DB632

 

耳を傾けているか、それとも後悔して嘆く者か?

GP320 1974年11月

 

  1.私達の一団がフランスのある家庭の所に泊まっている夢を見た。私とあなたは3階か4階の屋根裏部屋に泊まっていて、私にかなり恋をしているらしい美しい乙女と一緒に寝ていた。

  2.朝食するために下に降りて行き、彼女の父親と母親、兄弟姉妹、そして私達の若者達と一緒に円形のテーブルに座って一緒に食事を取っていた。この素敵な小さなホームには、少なくとも、12〜15人がいたようだった。

  3.母親と父親はとてもやさしく、私達をとても手厚くもてなしてくれていた。母親はおいしい朝食を作ってくれ、父親は大きなダイニングを暖かくするために、暖炉にしっかりと火をくべてくれ、私達をできるだけ良くもてなしてくれているのだった。みんなはハッピーで、良いフェローシップを楽しんでいるようだった。おいしい朝食を食べ、私達がいつもするように、話したり笑ったり主をほめたたえたりしていた。

  4.食事の終わりに、私は聖書が手に届く所にありますかと尋ね、このように聞いた。「私達のファミリーでは、その日の仕事に取りかかる前に少し時間を取って、デボーションをしたり聖書を勉強したり、聖書の中の詩篇や箴言を一章ほど読むことが習慣なのです。」

  5.そうしたら、その家の奥さんは小さな新約聖書を見つけてきた。みんなはじっとして、聞き始めた。みんなが注意を払うために、私の子供達が小さかった時によくやっていたように、みんなで順番に一節ずつを読んで行くように提案した。

  6.ところが、私達の若者達は、聖書が外国語で読まれていたので、すぐに退屈してしまい、一人一人、その部屋から隣の部屋に移って、テレビを見に行った。テレビの音ががんがんなっていて、聖書を読んでいる声が聞こえなくなるほどだった。自分の若者達が、座って聞くほどの尊敬を払っていないその態度に、私はとても恥ずかしい思いをしていた!

  7.ついに私は、接待側の母親の読むのを中断して、若者達を呼び戻した。命令的にならないように、強い調子で願うように言った。彼らは私に自発的に従わないなら、後で叱られると知っていたのだ!

  8.それで、面白いテレビの番組に夢中になっていた彼らは、しぶしぶと部屋に戻ってきて、つぶやくようにこう言った。「いい番組だったのに! どうしてここに戻ってくる必要があるんですか?」 勿論、これはすべて象徴的なことだ。彼らは、テレビにとても興味を持ちすぎて、聖書を読む時間さえおろそかにしていたのだ!

  9.私達の若者達が離れた時、新しい若者達はがっかりしたようだった。彼らはとても飢えていて、聞きたい様子だったからだ。彼らは、若者達が席に帰ってきたことをとても喜んでいて、今度は英語で読み始めた。しかし、そんなに長く読んでいないうちに、私達の若者は又こっそりと抜け出し、テレビを見始めたのだった! 自分の若者達がこのように悪い見本を見せたことで、私はとても恥ずかしい思いだった!

  10.ついに、ファミリーのリーダーの一人が出て行きながら、こう謝ったのだった。「すみません、ダッド! とても良い番組なので見逃したくないのです! どうか許して下さい。終わりまでどうしても見たいのです!」そこで、思った通り私達の若者達全員が、テレビをまた見に行ったのだった!

  11.この頃になると母親や父親も落ち着かなくなり、自分の仕事に取りかかるのが待てないという様子だった。そこで母親は読むのをやめ、私達が読んでいる間に、テーブルを片づけにかかった。彼女やガールズの何人かが台所で皿を洗っているのが聞こえた。父親も、仕事に行く準備をし始めた。

  12.ついに、そこに座っているのは、あなたと何人かの外国人家族の若者だけだった! 彼らはみんな悲しい顔をし、困惑しているようだった。とても飢えていて、聖書の勉強をしたがっていたからだ。でも、私達自身の若者がそれに興味がないということをとてもがっかりしていたようだった!

