DB803

 

5次元の探求!

1977年11月

−−「この世界を出て!」#686からの抜粋

 

  1.今日、特に若者の中には、霊の世界や、神や、悪魔が現実である事に気がついている人達がたくさんいる。しかし、教会体制が霊的体験に乏しいため、既製の宗教は霊的なものを完全に現実とかけ離れたものにし、的外れで、体験などとは程遠い、理論上の「空のパイ」にしてしまった! 諸教会においては霊的な生命がないために、ほとんどの人にとって神が遠い存在になって、自分の経験と神とを関連づけられなくなってしまったのだ!

  2.教会について言えば、教会の人にとって、希望を持てるように感じることができる唯一のことは、業や、行いや、儀式や、宗教上のまじないをすれば、もしかしたら地獄に行かずにすむのではないか、というものぐらいだ。教会ができる最高の約束は、せいぜい、何百年も煉獄に入っていなくてもいいかもしれないというぐらいのものだ。−−哀れなものだ!

  3.だから、教会が今まで教えてきた、偽善的な偽りの宗教には(いわゆるキリスト教を教えている教会にも)、何の霊的な現実性もないために、多くの人、それも特に若者達は、純粋な霊性と真の宗教と、現実の超自然的で奇跡的なものを探求して、麻薬や、古代の神秘主義や、霊の世界に走って行った。

  4.しかし、それが危険な火遊びだと気づいている者は、ほとんどいない! 神もなく、また主の守りもなしに、霊の世界に入ることなど想像できるか! もし私が主を知らなかったなら、今まであったような幾つかの体験をした時、死ぬほど脅えたことだろう! だからこそ、あんなにたくさんの人がLSDなどのいろいろな幻覚剤を使用して、おかしな振る舞いをするのだ。それは、霊的なものが見えるからなのだ!

  5.現在、大学では、ESPやテレパシーを使っての交信や催眠術などを研究したり、もてあそんだりしている科学者や精神病医などもそれと同様だ。彼らは、もはやそういったものが存在することを否めない。それは実際の体験や実験によって証明されており、彼らはそれが現実に存在するのを知っている。

  6.しかし、彼らが恐らく気づいていない事実がある。それは、彼らが取り扱っているのは、単なる自然の物理的な力の自然界の現象のような、自然の領域に属するものではなく、舞台裏に潜んでいる実際の霊的な勢力が存在するのであり、自分達は全く火遊びをしている、ということだ! 彼らは必ずしも主に保護されているわけではないので、無謀な危険を冒しているのだ。もしその人が悪魔の子ならば、取りつかれてしまう可能性だってある!

  7.わかるか、見たがる人はたくさんおり、彼らは知りたがる。−−だが、園にいたアダムとイブのように、彼らはすでに善を知っていたのであって、新たに彼らに明された唯一のことは、悪だけだった。−−そして当然、彼らが悪を知ってからは、その対比を見て、善とは実際何だったのかという知識を得た! (創世記3章参照)

  8.しかし現在、人は霊の世界と自然を超越したものの秘密をほじくり返している。彼らは一体何を見つけるのだろうか? もし彼らが何かを見るのを神がお許しになり、また悪魔が彼らに何かを見せるなどお手のものだとしたら、彼らが真理を望まない場合、彼らは当然惑わしを受けることになる。つまり、地獄だ! 「また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもにたいして行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救いとなるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。」−−2テサロニケ2:10,11。

 

霊的な力とコミュニケーション

  9.ここ10年から20年来の人気のある映画には、人が抱いている霊や霊の世界に対する興味を再び燃え立たせるようなものがかなりたくさんある。その内の殆どが霊の世界の暗い場面や、悪魔の恐ろしさや、悪魔の汚れた業を強調してはいるが。中には、それを科学的に説明しようとしている者もいるものの、その事実は、この世界が霊的なものが現実であることに目覚め、それを認め、気づいていることを示している。

