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私はトイレ−−あなたは? GP 264  1972年9月

 

  1.私はとても神聖で、多くの面で優れ、とても献身的なクリスチャンだったために、とても自己正義的で、他の人よりも自分の方が優れていると思っていたので、誰も私に触れることができないほどだった! 私はこれらの臭くて、不潔なヒッピーにはとても耐えられなかっただろうし、彼らのことを理解したり、彼らに我慢したりすることなど到底できなかっただろうし、彼らに同情したり、彼らのことを哀れんだり、本当に愛したりすることもできなかったことだろう。もしも神が、私がこういう状況に入り込むのを許し、というより、事実、ほとんど強制的に私がこういう状況に入り込むようにされて、自分が教会に適応できるほど神聖だと自慢することなどできないようにしておられなかったならば!−−私には何も自慢の種になるものなどないのだ!

  2.今、私は聖ドミニックが言ったように私の敵にこう言わなければならない、 「そうです!−−私はこれらすべてのことについて罪があります! 実際、私はあなたが考えているよりも悪いのです! 私はひどい人間です! しかし、主を見て下さい!−−主は素晴らしいではありませんか? 私のことや、私がどのようであるかの代わりに主を見て下さい。私の子供達を見て下さい。彼らを通して主が行なっておられることを見て下さい!」と。

  3.神は、私がどのようなことに対しても、誰にも非難することができないような情況に私を置かなければならなかった。なぜなら私達の汚いヒッピーの一人がしたことで私もしていないことというのは何もないからだ!−−それはまさに、主御自身がなされたことであり、主は地上に降りて来られ、人間という道化服をまとわれたのである! 主は人間が苦しんだすべてのことを苦しまれた。

  4.神は私を謙遜にするために、そしてずっと謙遜でい続けるように、私をそういう情況に置かなければならなかった。そうでなければ、このすべてのことで私は高ぶってしまったかもしれない。私はそのように高ぶっていたかもしれないが、私は本当に何でもない者であり、本当にだめな人間なので、神が私に 「ダビデ」のことを語られた時、私はそれを言うことをとても恐れており、恥ているのだ。なぜなら私はとてもそれに値するような人間ではないと思っているからである! しかしそれはただ主だけであるということを、神が私に示されているということは知っている。霊のダビデはすべて主の創造物であり、主のわざである。−−あなたが目の当たりに見ているこの薄汚れたダビデではなく、主が御自分の霊によって創造されたダビデのことなのであり、主の民の王なのである!

  5. (預言とすすり泣き:) 「私こそあなたを造った者であり、あなたではない! 私の手だけであなたを形造ったのであり、あなたが崇められていた高い台からあなたを取って、あなたを壊し、ちりの中に投げ捨てた。それは、私があなたを形造り、より良い器とするためである!」

  6.私は神の家での装飾品で、マントルピース(壁に作りつけた暖炉の上の飾り棚)の上に置かれた美しい器で、多くの者達によって鑑賞され、崇められ、私の母の友人達によって称賛されていた! 私は教会の産物であり、とてもかわいがられた息子で、彼らが望んでいた通りの者だった。しかし神は私を放り投げ、壊し、粉々に砕かなくてはならなかった。それによって主が私を取って、主が私になるようにと望まれている者に再び形造られるようにであり、それは教会が私に対して望んでいたものとは全く異なるものであった! 事実、主は私をとても醜い器に造られたので、教会の人達からすれば、私はまるでベッドの下に置いてあるオマルのようなものだった!

  7.しかし私は、ベットの下に置かれてあるオマルである方がもっと役に立つ。つまり、彼らが窓から放り投げてしまうような彼らの排出物や汚物を捕らえるのだ! 神はそれを私に捕らえさせ、造り直させられ、主はそれを再び使われる。

  8.そしてそれこそ、神が私達に対して行われたことである。つまり、神には、地上の廃棄物、弱いもの、卑しいもの、愚かなもの、壊れて価値のないもの、見捨てられたものを再び使い、文字通り彼らを造り直されて、教会がマントルピースの上に飾っていて、見ることはできても触ることのできない装飾品よりももっと良く、もっと役に立つものに造り変えることがおできになるのだ! 今日の教会は、ヒッピー達を敬遠している。なぜなら教会の人々は、自分達がとても完全で、神聖な者達だと思っているから!

