DB807

 

夜が明けるとき!

GP 852 1979年9月

 

  この世を去ることは、一つの部屋から出て扉を閉め、次の部屋に行くようなものだ。肉体を離れて霊になり、この世を捨てて別の世界に行くのを望むことだ。とても簡単な事である。誰でも死ぬ時にこれを体験する!

  事実、死ぬことはこの上もない祝福なのだ! 私自身、これを経験をしたことがある。それは全く素晴らしい経験だった! ちょうど宇宙飛行士が無重力感覚を経験するのと似ているのではないかと思う。今、私達はこの体を重りのように感じている。私達はたった今、この重い体をひきずっているけど、霊の内ではこの重りはなくなる! もう肉にひきずられることはないし、この世での身体的な問題に悩まされることもない。この地上の生活という学年から卒業した事になるのだ。

  死ぬ事は実に素晴らしい感覚だ! この体の重力から解放される時、まるで体が浮いているかのように感じる。一度、死の経験をした時、「わあ、これは素晴らしい! 羽根のように軽く感じる。こんなに気分のいいのは初めてだ! 体はもう重くない!」と私は思った。体が重いという感覚は全くなくなり、ちょっと体を動かすだけで、宙に浮く感じがした!

  私はベッドから体を起こしたが、自分の体はまだ横たわっていた! 半分は体の外で半分は体の中といった状態だった。しかし、主が私に望んでおられる仕事や学ぶべきレッスンがまだ沢山あると知っていたので、戻ってきたいという願望が強く、こう主に祈った。「主よ、私の体の中へ戻して下さい!」 すると突然、自分の肉の体に戻り、物質的な世界に戻ってきたのだった!

 

最も長い旅

 

  たいていの人は死を話題にしたがらない。死について考えるのを好まないのだ。遅かれ早かれ死は誰にでも訪れるのだが、ほとんどの人は死を無視し、死に対して備えようとはしない。

  多くの人は、すでにお金を持ち、良い仕事につき、家族を持ち、家や車といったすべてを持っている。それでも確実に年を取っていき、死がさほど遠い話ではないにもかわらず、まだ満足感を得ていないのだ。人々はそれでもまだ答えを見つけてはいない! 人々は死ぬことを恐れている。もちろん、特に若い時には、死はずっと先の事に思えるので、それについてあまり心配しない。しかし、死を間近にして、それを理解していないなら、恐れ、答えを切望するだろう。

  聖書には、「死の恐怖の為に一生涯、奴隷となっていた者たち」のことが記されている。(ヘブル2:14、15)恐れの奴隷だ! 人が死を恐れるのは、殆どの場合、死ぬ準備ができていないからだ! 主に感謝することには私達にはそれができている!

  私達にとって死ぬ事とはこの世で一番簡単な事なのだ。クリスチャンであり、死んだら自分がどこに行くかを知っているなら、死ぬのは容易な事であろう! 死ぬ準備ができているので、恐れる必要がないからだ! 主よ感謝します!

  王の道化師という話を思い出すが話してあげよう。ある名の知れた王が宮殿に道化師を置いていた。その道化師が長年の間、王を元気づけ、喜ばせるために一生懸命に仕事をしたほうびとして、王は土地と年金を与えて引退させた。

  そして王は、金の彫りものがしてある美しい杖を与えてこう言った。「わたしのこの杖をお前に授けよう。なぜなら、お前はわたしを大いに励ましてくれ、長年の間尽くしてくれたからだ。」         「わたしはお前を自由の身にしよう。そして旅に出ておいで。この杖を持っていくがよい。わたしにこれまで仕えてくれた中で一番の『fool(道化師と愚か者という両方の意味がある)』への特別の贈り物としてこれを受け取ってほしい!」

  それから何年かが過ぎ、道化師は王が死の床にあることを聞いてかけ つけた。王に同情した道化師は、「行く準備はできていますか?」と聞いた。「どういう意味なのだ?」と王は答えたので道化師はこう答

えた。

  「死ぬ準備はできていますか? 死という旅の準備をしましたか?」王はこう言った。「死ぬための準備などどうしてできるのか? 何を言っているのだ?」そこで王の道化師はこう言った。「イエスキリストをあなたの救い主として受け入れましたか? 死ぬ準備はできていますか?」

  「天国に行く準備はできていますか?」王はこう答えた。「いいや、できていない!」道化師はこう言った。「最後にあなた様とお別れしましてから、私はイエスに会い、自分の救い主としてイエスを心に受け入れました。私は行く準備ができています。」王と同じくらいの年の道化師は言った。

  「私が旅に出る時、あなたはこの杖を私に下さいましたね。私は今までで一番のfool(道化師)だった事への褒美として。でも私は、人生で一番長い旅への準備をしました。戻ってくる事のない旅への準備を。しかし、あなたはその旅への準備をしていないのです。」そしてこう続けた。「ですから、この杖をあなたにお返ししたいと思います。私よりもfool(愚か者)のあなたへ!」

 

私達の帰郷!

