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証しをすること!

GP 344 1975年5月に編集

−−私達の存在理由についての基本的なレッスン!

 

  1.「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15)は、自由選択ではない!それは命令である!そのメッセージは明白だ! それには拒否も、何かの言い訳も許されない! 私達は、ただ単純に従うという信仰だけを持たなければならない。例え、昔のアブラハムのように、どこに行くのかを知らずに出発しなければならないとしても!−−ヘブル11:8。

  2.すべてのクリスチャンは福音を宣べ伝える者として任命されているのだという事を、イエスは明瞭に示された。

彼はヨハネ15:16でこう言われている。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結ぶためである。」

  3.従って、福音を宣べ伝えるのは、私達がそうしようという気分になったから、またその時間があるから、楽しいからするのではなく、神が与えられた務めなのであり、神の子すべてが負うべき責任なのである。パウロも言っている、「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇りにはならない。なぜなら、わたしはそうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである!」−−第1コリント9:16。(エゼキエル3:17-19も参照)

  4.私達が一致団結して全世界に広がっているのは、全時間と全エネルギーを捧げて、全ての造られたものに福音を宣べ伝え、人々の魂をイエス・キリストの元に勝ち取り、さらに彼らにも、他の人達に仕えるという主の奉仕に加わるように説得するためである! 私達がここにいるのも、そのためである。すなわち、人々をイエスのために勝ち取ることである!「あなたがたが実を豊かに結ぶならば、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。それによってあなたがたはわたしの弟子となるのである!」−−ヨハネ15:8。PTL!

 

人間の最大の必要事:マタイ9:36-38

  5.民族、国籍、肌の色、宗教上の信条などの相異とは関係なく、全世界の人間の心は皆同じである。そして人間の心の傷み、悲しみ、罪、苦痛、死の恐れなども、皆同じである! 人間の願望、愛、神とその真理に対する飢え渇き、喜びと幸福と心の平安に対する飢え渇きなどは、全世界の人々に共通なものである!

  6.多くの人々は、心から純粋な愛情を探し求めているが、それを見いだす者は極めて希である。それは、喜んで神の真の愛を伝えようとする人が少ないからである。イエス御自身も言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。」−−マタイ9:37,38。−−あなたは、神の国のために永遠の魂を勝ち取るために、神の収穫を刈り入れよという主の召しに答えますか?

 

証しするための力!

  7.ただ、超自然的で奇跡を行う聖霊そのものの力だけがこの仕事を成し遂げることができ、また人々の心を勝ち取り、決断させ、新しく造られた者として生まれ変わらせることができる! だから神は、他の人達を主の元に導くことができるように、この力を御自分の証人達に与えると約束された。「聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは力を受けて、わたしの証人となるであろう!」−−使徒行伝1:8。このように力が与えられるのは、証しをするためである!

  8.私達は人々に、神の愛、神の力、神の御霊を示さなければならない! パウロも言っている、「わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった!」−−第1コリント2:4,5。

  9.大切なのは、この火のような塗油である! もしあなたにこの火がないなら、あなたがどんなに優れた証人であってもそれは何にもならない。この聖霊の火がなければ、あなたは冷たくて生命のない、知識の塊(かたまり)も同様で、決して人を燃やすことはできないだろう! イエスも言われた、「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。」−−ヨハネ15:5。

  10.しかし、もしあなたが自分の役割を果たし、「ぶどうの木」につながっており、身を低くして心を完全に主に委ね、従うならば、主も御自分の役割を果たされ、あなたを霊感し、主の御霊によってあなたを満たされるだろう。そうすれば、あなたは「多くの実を結ぶ」ことができるようになる−−つまり、新しい赤ん坊を神の国に生み出すのである!(ヨハネ15:1-8も参照)

 

最も効果的な方法:第2テモテ2:2

  11.失われた魂に対する真の愛を持った若い牧師として、私は何とかして教会が手を延ばすことができないでいる哀れな迷った羊達に手を延ばし、彼らを神の元に勝ち取ろうと、考えられるあらゆる努力をし、また考えられるあらゆる方法を用いて福音を伝えようとした。私は街頭や公園で説教をした。できる限りの声をあげて歌った。また、あらゆる機会をとらえては、スライドや映画を使って証しした−−何とかして、教会の外にいる人々に神の愛の福音を伝えたかったのである! しかしそれは、今までも行われてきた集会方式であり、いわゆる大衆伝道方式であって、それによって満足の行く成功を得ることはできなかった。

