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まんまるい部屋!  DFO 325B  1975年1月

 

  1.(ダッドが夢を説明する:)私は、大きなまんまるい部屋を見た。それはちょうど広角レンズを通して見ているようであり、そこにはベットとテーブルと電気スタンドとその他の物が置いてあった。そして、私達はそれらの物をあちこちへと動かし、みんなに電気スタンドがあるようにとアレンジしていた。

  2.だが私達は、その多くの電気スタンドが、実は電気スタンドではないと分かったのだ! それは水のいっぱい入った、ただの大きな役に立たぬプラスチック製の置物だったのだ。しかも、その水の入った置物には完全に封がしてあった。コードもついていないし、明かりもつかず、飾り物となる以外には何の役にも立たぬ代物であった。そこには、頭のない女性の胴体の彫像や頭のない馬や、木の断片のようなものや、その他の物があったが、頭も無い何の意味もない物であった。

  3.だから私は、「こんなものは何の役にも立たないから、片付けなくては。コードがついていて明かりのつく本物のスタンドと、置物をより分けなければいけない。」と言ったのだ。

  4.そして、とても高いところに棚があった。それは、そのまんまるい部屋のドームの真下にあったのだ。そこで、私はこの置物を、その棚の上に片付けてしまうことにしたのである。それは、全く明かりがつかないので、飾り物にしかならず、大した使い物にはならなかった。そして、その棚の上に置くと、落ちて私達の頭にぶつかるのではないかと心配したりもした。それから私達は、残った幾つかの電気スタンドを取って、全員に幾らかの明かりがいくように、分けなければならなかったのだ。

  5.そして、そこにこのひとつの電気スタンドがあった。−−それは上等のスタンドであったが、コードが短かった。私は、自分が非常にはっきりとこう言ったのを覚えている。「この場所に置くには、もっと長いコードが必要だ。」 すると私は、配達人がすでに、そのためのコードを持って来てくれていたことがわかった。彼は、とても気のつく男であった。

  6.私は、その配達人がすでに修理してくれていたのを知り、とても嬉しかったのを覚えている。そのコードは、もう少し短くするべきだったのだ。そして、彼はちょうど良い長さになおしてくれていたのである。私は、横になってそのことについて考え、一体どういう意味なのだろうかと考えていた。すると、あるものは電気スタンドで、とても明るく、電源に接続されていて、コードもついているが、あるものはそうではないと気づいたのである。

  7.あるものは、単なる飾り物や見世物にしかすぎず、実際に明かりはその中にはなく、電源もついていないのだ。たとえ、その中に水が入っていても、それは全く封じられているので、何も取り出すことはできない! 私の受けた最初の印象とは、人々に明かりをもたらすために使う様々な違った手段を私に思い出させるものだった。

  8.それは私達が、神のメッセージを伝える際に使う、いろいろ違った手段に関する警告のメッセージを表しているかのように思える。あるものは、神の御霊によって動力と明かりを与えられているが、それは暗闇の中にいる人々に光を与え、渇く魂に真の水を与える為である。そして、それはとても益になり、実を結ぶもので、また効果のあるものなのだ。それに反して、他のものは、全くパワーのない、光も与えぬ、どっしりとした飾り物なのだ。それは水でいっぱい満たされているが、しかし水を取り出すことはできないようであり、封印されているがために人々はそれらからメッセージを得ることができないようであった。それらの物は、助けになるというより、むしろ邪魔になるものなのだ。

  9.私達がそれらのものを、ガラスで出来たドームの下の、あの高く離れたところにある棚の上に片付けようとしていたのを覚えている。そこに置くなら、空からくる光、つまり天の光がそれらの物を通して輝くであろうと、望んでいたようである。それらの物は、様々な色で美しかったがゆえに、私達は、全部捨ててしまいたくはなかったのだ。そして、まだ何らかの方法で使いものになるよう、望んでいたのだ。ある物は最も高貴な品で、最上段に置かれる品であった。また、光がそれらのものを照らしたり、あるいはそれらのものが光を通すと、とても美しくて見映えのするものであった。

  10.しかし、それ自体には明かりがなく、どういうわけか危なっかしく見え、下にいる人の頭上に今にも落ちてくるようであった。神殿の形をした部屋は、おそらく神の御国とか「テンプルタイム」にあるような主のための仕事を表しているのだろう。

