DB515

 

他の羊! GP 167  1972年6月

 

  1.神の子供の革命が広がり始めるにつれ、アメリカの若者の間での、このキリストへの信仰の大リバイバルの結果として、他の、若者のジーザス・ピープル・グループ、革命的クリスチャン達もまた増えてきた。そのほとんどは、それを乗っ取ろうとする教会の企てにもかかわらず、未だに教会とかかわってはいない。

  2.独立しているジーザス・ピープル・グループの大半が、古い教会体制や、その薄汚れた群れ、よぼよぼの羊とニセ者か雇われ者の羊飼いに戻るのを好まない。彼らは、私達と同様に、教会にはうんざりしている! しかし、彼らは、神の子供とその狂信ぶりについて、あらゆる種類のぞっとするような話を聞かされているので、私達に加わるのも恐れている。

  3.彼らの中には、私達が一体どんなものかを見るために訪問しに来るほど飢えていた者達もいたが、私達自身の弟子達が過度の排他主義とクリスチャン的でない非寛容さと愛の欠如を示し、彼らに、私達はメンバー以外は、クリスチャンでも神の子供でもないと思っているという印象を与えてしまった! これは明らかに誤っていて、非クリスチャン的で、冷たい態度だった。そのために、私達は、フェローシップやリーダーシップの欠如という彼らの問題に対する答えではないと、彼らの多くが考えるようになってしまった。

  4.これは全く悲劇的だ。なぜなら彼らの多くは、他のジーザス・ピープルの軽薄さにがっかりし、気落ちし、幻滅して、次第に教会に戻って行ったか、以前のわだちに戻り、主に仕えるのを完全にあきらめてしまったかのどれかだったからだ。そうなってしまったのも、現代の若者のジーザス・ピープル運動の中で、ダイナミックなリーダーシップと、結束したフェローシップと、世界大の福音計画を提供できる大規模なグループは、私達をおいては他にないからだ!

  5.外部の多くの権威者や、私達の友人、さらには私達の敵も認めているように、今日のジーザス・ピープル運動の中で、高度に組織され、厳格な訓練をし、教義のことで結束し、団結して導かれており、闘志満々の革新主義で、急速に成長している、よく統合し、調和した集団は、私達だけだからだ!

  6.この問題について祈っていた時、主は私に、接近している嵐のせいで次第に暗くなっている中、高い柵があって、しっかりと門が閉ざされている羊の囲いの中で、忠実な良い羊飼いのもとに沢山の羊達が安全に暮らしているという絵を示された。しかし、その囲いの外には、この囲いには属しておらず、山腹に散らされている、とても沢山の、羊飼いのいないおびえた羊達がいた。そして、遠くで狼達がさまよえる羊の群れを襲い、また、暴風が吹き始めて、どんどん暗くなってきたので、その多くが共に保護を求めて、私達の柵の近くに群がってさえいた。

  7.しかし、私達の柵はとても高く、門も堅く閉ざされていたので、この哀れな、さまよえる小さな羊達は、中に入ることも、私達に加わることもできず、私達の近くにいさえすれば何とか守られるのではないかと願っているかのように、哀れな様子で、外に集まっているだけだった。羊飼いのいた羊達でさえ、私達のところから追い払われたため、嵐から身を守るのにそれほど安全でない避難所に避難しようとしていた。牧羊犬が、神の御霊のように、彼らを私達の囲いへと導こうとしていたのに、羊飼い達が彼らを追い払い、私達の羊飼いの何人かまでがそれをしていた!

  8.愛する者達よ、このようであるべきではない! 私達は、妥協している、弱々しい、何もしない教会教に反対して、あまりにも急進的に反乱を起こしたために、あまりにも極端に走りすぎている。だから、私達の中には、私達自身の教義や実践のことで、非常に排他的で、独善的になり、自分達が絶対正しいという確信を持ちすぎたために、存在しているクリスチャンは私達だけで、人が私達に属していない限り救われていないし、私達に加わらない限りは神に仕えているクリスチャンとは言えない、という考えを持つようになってしまった人々もいるようだ!これは、悪魔の極悪な嘘である!

