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70年間の終わりの時の預言!GP156  1972年3月

 

  1.主はエレミヤに、イスラエルの荒廃、つまりイスラエル捕囚が終わるまでどれくらいの年月があるかを告げられた。そして、それは、合計70年であった! そして1966年夏の、グランドマザーに与えられた預言の中では、主はこう告げられたのだった、 「天からの油注ぎによってダビデと唱えられる者に‥‥」「預言者エレミヤによって、荒廃の終わりが来る前に過ぎる年の数を知る力があなたに授けられた。」 その時、グランドマザーはダニエル9:22を預言で受け取り、その年の数がいくつであるかを述べたのであり、それは70だった!

  2.彼女の預言で主が言われようとしていたことは、ちょうど、エレミヤを通してダニエルに示されたのと同じ数の年を、主が私に示すようになるということだった。つまり、今日、あるいは近い将来に起きる荒廃の終わりまでの年数は、ダニエルの時代にエレミヤによって示されたのと同じだということであり、終末は、70年の終わり、すなわち荒廃の終わりに訪れるということなのだ。荒廃の終わりというのは、この時代の終わり、人類がたった今地上で行っている破壊の終わりのことである。もちろん、それに終止符を打つことができるのはキリストの来臨以外にはない!

  3. 「異邦人の時代」というレターの中で、主は、1970年の夏に、時の預言を与えて下さった。それにおいて、主は、私が非常に重い病気だった時に尋ねた私の質問に答えて、7回軽くたたくということを、特定の回数だけ繰り返されたのだった。 「私の生涯の日々は何年になるでしょうか?」 主は、7回軽くたたくということを初めに7回繰り返され、それから、意味深長な間隔をあけて、7回軽くたたくことが3回続いたのだった。言い換えれば、49年からなる期間の後に21年からなる期間が続き、合計70年になるということを示していた。そのことは、私の 「生涯の日々」が合計70年で、二つの期間に分かれていることを示しており、最初は49年で、それは明らかに1968年に終わった。それは、ハンチントンビーチのライトクラブで私達が革命を始めた年だった。その後に、21年の私の人生の期間が続くのであり、それは1989年に終わるのである!

  4.あなた達はまた、 「異邦人の時代」の啓示において、主が、異邦人の時代は1969年頃に終わったと述べられたのを覚えているかもしれない。それは、革命と、現代のイスラエルの子供達−−神の子供達−−の復興がフル回転で始まった頃だった! だが、この合計70年という預言が、もうすでに、1966年のグランドマザーの預言で約束されていたということは、今になるまで私には一度もひらめいたことがなかったのだった。1966年というのは、彼女が大混乱に関する警告の預言を受け取ったのと同じ年だ!

  5.そうなると、この70年という年数には、ただ私自身の生涯と仕事の長さという以上に、はるかにもっと大きな意味が出て来る。それは、明らかにまた、1966年にグランドマザーを通して主によって預言された70年の成就にもなるのだ。そして、それは、 「荒廃の終わりの前に過ぎる」のである! このことは、70年という期間の終わった後で、つまり、預言された私の生涯、 「私の生涯の日々」が終わる年の後に、世の終わりが来ることを主は意味されているように聞こえる。荒廃の終わりの前に、おそらくはその少し前に、70年が過ぎる、とあるからだ。

  6.私達に関する預言として主が与えて下さった二つのおもな詩篇は、68篇と89篇である。それは、偶然にも、私達のミニストリーの初めと終わりの年号−−1968年と1989年に一致する。また、もし1993年が主の来臨の年であるとするなら、詩篇93篇もまた確かに意味深長である。 「主は王となり」という言葉で始まり、全体的に、主が世を治めることを語っているからだ!

  7.私は、聖書の数字にはあまりこだわらない方だったが、確かに、これらのいくつかは、偶然以上のものである! マリヤは今詩篇49篇を調べてみたが、そこには、私達に関した意味あり気なことは、何もないようだった。だが、このことでさえ適切なのだ。なぜなら、私の人生の最初の49年というものは、私は無であって、あまり多くを成し遂げたようには思えないからだ。だが、彼女が21篇を開けた時、彼女は殆ど飛び上がりそうになった。それが、 「王」に関する、ダビデの詩篇の一つだからだ! そして、私達の現在のミニストリーの21年というものは、疑いもなく、私達の統治の年月である! そして、それは私達の敵が阻止することのできないものなのだ! ハレルヤ!