 

  死は大きな損失ではない。クリスチャンにとって「死ぬことは益である」(ピリピ1:21)、それは益なのだ! 私達が死ぬなら、「突如の死、突如の栄光」なのである! 私達の問題はもうなくなるのだ! この肉体があるので、死ぬ際に幾らか痛みがあるかもしれ

ないが、死んだ後は自由になるのだ! 突然解放され、素晴らしい経験となるだろう! 

  死は喜ばしい解放であって、それを通して私達は新しい世界、新しい人生に入る! なぜなら死んだ瞬間に、この肉体の殻から解放され、束縛のない霊の世界へと入るからだ! 使徒パウロが死と直面した時、勇敢にこう言いきったのは、これが理由だった。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか、墓よ、おまえのとげはどこにあるのか。」(1コリント15:55)

  イエスがそのとげを取り除いて下さったのだ。私達は確かに死を経験するが、それはとげ(苦悩)のない死なのだ! 主よ感謝します! それは帰郷であり、解放であり、この世から救い出されること。私達の載冠式の日なのだ!

  「この人生の道の果てに来る時、空には、あのいと高き所からの光が輝く! この人生という道の果てに来る時、そこには、すべての煩いからの心地よい解放が私を待っている! 長い日が終わり、その旅が終わる時、私は主の天国の住まいで憩う! この人生という道の果てに来る時、そこには、愛する者たちが私を待っている!」

  死は素晴らしい! クリスチャンにとって死は解放である! すばらしい解放だ! キリストを信じる者にとって死とは、この問題ばかり抱える体から解放されることなのだ。この体を捨ててしまうほど救出と言える素晴らしい方法があるだろうか? この体は重く、疲れきっている。傷ついたり、病気にさえなる。だが私達はこの肉体という殻から抜け出して、新しい自由の世界へと入ることができる。束縛のない霊の宇宙空間へと!

  私達にとって、この人生航路の果ては、始まりなのだ! 「私達がみな天国に入る時には、この上もない喜びの日となるだろう!私達がイエスに会う時、歌い、大声で勝利を唱える!」ハレルヤ!イエスよ感謝します!

  私達はすでにこの世を去った身内や愛する人達に会い、彼らと共に永遠の幸せ、永遠の愛と喜びに溢れた人生を送り、愛の神と共に、そして愛する人達と共に永遠に天国的な幸せに浸り、喜ぶだろう!

  (預言:)「あなたが私の王国に一緒に住み、私と共に永遠に支配する日が来る時、それは素晴らしい日になるだろう。今まで経験したことのないような喜びに浸り、見たこともないような栄光を目にするだろう。そしてすべてのことが報われることを知るだろう。あなたが通過したあらゆる困難、これからまだ通過するだろうすべてのことが、すべて報われることを。」

  「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。またわたしを信じる者は、いつまでも死ぬことがなく、再び命によみがえり、愛と音楽と希望に満ちた国で永遠に生きるであろう。わたしの住まいに、永遠にながらえる子供達とともに。そこは、死ぬことのない、永遠に生きる者たちのために、わたしが用意しに行った住まいだ!」(ヨハネ11:25、26;14:1-4)

  「だからあなたの目を上げ、心を奮い立たせ、あなたの信仰にしがみつきなさい。あなたはわたしと共に永遠にわたしの父の家に住む。そこには住まいがたくさんある!」 美しい! 実に美しい! イエスよ感謝します!

  「見よ! 永遠の陽光が輝き、永遠の春の息吹が漂い、永遠に咲き続ける命の花の栄光に満ちた日々に、主の美しさを見よ!」ハレルヤ! イエスよ感謝します!

  「夜が明ける時、この世の悲しみにさようなら! 地上の悲しみと今日のすべての悩みにさようなら! 神の明日には、痛みも死もない。夜が明ける時、影は消え去る!」  「その時、この人生の苦悩はちっぽけなものに見え、私達の重荷も軽くなる。深い悲しみさえも、過ぎ去った夢のごとく、あの祝福された朝には忘れ去られることだろう! 夜が明ける時、地上の悲しみにさようなら! 今日のすべての悩みにさようなら! 夜の明ける時、影は消え去る。神の明日に痛みはもうない!」

 

「死後の人生」−−どのようなものか?