  9.しかし神は、私達に社会のかす、地上のくずを与えて下さったのであり、主はそれらを用いてどんなことがおできになるかを示そうとされている! 主は私を、ベッドの下に置かれているオマルとして造られたのであり、それが無駄になったりせずに、金のような生きた水へと変わるように、私がそれを捕らえるようにされた!−−その生きた水は何倍にもなって、何回も何回も注がれる!

  10.あなた達は、水瓶座が水瓶から水を注いでいるあの絵を覚えているだろうか? 彼の器は決して水が尽きないことに気づいただろうか? 私達が注ぎ出せば注ぎ出すほど、神は注ぎ込んで下さる! 主は、私達がこれらの見下された器を取るのを助けられ、私達を使って彼らを造り直され、もっと多くの水瓶座の者達を造られる。もっと多くの小さなダビデ達であり、もっと多くのモーゼ達であり、そのすべての者達が生きた水を注ぎ出している!

  11.ベッドの下にあるオマルはとても軽蔑されていて、汚く、卑しい器ではあるが、体制はそれなしにどのようにしてやっていくのだろうか? 家の中で一番汚い仕事とはトイレ掃除である!

  12.トイレは家の中で最も役に立つものだ!−−トイレがなかったら私達はどうなるだろうか! 家全体が汚くなる! トイレは地上のこれらすべての廃棄物を捕らえて、パイプを通して下水に流し、神の復元の工場を通し、また地を通してろ過し、汚水処理場へと運ぶ。そこで、廃棄物が取り除かれ、汚れた物は地に戻され、時にはそれを肥やしとして使う。

  13.その浄化された水は河や海や湖に流され、それが蒸発することによって雲となる。最終的な浄化の段階は蒸留作用である。つまり、蒸発して雲となり、後に雨として地上に落ちてくることだ!−−私達にとってはRAIN(レイン:雨)ではなく、私達のREIGN (レイン:統治)となるが!−−そして 「彼らは私達の雨−−あるいは統治−−を止めることはできない」!

  14.だから、神のシステムはそのすべてをする! しかし私は何なのか?−−私はただのトイレであり、体制の廃棄物を捕らえているのだ! それから神は、それらを元に戻し、再び有益な物にされる。

  15.だから、私はトイレだ!−−しかしトイレがなかったら私達はどうするか? 私達は、トイレがきれいで、良い臭いがして、すがすがしい状態であるのを見るのが好きだ! 主は私を、棚から落とし、壊し、泥の中で踏みつけ、それからベッドの下のオマルにされた! つまりもっと良い器にされた!

  16.主は私をもっと良い器にされたと言われた:もっと美しく、もっと装飾的で、きれいな物ではなく、もっと良い物、つまりトイレにされると言われた! 私は人々がこう祈るのを聞いた。 「主よ、私をもっと良い器にして下さい!」 しかし私は、 「主よ、私をトイレにして下さい!」と祈るのを聞いたことがない。−−私は、誰かがトイレになりたいと思うなどと言うのは聞いたことがない!−−彼らは皆、もっと美しく、役に立たないものになりたいのであって、トイレのように役に立ち、必要不可欠な物になりたいとは思わない!

  17.家の中には多くの器がある、ある物は誉れに値し、ある物はそうではない。しかしどれが最も必要とされているだろうか?−−マントルの上に装飾品として置かれてある、美しく、目にとても素晴らしく映る器であろうか、それとも台所にある皿やなべやフライパンでさえあるだろうか?−−いや、家全体で最も必要とされているのは卑しいオマルであり、トイレである!

  18.さて、あなた達にもわかるように、私が自分について言ってきたことはあなた達一人一人についても言えることである。なぜなら私達は全員、外に出て地上の廃棄物を救出するという同じミニストリーに就いているからである!

