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木!   GP 319  1974年10月

 

  1.今朝、私は木についての夢を見た。神にその意味を尋ねると、私達のリーダーのようなキングが立って誰かに話している絵像が見えた。その話の大まかな内容は次のようなものだった。「重点が、モーの言っていることに余りにも置かれすぎていて、若者達がしている事が十分に認められていない!」 そして彼はまた話し始めたのだが、それは言葉というよりも、私には印象として感じられた。突然、彼はサウル王になって、こう言っていた。「預言者の言葉にあまりにも多くの信仰が置かれていて、人々がしている仕事、つまり我々のしている仕事にあまり重きが置かれていない!」

  2.彼は、サウル王がそうだったように、人々に同調していた。人々こそもっと栄誉を受けるべきだと! 「モーゼ、あんたはあまりにも多くを受けすぎている」と。言い換えれば、「我々も預言者だ。我々のした事を見てくれ!」と言っているのだ。彼はそこに堂々と、説得力に満ちた様子でしっかりと立ち、こう言っていたかのようだった。「我々だって、かなりのことを成し遂げているのだ! もう少し功績をもらってもいいだろう! あんた達は、モーと彼の言葉と、彼がどれだけ素晴らしいかという話ばかりして、私もキングだということを忘れているようだ。私の功績を少しも認めていないではないか!」

  3.「このキングである私がいなければ、預言者モーは存在しないのだ!」 これが、キングたちの考えている事そのものだ。彼らは最終的にはこう考える。「私が預言者に頼るどころか、預言者こそ私に頼っているのだ。私が彼の仕事を可能にしたのだから、もっと多くの功績を受けるべきだ! あなた達は私にもう少しの栄誉と栄光を与えるべきだ! あなたたち若者たちは、自分のしている仕事の功績をもう少し認められるべきだろう。すべての功績を預言者に称えるべきではない!」

  4.しかし、彼の重大な間違いがわかるか? これはキングが常に犯す間違いなのだ。彼は神を全く忘れてしまう。自分の目を預言者と人々に向けていて、彼にとっては、預言者はもう主の御言葉を代表する人ではなくなっている! 彼は口よりも人の方に目を留め、預言者の中に神を見ることができなくなってしまったのだ。だから、もう従ったり、服従したりする気持ちがなくなる。 「ただの人間じゃないか! どうして彼に従う必要があるだろうか? 彼はただの人間だ!」これは真実だ。預言者は主なしでは何者でもない。

  5.しかしここでは、キングが神よりも人間に栄光を与えている!キングの本音は、神のおがけにするのではなく、人のおがけにしたいと思うことだが! 彼は預言者の功績を認めたがらない。預言者もただの人間なのに、栄誉を得すぎていると思っているのだ。しかし彼は神と神の権威を無視し、預言者が王の王の使者であり、代弁者、メッセンジャーであるという事実を全く無視している。

  6.キングがそのようなムードになる時、もちろんそれは敵からなのだが、敵は巧妙にキングを私達に反対させようとする。ちょうど、私達を助けさせるために、神がキングに知恵を与えられるのと同じように。そして、キングは人々にこういった思いを植えつけるのだ。「モーゼが一体何者だ? 彼はただの人間にすぎない! これもするし、あれもするじゃないか。彼がただの人間だということが数々思い浮かべられる!」

  7.預言者も人間でしかないと言って、彼の弱さを人々に思い起こさせようとする。キングはそうやって、預言者への信用を落とそうとしているのだ。「彼はただの人間であり、間違いを犯す! だから彼は必ずしも神の声だというわけではない! 自分でもそう認めているじゃないか! だから、これはその間違いの一つかもしれず、私はこれが気にいらないし、したくないね。今回が、モーの間違う時かもしれない。」

  8.キングは常に、人々を自分の側につかせようとする。なぜなら、キングの望むのは人々で、彼はその人々の前で称賛されたいからだ。人々を自分の側につけることができるなら、王国はすべて自分のものになると考えている。しかし、このようなキング達が意識的か、無意識に、あのプライドや嫉妬の悪い霊に影響されるなら、ちょうど悪魔が堕落する前にそうであったように、高慢になってしまうのだ。

