DB511

 

ハッピーになろう! GP159 1972年4月

 

  1.私達には皆、良いユーモアのセンスが必要だ!  「快活な心は、薬のようによく効く!」 神は、私達をユーモアのセンスや、おかしな事を笑う能力を与えてお造りになった。だから、私はきっと、神御自身ユーモアのセンスを持っておられるに違いないと思う。特に、神がお造りになったものの幾つかや、ある人々や、彼らが入り込むのを神がお許しになるおかしな状況などを見る時には、なおさらである。ユーモアのセンスというのは、深刻な状況のおかしな面を見ることができ、物事があるべき状態にない時に笑うことのできる能力だ、と言った人がいた。

  2.ある事柄についてあまりにもまじめで真剣になり過ぎ、ある事柄、特に自分自身に関して、あまりにも真剣に受け止めすぎてしまうということがあり得る! 自分自身や自分のバカな間違いを見て笑える能力というのは助けであり、あなたを謙虚に保つのを助けてくれる。でも、自分自身の間違いを笑ったり、他の人の間違いをユーモアのセンスをもって受け止めることのできない人は、あまりにもプライドが高すぎるか、人生をあまりにもまじめに考えているのだ。神は、私達が生きるのを楽しむようにと意図され、神御自身をも含めて、私達に人生を楽しむ能力や感覚や環境を与えて下さった。私達の人生の主要な目的は、マルチン・ルターが言ったように、 「神を愛し、神を永遠に楽しむこと」なのだ! そして私は、他の人に神の愛と、私達が共に生きる幸福な人生のことを告げて、他の人達も同じように神を愛し、神を楽しむのを助けることによって、彼らが人生を楽しむのを助けることもまた人生の主要な目的であると付け加えておこう!

  3.だから、神は、あなたに与えておられる人生をあなたが楽しみ、主を永遠に愛し、楽しみ、他の人達もまた同じことをするのを助けるために、あなたを造られたのである! 殉教者でさえ、悲しみながら死にはしなかった。彼らは歌を歌い、叫び、神を賛美しながら死んだのだった! 私達がなるべきものがあるとしたら、それは幸せな人々である。私達には、世界の誰よりも幸せであるための理由があるからだ!私達には、私達の重荷をすべて取り去り、私達の煩いを全部背負いこみ、私達の悲しみですら和らげてくれる幸福なイエスの愛があるからだ。そして、主に対する私達の奉仕についてでさえも、主は、主のくびきは負いやすく、主の荷は軽いと言っておられる。困難なのは、罪人の道である! もしあなたが、主のくびきがつらく、主の奉仕の重荷が負うにはあまりにも重いものであると思うなら、それは、もしかしたら、主に従わず、すべての煩いをイエスに委ねていないことによって、あなたが罪を犯しているからなのかもしれない。主はあなたを顧みられるからだ。 「あなたの荷を主に委ねよ。主はあなたをささえられる。」−−詩篇55:22。 あなたは、あまりにも多く行おうとし、あまりにも骨負って進もうとしているのだ! すべてを委ねて主に任せなさい! イエスにそれをやっていただきなさい! そんなにも激しく働き過ぎないように! あなたを通してただ主にそれをやっていただきなさい。もしかしたら、あなたは、神の力で神にやっていただくかわりに、自分の力で試み過ぎているのかもしれない! 私達は、クリスチャン努力協会ではない! 私達は 「クリスチャンの辛抱強い努力家」ではなく、 「主にやっていただく者たち」なのだ! 主なしには、私達は無であり、私達自身には全く何一つできないからだ!

  4.だから、自分の力でそんなにも試みることをやめなさい! すべてを委ねて、神に任せなさい! 気楽にやりなさい! 自分自身の力であまりにも激しく働くのをやめなさい! 自分自身をそんなにも真剣に受け止めるのをやめなさい! 立ち止まって、主を賛美し、何か成し遂げられることがあるなら、それは主があなたを通して働いて下さったからだということを知って、主のために何を為すにも、何を成し遂げるにも、自分自身はいかに弱く、滑稽で、無力であるかを笑うことである!

