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キリストのためのティーン!−−あなたは、その一人か? 1986年7月編集

−−心若きすべての私たちの革命家に対するパワフルなメッセージ! DFO 2223

 

  1.ティーンエイジャー!−−何と素晴しく、スリリングで、チャレンジに満ちた、重要な年齢だろう! 主は、あなたたちをとても理想主義的に造られた。あなたたちは、より良い世界を造りたい、より良い人々になりたいと願っている。それゆえに、あなたたちは、世界をもっと良くしようとしている人々を求め、そういった人々に従って行く! だからこそ、私たちが最初にスタートした時、あの沢山のティーンエイジャーたちが最初に私たちに加わったのだ!−−つまり、彼らが私に従ったのは、私が、彼らが聞きたがっていた真理を宣べ伝えていたからである!−−つまり、何もかもひどい状態だが、必ずもっと良い世界があるはずであり、そして聖書によれば、その良い世界を見つける方法と、そのような世界にする方法があるということを! だから私たちは、一緒になってそれを見つけ、実行したのである。そして私たちは、イエスの革命を起こした! ハレルヤ!

  2.事実、ほとんどの革命は、映画や歴史からわかるように、ティーンエイジャーによって戦われてきたのである。あなたたちは、何でも自分が正しいと思うもの、あるいは何でも価値があると確信していること、自分が見て、本当に必要だと気づいていることに対して、命をかけ、死ぬことをいとわないのだ。

  3.あなたたちティーンは、自分を夢中にさせる何かが必要だと感じる。あなたたちは、何かするべき事が欲しい。何かのために生きていると感じたい! 何かをして、何かのために、自分が役立っているというように感じたいのだ。あなたたち自身、自分があまり何の役にも立っていないとか、あるいはどんなものにも向いていないと感じることがよくある。私も、ティーンだった時、ひどい劣等感を持っていて、自分があまり価値のない人間であると感じ、時にはいったい自分が何の役に立つのだろうかと思った。だが、もし自分が役に立つと感じるものや、戦うだけの価値があり、死ぬほどの価値さえあると感じるものを見つけるなら、あなたたちはそれをするであろう!

  4.あなたたちが、その年齢に達する時、他の世界に手を伸ばしたいという気持ちになり始める。−−そしてそれは、神が植えつけられたものだと、私は本当に信じている。あなた自身の小さな親密な家族関係を越えた社会や世界に対して、責任があるように感じるようなことだ。あなたは、他のティーンエイジャーたちの事を理解できるように感じ始めるのだ。それはまさに世界への関心のようなものである。そして他の家族の他のティーンエイジャーたちに本当に親しみを覚える。

  5.主がティーンエイジャーたちを、他の人々に手を伸ばし始めたいという気持ちにさせられるのは、かなり驚くべきことである。彼らは、本当に自分が自分の回りの世界の一部だと感じることを望み始めるのだ。そして私たちのファミリーにいるあなたたちティーンの場合は、自分の回りのファミリー全体、すなわち私たちの世界中のファミリーの一部であると感じたいのである!

  6.ティーンになることは、困難ではあるが、とてもチャレンジの多い年頃にあなたは達したということである! それは選択の年齢、決断の年齢である。そして実際の統計によると、教会で人々が主を受け入れたのは、12歳の時が最も多いということである! その年齢は、物事を正直に見つめ、自分に言われたことを何もかもそのまま受け入れることはしない年齢である。その年頃に、世俗的な子供たちは本当に両親や教師や体制に疑問を抱き始める!

  7.だからたった今あなたたちティーンは、一番重要と言える年齢にあるのだ。自分自身を主に仕えるために捧げ、 献身するために、最も重要な年頃である。あなたたち11、12歳の子供たちや、ローティーン(13、14歳)たちは、実際に決断を下している真っ最中である。あなたたちは今、どちらの道を進むかについて沢山の決断を下している。これらの年齢は、残りの生涯をどのように進むかを選ぶ、非常に大事な年頃である!

 

ティーンの弟子!

 

  8.私自身の最初の子供たちがティーンエイジャーになった時には、彼らはすでに成長していて、全くの大人のように行動していた。そして、神に仕え、福音を宣べ伝え、魂を勝ち取っていた。彼らは、神の献身的な弟子であり、真剣なしもべであり、私と主に従っていた。そして彼らは、それが大好きだった。私たちを愛し、主を愛し、とても懸命に主に仕えた! 彼らは、 「子供じみたことは捨てた。」(1コリント13:11) そして、彼らは真剣に、真面目に福音を宣べ伝えていたのであり、また祈り、イエスのために彼らの命を危険にさらしたのである!

  9.だから私は、もはや彼らを小さな子供としては扱わなかった。彼らと相談し、理由を説明し、一緒に祈り、彼らに教え、彼ら自身の事の多くは、自分たちで決断させようとした。私は、彼らにこう言った、 「さて、おまえたちは、何が正しく、何が間違っているか知っている。何をすべきだと思うかい? ただ私に聞いてはいけない! 聖書には何と書いてあるかい? 主は、何と言っておられるかい? おまえたちは、何をすべきかね?」 −−主に感謝しよう。彼らは、正しく訓練されたので、ほとんどいつも正しい決断を下した。そして、主のための正真正銘の兵士、真剣に物事に臨む、神の王国の責任ある市民だった。

  10.きっとあなたたち、今日のティーンにも同じことが言えると思う。もしあなたたちに良い基盤があり、御言葉を知っていて、主を知っていて、何が正しく、何が間違っているか、自分が何をすべきことになっているか知っているなら、主はあなたたちを教え、導き、助けてくれるだろう!−−もし、あなたたちが祈って、主から助けを求めるなら。

  11.あなたたちは、真に何か重要なこと、価値のあることをしたいと思う年頃である! あなたたちは、自分が何か価値のあることをしているんだ、と感じることを望む! あなたたちのファミリーのティーンは、することを探さなくてもいい!−−あなたたちには、それがあるのだ!−−それは、全世界で最も価値のある大義であり、本当に働くだけの、また戦うだけの価値があるのだ! いったい私たちの大義以上に価値のある大義があるだろうか?−−福音によって世界に手を差し延べ、永遠の魂を神の天の王国に勝ち取ること以上に価値のある大義が!

  12.正しい指導を受けていない体制の哀れな若者たちは、こう考えることで一生の半分を費やしてしまうのだ、 「私は何になるんだろうか?いったいどういう者になるべきなんだろうか? 何をすべきなんだろうか?」  それは、彼らの最も大きな問題の一つである! 彼らは、そのことを思いわずらって一生の半分を費やすのだ。そして結局、何者にもならずじまいになる!−−だから彼らは、そのことで何も思いわずらわないほうがよいのだ! だが、あなたたちファミリーのティーンは、そのことを思いわずらう必要はない! あなたたちは、何であれ神が望んでおられる通りの者になるであろう−−もし喜んでそうなる気持ちがあなたにあるなら!

  13.この世界や体制の若者とは違って、あなたたちはティーンエイジャーになるずっと以前に、決断することを学んでいるのである。−−あなたたちは、すでに決断を下したのである! 人によっては2歳ぐらいでキリストを受け入れようと決断したのに始まって、あなたたちは幼い頃から重要な事について正しい決断をしてきた。そしていったん自分の人生と、思いと心を主に捧げてしまったなら、その時から、あなたたちは必ず、ほとんどいつも正しい決断を下すことになるだろう。なぜならあなたたちは、神の霊によって導かれているからである。TYJ!