  8.だから、これらの預言が文字通りに受け取られるべきものであるならば、それらはまさに、大きなジグゾーパズルの小片のようにすべてがぴったりと合い、それらの年号に正確に一致し、私達の人生、私達のミニストリーの始まりとその長さ、私達の死、主の来臨の年までも描写してくれる。もし、それらの数字の解釈の仕方が正しいならば!

  9.主にとって難し過ぎることがあろうか? 確かに、これは主にとってはいとも簡単なことである! 主は、その他にも多くの意味深長な出来事を、それが起きる前に予告された。主は以前に、何度も御言葉や歴史の中で、そういった出来事の正確な年までも預言されたのだった。だから、主が私達、彼の終わりの時の子供達に、すべての時代の中でも最後の最も偉大な世代に対して、患難期の始まりや主御自身の来臨の年も含めて、来たるべき天地創造以来、最大の出来事の具体的な年や、正確な時を述べるべきではないという理由があるだろうか? なぜ、そうされないことがあろうか? それは可能なことだ!  「神には何でもできないことはありません。信じる者にはすべてが可能である!」−−これらの年数が、主によって述べられたという可能性さえもある!

  10.言い換えれば、もしこれらの予告の私達の解釈が正しいなら、1)神の真のイスラエル−−神の子供達−−の復興は1968年または1969年に始まった。2)私達はアンチキリスト及び彼が権力の座に就くことに関して、間もなく耳にし始めるはずであり、それが1980年代初めよりも遅れることはない。3)それゆえアンチキリストは、契約をだいたい1985年頃に結ぶことになる。4)それゆえ1985年は、ダニエルの70週目の始まりとなる。5)70週目は、世界史の最後の7年であり、アンチキリストの統治となる。6)そうすると患難期は、1989年の終わり頃に始まることになる。7)主の来臨は、正確にその3年半後、1993年の前半のいつかに起きることになる!

 

  11.要約:

1)1968-9年:異邦人の時代の終わり

2)1968-89年:神の子供における、イスラエルの残れる者たちの復興

3)1970年代後半、あるいは1980年代前半:アンチキリストが権力の座に台頭

4)1985年:アンチキリストによる契約の調印

5)1985年:ダニエルの70週目が始まる−−世界史の最後の7年

6)1989年:患難期始まる

7)1993年:イエスが来られる!

  12.だから、もうあまり長くはないのだ!−−私達、水瓶座の時代の主に従う者たちが、世界の人達にイエスの愛をもって手を伸ばすという仕事を終えるまでには、もうあまり長くはないのだ! 主の来臨のために、私達が働き、目を覚まして祈っていなければならないのも、もうあまり長くはないのである! アンチキリストの台頭と患難期、それに主の来臨までには、もうあまり長くはない! それゆえ、私達を遣わされた方の業を、昼の内に行おうではないか!

  13.ただどうか、私がこれらの日付を預言したと言い触らして歩かないでくれ。私はそれをしなかったからだ。−−主がされたのである! そして、この通りに事が起きなかったからといって、主を責めてはいけない! 主の預言を正しく解釈しなかったことで、私達を責めなさい。しかし、個人的には、これらの年号が、正確ではないにしても、極めて近いものであると、私は信じる方だ。そして例え何かの間違いがあったとしても、それは私達人間の理解力の弱さであって、神の失敗ではないのだ!

  14.だから、あなたの手を合わせて成功を願い続けるのではなく、イエスのための革命に対する断固とした敬礼をもって、その手を天に向かって伸ばしなさい。そして、それらの日々が実際に来るまで、忠実に主に仕え続けなさい。まさに最後まで。例え、それがいつどのように来ようとも! アーメン?

  15.私は、この70年間の預言と、その全部の意味や実際の年号が、なぜ、このつい最近の啓示があるまで、完全に私達に明らかにされなかったのか、その理由を主にたった今尋ねていたところだった。私は、 「主よ、なぜですか? なぜ今示されるのですか? どうしてですか? 中には、時期と場合を知ることは聖句に反したことだと言って、使徒行伝1:7 を引用し、 『それはあなたがたの知る限りではない。』と言う者がいることでしょう。」と尋ねたのだった。その通りだ。その時イエスが話していた者たちにとっては、主がいつイスラエルの王国を復興されるかという、彼らの尋ねていた質問の答えを知る必要はなかった。それは、私達の時代になるまで、起きることにはなっていなかったからだ! しかし、今、それは私達において成就されているのだ。それ故、私達にとっては、それを知り、認識して理解することが神の御心なのである!

