DB533

 

一員となる! GP 208   1973年3月

 

  1.あなたが、自分の奉仕しているフィールドに滞在し続けることができ、そして、神があなたを、そのフィールドで証しをし続けるよう導いておられる限り、そのフィールドの言語を、自分にできる限り学ぶことは、確かにあなたの役に立つと思う。もし、あなたが証ししている人達の国の言葉や風習、文化や歴史、宗教や性格、国民性などを学ぶ努力を少しもしないのなら、その人達を愛しているとは言えないだろう。それらは、その国の人達の一部分なのだ。その国民の性質や、彼らがどのような人達なのかということに、誠実な愛のこもった関心を示さないなら、私達に残された期間内に、彼らのことを完全に理解したり、彼らに手を延ばして実を結ぶことは期待できないだろう。

  2.すべての真に忠実な宣教師の成功の秘訣は、これだった。国民と一体化しようと真に努力すること、神の愛の真の見本を示すこと、人々が理解することのできるはっきりした主のメッセージを教えること、彼らの言語を学び、彼らの習慣を身につけ、彼らの服装を着、彼らの食べる物を食べ、時には、市民権まで取ること。そして何よりもまして、彼らを知り、良く理解しようと努力するだけでなく、イエスがしたように、実際に彼らの一員となることである! イエスは、彼らの霊的な必要を満たしただけではなく、彼らの肉体的、物質的な必要をも満たすために多くの時間を費やされ、彼らが病気の時は癒され、空腹の時には養い、彼らのためにご自分の人生や愛を捧げられたのだ!

  3.私は、まだ小さかった時でさえ、すべての宣教師が宣教先で市民権を取るべきで、その国の習慣や言語、服装を取り入れ、そして自分が仕えている相手の国民の中から妻をめとり、子供をもうけるべきだと思っていた。自分が仕えている国の人達を好きでもなく、その国の一員となって彼らの習慣を取り入れる事を拒み、そして、その国の人と結婚したり、自分の子供にその国の人と結婚させたり、その国の教育を受けさせたり、自分達のいるフィールドの人々の習慣や言語を学ばせたりするなど、もってのほかだと考えているような宣教師には、常に疑問を感じていたものだった。もしその国民を本当に愛しているなら、彼らの一員となり、彼らと結婚したり、自分の息子や娘を、彼らと結婚させたりするだろう。自分の子供を故郷に送り帰して教育を受けさせ、自分が仕えているフィールドの人と自分の子供が恋に陥るのには絶対に反対している宣教師達や休暇で故郷に帰るのが待ち遠しく、できるなら、幾度も帰りたいと思っている宣教師達がいるが、そんなのを私は宣教師だとは考えない!

  4.しかし、フィールドに行ってその国民の一員となり、ルツがナオミの為にしたように、その国を故郷と呼び、その国の人達を同士とみなし、生まれ育ってきて、一度は故郷と呼んだ生まれ故郷に戻る気持ちをきっぱり捨てて、今住んでいる国と国民を愛し、神の御心でない限り、離れたいとは思わない宣教師−−彼らと共に住み、彼らを愛し、彼らのようになり、その人達を離れない宣教師こそ、私の考えるところの宣教師である。−−それは結婚なのだ!−−永遠の!−−そうしてはどうだ?−−イエスはそうされた! そしてもう一つ、最後に、前にあげた点に劣らず大切なことは、人々のために死ぬことだ!−−そういったことをする宣教師こそ、私は宣教師だとみなす。そして、神も同じように考えておられるようだ。神は、そういうことをさせる為に、ご自分の御子を送られたのだから。そういったことこそ、イエスが私達のためにされたことだった!−−私達は、それ以下の事をして満足しているべきだろうか? 神は、たったひとりの子を与えられ、イエスはたった一つの自分の命を与えられ、私達の為に生きられた。私達と共に、又、私達の同士として。そして、私達の為に死んで下さったのだ!