 

  目に見える神の創造は霊の世界の描写のようだ。見えない物を描写しているのだ。神の創造したもの、神の造られたすべてのものは、何らかの形で霊的なものを描写している。「神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。」(ローマ1:20)

  というわけで、霊の世界は私達のこの頭では理解できないほど、この世界と違ったものではない。そうでないと、私達がそこに行った時、途方に暮れてしまうだろうし、極端に異なっているなら、順応することもできないだろう。

  というわけだから、霊の世界では私達は今とほとんど変わらないようだ。ただ神に感謝する事に、もっと超自然的な体を持つ事になる。私達の永遠の体、霊的な体というものは、ちょうど主がよみがえらた時のような体を持つ。私達は主のような体を持つようにな

ると主は言われた! イエスの新しいよみがえりの体は、消えたり現れたりすることができた! 想像できるだろうか! 主は一つの次元から別の次元へと移ったり、鍵の閉まった扉や厚い壁を通り抜けることができたのだ!(ヨハネ20:19、26)

  私たちの、この滅びつつある地上の肉体は土に帰る。私たちは、この古い地上の体を、完全に新しい天国の体と交換するのだ。その新しい体は、空を飛ぶことができ、私たちが夢にも思わなかったような、強力なパワーを持っている! そして、あっという間に地球を一周したり、他の星や惑星を訪れたり、宇宙全体を回ることもできるのだ! 私たちの新しい霊の体は、光速どころか、それよりもはるかに速い、思考速度で移動することができる! ある所にいることを考えるだけで、もうその場所にいるといった風に!

  しかし、このような霊の体をもっているからといって、もう人間ではないということはない。イエスがよみがえられた後もそうだったように、あなたは、現在と同じようなことができるだろう。主は食べたり飲んだりできた。そして人々は主に触ったり、主を実際に見たりすることができたのだ! それでもイエスの体は、奇跡的で超自然的な体、新しい復活の体だったのだ!(ルカ24:36-43参照)

  あなたがあなたであることには変わりない! 外見もさほど変

わらないだろう。ただもっと良くなるのだ−−はるかに良く! 私が知っていた他界した子供達は、霊の世界で私が見た時には、もっと成長し、大人になり、とても美しくなっていた! そして年を取って死んだ人は、私が霊の世界で見た時にはもっと若く見えた!

  というわけで、今とはあまり変わりないが、もっと主と直接コミュニケーションが取れるようになり、神と来たるべき世界の現実を十分に体で体験することができるようになるのだ! ハレルヤ!

  そこは美しい世界だ。美しい人々が素晴らしい時を過ごしている。それは素晴らしい場所だ。霊の世界は素晴らしい所だ! 主よ、感謝します!

 

死からの赦し

 

  多くの教会は、神は残酷な暴君だと教えているようだが実際はそうではない。神はすべての人を地獄に追いやるような恐ろしい方ではない。神は憐れみ深い方で、すべての人を愛し、天国に招き入れようとされているのだ! 「なぜなら、神は愛だからである!」(1ヨハネ4:8)主はあなたを助け、救い、ご自分の愛であなたを幸せにしたがっておられる。事実主は、あなたが神を愛し、神を永遠に楽しむようにとあなたを創造されたのだ。あなたが現在の人生、そして死後の人生をも楽しむためなのだ! 

  だが悲しいことに私達は人に対して利己的だったり、意地悪だったり、愛にかけていたり、親切でなかったりしたことがあった。神に対してでさえもそうした! 事実、私達はその不従順のゆえに、神の前から追放される身なのだ! その強情さ、主と主の聖霊への反抗のゆえに。主の聖霊が母親のように私達を思いやり、優しく見守ってくれようとしているのに。

  「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっている。」(ローマ3:23)この聖句の意味は、私達はすべて罪を犯した者であり、過ちを犯した者であるから、みな救われる必要があるということだ! 「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は私達の主、イエス・キリストにおける永遠の命である!」(ローマ6:23)

  神の贈り物である永遠の命を受けるのは、ちょうど免罪を受けるようなものだ。神は御自身のひとり子を私達の為に犠牲にされた。「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)神は私達を深く愛しておられるがゆえにイエスを送られ、私達が自分達の罪のゆえに受けるはずだった罰をイエスが代わりに受けて下さったのだ。イエスは、私達に対する神の愛の贈り物なのだ。

  イエスが、ご自分を信じる者に、「死を味わうことはない!」と約束されたのはこれが理由だった。(マタイ16:28)私達が、イエスの贈り物である永遠の命を受けるなら、霊的な死という意味ではもう死ぬことはない。言いかえれば、死んだ時に自分が神から離れてしまうと感じて苦しむこともないだろう。