  16.後に第一テサロニケなどでパウロが言っているように、 「しかし、兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書き送る必要はない。あなたがた自身がよく知っているように、主の日は近いからだ。」そして、彼は、幾つかの具体的な主の来臨のしるしを挙げている。もし私達が時期と場合を知ることを主が意図しておられなかったなら、なぜ主は、マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章、ヨハネ14章、使徒行伝1章、第一テサロニケ4章と5章、第二テサロニケ2章、第一テモテ4章、第二テモテ3章、第二ペテロ1章と3章、そして黙示録全体、同様に、歴史的な書と詩的な書、17の預言の書を含む旧約聖書にある数多くの預言を私達に与えられたのだろうか? そういったものは、預言や未来に関する具体的な予告以外の何ものでもないのである! もし神が、御自身の子供達に未来のことを何も知ってほしくなかったのであれば、神はそのことについて語ることによって、聖書の半分を無駄にされてしまったわけで、私達はそれを捨ててしまうべきである!

  17.だが、神は私達が知ることを望んでおられ、聖書のまさに最初の書の最初の章から、主はその事を語っておられ、天の星を 「しるしのため、季節のため、日のため、年のために」造られたとさえ言っておられる! そして、聖書全体を通じて、引き続き、数多くの、何千もの、具体的で明確な未来の預言を与えられ、時期と場合がいつ頃であるかや、こういった出来事の起きる正確な年号さえも時には与えられたのだった!

  18.主はしばしば、正確な年号を予告され、時には、その日と時間を告げられたこともあった! しかし、イエスは、御自身の来臨のことを語っておられた時に、自らこう言われた、 「しかし、その日と時とは、誰も知らない。」 主が使われた動詞の時制によれば、少なくともその当時は誰も知らなかったのであり、もしかしたら、それが実際に起きるまでは誰にもわからないという意味だったのかもしれない。しかし、主は、私達が時期と場合とを知ることはないだろうとは言われなかったのであり、主御自身がその来臨について何度も預言されたのだった。主は、私達が主の来臨の年や月や週を知ることができないとは言われなかった! 主はただ主の来臨の日と時間とは−−まだ−−知ることがないと言われただけだった!

  19.だから、来たるべき出来事の正確な年を知ることを私達に禁じる聖句は何もないのだ! 契約の年やそれが破られる時、イエスの第二の来臨の年を私達は知ることができないし、知ることもないと言っている聖句は聖書に一つもないのである! 事実、それに反して、終わりの時の極めて重要な最後の7年間の正確な年や月の数、さらには日の数に関しては、主は何度か極めて明白にされたのだった!

  20.なぜだろうか?−−ではなぜ、それらの出来事が近づくにつれて、主は私達が正確な年を知ることを望まれるのだろうか? 主はダニエルに、彼の預言した言葉が、 「終わりの時まで秘し、かつ封じておかれる」と言われた! そして、終わりの時には、あるいはそれが近づいた時には、明らかに、明確にされ、理解され、今日そうであるように、私達に対して封が開かれるのであり、そのことは、私達が終わりの時代に生きていることの、また別の証拠なのだ! これらの預言を理解するのは、ダニエルやその時代の人々にとっては不必要なことだった。それらが約2000年後の私達の時代になるまでは成就されないことになっていたからだ!

  21.しかし、終わりが臨もうとしているあなたがたには、それらを知る必要がある! あなた達は、今ここにいるからであり、それは、あなた達に対して起きているからだ!−−終わりは近い! それはあなた達に起きるようになる! あなた達は、こういったまさに終わりの時を通じて生きるようになるのである! あなた達は、これらの最後の力強い出来事を目撃し、世の最期の日々にあって世の人々に証しをするために選ばれた、神の子供達の生き残りなのだ! 今こそが、預言者たちの語った終わりの時なのである! あなた達こそ、すべての預言者たちが語り、その時代を夢に見た、まさにその世代、最後の世代なのだ!