  13.隣の部屋でテレビががんがん鳴っているのが聞こえ、若者達は笑ったり騒がしくしていた。私はひどく怒って、ついに立ち上がり聖書をバタンと閉じ、家中に聞こえるように大声を出してこう言った。

  14.「もういい! これまでだ! もし神に耳を傾ける気持ちがないのなら、神もあなた達に耳を傾けはしない! あなた達が聞く態勢になるまでは、神はもう話しかけることはないだろう!」私はあきらめて、怒って部屋を出て、階上の部屋に戻っていった。

  15.私達の若者が、テレビに夢中になって、御言葉をなおざりにしたことで、とても失望してしまった! 「この新しい若者達に対して、何というひどい見本だ!」と思った。

  16.だが、おかしなことに、あなたと新しい若者達は私について階上に上がってきた。これも象徴であるに違いない。私達の若者が彼らを失望させたのだが、それでも新しい若者は御言葉を聞きたく、従ってきたいと思っており、飢えていた。それどころか、私達の若者よりも、もっと誠実でまじめで真剣に物事を考えていたのだった! 御言葉がとても必要だとでもいうかのように!

  17.「階上の部屋」というのは象徴的で、たいてい、祈りとデボーションと深く思うことによる親密な、主とのフェローシップということを意味しており、聖書を勉強したり祈るための隠れた場所、「へや」(マタイ6:6)の象徴なのだ。一握りの者達だけが、階上の部屋に戻り、主と一緒の聖書の勉強を続けたわけだ。

  18.両親が仕事に戻らなくてはならないというのは、理解できる。彼らに対しては寛大になることができる。彼らは尊敬を示し、少しの間は聞いていたのだから。でも、私自身の若者達の注意を引けなかったのに、どうして、見知らぬ人やその両親が聞くよう期待できるだろうか? そこで両親は静かに抜け出た。私が、彼らの子供の興味を引いているということだけでも、気に入っていたようだった。

  19.しかし私は、自分の若者たちに、全く怒りを感じていた! 彼らは、家の主人や聖書の勉強に対して、全く尊敬を払っていないようだったからだ! しかし、最悪なことは、彼らが、そんなにも早く興味を失ってしまい、テレビを見に戻ったことだった。それには逆上してしまった!

  20.それは、私達の若者が御言葉よりもテレビに興味をもっていることを示していた! しかし、新しい若者が真剣でまじめであることには、嬉しくなった。しかも必死になっており、飢えていて、私を一分たりとも離れたくなかったようだ! 彼らは私達の若者達に本当にがっかりしていたのだったが、新しい若者達は御言葉に飢えていて、私に従ってきて、私のそばから離れたくなかったようで、一言一言をむさぼるように飲み込んでいた! この家族は、受容的な神の家族を象徴していたのだった。しかし、私達の若者は、興味を失い、テレビの方にもっと興味を持っていたのだった!

  21.私の目を覚まさせたことは、階上から彼らに向かって大きな声で叫んだことだった。彼らが「ダッド、降りてきてくれるのなら、聞きますよ! ごめんなさい!」と言った時、私は階上から大きな、怒った声で、「だめだ」と叫んだ!

  22.「神があなた達に話しかけるのは、もうそれまでだ! あなた達が聞く姿勢になるまでは、神はもう話しかけられないよ! それどころか、あなた達が神に聞こうとするまでは、あなた達の言うことを聞かれはしない!」彼らは明かに、御言葉のための時間があまりなかったのは、他の事に興味を持ってしまったからだろう!

  23.夢の中で、男のリーダーの一人が「ダッド、ごめんなさい!」と言ったが、私はこう言った。「あなたが、助けを求めて神に泣き求めても、神はあなたの願いを聞きはしないよ!」まるで、私が主を象徴していたかのようで、彼らがあまり耳を傾けたがらないようだったので、降りていって、彼らの言うことや助けを求める泣き声を聞いてあげることはしないとでもいうようだった。

