DB806

 

大きな嘘!−−ついに暴かれる!

GP 736 1977年4月

 

  1.ヒトラーは「我が闘争」の中で、プロパガンダのために嘘をつくなら大きな嘘をつけ、と語っている! それは、嘘が大きければ大きいほど、もっと多くの人がその嘘を信じるという傾向があるからだ。なぜなら、それが本当でない限り、敢えてそんなに大きな嘘などつくわけがないと人は思うからだ!

  2.そこで、悪魔は狡猾にも進化論を利用した。悪魔は大嘘をついた。「はじめに、神は天と地を創造されなかった。何らかの大きな偶然によって、様々な力が物質に作用したのである。とかなんとか‥‥。それゆえに、人間は何千万年も経て下等な形態の動物から進化し、かつ一種から多種へと進化した動物にすぎず、生命は種々の化学生物からひとりでに自然発生したのである!」と。

  3.この妄想の産物である教義は、現代のいわゆる科学の一般的なテーマとなっている。だから、そんなものはもはや真の科学などではなく、純然たる想像上の、進化論的なたわごとにすぎない! 進化論は、今では生物学の「大原理」と見なされている。しかし辞書の定義によれば、原理というのは、根拠となる真理か事実、他の真理の基礎となるものだ。そして、もし進化論を多少なりとも知っている人なら、進化論が一度も真理また事実であるとして証明されたことがなく、ましてや他の真理の根拠となるもの、あるいは基礎として証明されたことがないことを知っているはずだ。

  4.さて、私は進化論について語っているのであって、真の生物学の真の科学について話しているのでもないし、真の科学を過小評価しているのでもない。それらのものは証明可能だ。つまり、植物がどのように成長し、動物がどのように繁殖して増えるかなどは証明可能なのだ。私がここで語っているのは、想像の産物である、支離滅裂な、空想上のおとぎ話についてであって、これっぽっちも証明可能な領域に近づいたことさえないもののことだ!

  5.進化論を証明するものは何も存在しない! 進化論は信じるものだ。よって、進化論は信仰であり、よって、それは宗教だ! だから、今日の高等教育の神聖な広間で、教師たちは新しい義務宗教を教えているということになる。この新しい偽りの信仰の大司祭であり、創始者であるチャールズ・ダーウィン自身でさえもが、こう告白している。「現状においては、自然淘汰(進化)を信じることは(『信じる』が強調されていることに注意)、まったく一般的な考察に根拠を置かなければならない‥‥。詳細を一つ一つ取り上げた場合、種が変化したことは一つも証明できず‥‥または、この論理の根拠となる、その仮定上の変化が有益であることを証明することもできない。」(1)

  6.ダーウィンの熱烈な使徒であり、献身的な弟子であるトーマス・ヘンリー・ハックスレーもまた同様に、自分の意見が何ら真の科学的事実や証拠に根ざしたものではなく、「宗教的な」表現にすぎないことを認めて、「もう一度読者諸君に思い起こしてほしいことは、私には、自分の意見を、『哲学的な信仰から生まれた発言』という名称以外で呼ぶ権利は全くないということである。」(2)と述べている。

  7.だから、進化論とは実に、神への不信仰から成る宗教だ。そして、その全目的は、神への信仰を取り去って、「被造物はひとりでにできたのであって、神はそれに何の拘わりもない。だから、神などは必要ではない。神の助けなどなくても創造は起こり得たのだ」という悪魔の偽りの教義を育てるためなのだ!

  8.この姿勢は、1959年のシカゴ・ダーウィン信奉者百年祭において明らかにされた。それはチャーリーの著書である「種の起源」の出版百年目を祝うためのもので、2,500人の代表者がそこに集まった。トーマス・ハックスレーの孫である高名な進化論者のサー・ジュリアン・ハックスレーは、この総会の演説の中で、「進化論には、超自然的なものが入り込む余地など、少しもありません! 地球と地球上の生物は創造されたのではなく、進化したのです。われわれはみな進化の事実を受け入れています。‥‥生命の進化は、もはや理論ではありません。それは事実です。それはわれわれの全思考の基盤なのです!」(3)と公言した!

  9.それはちょうど、例の黄金の子牛を作った偶像製造者達が、古代のイスラエル人に対して言った言葉に似ている。「イスラエルよ、これはあなたがたの神である。ひれふして拝め!」(出エジプト32:4) だが今日では、この子牛が黄金である必要さえない! 事実、それが猿でも構わないし、また、おたまじゃくしとか、は虫類でも構わないのだ。「見よ、イスラエルよ、これはあなたの神である、はいつくばってこの小さなおたまじゃくしと、寒天体と、小さなくねくねするしっぽと、四つ足の動物とは虫類とを拝みなさい。あなたがたの神がここにおられる。これらがあなたがたを造り出した生物であり、あなたがたはこれらのものからできたのだ。これがあなたがたの創造者である!」‥‥これこそ、進化論が教えていることだ!(エレミヤ2:27参照)

 

生命は無生物から発生したのだろうか?

  10.進化論の核となっているものは、何らかの方法によって生物が無生物から発生したという、大それた仮説だ。つまり、「純然たる偶然によって、都合の良い化学物質が都合の良い場所で、都合良く配置され、都合の良いタイミングと状態になった。そこに突然、何かよくわからない電子化学的な作用が起こり、生命が『パッ!』とひとりでにできあがった!」というのだ。この仮説は、一般に受け入れられ、証明されている、熱力学の第二法則として知られる科学の法則に全く矛盾する。この法則は「すべての化学作用は(それ自体で放置されている場合)、元のものより無秩序で、混乱し、配置が乱れた状態になり、より複雑さを欠くようになる」(4)というものだ。

  11.言い換えれば、生命のないものが、自然に秩序や組織や複雑さを増したりする事は決してないという事だ。−−これらのものは常に減少する! また、例え元素がひとりでに、生命の発生に必要なある決定的な配列を形成できたとしても、それが独力で生きた細胞を造る事は不可能だ。なぜなら、生命とは単に化学物質の物理的な配列ではないからだ! このような出来事と同様の事が起こるというのはあまりにも不自然であって、ブリンストン大学の生物学教授であるエドウィン・コンクリン教授もこう言っている程だ。「生命が偶然に発生する確立は、印刷所の爆発から、大事典が出来上がる確立に匹敵するものである!」(5)

  12.進化論者達は、単細胞から全生物が進化したと述べているが、その単細胞に関しては、「細胞はニューヨーク市と同じぐらい複雑である」(6)と「ルック」誌が発表している。著名な進化論者であるローレン・アイスリーもまた、著書「果てしない旅」の中で、「膨大な努力の結果、単純であるはずのアメーバでさえ、独自に機能している複雑な化学工場であることが明らかになった。アメーバがただの単純な、液状の塊であって、その細胞の化学構成を発見すれば直ちに生命の過程を始動させることができるという概念は、控え目に言っても、ひどい事実の歪曲である!」(7)と述べている。

  13.優れたデザイナーや立案者や創作者なしに、辞書や、化学工場や、ニューヨーク・シティーがひとりでにパッとできたなんて、想像できるだろうか? それが、非常に複雑な「単」細胞がたまたま一緒になり、偶然生命を持ったという、進化論の想像上の仮説の論理なのだ! これについて、イギリスの生物学者ウッジャーはこうコメントしている。「自分の信じたいことが、過去に実際に起こったのだと主張するのは、単なる独断にすぎない。」(8) もっと複雑な、複数細胞の生命形態に移行するにつれて、この進化論の矛盾はさらに深まっていく。

 

種の存在

  14.進化論によれば、今日の植物や動物の種は、単に過渡的な形態であり、終わりなき生命の鎖の一部分であって、その鎖をたどると次第により進歩した段階へと進化していくという。この理由からダーウィンは、「種」を分類することは「単なる無用な抽出」だとか、「一応便宜上のもの」(9)と見なしている。

  15.これは、神の言葉に全く反している。聖書には、神は、すべての生き物を「種類にしたがって」創造し、「種類にしたがって」種や実を結ぶよう創造したと書いてある。ところで、この「種類」という単語は、ヘブライ語の「ミン(MIN)」の訳語で、今日の学者達はそれを「種(しゅ)」という意味に翻訳している。(10) 今日の生物は、種が時代と共に変形していった結果できたものではなく、始めからはっきりと定められた種なのだ! それは、自然淘汰の結果生まれたのではなく、神の創造によって生まれたのだ!