  14.だからこそ、私はいつもあなたたちファミリー生まれで、ファミリー育ちの若者たちは、私たちが持てるような他のどんな弟子たちをもしのぐだろうと言っているのだ! なぜなら、それ以上に良いスタートなどあるはずがないからである! あなたたちは、多くの外国の畑や本国の畑での奉仕のまっただ中で、良いクリスチャンの両親、宣教師、主のためのフルタイムの働き人のもとに生まれた。あなたたちは、生まれる前から主によって祝福され、神の奉仕のために、神の子供たちに、神から与えられたのだ!

  15.あなたたちは、まさにスタートの時から、「主の薫陶と訓戒」のうちに育てられている。(エペソ6:4) そしてごく幼い時から、あなたたち自身の、宣教師の両親の直接の監督と輝く見本のもとで、主の奉仕を行っているのである。あなたたちは、一番初めから、主と他の人を愛し、仕えるように教えられている。そして、あなたたちの忠実な両親のゆえに、神によって祝福されている!−−それは、弟子になるのに何という有利なスタートだろうか!

  16.ファミリーにいるあなたたちティーンは、実に優れた指導や教育や、実に素晴しい霊のしつけを受けてきた。理解力や成熟度や、人生における真の価値の認識や評価に関する限り、哀れな体制のティーンエイジャーをはるかにしのいでいる! あなたが主の薫陶と訓戒のうちに育ち、また主を知り、主を愛し、他の人を愛するように教えられているなら、あなたがローティーンに、つまり若いティーンエイジャーになった頃には、まぎれもなく責任を負う能力があるはずである。

  17.だがあなたたちが持っているすべての利点にもかかわらず、それはいくらかの面でやや困難な試練の年頃にもなり得る。一つには、この年頃は最も理想主義的な年頃だからである。私がその年頃だった時には、他のどんな時よりも、最も高い目標と最も高潔な大志を持っていて、宗教や道徳面で最も厳格で、 理想主義的であった。

  18.ティーンはたいてい、とても理想主義的なので、いつも完全さを求めている。そして勿論、それを両親の内に見出すことは滅多にない。−−私たちのファミリーにおいては別だが。私たちのティーンは、多くの良いものを見る。TTL! あなたたちファミリーのティーンは、完璧さは見つけられないかもしれないが、必ず理想的なものは見ることができる。あなたたちの両親が少なくとも良いもの、完全なものに向かって努力していることや、より良いもののために努力していることは見てとることができるだろう! だから、あなたたちは、世俗のティーンが彼らの両親に対して抱いているよりも、はるかに大きな尊敬や賞賛や信頼をファミリーにいるあなたたちの両親に対して抱いていると思う。

  19.アァロンはよくこの歌を歌っていた。「僕は、沢山の問題を抱えている!」 それは確かに、ほとんどのティーンエイジャーについて言えることだ! その年頃に、人はとても多くの大切な決断を下し、自分の方向を決めているのであり、これからの人格などが決定されようとしているのだ。

  20.もしあなたが、ローティーンという、決定的な転機を迎える年頃に主を真に知っているなら、それはあなたの真の救いである! その時あなたは、自分が直面するそれらの事を理解できるし、自分の疑問に対してすべての答えを持っているのである。それらの年頃を切り抜けて、子供の時代から大人の時代に渡るのを助けるため、また人生がいつも完璧だとは限らず、人々がいつも完全とは限らないことを理解するのを助けるために、主にまさるものはない。また、多くの夢が破れ、失望や幻滅は必ず経験することになるのを理解するのを助けるためにも。その時に、主が介入してこられ、あなたが理解するのを真に助け、あなたを慰め、あなたに答えと理由と目的とを与えて、難関を脱するのを助けて下さるのである。

  21.というわけで、主と良いクリスチャンの両親をもっていることは、勿論とてつもなく大きな助けである。なぜなら、あなたの両親は欠点もあるものの、彼らにできる最善の事を行っていて、正しい事をしようとしていることを、あなたは知っているからだ。だからあなたは自然と、はるかに多くの協調心を持ち、従順であるし、あなたには従って正しい事をしたくさせるような動機がもっとあるだろう。なぜならあなたは、私たちの生き方が主からのものであり、主の道であり、主の愛のおきてに基づいていることを知っているからである。あなたが困難を切り抜けるのを助けるのに、主にまさるものは何もない!

 

より高等な教育!(ピリピ3:14)

 

   22.多くの人々は、体制の教育を捨てることはハンディキャップだと思っている。たとえば、ホゼアの正規の学校教育は、彼が犠牲にしなければならなかったものの一つである。だが主は、そのことに関して私の心にはっきりと語られ、こう言われたのだ、 「そうだ、だが、もし彼がそうしていなかったならどうなっていただろう?」  もし、私たちが子供たちをそんなに低い年齢で学校から出させるべきじゃないと決めたとしたら、どうなっていただろう? アァロンとフェイスはどうにか高校を卒業し、ホーはどうにか中学を卒業した! 神は、ホゼアには正規の学校教育が必要でないことを知っておられたようだ!

  23.ホーが、実際に主にフルタイムで仕え始めた時に、もしそうすることを拒んだとしたらどうなっていただろうか? マザー・イヴの助けと私の教えによって革命を始めたのは、私の子供たちだった。言ってみれば、私たちは小さな闘鶏を訓練して、そのあとは後ろに引き下がって、彼らを世界にけしかけたようなものであった。すると彼らは、どんどん行動を開始していったのだ! ホーは、ロードに出て、証しに出かけ、それらの地域を侵略し、最後にはとうとうハンチントン・ビーチとライト・クラブを侵略して開拓するために私たちと働き、学校教育を喜んであきらめなければならなかったのだ。

  24.それは、若者によってなされなければならなかった! 私は、後で加わり、それらの若者たちを教えることができたが、もし私の子供たちがメッセージやその方法を通じて彼らの心を勝ち取っていなかったなら、その時革命は起こらなかったであろうし、また実際に起こった通りには起こらなかったであろう。革命が始まった時に、もし彼らがいわゆる 「平均的な」若者が「普通に」関心を持っているものを喜んで手放さなかったなら、革命はいつ始まっていただろうか? 事実、いったい誰が始めていただろうか? 私の子供たちは、なお高校にはまり込んでいる若者達に手を延ばすためには、体制の教育を捨てなければならなかったのだ。

  25.いずれにしろ、誰が体制の高等教育を必要とするだろうか?!「この世の知恵は、神の前では愚かなものである!」(1コリント3:19) あなたたち子供たちやティーンは、 高等教育を受けて、体制で専門技術者になろうとする暇はないのだ! あなたがそうしたいと思っても、できないのだ。なぜならあなたが正真正銘のクリスチャンであり、信仰をもっていることを体制が知るや否や、また真のクリスチャンが当然すべきようにあなたが証しをし始めるや否や、体制はあなたを追い出すからである!−−あるいは、あなたが獣の刻印を受けることを拒むや否や、追い出されるだろう!

