ向かっている途中に、神は文字どおり彼を馬からたたき落とし、神の存在そのものであるまばゆい光によって、彼を盲にされた! かつての誇り高きラビは、恐れおののき、無力で、完全に盲になってしまい、人に手を引いてもらって町に行かなければならなかった。そこで彼は、ショックで、まる三日間、食べることも、飲むこともできなかったのである! その時、主の弟子が彼に神のメッセージを与えるためにやって来て、彼の目のために祈った。そしてサウロは改心し、使徒パウロとなった! しかし神は、彼を使えるようになる前に、まず始めに彼の身を低め、砕き、新しい人にしなければならなかったのである!(使徒行伝9章)

  12.実際これは、どんな形であろうと真に主の仕事に使われている私達すべての者に関して言えることである。主が望んでおられる者になるには、たいてい多くの砕きと、身を低められる経験と、溶かされて、再び形づくられて変えられ、かつての私達よりもすぐれた器に、私達が良いと思っていたよりも良い器に、主の王国のためにはるかに服従し、役立つ者に造りかえられることを要するのだ!

  13.しかし主はそれを強制されない! 砕きは、あなたにかかっている。つまり、あなたが服従すること、快く行なう者にしてもらいたいという気持ちを持つことにかかっている! そのようなテスト、試練、患難は、あなたを柔らかくし、溶かすか、それともかたくなにし、苦々しい思いをもたせるかのどちらかである! 苦しみはあなたに苦々しい思いをもたせるか、もっと良くさせるかのどちらかである。だからあなたが試練を通っている時、心をかたくなにし、苦々しい思いを抱き、神に対して恨みを抱くようなことがないように気をつけなさい。神の言葉はこう語っている、 「気をつけて、神の恵みからもれることのないように、また苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい!」(ヘブル12:15)

  14.もしあなたの試練があなたを謙遜にし、あなたを熔かすに任せるなら、あなたははるかに幸せになるだろう。なぜならあなたは主にずっと近くなるからだ。だが「罪の惑わしに陥って、心をかたくなに」してしまうなら(ヘブル3:13)あなたは結局、あの恐ろしい詩「インヴィクタス」に出てくる人のようになってしまうだろう。 「私は私の魂の主人だ。私は私の運命の支配者だ! 私の頭は血だらけでも、下げることをしない。」たとえ彼は、傷だらけで、打ちのめされ、血だらけでも、彼はなお自分が自分のボスであると言い張り、主の御心に自分を委ねたり、主に対して頭を下げたりすることをしない!

  15.たとえ神がどんなことをしようとも、たとえ神が頭を打たれても、まだ要点をつかまず、自分の頭を下げようとはしない人々がいる! それでも主に呼び求め、主が自分のキャプテンであり、主人であると認めることをしないのである。彼らの頭は血だらけでも、なお頭を下げないままである! それは、神にあからさまに反抗していて御心に委ねようとしない罪人の、何と恐ろしい姿なのだろうか! 真の聖徒、つまり自分を御心に委ね、ひざをかがめて、 「主よ、罪人である私をどうかあわれんで下さい!」と祈る罪人の美しい姿のほうがどれだけ良いだろうか! (ルカ18:13) 私はその姿のほうがずっと好きだ。あなたもそうだろう?

  16.主があなたに対処される時に、心をかたくなにするなら、つまり聖霊に逆らい、神の愛と真理に対して心をかたくなにするなら、あなたの心は固くなり、まもなく何も感じない状態になって、 「無感覚」 になるのである。(エペソ4:19) それは主が次のように言われた事に似ている。 「しばしばしかられても、なおかたくなな者は、たちまち打ち敗られて助かることはない。」−−箴言29:1

  17.あなたがはねのけた真理は、あなたの魂に対して力を失う! 真理に抵抗するたびに、あなたは主に対して自分の霊をかたくなにしているのである! それは、靴にすられて、さわると痛くなった足の部分のようである。最初、そこの所はとても敏感で、本当に痛い! しかし引き続き、こすられ続けると、しばらくすれば大きなたこができて、皮膚がどんどん厚くなり、固くなっていくのである。そしてあなたが主の御心にゆだねることを拒み続けるなら、それと同じことがあなたの心にも起こる!