  10.過去同様、今日でもまた、悪鬼の存在は非常に一般的になっている。実際に取りつかれるまでは行かないとしても、悪鬼にさいなまれている人はたくさんおり、取りつかれているにせよ、単に悩まされているだけにせよ、どちらにしてもそういった人達は完全にそこから救い出される必要がある。それは可能なのだ。なぜなら、悪鬼というものは完全に私達に服従するものであり、私達がイエスの御名によって命じることなら何にでも従わなければならないからだ。(ルカ10:19参照)

  11.これからあなたたちは、単なる病気や罪が原因で起こっているのではなく、悪鬼つきが原因で起こっている問題に、ますます出くわすようになるだろう。医者や精神科医は、普通そういった問題を、単なる心理的障害だとか、精神異常とか、またはよく言うように精神分裂症として、簡単に片づけてしまう。精神分裂症というのは、その他のどんな精神病よりも世界で最も入院患者が多い、一般的な精神病だ。「分裂症」というのは、「分かれる」とか、性格が分裂しているという意味だ。−−精神分裂症の患者は、一つの身体に2種類の人格を持っている。

  12.それは今日の世界で最も一般的な精神病だが、実のところ、それは一言でいって悪鬼つき以外の何物でもない。その身体に別の霊的人格が宿っているのだ!−−時には、何種類もの人格が宿っていることもある! 医者はこんなふうに言う。「ああ、彼の性格(この言葉を表すのに、神は「霊」という非常に単純な言葉を使っている)は、2つに分裂していますね。」 いや違う! 人間の霊は普通2つに分かれたりはしない。

  13.別の霊が入り込んで、同じ身体の中の人間の霊と一緒に住み着いていて、それが性格を分裂させているのだ! 悪鬼が入り込んでしまって、自分の力では制しきれなくなってしまうのだ。もちろんこれは、その人が主を持っていない場合の話だが、人は一定の限界まではそれをコントロールすることはできるが、ある時点でその人が敵に身を委ねてしまうと、悪魔が支配力を握るようになる。しかし、もし主を持っていて、主に助けを求めれば、それをコントロールすることができる。しかし当然、もし悪鬼が支配するままにさせておいて、主に助けを求めもしないのであれば、もうコントロールがきかなくなる!

  14.私は、神の子供が完全に永久的に悪魔に取りつかれることがあるとは信じていない。しかし敵の嘘を信じてしまうなら、敵は確かに外部から外部から物凄く煩わすことができる! だから何をするにしても、敵に耳を貸してはいけない。ましてや敵の嘘を信じたり、言うがままになるなどもっての外だ!

  15.クリスチャンは主のものであって、主と主の霊がクリスチャンに宿っている。クリスチャンは主のものなのであって、主によって支配されている。その人は今や主の所有物なのであって、悪魔はその人を手に入れることはできない! しかしもちろん、もしその人に何かからみつく罪のようなものがあれば、悪魔はそれを使ってその人を弱めるができる。つまり、主に委ねていないところがあれば、そのところで失敗させることができるのだ。

  16.だから、悪魔に1センチ足りとも譲ってはいけない。そんなことをしようものなら、1キロ奪われてしまう。−−それどころか、あなたが持っているすべてを奪われてしまうだろう! そして警告しておくが、悪魔は真剣勝負をしている! だから、そんなことがあなたの身に起こらないようにしなさい! 「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう!」−−ヤコブ4:27。老いぼれラクダに、鼻先を突っ込ませてはいけない! そんなことをすると、その老いぼれラクダはテント全部を取ってしまう! 「また、悪魔に機会を与えてはいけない!」−−エペソ4:27。

  17.それでは、いわゆる魔術や、魔法、黒魔術などはどうなのだろうか。そういったものでは、魔術師や魔法使いなどが、他の人に影響力を及ぼしたり、呪文をかけたりしようとして、霊的な力をもてあそんでいる。さて、神が霊の世界でコミュニケーションをする手段をもっておられるのと同様、模倣者である悪魔もまたコミュニケーションをする手段をもっているのだ。神にも御自分の子供があるのと同様、悪魔にも自分の虜がいる。