  5.だからリラックスしなさい! あなた自身の力でそんなにも試みることをやめなさい! 神はあなたが幸福であることを望んでおられるのだから! 元気を出しなさい! 物事ははるかにずっと悪くなり得るし、多分そうなることだろうが、そのことをどうして今心配する必要があるのか!  「明日のことを思い煩うな! 一日の苦労はその日だけで十分である!」 私達がもっとユーモアのセンスを持つべきだと手紙を書いてきた若者に、私は心から同意する。彼は、何かおかしな事、そして何よりも自分の事を笑うことができるべきだと書いてきた! 明日になったら重荷を負うことができるようにと、鉄の玉や鎖や親指の拷問具を付けて鍛えることはやめようと! 神は、そういうふうには物事をなさらない。神は、あなたが明日苦しむようになることに備えて、今日私達を鍛えさせるようなことはされないのだ。神はこう言われる、 「一日の苦労はその日一日だけで十分である!」 明日の準備をしようとして、あるいは明日のもっと多くの苦労に備えて、自分をもっとタフにしようとして、その日の苦労を増し加えてはならない! そうではなく、あなたは今日という日を楽しみ、問題が生じたら、その時その時に一つずつ解決していき、明日のことは、明日自身に思いわずらわせなさい! 「あなたの日に応じて、あなたは力を得るようになる」 神は、必要な時にその力を与えられ、試練のための恵みを与えられる! 必要な時に、それが訪れる時にであって、その前にではない! だから、そのことを心配してはならない! あなたが弱い時にこそ、あなたは強い。主の強さは、あなたの弱いところに完全に現れるからだ。主の恵みはあなたのために十分なものである。神は、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選ばれた。神はこれらの事を、知恵ある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわして下さった。あなたは幼な子にならなければならないのである!

  6.あなたは、あまりにもまじめになり、物事をあまりにも真剣に受け止めるのではなく、自分自身に、自分がいかに滑稽であるかに、おなかを抱えて大笑いすべきである。もし神が、あなたや私を使うことができるなら、バラムのろばでさえ用いることができるだろう!−−そして神は実際にそうされたのだった!−−あるいは、岩にさえ、叫び声を上げさせることさえも。−−そして神はそれをされたのだった! というのは、神はこれらの石を、アブラハムの子孫としたからだ! ハレルヤ!

  7.だから、神のゆえに、神の仕事のゆえに、あなた自身のために、そして、特に、あなたの回りにいる人達のために、それほどにも激しく試みたり、自分をあまりにも真剣に受け止めるのをやめなさい! 神が助けて下さらなければ、私達は決して成功することはないだろう!だからこそ、神は私達を選ばれたのだ! そして、だからこそ人々は驚くのであり、私達を見て、私達がこれらの事を行えるのは、私達がイエスと共にいた者たちだからこそ、ということがわかるのである! かつての恐ろしいヒッピーから、今日の、主まかせのイエス気違いに私達の人生を変えてくれたのが神の奇跡であるということを、彼らは知っているのである!

  8.あなた自身に大笑いし、すべては神があなたを通して行って下さっているのだということを認めなさい! 私はかつて、チベットの、福音を禁じられていた国で、25年間福音を宣べ伝えた、愛すべき、年老いた宣教師を知っていたが、彼の謙遜さや慈悲深さ、快活で陽気な霊に感心してしまったのだった。私は、彼が何と偉大な人で、何と偉大な仕事を行い、有名になっていても当然であるのにと思った。だが、彼はそこにいた若者たちのために、私と一緒に皿洗いをしていたのだった。そこで私は、彼なら知っているに違いないと思われた質問をしたのだ。私自身宣教師になる計画をしていたからだ。私は尋ねた。 「宣教師には一体何が最も必要だと思いますか?」 私は、彼のはるかに上回った知恵と何年間もの莫大な経験から、厳粛で重々しい答えを期待していた。だから、流しの中にあった彼の手をやすめ、いたずらっぽいほほ笑みを浮かべて私を見つめて、ただ単に 「ユーモアのセンスですよ!−−泣きたい気持ちになっている時に笑えることです!」と言った時に、私がどれだけショックを受けたかが、想像できるだろう! 彼は、最も恐ろしい、ぎょっとさせられるような状況の殆ど耐え難い緊張の下で、大笑いすることは、しばしば、彼らの命や彼らの気力を救ってくれたも同然だったと言ったのだった! 結局のところ、もし主がどうにかして世話して下さることを知っているなら、あなたは、それがいかに不可能な状況であり、いかに滑稽な状況であるかに、ほほ笑んだり、笑う余裕が出て来るのである! 神が奇跡を行わなければならないことがわかるからだ! だから、そのことを笑ってはどうか?

  9.神は、事を私達の期待とは違った方法で、多くの場合、私達にとっては全く滑稽で、不可能に見え、あからさまにおかしな方法で、ただ神の力を示すために、つまり、神は状況や伝統や風習や体制やどんな種類の不可能な条件にも縛られてはいないことを示すために、そのような方法で事を行うのが好きである! 神が物事を行われる方法は、本当におかしなものだ! 特に私達を使っておられるということは! 世界の人々にとっては、私達は全くのお笑いぐさであって、彼らは私達を笑いにくるのである。けれども、しばしば泣いてしまうことがある。なぜなら、自分達は私達と同じくらい幸福ではなく、心の中では、私達の方が、主のための幸福な人生や奉仕において、もっと大きく笑っているからだ!

