DB809

 

「子をその行くべき道に従って教えよ‥‥!」−箴言22:6. 1982年1月編集

−−私達の幼い者達をどう育てるか!

DFO 1142

 

  1.赤ん坊を身ごもる事と、子供を育てる事は、この人生の中で最高の経験だ! 神の王国への新しい永遠の魂の創造だ! 霊的な赤ん坊を産み、彼らを訓練すると同じようにエキサイティングなもので、それ以上重要だと言えるかも知れない。なぜなら、彼らがこの世に汚されて駄目にされるまで待ち、汚染された脳みそをきれいにしてやるまで待つ必要がなく、初めから、神の良い、清い御言葉の水で彼らを満たしてやる事ができる。

  2.私達の肉にある赤ん坊については、初めから訓練を開始する事ができるので、半分の戦いは終わっている。だから、世界で一番素晴らしい子供達を、この世界に対して、最も偉大で、効果的、印象的な見本とテスティモニーにできるはずである! 私達の子供達こそ、どんな弟子よりも優れた弟子となると思う! なぜなら、こういったスタートができる子供よりも優れた者はいないだろう! 生まれる前から主によって祝福され、主の奉仕に捧げられ、主の活発な奉仕にある外国のフィールド、あるいはホームフィールドの、正真正銘のクリスチャン宣教師のもとに生まれたのだから。

  3.彼らはまさに産道を通ってファミリーにやって来たのであり、世界でも最高の、最も輝かしい将来があってもおかしくないのである。神に祝福された子供達だからだ! 神の賜物として神の栄光のために生まれてきた子供達、主の薫陶と訓戒によって育てられた子供達である。(エペソ6:4 )主の愛と栄光の中で一生を送り、初めから主と他の人に愛し仕える事を教えられ、忠実な両親を持つ事で最初から神に祝福されている子供達だ! 何という幸先の良いスタートだ!

  4.私にとって、子供達こそ世界で一番エキサイティングなものだ。私は子供達が大好きだし、自分の子供達が小さい時にしたように、子供達のまわりにいて、彼らを忙しく教えたり、訓練したりするのがとても好きだ。そして私は今でも、おまえ達クレージーなキッズ達に対してそうしている! 私達の尊い子供達を、イエスよ感謝します。主よ、彼らは私達の心に喜びを与え、とても励ましであり、私達を霊感してくれています! あなたがこんなにも美しい子供達を創造され、良い子供、貴い子供、従順な子供達を創造されたという事を見るだけで、あなたが生きておられるという事がわかります。なんという祝福であり、なんというテスティモニーでしょうか。ハレルヤ! イエスよ、感謝します!

 

「神の創造された生命に対し、創造の神に栄光を帰しなさい!」

 

  5.赤ん坊は永遠の賜物であり、私達は彼らを訓練している。現在のためだけではなく永遠のために訓練しているのだ。子供達は最も貴い賜り物であり、神からの最高の贈り物である!−−小さな子供の中にある主の愛である。とてもスイートで美しい! 子供達は宝だ! 金銀よりも、宝石よりも真珠やダイヤモンドよりも貴いものである、彼らは本当に貴いものである! 彼らはみな宝である。なぜなら、子供達は永遠に続くからだ! 素晴らしいだろう? 新しく創造された魂であり、彼らはいつまでも私達と共にいるのだ! TYJ!

  6.素晴らしい事だと思わないか! 気分が悪くなったり、疲れたりする代価を払うだけの価値があるだろう。神は、あなた達母親を使って不滅の永遠の魂を創造されているのだ! もちろん神が創造されたのだが、神はあなた達を使ってそうされているのだ。あなた達はその道具となり、永遠のものを創造しているのだ! 天地創造このかた、女性が子供を生むたびに、最も偉大な奇跡が起きているのである。永遠に生きる、もう一人の不滅の魂が生まれたからだ! 何と素晴らしい奇跡なのか!

  7.主がどのようにご自分の創造物を計画され、誰が赤ん坊を生むべきか、生むべきでないかを決定されるかは、非常に神秘的であるものの、神の他の創造物が完璧であるように、神が赤ん坊の創造に関しても間違いをされないことを私達は知っている。神があなたに赤ん坊を与えるなら、神はその赤ん坊を生むように任命されている! 神は人間の魂の創造主である。神は妊娠をつかさどる創造主だ。男が女をファックするだけではない! 私は妻をファックしまくったが、できた子供は4人だけだった! どうして私には4人の子供ができたのか? 彼らが生まれることを神が定められ、神が彼らを創造されたからだ。私が決めたのではなかった。私達はただ、神が使って下さった道具に過ぎなかった。

  8.あの命のスパーク、あの霊のスパーク、人間の魂を形成する体と霊の結合を創造されたのは、神である。神があなたを通して、また、あなたとあなたのメイトの行為を通して赤ん坊を造られた時、ご自分のしていることをよく心得ておられたと思う。自分の力の限り努力しても子供が全然できない人もいる。私は、そういった人達を知っている。望んでもいないのに子供ができる場合もある。彼らには子供を持つ事が可能で、子供が必要で、子供を持つ必要があると神が思われているからだろう。それは全くの神の奇跡なのである。

  9.神のタッチ、神の御手なしには、一つの魂とて創造されはしなかっただろう! この宇宙にまた一つ新たな魂を創造しようと思われる時、神は実に明確な決断をして魂を創造され、準備が整うと、霊の息吹を吹き込まれる。それは神自らの創造であり、神の御霊の定めるところである。

  10.私達の美しい子供達を見てみなさい! 私達の赤ん坊よりも美しいものがあるだろうか? 赤ん坊は実に神に近く、天国から降りてきたのだ。あなたを例に取ってみてもわかるだろう。神は、あなたが生まれる前から、あなたを定めて下さった。世界のできる前から、あなたを定められていた。神は、あなたがこの世に生存するようになる事を知っておられた。あなたは選ばれたのだ。あなたという存在は、偶然に起こったものではない。(エレミヤ1:5参照)

  11.私だったら、神の自然の過程を邪魔する事は恐れ多い事だと思う。神の自然の流れを邪魔し、神が人間を造って下さった状態を変えたり、神が人にして欲しいと望んでおられる事を妨げる事に関して、神の恐れを感じる。だから、好きなだけファックしなさい! 神によって定められた魂、すなわち神があなたのために意図される神の子供達を除いては、あなた達に赤ん坊が生まれることはないからだ! 

  12.(赤ん坊のテッチーの為の祈り:)あなたの創造した貴重な小さな命を祝福してください。主よ、本当にあなたの奇跡です。あなたの王国の為の真新しい魂、永遠の魂です。小さな毛布にくるまって眠るこの赤ん坊は、主よ、永遠に生きるのです! なんと素晴らしいものでしょうか。私達が天国に持っていく事のできる唯一のものは、あなたのくださった魂です。赤ん坊と子供達、あなたの薫陶と訓戒の中で育った子供達です。主よ、子供達を感謝します。その一人一人を、尊い子供達として、感謝する事ができますように。主よ感謝します。ダビディトを祝福してください。世界中にいる子供達を祝福して下さい。そして子供達の家族も。世界中にいるあなたの子供達を祝福して下さい。主よ、感謝します。

  13.(歌う:)「かわいい女の子、青い目の輝く子、天国をとても近くに感じさせてくれる! 母の腕の中に眠る子。この子に見つめられると、天国がとても近く感じる! 母の胸の中で眠る子。優しい寝顔。彼女はそうやって安らぐ。私の愛がわかるから。神が授けて下さった優しくかわいい女の子。小さな天使のような女の子。天国からやってきた! 母を見つめるその目は、青く輝く。天国をすごく近くに感じる!」

 

神からの賜物は神からの仕事

 

  14.ファミリーの中の幾人かの人達は、子供達が実は大変な仕事だということに気づき始めているらしい。彼らは、子供達は神からの賜物だから、神が彼らの世話もして下さるものだと思っていたようだ! ちょうど農夫についてのこの昔ながらの話のように。この農夫は開拓者で、ジャングルを切り開いて農場を作った。ある日曜日のこと、牧師がこの農夫の家の夕食に招待された。農夫が美しい農場を牧師に見せてまわっていた時、言うまでもなく牧師は、すべてについて神に栄光を帰すように話しを促し、こう言った。「ほう、主は素晴らしい農場をあなたに下さいましたね!」その年老いた農夫はこう言った。「そうですよ。だが、主が持っておられた頃のこの土地はひでえもんでしたよ!」

  15.子供達は神からの賜物だ。だが、同時に神からの仕事でもある。だから、受け取るだけに留まってはならない。その賜物には大変な仕事がつきものだ。神があなたに子供を与えられるなら、神へのあなたの一番の任務というのはその子供達なのである! 子供達こそ神からの仕事である! 神が子供達を与えて下さり、子供達は神の子供達である。しかし神は、あなたがその子供達の世話をし、訓練することを望んでおられる! それはフルタイムの仕事である! 一人か二人の子供を持つようになった頃には、あなたの仕事はもう決まってくる! その時には、子供達が主からの仕事なのである! だから、「私には子供を世話する時間などないわ、主の仕事で忙しいもの」と言わないように。そんなのはたわごとだ! その子供達こそ、主の仕事なのだ! 

