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選択! GP238  1973年5月

 

  1.神は、神の子供であるあなた達が、神の御心の範囲内で自分で選択をするのを好まれると聞くと、あなた達は驚くかもしれない! あなた達が、何よりも主にあって喜びをなし、主の御心をしたいと思っているのを私は知っている。だが、私達がそうするなら、今度は、私達の心の願いをかなえて下さるのが主の喜びとなるのだ。なぜなら、私達が主を喜ばしている時、そうした願いを私達の心に置くのは、主だからである! 私達が心を尽くして主を愛しているなら、こうした個人的な願望は、たいてい正しいものである。なぜなら、私達は主を喜ばすことだけを望むからだ。だから、物事におけるあなた達の個人的な願望は、神の御心と大いに関連がある。神は私達に、私達が望むもの、私達が信仰を持っているものを与えて下さる!

  2.だが、 「疑いがある時は、するな!」 なぜなら、 「すべて信仰によらないことは罪」だからである。しかし、心の中で、何かが神の御心だと真に確信があるなら、誰が何と言おうとそれをすべきだ! だが、心の中でそれは神の御心ではないと確信しているなら、誰が何と言おうと、それをすべきではない! だが、確かでないなら、確実にはわからないなら、ある事が神の御心だということがまだ確実とされていないなら、もちろん、そういう不確かな場合にするべき最善の事とは、主があなたに御心かどうかを示して下さるまで、主を待つことだ。

  3.待っている間は、主がそう言われたのでないなら、誰にも、それは主からだから、それをして構わないとか、そうするのが主の御心だとか言わせないように。ただ、私は主の御心を知るために主を待っているところだと言ってやりなさい。何でも可能である。神には何でも不可能なことはなく、信ずる者には何でもできるからである。しかし、あなた自身が確信を持っていなければならず、単に他の人達によって影響されているのではいけない。主から受け取った、あなた自身の願いでなければならない。そういう場合は、それが神からのものなのだ。

  4.時間は良いテストになる。だから私は、あなた達が自分の思い、心、神の御心に関して、確信が持てるまで待つ事を強く勧める。パウロがローマ14章で言っているように 「各自はそれぞれ心の中で確信を持っておるべきである。」 私は、主があなた達に示して下さると知っている。私は、そういうことをただ義務感だけからするのが良いとは思わない。人の心に拘わる場合は尚更である。その場合は、多くの真の愛、個人的な愛がなければならず、また神の仕事に対する愛もなければならない。単に義務感だけではいけないのだ。もしそれが神の御心なら、神が私達に、こうした愛、つまり真の愛を与えて下さる。だが、そうした愛がなければ、心痛の種となるだけで、あなたも含めた多くの人達が傷つく事もある! だが、それが真の愛、神の愛であるなら、何があってもそれを乗り越える。その間、私なら確信が持てるまで主を待つであろう。

  5.自分の決断は、あなた自身が下さねばならない。あなたが個人的に選択をしなければならず、決断はあなたに、あなただけにかかっているのだ。誰も、神でさえも、あなたの為に決断をする事はできない!

  6.神が、普通の人間である私達一人一人に、良いことであれ、悪いことであれ、個人的に選択するという偉大なる権利を授けて下さったのは、神の御心、計画の神秘的なところである! そして、奇妙な事だと思う人もいるかもしれないが、主の御心の内にある幾つかの選択の対象の中から、私達に何かを選ばせ、それが私達の心の願いであるなら、それを私達に与えるのは、主にとって喜びなのだ。私達が、安全で子供にとって良いおもちゃの中から、自分の子供達に自分でおもちゃを選ばせるようなものだ。人々は、神についてこのことを理解していないようだ。神は私達に、私達が自分で選んだものを与えるのがお好きなのだ。それが、私達にとって、また他の人達にとって悪いものでない限り。

  7.神は、あなたにとって良いものなら、何でもあなたの望むものを与えて下さる。なぜなら、神はあなたを愛しておられ、 「直く歩む者に良い物を拒まれることはない」からだ。それが、あなたや、関係している人達にとって良いものなら、神は喜んでそれをあなたに与えて下さる。時に神は、私達の心の願いをかなえて下さるものの、魂をやせ衰えさせられることもあるが。それは、私達に教訓を教え、私達が愚かな選択をしたことを示すためである。

  8.だから、一般的な意見と反対に、神はたいてい、私達のかわりに選択をされることはない! 私達が自分で選び、自分で神の御心を見いだし、御心を、つまり、私達や他の人達にとって何が最善かを知るために、御言葉の知識や個人的な体験を通して、神を熱心に求めなければならないのだ。神が私達をこの地上に置かれたのも、そのためである。私達がここにいるのは、神との個人的なつながりや、御言葉の知識、御心、神や他の人達への愛によって、いかに正しい選択をするかを学ぶためであり、それが、私達の主要な訓練である。私達は、自分が正しいと知っていることをし、自分が真実だと知っていることのために、喜んで生き、あるいは死ぬ覚悟でいなければならない!

  9.自分が正しいという確信を持ち、自分が正しいと知りなさい。そうしたら、構わず、正しいと知っている事をしなさい。誰かがするように言ったからそれをするのではなく、自分自身に、それが神の御心だという確信があり、多くの証人の口によって確かめられ、多くの導きやしるし、その他の実、証拠によって裏付けられたからするのだ。 「どうやって神の御心を見いだすか」のクラスにおいて示されたように。そのクラスを勉強し、従いなさい。それは、あなたが最善を知るのを助けるための、神の導きの言葉である。神は、あなたが自分で御心を捜して見いだすことを好まれる。そうすれば、あなたが御心を行なう時、あなたは、ひとかげりの疑いもなくそれが正しいことだと知っているからだ!

  10.自分の子供達や家族の事を考えてみなさい。彼らがあなたを愛し、あなたの言葉に従うことに喜びを見いだしている限り、あなたは、彼らを安全に健康に保つだけでなく、彼らを心から愛し、彼らを幸せにしたいと願っているので、あなたは、多くの事に関して、それが彼らにとって良いものであるなら、彼らに選択をさせさせする。神もあなたに対して同様であることを覚えておきなさい! あなたが主にあって喜びをなす限り、主はあなたに、望むことをし、望みを持ってほしいと思っておられ、あなたの心の願いをかなえられる! だがそれは、あなたの心の願いでなければならず、誰か他の人の心の願いではいけない。あなたの選択でなければならず、他の人がしてくれた選択ではいけないのだ。

  11.神があなた達を祝福し、守られ、あなた達が主と主の愛にあって、そして主の子供達に仕えることにおいて、喜びをなしていることで、神があなた達の心の願いをすべてかなえて下さるように! 私達は心からあなた達を愛しており、あなた達が、自分の選択が主の御心であると知ることができるよう、熱心にあなた達のために祈っている。

  12.扉は今開いている! あなた自身の、愛に基づく自由な選択に従って、望むところに歩いて行きなさい! あなた達にそれを与えるのは、主の喜びである! 恐れるな、小さい群れよ、御国を下さることは、あなたがたの父の喜びなのである! あなた達がどんな役割を選ぼうと、あなた達は王の家に大歓迎なのだ! あなた達の望むことは、神にあってなされる。主が、そして私が知りたいことは、あなた達が、自分自身で選択をしているということである!