  24.これが実際に起こっているのだろうか? 私達自身の若者達が、他の事をするのに忙しすぎ、ホームがひどい見本なので、外にいる若者達は、自分で御言葉の中から探し、御言葉だけをリーダーとしなければならないのかもしれない。私達自身の若者が、他の事に忙しすぎ、ひどい見本になっているからだ! 少なくとも、外にいる若者は、一生懸命耳を傾け、従いたがっているのだ。

  25.新しい若者達は不思議な気持ちで、私について階上にあがってきた。彼らは、私達の若者が、どうして耳を傾けようとしないのかわからないとでもいうように! 彼らにとって、それは全く新しく、素晴らしいものだった。だから、驚きと期待に満ちて目を大きく見開き、階上の静かな部屋へとついてきた。

  26.寝室は、親密なフェローシップをしたい人達のための場所を象徴している。私と霊的にベッドを共にしたい者達のための場所だ! このすべては、霊的な現実が、目に見えるものに象徴されている。ある人達は、他の人達がそうしていなくても、私達自身の若者のひどい見本をよそに、一人でも、私と主の御言葉に恋をしていたいと思っている!驚いたことに! ある人達は御言葉に興味を失うのには、時間はかからないようだ。

  27.私達の若者はイスラエルや教会のようになりつつあるようだ! 「馴れ合いはあなどりのもと」というように、彼らは沢山つめ込んでいて、飽食しており、もはや主の御言葉に感謝しないようになってしまったのだ。

  28.最後に私が感じたのは、強い警告の気持ちだった。それは、若者達が御言葉に対する興味を失い、その代わりに他のことに興味を持ち始めたことに対して、神の裁きが下るというような警告だっ

た! それで、彼らが主のおしおきの杖のもとに、泣き求めても、主はその声に答えられないのだろう! 主は、彼らにぶつけ、自分達の罪のために苦しませようとされるだろう。真の罪とは、主に耳を傾けないことだ!

  29.もし、彼らが主に従いたいのだったら、よろしい、そうすればいいだろう! 彼らは階上の静かな所に行けばいい。しかし主は、彼らに聞いてもらうために、聖書を持って追いかけ回しはしない! ただ、飢え乾いた者、真剣な者、誠実で必要としており、必死な者、御言葉を必死に必要とする者、御言葉なしには生きていけない者だけが、私達自身の若者が従わない時でさえ、従ってきたのだった!

  30.私達の若者のひどい見本と、主の御言葉への無関心、御言葉を取り入れるよりも、エンターテイメントの方に対してもっと興味を持っていることに対して、神は裁かれるという感じがした! 御言葉の中に入るよりも、エンターテイメントを使っての、この世の成功の方に興味を持っていたことに対してだ!

  31.自分の時間を道具の方に割くようになり、創造主よりも、創造物をもっと崇拝するようになるのなら、神は激怒される! 神が、道具を何の目的で与えられたを、忘れてしまい、主を忘れてしまい、最も重要なことである主の御言葉を忘れてしまう、主は、それをあなたから取り去ってしまわれる! 主は、良い目的で使われるためにあったものを滅ぼされるのだ。あなたがそれを偶像として崇拝するように、身を伏して崇拝し始めたからだ! それが何であろうとも、あなたはそれを、主と主の御言葉よりも求めているので、それがあなたの神と同様になってしまうのだ!

  32.あなたが主をなおざりにしたので、主も、しばらくの間あなたをおきざりにされ、苦しませておかれることだろう! おそらくそれが理由であなた達は今、そのように多くのトラブルを抱え込んでいるかもしれない!

  33.リットを出すことは、最初に自分がリットに取り組むほど重要な事ではない! 私達は御言葉を出すのと同様に、御言葉の中に入る必要がある! あなた達の中には、リットをたくさん出しているけれど、自分の中に取り入れていない人達がいる。自分がまず、御言葉を飲み、霊的に養われ、力づけられない限り、肉体的な力を支える霊的な強さもスタミナも持つことはできないだろう。

  34.自分が夢中になっていないものを、他の人に売り込むことはできない! あなた達若者が、自分のプロダクトに夢中になっているなら、誠実さと正直さ、本心から言っている霊がにじみ出る! しかし、自分が使っていないのだったら、他の人が使うように霊感することはできないだろう!