  16.子供達は大きな仕事である! だが、大きな仕事には大きな報酬がつきものだ。大きな責任を果たせば、多くの益にあずかる。だから、子供達を持つことについて誇りを持ち、感謝すべきだ。主のために母親になり、イエスのための「クニューディサイプル」を育てることは世界で最高の生き方であり、最高の仕事なのだから。PTL! そして子供達はあなたにとっても最高の祝福になるだろう。

  17.あなた達ガールズは、母親になる素晴らしい資質を持っている! これは大きな仕事だが、イエスが助けて下さるだろう。主はそのすべてを造って下さったし、主のアイデアなのだから、どのようにして終えるかは主が知っておられる。「あなたがたのうちに良いわざを始められた方が、最後まで完成して下さるだろう。」(ピリピ:1:6)事実、母の役目は、世界で最高の召しだと思う! 次の世代の母なのだから!母こそ、未来を形作り、世界を作っている者なのだ! 母達は、子供達を通して世界を築きあげる。明日の世界は、今日の母親達の築きあげたものなのだ。すべては、母親達がどのようにして子供を育てるかにかかっている。

  18.母親の仕事は何と大切な事か! 赤ん坊を世話し、おむつを替える位の仕事がそんなにも重要だとは思えないかもしれない。だが、いつの日かその赤ん坊は、一角の人物になるかもしれない。主にとってそれはそれは重要な者になるかもしれないのだ! 人間一人の魂は世界の全ての物質的な富を集めたものに代えられない価値がある。小さな赤ん坊はそれよりも価値のあるものであり、持久するものなのだ。

  19.だから、子供を世話する仕事を軽んじてはならない! 子供を世話し、その小さな生命を形勢し、毎日教えていくという仕事があらゆる仕事の中で最も重要だろう。子供は、5歳までに人生の80%の事を学ぶ。人生で学ぶすべての80%だ。だから、あなたが何を教えているか考えてみなさい! 彼らをよく教え、正しい事を教えるのがいかに重要かわかるだろう。だから、子をその行くべき道に従って教えるならば、年老いても子がそれから離れる事はないというのはもっともだと思う。(箴言22:6)どうしてそれができるのだろうか? それはその子の知っている80%なのだ! 大きくなったら時には少し道を外すかもしれない。他の人がどうしているか、どのような生活をしているのか好奇心があって道を外す事もあるかもしれない。それでも彼は必ず、父の家に戻ってくる! PTL!

  20.というわけで、この最初の5年間はとても重要である。子供が5歳になるまで待つわけにはいかない。毎日毎日が大切であり、子供が毎日何を学ぶかがとても重要になってくる。自分の子供が養われ、衣服があり、保護されたり、ちゃんと睡眠を取っているかといった身体的な事だけではなく、子供が精神的にも訓練され、教えられ、霊的に霊感されているかを確かめるのは、両親としての責任だ。

  21.(マリヤ:ある人達が信じている放任主義、つまり、子供は学ぶ時には学ぶし、学ばない時には学ばないといった成り行きまかせが良くないのはそのためですね。もちろん、子供が学びたくもないものを無理矢理学ばせるのは良いとは思いませんが、大半の子供は学びたいと思っているし、したい放題にさせておかないなら、もっと多くの事を学べるのです。世界に残された時間、そして私達の子供達に残された時間は本当に短いものです。ですから、できる限り私達の子供達に学ぶ機会を与えてあげる必要があります。)アァメン! あなた達にはその責任がある! そして、自分でそういった時間が取れないなら、誰か正しくそれができる人、当然すべき方法のできる人を探すべきだ。そうでないと、あなたが神の御前に立つ日が訪れた時、神はあなたにその責任を問われるだろう。ひょっとしたらその日が来る前にも神はそうされるかもしれない!

  22.あなたはこの任務を果たせるだけの能力があるだろうか? もちろんない。だが神にはできる! 神は、あなたを助け、子供達が神の良い子供達、神の忠実な証し人、未来の支配者達になるようにして下さるだろう。あなたが主の家で、主の女王のような母親として、また、王のような父親として、彼らが私達と共に神の未来の王国を支配するために、当然あるべきプリンスとプリンセスにふさわしい、りっぱな者になるように、その養育に最善を尽くすなら、神はあなたがそうできるように助けて下さるだろう! あなたがそれを試みるなら、神は助けられるだろう! アァメン?

 

「やさしく導く!」

 

  23.母や私の世話をしてくれた人達のおかげで、今日の私があるのだ! 母は、聖書や主や、霊的な価値や、聖書の登場人物や真理以外の事を、私に教えた事がなかった。父もそうだった。つまりこれがルールだった。主に関係ないなら、関係しないという事が! 私の母はイエスに恋をしていた。彼女がその愛を私に植え付けてくれた事を神に感謝している。

  24.だが、小さな子供にイエスの事を教える方法がわからないという人達は、きっとイエスを知らないのだろう! 全く信じられない話だ! 私達はイエスについて話しており、イエスに祈り、すべての事をイエスの名でする。それを心からしている! ダビディトは2才ちょっとでイエスを受け入れた!−−十分片言を話せ、自分が繰り返して言っている言葉の意味を理解できるようになってすぐにだ。

  25.子供に母親と父親がわかるようになれば、すぐに神の事を話してやれる。つまり母親と父親が、自分の事を愛し、世話し、自分を産んでくれ、自分を創造してくれた人だという事がわかったらすぐにだ。こう説明すればいい。目には見えないが、偉大なお父さんがいて、そのお父さんはどこにでもいる愛の霊であり、彼は愛であると。事実、子供が話すようになる前でさえも、小さな子供を主に導く事ができる。つまり、あなたの手本とあなたの愛によって、また、主やイエスの事について子供に話す事によって!

  26.そして彼らが「愛するイエス様、僕が悪かった事を赦して下さい!」と言えるようになればそう祈らせるのだ。罪が何であるかわからなくても、悪いという事はわかるだろう。「どうか僕の心の中に入って下さい。僕が良い子になるのを助けて下さい。」彼らはそう言うだけでいい! もし、あなたの子供があなたの言っている事を理解でき、あなたの後をついて言う事ができるようになっているなら、その子をキリストに導く事ができるだろう。その子はあなたの言っている事を信じ、つまり御言葉を信じ、キリストに祈り、キリストを受け入れる事ができる。あなたの後について言ってもいいのだ。

  27.だから今、あなたの子供をイエスに導きなさい! 明日ではもっと難かしくなるかもしれない! 子供と、そしてあなたの為にも、早ければ早いほどいいだろう! 今そうしてはどうか? 「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である!」(マルコ10:14 )「主はその群を養い、そのかいなに小羊をいだき」(イザヤ40:11 )PTL!

 

子供達を御言葉の中で!

 

  28.私達の子供を育てる上で大切な点は、私が子供だった時の経験、それから私の子供達が幼かった時の経験から言って、御言葉を暗記する事だった。御言葉、御言葉、御言葉である! 私の両親は、私に御言葉を植え付けた! 幼い時から御言葉を聞いていた。住み込みの家庭教師、日曜学校の先生は私に聖書を読んでくれ、聖書の物語を話してくれた。私はそういった話が好きだったし、それを信じていたし、それが人生に大きな影響を与えてくれたと思う。

  29.聖書自体と聖書の物語を正しく伝えてもらった事が、私の人生に大きな影響を与えた。なぜなら、私はそれが神であり、神の声であり、神の本であると知っていたからだ! 神に感謝することに、それは決して消えることのない程に私の頭に深く刻まれたのだった。聖書を絶えずいつも読む事だけでも御言葉がすっかり根ざし、あなたも忘れないし、子供達も忘れないのだ。私がたくさんの聖句をよく知っていて、聖句にどういったものがあるのか覚えているのは、私が幼少の頃から始めたからに違いない。

  30.私の聖句の知識、これこそ聖霊が使ったものであり、これまで私を支えてくれたものだった! 私は小さなトドラーの時から、聖句を暗記するようにされていた! だから、学校の授業の中で、進化論や天体学か何かで先生が生徒に間違った教義を吹き込もうとしていると、即座に私はそれを疑った。その時、瞬時的に聖句を得たものだった! 私は真理を知っており、御言葉を知っていたので、聖句が浮かんできたのだ。聖霊はすべての状況、あらゆる機会において、忠実に私の頭に聖句を浮かばせてくれた。それぞれの状況で起こった事に対して、聖書の話や、聖句の例が頭に浮かんできたものだった。

  31.後になって子供達ができ、私は家にいない事が多かったが、家にいる時はできる限りの時間を子供と過ごした。その上、できる時には、子供達を旅先に一緒に連れて行ったりしたものだった。そして、子供達と一緒にいる時には常に彼らに教えた。そして毎晩、1時間から2時間の聖書の物語を教えたものだった。たいてい、子供達にわかるような簡単な言葉になおして説明してやり、要点がわかり、興味を持たせるために、振りをつけたり、劇をしたりしてあげたものだった。子供達はそれが大好きだった!