  16.犬が猫になったとか、猫が犬になったとかいう話は今まで聞いた事がないし、証明された事もない! 犬には沢山の種類があり、猫の種類も様々だが、犬が猫に、猫が犬になったりしたことなど一度もない! なぜなら、神はすべてのものを「その種類にしたがって」創造され、その種類以外のものになることはできないからだ。同じ種類や種の内だけなら変わるかもしれないが、別の種類になることは絶対にない!そんな事は不可能だ!

  17.これらの事実はダーウィン自身をさえ悩ませた。彼は疑問に思った。「ある種が他の種から少しずつ進化してできたのなら、なぜ、私達の回りにたくさんの変態中の姿を見ることがないのだろうか? なぜ、自然はめちゃくちゃな状態にないのだろうか? どうしてこのようにきれいに、種が分けられているのだろうか?」(11) ダーウィンの疑問に対する答は簡単だ! ただ、創世記第1章を読めばよかったのだ。そうすればダーウィンは、ある種は他の種から進化してきたのではなく、神により、秩序正しく、固定された「種」として創造されたことを知ることができただろう。それこそ、すべての自然が混乱していない理由だからだ!

 

雑 種

  18.しかし、遺伝学の研究をしている科学者達は、新しい雑種の植物や動物を造り出しているではないか? これは、それぞれ異なる種の交配によって、全く新しい種が生まれてくる事を証明しているのではないのか? いいや、違う! 科学者の世界で認められている「種」とは、「自由に交配し、繁殖力のある子孫を生み出せる生物の集合体」となっている。また、二個の種を交配して造り出す非常に希な雑種は、「繁殖力のある子孫」を生み出しはせず、全く子孫ができない! カレッジ百科事典にある通り、「雑種に繁殖力がないのは、一つ一つの種が他との区別を保っていくための一種のメカニズム」だ。(12)

  19.言い換えれば、神が、御自身が定められた元々の「種類」が交ざってしまわないように、不妊という壁を設けられたのだ。その良い一例が、雄ロバと雌馬の雑種であるラバだ。外見は新しい種、あるいは「種類」のように見えるが、雄のラバと雌のラバから子供のラバはできない!−−ラバは、不妊という揺るがぬ壁をつき抜ける事はできないのだ! だから、ラバを産ませるには、雄のロバと雌の馬とを永久にかけあわせていくしかない。こういう神が定められた生物学的原理は、かの有名な進化論者の動物学教授であるリチャード・B・ゴールドシュミット教授によって立証されている。彼は、このように書いている。「どんな状況でも、種の境界を越える事はできず、この境界は完全な切れ目、つまり不妊によって、隣の種から区切られているのである。」(13)

 

突然異変

  20.では、大々的な放射線の照射実験はどうだったのか? 実際にミバエ*(果実につく蝿)のような生物に突然変異とか変化を発生させたではないか? これは、同じような突然変異が、ジュリアン・ハックスレー卿の言ったような、進化論的変化の中核となり得ることの明確な証拠ではないか? 現代のほとんどの科学者や教育者達もそう主張している。(14)

 

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  *ミバエは、数えきれないほどの実験の対象となり、放射線を浴びせられ、その結果多くの突然変異が生まれたが、その突然変異で生まれたミバエが生み出したのは、体が退化したり、羽根が小さく縮んだものなど奇形ばかりだ。新しい「種」を生み出したことは一度もない!

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  21.いいや、そうではない! 突然変異に関して行われた何万もの科学的実験の内、これまで一つとして、新しい動物や植物の「種類」を生み出したものはない! あらゆる遺伝学者や進化論者が、再新鋭の放射線機器を使って「完壁」な条件の下で実験を行っても(それにより突然変異の発生率を百万倍にも高めても)、一つの「種類」を他の種類に突然変異させたり、変化させることは全くできないでいる! それでも、この進化論者達は、今日地球上に見られる何百万もの見事で複雑な、様々な生命の形が、あてにならない偶然によって生み出されたのだと、私達が何とかして信じることを期待している!

  22.また、突然変異的な変化が進化論の「中核」となっていることについて、1946年に遺伝学への貢献によってノーベル賞を受賞したハーマン・J・ミューラーは次のように語っている。「遺伝子の突然変異の実例は、その99パーセント以上が、何らかの有害な影響や、ある種の機能上の障害を引き起こしている。(15)‥‥突然変異はたいてい悪い。事実、有益な突然変異は実にまれであり、われわれは突然変異はすべて有害なものだと考えてもよいであろう。」(16) 生体(有機体)に対する遺伝子の突然変異の影響について、H・カルムスは著書「遺伝学」の中で、次のようにたとえている。「わかり易く比較するために、時計を使うことにしよう。もしも時計のメカニズムの一部が何らかの変化で変わったとしても、そのことによってその時計の性能が偶然に良くなることは、まずないだろう。」(17)

  23.間違いなく、遺伝子の突然変異の悪影響だといえる例が、第二次世界大戦末期の日本の広島と長崎の例だ。この二都市に恐るべき原子爆弾が落とされた時、即死を免れた人々は、程度の差こそあれ、皆、放射能を浴び、その結果、何千もの突然変異が起こった。しかし、これらの突然変異のどれにおいても、進化論が私達に期待させようとしているような、より優れた、進んだ新しい人間の形態は全く発生しなかった。それどころか、この遺伝子の変化によって、犠牲者達は、気の毒にも、後遺症に苦しみながら死んだり、奇形児を出産したりした!

  24.現在、数え切れないほどの犠牲者達が証言しているように、薬や化学薬品もまた、突然変異を生じさせる。一番よく知られた例に、最近の何年間かの間に発生した精神安定剤のサリドマイドがあった。またしても、これらの化学的な誘因による突然変異からは、「人間の種」に有益になるものは何一つ発生せず、腕や足のない、残酷なほどに奇形の赤ん坊が生まれたのだ! これらの悲劇的な例は、ゲルメイン種子会社の前研究長であったW・E・ラムマーツ博士の「生物学的に言えば、突然変異はすべて欠陥品である」(18)という所説を確かに裏付けるものだ! 突然変異とは、決して、何人かの嘘つき共が主張しているように「進化論の中核」などではなく、それは純然たる理論上のものにすぎない。

 

化石の記録

  25.もしもこの大それた、馬鹿げた、気違いじみた嘘、この複雑にでっちあげられた進化論という虚構の理論が真実だとしたら、もっと多くの失われた環(かん)が発掘されてもいいはずだ! もし進化が何10億年も続いてきたなら、失われた環は山ほど発見されていることだろう!

  26.ダーウィンでさえもこの事実に気づいた。そしてこう言っている。「この理論によれば、数限りないほどの過渡期の形態(『環』)が存在しているはずだが、どうして地球の地殻に埋まっているものがいろいろと発掘されないのだろうか? ‥‥全生物と絶滅した種との間の中間的な過渡期の環の数は、信じられぬほど膨大なものだったはずだ。」(19) その後ダーウィンは失われた環についてのその疑問に自分で答えて、「それは、(地質学上の)記録が一般に考えられているのとは比べ物にならないほど不完全だからと思う。」(20)と断言した。

  27.しかし、130年たった今日見てみると、ダーウィンの口実は全く馬鹿げている! 文字通り何億個もの化石が、あらゆる化石を含む地層から採取されたにもかかわらず、その中には「過渡期の形態」とか失われた環などは存在しなかった。その化石は全部、はっきりした種に属することが明らかだった! 事実、見積もりによると、十万以上の種類の、はっきりとした種類の化石が発見されたと言われている! しかし、未だに「環」は発見されていない!