  18.神の霊が神の子供である私達の中に入ることができるのと同様、悪魔の霊も悪魔の子らに取りつくことができる! したがって、いわゆる魔術や悪魔主義その他は、敵の邪悪な霊の世界に現実に存在するものなのだ。神の子供は主に祈り、主が答えて下さるように求め、ある人に良い影響力を与えることができる。それと同じように、悪魔の子らも、悪魔と交信することができ、他の人に影響するように求めることができる。神は悪魔にある一定の力を与えられたが、特に、神の霊に保護されていず、キリストを拒んだ悪魔の子らに対してはそうだ。

  19.主は、人が決断を下す時点までは、サタンの影響に対していくらかの免疫性を与えておられる。しかし、「しばしばしかられても、なおかたくなな者は、たちまち打ち敗られて助かることはない!」−−箴言29:1。真理に抵抗するたびに、人は主に対して霊をかたくなにしていく。だから、真理を拒むならば、嘘を信じるほどの強い惑わしを受けるのだ。−−少なくとも、悪魔の子らは嘘を信じるようになる。−−2テサ2:10,11。誰かがその点に達するまでは、もしその人が最終的な決断を下していなければ、神の霊がその人に関与しているうちは、敵の力に対して一定の免疫性、つまり恵み深い保護がある。

  20.魔術や魔法の場合、敵は中継局の役割を果たす。サタンの子が悪魔と交信をし、それが悪魔の意志と一致し、また神が悪魔に与えられた力の限界を超えないものであれば、サタンの子は他の悪魔の子らに対して何らかの影響を与えることができる。当然のことながら、科学ではこれをテレパシー催眠術と呼んでいる。

  21.しかし、科学的な名称が何であれ、とにかくそれは霊の領域に働いている霊的な力なのだ!−−そして、もし彼らが心に主を持っていなければ、彼らの霊的な力は悪魔からのものに違いない。−−どんなに彼らが良いことをしようとしているとしても! 物事は、主に支配されているか、悪魔に支配されているかのどちらかなのだ。どちらの場合でも信仰を要する。それはすべて霊の領域で起こることだ。

  22.違いは、神の力は創造的で愛に満ちているが、悪魔の力は破壊的で憎しみに満ちていることだ。悪魔は魔法や黒魔術を使って、普通何をするだろうか? 例の島々のゾンビー(蛇神)の宗教は、何と呼ばれているか?−−ブードゥー教と呼ばれている! それは何に使われるのか? 呪いだ!−−誰か他の人を憎んでいる人、誰かに呪いをかけたい人のための呪術だ。

  23.しかし私達には、私達を守ってくれる、もっと偉大な力があるので、恐れる必要はない! たとえ誰かがあなたのワラ人形を作って、針をもらいに悪魔に使える人のところに行って、あなたを象徴したワラ人形に針を指しても、あなたは何の害も受けることはない。神がそばにいて守って下さり、悪魔はあなたに指一本触れることはできないからだ。PTL!

  24.主の力は、ずっと力強い! 主の御言葉はこう言っている。「あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。」−−1ヨハネ4:4。言い換えれば、神はこう言っているのだ。「あなたの内にあるわたしの力は、この世の子らである悪魔の子らの内にある力よりずっと力強い。−−はるかに力強い!」と。悪魔の子らの力は、私達の力と比べれば非常にちっぽけで、私達が稲妻を出せるのに対して、彼らはマッチで遊んでいるのと同じ位か弱く、馬鹿げている!