  9.これが、キングが人々を説得しようとして使う方法だ! 「こ

の預言者は我々にとって厄介になってきた! 問題を解決するよりも、問題を引き起こしている方が多い!」 言うまでもなく、キングは常に、引き合いに出されるような実例を持っているものだ。なぜなら、神の言は常に生きていて、力があり、分裂を起こすからだ。イエスは言われた。「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである!」ヘブル4:12。マタイ10:34。

  10.しかしキング達はセールスマンでもある。彼らはいつも、何とかして人々を喜ばせようとしている。なぜなら、彼らの望んでいるのは人々だからだ! 彼らはかなり説得力があり、人々を納得させる力を持っている。特に、人々を預言者が助けになっているよりも、厄介を起こしている方が多いと説得することに関しては。このような例は、聖書や歴史に多く見ることができる。なぜなら、預言者は率直で、物事をぶしつけに言い、たいていの場合、あまり如才がなく、外交手腕を使って事をしない。預言者は結果をあまり考えないで、ただ主の御言葉を語るだけだ!

  11.しかしキングは、ほとんどの場合、見えない樹液よりも、木や枝などを保存することの方に、もっと興味がある! だから、彼らの気にいらない事になると、言い返し始めるのだ。神が、「その木は実をならせていないから、切り落としなさい!」と言われると、キングはいつも足を踏み入れて、こう言う。「主よ、ちょっと待って下さい! もう一度チャンスを下さい。私に任せて、肥料をやらせて下さい。私がその木に話してみますから。実を結んでいなくても、人々のために木陰を作って、保護になるくらいの役目はしますから!」

  12.しかしキングのせいで実が実らないということもよくある。キングが世話を怠ったり、優先順序を間違っているからだ。神ではなく木を優先している。神がすでに、その木から、インスピレーションと命と主の霊、つまり樹液を取り去ってしまわれている時に! 神が霊を支配される。木が実を結ばなくなる時、神はその生命を取りあげられる。木は実を結ぶ時だけ、木なのだ。もし結ぶべき実を結ぶのを拒否するなら、木はその存在目的を失ってしまうのだ!

  13.キングは常に、人々がしていることは預言者の言葉の実であり、主の御言葉の実だということを忘れようとし、あまり強調しないようにしようとする。人々は神の実であり、神の預言者の実、神の霊、神の命、神のインスピレーション、神の樹液の実なのだ。これなしには、キングは死んだ幹でしかなくなり、枝のすべても死んでしまうだろう!

  14.キングは常にこう言っている。「見よ、私は強い幹であり、私と一緒なら我々は無敵だ! 私を見上げなさい! 私を称賛せよ! この目に見えない樹液はもう必要ないのだ。樹皮の下に流れる、目に見えない質、この得体の知れない、頼りにならない、疑うべき「インスピレーション」というものは、別にいらないじゃないか! それなしでもやっていくことができる。なぜなら、それは常に予期できないような新しい事ばかりしでかすし、新しい開花や、新しい枝や、あらゆる種類の新しい実を結んでいる! こうして問題を作ってしまうから、この類いのものを持ち続けることはいけない!」

  15.そこで、彼らは樹液の流れを断ち切ってしまう。木を枯らせるには、ただそうすればいいのを知っていたか? 樹皮のすぐ下の、形成層に切り口を入れればいいのだ。一番外側にぐるっと切り込みを入れ、樹皮を一皮細く剥ぎ取る。命をもたらす樹液を運ぶ形成層に小さな溝を切り入れるだけで、木は死んでしまう!