  12.そしてある日、私は興奮と喜びを覚えずにはいられないようなある真実に気づいた。それは、一対一の証しが、どんな方式よりも多くの魂を獲得する事ができるということだ。教会もいらず、説教壇もいらず、どんな集会も必要ない。どこでも、いつでも、あらゆる時に、あらゆる場所で、誰にでも証しができるのである! イエス御自身がそうされた。イエスと彼のごく少数の弟子達は、絶えず移動を続け、できる限り目立たないようにしていた。そして、できるだけ個人を対象にして証しした! たまたま大きな群衆が集まることがあっても、それは決して彼らがそういった集会を計画して開いたからではなかった!

  13.彼らが選んだ方法は、ほとんど常に個人を対象にしたものであり、小さなスケールでの個人的な伝道であった。個人に対して徹底的に証しをするのが最も効果があるからである。つまり、多くの者を一カ所に集めてではなく、個人個人を集中的にトレーニングして、その一人一人を魂の獲得者にし、それによって、改心者の数を最終的には何倍にもしようとするものである!

  14.犠牲的な精神を持つ真の弟子は本当に希で、容易に見つかるものではない! 私達は個人を対象に、優しい愛情と個人的な思いやりをもって、そういった人達を探し出さなければならない。イエスは、良い羊飼いは「自分の羊の名を呼んで(個人的に、個々に)連れ出す」と言われた。−−ヨハネ10:3。

 

私達は誰を獲得しようとしているのか?−−ルカ5:38

  15.あなた達は神の子また証し人として、すべての人に対して愛と憐れみを持つべきである。−−老いも若きも、富める者も貧しい者も、強い者も弱い者も、急進主義者も体制人もであり、たとえ彼らのことが好きでなくても、別け隔てをしてはならない。「すべての造られた者」に対してである!

  16.しかしながら、主は特に、あなた達の愛情のこもった助けを必要としている人々のところへと、あなた達を導かれるだろう。また彼らをあなた達のところに導いて連れてきて下さるだろう。彼らは、あなた達の助けに心から感謝する人達だ。神は飢えている者、心を開いて神を受け入れる備えのできている人のところに行かれる。神は低い者、謙遜な者、悔いている心を求められるが、高ぶる者は拒絶される。「飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者(充分持っている者)を空腹のまま帰らせられる。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを賜う。」−−ルカ1:53、第1ペテロ5:5。

  17.だから、心から答えを求めている者、飢えている者、不幸せで霊的なものを渇望している人達を探し出しなさい。イエスも言われた、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。」−−ルカ5:38。神は、御自身の最新の酒を最新のびんに入れられなければならなかった。十分な受容力を持ち、順応力を持ち、むしろそれに喜びを感じる人達である。そして、神の最新の酒は彼らの心に通じ、イエスの仲間である酔っ払いや、遊女や、取税人や、罪人や、若い急進的な熱狂者達に手を差し延べるのに役立ったのだった。PTL!

 

証しをする時のための秘訣!

 

彼らの立場になって考え、順応すること!

  18.魂を勝ち取るには、その人のあなたに対する信頼を深め、まずあなたを信じる気持ちを持たせなければならない。そうして初めて彼らは神を信じるようになる。あなた達は、彼らを神に結び付けるための環であり、祭司であり、また仲介者だからだ。イエスも言われたように、「わたしがつかわす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 また、「あなたがたは祭司の国である。」−−ヨハネ13:20、第1ペテロ2:9。

  19.あなたは彼らと接触点を見いださなければならない。人とコミュニケーションを持つためには、何らかの共通点がなければならない。彼らの心を勝ち取ることのできる話し方をするようにしなさい。心を通じさせるものが調子の強い話し方なら−−それを用いなさい!  あるいは反対に、優しい調子の話し方なら−−たとえそれが教会特有の話し方であっても、それを用いる事だ! しかし、哀れな、失われた、さまよう若者達に、教会での決まり文句で話すなら、彼らは途端に吐き気を催すだろう!知恵を下さるように神にお願いしなさい!−−ヤコブ1:5、箴言11:30b。