  26.だが、もしあなたたちティーンが優れた教育を望むなら、私たちにはそれがある!−−最高の教育が! 私たちには、モーレターだけではなくて、その他にもおびただしい量の霊感された出版物や、私たちの教師や宣教師が教えるものや、主がファミリーの中で私たちに与えて下さった計り知れないほど貴重な経験などによる、無限の教育があるのだ! だから外に出て、嘘や毒や不真実や進化論や、あらゆる汚染で満ちている、世俗の反キリスト的、反神的な、この世の教育を受けたいと思う者などいるだろうか? 真実が、すなわち全部の真実が、ただ真実だけがここにあるのに、誰がその種の教育をほしがるだろうか!

  27.いったい他のどこで、神の言葉よりも、またファミリーよりも、優れた教育、つまりあなたのすべての質問に答え、すべての問題を解決してくれるような教育を受けることができようか! どうして他の場所を探す必要があるだろうか?−− 「あなたは、どこへ行くのか?−−永遠の命の言葉をもっているのは、わたしたちだけである!」(ヨハネ6:68)

  28.すでに、あなたたち子供たちは、可能な限りの最高の教育を得ているのだ! それは主の言葉と薫陶(くんとう)と訓戒による教育であり、信仰のうちに成長し、信仰によって生活し、証しをし、文書伝道し、主に仕えることにおける教育である! あなたたちは、世界に間もなく訪れる状況の下で生き伸びるために、たった今受けるのが可能な中で、まさに最高の種類の訓練を受けている。その状況が訪れると、あなたたちは体制なしに、その認可なしに、その刻印なしに、物の売り買いなしに、体制の仕事なしに、ただ神に信頼し、従い、信仰によって生きていく方法を知らなければならなくなるからである。

  29.私は、自分が受けたすべての正規の学校教育が全く時間の無駄だったと言っているのではない。私は、いくらか学んだし、時たま、そういったものが役に立っていることもある。だが、それ以上にはるかに多くのものを、私は、自分の両親や、説教を聞くことや、本を読むことや、他の人を教えることや、実際の経験から学んだと思う。−−そして私は、どんな事でもそのほとんどを主から学んだのは確かだ! 彼は、断然、最高の教師である!

  30.私が、主と主の真実に飢え、それを渇望したので、主は私に人間の教育機関が与えるどんな教育も比べものにならないほどの教育を与えて下さった。(マタイ5:6、詩篇119:99)  私は、御霊の内で、また主の奉仕の内で、人間にできるどんな教育とも比べものにならない教育を受けた。そしてそれは、全く極めて貴重な教育であり、人間の単なる方法や考えや知識をはるかに上回り、越えていた!−−そして、あなたたちティーンたちも、これと同じ教育を受けることができるのである! 

  31.ただ聖書を勉強するだけでも、大学または 神学校の卒業生よりも、あなたは賢くなるだろう!(詩篇119:99) 神の御言葉の真理を知っている者は、大学または神学校を卒業しただけの者よりもはるかに知恵がある! この本は、神の御霊の剣、すなわち神の言葉であり、もろ刃の剣よりも、どんな教育の剣よりも、どんな人間の知恵よりも鋭く、関節と骨髄とを切り離し、心臓を貫き、誰も抗弁も否定もできない言葉と知恵とをあなたに与えるのだ! (ヘブル4:12、ルカ21:15、コロサイ2:8)

  32.神の言葉は、この世界にある教育を全部合わせたよりも、あなたを賢くさせ、不信心で無きに等しいすべての人間の知恵よりも、あなたを賢くさせる!−−そして、御霊を持ち、ほんのわずかでも良い節を知り、証ししたいという気のある一人のティーンは、全部の聖書大学の学長を合わせたよりも、多くのことを成し遂げることができるだろう! だから、大そうな高等教育を受けていなくても、がっかりするな。私は、聖書の1ページだけを使って、主のために多くのことを成し遂げた人を知っている。事実、あなたたちが知る必要のあることは、全てその小さな警告トラクトの中に載っている。もしあなたたちが、そのトラクトと、この革命を始めた鍵となる節のいくつかを覚えるなら、それだけで自分たちの生涯を十分忙しく過ごせるだろう!  (No.655を参照)

  33.だから、ティーンたちよ、これやあれについてあまり多くの事を知らないがゆえに、自分はすこしばかりハンディキャップを負っていると時たま感じても悲しまなくてもよい。あなたたちは、自分の仕事のために必要とされているたぐいの訓練を受けているのである。すべてを持つことはできない。すべてを知ることはできない。あなたたちは、主が与えられた仕事をするために、必要とされているたぐいの知識、すなわち御言葉や戦法や手段についての知識を得ているところなのである!−−そして、その仕事とは、全世界で最高の、また最も重要な仕事である!−− 「キリスト・イエスにある高い神の召し!」、 つまり神の愛の福音を宣べ伝えることだ!(ピリピ3:13,14、マルコ16:15)

 

「神の孫」?−−それとも今日の革命家!

 

  34.誰かが、「神には孫などおられない!」と言った! それは真実である! 2代目クリスチャンなどというものはない! すべての新しい世代は、ドロップアウトするか、妥協してあきらめてしまうか、新しいつぼみを咲かせるか、実を結ばないまま死んでしまうかのどちらかである!

  35.今日のロシアの若者が良い見本である。老人たちは、若者に失望している。なぜなら、若者が、自分たち、すなわち最初の共産主義の世代のように急進的ではなく、共産主義のために戦って死ぬこともいとわないという気持ちがなく、むしろアメリカのロックミュージックや楽しい時を持つことに、もっと興味を持っているからである!

  36.たいていの場合これが実情である。自由のために戦い、血を流し、死んだのは、ただ最初の世代だけなのだ。それゆえに、彼らは自由をありがたく思う! 次の世代は、それを手に入れるために、何の代価も払わなくてよかった! 彼らは、それをただで得たのだ。だから自由を手に入れるために戦ったり、血を流したり、死んだりすることに、あまり関心がないのである! 彼は、ただ自由を楽しみたいだけである! 二代目は、そのためにあまり多くの代価を払わなくてもすむから、その価値がわからないのである!

  37.あなたたちは、このような態度のゆえに、罪ありとされるべきではない。私たち全員が、すなわち両親とティーンが、このファミリーにいるのには、なお何らかの代価がかかるということに気づく必要がある。あなたは、「革命的」というのがどういうことなのか知っているか? 「革命家のおきて」も読んだことがあるか? あなたは、それを実行しているか? それとも、あなたたちティーンは、ただ両親がファミリーにいるから、ファミリーにいるのか?−−それとも、他にどこも行く場所がないからなのか?−−あるいは、単にこの生活が、多くの祝福と有利さを伴うかなり良い生き方に見えるからか?

