DB518

 

 攻撃!   GP 171  1972年6月

 

  1.恐れとは、なかなか興味深い課題である! 恐れには多くの驚くべき要素がある! そして、それを言葉にし、分析しようとするまでは、多くの恐れが潜在意識の中にあるということに気付かない! 恐れについて話すのを恐れるというのは、恐れの内でも最悪の恐れの一つだと思う。なぜなら、自分が恐れていることを告白するというのは、本当に、自分の内面−−全ての人に、そして最も愛する人にさえも隠している部分−−をあらわにするということだからだ! それは自分自身からも隠そうとしている部分である。なぜなら、実際に、自分が恐れている事について考えることさえ恐れているからだ。あなたが、自分は恐れているということを自分自身に告白したいとさえ思わないのは、それをすると、自分が臆病者だと認めることになるからである。そして、自分が暴露されるのを恐れていて、自分が臆病者だと告白したくないのだ、と私は思う!

  2.多分、それは病気のようなものだろう。自分がその病気にかかっていて、その症状が現れない限りは、あまりその治療法を見つけることはできない。それは、隠れていて、不潔で、それが罪の結果だとわかっているために、自分がかかっていると告白するのを恥じている病気の一つだ。正直になってみれば、自分の恐れは、疑いの結果であるということがわかる。たいてい、疑いは不従順の結果であるか、または、不従順や失敗を恐れているためだ。失敗に対する恐れ、過去の失敗に対する恐れや将来に失敗するのではないかという恐れである!

  3.失敗に対する恐れというのは、多分、誰でも持つ可能性のある最も大きな恐れの一つだと思う! 人生や愛や仕事や主において失敗することの恐れが! もし、神に対して失敗するなら、それはクリスチャンにとって最悪のことだと思う。そして、多分、二番目にくるのは、他の人に対して失敗すること以外にないと私は思う。なぜなら、神が自分を許して下さるのはわかっているが、他の人には、許すことは難しいからである! 自分の失敗のゆえに他の人を傷つけることへの恐れ、他の人をがっかりさせ、失望させることへの恐れ、彼らの信仰を傷つけ、幻滅させることへの恐れ、彼らを落胆させることへの恐れ−−それは、自分の失敗のゆえに他の人も失敗するのではないかという恐れである!−−これは、最も堪え難いことである! そして、自分自身にさえ認めたくないような恐れだ!

  4.自分に対して失敗する事の恐れは、最も下だ! ある意味で、それは、自分についての真実に直面することへの恐れだ! しかし、自分の恐れを直視することはとても役に立つ。というのも、自分の恐れを直視することによって、それが真実なのか、それとも単なる恐れであって、悪魔の嘘にすぎないか区別がつくからだ!

  5.12歳くらいだった時、私はちらしを配っていたが、ある庭に入り、その後ろにある家に行こうとすると、なんと、裏庭のほうから、巨大なグレートデンが出てきた時のことを私は忘れない。その犬は、激しくほえ、うなりながら、全速力で飛ぶようにして私の方に向かってきたのだ。私は、 「もうだめだ!」 と思った。私には、犬に背を向けて逃げるような真似をすれば、犬は絶対にかみついてくるとわかっていたものの、その犬は私が対決するには少しばかり大きすぎた。私はその犬の縄張りに侵入していたのだった!

  6.そこで神に感謝する事に、私は、主に呼び求める事を思い出した。そして、それ以来、人間にもやってきたようなことを私はやった!私は、突然その犬に向かって手を突き出し、 「イエスの御名によっておまえを制する!」 とどなったのだ−−すると、何とその犬は急に止まった! 犬は急ブレーキをかけて止まり、全く仰天しているようだった!そして、しっぽを巻いて走って逃げて行った!

  7.だから、自分の恐れを直視し、それを認める−−告白さえする−−だけでなく、特に主の御言葉からの約束を言い、主の力と御霊の内に、それに対抗して積極的な行動をすることも、とても素晴らしい結果を生む!