  28.ハーバード大学の動物学の教授A・S・ローマーは、最近、現在の状況について次のようにまとめている。「私達が発見を最も期待している段階の『環』」が見つかっていない。そして、『環』が、これからも見つからないままであり続ける可能性は高い。」(21)

 

猿 人!

  29.類人猿とか、猿人は存在しないのであり、今日の多くの生物の教科書で読んだり、絵で見たりするあのでたらめな話は、まったくぞっとさせる、極悪非道のナンセンスだ! 地獄の底から出て来た化け物の一団のように叫んだり、歯を剥き出したり、うめいたりしている半猿人や、半人半猿の人間のような猿人達は想像上の怪物であって、悪魔の鬼のような精神の所産であり、人間が広めたものだ。

  30.普通私達は、汚らわしい嘘つき共の汚らわしい嘘で自分達の指を汚したり、自分の心を汚されるのを好みはしない。しかし、少なくとも、今日の「教育者達」の大多数が、目下絶対の真理かつ歴史的な事実だと教えている「人間の先祖」の理論の馬鹿げた大失策や過ちを幾つか指摘して、真理と尺度を釣り合わせれば、あなたたちにとっても役立つかもしれない。

  31.そうすれば、少なくとも心の中にあった論争点もはっきりとなるだろうし、彼らに激しく反論して真理を守るための弾薬も、今までより幾分かでも多くなるかもしれない。その結果、使徒ペテロが言ったように、「説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしている」(1ペテロ3:15)ことができるようになるはずだ。ここで私達は、現代人の祖先と考えられている最も有名な化石の残骸と、それを取り巻いている論理を手短に調べてみよう。

  32.進化論者達は「失われた環」という礎石または骨の上に信仰を築いているが、あなたたちは、彼らが「失われた環」の呼び名として、実に長たらしく、発音しにくい名前を選んでいることに気づくだろう。このようなことをして、真実を神秘の幕の内に包み隠し、ごく平凡な素人の心の中にちょっとした迷信じみた畏敬の念を抱かせさえしている。他の大勢の宗教的権威者と同じように、偽りの科学の「聖牛」の大祭司も、人の信仰に信頼感を与え、自分達への敬意を増そうとして、これと同じようなことをしたのだ!

  33.ダーウィンは、次のように主張している。「セミアデー(猿)は、新世界の猿と旧世界の猿の2系統に分岐し、後者が、遠い未知の昔に、宇宙の不思議と栄光に輝く人類に進化したのである。」(20) 言い換えれば、偉大で栄光に輝く人類は、独力で猿から進化したのであり、聖書が語っているように、神が御自身の形に創造されたのではない、ということだ!

  34.ところが、猿人の系統から人間が発生したことを示す、半分ありそうでなさそうな進化の鎖を再生する事は不可能だということが、科学者達にもわかってきた。その結果、彼らは新しい理論をでっちあげる必要に迫られ、早速そうしたのだった!

  35.今では、現代の進化論者達は、人間は猿から進化したのではないと主張している。そうではなくて、猿と人間の共通の祖先である、もっと原始的な霊長類から進化してきたというのだ! しかし、この新しい理論を証明する証拠となる化石に関しては、「ニュー・サイエンティスト」という雑誌が次のように論評している。「人間と猿の間にあるまぎれもない類似点は、互いに共通の祖先を有していることを明白に指摘している。しかし、その証拠は未だに発見されておらず、それを発見するのには幾分かの困難をきたすかもしれない。」(23)−−お笑いだ!

  36.初期の人類が、この「共通の祖先」とされているものから次第に進化したことを証明する証拠について著名な進化論者達が「霊長類」という著書の中で告白した通り、「残念なことには、人間の進化の初期の過程は、全く未知のまま」(24)なのだ。それなのに、彼らはそれを信じている。

  37.「サイエンティフィック・アメリカン」誌も同じく、「現代の人類に至る道筋がどのようなものだったかは、全くの仮説のままである」(25)と述べている。そこで、人間は下等な猿のような姿をしたものの子孫であるという進化論の教えのまさに基礎となり、土台となるものは、「全くの仮説のまま」のものなのだ。それは一群の間抜け共がでっちあげたもので、彼らは聖書が「偽りの『知識』による俗悪なむだ話」(1テモテ6:20)として引き合いに出しているものを世間に対して行っているのだ。

  38.進化論者達によって「最古の人類の形態として知られるもの」として分類されているもので、初めて発掘された実際の化石は、「アウストラロピテクス」とか、アフリカ「類人猿」と呼ばれる部類に属していると言われている。その脳は現代の人間のわずか3分の1しかない。それでも、進化論者の中には、アウストラロピテクスは道具を作ることができ、従って、人間であると仮説を立てる者もいる。しかし、有名なJ・T・ロビンソンを含むさらに多くの進化論者達は、道具の作成は絶対に、そういった「類人猿」などによって行われたのではなく、本当の人によって行われたと主張している。(26)

  39.もう一人の有名な進化論者のルグロス・クラークは、アウス

トラロピテクスについて次のように警告している。「アウストラロピテクスが今日の人類と共通の特別な属性を一つでも持っていたという確かな証拠はない。」(27) また、進化論者のR・L・レエマンは、その著書の中で、「アウストラロピテクスは、ただの直立できる頭のいい猿で、人間ではない。目の上に大きな突起のついた小さな頭蓋骨は、猿のものと同じである。」と書いている。(28)

  40.普通、進化論者達が、猿から人間へとトントン拍子に進化したという関連性を示そうとして次にあげるのは、「ピテカントロプス・エレクトス」だ。人は親しみを込めてこれを「ジャワ原人」という愛称で呼んでいる。ジャワ原人は、1891年に、若いオランダ人デュボア教授によってジャワ島の河床で発見されたのだが、この人は、アーネスト・ヘイケルの誤り多い教えによって多大な影響を受けた学者だった。ヘイケルはドイツ人の熱心な進化論者で、いくつかの「科学的」なでっちあげを行い、それが発覚している。ヘイケルは進化論を称賛し、それを利用して、キリスト教と神への信仰のすべてをつぶそうとたくらんだ人間で、どのようにして生命が無生物から発生し、それが原始的な形態から進化したかを示す、進化論の「系統樹」を初めて単なる想像で作成した人物だ。

  41.若いデュボアが、ヘイケルのいんちき系統樹の中でも最も興味を抱き、結果として心が奪われてしまった部分とは、猿人から人間へとつながってく部分だった。それは、ヘイケルが未知で未発見の「環」があるとして位置づけた部分で、彼は盲信的な信念に基づいてそれを「ピテカントロプス・エレクトス」と名づけた。この文字通りの意味は、「歩く類人猿」だ。

  42.デュボアは、この「失われた環」を自ら発見する想いに取り付かれ、まもなく家族と仕事を捨て、ジャワに旅立った。そして1887年にその地で決然と捜索を開始して、未だに未知のままである骨を根気強く掘り出し始めたのだった。そして4年後、デュボアの栄光に輝く瞬間がやってきた。彼は喜び勇んで、この発表を待ち望んでいた世界にこう発表した! 「とうとう、われわれの遠い祖先が発見された! 長年探し求めてきた、人間と猿を結びつける『環』が発見された!」 このようにして「ジャワ原人」は生まれ、無神論者のゴッドファーザー的存在であるヘイケルが用意していた「ピテカントロプス・エレクトス」という名前がこれにつけられたのだった。