  20.証しに最も必要な能力の一つは、順応性である。どんな人にでも手を差し延べられるように何にでもなり、すべての人を勝ち取るためにすべての人のようになることである。パウロが人の魂を勝ち取ることに成功したのは、おもにこの順応するという方法によってだった。パウロは言った。「ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。何とかして幾人かを救うためである。」−−第1コリント9:20-22。

 

耳を傾けること!

  21.時には人々の願望が、誰か自分の話を聞いてくれる人が欲しい、というだけの事もある。そしてそれがまた、証しをする者の務めの半分でもある! だから、彼らの心の悩みをいつでも喜んで聞いてあげる態度を示すようにしよう。彼らはしばしば、仲間や友人、誠実な愛や同情に最も飢えており、ただ話相手になってくれる人を探し求めている。寂しさを和らげ、自分の苦しみや困っていること、また問題を真に思いやり、共に担ってくれる人である。

  22.(預言):「あなたは彼らの心の底からの叫びを聞くことができるか?‥‥人を愛するということは、彼らと共に泣き、彼らと共に涙を流すことであり、苦しむ者と共に苦しみ、打ちひしがれた心のあえぎを感じることなのだ!」

 

単純であれ!

  23.私は、ヨハネ3:16の一節だけで多くの魂を主に導いた。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」 人の魂を救うために知っていなければならないことは、これだけである。決して聖書の知識全部を、証ししている人の頭に詰め込もうとしてはいけない。聖書の一節か二節だけを、何度も繰り返して相手の人に聞かせなさい。そうすれば、相手の人はそれを忘れられないだろう。多くの知識を詰め込もうとするなら、相手の人をかえって混乱させてしまうだけである。

  24.福音の単純性を忘れて、複雑な考えに誘い込まれぬように、気をつけよ!−−第2コリント11:3。幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできない! あなた達は、幼な子のようにならなければならない! 幼な子というものは決して、理論や、神学や、教義上などの専門的なことを論じ合うのに無駄な時間を費やしたりはしない!

  25.パリサイ人は高い教養のある言葉を語ったが、彼らの語るものは皆、ただ肉的なだけで、死んだ言葉も同然だった! それはなぜか? 彼らは頭で語ったからであり、それに反してイエスは心から−−御霊から−−語られたからである。そこに違いがある!

 

必死の状態、それから救い!

  26.人が真に救われるには、その人が、自分は罪人であり、主の助けなしには滅ぶほかはないとはっきり知る必要がある。自分には本当に助けが必要であるとわかれば、その人は必死にになって救いを求めるようになる。人は真に必死になって初めて、神を見いだすのである! 神は御自身の御言葉の中で言っておられる、「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば。」−−エレミヤ29:13。

  27.だから、あなた達はまず、彼らが罪人であって神の助けを必要としていることを示してあげるべきである。その時初めて、彼らは自分が救い主を必要としている事に気づくのである。そしてあなた達は、誰がその救い主であるかという幸福な答えを与えるのである。イエスもこう言っておられる。「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」−−ルカ5:31,32。イエスが世に来られたのは、哀れな、希望のない、迷える、謙虚で、愛のある罪人を救うためだった。自分が罪人で、自分には神が必要だと知っている者達である!

 

質問に答えることと、羊を養うことについて!