  9.世界中には、教会の内でも外でも、真に救われていて、主を愛し、他の人が救われるのを見ようと望む人々が沢山いる! あなたは彼らを兄弟と思うのか? それとも異端者と思うのか? 姉妹と思うのか? それとも淫婦と思うのか? あなたは彼らを愛と憐れみをこめて見、彼らを優しく愛して勝ち取り、神の最高の囲いである、私達の囲いに入れてやろうとしているだろうか? それとも、彼らをののしり、叱り飛ばし、非難し、 「体制人」や 「淫婦のメンバー」だとして追い払ってしまうのだろうか!

  10.世界には他に、ものすごく多くのクリスチャンがいる。真に生まれ変わり、主を心から愛する主の子供達で、主の愛を他の人と分かち合うために、自分の知っている方法で最善を尽くしており、多くの人は、証しや魂を勝ち取ることまでして、自分の知っている方法で最大限に主に仕えている! 一体どうしてあなた達は、彼らがクリスチャンでないとか、神に仕えていないと非難できるのか?

  11.他のクリスチャン達は世界で最高ではないかもしれない。もっとやるべきであり、もっとやれるはずなのに、それほどよく主に仕えていないかもしれない。しかしだからといって、彼らが救われていないとか、イエスに仕えていないとかいうことでは全くない! あなた達が、私達の囲いから来ていないこれらの 「他の羊」 に対して、そのような態度を持っているなら、あなた達は全く誤っている! イエスでさえ、弟子達が、自分達の小さな仲間のメンバーでない誰かが、イエスの御名によって宣べ伝えるのを止めさせるようイエスに求めた時、弟子達の、その排他主義的で、我汝よりも清しとする独善的な態度を叱責された!

  12.イエスは弟子達に言われた。 「わたしに反対しない者はわたしの味方である!」  そしてあなた達の内の、 「中立者はいない」 主義の人々は、その聖句をも学ぶ必要がある! イエスはまた、美しい 「良き羊飼い」 の章、ヨハネ10章でも言われた。 「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう!」 あなた達は、その章を勉強し、良き羊飼いがご自分の羊に対してどれほど愛情を持っておられ、まだ囲いの中にいない他の羊達に対してもどれほど深い愛情をこめて彼らを求めておられたかを知る必要がある!

  13.主は、柵をそんなに高くし、門を狭くして、彼らが入ってこれないようにされたりはしなかった。主は、99匹を安全な囲いの中に残して、ご自分で、迷った羊達を捜しに山に行かれさえする。その多くは、ニセ羊飼いのもとで、ニセの囲いから出られなくなったり、この世のいばらで身動きできなくなってしまったり、ぼーっとして道もわからぬままさまよっている。中には、他の誠実な羊飼いのもとにいながら、なお正しい囲いを見つけようとしている羊もいる!

  14.しばらく前に、主は、多くの人は私達に習うものの、実際に加わりはしないだろうと預言された。その人達は、仲間となりフェローシップをするが、すべてを捨てて、中に入ることはしないのである。イザヤ4:1 の中で、彼らは私達にすがるけれども、自分達のパンを食べ、自分達の着物を着て、 「ただ、あなたの名によって呼ばれることを許して下さい」 と彼らは言うと、主は言われた! もしスリルがほしいなら、その章の全部を読みなさい!

  15.私はすでに、多くの外部者を準メンバーや友人として受け入れる必要があると言った。私は、私達に興味を持っているジーザス・ピープルに対しても同じようにすることを提案させてもらいたい。彼らとのフェローシップを歓迎し、私達の文書や歌や弟子の訪問や親切なもてなしやテープなどを彼らと分け合い、彼らがイエスと他の人々を愛している限り、彼らを兄弟と呼ぶこと! そして、教義上の議論や非難、糾弾は禁止! 愛は決して失敗に終わらない!

  16.私達は過去に非常に極端だった! 他の人々を半分のところまで引っ張ってくるために、極端に走らなくてはならなかったのだ! 私達は、聖句にある理想がうまくいくことを証明してきた! 以下の点を証明してきたのだ! それは、現在の教会体制に属さなくとも真の弟子や、より良いクリスチャンになれるということである。私達は、すべてを捨て、すべてを分け合い、共に暮らし、神を第一におき、全時間、神に仕え、自分達のすべての必要を主が満たして下さると信仰によって信頼することによって、今でもイエスの最初の弟子達のように生き、宣べ伝え、信じることができ、彼らのように証しし、魂を勝ち取り、仕事を成し遂げられるのだということを証明してきた!