  43.瞬(またた)く間にデュボアへの名声と歓呼の声があがり、今日ではたいていどこの自然博物館でも、念入りに作られたジャワ原人の半身像と復元像を見ることができる。そして観覧者に、「マストドンが氷に埋もれて完全な形で発見されたような、昔の生き物を今、畏敬の念を込めつつ、この目で見ているんだ」という印象を与えている。あるいはまた、ジャワ原人が自然の棲息地で友人や仲間と共に遊び戯れている姿を描いた、脚色された描写の方を好むだろうか。だとすれば、どれでもいいから、生物学や人類学の標準的な教科書を参照してみたらいい。そこには目を奪うばかりの詳細に渡る説明が掲載されているだろう。−−そこには、まさにジャワ原人の頭の髪の毛までが数えられているかのような描写がある。

  44.ジャワ原人は、頭蓋骨のほんの小さな破片と3本の臼歯、そしてたった1本の大腿骨から復元され、しかもそれらの骨はジャワに昔流れていた川の川床で、それぞれ15メートルも離れて発見されたのだが、詳しいことを知らされていない人は、そのことに気づくはずもない! そしてまた、こんな事実も知らされてはいない。それは、世界の人々がデュボアの「失われた環」の発表を受け入れた後に出版された、1949年出版の教科書「人類の変化」に、「ジャワ原人は人類ではなくて、木から木へとつたい歩く大型のテナガザルであると叫ぶ声が、今日一人の人から上がっている。‥‥そしてこれは、ピテカントロプスにとって一番辛らつに感じられた皮肉だった。それはデュボア博士自身の声であったからである。」と書いてあるということだ。(30) その通り、自ら発見した化石をさらに研究した結果、デュボアは、確かに「ジャワ原人」はただの絶滅したヒトニザルか猿であって、結局は「失われた環」ではなかったと結論を下し、そう発表したのだった!

  45.1946年版のブリタニカ百科事典は、次のように伝えている。「英国のサセックス州ピルトダウンで、チャールズ・ドーソン氏により、1911年から1915年の間に、その重要性において第二番目となる発見がされた。」ドーソン氏は、ほとんど石化している、人間の頭蓋骨の左側の一部分を発見した。同時に発見された右側の一部は下あごの右側半分で、所どころ破損していたが、第1と第2臼歯、それに第3臼歯である親知らずの歯腔がついていた。」

  46.「英国内の権威者達は、今では、その頭蓋骨とあごが同一人物のものであるということで、見解が一致している。」(31) これらの骨は、進化論の熱烈な信奉者である発見者チャールズ・ドーソンの栄誉を称えて、今では有名な「ピルトダウン原人」とか「エアントロプス・ドーソニ」(ドーソンのドーンマン)として知られるようになった。しかしながら、ドーソンの名誉はやがて消滅し、またしても「失われた環」は一敗地にまみれたのだった。それは、ピルトダウン原人の復元がほとんどインチキであることが判明したからだった! 「サイエンス・ニュースレター」は次のように書いている。

  47.「科学的な証明により明らかにされた最も有名なニセ物の一つが、英国のサセックス州で見つかったピルトダウン人で、50万年前のものと考える人もいたが、多くの議論が交わされた後で、それは原始人などでは全くなく、現代人の頭蓋骨と猿のあごの骨を合わせたものである事がはっきりした。‥‥あごの骨は石化しているように見せるため、炭酸カリウムと鉄のクロム塩酸で『細工』が施されていたのである。」(32)

  48.ピルトダウン原人の歯もまた、それほど原始的ではない歯科技術が施されていることが判明した。その歯は全部、実際よりも古く見せかけるために、ヤスリで削ってあったのだ。事実、「リーダーズ・ダイジェスト」はこう指摘している。「重要な部分すべてが偽物と証明された。ピルトダウン原人は初めから終わりまでインチキである!−−すべての状況証拠は、ドーソンがこのいかさまの張本人であることをまざまざと示している。」(33)ハ!

  49.この世に存在しない道を通った、猿から人間への想像上の旅で、進化論者達が次に紹介してくれる紳士は、「ネアンデルタール人」だ。彼はよく、「人間の化石上の親族として最もよく知られたもの」と言われている。そして、「ジャワ原人」と同様に、フル・カラーのまるで写真のような絵で、ネアンデルタール人が狩りをしたり、食事を作ったり、焚火のまわりで仲間と語り合ったり、家事や穴ぐらの雑用といったようなことをしている姿が描かれている。そういったイラストでは、ネアンデルタール人は普通とても毛深く、猿のような低能な顔つきをしていて、「失われた環」とはきっとこのようなものだろうと皆が想像しているような顔つきに描かれている。しかしながら、「カレッジ百科事典」の最近の版では、ネアンデルタール人の獣性に関して次のように述べている。

  50.「ネアンデルタール人はこう描くべきだという先入概念の結果として、残念ながらその容貌についての誤った通念が数代に渡って誤り伝わっている。ネアンデルタール人の姿は今までずっとそう思われてきたように、首が太く、X脚で、前かがみに歩き、多少凶暴そうな外見を持っているように、常に描かれてきた。だが、真実は、ネアンデルタール人にはこれらの特徴は何一つなく、直立して歩き、外見は現代人ほとんど同じぐらい温和なものだといってもよい。

  51.「ネアンデルタール人について注目すべきことは、男子の脳の容積は1425ccから1641ccまでのものがあり、平均すると1533ccになることである。現代人の平均的な脳の容積は約1350ccである。だから、このネアンデルタール人の脳の大きさは、平均して、現代人のものよりも実質的にはるかに大きかったことになる。」(34)

  52.だから、いわゆる「ネアンデルタール人」は、外見も私達と「同じぐらい温和」であると言ってもよく、脳のサイズは平均して私達の脳よりも「実質的にはるかに大きかった」のだ! この事実は、人類が進化していない事を示している。ただし、何かが変化したとすれば、人類が退化または退歩しているということであって、私は長年そう言ってきた。今日の人類は退化し、退歩してしまっている。道理で今日、失われた環のように走り回っている人をよく見かけるわけだ。それは、罪と退化のせいなのだ!

  53.これこそまさに、聖書が時の終わりについて予言したことだ。聖書にはこう書いてある。「終わりの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者となるであろう‥‥常に学んではいるが(今日の教育制度を見なさい!)、いつになっても真理の知識に達することができない‥‥悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく!」−−(2テモテ3章) まさにこれが、今日起きていることだ。人類は、ダーウィンが約束したように、「完成へ向かって進歩し続けている」(35)のではなく、聖書が予告した通り、「悪から悪へと」落ちているのだ!

  54.この「終わりの時」についての節はまた、「人々が健全な教え(真理)に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして‥‥。そして、真理から耳をそむけて、作り話の方にそれていく時がくるであろう!」と警告している。−−2テモテ4:3-4。この時代はすでに来ている。このような時代は今もう来ているのであり、人は真理から耳をそむけ、進化論のような作り話の方に耳を傾けているのだ!