  8.悪魔や悪鬼や、悪や罪や病気など存在しないとか言って、ただ事実を無視しようとするのは良い結果を生まない! それはまるで、自分が実際に病気にかかっているのに、自分が病気である事を無視しようとするようなものだ。なぜなら、病気にかかっているのに、それを隠そうとしている限り、その治療法を見いだす事はあまりできないからだ!  9.あなたは、何が現実で何が想像か、つまり何が真実で何が嘘かを知らなければならない。なぜなら、それが現実の事なら、それは存在しないのだと自分に言い聞かせて、ただ目を閉じ、それがなくなって、自分が目を開けた時には、存在せず、ただ自分の想像にすぎなかったのだとわかることを望んでも、何にもならないからだ! そのような場合には、それを直視し、何らかの行動に出て、イニシァティブを取って、攻撃に出ることでその危険を取り除こうとすることが最善である!

  10.どんな戦略家でも知っているように、守勢にまわっていては戦闘に勝利することは不可能だ! 戦闘で守勢にまわれば、敗北する運命にある! 戦闘で勝つためには、攻撃に出なくてはならない。攻撃する側にならなくてはならないのだ! そして敵をがく然とさせねばならない! あなたが先手を取らなくてはならない! 積極的にならなくてはいけない! あなたが攻撃に出て、侵略し、圧倒しなくてはならない! ただじっとしていて、敵が攻撃し、侵略してきた時に、それを阻止しようとしてもだめだ。そんなことをしても、敵は結局あなたを圧倒してしまうだろう。

  11.奇襲作戦やゲリラ作戦が、人数がかなり少なく、ほんの少しの兵士しかいないのに、かなりの成功を収めている理由は、彼らが、突然、思いもよらぬ場所で、敵の最も弱い部分に奇襲攻撃をかけて大きな損害を与えるからである! 敵を攻撃し、敵が何が起こったかに気づきさえする前に、つまり敵が反撃するチャンスをつかむ前に逃げるのだ。あなたは攻撃の時と場所を選び、一瞬の攻撃をして、出てきた時と同じぐらいに素早くその場から逃げ去るのだ。ちょうど、小さなダビデとゴリアテのように、一人のゲリラが全軍隊に挑戦したように。又、ゲリラ集団が全軍隊に挑戦した、ギデオンとその小さな部隊のように。又、二人のゲリラが全軍隊に挑戦した、ヨナタンとそのよろい持ちのように!そして、神があなたと共にいるなら、あなたがどんなに小さくとも負ける事などありえない! ヨナタンは、その攻撃の時にこう言っている。「神は、人数の多い少ないには制限されない!」 −−サムエル記上14:6.

  12.だから自分の恐れを直視し、自分が恐れていることを認め、現実か現実でないのか、真実か嘘なのかを判断し、その実態のない架空の作り話を追い散らし、真の脅威となっ

ている正真正銘の現実を追い出すために攻撃に出なくてはならない!

  13.私達は霊の内で戦争をしている。そして、私達の武器は肉のものではなく、霊的なものであって、要塞をも破壊するほど強力なものである! これは、あなたが敵の要塞を攻撃し、それをめちゃめちゃに破壊し、反対勢力を壊滅させていることを表している! イエスは、教会について、マタイ16:18でこう言われた。「黄泉の門もそれに打ち勝つ (堪える) ことはできない!」

  14.それは、教会が門を堅く閉ざして、敵が攻撃する間、しっかりと立っている状況を表現しているのではない。キリストが描いておられたのは、教会が地獄の門に総攻撃をかけている間、地獄がその門を堅く閉ざしており、神の教会を通して神の力が地獄にのしかかっているために、地獄の門が、くずれかかっているという情景だったのだ!

  15.ちょうど、あなた達が伝道に出かける時のようだ。あなた達は、悪魔の領地の真っ只中の、その要塞の中に入るのだから! あなたが攻撃をかけていて、あなたが時と場所を選び、あなたが先制攻撃をし、突然の奇襲攻撃によって敵を圧倒しているので、敵はそれが終わるまで、一体何が起こったのかさえわからないことがよくある! あなたはやって来て、敵を攻撃し、敵を傷つけ、敵が態勢を立て直したり、反撃しようとする前に、または、警察を呼んだり、あなたをどうしようかと決める前に、敵の捕虜を何人か連れ去ってしまうのだ! なぜなら、あなたはやって来て、状況を見て、征服したからだ! そして、あまりにも強く敵を攻撃したので、敵は、あなたがいなくなる前に回復するひまもなかった!