  17.だから私達はもう、その事については議論しなくていいはずだ。私達の生活や業績によって、その事は証明されている! 今、私達は、自分達くらいのレベルまで来ていないが、それに到達しようとしている人に対して−−さらには、おそらくできる限りはやってみたが、もう年を取りすぎていて変わることができないか手遅れなので、決してそれ以上は行きそうにもない人達、特に年配の世代に対しても、もう少し寛大で、寛容で、忍耐強く、優しくあり、彼らを許してあげることもできるようになる必要がある! もしそのような人達が私達のことを気に入っていて、私達を助けたいかフェローシップを取りたいと思っているなら、私達は彼らを、現在の彼らの状態のまま、友人や準メンバーとして受け入れるべきだ。

  18.彼らは、私達が何を信じているか、どのように生活しているか、何を成し遂げてきたかを知っている。そのことは、ありとあらゆる新聞に載ったし、どのテレビ画面にも出たし、沢山の雑誌にも載った。私達は、頭ごなしに自分達の文書などで彼らを攻撃したり、彼らにそれを無理矢理飲み込ませようとしなくとも、彼らに私達の文書や教訓や歌などを分け合い続けることができる! 私達は自分達が正しいことを証明してきた! 彼らはそれを受け入れてもいいし、拒否してもいい。彼らに無理矢理受け入れさせようとするつもりはない! 私達はただ、彼らに愛と忍耐と良い手本−−説教ではなく−−を示し、彼らが真実の光を見るようにと願うだけだ!

  19.あなた達の中には、パウロがユダヤ人の会堂に入って、福音を伝えた時、彼は仲間のユダヤ人を 「兄弟達」 と呼び、 「狼」 や 「まむしの子ら」 と呼ばなかったということを忘れている人達がいる。そう呼んでいたら、パウロはそれほどメッセージを広めることはできなかっただろう! パウロは彼らを優しく愛して勝ち取ろうとしたのであって、彼らをしかり飛ばしはしなかった。そして、そのように賢く振る舞ったために、大抵は、会衆の半分が彼を拒絶し彼をほうり出そうとする頃には、会衆のもう半分を自分の側につけ、彼らと一緒にそこを立ち去るまでになっていた! それから彼は、その信奉者の一人の家に行き、そこで証しを続け、新しい兄弟達を教え、彼らの信仰を強め、彼らを導く長老を任命し、とうとう彼の反対派が騒ぎを起こして、彼がその町から追い出される頃には、もうその町には、新しい信者の優れたグループができていたのだ! 私達がパウロの手本に従えるよう、私は神に願う!

  20.私達を見に来るようにと、ジーザス・ピープルを招く事もできる。彼らが来ても、その場で、私達の永遠の救いの説明や聖書の預言の解釈を受け入れないなら、ドアの所でしかり飛ばすのではなく、彼らが私達を訪問して、私達のミーティングやクラスでフェローシップをし、私達の愛を幸福と教義の良い見本を見れるようにするのだ。私達はそのような論争の種になる話題を避け、彼らが患難期後のラプチャー、更には欽定訳聖書を信じていようといまいと、むしろ主にあっての兄弟愛や魂が救われるのを見たいという共通の願いを強調すべきである!

  21. 「信仰の弱い者を受け入れなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。‥‥食べる者は食べない者を軽んじてはならない‥‥神は彼を受け入れて下さったのであるから。他人のしもべをさばくあなたはいったい何者であるか?‥‥主は彼を立たせることができるからである。‥‥各自はそれぞれ心の中で確信を持っておるべきである(彼に無理に強いるな!)‥‥わたしたちひとりびとりは神に対して自分の言いひらきをするのである。それゆえ、今後わたしたちは、互いにさばき合うことをやめよう。‥‥あなたの肉 (訳注:強い教義)によってその人を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも死なれたのである。」  (ローマ12章) イエスは言われた。 「わたしに来る者をわたしは拒みはしない。」 −−ヨハネ6:37。もしかすると、私達は以前兄弟だった人達をバックスライダーではなく、 「卒業生」 と呼ぶことによって、彼らを勝ち取ることさえできるかもしれない!