  35.自分が夢中になっておらず、言っている事を実行してないものは、何一つとして他の人に売り込むことはできないだろう! あなた達の中で、メイトが自分をおろそかにし、捨て去ったと苦情を言っている者がいるが、相手を最初におろそかに、捨て去ったのは、あなたの方だったということを忘れている! 相手があなたの事をあきらめ、去ってしまったのも無理ないだろう!

  36.それはちょうど、教会が主を無視し、置き去りにする時に、主自身も教会を置き去りにされるようなものだ! 主はとうとう教会に嫌気がさしてきて、教会がたとえ助けを求めて叫んでいても、そのまま置き去りにされるのだ! 主は教会の罪、主を無視する事と、主への無関心、主を捨てる事で、しばらくの間、教会を苦しませておくのだ!

  37.だから、主があなたを無視され、置き去りにされ、あなたの言う事に耳を傾けられなくなっても、驚いてはならない。それは、最初にあなたが主を無視し、置き去りにし、耳を傾ける事を拒否したからだろう! そのように、人々が長い間、主に耳を傾けることを拒否した場合、主は自分が次にされる事を、必ずしも前もって知らされるわけではない。なぜなら、主は、もしそんなに長い間聞いていないのだったら、今になって聞く事もないと思われる!

  38.だから、耳を傾けている者達への警告とし、その同じことがあなたに起こらないようにしなさい! 耳を傾けている者は、何が起こっているのかに目を覚ましていることになり、聞き従うだろう。神に感謝します! しかし、耳を傾けていない者は、その聞こうとしない耳元で、回りの世界が崩れ始めるまでは、一体何が悪いのかわからないだろう!

  39.あなたは、聞いているか? それともすでに嘆いているのか? 私は、あの聞いていなかった者達の嘆きを聞くのが嫌いだ! 気分が悪くなる。さぞ、神も気分を悪くされることだろう。彼らの無関心さ、なまぬるさ、主の御言葉に対する真の興味や、すべき事を主から聞かなかったことなどにだ。手遅れになる前にそうしていれば、何か良い事ができただろうに!

  40.手遅れになってしまい、残されて嘆くようにならないように、「立ち止まって、見て、聞きなさい!」あなたはどちらか? 聞く者か? それとも嘆く者か? どちらになるつもりか? 神があなたに恵みを持たれ、手遅れにならない前に、あなたが聞くように神が助けられるように。嘆きしか残らないようにならないように!

  41.嘆いているほとんどの者達の問題というのは、長い間聞いていなかったので、自分が聞いていないことを気づいていないということだ! ちょうど、主が300年ほどイスラエルに語るのをやめられ、それ以上彼らに話すのをやめられる前に、最後のメッセージの中で言われたように! 主は彼らの言葉を引用してこう言われた、「あなたがたは、わたしに『われわれはどうしてこれらの事をしたのか』『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか?』と言う。」「彼らは恥じただろうか? 少しも恥ずかしいとは思わなかった!」主はこう言われた。「この民の心は鈍くなり、その耳は聞こえにくく、その目は閉じている!」−−マラキ3:7-9。エレミヤ6:15。マタイ13:15。

  42.英語で、最も悲しい言葉は、死刑囚が、刑の前に刑務所の壁一杯に書いたあの言葉だと思う! 彼は、死刑執行を待っている間、この言葉を書くことで時間をつぶしたのだった。それは「私がそうしていたなら! 私がそうしていたなら! 私がそうしていたなら!」というものだった。何をしていたならだろうか? 彼がただ、耳を傾けていたのならだ! 神の声や自分の良心や、両親や説教師や先生やリーダーの警告に?

  43.それが、あなたの最後の言葉になるのか? 「私が、そうしていたなら!」? もし私が聞いていたなら? もし、私が聞いていたなら、嘆かなくてもよかっただろうに! 「もしそうしていたなら!」もしあなたが聞いていたなら、あなたは嘆かなかっただろう! 「もしそうしていたなら!」 あなたは耳を傾けているだろうか? それとも「そうしていたなら」と嘆いているのだろうか?