  38.さて、神の言葉には、 「わたしたち、ひとりびとりは、神に対して自分の言い開きをすべきである。」とある。(ローマ14:12) そしてペテロが、他の弟子たちがすることを気にかけていた時、イエスはペテロに言われた、「それが、あなたと何のかかわりがあるのか? あなたは、わたしに従って来なさい!」(ヨハネ21:22)  選択権という偉大な権利を使う時には、私たちは、他の人の後ろに隠れることはできない。神が、私たちを召され、私たちに個人的に語りかけられる時、そうすることはできない! あなたがあなた自身の信仰に応じて、信仰によってあなた自身の選択をし、私の確信ではなく、私たちの確信でもなく、あなたの両親の確信でもなく、あるいはまたあなたの友人の確信でもなく、あなた自身の確信に従って、あなた自身を神の仕事に捧げる事を神は望んでおられるのだ。

  39.誰も、あなたが正しい選択をするようにと、あなたをせきたてることも強制することもできない! たとえどれだけ彼らがあなたのために祈ろうとも、どれだけあなたが正しい選択を下すよう励まそうとも、最終的には若くとも大人として、あなたは、本当に自分の人生をどう使いたいかについての選択を個人的に一人でしなければならなくなる! 神が、アダムとイヴを園におかれ、彼らに選択させられたのと同じように、神は私たちに、個人的に選択できるという大きく偉大な権利を与えられたのであり、私たちは正しいことか、誤ったことか、善を行うか、悪を行うか、主の道に行くか、私たち自身の道を行くかを選ぶことができるのである!あなたは、単に両親に引っ張ってもらって、両親の信仰にしがみついて、永遠にやって行こうとすることはできない。神の言葉にはこうある、 「今日、誰に仕えるのかをあなたが選びなさい!」 そして、「各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。」(ヨシュア24:15、ローマ14:5)−−選択は、あなたに任されている!

  40.初期の若いティーンが体制からドロップアウトし、ハンチントン・ビーチで私たちの「キリストのためのティーン」に加わってきた時、私は、彼らが軍隊に入っていることや、それは主のための軍隊だということをはっきりさせた。そして彼らは、犠牲を払い、彼らの人生を捧げ、主に何もかも100%与えなければならないことをはっきりとさせた! だから、それらのティーンたちは、目的があってそこにいたのだ。彼らは、真剣だった! 世界や家族や学校や他のすべてのものにうんざりしていた。彼らは、本気だったのだ! イエス・キリストの真剣な兵士だったのであり、遊びではなかった!

  41.革命が始まった頃のことを思い起こし、よく考えてみることは、たとえ今私たちが、普通はその時と同じようなみすぼらしい生活をしていなくても、私たちがビジョンを取り戻す上で、本当に助けとなることができる。私たちは、その当時に戻ることはできないが、それらの最初のティーンの献身と犠牲を考えることによって、ファミリーの真のゴールが何なのかというビジョンを、いつも私たちの目の前にかかげておくのに役立つのである。それは、当時の初期のティーンたちと全く同じくらい、私たちもすべてを喜んで主の仕事に捧げる必要があることを、私たちに思い起こさせるはずである。

  42.もし、あなたがいつも自ら献身し、自分の心をいつも主と主の大義とに委ねておかないなら、私たちがどのように始まったのか、私たちがどのように生まれたのか、何が本当にこの革命を生み出したのか、何がこの火を起こしたのかということを、忘れてしまいがちである!−−そしてあなたは、次第に離れて行って、最後にはあなた自身の小さな形式、あなた自身の小さな儀式、あなた自身の小さな伝統に従うはめになるので、ただ 空回りしているだけで、 「 空を打ち、信心深い様子をしていても、力を持っていない者」 となり得るのである!(1コリント9:26、2テモテ3:5) このファミリーは、多くの真の意欲と火によって開始したが、もし革命的な状態であり続けないなら、過去からの勢いに頼って進んでいることになり得るのだ! 

  43.回転(レボルート)し続けない人々は、結局最後にはスピードが落ちてしまい、静止してしまうのである。なぜなら、彼らは火と燃料を失ってしまったからである。彼らは、少しの間進み続けるかもしれないが、しばらくすると停止してしまう! 誰でも、ただ習慣によって動いているという状態になるなら、つまり個人的な確信もなく、本当に心を打ち込んでイエスのためにそれをしているというのではなく、ただ言われたことをしているだけという状態になるなら、その時、彼らは過去からの勢いに頼って進んでいるだけなのだ。そして、もしエンジンをかけっぱなしにして眠ってしまうなら、すぐにガソリンがなくなって、あなたのエンジンは止まってしまい、すぐにゆるゆると進むだけになり、やがて止まってしまう!−−そしてあなたは、悲しくも、自分が進んでいるその道路が水平ではなく、傾いていて、後ろ向きに坂を走り始めていること、つまり逆戻りをしている事に気づくだろう!(「古いビン!」 ML242を読むこと)(マルコ2:22)

  44.だが、もしあなたが100%主に身を委ねていて、従順であり、心からイエスのための真の革命家になることを願い求めているなら、あなたはそのような古いビンにはならないだろう。もし、あなたが主のために変わり、動き、戦い、仕え、爆発するのに忙しいなら、惰性で動いて最後には止まったり、腰をおろして落ち着いたり、弾力性がなくなり、壊れ易く、柔軟性がなく、わだちにはまってしまうような暇はないだろう。年齢に関係なく、あなたは新しいビンであろう!−−大事なのは、あなたの霊である!−−たとえ40歳であっても、12歳と同じくらい新しいビンでいることができる。だが12歳であっても、従順でなく、服従していないなら、40歳か50歳ぐらいの人と全く同じくらい古いビンになり得る!

  45.だから私たちは、私たちの初期のティーンが革命の初めの頃に受け入れたのと同じビジョン、つまり100%全てを捨て、犠牲を払うというビジョンを持つよう、あなたたちに挑戦したい。あなたたちは、喜んでそのようなチャレンジを受け入れるか? あなたたちは、喜んで戦い、苦しみ、この体制やその悪に対する御霊の戦争を続行していくために、何があろうともそれを行う気持ちがあるか? あなたは喜んで、すべてをかけてイエスと結婚し、あなたを主から離れさせるものは、誰であっても何であっても捨てる気持ちがあるか? 霊のうちで、あなたは今、初期の頃のように生きているか?−−同じ自発的な気持ち、同じ献身、何があろうと心と魂と思いと霊を込めて、イエスに仕えたいという同じ願望を持っているか? 

 

イエスのために立ち上がれ!

 

  46.もしあなたが、自分は、今日一般に言われているような 「クリスチャン」 であると言うなら、本当に誠実に真理を探し求めている人々の内の多くの者たちに嫌悪感を抱かせるであろう! クリスチャンという言葉は、教会体制とその体制に浸かりきった人たちの無関心さ、なまぬるさ、偽善のゆえに、その意味を失ってしまったのである! さて聖書の中では、イエスに従う者たちは弟子と呼ばれていたが、今日では、私は彼らを革命家と呼ぶことを好む! それが本当にピッタリの言葉だと思う。なぜなら、誰でも本当にイエス・キリストの教えに従う者は、この現在の体制では完全に不適当な人間であり、もし彼らがイエスと使徒のしたことを本当に信じ、教え、行うなら、完全なる革命家、過激派、狂信者、極端主義者とみなされるからである!−−そして、世界は彼らのことを耳にするであろう!