  28.誠実な質問には正直に答えてやり、誠実な人には真理を示してあげなさい。彼らが心から答えを求めているなら、神が示して下さるであろう。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う!」−−ヨハネ10:27。私達は、必ずしも常に彼らのすべての質問に答える必要はなく、彼らが必要としている答えだけを与えればよい。

  29.中には、答えを知りたいから質問するのではなく、すでに自分の考えが決まっていて、事実によって混乱されることを望まず、ただあなた達を罠にかけようとする者達がいるので、気をつけなさい。ちょうどあの日、自らを義とするパリサイ人達が、イエスが言われた事を逆手に取って彼を罠にはめようとしたように。「律法学者やパリサイ人は激しく詰め寄り、いろいろな事を問いかけて、イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらい始めた。」−−ルカ11:53,54。

  30.真理を望まない者に対しては、無理にそれを押しつけるようなことをしてはいけない! イエスはわざわざ偽善的な、自らを正しいとする教会の人々と議論したりはされなかった。事実彼は、御自分に従う者達にこう忠告された。「彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。」−−マタイ15:14。イエスは、彼らがしつこく質問した時も、よしと思われた時だけ、答えられた。それは、御自分の羊達にとって必要と思われたか、あるいは、彼らが誠実な気持ちで彼のところに来て助けを求めた時だけであった。

  31.あなた達も、真実に飢えていてそれに飛びつき、もっと欲しがるような人々を探しなさい。イエスは、井戸のそばで、ある身持ちの悪い女性に愛を示し、また彼女の魂を救うため、暑い日中にわざわざ何キロも歩かれた! 「人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」−−ルカ19:10。

 

自分が経験したことのテスティモニー(証言)!

  32.井戸端にいた身分の低いあの女性は、イエスという名の外国人と話し合ったことですっかり興奮して、「水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った。『私のしたことを何もかも言い当てた人がいます。さあ、見に来てごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません。』」−−ヨハネ4:28-29。そしてこの女性が自分に起きたことを皆に証言した結果、「この町から来た多くのサマリヤ人は、女の言葉によってイエスを信じた。」−−ヨハネ4:39。

  33.このように証しをする時は、自分が体験したことの個人的なテスティモニーを話しなさい。それを否定するなら、あなたを嘘つきと決めつけることになるので、あなたが誠実な態度と愛と聖霊の力による真の確信をもって話している限り、人々はそれを否定したりはしないだろう!

 

イエスを高めよ!

  34.常に本筋に留どまりなさい! 脇道にそれないように心がけなさい! もし人々がキリストについて、また聖書について、あるいは、神と自分の隣人を愛することがすべての問題に対する解決策なのだということについて話したくないようだったら、無駄な論争をして時間を浪費してはいけない。

  35.イエスを高めなさい。イエスは言われた、「わたしが上げられる時には、すべての人をわたしの所に引き寄せるであろう!」 キリストのことを宣べ伝えなさい! パウロは言った、「わたしはイエス・キリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心した。」−−第1コリント2:2。もし彼らがイエスを望まないようだったら、彼らのことは放っておきなさい!

 

音楽による奇跡!

  36.私達の革命と魂の獲得は、私達の音楽を通して行われたことを忘れないように! 音楽は、現代の若者に通じる伝達手段である! 私達の音楽は、こんなにも多くの人を、かの人イエスについての私達のメッセージに魅きつけた奇跡である。だから、音楽を軽視してはいけない!

  37.まさに音楽は、多くの魂の傷を癒し、多くの人に生命を与え、人々の思いと心に平和を与える奇跡的な賜物である。古代のダビデ王ですら、霊感を受けたギターの演奏と歌唱がどんなに力あるものかを知っていた。だから彼は、悪い霊に悩まされていた哀れなサウルを慰めるために、それを用いた。

  38.「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴(ギター)をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた。」−−サムエル記上16:23。

  39.だから、もしあなたが楽器を弾き歌を歌えるなら、そして「内にいただいた神の賜物を燃え立たせる」(第2テモテ1:6)事ができるなら、それを用いなさい! あるいは、美しく霊感された私達のテープを聞かせてあげなさい!−−霊感されたあなた達の歌は愛の鍵のようなもので、人々の心を開き、彼らの心の中に応答する弦を見いださせ、あなた達の弦と和音をかもし出させるだろう!

 

惑わしを打ち壊し、確固とした真理の礎(いしずえ)を築く!