  16.キングの気にいらないのは、預言者の吠声、特に彼の噛みつきだ! 彼らは預言者の吠声だけでなく、噛みつきも除いてしまいたいのだ! 「預言者が斧を振るえるということ、それは私の権限を傷つける!」 キングは、神と預言者が常に最終的な権限を持っているということをいつも恨んでいる。その権限の下にいることから抜け出したいのだ。

  17.キングは、樹皮を除いてしまうなら、あの渋く、時には舌を刺すような樹液もなくしてしまうことができると思っている! そこで、彼らは幹の回りに切り口を入れる。なぜなら幹は、「樹液よ、私にはもうお前のことなんかいらない! お前なしでやっていけるよ! 私はすでに強くたくましいし、すべての枝を支えているのは、この私なのだから! これらすべての実を結んでいるのも私なのだから!」

  18.しかし、その命を与える流れが断たれた瞬間、木全体は死に始め、数日後には完全に死んでしまうことだろう! 「樹液(SAP)」という言葉を使うのは興味深い。なぜなら、キング達は預言者を見て「かわいそうな、間抜け(SAP)」だと言うからだ。

  19.しかし、独立したいために樹液の流れを断ち切ることによって、自ら命を断ってしまうことを決める木と幹は、かなり愚かだ! 自分の命を断ち切るような木は、正常な精神を持ってはいないだろう! それでも、すべてのキングはこのようなところにきて、「見よ、偉いのは我々! 我々はここまできた! 我々は到達した! 我々はすでに大きくなって、実を結んだ。見よ、我々は到達したので、もう樹液なんかいらない! 捨ててしまおうじゃないか!」 言いかえれば、キングはこう言っているのだ。

  20.「これで十分だ! もうたくさんだ! 樹液の流れを止めよ! 十分だ! 今持っているものに焦点を絞ろうではないか。我々には、これ以上樹液も、実も必要ない。ただ、今あるものを世話して保持するだけでいい。もし樹液がこのスピードで流れ続けるなら、我々はどのような木に成長するかわからない。どこに行くのかわからなくなってしまうだろう!」

  21.しかし、神にはわかる。なぜなら木を造られたのは神であって、幹ではないからだ! 幹が木を造ったのではない。しかし、幹は自分が木を造ったと考えており、幹が木の中でも最も重要な部分だと考えるようになる。「私を見てくれ! 私はこのすべての実を結ばせている! 私なしでは木は成り立たない! 樹液よりも、私の方が必要だろう!」と。

  22.そこで木は何とかして、樹液にじゃまされることのないように、木の回りに切り口を入れるようにと、雇われ木こりを説得する! もちろん、正常な精神を持った農夫や木こりなら、そんなことはしない。しかし木は、ひょこひょこやってきてその通りにする無知な木こりを見つけることができるだろう。すべてのキングは遅かれ早かれそうし、こう言う。「この樹液は、もうたくさんだ!」

  23.樹液が自分の命だということに気づかないキングこそ、無知だろう! 樹液を断ち切り、主の預言者を殺すことによって、自分の命を断つ。そしてキングの王国は、木が倒れるように倒れるだろう! 彼らは命を与える流れ、命と健康、美しさと栄養を与え、枝に実を実らせるようにする御言葉の樹液を断ち切ってしまう。だからキングがついに、愚か者に切り口を入れるように説得してそうさせた時、自分と木と枝と実と人々、王国の命を断って、存在目的を失ってしまうだろう!

  24.なぜなら、木は樹液なしでは生命を保つことができないからだ。霊の流れなしには、命はないからだ。しかし、キングは常に外見だけを見て、心の中を見ることを忘れてしまう。キングは、木全体に生命を与える、樹皮のすぐ下にある成長している薄い層を忘れている。それは、木が毎年、一輪ずつ成長する役目を果たしている。

  25.イエスは言われた、「私はぶどうの木である。」 つまり根株である。「あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15章参照) そしてキングと高い地位にいる彼の従者達はただの幹であり、見せびらかしたい最も地位の高い枝なのだ。だがその幹と枝は、自分こそが根株だと思い始めるなら、いとも簡単に低くされてしまうだろう!