  47.だが、因習尊重主義者、伝統主義者、順応主義ロボットは、決してニュースを作らない。そのような者は、他のすべての者たちと全く同じである。他の誰とも違ったところが全然なく、いつも人間の決まりきった標準通りに生きている者の言うことなど誰が気にとめるだろうか! 実際にニュースを作るのは、エレミヤやエゼキエル、ギデオンや他のすべての預言者のような、非因習尊重主義者、非順応主義者、個人主義者、過激派、狂信者、因習打破主義者、偶像破壊者、壊す者、引き裂く者、根こそぎにする者、破壊者たちである!(エレミヤ1:10)

  48.じっとしていて、何も成し遂げず、いつも他のみんなと全く同じように行動する者たちは、人々を驚かすことさえなく、あなたを揺り起こすことも、奮い立たせることもせず、騒ぎを起こすことさえしない! 平静な、小さな、つまらない、腰抜けの、気の抜けた、気力のない、意志薄弱な者、ただ気軽に過ごし、他のすべての人の流れに一緒に流されて行き、決して何一つ変えることをせず、決して何一つ異なったことをせず、主流に逆らうこともせず、決して列を乱さず、膨大な数の根性のない大多数の者たちと決して足並を乱すことのない者たちのことなど、誰も耳にしない! そのような人は、無名の泥沼の中、どことも分からぬぬかるみの中に、他の者たちと一緒に悪臭を放ちながら沈み、忘却のかなたに消えていき、決してニュースになることも、歴史を作ることもしないのだ!

  49.はっきり言っておくが、そのようななまぬるで優柔不断の者が、ファミリーを築いたのではないのだ! そんな者がイエスの革命を起こしたのではない! イエスのための革命を実際に始めたものは、体制と教会に対する霊の戦争の徹底的な宣言であった! それは、軍隊への召集であり、「来なさい、そして真理と主のために、私たちと共に戦い、死ぬのだ!」というものであった。この革命は、臆病者によって築かれたり、戦われたのでもない。−−これは、敵に挑戦し、攻撃に出て、敵をやっつけた勇敢な若い戦士たちによって戦われたのである! 

  50.もちろん、人々を喜ばせるために妥協し、メッセージと方法を抑え、和らげたいという誘惑はいつもある。特に、もしあなたが、他のファミリーと一緒にいないというような状況にあるならそうである。たとえば、体制の学校の中にいたり、世俗的で、ファミリーの者ではないティーンに囲まれているならば。時々、人は援助のためや、人気のために、または何かのトラブルや迫害を避けようとするために妥協しがちである。そして私は、彼らをいつも責めるわけではない。私も、迫害は好きではない。だが、そのような妥協をしているなら、徹底的に、完全に献身しているオンファイアーな者や、主と真理のために喜んで死ぬ気持ちのある、優れた強い正真正銘のイエスのための革命的な弟子にはなれない!

  51.というわけで、あなたたちは、すなわちあなたたちティーンも大人も同等に、教会と教会に染まったクリスチャンがしているように、この世と妥協することに関して、本当に気をつける必要がある! 平均的な教会のクリスチャンとその生き方が、この世の他の世俗的な人々とどう違うのか、全く見分けがつかない。ただいわゆるクリスチャンと呼ばれている人たちは、日曜日に教会に行っているというだけだ。悪魔は、あなたを妥協させて、あなたが主のための証人とならないように、全力を尽くして、あらゆる種類のたくらみを駆使しようとするであろう。そしていったんあなたが妥協したなら、あなたは、だんだん世俗的な人々のようになっていって、しばらくすると両者の違いがわからなくなるのである!

  52.もしあなたたちが、私の1935年の日記を読むなら、私はその16歳の時に、あなたたち若者が今日経験しているのと同じようなことを沢山経験したが、私がいかに主と主の仕事に、また私の両親が教えてくれたことに対して忠実であり続けたかがわかるであろう。( 「十代の秘密」参照、#1365、思い出の書1参照) −−そして、私が多くの困難に直面しながらも、そのような時期に献身的なクリスチャンであり続けたということが。私が学校とそのすべての不信心や迫害や他のすべてのものを乗り越えられたおもな理由の一つは、私自身が両親の宗教に確信を持っていたからである! 私は、彼らの信じているものが本物であることを知っていた!−−だから、学校の無神論者たちや、反キリストたちや教育や進化論の教えるどんなことも、私の確信を揺さぶることができなかったのだ!

  53.事実、学校で私は、私の信念のために戦う者であった! しばしば私の信念のために立ち上がり、教えられていたことに反論した。教師や教科書の語ることに反論したのである!

  54.私は、自分の信仰も、クリスチャンであることも、少しも恥に思わなかった。私たちが、いろいろな場所に行って、人々が私にタバコを勧めても、私は、「いや、僕はタバコを吸わないんだ。」と言うのを恥なかった。−−あるいは、「アルコールは飲まない。」と言うことも。事実、私はそのことに関して、少しばかり自己正義であったかもしれない!

  55.私を悲しませた唯一のことは、私がどちらかというと一人ぼっちであったことだ。私は、他の人と異なっていたので、孤独であるように感じたのだ。私は、他の子供たちのようではなかった。だが、それに関して劣等感は感じなかった。事実、感じたことと言えば、自分がむしろ他の者にまさっているということぐらいだ。だが、孤独であった。そしてそれは、時にはやや辛いことだった。だが私は、自分の確信や信仰を恥に思ったことは一度もないと思う。−−一度もだ!

  56.だが今日、あなたたち子供たちの中には、言語の障害や、自分が外国人であることから、時々少しばかり劣等感を抱く者たちがいるのは理解できる。そのようなことで少しばかりとまどい、不安を感じ、劣等感を感じていることも。だが私は、あなたたちの信仰、進化論を信じないこと、神を信じていること、主を愛し福音を宣べ伝える両親がいることについては、決して感などを感じないことを本当に望んでいる!

  57.勿論あなたたち子供たちの中で、人気を愛し、体制の学校の「人気者」になりたがる者は誰でも、証し人でいるのに苦労するだろう!木こり、つまり、大きな森で木を切り倒す男の話を覚えているか?−−その男をキリストに導いた牧師は、彼にこう警告した、「あなたが伐採場に戻って行った時、あなたがクリスチャンであることを他の男たちが知ったら、状況はあなたにとってとてもきついものになるだろう。彼らのほとんどは、荒っぽい与太者で、悪いやつらだからだ。彼らはクリスチャンが好きではない! あなたが、もう前と同じではなく、もはや神を呪わず、みだらな言葉を使わず、悪い事をやらないなら、あなたが前とは違うとわかり、あなたを迫害するだろう!」

  58.さて、数カ月後に彼は戻って来て、通りで牧師に出会った。牧師は彼に尋ねた、「ジョー、どうだったかい?」−−「ああ、牧師さん、大丈夫だよ。何も問題ないさ。」と彼は答えた。牧師は聞いた、「だが、私は状況が困難になると言っておいただろう?」 するとその男は答えた、「いやいや、きつくはなかったですよ。」−−「それでは他の者たちはあなたを迫害したり、きつくあたったりしなかったのかい?」 その男は答えた。「ええ、牧師さん、彼らはおいらがクリスチャンになったことに一度も気がつかなかったんだ!」 だが、それはクリスチャンの態度でもないし、神のための証し人と言える態度でもない!

  59.そのように、自分の確信のために立ち上がらず、ただ流れに押し流されていき、自分の信仰やファミリーなどを恥に思う者に、私は我慢ならない! 私は、自分の信じているものの為に立ち上がるガッツをもっていない人々には全く我慢できないのだ!−−我慢できたためしがない!誰でも、少なくとも何らかの形の証し人になれる!−−たとえ、秘密にこっそりとやらなくてはならなくとも!