  32.子供達が寝る時には聖書のレコードをかけてあげた。誰もレコードを裏返さなくなった様子で、子供達が眠ったのだと知ったものだ。彼らは、神の御言葉にとても興味を抱いていたのだった! ハレルヤ! 私達のファミリーの中のそれぞれの家族もこうであるべきだ。あなた達もこのようにするべきだ。そして今、私達にはカセットテープに録音されたレターがある!

  33.ホーやフェイシーが小さかった頃、聖書の物語を読んであげたのを覚えている。ふたりはまだ1歳と2歳だった。もちろん、彼らはあまり理解していなかったようで、たいてい一番最初に眠り込むのは彼らだった。それでも彼らはちゃんと座って聞いていた。彼らがどれだけ吸収し、どれだけ理解していたか、神だけがご存じだ。だが、子供達は言葉が話せるようになるとすぐに御言葉を学んだ。彼らは御言葉を一日中聞いていた! 御言葉を学び、暗記し、御言葉についての歌を歌い、いくつもの聖書の章を暗唱することができた。私達の生活の中で、御言葉より先にくるものはなかった!

  34.時々私は、一日中彼らにクラスをし、御言葉を教え、御言葉を読んでやり、物語を話し、まさに御言葉浸けにし、御言葉に没頭させた! 彼らが御言葉の中で溺れてしまうのではないかと感じた時もあったと思う! それほどまでに私達は、彼らに御言葉を昼夜与え、祈りと歌、賛美とテスティモニーで満たしていた。私達の小さなトレイラーは、天国的な小さなハッピーホームだった。

  35.(アァロン:父親が毎晩欠くことなく、子供達を呼び、聖書の話を読んでくれ、振りをつけて劇をしてくれ、実際に起こっているように登場人物を描写し、モーセやサムエル、ダビデ王といった、色々な人達を演じましたが、それは2歳から5歳までの小さな子供にとって大きな影響力を持っています。そうやって僕の人生は始まったのです。ダッドが御言葉を教えてくれるほど、僕達の事を思ってくれた事によってです。僕が人生の初めから御言葉を教えられた事を神に感謝しています! TYL!)

 

「ストーリータイム」

 

  36.子供達が寝る時、部屋に行って物語を話してやるのがとても好きだ。それは、一日の終わりの時間なので、私が話した物語は夜中じゅう彼らの頭に残る。その時に、子供達と一緒に祈った。あなたが子供達と一緒にいる時間があまりなくても、一緒に祈る事くらいはできるだろう。毎晩おやすみを言い、彼らと祈りなさい。自分ができないなら、誰か他の人が子供達と祈っている事を確認しておく事だ。

  37.子供達は座るか、小さなベッドに横たわってダディーが聖書を読むのを聞いた。上の子供達が興味を見せていたので、小さい子供達も興味を見せた。小さい子供達は大きな子供のまねをする。小さい子達が、話の中から多くを学んだかどうかはわからないが、3歳か4歳だったフェイシーはすべてを理解していたと思う。彼女はいつも、お話をしてと私にせがんだものだ。(マリヤ:普通の欽定訳のものをですか?)まずそのままのものを読み、それから説明してやった。欽定訳のものをダディー訳に言換えたわけだ。それぞれの句切り、一つ一つの聖句の節ごとに、何が起こっているか説明する。聖句の一つ一つを読み、通訳するのだ。それから私がそれに動作をつけると、子供達は絵も何もないのに、引き付けられるように見ていた!

  38.人形劇はなかったが、私の子供たちに聖書を読んであげる時は、私が見世物となった。私はそのストーリーを描写し、飛び回り、動作をつけた。くじらがヨナを飲み込んだ時には、床を転げ回ってじゅうたんにくるまったりした! 子供達はとても楽しんだようだった! 2歳のフェイシーでさえも、ダディーのおどけたしぐさを非常に愉快に思っていた! 子供達は笑いまくった!−−彼らは、お楽しみの夜のエンターテイメントを必ずや得られることを知っていたのだった! 聖書が今までとは違ってくる! あなたもそうやって動作をつけ、描写するなら、聖書のストーリーをとても興味深いものにする事ができる! あなたがエキサイトすると、彼らもエキサイトするのだ!

  39.かなり多くのアクションを織り込まずに、子供の興味を引き続けることはできない。だから、ディビッドは私の話が好きだ! アクションをやめると彼は興味をなくしてしまう。テープで聞いただけでも私の話がおもしろいと思うなら、一度見てみるといい! ハ! たくさんのアクションを使い、動作をつけなさい。そうしなければ子供達は興味を失ってしまうだろう。私は物語を描写するために、手当たりしだいに何でもつかんで使うものである。

  40.ハリケーンの物語をする時は、私はティッシューの箱をつかんで、こう言った。「ある建物はぺっちゃんこになってしまった!」 そう言って箱をつぶした! それから、「あらゆる破片が屋根からはげおちて、あちこちに飛んでいった!」ここで、自分の書類をつかんで、こんな風に部屋中に撒き散らした! ダディーが部屋中をめちゃくちゃにしているのを見て、デービッドはあっけにとられたかのように座っていた。それから彼は、笑いころげたのだった!

  41.その時の様子を見せたかったよ! 物語をしている私を見たら、あなた達は、おそらく私が気違いだと思うかもしれない。しかしデービッドは好きだ! 彼はそれが好きだ! それからもう一つ、サスペンス的な興味をそそる言葉を使うことだ。「すると突然! 何が起こったかというと!?」 すると、座って聞いている子供は文字通り口をポカッと開けて、どうなるかはらはらして待つのである。

 

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  42.PTL! というわけだから、御言葉は常に私達の教育制度全体の基礎的な礎石である! 健康的で、養なわれ、建設的で、励ましになり、霊感を与える神の御言葉の真理である! あなたが聖句を子供に読んであげればあげるほど、彼らはもっと吸収するようになる。彼らの頭は、ちょうどスポンジのようなもの、小さなテープレコーダーのようなものだ。それは小さなコンピューターで、彼らはそのすべてを吸収する。

  43.というわけだから、神の御言葉の美しさと宝と力をおろそかにしてはならない! 「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。」(申命記6:6、7 )アァメン? 「私の羊を養いなさい!」(ヨハネ21:15 )

  44.あなた達が子供達を御言葉の中に浸すにつれ、神があなたを祝福されるように! PTL!

 

教材と秘訣の幾つか!

 

  45.私達は別に、子供達を科学者や、金儲けをする実業家にしようとしているのではないから、子供達の基礎的な教育というものは6年間、長くとも7年間で終了すべきだ。彼らに最も必要なのは、読み書き算数の3R、それに一般生物学、一般社会、一般科学の3Gだ。(ML NO.371、1036参照)

  46.そして今では、子供達のための私達自身の教材がある! 赤ん坊向けから基礎的なもの、そして完全な初等教育のためにあなたが知っている必要のあるすべてが! あなたが自分で教えられる程単純で、十分に聖書を基盤とした永遠の価値のある教材だ。どんな子供にも与えられる、おそらくは世界で最高の教育である! TYJ! だから利用しなさい!