  25.神の力は敵の暗闇を貫き、それを破壊する光のようなものだ! それに対して、暗闇が光を貫くことは不可能だ。どんなに一生懸命試みても! 暗闇は光をかき消すことはできない。なぜなら、暗闇は光を恐れるからだ! 光は暗闇を破壊してしまうので、暗闇は光に近づくことすらできない! それは、「神は光であって、神には少しの暗いところはない!」からだ。−−1ヨハネ1:5。

  26.だから私達は、サタンの子供だましの力を心配したり恐れたりする必要はない。なぜなら、私達は聖霊の力によって保護されていて、それは敵の力よりもはるかに力強いからだ。主の力とキリストと聖霊を持っているなら、私達は保護され覆われている。(詩篇91参照!)

  27.主の保護はちょうど私達の周囲を取り囲む力の場のようなものであって、敵の力はその中に入り込むことはできない! 敵がその中に入り込むのは不可能だ。ただしおしおきや懲らしめとして、またあなたがしたことでまだ告白していなかったり、自分ですまないと思っていない何かを刈り取るために、敵がその力の場の中に入り込むのを、主が許される場合は別だ。そんな時には、あなたが蒔いたものの実を刈り取るのを、主は許される場合もあるだろう。

  28.しかし、神の許しと、主からの権限を与えられなければ、悪魔は何一つすることができない。−−悪魔はあなたに指一本触れることができない! あなたが主の力を持っており、主の御心の内にいる限り、悪魔は、悪鬼の一つだにも、あなたに触れさせることはできず、あなたに全く何一つ害を加えることはできない。

  29.主が私達に与えられる力というのは、何と驚くべきものか!悪魔の力の全ては、恐れにある。しかし主の子供なら、私達は恐れの誘惑に駆られた瞬間、神の事を思う。すると、恐れはたちまち消え去る!−−主からのものでないものは何でも、たちまち消えてしまうのだ!

  30.「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と健全な思いとの霊なのである。」−−2テモテ1:7。ハレルヤ! 「完全な愛は恐れを取り除く!」−−1ヨハネ4:18。−−そして、「あなたは、全き平安をもってその思いをあなたにとめている者を守られる。彼はあなたに信頼しているからである!」(イザヤ26:3)神をほめたたえよ! 神はどんな悪鬼よりも大いなる方であられる!

  31.主は私達にこう言われる。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもってあなたを支える!」−−イザヤ41:10。ハレルヤ! 私達は悪魔や、悪魔の悪鬼を、何も恐れる必要などない!−−イエスが私達と共におられる! 「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう!」−−ヤコブ4:7。

  32.神に感謝せよ、「イエス」という、このたった一言が、敵を打ち破る!−−イエスは、主の中の主だ! ハレルヤ! サタンもひっくるめた、地獄の悪鬼をやっつけるには、イエスの名前を口に出すだけでいい! イエスはこう言われた。「見よ、わたしはあなたがたに、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害を及ぼす者はまったく無いであろう!」−−ルカ10:19。

 

現代人の信条と行いを見て:

 

  33.今日、非常に多くの人が霊的な現実性を探求しているが、それは昔からの聖書の預言の成就だ。2,600年以上前、預言者アモスが以下のメッセージを受け取り、それを書きとめた。「主なる神は言われる、見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉(真理!)を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかし、これを得ないであろう。」−−アモス8:11,12。

  34.確かに、この予言は今日成就している。何千万という数え切れない人々が、まやかしの教会主義にはもううんざりして、現実性を探求していることがその証拠だ! 霊的な飢えが満たされず、教会のむなしさと、命の無さと、偽善と、愛の欠如にいや気がさし、彼らはそれに背を向けて、真理と、愛と、平和を求めて、別の宗教や哲学や信条へと向かって行った。それらのものについては、これから私達の見解を述べることにしよう。

 

占星術

  35.実際に起こる事柄はどうかわからないが、神が星や惑星に、私たちの人生、少なくとも性格をコントロールし、影響を与えるように定められたというのを、私は聖書から証明できる! 信じるかどうか知らないが、人がどんな性格になるのかは、生まれ月によってかなり判断できるものだ。創世記 1:14には、神は本来、「光」のためと同様、「しるしのため、季節(単に夏や、冬などの季節というだけではない!)のため、日のため、年のため」にも星や惑星を造られたと書いてある!

