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ほこりのダイヤモンド!  

GP 3   1970年10月20日

 

  1.神は先日「光のショー」を上演された。私達はそこにいて、それを見た! 神はまた多くのことを語られた。そして私達もそれを聞こうと努めた。神は前にもそのショーを見せられたことがあったに違いない。ただ私達が余りにも忙しすぎてそれを見なかっただけだ。今度はあなたも私達と一緒にそれを見なさい。もしかしたらあなたはもっと多くを見ることができるかも知れない!

  2.もしあなたが太った大物ビジネスマンであるか、あるいはいらいら逆上した主婦か、あるいは急いでいる学生であったら、朝の時間を一時間もかけて、窓から差し込んで来る太陽光線をじっと見つめるようなことはしないだろう! もしそんなことをしたなら、人はあなたを精神病院に入れるかも知れない!

  3.神は三筋の小さい光線を、私達の部屋の中に差込んだ。光線を妨げる雨戸を通してではなく、小さい節穴を通して! 穴が小さければ小さいほど、像は完全なものになり、投影は一層正確に反射する! あなたが小さければ小さいほど、人々は主をよりはっきりと見ることができる!

  4.その光線は多くの異なった色から成っていた。その一つ一つが、神の光のいろいろな異なった色を示していたが、それらのものは同じ光である! 賜物はいろいろ異なるが、同じ御霊によるものであり、一人一人はそれぞれ異なった方法で神の光を反射している。一人一人が自分の光を輝かせていて、それぞれ異なった技を見せて、人々が神に栄光を与えるようにしている!

  5.あなたの手を高く挙げよ! 光がその手をすかして見える。あなたは血と骨を見ることができる! 神の目には、隠されたものは何ひとつない! 

  6.あなたがやせていればいるほど、光は一層良くあなたを輝き通す! あなたのものが少なければ少ないほど、光はより多く輝き通す!

  7.私達はこんなにも暗いこの都市において、それぞれ小さい光線のようなものだ! ほんの数本の光線でも、何らかの印象を与えることができる! 闇があまりにも深いので、小さな明かりを持つことは無駄だというふうに考えてはいけない。なぜなら、たとえ一本のローソクでも周囲が暗い時は、1マイル先からでも見えるからだ!

  8.ひとつの小さいほこりの粒も、たとえそれがどんなに小さいものであっても、ダイヤモンドのように光輝を放つことができる。もし部屋が十分に暗くて、ほこりの粒が日の光に照らされたならば! 闇が深ければ深いほど、光はより明るく輝く! 小さいほこりのダイヤモンド、あるいは小さい太陽の光線は、非常に暗い部屋の中で最もはっきり見える。それは、「不義が増し加わったところには、恵みも益々満ちあふれる」からだ!(ローマ5:20)

  9.あなたがローソクの炎を見る時に見ているものは、火そのものではない。実際に見ているのは、ごく小さな、光を放っている微粒子で、神の愛の熱を受けて白熱の光を放っているものだ! あなたは実際には光を見ているのではない! なぜなら、光そのものは目に見えないものだからだ! 光が見えるのは無数の小さなほこりのダイヤモンドの反射においてだけだ! 誰も太陽をまともに見ようとする者はいない。そんなことをしたら、盲目になってしまうだろう。「神を見て」生き延びた者は、「まだひとりもいない。」(第一ヨハネ4:12)太陽が照射する物からの反射だけからしか見ることはできない。人々に神が見えるのは、私達がほこりのダイヤモンドのようなものになって、神を反射する時だけだ! 彼らは神を見ることはできない。神はあまりにも明るすぎるからだ。神を見たら、彼らは盲目になってしまう! 人々が神を見るためには私達を見なければならない。私達の反射の中に神を見る! 神の光は、あなたがそれを反射する時にだけ見ることができる! 人々は、あなたが神を反射した時に初めて、あなたの中に神を見ることができる。「このように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたの良い行いを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」−−マタイ5:16 もしほこりがそこになかったら、あなたは光を見ることはできないだろう。そして、もし光が照らされていなかったなら、あなたはほこりを見ることはできないだろう! その両方が必要なのだ!

