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すべてを捨てること!  DFO 314A 1974年10月

 

  1.一度あなたが神と神の道とを選んだとしたら、神は何に対しても、あるいは誰に対してもご自分が二の次にされることを拒まれる。そして主のほかに他のどんなものを神とすることも許されない。あなたの古い仕事や、以前のボスや、あなたの家族や友人でさえも! 神こそ今やあなたのボスであり、神はあなたのために新しい仕事を持っていて、神があなたを呼ばれ、あなたもそのことを知っているのだから、神は待たれないのだ。すべての弟子に対する最初のテストは、直ちに、今主に従おうとすべての物を捨てることによって、主を第一に置くほど主を十分に愛しているかを見ることである!

  2.「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのすべてのものは添えて与えられるであろう!」−マタイ6:33。神はあなたが、神や、神の仕事や、人間の魂や、人間の永遠の救いよりも何かを優先されることに我慢されないのだ! 神を敬わない仕事や、ビジネスや、ボスや、家族は、神からすれば、一緒に来るか、さもなくば地獄に行くかである。神はただあなたのことや、あなたのような人々を救う御仕事のみを気にかけておられるからだ!

  3.ビジネスにはまり込んでしまった父親や他の家族は世に埋もれてしまい、忘れられてしまったが、全くの見知らぬ者と去っていった、それらの臭い、汚れた漁師の息子達は、何千万もの魂を永遠に救うのを助け、歴史を作った!−−マルコ1:16-20 私達は今やその結果を見ることができるので、彼らの父親の反対や、父親の事業を駄目にしていまったことにもかかわらず、彼らが正しい選択をしたことがわかる!

  4.神の考えられるところでは、ビジネスやボスが魂を救うという主の仕事を邪魔するのなら、ビジネスやボスは地獄に落ちてしまえばいいのだ! 神や今日の若者を救うという神の愛の仕事以上に重要なものは何もないのであり、神を敬わないビジネスやボスは、一人の哀れな若者の失われた魂が、もしかしたらあなたの魂が救われるのを邪魔するよりは、地獄に落ちたほうがましだ。どっちにしろ、そこに行くことになる者達もいるのだから!

  5.だから私からすれば、他に選択はない。神は厳しい司令官であられ、主の軍隊における従順の事となると、人の命を救う為に死と戦う主の戦争よりも重要なものは何もないのだ! 神の唯一の時は今であり、今でないならもう手遅れだ! 主を待たせた者は決して帰って来なかった! そしてそういう人の名前のリストは主に従ってきた者達のリストよりも長い! 「召された者は多いが、選ばれる者は少ない!」(マタイ22:14) なぜ選ばれたかというと、彼らは何よりもまず主に従うことを選んだからだ! あなたはそのどちらかね? あなたは誰と何を優先させるだろうか? ボスや家族の者に一緒に従ってくるように尋ねてみたらどうかね? 彼らもあなたと同じように従ってくる事が出来るのだ!もし彼らが喜んでそうしないなら、彼らはあなたや、あなたの扶養を受ける事にも値しない! どちらがより重要なのか? 彼らを救う事か、それとも世界を救うことか? その時は今だ! 明日では遅すぎる! (『即座に弟子を獲得する革命はもうない!』も読んで下さい。NO.2385)

  6.主は入学試験を最も難しいものとされたようだ。そしてその試験は普通一まとめになってくるので、その人が弟子となれるだけのものを持っているかどうかが誰にでもすぐにわかる。そうすれば、それだけのものを持っていない人のために時間を無駄にせずにすむ。最後になって落第することがわかっているのに、長期に渡る教育を受けるためにお金を払う必要があるだろうか?

  7.だから私が人々にすべてを捨てるように告げる時、あなた達も良く知っての通り、私は時々かなり厳しくなる。私はガッツのない、生ぬるの人達に対して全然忍耐がないからだ! 生ぬるの者は神と私の両方の気分を悪くさせ、二心の者達や自分の気持ちを決めることのできないような、心がぐらつき、ためらう者に対して私はあまり忍耐がないのだ。神は、「そのような人は揺れ動く海の波に似ている」と言われた!−ヤコブ1:6 優柔不断な者は心休まることがない!