  40.今日の多くの人は知らず知らずのうちに、いわゆる説教者達、教師達、あるいは偽りの教師達によって、また真のキリスト教とは全く相反する彼らの悪い手本によって、誤った考えを抱かせられているので、その事を頭に入れておくべきである。その結果、人々はいつの間にか、神と神を説いている事になっている宗教体制を同一のものと見なすようになってしまったのだ。だから人々は、その宗教体制に怒りを覚えるような事があると、そのまま神に対しても憤激を覚えるのである。「もし神がこんなものなら、私はそんな神と係わりを持ちたくはない!」と彼らは言う。

  41.だから、私達の証しの仕事の大きな部分とは、この悪魔の偽りを、神の真理をもって粉砕することであり、人々の心の中に築かれた誤った概念や悪魔の霊のとりでを打ち壊すことである!−−悪魔の忌まわしい教義や惑わしを「あるいは抜き、あるいは壊し、あるいは滅ぼし」、それに代わって、キリストを愛する美しい平和な国を「あるいは建て、あるいは植え」るべきである。−−エレミヤ1:10。

  42.あなた達は人々に、真の神は決して、偽善的な教会主義のキリスト教によって作り上げられた伝統的な像を持った神ではないことを知らせるべきである。神は決して、常に体制を支持し、富んだ者達だけを愛している者ではなく、また富んだ教会と富んだ教会員達からだけ礼拝される者でもない!

  43.あるいは、神は日曜学校のポスターによく出てくるような、きざっぽい親切な老紳士でもない。まして、すべての人に、特に教会の人達にプレゼントをくれる、もじゃもじゃの白髪と長い白ひげをはやしたサンタクロースといったようなものではないのである!

  44.真の神は、御自身の子供達のことを絶えず心にかけ、愛してくれる善い神であるということを人々に知らせるべきである。また神は、戦争とそれによって富を築く悪者を憎み、貧しい者の悲しみと悩みに心を傷め、万事をすぐにでも正道に戻そうと決心されている方である!

 

あなた達の最大の証し:愛!

  45.あなた達の最大の証しは愛である。なぜなら、人々が見る事のできる唯一の愛は、彼らがあなた達の中に見る愛だけだからである。もしあなた達が、人々が見て感じることのできる愛を示してあげないなら、彼らの知らない誰かが天上におられ、そして本当に彼らを愛して下さっているのだということを、彼らは知ることができないだろう。

  46.だからあなた達は、行きずりに会う人々の心にわずかの愛でも常に注いでやるべきである。それがただの一言、ちょっとしたほほ笑み、あるいは同情の一瞥(いちべつ)であっても、彼らは、神がその日愛して下さったと感じるであろう! 神の御霊がそう語りかけるだろう!

  47.目は、愛を真っ先に人に伝える器官であり、また真っ先に人の愛を受け取る器官でもある。だからあなたの目は、神の愛を証しするのに最も有力なものだ。目はすべての感覚器の中でも、最も深い誠実な伝達媒体だからである。もし目の力を知らないなら、早くそれを「利用する」方法を学んだほうがいいだろう!

  48.イエスの愛を示す、そのような愛情深いまなざしを拒む事ができる人はめったにいない! あなたの愛情深いまなざしは、飢えた心を持つ人すべてに対して、愛情深い答えを示してくれるからである。−−愛のまなざしは、最もかたくなで最も重々しい心を持つ人の心さえ開いてくれる。

  49.愛は決して失敗に終わることはない。なぜなら「神は愛」であり、神にとっては、失敗はあり得ないからである!−−第1ヨハネ4:8。イエスはあなたのために十字架にかかり、あなたが生きることができるように、御自分の命を捨てて下さった。そして私達も、イエスが持っておられるのと同じ愛をもって人に接するなら、神は私達を助けて下さり、私達も失敗することはないだろう。

  50.世界を勝ち取る愛は、そういった種類の愛だけである。つまり、イエスの愛である! 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」−−ヨハネ3:16。

  51.あなたは、神の迷った小羊に対して、そのような愛を持っているだろうか? もしそうなら、何ものも、死すらも、あなたを止めることはできないだろう。なぜなら、「良い羊飼は、羊のために命を捨てる」からである。−−ヨハネ10:11。

 

祈りの力!