  60.私は、もう一つの実話を聞いた事がある。それはせっせと懸命に働いて、自分の息子を大学に入れる為のお金を稼いだ、貧しい洗濯女の話である。彼女は、やもめで、息子を大学に通わせるために服を洗濯してお金を稼いだのである。そして大学で、息子はかなり良い暮らしをしており、人気もあった。だが貧しく素朴な洗濯女である彼の母親が会いに来た時、彼はそれが自分の母親だと認めるのを恥じたのである! 彼は、他の若者たちに、近所の友人か誰かが訪ねてきたと言ったのである。彼は、それが自分の母親だとさえ認めなかったのだ!−−考えてもみなさい!

  61.さて、そのような子供はガッツがない。確信を持っていない!−−あなたは、確信がなければ生きられない! そして、自分の確信に関して何かをしなくてはならない。そうでないと自分に嫌気がさすだろう!あなたは、自分が正しいと確信していなくてはならない。それから、他のすべての人にも同じことを確信させようとし、自分が信じていることのために喜んで立ち上がり、戦う気持ちを持っていなくてはならないのだ!

  62.だから、利益のために妥協したり、手加減を加えたりすることに気をつけよ。メッセージに忠実であり、方法に忠実であり、御言葉に忠実であり、神の声に忠実であり、神の革命に忠実であり、神があなたを召された特定のミニストリーに忠実でありなさい!−−忠誠でいなさい!−−アァメン?

 

「世を愛してはいけない!」−−(1ヨハネ2:15)

 

  63.あなたたちやあなたたちティーンは、クリスチャンであり、御霊に満たされていて、すでに体制とそのすべてのゴミからドロップアウトしていることになっている。だが、もしあまり主を愛しておらず、イエスに仕えたいがゆえに本当に喜んですべてを捨てるという気持ちがないなら、また、これが素敵な生き方だという考えを持っているだけなら、あなたはずっとファミリーにとどまることはないだろうし、結局はこの世の豚小屋や、豚がころげ回るぬかるみや、自分の吐いた汚物に戻るはめになるだろう!(2ペテロ2:22)

  64.私は、別にあなた達ティーンに、決して回りを見ない事を求めているわけではない。むしろ私は、あなた達に回りを見てほしいのだ! あなた達が、体制の汚水だめや、この世の地獄を見て、自分には何がないか、そのないものは本当に何と神に呪われ、悪臭を放つめちゃくちゃな地獄であるかを悟る事を、私は望んでいるのだ。そうすればあなた達は、二度とその事を考えたくなくなるからだ! この世は、私たち自身や、私達が支持していることや、信じて実践していることと、全く正反対である。もし、あなたたちが、自分の確信と信仰にしがみつくなら、この世とは決してうまくやっていけないと、私は確信している! (ヤコブ4:4)

  65.主に仕えることは、確かにつらく厳しいこともあるが、罪、自己、体制に仕えることの方が、はるかにつらい! 神の御言葉には、イエスのくびきは負いやすいとあるが、「困難なのはそむく者の道である!」とある。(マタイ11:30、箴言13:15) 私はそのことをよく知っている。何度か自分の召しから逃げたことがあるからだ。そして、そのたびごとに、私には真のトラブルしかなかった!

  66.最悪の例の一つは、私が、自分の母のために働くことから抜け出したくて、合衆国の軍隊に加わったことである。私は、主の軍隊にいることにあきていたのだ。何か違うことをしたかったのだ。私は、世の中を一度も実際に味わったことがなかったのである。一度も、本当に外に出て、それがどんなものかを見たこともなかったし、自由がなかったのだ。いつも、自分が母の言いなりになっているように感じていたのだ。あなたたち子供たちも、そのように感じることがあるかもしれない。 「外に出て、世の中がどんなものか、見てみたいなあ!」 −−だが、そのすべてのきらきら光るものは金ではないのだ。それは、興味深く、魅了されるもののように見えたり、沢山楽しいことがあるように思えるかもしれないが、そこはゴミの穴であり、不潔な肥え溜めである!(詩篇113:7、ピリピ3:8)−−ただ、誰でもいいから、私たちの内で、体制にいたことのある人に聞いてみなさい!−−最も良い国でさえ、それは地獄の穴なのだ!

  67.だが、牛は決して満足しない。いつも柵の向こう側の草の方が青々しているように見える。私は試してみたかったのだ。だから主は、私の心の願いをかなえて下さったが、私の魂をやせ衰えさせられた!(詩篇106:15) 私は、軍隊での第1日目が終わる前に、自分が誤った場所におり、そこにいるべきではないとわかった! だが主は、そこから私を出させる前に、しっかりとレッスンを学ぶよう、何カ月間もそれに我慢させたのである!−−だがレッスンを学んだ時、主は私を救い出された! そして、そこを出るために、あやうく自分の命まで失いそうになったものの、私は確かに感謝していた。

  68.だから、お願いだからあなたの祝福を数え、キリストの光の王国に満足しなさい!−−そして、何を見つけられるかと、悪魔の穴、暗闇の王国の中をあさり回るのをやめなさい。そうでないと、あなたはその中に落ちて、とても後悔するかもしれない! 「誘惑に陥らないように、目を覚ましていなさい!」その誘惑は、より高い冠、より大きな報酬へとつながる、キリスト・イエスにおける神の高い召しという狭くて細い道から、あなたを踏み外させるかもしれない。アァメン?(マタイ26:41、マタイ7:13,14)

 

未来の子供!

 

  69.あなたたち子供たちとティーンたちは、前進して行くだろう!あなたたちは未来の子供である! 私たちは皆、未来、私たちの未来、そして来たるべきもののことを考えるべきである! 「後ろにあるもの」−−過去−−「を忘れ、前にあるもの、すなわちキリスト・イエスにある神の高い召しという賞与に向かって進みなさい!」(ピリピ3:13,14)

  70.たった今、あなたたちティーンは、私たちの目の前にある未来であり、まさにこの世界史において最も決定的な時期にいる。あなたたちは未来への希望である! 私たちがなお活動できるこの数年のうちに、あなたたちティーンは、あなたたちの両親がティーンで初めて加わり、この革命を最初に始めた時と同じくらい興奮していて、オンファイアーであるべきだ!−−そして私たちは、大きな収穫をまた刈り取るはずである!

  71.あなたたちには、比べるものがない程の若さと強さと力と塗油がある。それらのものはこれから訪れる苦難の時に必要とされるのである! あなたたちには、塗油がある。あなたたちは、新しい波であり、未来であり、私たちの明日である! たとえ何があろうと、あなたたちがそれをすることを私は知っている。なぜならあなた達は主を愛しており、私を愛しているからである。あなた達は、どんどん進んで行くだろう。あなたたちは、私の将来の宝である!

  72.患難期は、私たちの最後の大きなリバイバル、最終的な大きな証し、子供達とティーンエイジャーの最後の大きな収穫となるだろう。そしてその収穫はおそらく私達のティーンエイジャー達によって刈り取られるだろう! あなたたちは、私があの夢(No1623)の中で見た、小さなヘブンズ・ガールのように、その刈り取りのリーダーとなるだろう。(No1623) 神は、その最後の日々において、世界を導くためにご自分の御霊をあなたたちの世代の上に注ぎ出されるであろう。そして、あなたたちは、強い力と信仰としるしと不思議と奇跡とを現すだろう!