  36.「あなたはプレアデスの影響を断つことができるか?」−−プレアデスというのは、星座の一つだ。「北斗とその子星を導くことができるか?」(ヨブ38章31,32節にこう書いてある。ヨブ書は、聖書の中で最も古く、知恵に満ちた書だ!) また、あなたは「もろもろの星はその軌道をはなれてシセラと戦った」というのを知っていただろうか?−−士師記5:20。

  37.伝道の書3:1-8には、神がすべてのもののために時を定められたという説明がある。正しく占星することによって、賢者達は星について行き、イエスが誕生した場所まで着いた。またルカ書には、終わりの時には、「また、日と月と星とに、しるしが現れるであろう」。そしてその最後には、主の来臨がある!−−ルカ21:25。

  38.聖書で非難されている通り、古代の人達が犯した過ちというのは、星を崇拝したり、占星術や占星術師を崇拝し、神よりもそれらのものに従ったことだ。−−つまり、創造主よりも被造物の方を崇拝するという習慣だ。−−ローマ1:25。神の栄光ある創造物に驚嘆しても良いし、また自然の驚異や、神の意志に従って星が私達の人生に与える影響、神が星を使って私達に影響を与えるその業を見て、宇宙と私達を支配する神の偉大な機械として、それに対して驚きの目を見はっても良い。−−しかし、それを崇拝してはいけない!

  39.もちろん、神の霊で満たされ、創造主と直接の交信を持っている人ならば誰でも、単に神の創造物を占おうとしている人よりも、ずっとはっきりと神の目的を見極めることができる。ダニエル1:20には、そのことがはっきりと書かれてある。「王が彼ら(預言者ダニエル

と彼の3人の友)にさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の占星術師にまさること十倍であった!」 だからといって、星が造られたのはそこから何かを読み取る目的ではないとか、星から秘密を読み取ることはできない、という意味ではない。−−占星術をよく理解している人にとっては、ある程度それができる!

  40.神の素晴らしい創造と、神がどのように創造物を支配されているかを見ると、驚嘆し、ますます神をほめたたえずにおれない! そうしてはいけない理由があろうか? もし神が、創造物のバランスのために、何か科学的(あるいは、霊的)な手段、たとえば生まれた時の星や、いろいろな星座の影響のようなものによって、一人一人に違った性格を割り当てなかったならば、私達は、見分けのつかない、ベルトコンベアーからできあがった製品のような、すべて全く同じロボットの群れのようになっていたことだろう!

  41.神が地上に住まわせたい人々のタイプに様々な変化を持たせ、一定の範囲内において人間の性格に多種多様な特色をつけて、ちょうどよい均衡をとらせるために、また、動物や植物の分布を導き、バランスを取らせるために、神は当然ながら、その創造物の何か、たとえば星を使って、コントロールや分布、配置、運命づけといったことを非常に「科学的」なシステムでなさることができたのである。

  42.しかし私達は常に、星の影響は神の物理的な創造の一部であって、御霊の霊的な力によって、その影響を制御したり、克服したりできるということを覚えておかなければならない。星が私達の生活に与える作用や影響は、神の物理的な創造の中の全く自然界の働きだ。例えば太陽や月や惑星が、熱や、光合成や、植物の命や、光や、地球の軌道や、潮の満ち引きや、月経などの面で私達の生活に影響を及ぼしたりする。天体は生れながらの人間の精神に作用し、影響を与える。天体は普段の生活や、自然界の均衡をコントロールする神のシステムなのだ。

  43.また、あなたも自分の努力によって、神が星によって定められた、自分の生まれながらの特性を強めたり弱めたりできるが、ただ神だけが、あなたの性格を、これら自然の影響に逆らって、完全に違ったものに変えることができる!「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられなさい!」−−ローマ12:2。「あなたがたは、新しく生まれなければならない!」−−ヨハネ3:7。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。」−−2コリ5:17。−−新しい誕生の日だ!−−ハレルヤ!