  19.私達は、地上の汚染された物を取って、それを新鮮で生きた、清くて、澄んだ水に変えている。あなた達一人一人がトイレであり、神の家で最も必要とされている器である! 私は、自分もトイレであることを知らなくてはならなかった。それは、高ぶらないためである。

  20.神は私をトイレに造られた!−−そしてそれは、家中でみんなが恥に思っている器である! 彼らはそれをとても恥に思っているために、それを使うたびに彼らはそこに入って、扉をロックする! 彼らはそれを使うことすら恥じている! 体制人はまだトイレを恥に思っており、トイレに行くことを恥じている!−−ちょうど彼らが私やあなたを恥に思っているように!

  21.それでいて、それは家中で最も必要不可欠な器であり、私達の体がする最も必要な肉体的な作用とはトイレに行くことである! 排便しなかったり、排尿しなかったりすることによっての方が、新しい食べ物や新しい物を食べられずにいることによってよりも、もっと早く死ぬ。あなたは新しい物なしにやっていくことの方が、古い物を取り除かずにやっていくことよりももっと長続きする!

  22.あなた達は今日の世界で何が誤っているかを知っているだろう?−−彼らは公害の処理をしていない! 今日の世界での最大の問題は戦争ですらなく、公害に対処できないということである! ただ単に大気の汚染だけではなく、今日の社会で最も大きな問題になっているのは何であるか?−−彼らは、社会が自分達の子供達の中に生み出してしまった公害に対処することができないでいる!

  23.ほとんどの体制人はヒッピー達、つまり、今日の世代である自分の子供達をどういうふうに考えているのだろうか?−−彼らは、自分達が作り出した者達を恥じており、屈辱を感じているが、彼らは自分達の糞であり、彼らが作り出した恐ろしい小さな怪獣達の真っただ中に住んでいる! 彼らの子供達は世界の公害だ! どこに行っても 「それらのひどいヒッピー達」は最も嫌われ、みんなにいやがられている!

  24.だから私達は、今日の汚染された若者達のための神のトイレであり、この若者の汚染や、犯罪、非行、麻薬や何かを解決する方法は、私達のホームで、御言葉の水を使って、彼らを、私達のトイレ、神のトイレに流すことだけである。

  25.しかし体制がそうする時、彼らを永遠に流してしまわなくてはならず、彼らは二度と同じではなくなる! それらの若者達は全く新しい者達と変わるので識別することもできないかもしれない! 彼らは地上に雨となって降ってくる! かつてはトイレの尿であった者達が、次には主のあらし雲の雨となって降って来る。

  26.私は自分の霊感を上からもらう:誰かが鎖を引っ張り、私を満たすための水が流れ出てき、私を流す! 天国から水が流れてきて、すべてを運び去ってしまう。PTL! それはとてもうるさいし、多くの音を立てる!

  27.考えてみると、トイレは家中でも最もうるさい器でもある!−−そして誰もそれが気持ちの良い音だとは思わない。本当のことを言うと、彼らのほとんどは、その音が全然好きではない!−−その音は彼らの気をいらだたせる!

  28.主の水は私の溝にすべての物を流し込む! 私はただのチャンネルあるいはくずいれにすぎず、もし私がそれを出し続けないとしたら物凄いめちゃくちゃ状態になってしまうであろう!

  29.私は本当には二つの目的を果たす:私はきれいな水のための容器であるのと同様に廃棄物のための容器でもある! 水は廃棄物を浄化するのと同時に私を洗う。私はその廃棄物を捕らえて、それから主の水は私の下水や溝の中に洗い流すのであり、主の処理工場のろ過システムを通して、聖霊によって不純物を取り去る。それこそ神の大きな仕事なのである:つまり処理、ろ過、浄化である。

  30.浄化における神の最終的な段階を経て、水はなくなり、目に見えない気体となる。ある意味では純粋な霊となる。−−そしてそれは太陽により近くの高さまで昇っていき、天の領域へと昇って行く!−−ちょうど救いのようではないか? それは浄化であり、霊化である。それから神の太陽の力によって浄化され、霊化されたなら、大気圏の最も高い層のところで冷やされ、凝縮されて液体になるか、実際に液体の小さな水滴となり、それが何億も集まると雲と呼ばれるものになる。