  47.事実、私達の生活のすべてが、子供達が受ける中でも最高の教育となっている! 御言葉と主の薫陶と訓戒の中で。(エペソ6:4 )信仰の中で成長し、信仰によって生き、証しやリットネス、車で移動生活をする事を学び、セラーで生活する事を学び、生き残る事を学んだりする生活自体が最高の教育なのだ。

  48.夜や朝の、ホームでのミーティングでさえ子供達に大いに影響を与えていると思う。(各ホームはそうしているべきなのだが。)子供達がそれを聞いているだけでも影響を受けている。幼い子供の時、私は教会にほとんど毎晩座っていて、あらゆる種類の説教師の話を聞いていたのだが、おそらくそれが良い教育になったのだろう! だから私達の小さな子供達、いや、すべての子供達をインスピレーション・セッションなどに参加させ、音楽や歌、ダンスやテスティモニーなどを楽しませるべきだと思う。

  49.私達は、聖書の勉強をしている時でも、テッチーを歩き回らせていたものだった。彼女は私の話の妨げにはならない。主が教えておられた時には、ご自分の足元で遊ぶ子供達が大勢いたに違いない。そこには母親も父親も子供達も皆いたからだ。子供達もそこにいたのは確かだ。ある時弟子達が、子供達にイエスの邪魔をさせたくなかったことがあったからだ。だが、イエスは言われた。「どうしたのか、あなたはこの子供達のようになるべきなのに。」(マルコ10:13-16 )

  50.実際に私達のホームは、子供達がイエスの事を学ぶ場所になるべきである。ある人達は、高いお金を出してオモチャやモンテッソリー・ベルやそういったがらくたを買っているようだが、そのようなもののある場所ではなく。それに、そんな高価なものが本当に必要なのかどうかは疑わしいものだ。自分で作る事だってできるだろう! 子供達自身で、聖書の物語を描写するものを作れるだろう! それは物語を覚えている助けになる。(マリヤ:彼らはどうしたらそういった教材やアイディアを集められるでしょうか。)心配ない、彼らは想像することができる! 聖書を読んで、それらの物語から思いついたことを描写すればいいんだ。(すでに揃っているファミリーケアの素晴らしいフランネルグラフや教材も使えます。)

  51.聖書の物語、モーレターから教えられる色々なことがある。これ以外のことを教える必要があるだろうか。これ以上のものを教える必要があるだろうか? 聖書の物語や、本当の物語、モーレターの物語のような、主が与えて下さるもの以外に、何を教える必要があるのか。ハンス・クリスチャン・アンダーソンやグリム童話や、マザーグースの詩などを教える必要があるだろうか? その多くは悪魔からのものだと思う!

  52.子供達に、おとぎ話をしたり、コウノトリが赤ん坊を運んできたとか、サンタクロースや色々な作り話を話すべきではない。なぜなら、子供達はあなたの言う事を信じ、あなたを信頼しているからだ! 大きくなってそれらの話が本当でない事がわかったら、子供は、あなたが話したすべてを信じなくなってしまうだろう! あなたがイエスの事を言っても、彼は、「ああ、それも作り話に違いないさ!」と思うだろう。聖書の物語を話しても、「それもおとぎ話に決まっているよ!」と思うだろう。

  53.だから、そういった物語を子供に話す時は、何が真実で、何が真実ではないかということを、はっきりさせておくことが大切だ。子供達が幼い時に、どのようなことを教えるかということに注意しなければならない。なぜなら、彼らはとても感受性が強く、あなたが教えることが強く印象に残るからだ。意識していなくても、無意識のうちに残るものだ。

  54.事実、あなたが子供達に教えること、あるいは教えないことによって、あなたの本質がわかるのである! 私が学校で教えていた時は、すべての科目において、すべての課題について神を例に持ち出した。すべてのことには完璧さがあり、すべての創造には完全な方の御手があること、すべてには理由があるということを学生達に示したものだった。

  55.もちろん、ビデオ、テレビ、映画などは、現代ではもう一つの教育媒体になっている。また、情報であり、霊感にもなり、子供達は大好きだ。それは素晴らしい教育の道具であり、エンターテイメントになる! 昔、自分の小さな家族と一緒にいたころ、夕食後には子供達と一緒に座ってテレビ映画を見たものだった。イブはホーリネス派の出身だったので、映画に行くことなど悪いと思ったことがあった。しかし私は、映画には何か益になるものがあり、少しはリラックスになり、教育になり、リクレーションになるものだと思っていた。何か益を得るために、少しはマイナスになる面にも我慢しなければならない所もあったが。

  56.だから私は、子供達と一緒に座って、彼らが無意味なものを見ないように監督した。ちょうど今日の「セサミストリート」やモペットのような人の知能の程度をばかにしているようなものなどから守ってやるためだ! それらは今日の狂気さの典型だ。全く愚かな番組である! それでもアメリカで最も人気番組らしい。人気キャラクターがミス・ピギー、つまり豚なのだ! 考えられるか? アメリカ中だけではなく、この番組をプロモートしている世界の各国の子供の頭をこういったもので汚染しているのだ。養われるものは何もなく、霊的なものは何もない。意味のあるものは何もない、全く意味のないものだ!

  57.だから私は子供達と一緒に座り、テレビを一緒に見て、良し悪しを判断したものだった。そして気にいらないものがあれば、その理由を説明し、どうして良くないか、どうして悪いのかを子供達に説明した。また、難しくて彼らに理解できないことがあれば、それも説明した。そして、ちょうどそれにあてはまるような話を例に出したり、彼らに説明したり、解釈してやったりした。私達が現在ビデオを見る時にしていると同じようにだ。子供達は、監督なしに、好き勝手に好きなものを見るといったようにするべきではない。

  58.特に子供達は、不快感を与えられるような映画を見るべきではないと思う。事実、血なまぐさいものや暴力的な映画は、大人にとっても良くないと思う。子供にはもってのほかである! 子供にとって益にならないくだらない映画やテレビ番組を見せる事は、私は悪いと思う。だから私は子供達がテレビ番組を見る事を、しっかり監督した。お願いだから、子供達のために、あなた達も同じようにしてほしい! 

  59.もう一つの、子供にとって素晴らしい経験となる事は、農場に住んだり、農場を訪問して動物などを見物する事だ。それは子供達にとって良い経験となり、どこに行ってもそれを忘れる事はないだろう。彼らはいつまでも農場や動物の事を覚えているものだし、彼らにとって益となる! 私の小さな家族はよく農場に行くのを楽しみにしていたものだった。農場ではたくさんの子供がいて一緒に遊べたし、たくさんおもしろい事ができた。干し草用の荷馬車に乗ったり、動物を見たり、小さなやぎや羊と遊んだり、牛の乳を絞ったり、森の中で追い駆けっこをしたり、農場では都会でできないおもしろい事がたくさんできた。農場は世界で一番おもしろい所といっても良いくらいである!

  60.機会があれば、子供達を小さな静かな所に連れていってやりなさい。できるなら、都会の雑踏から離れた静かで、神の創造物に近いところへ。子供達が神の栄光ある御業を見て、驚嘆できるところへ。そして神の創造したものにおいて神を見て、神を知り、神に栄光を帰し、感謝し、子供達の簡素な心、そして魂が照らされるように!(もちろん、もっと多くのエキサイティングで霊感され、助けになる教材と訓練の秘訣を学びたいなら、チャイルドケア・レターの中のダビディトとテッチーのアドベンチャーと彼らの学んだ経験から学ぶ事! 又、アクティビティーブック1-4 には、子供達の為の素晴らしいアイディアもある!)

 

性教育!

 

  61.セックスについては、他の事について考えていると同じように自然に扱うべきだ! セックスや性器が悪いものだとか、いやらしいとか、汚いもの、そして、セックスをするのは悪い事だとか教えるのは愚かである。セックスは素晴らしいもので、良いもので、感謝して楽しむものであり、性器についても悪いものではなく、楽しむ為に作られたものだと、子供達はごく自然に、普通に教えられるべきだと思う。(ML NO.258 参照)

  62.子供への性教育は、自然に任せてするものだと私は信じている。つまり、彼らが興味をもっている時、彼らが知りたい時に教えてやるべきである。私達は子供達がセックスを自然に考えるように育てた。それが日常生活の普通の事だという印象を持つように。私の家ではそうだった。子供達にデモンストレーションをして見せるといったようなことまではしなかったが、私達がメイクラブをしている時に、偶然に子供が部屋に入ってきたなら、それをごく自然なもの、普通の事として振るまい、子供達は「おもしろいな!」とか思って、また出ていったものだった。

  63.子供達がおのずと興味を起こすのに任せ、強制したり、奨励したりすべきではない。私は、物事が折りにかなった時に、おのずと起きるのに任せるのが好きだ。子供達が興味を持ち、知りたいという気持ちになった時に教えてやるのだ。無理矢理彼らをけしかけたり、何かのスポーツみたいにして教えるという方法に私は全然賛成しない。

  64.私は子供にセックスを奨励するのは良いとは思わない。あなたは、ある程度の節制を持ち、すべての事について慎みを持っているべきだ。私は、特に子供に対してはお互い同志のセックスを押しつける事はよくないと思う。セックスを彼らに奨励するのは良いとは思わないし、それをやめさせるのも良いとは思わない。セックスを押しつける事はいいと思わないが、それに対する興味が自然に涌いてくるなら、それをもみ消す事もいいとは思わない。ただ、セックスに対してわざわざ子供を駆り立てるようなことをしてはいけない。セックスのことを強調し過ぎると、そういった事に対して彼らにあまりにも関心を抱かせたりしてしまうからだ。大人やメイトにとってでさえ、セックスは人生の2%でしかない。

  65.子供達に、普通で自然な、神の創造された性知識を与えるなら、彼らが成長して性関係を持つようになる年頃になっても、アメリカや西洋社会の子供達のようにワイルドでクレージーにセックスをあさることはないというのが私の確信である。

  66.ですから主よ、私達の子供達を祝福し、あなたが望まれている通り自然に成長しますように。あなたが創造されたままの人間に成長しますように。子供達が自然に育まれるなら、自然な人間に育つでしょう。TYL! アァメン?