  22.私達の最初の伝道の学校では、一つのコースか課程を終わった後で、もし学生が学校を続けていくのを望まなかったり、その学生に合っていなかったり、もっと高いリーダーシップのレベルまで続けていく能力に欠けていたりして家に帰るのを望むなら、私達は彼らを 「バックスライダー」 などと呼んで、ののしりや脅しの言葉を浴びせて送り返すようなことはせず、 「卒業生」 と呼んで、彼が全力を尽くしたことを示すために、卒業証明書と私達の祝福を与えて家に帰らせた。そして、彼は全時間の宣教活動には適していなかったものの、私達は、彼が家で、または仕事で、または教会で、もっと良いクリスチャンや、主のための良き証し人となることを願った。

  23.その結果、沢山の 「卒業生」 が、私達の友人や協力者となり、彼らは、私達とフェローシップを続け、私達のために祈り、その後何年にも渡って私達を援助さえした。そして、中には、後になって戻ってきて、主に仕え始めた人達もいた。

  24.今日の私達も同じことをしてはどうだろうか? 以下のような人々を持ってはどうだろうか?  (1) 弟子−−フルタイムのメンバー。私達の訓練を受け、全時間に渡り、私達と主に100%仕えている人。 (2) 卒業生−−自分にやれると思うところまでやったが、私達の種類の生き方や宣教活動には適していないと考え、家に戻り、できるだけ主に仕えることを願っている人。 (3) 準メンバー−−自分がすべてを捨てて、私達にジョインできるとは思わないが、できるだけ私達を助ける人。 (4) 友人−−この人達は救われてさえいないかもしれないが、私達の仕事が気に入っていて、私達を支持し、助けてくれる人。

  25.このような人達の多くが、どこの教会にも行っておらず、フェローシップもなく、どこかに、何かに属したいと思っている。だから、私達は、彼らが外に住んでいても、彼らが私達の一員であって、ファミリーの一員なんだと感じることができるよう、何らかの種類のメンバーシップ証明書を与えてもいいかもしれない。体制人は、このたぐいのことに慣らされているから、私達のミーティングにも、教会に行くような感じで来ることができるし、献金皿に献金を置くような感じで私達に与えることができる。私達はこのような人々のために、以上のような目的で、少なくとも毎週一回は特別なミーティングを開くべきだ。そのミーティングは、音楽、明るい良い歌、テスティモニー、みんなにがんばろうという気を起こさせる教えがいっぱいのミーティングだが、衝撃的な事柄を交える必要はない。彼らに、ベーブやGP向けの、より軽いレターを読むことさえできる! そして、彼らが出る時に見過ごすことのないよう、ドアのそばに献金箱を置くか、献金皿を回すかするとよいだろう。彼らはこのようなことに慣れているから!

  26.初期の弟子だけが唯一のクリスチャンではなかった! 当時も沢山のパートタイム・メンバーや、隠れた信者がいたし、アリマタヤのヨセフやニコデモやガマリエルなどのような、ただのクリスチャン支持者の友人さえいた。そして、結婚式に出た5人の思慮深い女たちは一体誰だったろうか? 彼女達はみんな花嫁だったろうか? それとも彼女達は、花嫁の下女だっただろうか? 主は私達を、 「シオンの娘たちの内で最も美しい者」 と呼ばれたが、唯一の娘とは言われなかった!

  27.準メンバー、又は準ホームになるのに、私達がおもに要求しているものは、私達皆をキリストの体として和合させるもの、つまり、神と他の人への愛だけである。そして、救われていて、たとえ自分の時間の大半を証しや魂を勝ち取るために費やすことはできなくとも、それをすることが非常に重要なことだと信じていて、実際に私達とフェローシップするのを望むことだ!

  28.友人には、私達のすべての外部の友人や両親、ビジネスマンなどを含めることができ、救われているいないにかかわらず、また、他の教会のメンバーか否かにかかわらず、私達を支持し、好意的で、私達を助けさえするかもしれない人達である。友人達はすべてを捨てていないかも知れないが、彼らは与えられる限り与えてきた。しかし、私達は彼らに霊的に奉仕することに忠実ではなかったし、彼らをフェローシップをしたり、彼らにクラスやモー・レターも与えてこなかった。

  29.愛する者達よ、ベーブ向けのモー・レターは、大抵外部の友人にも良い! だから、私達の準メンバーや友人の内の何人かにもそれを読ませてもいいはずだ。各々の人の成長の度合いに応じて選びなさい。

  30.ただこれを覚えておきなさい。どんな革命も、外部の友人なしには、やってこれなかったということを! どの革命にも、その革命を助けていた、パトロンや援助者や協力者がいた。彼らは、喜んでであれ、しぶしぶであれ、体制の一員であったのだ。もし私達があまりにも排他的になって、外部の準メンバーや友人を除外し、彼らの協力や友情を軽んじ、彼らは献身が足りないなどと言って軽蔑して、彼らとのフェローシップを拒否するなら、私達は決して大きな成功をすることはない。私達には、そのような王や女王や大物や判事や未亡人や年金受給者などが必要だ。何にもまして、彼らの祈りが必要なのだ!