  10.あなたは二度とその小さなほこりのダイヤモンドを見ることはないかも知れない。なぜなら、その中のいくつかは、光の中に流れ出て、しばらくの間輝き、その後また闇の中に帰るからだ。つまり一瞬間だけ真理を持つのだ! しかしもしそれがその一生のうちでただ一度だけでも、主の光を受けてきらりと光ることができたなら、それで価値がある! もしそれが一生涯でただ一度だけ、誰かに生命と喜びを与えることができるなら、それで価値があるのだ! しかしもしそれが、主の光の中にとどまるならば、それは生命のある限り輝き続けることができるだろう。ちょうどローソクが燃え尽きるまで、家全体に光を与えることができるように! その小さいほこりの粒が光の中に長くとどまればとどまるほど、それは長く輝くことができ、それだけ長くダイヤモンドであることができる!

  11.ほこりの粒は本当に短い間だけ輝き、やがて去って行く。ちょうど人の一生のように。あるいは、今日あって明日はない野の草のように! あなたがたの命はどんなものだろうか。それは霧のようなものだ。神の光線をしばらくの間反射し、たちまち消えて行く霧にすぎない!−−ヤコブ4:14 あなたには明日の保証はない。あなたは光を持っている今という時間を輝くべきだ。そうでないと、やがてあなたは忘却のかなたに消え去り、かつてあなたという者がこの世に存在したことに誰も気付かないことだろう。誰も、光があなたの中で反射し、あなたを通して輝いたのを見たことがないからだ! なぜならあなたはいつまでも闇の中に住むだろうからだ! 今まで闇の中に住んできたからだ。あなたは、自分の行いが神にあってなされたことを明らかにするために一度も光に来ようとしなかったのだ。

  12.あなたが見る光の道は非常にまっすぐで、非常に狭い! それはただひとつの方向にだけ輝き、その源もただひとつの方向にある!だから、その源に至る道もただ一つだ。あなたはその道に沿って行かなくてはならない。そうでないとあなたはその源に達することはできない! イエスは世の光だ!−−ヨハネ8:12 彼は唯一の道であり、彼の中にだけ光がある。その光はまっすぐ細い光線で、神の愛を、そして神の子の愛を指し示す光線だ!−−そしてあなたはその愛の光線の中に入らないならば、輝くことはあり得ない。「わたしは道であり、真理であり、命である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言われている通りだ!

  13.神は、もしあなたが単純で、全く幼な子のように感謝しさえすれば、小さな光線からでさえいかに多くのことをあなたに見せられるかを考えて見なさい。見て、聞くならば! 「だれも幼な子のようにならなければ、神の御国に入ることは決してできない!」−−ルカ18:17

  14.主から学ぶためには、あなたは立ち止まり、よく見、よく聞かなければならない。そうでないとあなたは神の真理と、神の愛と、神の喜びにあふれるのではなく、この世の心配事に倒されてしまうだろう! あなたは主によってこの世を征服するかわりに、かえってこの世によって征服されてしまうことだろう!

  15.光に向かって、立ち止まり、見て、聞きなさい。そしてあなたのほこりをダイヤモンドにして神の美を輝かせなさい!

  16.もしあなたがあまりにも忙しすぎるなら、あるいはあまりにも急ぎすぎるなら、あなたは何一つ学ばないだろう! 自分のすること、自分のしたいことでいっぱいならば!」

  17.ほこりのダイヤモンドを注意して見なさい! それは決して輝こうとも、きらめこうともしない。ただ光に自分を通して輝かせようとするだけだ! ほこりは決して、輝いたり動いたりしようと努力したりはしない。どこかに行こうともしていない。決して急いではいない!ほこりはただ神の空気の中に静かに浮いているだけだ。そして神が嵐を起こされる時にだけ動き出すのだ。しかし、嵐がおさまると、めいめいの場所にまた静かに落ち着くのだ!

  18.立ち止まり、見て、聞きなさい。そしてほこりのダイヤモンドになりなさい!

  19.「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、人々があなたがたの良い行いを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい!」−−マタイ5:16