  55.もう一つ進化論者達を悩ませ、困難に直面させていることは、いわゆる「有史以前」の人類の骨が発見されたのと同じ地層や、さらにもっと古い地層から、現代の人間と同じ型の「ホモ・サピエンス型」の骨が発見されていることだ。A・M・ウィンチェスター教授は、著書「生物学と人類の関連性」の中で次のように言っている。「ヨーロッパのスワコンベ原人や、アフリカのカンジェラ原人の遺跡、それにその他の遺跡は、本当の人類(現代の人間と同じ型)が30万年も以前に存在していたかもしれないということを示唆している。ということは、現代の人間と同じ型の人がホモ・エレクトス(ジャワ原人)と同じ時代にいたことになる。」(36)

 

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  後にこの課題の中で、私達がどうして「30万年」という計算に同意しないかがわかるでしょう。−−私達はここで単に、現代人がいわゆる「ジャワ原人」と同じ時代に存在していたことを、科学者でさえもが認めざるを得ないことを証明するために、ウィンチェスター博士の言葉を引用しているだけです。

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  56.また1947年には、他の現生人類の骨が、より原始的であるはずの「有史前の祖先」のものよりもさらに深く古い地層から、フランスのフォンシュバードで発掘された。これらの化石は、その脳の容積が1470ccあると計算され、それについて「カレッジ百科事典」は、「フォンシュバード人により、私達は、ホモ・サピエンス(現生人類)の方が、発生の順序では、実際にはネアンデルタール人よりも前だったという証拠を得た。」と述べている。(37)

  57.だから、ここで進化論者達は、「ホモ・サピエンス」つまり普通の現生人類が、ピテカントロプス人(ジャワ原人)と同時にそこらへんをうろついており、ネアンデルタール人よりも前に存在していたことを認めざるを得ない。私達はその両者から進化してきたはずなのに!ハ! まったく馬鹿気た話だ! つまり、進化論を信じるにはもっと信仰が必要だということだ。この信じがたい、作り話の、人類の起源についてのおとぎ話を信じるには、神の御言葉の内にある、単純で、霊感された解説を受け入れるより、信仰がもっとたくさん要るのだ!

 

最初の人!

  58.新約聖書には、「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてある。−−1コリ15:45。 アダムが最初の人だった! 一連の長い進化の過程の最後に現れたのではなくて、アダムは最初の人なのだ! アダム以前には類人猿も存在せず、人間も一人もいなかった。彼が最初の人だったのだ。そして聖書には、アダムは造られたと書いてある。つまり、アダムは成長したり、進化したりしたのではなく、造られたのだ。生きたものとして造られたのだ!

  59.「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」−−創世記1:27。一回言っただけではわかってもらえなかった場合のために、神はその言葉を繰り返している。「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し」と言っているのだ。この最初の人は、類人猿にも似ていないし、猿のようでもなく、また魚や鳥にも似ていない。神は御自分、つまり神に似せて人間を創造された。神は御自分を現すものとして、様々な点で神自身に似せて人間をお造りになったのだ。

  60.神は人間を何から型作られたのだろうか? 原始人の型からだろうか? それとも類人猿からか? 獣からか? 鳥からか? 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」−−創世記2:7。

  61.肉体と生命では、どちらが先に存在したのだろうか? 肉体、つまり人間が、神が人間に命の息を吹きいれられる前に存在したのだった! この肉体は、下等な形から進化の過程を経て発達したものなどでははなく、地のちりから造られた、すっかり完全にできあがった人間の肉体だったのだ。そして、もし科学や、化学薬品や生体化学を多少なりとも知っている人なら、人間の肉体が3ドルちょっとの価値しかない化学物質と、約77%の水によって構成されていることを知っていることだろう。それらの化学物質はどこから来たのだろうか。地のちり、まさに地上からだ! 「あなたは土から取れたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る!」−−創世記3:19。

  62.というわけで、神がアダムの肉体に命の息を吹きこまれる前に、すっかりできあがったアダムの肉体が長々と横たわっていたのだった。そして、その瞬間まで、それはただの死体であって、石のようにじっと動かず、その肉体の内には生命の火花の一条さえも存在しなかったのだ! そこに神がその鼻に命の息を吹き込まれた。その体は完全にできあがってはいたが、命がなく、まだ生きていなかった。アダムは、一片のゼリー状の物質から発達したのではない。そうではなくて、すっかりできあがった、成長した人間の形で、ちりから、つまり泥から造られたままで地上に横たわっていた! 神が彼の鼻に命の息を吹き込まれ、ついに人間は生きたものとなった! ハレルヤ!

 

進化論の折れたつっかえ棒:

古生物学!

  63.進化論者がどのようにして、化石の年代を証明したり、その化石がどれぐらい古いかを証明するように見せかけているか知っているだろうか? 進化論者はこう言う。「この化石はウン百万年も昔のものだとなぜ知っているかというと、古生物学者がウン百万年前のものだと言っている岩層の中に見つかったからです。」 それでは、古生物学者は、その岩の層の古さをどうやって証明しようとするのだろうか? 彼は向き直って、こう言うのだ。「あの進化論者が、あの化石がウン百万年前のものだと言ったから、その地層はウン百万年前のものだ。」 石油地質学者のJ・A・ゼレッキーは「岩石の時代を区分する唯一の基盤を提供してくれるものは、化石と、その化石から推定される進化的関連性だけである。」(38)と書き、この事実を認めている。何と馬鹿馬鹿しいことか! これは悪循環だ。二人の嘘つきが、互いの嘘を取り繕おうとしている。彼らの仕事は嘘をつくことだからだ!

  64.そうやって学者達は、骨や岩石の年代を証明するようなふりをしている。嘘つきが、もう一人の嘘で自分の嘘を取り繕っている。互いにかばい合っているのだ! 彼らは盲人の手を引く盲人で、二人とも穴に落ちてしまうだろう!−−マタイ15:14。

  65.これは、本当の科学、真の地質学の科学のことではない。真の地質学というのは推測ではなく、実際にある事実だ。つまり、地質学者が岩石や地球について実際に知っていることだ。それが文字通りの真の地質学だ。ここで語っているのは、古生物学の推測のことであって、どうしてある化石がそこにあるのか、どれぐらい昔からその岩石がそこにあったかなどと、いろいろ推測をし始める地質学者についてなのだ。それは全部完全なでっちあげにすぎない、当て推量だ!

 

地球の年令

  66.もし古生物学が世界は60億年前にできたのだと言い、一方聖書は、世界は6000年前にできたと言ったとしたら、あなたはどちらを信用するだろうか? 教会に通う平均的な体制人なら、「もちろん科学に決まっている」と考えるだろう! 彼らの頭には科学に対する疑問など浮かんだ事がない。科学は彼らにとって聖牛なのだ。彼らはこんな風に思う。「おやまあ、それじゃあきっと聖書の方が間違っているんだ。」

  67.そういうわけで、今日のいわゆるクリスチャンの大部分は、俗に誤って科学と呼ばれているものと妥協しようとした。そして、自分達の信仰を聖書の水準まで上げる代わりに、神の御言葉を、人間の愚かな知識と空しい理論の忌まわしいレベルにまで引きずり降ろそうとしているのだ。クリスチャンはもはや、聖書に書いてあることをそのまま信じる必要もなくなっている。そう書いてあるからといってそうとは限らないと思っている。つまり、「聖書に『6日』と書いてあっても、必ずしもそのままの意味とは限らない。聖書に『はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあった』と書いてあっても、本当はそんな意味ではない!」という風に。

  68.そして今日では、進化論を信じる「クリスチャン」の数の方が、それを信じないクリスチャンよりも多い! 「理神論」とか「有神進化論者」とかとして知られる、欺かれ、妥協した、信仰の薄いクリスチャンたちは、神は進化の過程を使って、この世界や、生命や、人間を造ったと信じている。彼らは聖句をねじ曲げ、進化論の嘘とつじつまを合わせて、創世記1章のいくつかの節にある日と日の間には何百万年とか、何十億年もの「ギャップ」があるのだという理論を作りあげている。

  69.そういった「クリスチャン」は、偽りの地質学の嘘を信じている。進化論の嘘を信じている。そして、それは神の御言葉の真理を信じるクリスチャンよりも多いのだ! だから、教会でさえもが嘘にのめり込みつつある! 私達はとうとう、イエスが予告された強い惑わしの時代に至ったのだ。それは、「できれば選民でさえもが惑わされる」ほどのものだ!−−マタイ24:24。神が私達を助けられるように!

  70.彼らはこう言う。「そうですねえ、創世記1章にある天地創造の6日間というのは、無限の、何十億年とかいう長さだったのではないでしょうか?」 一体全体、この人達はどうなってしまったんだろう? 多少なりとも神を信じているなら、神が世界を創造されるのにどうしてそんなに長い時間をかけなければならなかったと考えるのだろうか? 私の信じる神は、全宇宙を創造できるぐらい偉大な神だ! 神が1日24時間を使って6日間で創造できなかったと思うのか? 6分でも十分なぐらいだ!