  11.明らかに、この電気スタンドは、ある国のどこかで私達のしている仕事を表しているのだ。それは上手に組み立てられており、本当の明かりがついているが電源にもっとよく接続させる必要がある。私達の仕事の幾つかは、あるトップのリーダー達によって幾分なおざりにされてきた。そして私達は、それらの仕事に対しては、当然与えるべき注意を与えていないのだ。彼らは、本部、つまり電源に、もう少し近くつながっている必要があるのである。

  12.私は、もっとコードを長くしなければいけないと思っていたのだが、この親愛なる配達人はそうせずに、スタンドをもっと電源の近くに持っていくことによって解決法を見つけた時、私はとても感謝したのである。彼はコードをもっと短くさえしたのである! コードは、何らかの操作が可能だという事と力の源を象徴している。

  13.明らかに私達は、あなた達のある者達を幾分無視してきたのである。そして、あなた達をもっと私達の近くにおいて、互いの距離をもっと短くし、それによって私達からの動力とあなた達との接触を改善するよりも、私達はあなた達が、はるかかなたにいるようなものとして見なして、もっと長いコードでつなげる必要があると思っていたのだ。

  14.見たところ、あなた達には、私達からのより多くの関心と助けが今まで以上に必要なようであり、また霊の内で私達にもっと引きつけられている必要があり、霊の内で共につながっているコードがもっと短くなる必要があるのだ。それによって、あなた達は今まで受けてきた以上に、より多くの力と栄光を受けることができるのである。私達は今まで、より目立ち、より重要で、より輝かしいと思われる他の人々に私達の関心を寄せるのにあまりにも忙しくしていたが、彼らは、当然持つべき光と力に不足していたので、少々危険な存在となっていた。また、どういうわけか彼らの生命を与える水の流れが封じられていたのだ。

  15.それは、これらの見映えの良い品の幾つかは、飾り物にしかすぎず、当然すべきほど御言葉の水を注ぎ出していないのである。又、このまんまるい部屋は「円形の劇場」とか、シェークスピアの「世界のすべては舞台である」とかを思い出させる。その高い、高い棚は、私達の最も美しい装飾品を置く場所であり、高貴な場である。だが、それらのものは実際的な目的のためには何の役にも立たないかもしれない。

  16.これらの飾り物の幾つかには頭すらなく、センスもなく、意味もなく、口もなく、盲目で、つんぼで、与えるべきメッセージもなく、明かりもなく、御霊の力もなく、そして、その水は封じ込まれてあったのだ! その裸の女性像は、私達のセックス・アピールのことのようであり、頭のない馬は肉的な強さや力のことのようであり、木片は、かつては生きた木の一部であったのに、あのみがきをかけられたイトスギの腕木の断片のように、切り取られ、死んで役に立たない物のことのようであった!

  17.これらの偽の電気スタンドは、ただのイミテーションにしかすぎず、本物を単にまねて作った物にしかすぎないのであって、悪魔が作った代用品にすぎないのだ! 私が一生懸命に家具を動かしていたのは、私の現在の組織化や管理の面でかかわっていることについてのようであった。私の主要な任務は光を広めることなのに、私は、いろんな問題をかかえて、すっかり疲れてしまった。

  18.それぞれの小さなベッドや、ベッドのそばに置くテーブルや電気スタンドは、私達の各々の小さなホームを思い起こさせる。ベッドは私達の愛のあるファミリーのフェローシップと、くつろいだ安らぎを表しているようだ。そのテーブルは、神が私達の必要を豊かに供給して下さっている事と、私達の働くための仕事場を表しているようである。また、それぞれの電気スタンドは、世界に明かりをもたらすために、メッセージを送り出す方法と私達の証しを表しているようである。

  19.この答えを神に感謝せよ:より多くの取り締まりや忠告や、規則や制限によって、もっとしっかり彼らを結びつけるための、より長くて、より強いコードは必要ないのだ!−−私達に必要なのは、より身近なフェローシップと、もっと密着した監督であり、彼らにはもっと多くの関心と、もっと多くの訪問と、もっと多くの助けが必要なのだ!