 

暝想と催眠術

  44.平安に満ちた暝想、明るい態度と良い思考に精神を集中することは、霊的な態度が正しければ、精神と身体の両方に良い影響を与える。聖句で以下のように言っているのは、これが理由だ。「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを、心にとめなさい。」−−ピリピ4:8。ダビデ王は、主の御言葉についてこう言った。「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう! わたしはひねもすこれを深く思います。」−−詩篇119:97。

  45.しかし本当に危険なものもあり、いわゆる暝想者と言われている多くの人はそれに用心した方がいい!−−私達の胃の付近には、「太陽神経叢(そう)」として知られている、神経が集中していて、そこから神経が放射状に広がる、神経の中枢ネットワークがあって、そこは私達の霊的な情緒に、非常に重要な部分となっている。(ヨハネ7:38参照。)そこは、霊の泉が、肉体に宿る場所なのだ。ある神秘的な宗教では、実際の悪鬼が恍惚(こうこつ)的な暝想を通して支配しようとする、霊的な情緒の中枢であることになっている。そして、結果的に「悪鬼つき」になってしまうこともよくある。

  46.これと同様の警告は、神に反する催眠術師によって、眠ったような状態である恍惚状態にされるのを許すどんな人にも当てはまる。彼らは催眠術を心理的、または精神的なものと呼ぶ。だが私は、催眠術もまた、非常に霊的なものだと信じている。もし被術者が神の霊に保護されていなかった場合には、危険な場合もあることが証明されている。

  47.催眠術によって、気がふれたり、完全に精神分裂になってしまい、すっかり気が狂ってしまった人もいる。個人的に私は、こういった人達の多くは、他の意志や霊に完全に服従している間に、邪悪な霊に取りつかれたり、支配されコントロールされてしまって、そのせいで文字通りの悪鬼つきになってしまったのだと確信している。こういったことは聖書によくあるし、また今までいろいろな時代を通して、何百万人という莫大な量の個人的な経験によってよく知られている。

 

輪廻

  48.あなたはこれを聞いてショックを受けるかも知れないが、私は、人間の魂が何か他の形態になって戻るという、輪廻についての古い東洋の教えには、何か真実があるのではないかと思い始めているところだ。神の御言葉は、天の都の外部に住む者達についてこう言っている。「犬どもは外に出されている」と!−−黙示録22:15。「でも、たぶん神は人について語っているのでしょう!」と言う人もいるだろう。さて、神がただ人間のことを言っていると、証明することはできないだろう!

  49.優れた聖書教師である私の父でさえ、後生の呪いの一部として、ある人は恐らく自分が人間だった時に、例えば豚のように生きたら豚に、犬のように生きたら犬に、頑固な雄牛のように生きたらそのように、そういったふうに動物になるだろう、と言った! さて、これは輪廻を信じる東洋の宗教のような、少々東洋的な響きを持っているかもしれない。しかし、そこから輪廻の概念が発祥したのかもしれない。

  50.神御自身も、人間を言い表すために、動物や動物の名称を使われる。神は、人間の性格や気質を例えるために、動物の名前や、動物をそのまま使われる。例えば、ヘロデを「あの年老いたきつね」と言ったり、聖霊が「はとのようになって」とか、3つの汚れた霊を「獣」の口から出た「カエルのようだ」とか。また主は、人間のことを豚だとか、きつねだとか、犬だとか、羊だとか呼ばれた。−−マタイ3:16,7:6,9:36;ルカ13:32;ヨハネ21:16;1;ペテロ2:25; 黙示録16:13,その他。

  51.霊の世界にも動物は存在する。−−私は、この目で見た! スペースシティーで、私は確かにライオンに会い、そのライオンは私の顔をなめていた!−−そして預言者ダニエルや、エゼキエル、ヨハネは、皆、天にいる獣を見た! 4匹の獣さえもいた。神の御座の周囲にいる4匹の獣を! さて、それらは天にいる神の獣だったが、預言者はそれを何か奇妙な獣だと言っている。−−その獣は、預言者の目には動物のように見えた! これをどう思うかね?