  16.あなたが次に何をするか、敵には決してわからない! 敵には、あなたが次にどんな手を使うかわからず、守勢にまわらざるをえない! 突然の一撃で、敵はよろめき、ふらふらしているので、あなたに攻撃しようと態勢を立て直すひまがなく、自分の身を守るので精一杯である! このような方法で、小さなゲリラ部隊や奇襲部隊は、数において彼らよりも圧倒的にまさって通常の軍隊をも寄せつけないのだ! そして、絶えず守勢に回っている軍隊は、決して勝利を収めることはない!

  17.勝ち負けのない戦争などというものは存在しない! 勝つか負けるかのどちらかだ! そして、もし勝っていないなら、あなたは負けている!

  18.それは、昔、町を包囲して攻め取っていたのにそっくりだ。時には、町が完全に敵の軍隊に包囲され、回りの世界から遮断され、援軍や供給もないまま、数年持ちこたえることもあったが、最終的には、食糧も人員も弾薬もなくなって、すっかり弱くなり衰退してしまった。一方、敵はただそこに座って、忍耐強く待つだけで、攻撃する必要さえなかった。町は攻撃していなかったからだ!

  19.ただじっとしていると、あなたは弱くなる! 教会が何世代にも渡ってしてきたように、何もしないでいると弱くなってしまう。もう自分を守ることさえできなくなってしまい、攻撃に出ることなどとても考えられない。その一方で、敵は攻撃する度に、行動と侵入行為と動きと侵略によってどんどん強くなる! しかし、あなたは、鉄格子の門と閉ざされた扉の向こうで、その目を閉ざして、誤った安心感を抱いており、陣地をそれ以上獲得することなしに、現在自分の持っているものだけにしっかりしがみついていようと願っている!

  20.攻撃せず、防御しかしないために撃ち破られることもありえる! 決して防御する側になってはいけない! 決して、彼らばかりにしゃべらせ、質問させ、答えを言わせていてはいけない! 彼らに神の御言葉をぶつけてやりなさい! 彼らの状態を調べ、彼らのよろいの裂け目、彼らの守りの弱点を見つけなさい。それから御霊の剣で攻撃をかけるのだ! 彼らに守勢に回らせられてはいけない。さもないと、敗北があなたを待っている!

  21.確かに、死傷者も出るだろう! 確かに損害もあるだろう!確かに負傷もするだろう! しかし、私達は勝つ! 私達が負ける事などありえないからだ! 神が私達の味方だから、それは不可能だ! そして、私達は攻撃する側にある! 動き続けている! 攻撃している!行動的だ! 何かをやって、達成している! ただ話すだけでなく行動をしている! 説教ではなく手本となっている! ただの理論家ではなく、行動家である! 人々を救い、変え、征服している!

  22.私達が成功している大きな理由の一つは、私達が、事実を直視するのを恐れなかったことだった。ありのままに言い、核心をついているからだ! 私達は、宗教の夢の世界をさまようことを拒み、嵐に向かって立つ木や、洪水に向かってそびえる岩のように立ち、攻撃に移る!

  23.私達は、事実を直視し、恐れを直視し、偽善に対して−−彼らの嘘に対して、彼らのごまかしや惑わしに対して−−宣戦布告をした。主が、真理と主の真の教会を建てることができるよう、そこにある偽りのものを破壊し、投げ倒し、根こそぎにすることを決意している!活発に、攻撃的に行うことを! ハレルヤ!  「キリストの兵士達よ、前進せよ。イエスの十字架と共に、主の戦いで、前進せよ!」

  24.主は強い者を辱めるために弱い者を選び、無に等しい者を、まるで力ある者であるかのように選ばれた! 神は無から何かを−−あなたや私を−−造られた! 「権勢によらず、能力によらず」 、 「信仰による恵みによるのである!」 そして、地獄の門は私達に打ち勝つことができない! ハレルヤ!

  25.さあ行こう! 攻撃! 負けることはない! なぜなら、彼らは戦い方を知らないからだ! 彼らには正しい種類の武器もなく、事実を直視していない! 彼らは真実を知らない!

  26.敵に立ち向かいなさい! 敵を攻撃せよ!  「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、敵はあなたから逃げ去る!」 主をほめたたえよ! 神の御言葉の約束に立ち、神の御霊の力によって人を恐れることに立ち向かいなさい! そうすれば、敗北することはありえない! 神をほめたたえよ!