  18.しかし自分の心をかたくなにすることは、解決策ではない! 主は 「あなたがたの心をかたくなにしてはいけない!」と言われる。(ヘブル3:15) 「あなたの荷を主に委ねよ。主はあなたを支えられる! あなたがたは主にお会いすることのできるうちに主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ! 主は心の砕けた者に近く、魂の悔いくずおれた (砕けていて、悔い改めた)者を救われる!」(詩篇55:22,34:18,イザヤ55:6)

  19.神がどんな事をされようとも、いつもそれを愛の内にされる!「主は憐れみに富み、恵み深く、怒ることに遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。主はわれらの罪に従ってわれらをあしらわず、われわれの不義にしたがって報いられない。天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜るいつくしみは大きい。父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えておられるからである。」−−詩篇103:8-14

  20.主はあなたを愛しておられる。主は、 「私達の弱さを思いやって」下さるのである。(ヘブル4:15)しかし主は、あなたが謙遜にされ、低くされ、少しばかり砕かれているのでない限り、御自分が使いたいと思っておられるほどには、あなたを最大限に使うことはできない。主があなたを取り除かれる時、その時、主はチャンスを持たれる! あなたが道具になり、チャンネルになり、ただの取るに足らないほこりのダイヤモンドになる時、主はあなたを力強く使われるのである! 主はあなたを砕き、低くされ、火の中であなたを溶かし、悪いものを取り除き、清め、かすをたたき出さなければならないのである! 時々主は、あなたに何も残らなくなるまで、あなたをたたきのめされることがある! 完全に死んだようになるまで、肉の思いを十字架につけられるのである! 主は、あなたの思考がほとんどなくなるまで、それを抑えられなくてはならない! それによってイエスがあなたの内に生き、考え、活動することができるためである!(ガラテヤ2:20を参照)

  21.彼は、私達を砕くことによって、私達を造られる。神があなたの心と霊を砕くことができない限り、あなたは主にとって役立つ者とは決してならないだろう! もしあなたに高ぶった高慢な霊、御心に委ねず、頑固で、服従しようとしない霊があるなら、神は決してあなたを最大限に使うことはできないだろう! またどのように哀れで失われた世の人々を愛し、同情し、主の愛で他の人に手を差し伸べるかを知ることは決してないだろう。しかし主がただあなたの心を砕き、溶かすことができるなら、その時主はあなたの心に求愛し、勝ち取り、暖め、溶かし、彼の愛によってそれを明るくし、幸せにし、燃やして下さる! あなたはそれによって、主の愛を他の人に分け与えることができるのである! アァロンが歌っていたように。

 

 「神は言われる。

『私に委ねよ、そうすればあなたの心を砕いてあげよう!』

私があなたを聖別した者ではなかったか?

人を救い、証しするため、私は、ペンテコステの日に私の霊を与えた。

神は言われる。

『私に委ねよ、そうすればあなたの心を砕いてあげよう!』

 

君にはすべき仕事がある。

それをやり終えるまで、決してやめるな。

神は失われた魂を深く愛しておられ、

そのことを思ってしばしば泣かれる。

かかる代価のことで悩むな。

神はご自分の息子を与えられた。叫ぼう、そのことを!

神はご自分の息子を与えられた。叫ぼう、そのことを!

 

彼は悲しみの人で、苦悩を知っておられた。

彼は今なお変わることなく、彼のうちに君の安らぎがある。

君は彼の砕けた心を感じることができる。

失われた魂のために砕けた心を。

彼は今日、君を通して生きる。

ただ彼の望まれるままに行なってもらいなさい。イエスに委ねよ。

そうすれば彼は君の心を砕いてくれる。」

 

  22.だから主よ、私達はイエスの御名によってお願いします。あなたが私達に対処し、私達を砕き、私達のすべてをあなたに明け渡すことを教えようとしておられる時、あなたが最善を知っておられるのだということを、頭と心とにしっかり刻んでおけるように助けてください! 主よ、特に私達が謙遜になるのを助けてください。かたくなになったり、苦々しい思いを持ったりしないように、どうか助けてください! 主よ、私達が苦々しい思いを持つのではなく、もっと良くなるように助けてください!

  23.主よ、あなたは私達にとても大きな愛を与えて下さいました。とても大きな憐れみを示して下さいました。私達に対してどれだけ愛情深く対処して下さったことでしょう! 多分、私達はそのことが愛情深いようには思えず、いらだって、それを厳しく、つらい事だと考えることも時々あったでしょう。しかしその時でさえ、主よ、私達に対してあなたは愛情深く対処して下さるのです! なぜなら私達にわからせるのに、それしか方法がないなら、もしそれが私達に示すことのできるただ一つの方法であるなら、たとえそれがつらいものであると知っておられても、あなたはそれをするほど私達の事を愛しておられるからです。