 

子供のしつけと懲らしめ

 

  67.私は自分の子供達のためにできる限りのことをした。そして、私達は親として良い見本であったと信じている。−−私達は完全ではなかったし、たくさんの間違いもしたが、絶えず心から神の助けと導きを求めていたので、私達の子供達はほとんどの体制の子供達よりもずっと良い子になった。TYJ!

  68.ほとんどすべての子供はそれぞれ違うので、すべての状況において、すべての子供達のために全く同じ規則を作ることはできない。各状況は違っており、親も違うし、子供達も違うので、世界中に存在する子供の数と同じくらい様々な子供の扱い方があると言ってもいいほどだ。だから、すべての子供を全く同じように扱うことはできない。−−けれども、一般的な方針を幾つか定め、私達がどのようにしたかの一般的な情報を与えようと思う。

  69.新約聖書で翻訳されている「懲らしめ」という言葉の実際の意味は、元のギリシャ語では、「子供の訓練」という意味である。−−私達もすぐに、子供達の訓練や懲らしめに忠実でなければならないことを悟った。それによって子をその行くべき道に従って教えるためである。−−箴言22:6。子供をしつけるのは大変な仕事で、子供にとってと同様、親にとってもつらいことだ。お仕置きをし、説教をし、罰を与え、子供がしてはいけないことをする度にそれを正すのは大変な仕事である。たった一つのことでも逃げおおさせるわけにはいかない。そうでないと、とても危険な事をしても逃げおおせられると考える、甘やかされた子供を抱えてしまうことになるだろう!

  70.あなたが子供に甘い親か子守なら、またはしつけなくて済むように子供を大目に見、甘やかす傾向があるなら、言っておくが、その時には幾分時間を省けても、後でものすごく面倒なことになるだろう! 子供の欲しがる物をすべて与え、平和を保つためにわがままにさせるなら、後でものすごい代償がかかるだろう!

  71.忠告しておくが、一度甘やかすなら、ちゃんとしつけ直すのは困難である! デボラは、まだたった生後10か月だった時、かなり行儀が良く、かなり良くしつけられていたが、その後イブが彼女を連れて親類を訪問し、帰って来ると、彼女はすっかり甘やかされてだめになっていた! イブはこう言った、「お父さんたら! 私にはものすごく厳しかったのに、デブにはやりたい放題にさせるのよ!」−−祖父母や親戚と一緒にいた2か月が、一生彼女を駄目にしてしまったと言えるぐらいだ。彼女は甘やかされ、わがままで、何でも自分の欲しいものを手にするのに慣れ切ってしまっていた。

  72.というわけで、あなたは正に自分が子供達に蒔いたものを刈り取るのである。特に子供達をしつけない場合はそうである!−−子をその行くべき道に従って教えるのは親の仕事である。−−子供の訓練という言葉は、懲らしめを意味している!

 

「園に戻る!」

 

  73.一人一人の子供は、エデンの園のアダムとイブを繰り返しているようなものだ。あなたは四六時中、規則を作ったり、何をすべきで何をしてはいけないか、また何が正しく何が悪いかを告げて過ごさなければならない。一方子供の方は、あなたの言うことが果たして正しいかどうかを知ろうとして、四六時中いろんなことを試みて過ごすものだ。だからあなたは、ちょうど神がされたようにしなければならない。神はまずおきてや規則を作られ、そしてこう言われた。「さて、もしあなたが良い子でいてこれらの規則に従うなら、ある種の特権と祝福を与えられ、ある種のことをするのを許され、園にあるどの木になっている実でも食べることができる。だが、この木になっている実だけは食べてはいけない。他の祝福はすべて得られるが、ただこの木にだけは近づいてはいけない。危険だから! だが、もし食べるなら、私達はこれこれをするだろう。」(創世記2:16,17)

  74.さて、禁止事項を厳し過ぎるものにしたり、人間的に守るのがほとんど不可能な規則を作りたくはないだろう。人間的な落ち度で必然的に起こることに対して余りにも厳し過ぎる規則を作ったり、規則をあまりにも厳格で厳しいものにするなら、それらに従うのは誰にとってもほとんど不可能になってしまうだろう! 子供が到達するのが不可能な規則、あまりにも高すぎる基準を設けるなら、あなたはただ、その子を犯罪人にしてしまっているようなものだ。−−子供が守れないほど厳しい命令を下し、その規則を破らせているからである。

  75.だから、その事について子供とじっくり話し合い、その後規則を作り、子供にしてもいい事と悪い事を知らせるのだ。−−これはいいがあれはだめだ、これはしてもいいがあれはしてはいけない、などと話すのである。そして、もし子供が正しいことをするなら、神がされるように、あなたも子供に報酬を与えるのである。だが、もししてはいけないことをするなら、罰を与えると前以て警告しておき、罰への恐れによって子供がいけないことをするのを思いとどまるように願うのである。

  76.私は自分の子供達に対して、いつも神の御言葉や家庭での規則、また振る舞いに関する規則を良く教えておいた。子供達は規則を破る以前から、どんな規則があるかを知っていた。だが、それをしばしば破ったものだ。でも少なくとも、どんな規則があるかは知っていた。だから、私がそれを前もって話さなかったことで責任を問われることはなかった。誤っていると知らなかったことを子供がして、それを罰することはできない。それはあまり公平とは言えない。−−けれども、子供達がすべきでないことをしているのを止め、もうそれをしてはいけないと教え、訓練しなくてはならないのだ。

  77.各規則やおきてに対しては、破ったらどんな罰を与えるかを前もってみんなで決めておく必要がある。規則を破った後でそのための罰が何であるかを言うのは公平とは言えない。それだと、前もって警告された罰をもらうことを恐れるがゆえに規則を破らないようにさせるという防止効果がなくなってしまう。規則や罰を定める目的は、規則が破られた時にどんな罰を与えるかを知るためだけではなく、前もって子供達に警告しておき、規則を破らないようにさせることである。

  78.また私は、自分が与えると子供達に言った罰はいつも必ず与えるようにしていた。もし与えないなら、子供達は、罰を逃れられるかもしれないという考えを常に持ってしまうからだ。裁きを下すという約束は施行されなければならない! 神はアダムとイブに対しても同じことをされた。聖書には、神が定めた刑罰を減刑されたケースはあまりない。ひとたび神がある規則を破った場合の処罰を定められて、人がその規則を破るなら、神はその処罰を実行されねばならなかった。そう約束されたからだ。

  79.私が「今度またしたら、スパンクするよ!」と言ったなら、子供達は私が本気でそう言っていることを知っていた。唯一のうまく行くしつけとは、そのようなしつけだ。つまり、あなたの言うことが本気で、あなたがその言葉を実行し、子供達もそのことを知っており、もし自分達がしてはいけないと言われたことをするのを見つかるなら、本当に罰をもらうのだと知っているのである。私は何回も、自分が決めた規則を自分の子供達に強要しないで済んだらと願ったものである。そして、何らかの方法で罰を与えないで済ませようとした。−−しかし、ひとたび子供達に罰を受けないでやってのけさせ、子供達もあなたがその規則を強要しないとわかるなら、ものすごく面倒なことになるだろう。なぜなら、子供達は罰を受けないでやりおおせられると毎回考えるからだ!

  80.−−スパンクすると約束しておいてしないよりは、最初からスパンクするなどと約束しなかった方がましだ!−−そうでないと、子供達はあなたのことを嘘つきで、自分の言ったことを守らず、ものすごくだらしない親だと思うようになるからだ! その子が赤ん坊であれティーンであれ、あなたの「してはいけない」という言葉が本気ではなく、罰を与えると言ってもそうしないだろうということがわかるや否や−−自分が罰を受けないでやりおおせられるとわかるや否や−−その子は再び同じことをするだろう! 最悪なのは、たとえ子供が毎回罰を受けずにやりおおせられなかったとしても、もし1回だけでも罰を受けずにやりおおせたら、この次もうまく逃れられるかもしれないと願って何回でも規則を破ろうとすることだ!

  81.施行されない規則は全く規則とは言えない! 適用されない罰は、全く罰とは言えない! 自分の言った言葉を強行しなければ、それは何の意味もない。−−規則は何の効果もない。ひとたび断言したことは果たさなければならない。時には、親の方が傷ついても、または子供が傷ついても、断言したことを実行せざるを得ないこともある。自分の言った言葉を実行せず、嘘つきだったとわかるなら、それはかえって逆効果になってしまい、もっと深くもっと根強くもっと危険な結果を招いてしまうからである。

 

スパンクをする時の方針!