  73.あなたたちは、将来の救いとなる! あなたたちは、ティーンエイジの‥‥テラー (手に負えない) と言うところだったが‥‥患難期の神のテロリストになり、アンチキリスト政府に反対して立ち上がり、それに公然と反抗し、奇跡を行うであろう。そして神は、あなたたちを保護して守るために、またあらゆることにもかかわらず福音を宣べ伝え続けるのを助けるために、力強いしるしや奇跡を行なわれるだろう! 神は、最後までずっとあなたたちの世話をされるだろう。そしてあなたたちは、イエスが来られる時に、彼に会うだろう!

  74.アンチキリスト体制のもとで生き残ることができるように、あなたたちはものすごい偉業を行うようになるだろう!(ダニエル11:32) あなたたちは、ワンダー・チルドレン(奇跡の子供たち)になるだろう! 大いに助けられるだろう! それは、奇跡の時代となるだろう!−−多くのヘブンズ・ガールと、多くのヘブンズ・ボーイによって! ハレルヤ!至る所に、ヘブンズ・ガールがいるだろう!−−ヘブンズ・ボーイも! PTL! 奇跡の時代は近づいている! もう来ている! PTL!

  75.そして、たとえあなたたちティーンエイジャーや子供たちが、患難期においてヘブンズ・ガールのような力強い方法で自分の指導力を現さないとしても、それを至福千年の間に現すようになるだろう! あなたたちは、明日の教師となり、地上に住むすべての人々を教えるようになるだろう! あなたたちは、至福千年で、私たちがこの恵みの時代でそうであったのと同じ者になるだろう! つまり私たちは、この地上の現在の神の王国において、魂の獲得者、教師、組織者なのであり、あなたたちは未来の王国において、教師、魂の獲得者、組織者となるだろう!

  76.将来は、あなたたちにかかっている! 主は、あなたたちもまた明日の教師となると、私に言われた!(No1331参照) 神は、たった今、できるだけ早く人員を集めて、未来に備える為にあなた達や、私、つまり私たち全員を訓練しようとしておられるのである。

  77.主は、これからの数年間の将来があなたたちにかかっていることについてだけではなくて、永遠なる未来があなたたちにかかっていることについても語っておられるのである! 至福千年という将来はあなたたちにかかっている!−−これからの数年間と次の千年間が! あなたたちが未来となるのだ。そして今学んでいることを、あなたたちは後で他の人に教えるようになり、その人が、また他の人に教え、その人がさらにまた他の人に教えていくようになるであろう!(2テモテ2:2)

 

ここでのこの時は、そこでのその時のため!

 

  78.私たちは今、次の世界を支配する準備のために、この人生では訓練期間にある! そして、もし私たちがテストに合格せず、この学年を卒業せず、主がこの人生で私たちに今教えようとしておられるレッスンを学ばないなら、私たちは確かに、来たるべき世界で支配するのには不適である! 世界を治めることができる前に、私たちはまず私たち自身を治めることを学ばなければならない。そして、私たちが現在どれだけ成功するかが、私たちが未来でどれだけ成功するかを大いに決定するであろう。

  79.私は、ただのおとぎ話や伝説のことを語っているのではない。それは、単なる私の想像ではない。私は、現実のことを語っているのだ!−−聖書の中にある事、神が私に示して下さった事、私が経験した事、あなた達が経験した事、あなたが真実だと知っている事である! 神は今、全世界を治めるための訓練をあなた達に与えておられるのである! 今、あなたたちが学んでいることは、あなたたちが国々を治める未来において役立つだろう。(黙示録20:4-5、2:26,27、ダニエル7:18,27)

    80.だから子供たち、ティーン、大人、あなたたち全員は、今自分が学んでいる全てのこと、あなたたちが今している全てのこと、あなたたちが今下している決断、今経験していることなどは全て、「その時、そこで」使われるための、「今ここで」受ける教育と訓練の一部だということを覚えておく必要がある! そうでなければ、あなたたちがここで成し遂げるほんの少しのことを除いて、すべては完全な時間の無駄となる。−−そして私たちが、今成し遂げていることは、比較してみるとあまり沢山ではないのである。

  81.だから、今あなたたちが任せられている小さな仕事、一見つまらない責任と見えるもの、たとえば家の中を掃除したり、赤ん坊の世話を助けたり、人々の世話や彼らの身体の必要とするものを与える方法を学んだり、他の人の面倒を見るのを助けたりすることは、すべて未来のための訓練の一部である。未来において、あなたたちは町や、地域、国々、都市、国民、大陸や世界を監督したり、世話したりするのである! だから、それらの仕事をみくびってはならない! 低く見るな! 軽視するな! 神が今、そのためにあなたたちを訓練しておられる目的を、過少評価してはいけない。また、それがどれだけ重要であるかを。

  82.至福千年の世界での仕事は、大きなものとなるだろう。成されるべきことが沢山ある! だからあなたたちがそのために準備されつつあることを、神に感謝しなさい! これらの仕事をどれだけよくやるか、またどれだけ忍耐があるかを見るために、たった今、神はあなたたちをテストしておられるのである! 神は、あなたたちをたった今テストしておられ、あなたたちがどれだけ忠実であるかさえ、判断しておられるのである。また、どれだけ従順であるか、どれだけ関心をもっているか、どれだけ愛情深いか、他の人を助けるためにどれだけ喜んで最も小さい事をもする気持ちがあるかを。

  83.ただ、私たちがどれだけのことを行えるか、どんなことをするのにふさわしいか、何を扱うことができるかを知るために、神はたった今私たち全員に、このテストと試練と苦難の学校を経験させておられるのである! そしてその時、至福千年において、神はここでのあなたたちの成績表や、ここで卒業した学年に従って、あなたたちに仕事を割り当てられるであろう!−−つまり、あなたたちの才能や賜物や技能やそれらに対するあなたたちの忠実さに応じて。

  84.そこでのあなたの任務は、あなたがここで今、どれだけ仕事をよくやったかによってかなり決定される! その時、そこで何を報酬として受けるかや、至福千年において任務を受ける時が来た時に、あなたがどんな仕事に適格かは、ここであなたがどのように自分の仕事をこなしたかにかかっている! だから最も小さな事に忠実な者は、多くのものを治める者とされる! 統治者となるのだ。その事を考えてもみよ!−−主は言われる、「あなたは小さな事に忠実であったから、十の町を支配させる!」(ルカ19:17) そして、「小事に忠実な人は大事にも忠実である!」(ルカ16:10)この様に、神は物事を見ておられるのである。つまりあなたの仕事がどれだけ大きいかではなくて、どれだけ小さいかを見られる。どんなに小さな事でも喜んで忠実にやるかどうかで、あなたがどれだけ偉大な人物であるかを見ておられるのである。それが神が偉大さを判断される見方である!

  85.もしあなたが、喜んで小さな仕事を忠実に、良く、勤勉に行うなら、神の目にはあなたは大きいのである。そして神は、あなたを信頼して、より多くのものを任せることができるのだ! だが、もしあなたがここで持っている仕事があまり重要だと思わないが故に、のらくらして時間をつぶし、仕事のための時間や、エネルギーや、色々なものや、人々や、お金を無駄にするなら、あなたは神の考えておられるような大物ではないのだ! あなたはただ、ここでも、またこれからの世界でもあまり大きな仕事をするのに値しない小者にすぎないのだ! 事実、あなたはそれに値しないだけではなくて、それをうまく扱う事さえできないのである!