  24.主よ、たとえ時々、それが私達に取って過酷であるように思えても、あなたがただそうしなければならないから、そうしておられる事を知っています。そして私達はあなたが愛のうちに行なっておられる事を知っています! あなたは私達を傷つけたくはないのですが、時々それが私達を砕き、造り変えるただ唯一の方法なのです。主よ、砕きはいつも痛いものです。そしてあなたは私達を砕かなければならない事を知っておられます。だから私達がその事であなたに感謝できるように助けて下さい。気を悪くしたり、感情を傷つけられたり、高ぶったり、反抗的になったり、腹を立てたりするのではなく、主よ、私達があなたの奉仕にとってもっとふさわしい者となるために、それを受け入れるのを助けて下さい。

  25.例えどれだけそれが辛い事であるように思えても、どれだけ痛みを覚えるものであっても、私たちが服従し、御心にゆだね、あなたの思うままにしていただき、その事でただあなたに 「イエスよ、感謝します!」と言うのを助けてください。例え私達がいつも理解できるとは限らなくても、あなたは私達にとってどんな悪い事も、耐えられない事も与えられないと知っているので、それが必要である事、必要であるにちがいない事が私達にはわかります。主よ、私達がいとわぬ者となるように助けて下さい。私達があなたによって造り変えられるように、これらの砕きを通るのをいとわぬ者となるのを助けて下さい。あなたが私達の内に働き、生きる事ができるよう、又、あなたの栄光が私達の内で見られるように、私達が御心に委ね、身を低くされ、砕かれ、無きに等しい者になるのを助けて下さい。イエスの御名で祈ります。TYL! TYJ!

 

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  ある夏、一人の婦人がスイスで休暇を過ごしていた。ある日のこと、彼女が丘を登っていると、羊飼いの囲いのある所に来た。囲いの中を

のぞくと、羊飼いが座っていて、彼のまわりに羊の群れが横になっていた。そばに積んである麦わらの上に一匹の羊が横たわっていたが、その羊は苦しんでいるように見えた。近寄って見てみると、その羊は足の一本を骨折していた。彼女は即座にその苦しんでいる羊の事をとても可愛そうに思って、羊飼いに、 「どうしたんですか?」と聞いた。

  驚いたことに、羊飼いはこう答えた。 「奥さん、わしがこの羊の足を折ったんですよ。」 彼女の顔は悲痛な表情に変わった。それを見て、羊飼いは話を続けた。 「奥さん、この羊はね、わしの囲いの羊の中でも一番わがままな羊だったんですよ。一度もわしの言うことを聞かなくてね。わしが群れを導こうとする道に、決してついてこようとはしませんでしたよ。何度も、危険ながけの端までさまよい、わしが助けに行かなかったら、間違いなく死んでいたでしょうよ。それに、こいつは不従順なだけじゃなくて、絶えず他の羊も迷わせていたんです。だから、こいつの足を折るのは、わしにもつらいことでしたが、そうするしかなかったんです。

  最初の日、わしが食べ物を持って行こうとすると、こいつはわしにかみつこうとしましてね。その後何日も、わしはこれを特別に気遣って可愛がり、また、他の羊たちに草を食べさせるために外に連れて行く時には、肩にのせたり、腕に抱いて行ったりしたんですよ。だから今では、わしが食べ物をやろうとすると、食べ物を食べるだけではなくて、わしの手をなめたり、いろいろな事をして服従と愛情を示すんです。この羊がよくなれば、そしてすぐによくなるでしょうが、そうなったら、この羊はわしの群れの中で一番良い手本になりますよ。これほどわしの声にすばやく聞き従う羊はいませんからね。これほどわしに従い、いつもわしのそばにいる羊はいないでしょう。」

 

「私の恵みは十分である!」

(2コリント12:9)

 

  26.私達のすべてを主に明け渡すことは、いつもたやすいこととは限らず、試練が来る度にいつも心から「私の思いのままではなく、御心のままになさって下さい。」と祈れるとは限りません! しかしイエスは御心を容易なものにして下さると約束されたことを思い出してください。彼はこう言われました。 「すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者であるから、私のくびきを負うて、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

  27.主は御自分のくびきがあまりにも負いにくく、ご自分の荷があまりにも重すぎるということは決してないと約束された。だから荷を主から受け取って、主の御心を行なうなら、それはあまりにもむずかしくも、きつすぎることもないのである。アァメン? そして他に何もできなくとも、ただイエスが言われたので、ただ信仰によって信じなさい。それが負いにくく、重すぎるように思える時でも!