  10.私が知っている中でも、最も偉大な魂の獲得者で、御霊の驚くべき賜物を持ち、神が力強い奇跡を行って下さった聖徒がいるとするなら、それは私の母であった! しかも彼女は、私の知っている女性の中でも最もおかしな人だった! 私達に絶えず腹を抱えさせ、時には、彼女のおどけた仕草や風変わりな事、ぼんやりしたところ、ユーモアのセンスに、私達は文字通り笑い転げたものだった! 彼女自身に関するおかしな冗談ほど、彼女が楽しんだものはなかった! 彼女はよくこう言ったものだ、 「誰か私みたいな滑稽な人を使って、神に何がおできになるかを示すために、神は私のことをこんなにもおかしく造られたのでしょう!」

  11.だが、私達には、笑うこと以外にもすべき事がある! けれども、お願いだから、それらを行う間にも、笑っておくれ! そして、何よりも、グランドマザーのように、自分自身に笑い、自分に関するおかしな冗談を飛ばすことができるように。なぜなら、あなたは、神が造られた中でも最もおかしなものであって、あなたはこれ以上滑稽であることはできない程だからだ! この若者が雑誌で、いくらかの冗談に対する必要について私に書いたように、 「私達にはもう少しのユーモアが必要だ!」

  12.ユーモアは確かにあなたが謙虚になるのを助けてくれる! 自分のことでおかしな冗談を言って、笑い物になることほど、私達がひどく自己正義でくそまじめになったりしないよう助けてくれるものはない! ひどく自己正義でくそまじめだと、自分についてのおかしな冗談を笑うこともできず、自分達がひどくおかしく、全く冗談みたいな存在で、神が私達を見て大笑いされるということに気づきもしない。そして、神が、私達を使ってどんなことをなさっているか、そしてこの取るに足らない愚かな若者を使って、神がいかに全世界を揺り動しておられるかがわからないのだ! 神が私達を使って全世界を揺り動かされているなんて、何という冗談なのか! 私達は何てお笑いぐさなんだ!

  13.だから、神のために、あなたの愚かな独善主義のプライドをたたき壊して、自分のことを笑ってはどうか。あなた達を通じてそのすべてを行なっているのは神だけであるのに、自分が世界を救うことができると考えるなんて、自分は何と愚かで滑稽なのかと。それによって神は、神の愚かさが人の知恵にさえ勝るということを示そうとしておられるのだ。あなたの問題を見て大笑いしなさい! それはあなたにとって良いことだし、神もそれを好まれる。そのことは、あなたが心配していず、なお神に信頼していることを示しているからだ!

  14.私達は皆、良い笑いが必要だ! ユーモアのセンスを持ちなさい! 良いユーモアで謙虚な態度を保ちなさい! 自分のことを笑いなさい! ただそれをやり過ぎないように! すべての事には時があるからだ。笑うに時があり、泣くに時があり、すべての事に時がある。だが、私達の涙を通してもほほ笑むことができるようになろうではないか。雲の切れ目から出てくる太陽の光線というものは、雨の最中の方がもっと美しいものだ。悲しみや陰うつさばかりではなく、もっと多くの太陽光線と笑いを持とう! 人々にあまりにも多くの地獄を与えるのではなく、もう少しの天国を与えよう!  「笑いなさい、そうすれば、世界もあなた達と一緒に笑うだろう!−−泣くなら、あなたは一人で泣くのだ!」

  15.世界は、地獄を十分に知り尽くしている! 彼らにもう少し天国を見せてやろうではないか!−− 「愛と笑いと平和が永遠に続くのである」 そして、今日、あなたは自由になることができる! ハレルヤ! PTL! アーメン? 聖なる笑いを持とうではないか! 御霊の内に笑いなさい!  「喜び、喜べ、天におけるあなたがたの報いは大きいからだ!」

  16.だから、ハッピーになろう! アーメン? それとも、あなたはラバのジニーのように、強情で、いこじでいたいかもしれない。日曜日には遊ぶことを許されない、顔の長い (訳注:英語では、くそまじめといった意味もある)、教会に縛られた、非常に厳格な祖父の所で、 「だめ」や 「いけない」と言われることづくめの日曜日の後で、かわいそうなジョニーは、もの足りなそうに、納屋の前庭に出て行って、ジニーの長い鼻をなでながら、 「ジニー、おまえはよっぽど宗教的に違いないよ。おまえは、まるでおじいちゃんのように、こんなにも顔が長いんだもの!」−−それは教会の考える宗教というものだ!−−どうか私達がそういったものとならないように!