 

  82.私は普通、違反した体の部分を罰したものだ。子供達が手で悪い事をすれば、彼らの手をぴしゃりとたたき、悪い事を言った時には頬をぴしゃりとたたいた。そして手元に何もない場合は、時には頭にげんこつをくらわしたものだ! 違反した体の部分をスパンクすれば、どんな誤ちを犯したのか、自分の体のどの部分が罪を犯したのかを子供にはっきりとわからせるのに役立つ。

  83.さて、小さなお尻は、座るべきでない所に座ったというのでない限りは、普通はあまり違反を犯さない部分だが、脂肪がほどよくついていて、けがをすることがないし、それでも子供がスパンクを十分に感じ取れるほど効果的な所なので、懲らしめを与えるのには手頃な部分だ。私は普通蝿たたきの柄を使ったものだが、蝿たたきの柄でたたかれると本当にひりひりする! 時にはみみず腫れになるが、その打たれた傷によって、彼らは癒されるのだ! 私の母はよく、庭に出て行ってしなやかな小枝、それも本当に痛みを与える長くて細い小枝を拾ってきたものだ! だが決して、実際に肌を傷つけ、けがをさせるような、ヘア・ブラシなどは使ってはいけない。−−また、たたいたら負傷させる可能性のある部分、たとえば指関節部や耳の近くなどはたたいてはいけない。−−また、つねるのが良い罰だと思ったことは一度もない。

  84.2回警告して、3回目にまた同じことをしたなら、スパンクするのは私の方針だった。1回目は、それは悪いことだからしてはいけないと告げた。そしてまたしたら、私もまた警告し、こう言ったのだ。「ほら、それをしちゃいけないって言っただろう。でもまたやったね。もし今度やったら、次はスパンクするぞ。」

  85.しかし、子供達に対し、怒って素早くきつくたたいて、実際にけがをさせたりしないように気をつけなさい。絶対に子供の耳をたたいたり、耳のそばをたたいたりしないように、ひどく注意しなければならない。そうでないと、耳の鼓膜を破って永久的な損傷を与えたり、目のそばをたたいて不本意ながらもけがをさせてしまう可能性があるからだ。

  86.それから、子供は普通あなたがスパンクし始める時に、それも時にはまだたたいてさえいない時に、ものすごく大きな声で叫ぶことを知っていただろうか? あなたの同情を買い、スパンクを貰わないで済むように、またはあまりにも大きなスパンクを貰うのを逃れようとして、自分が殺されでもしているかのような大きな声でわめき始めるのだ。スパンクをやめるのは子供達が金切り声を上げている時ではなく、金切り声を上げるのをやめ、憐れみを請う時だと、私はよくイブに言ったものだ!−−子供が金切り声を上げるのは、あなたが子供の感情を本当に害してしまったからだ。だから私は、こう言って子供を脅かしたものだ。「さあ、大きな金切り声を上げれば上げるほど、もっときつくスパンクするぞ!」

  87.痛いから本当に泣いているのと、感情が傷ついたから怒って泣いているのには、違いがあるのがわかるだろう。体が痛くて泣いている時は、感情が傷ついて泣く時ほどは激しく泣かないものだ。だから、子供が本当に済まなく思い、2度としないということがわかるまでは、スパンクするのをやめてはいけない。そうすれば子供は十分後悔し、またしたらどんなスパンクを貰うかが身にしみてわかり、もうしようとは思わないだろう! それが、聖書に「泣いても容赦する心を起こしてはならない」(箴言19:18 )と書いてある理由である。−−余りにも早く懲らしめを思い留どめるなら、子供はこう言うだろう。「ああ、そんなにたいした事なかった!−−また今度やってやろう!」と。

  88.そして子供をしつける時に忘れてはいけないのは、懲らしめを与えた後、「足のなえている者が踏みはずすことのないように」(ヘブル12:12,13)、子供を愛し、慰め、励ます時間を取らなければいけないということだ。−−そうでないと、子供達に対してきつくなりすぎ、彼らはあなたの基準に到達することができず、あきらめてやめてしまうだろう。だから、できる限り子供達を励ましてあげなさい。−−赦し、慰め、愛してあげなさい! 愛は決して破れない! 神があなたを祝福され、あなたに大きな愛と忍耐と知恵を与えて下さるように!−−また、赦すことが必要とされるか、またはその方が良い場合には、赦してあげるだけの憐れみも持てるように!−−または子供が心から悔い改め、自分のしたことを悼んでおり、赦しに値する場合にも!−−アァメン?  PTL!

 

愛と憐れみ

 

  89.子供にはしつけが必要であるが、それは常に愛と憐れみによって和らげられなければならない。−−あの祈りを覚えているかね?(MLNo.75 を参照) 常に子供の動機を計らなければならない。どうして子供はそれをしたのか? たとえ悪かったとしても、子供が本当に良い動機をもってしたのであれば、必ず赦してあげなければならない。子供達はよくこういうことをするのだが、もしあなたが彼らを無視し、ないがしろにし、全然関心を示さず、十分な愛を示してあげず、思いやりを示してあげていないなら、ただあなたの関心を得ようとしてあなたの気に入らないことをしたりする。

  90.私達は、常にたくさんの愛と説得をもって子供達を優しく扱うようにしている。−−子供達を強制的に従わせるために厳しくしつけるのではなく。私の最初の子供達は、時々かなり悪い子だったので、強く思い知らせ、厳しい罰を与えなければならなかった。でも今いる子供達は本当に良い子供達で、とても従順で霊に鋭く、賢くて驚くほど素晴らしい子供達なので、めったに面倒な事が起きない! デービッドをきつくスパンクしなければならなかったことはあまりない。また、子供達をたたいたり、しゃんとさせるために小突いたり、杖を用いて父親または母親への恐れをたたき込む必要さえなかった。

  91.(マリヤ:それぞれの子供のしつけは、個人個人の必要性と性格に応じて合わせなければなりません。)−−多くのことは、その子の気性、つまりその子がどんな子であるか、またその子が今までどのように扱われてきたか、また訓練されているかいないかなどにかかっている。本当に厳しいしつけを必要とする子供達もいる。愛によって動かすことができない子供は、恐れによってしつけなければならない。子供はあなたを愛さなければならないだけではなく、あなたを恐れ、尊敬しなければならず、またあからさまな反抗的な振る舞いをして逃げおおせられるべきでもない。神を恐れることでさえ知恵の始まりであり、もし少しの知恵でも持ち始めれば、それは最終的にはその人を賢くさせ、主を愛するようにさせてくれるだろう。(箴言9:10)

  92.けれども、いわゆる一番良い種類の罰とは、懲らしめ、つまり子供をしつけるもの、子供を教えるもの、子供を訓練し、子供がレッスンを学ぶのを助け、同じ誤ちを二度と犯さないように助けてくれるものである。私はいつも、1時間も2時間も座って父の説教に耳を傾けなければならないよりは、ただ打ちたたいてくれた方がましだと思っていた。打ちのめしてくれた方がずっと良かった。そうすれば、さっさとそれを終えて外に出、また遊ぶことができるからだ。父の説教は、私にとっては最悪の罰だった。だが、私はそれから多くのことを学んだのだろう。私は父からもらったスパンクからより、父の説教からずっとたくさんのことを学んだのだろう!

  93.だから、「子をその行くべき道に従って教えよ。」(箴言22:6)−−子供を小突き回し、子供が理解もせず正しいとも思わず公平だとも思わないことをただ無理やり強制的にさせるのではなく、真に子供を訓練して行くには、時間と忍耐と理解と、たくさんの真の愛を要する。なぜこれこれをしなければならないのか、またどうしてそうすることが必要なのかを子供達に理解させ、真に教えようとしているのなら、私達は子供達に対してもっともっとたくさんの愛と忍耐を持ち、祈り、また説明してあげる必要がある。いつも、ただ「しなさい!」と言うだけで、従わないならぴしゃっとたたくのではなく。

  94.適切な妥協点を見いだすようにしなさい。「あなたがたの寛容(訳注:英語の聖書では"moderation":中庸の意)を、みんなの人に示しなさい。」(ピリピ4:5 ) 「何ごとにも節制をしなさい。」(第1コリント9:25) 叱責や懲らしめ、また杖を用いるにも、適切に行いなさい。子供達に対してあまりにも甘くしすぎてはいけないが、きつくしすぎてもいけない。そして常に理由を説明するように努め、主がされるように、子供が理解して喜んで協力するようにしなさい。そして、何度も警告した後でも頑固に反抗して不従順を犯し、従うことを完全に拒否するなら、その時には、愛のうちに力を用いるのは正当なことである−−ちょうど神がされるように!