  86.今は、あなたたちの訓練期間である! 幼稚園にいる人もいれば、小学校にいる人もいる。そして、私たちのリーダーの中には、すでに高校にいる人たちもいる。だがあなたたちは、ラプチャーして、至福千年に入るまでは、おそらく大学に入ることはできないであろう! だがその時、つまりあなたたちが世界を監督し始める時、あなたたちは本当に学び始めるし、すでに学んだことを使い始めるだろう! あなたたちが導き、神の御心や、神のルールや、神の道を告げ、主の愛を教え、すべきことを教え、またどのようにすべきかを教えてあげる人があなたたちには沢山いるようになるであろう!

  87.だから現在の仕事や、今している事や、今学んでいることや、今経験していることに関して、決してがっかりしてはいけない。一瞬たりとも、それがただ時間の無駄であり、この世を去る時にはその全てをさっさと捨ててしまうんだと考えてはいけない。あなたたちは、そのすべてを自分と一緒に持って行くのだ。−−学んだこと、経験、知識、知恵、あなたたちがこの人生で学んだ何もかもを! 主をほめたたえよ!

 

今日、生き始めなさい!

 

  88.愛するものよ、私達がしているのは遊びではない! 私達は、主と主のファミリーと主の世界の為の戦争に従事しているのである。そしていったんあなたが、ここであなたの仕事を終え、良い仕事をし、どのようにして忠実に、忠誠を尽くし、従順に、喜んでする気持ちを持って、ほがらかに、忠実に、よく主に仕えるかを学んだなら、彼はあなた達にもっと多くのすべき事、またもっと大きなすべき事を与えられるだろう!

  89.だから今日、私たち全員が忠実でいるのを神が助けて下さるように! イエスのために、真に献身した革命家でいるのを! 私たちのゴールは、陶器師の手の中の、身を委ねた、従順な粘土となることであるべきだ。つまり、神が望んでおられるどんなものにも造ることができ、それからまた必要になれば、再び私たちを砕いて、何か違うものに造り直す事ができるくらい、形が造り易く、柔軟になることである。私たち全員が、正真正銘のイエスのための革命家となり、キリストが 「行け!」 と言われたら行き、「とどまれ!」と言われたらとどまり、「戦え!」と言われたら戦い、「豊かになれ!」と言われたら豊かになり、「低くなれ!」と言われたら低くなるほど、主の召しに対して非常に従順になるのを助けて下さい!(ピリピ4:12,13、イザヤ64:8)

  90.主が、「これがその道だ、これに歩め」と言われたら、その道を歩き、主の導きに逆らわない。主が、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と言われたら、私たちは行く! そして主が、「すべて重荷を負うて苦労している者よ、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」と言われたら、私たちは主の腕の中で休むのである。主が、「信仰の戦いを立派に戦え」と言われたら、私たちは力の限り戦う! 主が、「後ろに下がって、私が戦うのを見ていなさい!」と言われたら、私たちは後ろに下がって、主が勝利を収めるのを見るのである! 主が、「息あるすべてのものは、主を賛美せよ」と言われたら、たとえそれが私たちの最後の息であるとも、私たちは賛美する。主が、「あなたたちは、もはや自分のものではない。代価を払って買い取られたのだ。」と言われたら、そのように振舞うのである。(ピリピ4:12、イザヤ30:21、マルコ16:15、マタイ11:28、1テモテ6:12、歴代志下20:17、詩篇150:6、1コリント6:19,20)

  91.私たちが、本当に全てを捨てて、イエスに従い始める時、初めて私たちは、自分たちが求める豊かな信仰を見つけることができる。つまり、完全な従順という道をたどり始める時に! 私たちが喜んで十字架を取り、自分自身を否定し、自分のプライドと強情な意志を放棄して、主に従おうとする時、他のすべてのものが与えられるのである。なぜならその時、すなわち私たちが私たち自身を主に委ね、主の奉仕の祭壇に、 「私たちの体を生きた供えものとして捧げる」(ローマ12:1) 時、彼は私たちに力と恵みを与えて下さるからである。

  92.譲渡していて、主の御心を喜んで行う気持ちのある男性、あるいは女性、あるいはティーンを使って、神のなし得ることには全く限界がない! だから、 「あなたは、ただ若者にすぎないと言ってはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、霊にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない!」 (エレミヤ1:7、1テモテ4:12) もしあなたが喜んで、神が望んでおられる者になろうとするなら、つまり今のあなたではなく、神が望んでおられる者になろうとするなら、その時神はあなたを大いに使われる!

  93.あなたは、自分自身のために生き、現在と「この今の悪の世」(ガラテヤ1:4)のことだけを考えて生きて、自分の命を救おうとし、結局はそれを失ってしまうのか?−−それともイエスのために生き、彼と彼の革命のために自分の命を失い‥‥結局最後には、それを永遠に救うようになるのか! (ルカ9:24)  その選択は、あなたに任されている! 今日、一見敗北者に見える者は、明日と永遠の勝者となるだろう! だがちょっとの間、罪のはかない歓楽を楽しむことをむしろ好む者は、結局は永遠の敗北者となるはめになる! 神の御言葉には、偉大なるモーセは、「エジプトと罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選んだ。それは、彼が報いを望み見ていたからである。」とある。(ヘブル11:25,26) モーセは、彼が生きていた時代を越えて、天国を見、報酬の栄光を見ることができたのである!−−あなたには、それができるか?

  94.「たったひとつの人生、それはすぐに過ぎ去る! キリストのためにしたことだけが、いつまでも残る!」  あなたは、何をしているのか? 誰のためにしているのか? それはイエスと他の人のために永遠に残るか? 彼は、すぐにやって来る。その時あなたは、嬉しいだろうか?それとも永遠に恥に思うだろうか?−−永遠に後悔するだろうか? 時間を無駄にすることをやめなさい! あまり多くの時間は残っていないのだ! 今こそ主に仕え、他の人を助けるあなたの最後のチャンスである!

  95. 「失うことのないものを得るために、持ち続けていることのできないものを与える者は、愚かではない!」  今、そうしなさい! もう一日たりとも無駄にしてはいけない! 明日では遅すぎるかもしれない!そして時間は永遠になくなってしまう! あなたたちは二度とこの道を通ることはないかもしれない! 毎日が永遠に過ぎ去ってしまう! 遅れてはいけない! 今日、それをしなさい!

  96.今が、あなたのチャンスだ! 今日が! 明日にはそのチャンスが永遠に過ぎ去ってしまう! そのことを考えてみなさい! あなたたちは、今日の貴重な時間を、主と主のもののために費やしているか? 永遠のもののために費やしているか? それともその時間は、永久に去り、なくなってしまうのか? あなたは、どのように主に答えるのか? 主が、「あなたは、自分の人生をどのように使ったのか?」と尋ねる時、どう答えるのか! 今、自分自身と無価値なもののために人生を無駄にしているなら、どうやって主や他の人に顔を会わせることができるのか?−−無価値なもののために生きて死ぬよりも、何か価値のあるもののために死んだ方がよい!−−あなたは、そのどちらのことを行っているのか? 「今日、生き始めなさい! 道はたただ一つ!」−−イエスのために生きること!−−アァメン?