  71.アルバート・アインシュタイン博士は、最期に語った言葉の一つでこう語っている。ただし、この言葉は、親愛なる「真理」を求める進化論者達によっては大々的に広められてはいない。「私達は、今や核分裂と核融合の原理を知っているので、私達の知るこの地球が一瞬の内に存在した可能性もあるとわかっている。」‥‥ドカーン!‥‥こんな風に瞬間的に!

  72.聖書の言っている1日24時間6日間ぶっ続けで天地創造がなされたことを信じるか、聖書が嘘だと信じるかのどちらかだ! なぜなら、神はユダヤ人達にこう言われた。「6日間働いて、あなたのすべてのわざを休め。7日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざもしてはならない‥‥主は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、7日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」−−出エジプト20:9〜11。もしも原文の「日にち」が、妥協者達が言うように、それぞれ百万年の長さだとしたら、あとに残った「7日目」の百万年の休息を楽しむために、ユダヤ人達は6百万年のつらい労働をしなくてはならなかったということだ! 周知のように、今では、天地創造が60億年かかったと言っている! だから、安息日は10億年あるわけだ!

  73.聖句の解釈は終始一貫していなければならない。ある箇所ではこういう意味だと解釈し、別の場所ではああいう意味だと解釈してはいけない。神が6日間で天と地を創造され、神の御言葉がそう言っているのなら、私はそれを信じる。また、神がユダヤ人に6日間働くようにと命じ、7日目に休むようにと命じられたとしたら、誰でも60億年とか600万年とか、または6000年であっても、そんな長い間働くなど、肉体的に到底不可能だ! 創世記1章に書かれてある日数は通常の日数であり、今日私達が使っている1日24時間の日数だ!

  74.だから、理神論者と有神進化論者達、何かひどく長い行程を経て神が世界を創造されたなどと言わないでほしい。−−そんなことは決してない! そんなことは絶対にない! もしそう望まれたのなら、神にはそうすることもできたが、神はそのようにしようとは望まれなかったのだ! コーガー先生がよく言っていたように、神は今あるイチゴよりも上等なイチゴ科の果物を造ることもできたが、あえてそうはされなかった! 理神進化論の教義に一撃をみまうような聖句は多々あるが、以下はその中の、創世記第2章にある聖句だ。

  75.「主なる神が地と天とを造られた時、地にはまだ野の木もなく、まだ野の草も生えていなかった‥‥」 おわかりかな? 神がすべての野の木を造られた。いつ造られたのだろうか? 地中に生える前だ! 神はそれを、すっかりできあがった成長した完全な形に造られ、それから神がそれを植えられた! すごいではないか? そして、野のすべての草も、地中に生える前に造られた。いつか? それが地に生える前だ! 進化論は、植物は段階的に発育し、成長したと言っている。しかし、神はすべてのものを、完全にできあがった、成熟した形に造られたのだ! 植物や動物、人間もそうだ! だから卵か鶏か、どちらが先かもうわかるだろう。鶏が先なのだ。卵ではない!

  76.もう一つ面白い点は、すべての植物が第3日目に造られ、太陽は第4日目に造られたことだ。−−創世記1:11〜19。 もし創造の「日にち」が何千年とか何百万年だったとしたら、植物は皆、暗闇の内に枯れ果ててしまっただろう。−−その日にちは、絶対に1日24時間の日数であったはずだ!

 

炭素測定法!

  77.それでは、放射能を使った年代測定法はどうなのだろうか?人は、それを使って聖書に書いてあることが違っており、地球や人類が何百万年も何十億年も昔から存在していると証明しようとしている。この測定法は、純然たる仮説と理論に基づいている! 例えば、炭素14による測定法を取り上げてみよう。この測定方法は、かつて生命を持っていた有機体の化石から発見される放射性炭素の量に基づいている。この放射性炭素または放射炭素は、太陽の宇宙線が地球の大気中を通過する際に形成される物質だ。生きた植物と動物だけがこの物質を吸収する。だから、有機体が死ぬと、その遺骸の中にある炭素14がゆっくりと崩壊し始め、崩壊した炭素14は還元されることがない。だから、古生物学者は化石がどれだけ古いか判断するために化石の中に残っている炭素14の量を計ろうとするのだ。

  78.しかしながら、「サイエンス」誌によれば、「炭素14による測定法には、重大な仮説がある。その一つは、その測定法を使う年代範囲の間、大気中の放射性炭素のレベルが常に一定だったと仮定していることだ。」(39) しかし、もしその炭素14のレベルが一定でなかったとしたら、もしそのレベルが変わっていたとしたらどうなのだろうか?「サイエンス・ダイジェスト」誌はその疑問に次のように答えている。「おそらく、慎重に開発された年代測定法が覆される事になるだろう。‥‥もしも過去において、より厚い磁力線の遮蔽(しゃへい)物のために宇宙線がさえぎられていたため、炭素14の量が少なかったとしたら、有機体が死後経過した時間を算定した結果値は、実際よりもずっと長すぎることになるだろう。」(40) そして、実際その通りだったのだ!

  79.過去においては、炭素14の量が今よりも少なかったのだ! その理由は、単に磁力線の遮蔽物がより厚かっただけではなく、聖書が「おおぞらの上にあった水」と呼んでいる、巨大な量の水分に地球が覆われていたからだった。(創世記1:6-7参照) 地球をすっぽり覆っていた水の膜が、強力な宇宙線から地球を保護したのだ! しかし明らかに、神が大いなる淵の源をすっかり開き、天がとうとうと水を注ぎ、雨が40日40夜降り続いた大洪水の間に、有害な宇宙線から私達を守っていたあの水分の覆いがすっかり取り除かれたようだ。

  80.聖句の中からも、この「おおぞらの上にあった水」のおかげで、地球が炭素14を形成する宇宙線からさえぎられていたという事実は明らかだ。というのは、この大洪水の直後、人類の生命は大洪水以前のほとんど10分の1に短縮されたからだ! 科学によれば、宇宙線が老化の原因であることが証明されている。そして最終的には人間の罪とあいまって、死をもたらすのだ。

  81.というわけで、空を覆っていた雲が消えた時、致命的な宇宙線が本格的に大気圏を通過し始めた。そして人は、以前のように800年とか900年とか1000年とか生きるのではなく、全く突然、400年、それから300年、それから200年しか生きられなくなった。大洪水の数百年の後、ヤコブは130歳でもう年を取っているとぼやいた程だった。−−創世記47-8、9。最後に人間は70年から120年しか生きられなくなったのだ!

  82.ということは、このすべては何を証明することになるのだろうか? それは、「大気中の放射線炭素の量は各年代を通して一定だった」という大前提が誤った偽りの仮説であることを証明している! 炭素14の量は一定ではなかった。なぜなら、ノアの大洪水の後になって初めて、現在のような大気状態になったのだから! そのようなわけで、彼らの「慎重に開発された年代測定法」は実際に「くつがえされる」!そして、彼らが言っている「有機体が死んでからの経過時間を算定した結果値」は、「実際よりもずっと長すぎる!」 「サイエンス・イヤー」誌でさえもが、「科学者達は、元来考えられていたように、空中及び海中の炭素14の濃度が何年にも渡り一定値を保っていたことはなかった、ということを発見した」(41)と告白している。

  83.もう一つ興味ある事実は、人は5000年から6000年以上経過した事実上の古器物を一つも発見していない事だ。「世界大百科事典」にはこのような告白が書かれてある。「われわれが発見した人類の歴史に関する最古の記録は、わずか5000年をさかのぼったものだけである。」(42) 人が5000年か6000年を超える理論上の期間を常に『有史前』と呼んでいるのは、この理由からだ。なぜなら、そのような古い年代が実際に存在したことを証明する歴史的な証拠は何一つないからだ! それは全部推測であり、進化論の大それたおとぎ話のつじつまを合わせるために考案された空論にすぎない!

