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愛のまなざし!  GP 304  1974年4月

 

  1.「一目ぼれ」は全く可能なことだ。「愛は愛を生む」というように、愛情のこもったまなざしに応えるのは、ごく普通の反応だ。簡単に「愛に恋する」ことができる。相手の目の中に愛を見いだすことは、心理的、感情的、生理的、霊的な現象であって、それは誰も説明することのできない、世界の第七の不思議のようなものだ。ソロモン王はそれを「男の女にあう道」と呼んでいる。箴言30:18,19。

  2.「目は魂の窓」である。神だけが知っている説明不可能な理由で、人の目を見つめて、その人の考えていることや、人の思いを読むのは可能なことだ。「愛のまなざし」で、真剣に感情を込めてお互いの目を見つめ合うと確かな反応があり、それを実際に体で感じることもよくある。

  3.それでも、ある人達は、イエスの言われたような宗教の指導者のように「盲の指導者が盲を導いているようなもの」だ−−マタイ15:14。よく言われている、「見ようとしない者ほど盲はいない。」という言い回しのようだ。あなたは、自分の肉体や感情に望ましくない反応が起こらないように、見たくもない光景から目をそむけたことが、何度あっただろうか?

  4.逆向きに効果がもたらされることもある。私達の感情が、視覚を左右することがあるのだ。私達は見たいものを見て、見たくないものは無視する。「美は、見る人の目の中にある。」と言われている。だから、「愛は盲目」とも言えるし、愛には、他の人には見えないものを見ることのできる「余分な目」がついている」と言うこともできる。

  5.このようなことや、まだまだある数多くの理由によって、視覚は五感の中でも最も重要な感覚であり、本能や、直感、第六感や超感覚的知覚といったような、霊的、心理的な感覚に最も近い感覚だ。

  6.目は憎しみや愛や恥ずかしさを表したり、又、欺く心や、怒りを示すことができる。罪悪感や、プライドその他多くの人間の感情は、目に表れる。だから「もし、視線で殺しができるのなら、私はとっくに死んでいることだろう。」とか「突き刺すような視線」とか「彼女の目が期待に輝いている」という表現がある。

  7.目は、喜びや幸せや痛みや悲しみを示すことができ、目から出る涙は悲しみや傷み、心痛を表したりする。又、嬉し涙、喜びの涙というものもあり、涙が出るまで笑うこともある!

  8.最初に誰かに会う時、普通、私達は焦点を相手の目に合わせる。なぜなら、いくらその人が隠そうとしても、目は本性をそのまま現し、真の性格や態度を正確に示すからだ。口では笑いを作り、友好的に振る舞っても、目がほほ笑んでいなければ、気をつけなさい!

  9.確かに目は、心の中の真の感情を示し本性を現すという、私達の魂の窓だ。よく、「私の目を見て」と言うのはそれが理由だ。盗み目をしている人、まっすぐに目を見ない人、隠れるように目をそらす人や、良心の呵責や恥辱を目に現しているような人は、信頼価値のない人だとすぐ思われてしまう。

  10.目は助けを求めるメッセージを伝えることもできる。懇願するような視線を向けたり、他の人の視線を冷たく拒否したり、疑い深く、目を細めて怪しんだりすることもできる。全く興味がないといったような冷たい感情を示したり、答えを探し求めていることを示したり、熱情的でロマンチックであったり、願望や、希望を示したり、あるいは、鈍い、生命のない、希望のない、欲求不満に満ちているまなざしもある。

  11.目は、口を除けば、体の中で最も表現力のある部分だ。いや、口よりももっと正確に、真の感情や、真の気持ちを現すことができると言えるだろう。口ではあることを言っても、目では他のことを現すことができる。口では笑っていても、目は憎しみで満ちていることがある。怒った言葉を言ってしまって、口では謝っていても、内心傷つけられたという感情を、目が現していることがある。

  12.目は、私達の持っている感覚を、最も誠実に伝えるもので、無意識の内に深いところにある、自分の本当の姿をあらわにするものだ。口では嘘をついても、目はいつも必ず心の中で起こっている真実を語る。目は、他の肉体器官にはないような、特別なセンサー機能を持っていて、沈黙の内にメッセージを受け取ったり、伝達したりできる。