  この霊的な死というのは、最悪の死である。死後の世界でも苦しむ霊的な死なのだ。しかしイエスは、死なれた時、肉体だけではなく、このように救われていない者が苦しむ霊的な苦しみも経験された。こうしなかったら、イエスは私達の罪のために苦しんだ事にはならなかっただろう。しかし、実際に主は、私達の罪のために苦しまれたのだ。

  イエスが十字架で死なれた時、肉体の面で死なれただけではなく、罪人が霊的に死ぬように感じながら死なれた。イエスは「父よ、父よ、なぜわたしを見捨てられるのですか?」(マタイ7:46)と言われた。この霊的な死が、正確には何であるか私たちは知らないが、イエスはそれを地獄だと呼ばれている。火のようなものだと!それが何であっても、苦しいことであり、自分の罪のために苦しむということなのだ。

   しかし神の息子であるイエスは私達をあわれんで下さり、その罰を身代わりになって受けて下さったのだ! 「すべての人のために死の苦しみを味わわれるためである‥‥死の力を持つ者、すなわち悪魔を、御自分の死によって滅ぼし‥‥死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを解き放つためである!」(ヘブル2:9、14、15)

  この赦しを受けるためには、ただ自分が罪を犯したことを後悔する気持ちを持ち、イエスを信じ、イエスの愛を受け入れるだけでいいのだ。主はあなたの心の扉の所に立ち、入りたいと懇願しておられる。イエスはこう約束された。「見よ、わたしは扉の外に立ってたたいている。誰でもわたしの声を聞いて扉を開けるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録3:20)あなたは、イエスを心に持つことができ、イエスがあなたにあげようとしているすべてのものを持つことができるのだ。今、この簡単な祈りを祈るだけでたった今、それを受け取ることができる。

  「主イエスよ、どうか私の過ちのすべてを許して下さい。あなたが私のために死んで下さったことを信じます。あなたが神の御子である事を信じます。イエスよ、私の人生の中に入ってきてください。今、私は心を開き、あなたを中に招き入れます。イエスよ、どうか私の心の中に入って下さい。そして私が他の人を愛する事ができるように助けて下さい! そして他の人もあなたを見つける事ができるように、あなたの事を伝えるのを助けて下さい! あなたの御言葉を読む事、そしてあなた

の霊によって御言葉を理解する事をどうか助けて下さい! イエスの御名で祈ります! アァメン。」

  あなたがイエスを受け入れ、イエスを愛し、イエスのために生きるなら、イエスと天国を、永遠に楽しむことができる! イエスを信じ、受け入れるなら、あなたは今、ここで永遠の命があるということを確信できる! 自分が救われているかどうか、死んだらわかるだろうと思う必要はない。なぜなら、「御子を信じる者は、永遠の命を持つ」からだ。(ヨハネ3:36)たった今だ! ハレルヤ!

 

終わりに

 

  あなたはそこに行く準備ができているだろうか? あなたが心にイエスを持っているなら、死は素晴らしいものだ! しかし、この地上には私達がしなければならないことが、まだたくさん残されている。私達にとっては死ぬことは簡単な抜け道だ。私達は、他の人達が死ぬ準備ができるように、生きていなければらない! 生き延びて、主の仕事を続けていくことが私達の任務だ。神が私達に望んでおられることをするために、なるべく長く生きることが私達の使命なのだ!

  けれども死ぬ時が来るなら、それは、あなたがこの地上での任務を果たしたしるしなのだ。ハレルヤ! 来世の天国の世界への卒業になるだろう。イエスと、愛する人達と一緒に住める永遠の栄光に満ちた天国なのだ!

  あなたが準備ができていることを確かにしておくために、イエスを救い主として受け入れなさい。そうすれば主があなたを迎えに来る時に、あなたは準備が整っていることだろう。そして、あなたは無事に天国に到着することだろう。準備がまだ整っていないなら、今、しておくことだ! 今日、イエスを受け入れなさい! 神が救いによってあなたを祝福されるように!

  そして救われたなら、この歌を口ずさむことができる。「救い主の顔を見るために帰郷できる! もう戻らない! イエスと一緒にいるために、故郷に戻るのだ! 永遠に故郷に戻るのだ!」

  神が、あなたに良い死を与える事で祝福して下さるように! 良い旅を! そこで会おう! 目をさますと、そこは天の王国、愛に溢れた平和で豊かな生活を‥‥神と共に永遠に!

  「まわりがどんなに暗くても、神を信頼するように! 人生の道程がいかにつらくなっても! 夜明けまで主の御手を握っていよう。目が覚めれば、私達は主に似た者となる! 夜が明けるとき、地上の悲しみにさようなら! 今日のすべての悩みにさようなら!神の約束する明日には、痛みも死もなくなる! 夜が明ける時、闇は消え去る!」