 

なぜ、進化論ができたのか?

  84.「はじめに神は」、混沌でも、星雲状のガス体の雲ではなくて、「はじめに神は天と地とを創造された」!−−これは、正しい書物の最初の書の、第1章第1節に書いてある言葉だ。神をほめたたえよ!「はじめに神は天と地とを創造された」。さて、あなたたちは、それを信じるか、あるいは、どこかの嘘つきが言っている言葉を信じるかのどちらかになる!

  85.これが聖書全体の前提であり、前おきであり、基礎だ! 初めに、まず最初に、何があったのか? 神、つまり神が存在した! そして、神は何をなさったのか? 神は天と地とを創造された! だから、もしあなたがこのどちらも信じないのなら、あなたは正しい道から外れている。神が存在され、神が天と地とを創造されたのだ! もしこれを信じないなら、何も信じることができない!

  86.なぜなら、一つでも、聖書の中の一語でも疑うと、やがては聖書全体を疑うようになるからだ! それはなぜか? 裁判所の法廷で、ある証人の証言の中に、一言でも嘘があると証明された場合どうなるか? 裁判所は彼の証言全体をどのように扱うだろうか?−−彼らはその全てを却下してしまうのだ。証人が語った真実の証言も、全部を。なぜなら、もうその証言を信じる事ができなくなり、証言全体が疑わしくなるからだ。もしこの証人が一か所でも嘘をついたなら、たぶん別のところでも嘘をついたかもしれない。そうだろう? もし聖書の全部の部分を信じることができないなら、あなたはそのどの部分だって信じることはできない!

  87.イエスはこう言われた。「もし、あなたがたがモーセを信じていたならば、わたしをも信じたであろう‥‥しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」−−ヨハネ5:46,47。さて、モーセの書の最初のもの、全五書の基礎となるものは何か? 創世記だ! 「はじめに‥‥」 天地創造についてと、神と人間との相互関係の始まりだ。

  88.もし人が、天地創造と神について書かれてある創世記を信じたならば、彼らはイエス・キリストを救い主として受け入れていただろう。ということは、悪魔は、人がキリストを信じないようにするためには何をすればいいと知っていたのだろうか。悪魔は、モーセの書、それも特に創世記つまり栄光に満ちた天地創造への人々の信仰を打ち壊さなければならないと知っていたのだ! 悪魔は、それに対する人々の信仰を打ち壊さなければならなかった。もし悪魔が、天地創造についての人々の信仰を打ち壊すことができたとしたら、他のもの、つまり聖書やイエスなどを信じないようにさせることができるのだ。それでは、悪魔はどうやってそれをしたのだろうか? 何の教義を使ってか、またはどんな大きな嘘を使ってか?

  89.進化論を使ってだ!−−進化論こそ、悪魔の一番大きな嘘であり最も極悪非道で狡猾な教えだ!−−勉強の中でこれ以上気違いじみていて馬鹿げたものはない! 何しろ、進化論には基礎など何もなく、証拠もなく、進化論を証明する発見など何一つされていないからだ! 現代の有名な人類学者であるマーガレット・ミードは、人類学に関して著した教科書の前書きの中で、次のように述べている。「私達は誠実な科学者として、科学は進化論を証明する為の具体的証拠の、わずか一片も発見していない事を告白せざるを得ません!」

  90.そして、あなたがたは神を証明する最大のもの、つまり神の権威の純粋な証拠が何であるか知っているだろうか? それは神の被造物だ!! 栄光に満ちた神の創造物は、聖なる設計者と創造者の存在を絶えず証明するものとなっている。それについて、ローマ人への手紙1:20にはこう書いてある。「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物(神の創造物)において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない!」 だから、これが理由で世間は天地創造を拒否したがり、全ては無意味な、混沌とした進化にすぎないと言おうとしているのだ。それは、もしこの世界とこの世界に住む人間が神の創造物であるとしたら、人間は神の所有物ということになるからだ。−−そして、人間が神の所有物だとしたら、神が人間のボスになる権利を持っておられるということになり、彼らは神がボスとなることを望まないからだ! だから、「彼らは神を認めることを正しいとしなかった」、彼らの教育の内に受け入れようとしなかったのだ。(ローマ1:28)

  91.「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになった!」(ローマ1:21、22) 彼らは神や聖書なしでやっていけるほど利口になり、そこで彼らは何になったのか?−−愚か者である! 完全な愚か者となり、「不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣やはうものの偶像に似せたのである‥‥彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代わりに被造物を拝み、これに仕えたのである!」−−ローマ1:23,25。

  92.それでは、どうして悪魔と人間は、この馬鹿馬鹿しい、気違いじみた進化論という企画をでっちあげたのだろうか?−−それは神を追い出すためだ! 神と神についての知識を追い出すためだ。「彼らは神を認めることを正しいとしなかった」。そして、神を追い出し、創造を追い出し聖書を追い出したので、彼らは何か新しいものをでっちあげなければならなくなった! シンシナチ大学のL・T・モアー教授は、こう告白している。「進化の概念に関する我々の信仰は、特異な創造が行われたという、憎むべき教義を受け入れる事に対する嫌悪感に基づいている。」(43) そこで彼らは、何か大きな嘘を考え出さなければならなかった! そしてこれこそ、彼らが進化論をでっちあげた理由だ!

 

進化論の論理とその結果

  93.進化論の論理は、もし人間が単なる獣にすぎないなら、獣のように生きろいうことだ! 人間が地獄から来たのなら、地獄のような生き方をし、自分が出て来た場所へ戻るがよいということだ! 結局、計画者がいないのなら、どっちみち計画などあるはずがない! 統治者がいないのなら、ルールなど存在しない! 裁き手がなければ、裁きなど存在しない! 神が存在しないなら、善悪もない! もし人生が「適者生存」にすぎないのなら、犯罪は存在しなくなる! もし誰かがかっとなって人を殺したとすれば、その人が「適者」なのであって、生き残ることが許されるはずだということだ! 結局、それは哀れな獣のごとき人の責任だ。彼は単なる野獣にすぎず、そのように進化したのであって、祖先から受け継いだ残忍性が現れただけなのだ、ということだ!

  94.ヒトラーは、明らかに進化論哲学を堅く信じていた人物であり、演説の中で、このテーマを絶えず繰り返し述べていた。「自然界全体は、強者と弱者との絶えざる闘争であり、弱者に対する強者の永遠の勝利である」(44)と。大量殺人と政治的粛清とを、弱者の「自然淘汰的」排除だとすることは、強者の肩を持つ圧制的政体の多くにとって、実に容易かつ便利な言訳であるのは、疑いの余地もない!

  95.というわけで、自分本位の経済、混乱した政体、犯罪の恐ろしく間違った対処の仕方など、その他色々な、今日の世界が苦しんでいる多くの災いに対する大きな責任は、この進化論という世界最大の大嘘にある。−−この大きな根深い混乱、それは何が原因なのだろうか? それはモーセの言葉を信じる事を拒否した事にある。−−始まりに関する書、創世記に記されたモーセの言葉を! そして、モーセの言葉を拒否する事によって、彼らは同様にイエス・キリストをも拒否する事になるのだ! そこで、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」(マタイ22:39,7:12)というイエスの愛情深い律法の代わりに、彼らにあるのは、喰うか喰われるかの、利己心からなる残忍なおきてだ!

  96.道理で、この世界にはこんなにたくさんの犯罪、殺人、その他の罪悪に満たされているわけだ! 自分で自分の善悪を判断するのだから! 自分で作った基準以外には何の基準もないし、自分勝手にどんな基準だって作ることが出来てしまう! 確かに、人間は退化しつつある。進化するどころか、退化しつつあるのだ! 繁栄どころか、衰退の一途をたどっている!