  13.人間の器官の中でも、目は最も素晴らしい器官だ。目は神に与えられた天分で、最も有益な器官にもなり、最も危険にもなり得る。目は、善か悪のどちらにも使うことができる。愛するか憎むか、助けるか、傷つけるかのどれにでも使える。だから、目を使うには十分注意して、誠実な目的で使い、悪い策略に使わないようにするべきだ。

  14.目は非常に霊的であり、夢にも思わなかったような、超自然的な力を持っている。自分も、他の人達をもコントロールする力がある。だから、目をどのように使うかに注意しなさい! 英語で、私達が最も深刻な事態にあって発する警告の言葉、「Watch(見よ、気をつけろの意!)」が目の大切さを示している事に注目しなさい。イエスは、「祈りなさい!」と言われる前に、「目をさまして(英語ではWatch)」と言われた。あなたは、目をさまして、注意するべきだ。そうでなければ、祈る余裕もなくなってしまうかもしれない。祈ると同時に目をさましていたほうがいい。なぜなら、祈っている間にも気をつけていなければならないからだ!

  15.証しできそうな受容的な相手を探している時、目はとても助けになる。あなたの最大の証しは愛だ。そして目はその愛を示す最初の器官であり、最初に愛を受け取る器官でもある。

  16.神の魔法を解いてはならない! 悪魔が魔法をかけることができるのなら、もちろん主も魔法をかけられるはずだ−−聖霊が影響を与えるのだ! しかし、あなたの方からその接続を断ち切り、魚を逃がすなら、それは釣り糸を切ったり、スイッチを切ってしまうようなものである。まるで、催眠術にかけられた人の前で、指を鳴らし催眠状態から目覚めさせるようなものだ。

  17.あのドイツ女性のヘルガの時は、私が彼女の霊を目から吸い取ったかのようだった。瞬間的に彼女を催眠術にかけたようなものだった! 私は離れた所からヘルガを見て、初めて彼女の目を深く見つめ、数分ほど、彼女の視線を捕らえた。彼女の目には深い切望の思いがただよっていた。

  18.彼女の視線をとらえた瞬間、私は彼女の霊を私のほうに引き出したのだった。ちょうど、誰かを自分の腕に抱きしめるように。しかし、それは電流のようだった! 目があった途端に私達の霊は接触した。私達の霊は深く合体した。

  19.人はこのような状況を計画することはあまりできない。なぜなら、それを設定され、計画されるのは、神だからだ。自分でそれを計画するのは、まず不可能だった。神がどちらの方に行かれ、何をなさっておられるのかわからないので、ただ、一歩一歩従い、神の導かれる方向に沿って行くしかない。

  20.主の助けを借りるなら、他の人の霊に即座に接触することができる。即座に互いに通じ合うようなものだ。霊の内で瞬間的にコンタクトを持つことができる。一目ぼれはそういうものだ。あの催眠術のような、ひと目が。一目ぼれの時には、霊のうちで瞬間的なコンタクトがあり、二つの磁石のように突然に、二人の霊が引きつけ合うのだ。見つめあって、真の霊的なコンタクトがあるなら、それは裸で一緒にベッドに入るようなものだ。

  21.目は力を持っている! 目がことを始める! 目がやり、目が終わらせた! 神の愛を証しする器官の中で、最も威力のある目に、万歳! あなた達浮気な子魚達よ、愛で相手の心を溶かすほど、あなたの浮気な目で誘うことができるだろうか! 目の威力を知らないのだったら、「利用する」方法を学び始めたほうがいい!

  22.目は口や手よりも素早い! 彼らに、愛のまなざしを与えなさい。愛と命のまなざしを! その愛のまなざしで彼の心を勝ち取りなさい。イエスの愛を現すまなざしに抵抗できる人はほとんどいないということがわかれば、あなたに確信を与え、目を覚めさせることだろう!

  23.愛情のこもったあなたのまなざしには、飢えた心を持ったすべての人達に対する、愛の答えがある。愛のまなざしは、最もかたくなで重い心の扉を開けることができる。愛のまなざしを投げかけ、愛を示しなさい!