  31.−−もしあなた達が、私達は、彼らのお金は必要なく、彼らの助けなしでもやっていけると思っているほど、愚かにも独立的なら、あなた達は間違っている! あなた達はお金の為には働いていないかもしれないが、生きていく為や主の仕事を達成する為には、沢山のお金が必要になる! 中には、資金不足で、現在打撃を受け、障害を負っているホームがある。それは、彼らが横柄で、高慢で、思い上がった、傲慢で独立的な態度を取っている為に、自分達の友人や王や女王や他の協力者の気を害し、ちゃんとその人達に奉仕していないからだ。もしその人達が物質的に私達に奉仕してくれるのなら、あなた達には、彼らに励ましや霊感やフェローシップを与えて、彼らに霊的に奉仕する義務がある。そうしないなら、あなた達は決して多くのことを成し遂げないだろう!いつまでたっても、「セクト」、つまり小さな分派でしかないだろう!

  32.そして、あなた達の中で、忌ま忌ましいほど独善的で、我汝よりも清しで、聖人ぶっていて、水の洗礼やすべてを捨てることや聖書の預言のような、やたらと細かく、論争の的になる神学的な教義のことでパリサイ人のようにしている人達にも同じことが言える。あなた達の多くは、そんな小さな事柄についてひたすら議論しようとするばかりで、彼らに、イエスと証しという、クリスチャンなら誰でも同意できるような事柄を通して彼らとフェローシップしなかったために、人々をさっさと追い払って敵にしてしまった! あなた達は、彼らが私達の生き方を認めるか、実際にそのように生きるようにと、言い張ったり、強く求めなくとも、主にあって彼らとフェローシップしたり、証しや魂を勝ち取ろうと一緒に働くことができる! 信じがたいことかもしれないが! ガーンときただろう! 古いビン達!

  33.この話を与えている時に、私達は突然、霊の内で、異言とその解釈を受け取った。 「主よ、私達が、ダビデの言葉に耳を傾ける者達にもっと憐れみ深くあるよう助けて下さい!」 それは、私達よりもはるかに遅れているように見えても、自分にできる限り最大限に従おうとしている人達に対して、私達はできるだけ憐れみと忍耐を持つべきだという意味だと私は思う。

  34.私達は、この啓示が、 「他の羊」 が私達と共に住んでいなくとも、彼らをもっとフェローシップに入れてやり、同情と忍耐と理解をこめて接し、主のぶどう畑で共に働く者として、私達の腕と心の中に迎え入れてやることもさしていると話し合っていた時、私は主に、これは寛大すぎるのでは、寛容すぎるのではないですかと尋ねた。すると主は即座に、ずっと前の、私達がまだ始まったばかりの頃にカリフォルニアで与えられた、イザヤ54章の聖句を私達に思い起こさせられた。

  35. 「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張り広げ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。あなたは右に左に広がり、あなたの子孫は諸々の国を得、荒れすたれた町々をも住民で満たすからだ。」 ハレルヤ! もし、主が私に、前進せよというこの命令の預言を思い起こして下さらなかったなら、私達の歴史の中で、私は信仰の一歩を踏み出すのをよくためらっていた事だろう!  36.広げる為にはもっと陣地を獲得しなくてはならない。幕を張り広げるにはもっと住まいを、つまりホームを増やさなくてはならない。綱を長くするにはけちけちしていてはいけない。そして杭を強固にするには、本当にそれをしっかりと打ち込み、あなたのホームを堅固なものにしなくてはならない。残りの部分は明らかだ。もしこれらの事を行うなら、至る所で栄え、世界を勝ち取り、それを征服している事だろう!

  37.私はまた、グランドマザーのお気に入りの詩も思い出した。 「彼は私を閉め出す円を描いた。でも私は、彼を中に入れる円を描いた!」 愛する者達よ、これを、主の 「他の羊」 に対してもできないだろうか? 主は、私達を中に

入れるために、わざわざ地獄にまで行かれた! もし 「他の羊」 が主の声に耳を傾けるなら、彼らが私達の囲いに入るのを許してはどうだろうか? アァメン?