  52.だから、霊の世界にも動物は存在するのだ! 絶対に! さて、預言者のビジョンでは、主は国家や人々を動物になぞらえているものの、当然私達は常にそれは厳密に象徴でしかないと教えられてきた。しかし、本当にそうだと、誰が知ろうか? もしかしたら、中には動物のような民があるのかもしれない。だから、主はその民をそのような動物に例えられたのかもしれない! たぶん、それらの国の国民はそういった動物のようなものなのだろう。

  53.人間自体、この人生において、卑しめられたり、忌み嫌われり、獣同然に扱われることがよくある! だから、もし人間が犬や豚のように生活をしてきたなら、実際に、罰として、後世でそのような獣の体にさせられておかしいはずがあろうか。少なくとも、生きていた頃の邪悪な生活に対して魂を浄化するための罰、あるいは報いとして、一時期動物になる可能性もあるのではないか? 「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる!」−−ガラ6:7。

  54.たぶんこれは単なる理論に過ぎないかもしれないが、私はいろいろな経験を耳にし、いろいろな物事や話を見たり聞いたりして、輪廻に関する話の中には何か本当のことがあるに違いないと思うようになった。というわけで、私はきっと、次の世界では動物が見られるだろう。私がすでに見たように!

 

UFOと空飛ぶ円盤

  55.ずっと昔に宇宙から来た、人間より優れた高い知能を持った訪問者によって、人間は神や神々に対する概念を得たと書いてある本について、今日、どう思うべきなのか疑問に思っている人達が沢山いる。さて、私もUFOや空飛ぶ円盤の存在を信じているし、それらは宇宙からの、より優れた知能を持った宇宙人−−天使−−であると信じている。そして、彼らは私達にとっては神々なのだ!

  56.聖書では、天使のことをみな、「神々」と言っている。−−つまり人間より優れた存在、もっと強い力を持ち、人間よりも知能が高い存在だ。そしてその中には、よく「空飛ぶ円盤」と言われているものに乗って実際に旅をするものもいる。その「空飛ぶ円盤」とは、実際には、力や、エネルギー、そして光の輪だ。それは、天使は光だからだ!

  57.神御自身、輪や「円盤」に乗って旅をされた。エゼキエルはそれを見た! エゼキエル書第1章を読んでみなさい。−−それは、神の宇宙の乗り物を描写した、驚くべき図だ。−−弁舌達者な、神の油そそぎを受けた預言者にとっても筆舌に尽くしがたいほどの、いと高き者の馬車! あなただって、生まれてこのかた、そんなものを見たことがないだろう!−−スペースシティーを別にすれば、この神の空飛ぶ馬車−−神の宇宙の乗り物−−空飛ぶ円盤の元となるもの−−こそ、何よりも度肝を抜かれるものであり、それはあなたが今まで見たことのあるどんなものよりも遥かに精巧で、引きつけられるものだ!−−なぜなら、それは神が宇宙を旅する時の、神のリムジンであり、神の動く御座だからだ!

  58.「わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。たいまつのように、それは行き来している。‥‥火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。‥‥もろもろの輪の形と作りは、光るかんらん石のようである。その作りは、あたかも輪の中に輪のがあるようである。‥‥彼らが地から上がる時は、輪もまたこれらと共にあがる。‥‥上に、位の形があった。主の栄光のさまは、こうであった!」−−エゼキエル1章。

  59.だから私の意見では、スピードを出して飛び、人が予期せぬような方に方角を変えたり、人工のどんな宇宙の乗り物にも到底不可能な方法で音もなくじっと停止したりするUFOや空飛ぶ円盤など、これらの円盤や不思議な光の輪は、天使のような存在かまたは霊的な存在以外の何ものでもないと思う。それらのものは普通天使として知られていて、初代キリスト教美術では、光輪として描かれている!