  95.けれども必ず、柔和で優しく愛情深い、謙遜で情けに満ちた心をもって、落ち着いた正しい霊のうちでするようにしなさい。子供の誤ちや罪を正す時には、自分が正しい霊のうちにいることを確かめなさい。神が私達に対してされるように、また他の人が自分を正す時にしてほしいようにするのである。−−神がキリストにあって私達の罪を赦して下さったように、あなたがたも互いに愛し合い、赦し合いなさい。(エペソ4:32)−−アァメン?−−「愛はいつまでも絶えることがない!」(第1コリント13:8)

 

健康と安全

 

  96.子供にまず教えなくてはならないことの一つとは、物事の危険性である。子供が危険な目に遭ったり、トラブルに陥らないようにするための最善の方法とは、子供を危険なもののそばに行かせず、またその近くに行くことを禁じることである。何かが危険だとわかっていて、その近くに行くことを禁じられていても、子供は危険なものに近づいてみたいという誘惑に駆られるからだ。−−でも、もしあなたが子供にその回りに行くことを許し、その回りで遊ばせてしまうなら、事故が起こるのは子供のせいではない。

  97.それから、子供が病気になったり風邪をひいたりするのも、普通は私達大人の責任である。−−それは子供の罪のゆえではなく、私達親や子供を世話している者の罪が原因である。大人が子供達を十分暖かくさせていないか、子供が十分な休息と栄養のある食べ物を得ているように見届けなかったか、病気にかかった人と接触させてしまったかのいずれかである。−−またはこのすべてか、もっと多くの理由によって。そういうわけで、親には済まないが、子供達が病気にかかるか事故に遭うなら、それは普通あなたの責任なのである。特に、5 、6 、7 歳以下の幼い子供達の場合はそうである。

  98.よく言ってきたことだが、事故は偶然には起こらない!−−事故は、私達自身または他の人達の怠慢と不注意によって引き起こされるのである! 事故を防ぐ最善の方法は、事故が起こり得る状況を作らないことだ! 事故が起こりそうな状況または物体を全くなくしてしまうこと!−−崖っぷちの柵は、崖下の病院にまさる!−−わずかな治療は万全の治療の労を省く!

  99.事故防止の主要策の一つは、そのような機会を作らないことだ! 何でも当然のこととして決めてかかってはいけない。特に赤ん坊や幼い子供達に関しては、事故が絶対に起こらないように十二分に気をつけなければならない。それが、小さな赤ん坊がキッチンの床に座っているのを見ると、私がものすごく気にする理由である。小さな子供達をキッチンに入らせてはいけない!−−キッチンは、小さな子供達にとってはとても危険な場所だ! ダビディトが赤ん坊だった時は、キッチンの中では必ず小さなベビー・チェアーに座らせ、高いテーブルの上に置いていた。そこなら余り悪くはない。だが、床の上に子供をいさせるなら、子供の上に何かをこぼしたり、落としたりする可能性がある。−−もちろん子供が活発で、もはやただの小さな赤ん坊ではないなら、テーブルの上に置いても、自分から動いて床に落ちてしまうだろうが。

  100.だから、事故を避ける方法とは、事故が起きるのを不可能な状況にすることだ。−−事故が絶対に起こり得ないようにしなさい! それが、私が4人の子供を持つ若い父親として、子供達にどんな紐やロープでも遊ばせなかった理由である。首を絞めるかもしれないと思ったからだ。私が見ている限りは大丈夫なのだが、常に子供達と一緒にいれるわけではなかったので、私のいない時に子供達が何か試みて自分を絞めてしまったりするかもしれないと思ったのだ。

  101.もちろん大切なことは、主の近くにいて主を信頼し、またできる限り事故の起こり得る状況を作らないようにすることだ。どんな機会も作らないようにしなさい! 千回のうちたった一度でも事故が起こる可能性があるなら、それを避けなさい。悪魔は、できることならその機会を利用しようとするだろう。特に、あなたがあまり気をつけていないなら。だから悪魔に機会を与えてはならない。そうだろう?

  102.ですから主よ、私達が一瞬の間も、大丈夫だろうと思って、少しでも事故の起こり得る状況を作ってしまうことが決してないように助けて下さい。私達が祈り深く気をつけ、思慮深くいるように助けて下さい。不注意になったり、私達に任されている小さな子供達の命を危険に陥れるような状況を許すことがないように、助けて下さい。一時も油断しないように、主よ、一瞬一瞬祈りのうちにあって注意深く、事故が起こり得る状況を避けることができるように、私達を助けて下さい。私達が事故が起こるのを不可能にすることができるように助けて下さい。子供達が出しっ放しの大工道具などで遊びたい誘惑に駆られたり、引っ張って自分の上に倒したりすることがないように、それらのものを安全な所に保管するのを助けて下さい。主よ、子供達を危険な場所であるキッチンに入らせることがないように、私達を助けて下さい。また、どんな危険物をも子供達の手の届く所に放置することがないように、私達を助けて下さい。

  103.子供達が大きくなって自分の世話ができるようになるまでは、私達は彼らをいつもよく見守ってやる必要があります。私達ができないことに関しては、主よ、あなたがして下さることを信頼しなければなりません。私達にはすべてのことをすることはできませんが、あなたにはできます。でも私達は自分達の務めを果たし、最善を尽くして主に協力し、不注意になったり、監督不行き届きになったり、祈りを欠いたりしないようにすることはできます。ですから主よ、私達を助けて下さい。イエスの御名によって。

  104.−−私達みんなが、主からの一番貴い賜り物である子供達に対して良い管理者となることができるよう、主が助けて下さるように! その一人とて失ってはならない! どうか今まで以上にあなたの子供達を大切にし、守ってあげてほしい!−−アァメン?

 

「小さい事の日を卑しめてはならない」−−ゼカリヤ4:10。

 

  105.私の母は、私達に子供ができるたびに腹を立てたものだ。アァロンが生まれた時、母はイブを家に残らせた。でもその次には私が強く言い張ったので、母は不承不承、私達が2人の子供を一緒に連れて行くのを承知した。けれども3番目のホーが生まれた時には、もうそれまでだった!−−「もうこれまでだわ! あなたは首よ。これ以上たくさんの子供を連れて行くわけにはいかないわ。3人の子供を連れて回るなんてできません!」 おかしなことだが、彼女に「もうこれまでよ、やめだわ!」と言わせたのはホーであったものの、後になって、このホーが母のお気に入りになったのであった。

  106.そのたった2、3年後、母はこの子供達に全く夢中になり、子供達を全国中、福音伝道の仕事のために連れて回りたがった。そして講壇の上で歌を歌わせたりなどさせたがったのだ。子供達が最も注目を浴びるアトラクションとなったからだ!−−生まれるたびに母が腹を立てていた、その子供達がである。だからわかるだろう、最も善良な人達でも時には誤ることがあるのだ。

  107.若者達の顕著なリーダーであり、教師だったイブも、4人の小さな子供ができ、そのうちの2人がおむつをしていた時には、もうミニストリーを持つことは決してないだろうと思った。けれども彼女は自分の手の内に託されたものに対して最善を尽くしたので、神はそれを祝福され、大きくされ、豊かに増し加えられ、今では世界中に広がるこのファミリーという、実に素晴らしい成果を生み出した功績の多くにあずかるに至ったのである!

  108.初めのうち、イブは自分のミニストリーはもう終わったと思っていた。−−彼女は平凡な妻また母親であって、もはや女性説教師や若者達のリーダー、オルガン弾きなどではなかった。−−もはや母親以外の何者でもなかった。けれども彼女は新しいファミリーの母となり、全革命の母となった−−ただ自分の子供達を良く世話し、教え、訓練したことによって! 彼女は子供達を街頭に連れて行ったが、いやはや、意外だった!

  109.子供達は、私達二人を合わせたよりもずっと良い仕事をしたのだ! イブと私の二人が街頭に立ち、私がギターを弾き、彼女が説教をしている所なんて、想像できるかい? それで一体どれだけのことができただろう? イブがタンバリンを差し出せば何十セントかはもらえたかもしれないが。しかし、あの4人の小さな子供達は街角に立ち、説教抜きでただ歌っただけで、ポケットをお札や硬貨などで一杯にして戻って来たのだ!