  5.しかし、それだけではなかった!−−彼は、私達の中に住み、ご自分の力によって、私達の代わりに、全てなさらなければならなかった!−−土壇場にくると、神ご自身からの、聖霊の超自然的な奇跡を行う力だけが、真に事を為すことができ、真に人々の心を勝ち取り、人々に決断させ、新しく造られた者として、つまり神の御国の新しい市民として生まれ変わらせる事ができる! ただ神だけが、これをすることができる−−しかし、人々はまず最初に、神が私達の内でそれをなさるのを見る必要がある! ムーディは、 「世界の人々が読む唯一の聖書は、靴の革で結ばれた聖書、つまり、あなたと私なのだ!」と言っていた。人々は、私達の人生にこの奇跡をなす力を見ることが必要なのだ。生きた誠実な見本、それが起こる事は可能だという証明を! これが私達の主要な証しなのだ!

  6. 「私が上げられる時には、すべての人を私のところに引き寄せるであろう!」とイエスが言われたことは、今でも変わらない真実だということを、私は確信している。たとえ、国や、肌の色や信条の違いが何であっても、すべての人々はみな同じなのだ! 人々の心は、世界中どこにいっても同じだ。悩みや、悲しみ、罪、傷み、そして死への恐れは、すべての人に共通している! 神は、人間の渇望、愛、主の真実と神を求める心、喜び、幸せ、精神の平和を求める心を創造され、それが世界中の人々の共通の願いなのだ!

  7.この同じメッセージ、方法、愛、力、救い、イエス、神が、どのような言語でも、どのような国にも、どのような人々にも、共通して、通じるということを私達は発見した! この御言葉が真実で、力があり、心を動かすものだということは、どこにいっても変わらず、この聖霊が威力があり、全力であり、愛に溢れているということは、一つの国だけではなく、すべての国で証明されるだろう!

  8.ともあれ、私達は、幾人かを救うために、すべての人に対して、すべての人のようにならなくてはならない! それだから、アプローチの仕方には、それぞれに全く違いがあるのだ。ローマ人にはローマ人のように、ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように、そして日本人には日本人のように! それは、コミュニケーションの問題であって、その土地の人々が理解できるような表現や言語や、仕草さえも使って、私達のメッセージをわかりやすくし、私達の証しを理解しやすくし、私達の生き方を理解できるものにするということなのだ。そうするのは、特定の文化や言語を持った国々や特定の状況下においては、つまり、特定のタブーや反対意見や、特定の宗教、特定の政府、特定の習慣や育った環境、特定の物の考え方を持っている場所では、より一層難しいことかもしれない。

  9.だから、私達は奉仕している国民の一員となるだけでなく、できるだけ、その国民について学ぶ必要がある。事実、その国民について学ぶのは、彼らの一員となるためであり、彼らのわかる言語で真のコミュニケーションを持つことができるようになるためである。そしてそうすれば、彼らはしっかりと鮮明にメッセージを理解することができるのだ。

  10.けれども、多くの宣教師が実証してきたように、私は、私達がすべてを学ぶまでは証しを始める事ができないとは思わない。インドをパイオニアした有名な宣教師は初め、その国の言語の、 「私はあなたを愛しています。神はあなたを愛しています。」という2つの文しか知らなかったが、あの暗黒の地に、キリスト教の信仰の力強い高まりを引き起こしたのだ!−−もちろん、彼がこれを成し遂げた頃には、知っている言葉はこの2つの文だけではなかったと思うが!

  11.勿論、言語を学ぶことに全時間を過ごし、証しをおろそかにするような事はしてほしくはない。証しに必要だと思う全ての事を学ぶまでは、証しができないと思うよりは、場合によっては、今あなたを必要としている所に行き、少しでもいいから、知っている限りの言葉を使う事によって、より多く学べ、より成果をあげる事ができるだろう。私の親戚の者は、ブラジル人の話す言葉を2年かかって学んだのだが、彼らの子供達は、その2年間で、ブラジルの子供達と遊びながら、もっと多くのブラシル語を学び、両親の通訳をしてあげるようになったのだ!  12.だから、あなた達は、必要不可欠な言語だけを学ぶのに、ごく最小限の時間を費やし、ほとんどの時間は、奇跡を生む愛や、命、霊、音楽、神の力を使って証しをすることに費やしてくれるようにと、願っている! 私達が国の言語で文書を出すことに、最大の努力を払うべきだと信じている! 兵士は、弾丸がどのようにして作られたかは知らなくても、的にあてる為に、どのようにして発砲するかだけ学べばいいのだ! 国の言語で印刷された文書は、誰の手によってでも発射することができる!−−しかし、その弾丸を作る人が必要なのだ!