  28.神は、あなたが背負うことができる以上の荷を、あなたの背にのせることは決してされないと、約束された。神は言っておられる。 「あなたがたの会った試練で、この世の常でないものはない。神は忠実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることがないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(1コリント10:13)

  29.主はあなたが耐えられる以上のものは決して与えられない。だから主があなたにつらいテストやきびしい試練を与えられるなら、主はあなたがイエス・キリストの良い兵士として、それを受け入れられることを知っておられるのである!(2テモテ2:3) 主はただあなたとファミリーと世界に、あなたがそれを受け入れることができるということを示したいのである! それはあなたの証しの一部である!

  30.だからテストや試練や戦いが、あなたにとって耐えられないほどのものであり、どうしてもそれを乗り越えることができないとか、それに対して自分の力が及ばない、自分よりも大きいと感じるなら、主がそれよりも大いなる方であることを覚えていなさい! だから、それを主のところにもって行きなさい。イエスに近づいて、必死になり、彼に頼りなさい!

   私には大きすぎる任務を、

   人の手が為すには難しすぎる任務を、与えてください。

   そうすれば、私はついにあなたに頼るようになり、

   それによって、わが力を見いだすことでしょう。

 31.荷や責任が自分にとって重すぎるように思える時には、重い家具を一生懸命持ち上げようとしていた少年の話を思い出しなさい。彼の父親が部屋に入って来て、自分の息子が苦心しているのに気づいて、こう尋ねた。 「おまえは自分の力を全部使っているのかい?」 男の子は、 「もちろんだよ!」とじれったそうに言った。 「いや、全部の力を使っていないよ。私に助けてくれとは、頼まなかったからだ!」と、父親は答えた。

  32.あなたが弱い時にこそ、あなたは強い。なぜならその時に、主の力が出てくるからである。もしあなたが主に頼るなら! 彼はこう言われる、 「私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに完全にあらわれる。」(2コリント12:9) 私は、自分が肉体において最も弱い時、霊において最も強いということを知った。その時、ただ完全に自分を主に対して投げ出さなければならなかったからである。あなたにはそれをどうやって乗り越えていいのかわからないけれど、彼はあなたを通してそれを乗り越えてくださる。神はあなたが自分でやり遂げることが決してできないことを知っておられるのである。しかしあなたがただ神に委ね、自分の意志を明け渡すなら、その時神はあなたを通してやり遂げて下さる!  「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである!」(ピリピ2:13)

  33.だから主よ、私達があなたの御心を行い、あなたの栄光の為にもっと多くの人をあなたの王国に連れて来る事ができるように、あなたの御心が私達一人一人の人生においてなされる事をあなたにお願いします。つまり私達一人一人の人生からあなたの望んでおられる実を結んで下さるように、また私達一人一人の人生に、あなたの望んでおられるものを注ぎ入れて下さるようにと、イエスの御名によってお願いします! 主よ、あなたは砕けた人しか使うことができないと言われました。だから私達がただのほこりや無きに等しい者となれるよう、どうか私達を砕けるだけ砕いて下さい。そうすればあなたは私達を造り変えて、あなたが最善だと思われる面で私達を使うことができます!

  34.イエスよ、私達は快く応じる者、御心に委ねる者となりたいのです。なぜならあなたは、命の水とあなたの御霊に飢え、乾いているからっぽの器だけを満たすことができるからです。 (マタイ5:6) だからどうか私達が、からっぽになるのを助けて下さい。自分の意志や考えやアイディアを持たず、砕かれ、造り変えられ、どんなことでも、あなたが望んでおられることをしていただくために、あなたが私達のために用意しておられることは何でも喜んで受け入れるのを助けて下さい。イエスよ、私達全員を助けてください!

  35.どうか私達全員をあなたのそばに保ち、あなたの御心の内に保ってください。そして主よ、すべての面であなたに服従できますように。イエスの御名で祈ります。アァメン!

  36.あなたは主にあなたの人生を導いてもらっているだろうか? あなたはどんな事に対しても用意ができているだろうか? 神があなたに望んでおられる事が何であろうとも? どんな事でも喜んでする気持ちがあるなら、あなたはそれに対して用意ができているのである! もしあなたが心からイエスを喜ばせ、従い、彼の望んでおられる者になりたいなら! PTL! 神の祝福があなたにあるように! あなたがイエスの御心に委ね、神の道を行くのを神が助けられるように! イエスの御名によってアァメン!

 毎日いつでも、

 ただ主が望んでおられる者になれるように!

 人生の巡礼の道の一歩一歩で、

 主イエスの御心に完全に委ねられるように!

 ただ陶器師の手の中の土くれとなって、

 主の御心が命じる事だけを行なえるように!

 毎日いつでも、

 ただ主が望んでおられる者になれるように!