  26.まるでキングは、自分が高い地位にある幹であり、自分こそ支えになっている根株だと思い始め、木全体を自分だけでコントロールし、支えることができると思っているかのようだ! しかしその彼も、真の根株、木の基礎、キリスト・イエスによって支えられている。もしキングが実を結ばなかったり、腐った実でただ重くなるだけだったら、農夫である神によって刈られてしまうか、敵の風や逆境によって吹き飛ばされてしまうだろう。そうすれば、生命を与える樹液を含んだ、もっと新しい、若い強い枝が、代わりにその場所に生えてくることができる!

  27.「枝よ、自分を思うべき限度を越えて思い上がらないように気をつけなさい! おまえを支えているのはわたしであり、おまえがわたしを支えているのではない! わたしよりも自分を高める日に、おまえは低くされるであろう。命を与えるわたしの霊を拒否する日に、おまえは死んで、滅ぼされるだろう!

  28.高い身分の枝よ、気をつけなさい。おまえを支えるわたしの命なしに、あまりにも大きな重荷を背負わないように。気をつけないなら、おまえは今いる場所から落ち、そこにいなくなるだろう。そして、わたしの霊にもっと委ねている他の者がおまえに取って代わり、わたしの王国のために実を結んでくれるだろう!」

  29.木の頂上にある枝は普通、真っすぐ上に向かって伸び、他のどの枝よりも高くなり、そして真ん中にあるものだ。だから幹の延長のようだが、それは根株ではなく、ただの枝である。幹の一部だが、根株ではない! 根株は主なのだ!

  30.幹や最も高い所にある枝は高い身分にあり、真ん中やトップに近いし、時にはど真ん中にあるので、自分が根株だと思い込むようだ! それでもそれらの枝はみんな、ただ根株の上に立っているだけでもしちゃんと立っていないなら、倒れてしまう。特にそれらの枝が、自分より低い部分の基礎になっている幹や根株や隠れている根や、命を与える霊の流れである樹液なしでやっていけると思い、下にあってまだ実を結んでいる、もっと古い枝なしでやっていけると思っているのなら、倒れてしまうことだろう!

  31.しかしイエスはこう言われた。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人が私につながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れ、焼いてしまうのである。」ヨハネ15:5,6。

  32.もしあなたが古くなって主の樹液を受け入れていないため、もはや実を結ばず、成長もせず、死にかかっているなら、神は全く新しい所から全く新しい木を、全く新しい世界を造ることができる! 主は死んだ木のふもとふもとに斧を入れられ、土地をふさいでいるその木を取り除き、新しい若木のために場所を作って、木が強く、青々となり、主の王国に新しい実を結ぶようになるために、花を咲かせるまで育てられるだろう! ちょうど、あなたが昔そうだったように!

 

  33.あなたはどちらか? 古い方の一部か、それとも新しい方の一部か? あなたは古くなって死につつあるか? それともまだ若く、成長しているか? あるいは病気にかかり、腐っていて弱く、頼りなく、実のりがなくなり、他の者達に場所を作るために刈り込まれなくてはならないのか?またはまだ新しく新鮮で成長し、花を咲かせ、使えるような実を結んでいるか?

  34.たとえ、あなたの外なる人が樹皮のように滅びても、あなたの内なる人は形成層のように、命を与える主の霊という樹液の流れ、主の御言葉の栄養によって毎日新しくされているか?(2コリント4:16) その多くはあなたにかかっている。あなたがどれだけの栄養を受け取り、どのぐらい成長するかにかかっているのだ!

  35.自分を切り離し、私達なしでやっていけると思っている愚か者になるな。そうでないとあなたは、森の地面に落ちた、ただの腐り落ちる葉、枝、腐った実になり、あなたの将来は次の世代のための肥料になることで終わるだろう! だから若く青々と茂り、つぼみをつけ、開花し、主の王国のために実を結び続けなさい。その実は、命を与える愛と喜びと平和と幸せの霊で今、世界を養うだろう。そしてあなたは永遠に幸福に生きることだろう!