  110.自分達の小さな子供達が、私達のミニストリーとなったのである! 私達はその時は悟ってはいなかったが、最初からあの子供達が私達のミニストリーだったのだ。そして実際、彼らは最終的に私達の主要ミニストリーとなった! 今ミニストリーを続けているのは彼らである! 子供達が小さかった時のことを忘れられない。レストランで人は私達のテーブルの所で止まっては、「何て素晴らしいお子さん達なんでしょう!」と言うのだった。するとイブは、アァロンに小さなウクレレを出させ、こう言った、「ああ、どうもありがとうございます。子供達の歌をお聞きになりませんか?」 そして子供達は短い歌を歌い、ウェイトレス達やマネージャーまで集まって来て子供達に聴き入るのだ。

  111.小さな子供達はほとんど何をしてもやってのけられるね! 「まあ、何てかわいらしい!」 子供達がユダヤ人のレストランでイエスについて歌おうが、それでも人々は子供達をかわいらしいと思うのだ。それをしているのが小さな子供達だからだ! そしてイブがこう言う、「ところで、それだけじゃないんですよ。フェイシーは聖書を暗唱することもできるんです!」 というわけで、フェイシーはヘブル第11章の長いユダヤ人の歴史を暗唱したものだ。あのおちびさんが、である。そして見ている人達全員をあっと言わせたものだった! それから子供達はレストラン中をばらばらに散って行って、テーブルについている人達全員にトラクトを配ると、みんなほほ笑んで受け取り、「何てかわいらしい子供達なんでしょう!」と言ったものだ。−−人々はトラクトを受け取った。相手がほんの小さな子供だからだ!

  112.人々は子供達が大好きで、子供達はものすごいアトラクションになる! 私がマイアミ・ビーチに出掛けて行ってユダヤ人にトラクトを渡そうとした時は、顔に唾(つば)をかけられたものだ! 私は、子供達が街頭に出て行って全く同じユダヤ人達を相手に、右に左にトラクトを配る光景を再三再四目撃した。「まあ、かわいいおちびさんだこと‥‥!」 彼らはただただ、子供達に夢中になってしまう!−−そしてトラクトを受け取るんだ。私はやしの木かハイビスカスの茂みの後ろに隠れ、子供達にトラクトを持たせて送り出す。「あらあら、坊や、どうもありがとう。まあ、いい子ね!」−−そして彼らはトラクトを受け取る。拒むなんて夢にも思わないんだ! ハ!

  113.それは事実だ。子供達はいろんな所に入り込み、あなた達の開けられない扉さえも開けることができる! あなたに耳を貸す者が誰もいなくとも、あなたの子供達には耳を傾けるだろう! 子供達は、あなたからは受け取ることなど考えられないような人々に、トラクトやレターを配ることができる! 子供達のミニストリーは、最も大きく最高のミニストリーになり得る! だから、子供達が役に立たないなんて言わないでくれ! もしかしたら少しの間は、おむつを替えたり洗ったり、大変な仕事ばかりで大して何の役にも立たないかもしれないが。−−その段階は通らなければならない。だが、それはあまり長くは続かない。たったの2年くらいだから、あなたは主のフルタイムの仕事を続けられるし、子供達を一緒に連れて行くんだ。子供達は本当に素晴らしい!

  114.だから決して、小さい事の日、また小さな子供達を卑しめてはならない!−−子供達がどれほど大切か、また子供達を育て、訓練し、主に仕えることを教えることがどれだけ大切かを理解してくれたらいいんだが! ただあなたが子供達を正しく訓練し、正しく教え、正しく導き、正しい見本を示し、主のための奉仕をさせれば、おそらく彼らは、あなたがこれまでに神のために成し遂げた仕事よりも大きな仕事をするだろう! ハレルヤ!

  115.今でさえ、私達の子供達はすでに一番大きな証しの一つになっている! 小さな子供達でさえ、一人一人が爆発しつつある爆弾のようであり、真に本調子になれば、爆発して、世界をまともな状態にするようになることだろう。TYL! 彼らの多くはもうすでにそうしている。すでに主によく仕えている貴い子供達、彼らはイエスのための本当にオン・ファイヤーな証し人である!

  116.子供達は終わりの時において、本当に主のためのものすごい証し人になると思う。−−彼らはすでに、ものすごい証し人になっている。それに、今はもう終わりの時だ! 事実、主はこれらの子供達が主の証し人となり、まさに終わりの時に、昔の預言者達のように主の御前に立つようになると再三再四預言されている!−−終わりの時において、主はこれらの子供達を主の最強の勇士として、力強く使われるであろうと!−−だから主を失望させないように、また主が御自身の能力を充分に発揮するのを妨げないようにしよう!−−アァメン?

  117.「ダビディトの預言」(MLNo.619)は、あなた達両親達、教師達、また子供達と一緒に働くすべての人達に対して良いメッセージだが、その中で主は、「あなたは、彼のための父の言葉に対して忠実になるだろうか? わたしの心からの言葉を忠実に彼に与えるか? わたしの胸から出る乳で忠実に彼を育てるか?−−この小さき者に王の言葉を教えるという仕事がどれほど大切なものであるか、あなたは悟っていないであろう。」−−このことは、私達のすべての子供達に関して全く真実である。彼らは皆、重要なリーダーとなるからだ。彼ら全員が!

  118.だから、「あなたの手にあるそれは何か?」−−出エジプト記4:2 。−−あなたは御言葉を、また主の権威の杖をいかにして使うかを、知っているか?−−もし知っているなら、あなたの群れを狼から救い出し、小さき者達を安全な主の群れに永遠に導き入れるのに、それを用いなさい!−−あなたは今日、自分の手にある主の御言葉の杖をもってこれらの子供達を導き、守り、また導いているか?−−彼らが世界に出て行き、確信をもって立ち上がり、質問をしてくる者達に対して答える備えができているように、彼らを準備しているか?−−明日では遅すぎるだろう!−−私達の心の中と手のうちにある主の御言葉と小羊をもって、イエスのために世界を勝ち取ることができるのだ!−−ハレルヤ!

 

「この約束は、あなた方とあなた方の子らに与えられている。」−−使徒行伝2:39。

 

  119.私の子供達が小さかった時のことを考えてみると、どれだけ感謝しなくてはいけないかと思う。子供達は本当に主からの祝福だ!−−彼らはあっという間に大きくなってしまう。彼らが幼かった頃、イブと私はどれほど幸せだったことか! その頃は私の人生において最も困難な時期だったが、振り返ってみると、それらの日々は毎日、太陽の陽光と喜びと幸せで満ちていたように思われる。子供達はとてもかわいらしかった。−−天国に子供達がいることを私は本当に感謝している! TYL! TYJ!

  120.「見よ、子供達は主の嗣業であり、胎の実は主の報いである。若い時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言う時恥じることはない。」(詩篇127:3-5)

  121.世界中にたくさんいる私達の小さな子供達のすべてを感謝します、主よ、何千人もの小さな子供達を感謝します、TYJ! PYL! また、すべての忠実な母親達と父親達も感謝します、主よ。彼らは勤勉で祈り深く、優しく愛情を込めて子供達の世話をし、彼らをその行くべき道に従って教えているので、あなたが約束されたように、彼らは年老いてもそれを離れることはないでしょう。それが真実であることが証明され、私達には今、成長して主に仕えるようになったこれらの子供達が世界中にいることを感謝します、主よ。−−彼らは、世界中いたる所で歌い、スキットを演じ、福音を宣べ伝え、印刷物を配り、文書伝道をし、証しをしています。そしてものすごいテスティモニー、そして祝福となっています、主よ。この上ない霊感となり、大きな助けとなっています、主よ。ハレルヤ!

  122.「わたしは、わが霊をあなたの子らに注ぎ、わが恵みをあなたの子孫に与える。こうして、彼らは水の中の草のように、流れのほとりの柳のように、生え育つ。」(イザヤ44:3,4)−−「あなたの子らは皆主に教えを受け、あなたの子らは大いに栄える!」(イザヤ54:13) PTL! TYJ!

¨ 123.考えてもごらん。それは、他界した後もなお生き続ける方法の一つだ!−−つまり、自分の子供達の中に生き続けることができるのだ。もし子供達を正しく育て、神の賜物である子供達という神の仕事を良くやるなら、天国に行った時にとても嬉しく思うだろう! 「時が来れば、あなたがたはわたしの元に集められ、休息に入るであろう。そして、わたしがあなたがたに与えた者達も、あなたがたに従うであろう。彼らはあなたの栄光、あなたの冠の星となるであろう!」

  124.「小さき子ら、小さき子ら、彼らは深く慕われる主の明るい冠であり、夜明けの星のようである。彼らは主の愛する者達であり、主御自身の者達である。子供達は主の冠にちりばめられた宝石のように、主の美しさをもって輝くであろう。小さき子ら、自分達のあがない主を愛する小さき子ら、彼らは純粋な者達、明るい者達、主の愛する者達、そして主御自身の者達である。」−−ハレルヤ!

  125.世界を進み続けさせ、貴い赤ん坊を生み出す一役を担っていることのゆえに、あなた達親愛なる父母達を神が祝福されるように! あなた達は、主の栄光のため、また主への奉仕として、それらの子供達がイエスのためのニュー・ボトルの証し人となるよう、彼らを愛し、訓練し、強め、主の薫陶と訓戒とによって、育てている! PTL!−−あなた達全員を愛している!