  52.常に彼らと共に祈りなさい。その機会があり、また彼らがその気持ちを持っているなら。決して祈りの力を過小評価してはいけない!祈りに対して敬意を払わない人は、ほとんどいない。特に、人が祈ろうとしているのを妨害しようとする人は、めったにいないものである。

  53.人々に、イエスが言われた次の言葉を示してあげなさい。「見よ、わたしは(彼らの心の)戸の外に立って、たたいている。誰でもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中に入る。」−−黙示録3:20。それは、イエスとイエスが与えられんとするもの、すなわちすべてのものを、その瞬間に持つことができるということなのだ。そのためには、ただ心から祈り、イエスがその愛と、生命と、自由と、真理と、平和と、豊かさと、幸福をもって、心の中に入ってきて下さることを求めるだけでいいのである−−今ここで、そして永遠に、イエスは入ってきて下さる!

  54.時には、私は相手の手を両手で握って小さな祈りをしたり、決断を促そうとする。すると、しばしば相手の人は本当に心が砕かれて、主を受け入れるのだ! 祈りには人を感動させる力があるようだ! イエスはこう言われた。「二人または三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」−−マタイ18:20。

 

魂に求愛することの結果とその報酬!−−ダニエル12:3

  55.霊的に言って、証しするという事は、相手の人を御霊によって求愛することである−−霊の内に求愛し、愛し、神の御言葉の種を蒔く事だ。あなたが愛の営みを楽しむのと同様に、御霊において証しをする事もまた楽しむべきことなのだ! 相手の人の魂に受け入れる備えができていると、種が注ぎ入れられ、あなたは霊的な赤ん坊を生み出すのである!

  56.魂に対する求愛の最終的な目的と最高の目標は、まさに神の家族における新しい赤ん坊の誕生である。永遠の喜びを与えてくれる、神の御手によって創造された全くの新しい魂だ−−私達がこの世から永遠の世界へ連れて行くことのできる唯一のものである!

  57.パウロも、自分の牧する群れの一つに次のように書き送った。「私達はあなたがたに神の福音を宣べ伝え」、「あなたがたはわたしたちから聞いた事を、神の言として受け入れてくれた。」(つまり、彼らは救われたのであった!) そしてパウロはさらに、イエスの来臨にあたって、次のように言っている。「わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇りの冠となるべき者は、あなたがた(彼が獲得した魂!)をほかにして、誰があるだろうか?」−−第1テサロニケ2:9,13,19。

  58.主が最も喜ばれる捧げ物というのは、人々の魂と心である! 戦勝した王の前には、常に栄光に輝く戦利品の捧げ物が置かれてあった。私達、神の勝利の軍隊は、王の足元に−−勝利に満ちた王の中の王の足元に−−敵の手中から私達が奪い返した人々の魂を置くのである!

 

まとめ:

  59.だから外に出て、イエスと迷った魂のために最善を尽くしなさい! そうすれば、あなた達の良い働きに対して神御自身が報いて下さり、永遠の魂と主における喜びを与えて下さるだろう。そしてあなた達は多くの救われた魂という実を刈り取り、現在も、また永遠にも、彼らと一緒に神の家族の中でフェロ−シップをするであろう。そして、あなた達も彼らも、そのことを永遠に感謝し、また神も永遠に喜んで下さるだろう!主は言われる。「良い忠実な僕よ、よくやった。‥‥主人と一緒に喜んでくれ!」と。 ハレルヤ! 多くの人の魂を勝ち取る者は、永遠に輝くだろう!−−マタイ25:21、ダニエル12:3。

  60.(預言):「前進しなさい。今が救いの日である‥‥見よ、私達は今ここに、救いの日にいる。私達は貧しい者に福音を宣べ伝え、めしいの目を開き、縛られている者を解放するために、やってきたのである!主の恵みの年が来たことを告げ知らせるためである。

  61.これらの町には、わたしの民がまだ大勢おり、わたしは彼らをあなた達に与える。すなわち、わたしがわたしの名によって呼んだ民である。わたしは彼らを呼んだ。だから、あなた達もわたしの名で彼らを呼び

なさい。そうすれば、彼らは私に従うであろう! そして彼らはあなた達のもの、そしてわたしのものとなるだろう。そしてついに一人の羊飼が立てられ、わたしの羊は一つの群れとなるであろう!」 ハレルヤ! PTL!