  97.今日の大半の人々は何を信じたらいいのかわからない。彼らは、自分たちがどこから来たのか、自分達が何者なのか、どこに向かっているのかを知らない。彼らは、何によって自己の存在を証明すべきかも知らず、「自分とは一体何者か」を探求している。「私は誰なのか?私はいったい何者であるべきなのか? 神もなく、聖書もなく、ルール・ブックもない!」 彼らは何もかも疑う。「我有るゆえに我あり。我が知ることは、ただ生きていることだけなり」の実存主義の哲学以外には、何も信じることができずにいる。

  98.実存主義というのは、自分が知っているのは、ただ「自分は生きている、存在している事」だけという意味だ。現在、人はコカインを鼻で吸ったり幻覚剤を飲んだり、マリファナやその他いろいろなものを吸ったりなどして、霊の領域に立ち入っているので、自分が存在している事すらはっきりわかっていない!−−何という完全な混乱か! 全く現実との関連性がなく、自己を証明するものが何もない!−−なぜだろうか? それは彼らが、神が物事を説明している本、つまり聖書という、唯一の具体的な照合先を有するものを持った灯火と、神との接触を失ってしまったからだ! 基準となるべき書もなく、何一つないのだ!

 

終わりに!

  99.私達は、進化論が嘘であることをあなたに納得させることはできない! なぜなら、もし進化論が嘘だと感づき、聖書の真理を感謝するだけの十分な分別を持たず、神の御言葉の真理より進化論を信じたいと思うなら、あなたは結局惑わされ、欺かれてしまうからだ。神の御言葉にはこう書いてある。『(彼らが滅びるのは)自分らの救いとなるべき真理に対する愛を受け入れなかった報いである‥‥そこで神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り、こうして、真理を信じないでいたすべての人を、さばくのである!』−−2テサ2:10。 そして、もし真理が気に入らなければ、それにとってかわるものはただ一つしかない。それは偽りだ!

  100.イエスはこう言われた。「もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう!」−−マタイ6:23。 自分が間違っているのに、それが正しいと考える事は、何と恐ろしい事だろう! 自

分の信じているものがごまかしの、いんちきの、道化芝居であり、現実とは似ても似つかぬものだというのに、正しい事を信じていると考えるとは、何と恐ろしいことか、何と極悪なことか!

  101.しかし、もしあなたが、神の、簡単で単純な真理を望むなら、ただ幼な子のように謙遜になって、神があなたの目を開き、人生に入って下さるようにとお願いするだけでいい。だからイエスはこう言われた。「天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子に現して下さいました!」と。−−ルカ10:21。 そして、「心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう!」−−マタイ18:3。

  102.神だけが、宇宙に意味を与えられ、惑星には目的を、私達の心には愛を、精神には平安を、肉体には健康を、霊には休息を、生活には幸福を、魂には喜びを、そして、知恵を与えて下さる方だからだ!そしてその知恵は、「主を恐れることは知恵のもとである」(箴言9:10)ということと、「この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである」(1コリ3:19)ということを私達に知らせてくれる。

  103.イエスは、「道であり、真理であり、命である!」−−ヨハネ14:6。 心の中に入って下さり罪を許して、新しい人生を与えて下さるように祈り、またお願いしなさい。そうすれば、主はそうして下さるだろう! 主はこう約束された。「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。誰でもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中に入って彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」−−黙示録3:20。「また真理を知るであろう。そして、真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」−−ヨハネ8:32。 罪と、自我と、偽善と、多くの人々をだまし、迷わせる、(進化論のような!)憎むべき嘘から、自由になりなさい!

  104.追伸:このクラスが、あなたが自分の確信のために立ち上がる励ましになったように望む。そして、人に信仰を破棄させ、人間の力を称え、人を創造主ではなく被造物の信奉者にさせるために悪魔が考案した教育制度において、人間の空しい知恵を持つ悪魔の祭司によって使われる実にサタン的な毒舌でもって弁じられた悪魔の極悪非道の嘘に対抗して立ち上がり、大声をあげて精力的に抗議の声をあげ、攻撃の火ぶたを切る励ましになったように望む!

  105.真理の為に立ち上がり、自分の信仰のために戦いなさい!他の人々の前ではっきりとした証言をしなさい。それによって、彼らもまた真理を知り、その真理が彼らを自由にするだろう!

  106.あなたがしないなら、いったい誰がするのだろうか? 神が吐き気を催すような生ぬるい妥協者になってはいけない!−−黙示録3:15,16。イエスはこう言われた。「邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使いたちと共に来るときに、その者を恥じるであろう!」−−マルコ8:38。 「人の前でわたしを受け入れる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受け入れるであろう」−−マタイ10:32。一体全体、どうして悪の軍勢と邪悪な進化論者達に、みすみす戦場をあけ渡すべきなのか? イエスとイエスの真理のために、今日立ち上がりなさい! ハレルヤ! 神があなたを祝福するように!

 

 

参考文献目録

 

 1.「人生と書簡」ダーウィン著2巻210ページ

 2.「有性起源説と自然発生説」T・H・ハックスレー著 英国高等科学協会版

 3.「ニューヨーク・タイムズ」1959年11月29日号

 4.「アメリカン・サイエンティスト」43巻1955年10月、595ページ

 5.「リーダース・ダイジェスト」1963年1月号、92ページ

 6.「ルック」1962年1月16日号、46ページ

 7.「果てしない旅」L・アイスリー著199ページ

 8. 同上200ページ

 9.「種の起源」ダーウィン著56ページと59ページ

10.「聖書に関する分析的用語索引」ヤング著、8版、1939年、564ページ

11.「種の起源」ダーウィン著、156ページ

12.「カレッジ百科事典」1970年9巻、68ページ

13.「進化論の物質的基礎」R・ゴールドシュミット著、165ページ

14.「進化、その現代的な組立」J・ハックスレー著、115ページ

15.「サイエンティフィック・アメリカン」1955年11月、58ページ

16.「タイム」1946年11月、96ページ

17.「遺伝学」H・カルムス著、93ページ

18.「アメリカ科学同盟ジャーナル」ラマーツ社 1961年3月号、6ページ

19.「種の起源」ダーウィン著、157ページと294ページ

20. 同上 157ページ

21.「遺伝学、古生物学、及び進化」A・ローマー著、114ページ

22.「人類の祖先」ダーウィン著、165ページ

23.「ニュー・サイエンティスト」1965年3月、800ページ

24.「霊長類」S・アイマール、I・デボア、「ライフ」誌7人の編集者、177ページ

25.「サイエンティフィック・アメリカン」1966年11月号53ページ

26.「サイエンス」1957年12月13日号1238ページ

27.「人類進化の化石による証明」レ・グロス・クラーク著、172ページ

28.「人類への長い道」R・レースマン著、115ページ

29.「ヘッケルの詐欺と偽造」アスマス、ハル共著

30.「人類の発達」ウィリアム・ホーウェルス著、136ページ

31.「大英百科事典」1946年14巻763ページ

32.「サイエンス・ニュースレター」1961年2月25日号、119ページ

33.「リーダース・ダイジェスト」1956年10月号、182ページ

34.「カレッジ百科事典」1970年11巻、283ページ

35.「種の起源」ダーウィン著、462ページ

36.「生物学と人類への関連」A・ウィンチェスター著、604ページ

37.「カレッジ百科事典」1970年11巻、286ページ

38.「アジア・アフリカ石油地質学者時報」1956年40巻、684ページ

39.「サイエンス」1965年12月10日号、1490ページ

40.「サイエンス・ダイジェスト」1960年12月、19ページ

41.「サイエンス・イヤー」1966年、193ページ

42.「ワールド・ブック百科事典」1966年6巻、12ページ

43.「進化の独断」L・モアー著、304ページ

44.「ヒトラー語録」A・ヒトラー著、3ページ