 

幽霊、霊、幽霊屋敷

  60.一つの家や場所に取りつくことで知られている幽霊や霊も中にはある。ある種の霊は、罰や任務として、ある一定の場所、生き物、動物などに取りついている。

  61.天使以外の幽霊や霊は、悪鬼の可能性もある。時には死人の霊かもしれない。何かの理由で、罰か何かの報いのために、死人の霊がある場所や家などの一定の範囲に閉じ込められて、自分達がした邪悪な行いや他の人に遺した影響を見ることによって、まいたものを刈り取るのを、何かの理由で神がお許しになったのでる。

  62.自分が悪い父親だったとしよう。そして、死ぬか殺されるかして、死後自分の家の近くに留まり、妻や子供を見たり、自分がした悪い行いのために彼らが苦しみ悩むのを見なければならないとは、何と恐ろしいことか、想像できるか? だから、そういったことは、一種の罰かもしれない。

  63.後世において、キリストの罪のあがないを受け入れるのを拒んだ人達が、自分が犯したのと全く同じ罪のために苦しむことになったとしても、私には少しも意外ではない! それこそ、地獄が存在する目的について神が私に与えて下さったビジョンだ。(「緑の戸」レターNo.262参照) 地獄のような病院に入院させられた哀れな患者は、この世で犯したのと全く同じ罪によって苦しんでいた。

  64.一定の家や場所に残るようにと定められている幽霊もおり、

また、自分達が過去に犯した罪や、父か誰かが犯した罪のために、こういった幽霊につきまとわれるように定められた家族もいる。言い換えれば、これらの霊は、自分で罰を受けているか、またはひどい扱いを受けた霊がいて、それらは満足感を求めている。つまりつぐないや、悔い改めを生きている人から求めているのだ! こういった霊は、生きている相手に悔いて欲しがっている。そうすれば赦してあげられるからだ。

  65.一方、悪鬼もまた、家に出没したり、問題を起こしたりすることがある。しかし、あなたにイエスがいるなら、心配することはない。事実、まだ悪鬼どものこらしめや罰の時はまだ来ていないようだ。それは、ある悪鬼がイエスに向かってこう叫んだことでもわかる。「まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか?」−−マタイ8:29。とはいえ、中には一つの家や、集落や、地の層に閉じ込められたり、または自分が住みつく動物や木や、人などの生き物を探すように定められたりして、すでに比較的軽い罰を受けて苦しんでいる悪鬼がいる。

  66.しかし、どんな状況でも、どんな人や場所であっても、邪悪な霊によって悩まされている場合は、ただイエスの御名によって、それらの霊に離れ去るように命じなさい。そうすれば、その霊は絶対に去らなければならない! 神の子供達は、それらの霊に対する絶対的な権威を持っている。ただ、心の中や人生における服従していない罪や、聖霊に満たされていない魂は、ちょうどマタイ12:43-45にあるように、開けっ広げの扉であって、邪悪な霊が戻ってくるようにと招いているのだということを忘れないように!

  67.そして特に覚えてほしいのは、一旦心にイエスを受け入れ、「霊から生れる」(ヨハネ3:5)ことを経験したならば、あなたは永遠に主のものになったということだ!−−だから、幽霊や、おばけや、悪鬼や、さらにはサタン自身でさえも恐れる必要はない! 神と、神の愛に満ちた聖霊、そして力強い天使の軍勢があなたと共にいて、あなたを取り囲み、すべての悪から守り、救っている!−−詩篇34:7;91:10-13。PTL!

  68.「あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである!」−−1ヨハネ4:4。ハレルヤ!