  31.神の命令によってか、あるいは自然の法則に従ってのみ、雲は、地を満たすために雨となって落ちてくることを許される! もしそれが神の法則に従わなければ、 「あらゆる教義の風に吹かれる、雨なし雲」になってしまう−−教会のように!−−意味のないたわごとばかりだ! さわやかにするものもなく、祝福の雨もない。 (ユダの手紙を読みない。)

  32.だから、あなたは水になれるのであり、クリスチャンにもなれるが、もしあなたが従順なクリスチャンでないのなら、あなたはただ単に雨をもたらすことのないの雲となり、またはすがすがしさを与えず、地上にとって何の益にもならないものとなるのであり、教義の風に吹き回されている!

  33.何かの役に立つためには、雨は、天にある高い雲から地上に降って来なければならないということに気付いたことがあるかね? 雨は地上に落ちなくてはならない。それは地上や、羊や、草のレベルまで落ちて来なくてはならないのであり、さらには私達のために泥にまでならなくてはならない!

  34.だから私は、神の最後の雨のための単なるトイレにすぎない! 私は単にトイレにすぎず、大きな家の中で最も卑しく、低く、軽蔑されていて、恥ずべき器とされている。しかしそれは最も必要不可欠な器だ! それは、社会の廃棄物、かす、誰も欲しくないくずであるそれらの 「ヒッピー達」や、そばに置いておきたくない 「がきども」や、彼らにしてみれば社会の公害とも言える者達を捕らえるのだ!

  35.私達は単に、彼らを捕らえるトイレにすぎず、彼らをフラッシュして流し、フィルターに通してきれいにし、蒸留し、再循環されるので、実際空気中に消えてしまうほどになり、蒸発してしまう!  「それらの子供達は全員どこへ行ってしまったのか?」と彼らは私達に尋ねる! あなた達はただ単に、彼らにこう言えば良い。 「彼らは蒸発してしまいました! 神は彼らを天国的な所へと蒸留されました!」と。

  36.私達はまた、彼らの頭の上に重くのしかかっている雲のようなものだ! ある者達にとっては私達はすがすがしくさせるものであり、祝福であるが、他の者達にとっては滅亡の嵐であり、呪いである!私達はある者達にとっては救いを与える者達であり、他の者達には滅亡を与える者達である! 彼らの子供達は再び新しく、きれいで、清く、祝福された雨へと再循環されるのであり、私達のトイレを通ってきた廃棄物が雨になり、彼らの以前の家には嵐や洪水となるが、ほとんどはすがすがしい雨となる!

  37.私のビジョンでは、花瓶は、主によって怒りの内に、荒々しく棚からほおりだされる。まるで主はその花瓶が教会のようにそんなにも美しく、またそんなにも役に立たずにそこに置かれているのが好きではなかったかのように! 主はそれを壊し、泥の中で踏みつけるのを好まれ、その泥の中からオマルやトイレや、家の中で最も見下された器を造られるが、それらは最も役に立ち、必要不可欠なのだ!

  38.あなたは、立派でも、役に立たず、単なる飾り物でしかない花瓶か、それとも醜いが、役に立ち、必要不可欠なトイレか? あなたは喜んで社会の廃棄物を捕らえ、神の御子の力によって彼らを再循環させ、きれいで、すがすがしい、清い雨にしたいだろうか? もしそうでないなら、一つだけ確かなことがある。あなたには決して私達の雨、神の雨を止めることはできないということである!

  39.トイレは便座であるが、それは王座にもなりえる! 私達全員は、神の王座になりえる! トイレである私達全員は、神の王座になり得る!−−神も私達の上にお座りになる! そして知っているだろうか?−−神が私達の上にお座りになる時、私達は神の王座となる! 神は卑しい便座を王座にされる! 他の者達は私達を汚し、汚くするが、神は私達を栄光に満ちた者とされる! 入っていく物が汚すのではなく、出て来る物が汚す! 知っているだろうか?−−すべてのトイレのタンクから神の新鮮できれいな水が出て来て、人間の汚物を洗い流す!

  40.あなたは、喜んでイエスのためのトイレとなる気持ちがあるだろうか?−−私のように!−−私はトイレである!−−あなたは?