  8.無関心な者や生ぬるの者、又いわゆる中立者は、本当は一皮むけば敵であり、イエスが言われたように、「私の味方でない者は、私に反対する者であり、私と共に集めない者は」つまり囲いの中に主の羊を集め、収穫を刈り取るために勤勉に働かない者は、「散らす者である。」−マタイ12:30。だからもし彼らが私達と共に働いていないなら、私達に反対しているのだ。しかし気をつけなさい! このことは、全ての人が実際のメンバーであって、全ての物を捨て、私達の一員となるために全時間で主にすでに従っていなければならないという意味ではない。

  9.イエスとイエスの弟子達には多くの秘密の友人達がいたのであり、彼らは体制のメンバーで、支配者達や金持ちであり、神がこのミニストリーのために立てられた、イエスと弟子達の友人、助け手、保護者だったのだ。あなた達はこのことを覚えていて、すべてをすぐに捨ててあなた達に加わらないからと言って、彼らを皆非難してはならない。彼らがあまり良いフルタイムの弟子にはなれないことや、それほど全身全霊を傾けるわけでもなく、私達の一員として立派な仕事ができるほど、十分犠牲的で熱意に満ちているのではないことを、神は知っておられるのかもしれない。しかし彼らは友人として私達の味方なのだ!

  10.見込みのある真の弟子に本当にぶつける事は良い。そういう話に耐えることができ、私達が要求するだけのものを持っている者に! しかしイエスはその違いを知っておられた。主は、真の弟子、つまりすべてを捨てて、全時間で主に従って行き、死さえ厭わない者となるためにはどのような代価がかかるのかを示すために彼らをテストされた!

  11.主は他の者達をもテストにかけられ、彼らがやっていけるかどうかを見られた。なぜなら主は全身全霊を傾けてやらない者や、弱くて、信頼することも頼ることもできないようなどっちつかずの者をほしがってはおられなかったからだ。あなた達もそのような者を求めてはいないと思う!

  12.だから結局、彼らがテストに合格しなかった時、主は彼らを家に帰らせ、友人として最善を尽くすようにさせられたが、彼らを完全に失望させたり、敵にまわすようなことはされなかった!

  13.軍隊は、食糧と衣服と軍需品なしに、どうやってやっていけるだろうか? そしてジョインするガッツのない人達は、家にとどまって、友人となり、保護者となることができるのだ! アーメン? そうでないなら、弟子達はどこに泊まり、どうやって食べていけるのか? 私達は体制にも友人を必要としている! すべての人が軍隊において兵士となることはできないのだ! 彼らを利用しなさい!

  14.弟子であることには、多くの同心円や段階があり、彼らも認められ、感謝され、使われなくてはならない。これにはキング達、政治家、ビジネスマン、貴族の婦人、影響力のある友人達も含まれるのであり、あなた達を助け、供給し、守るために神は彼らを使われなくてはならないのだ。だから彼らを拒否しないで、利用しなさい。しかしまたいつも彼らを監視していなさい。彼らをあまりにも信頼しすぎたり、内側にあまりにも近寄らせたりしない方が良い、そうでないと後悔するようになるだろう。なぜなら彼らは普通、霊的に弱く、神学的に混乱しており、時々肉体的にも頼りにならないのだ。12人、あるいは70人の一人になるのでさえ特権であり、すべての人がそのような弟子としての特権に到達することはできないのだ。

  15.しかし、あなた達みじかな弟子達に対しては、私達は厳しいのであり、すべてを期待し、全くすべてを捨てること、100%の献身、全くの忠誠心、全時間的な奉仕を期待する。私達は強硬派であり、攻撃の最前線にいて、この最終の偉大なる霊的革命の指導者達なのだ。私達は幹部であり、司令官、そして指導者達である! そして100%の献身を要求されている! 生きるか死ぬかである!−アーメン?