  22.だから、何が起きるようになるか、誰に起きるようになるか、どこで起きるようになるか、どのように起きるようになるかだけではなく、いつ起きるようになるかもまた、神はあなた達が知ることを望んでおられるとは思わないか? イエス・キリストの来臨の前に正確に何年という年月しか残されていないと具体的に知ることは、あなたにどんな影響を与えるか? これらの事柄を知ることは、私達にとってどんな影響を持つべきなのか? それは、私達に何らかの益になるだろうか? それは、あなたに、何かの益を為してくれるか?

  23.さて、それを知ることは確かに私にとって多くの益となった! それは、あなた達、あなた達のミニストリー、あなた達の未来、神のご計画におけるあなた達の非常に大きな重要性に関する私の確信を強めてくれた! まず何よりも、そのことは、もうすでに述べたように、今が終わりの時であるということを再び私に確信させてくれた。そして、イエスがマタイ24:34 で言われたように、あなた達こそ、これらの事がことごとく起こるまでは、滅びることのない最後の世代であるということを。その節でイエスは、これらの事、つまり主やすべての預言者たちが語ったしるしが、ことごとく起きるのを見る時代のことを言っておられた!

  24.また、これらの事を知ることで、私達は、私達の仕事が極めて重要であること、その仕事に極めて真剣にしっかりと取り組むべきであること、そして、この上ない緊急事態に取り組むという態度でその仕事をしなければならない、ということを心に銘記すべきだ! そのことはまた、私達が熱心に学び、広範囲に渡って暗記し、この全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝える私達の最後のチャンスに、徹底して証しをし、私達の仕事をくまなく、良く行うことが、いかに欠かせないことであるかを私達に気づかせてくれるはずである! 今は終わりの時なのだ! 私達は彼らの最後のチャンスなのであり、神が私達に与えて下さっているものを十分に生かした方がいいだろう! アーメン?

  25.これらの最後の日々が、あと数年しか続かないということにあなた達は気づいたか? あなた達の殆どは、ほんの30代か40代、つまり人生の最盛期にいるようになるのであって、アンチキリストや患難期の最後の日々において肉体的にも知的にも絶頂にあるのである! あなた達は、もし今と同様に力強い証し人であるなら、何年間もの聖書の勉強や、証し、純粋なフルタイムの弟子として真に信仰による生活を積んだ後では、どれだけ素晴らしい証し人となっているかに、気づくだろうか? もしあなた達が今進んでいる速さで進み続けるなら、その時までには、いかに勇敢なイエス・キリストの兵士になるか?

  26.あなた達の子供達は、その頃までには、情熱的な十代の預言者や福音伝道者−−地上における最強の力、世界にかつてなかったほどの最も力強い証し人になっているということにあなた達は気づいたか?道理で、彼らは、荒布を着て、黙示録11章にある預言者たちのように証しするようになるわけである!−−あなた達の中にはそれらの預言者になる者たちもいる−−つまり、患難の時を通じてまさにキリストの来臨の時まで、力強い奇跡を行なって、神の子供達の軍勢を導く二人の力強い証人に! ハレルヤ!

  27.だからあなた達は、今私達の子供達を育てることがいかに大切なことであるかわかるか? 彼らのしつけ、教えること、その実に素晴らしい未来において、子供達のために神が用意されている、この上ない仕事のために準備することが? 彼らは世界を支配するようになり、アンチキリストの勢力のすべてにも拘わらず、キリストのために世界を征服するようになるのだ! そして、黙示録9:4 によれば、彼らの中には、何者も傷つけたり、滅ぼしたりすることができない者たちがいるのである!

  28.道理で、 「自分の神を知る民は、堅く立って事を行ないます。民のうち賢い人は、多くの人を悟りに至らせます。」と言われているわけである! あなた達は、それらの恐ろしい日々を生き延び、神の力と御霊の知恵を持った証人となるのであり、神は今あなた達をそのために準備されているのである! もちろん、あなた達全員が生き延びることはないかもしれない。 「しばらくの間、やいばにかかり、火に焼かれ、捕らわれ、かすめられなどして倒れます。」とあるからだ。けれども、 「彼らは、その倒れる時、少しの助けを得ます。」というのは、これは、 「終わりの時までに、彼らを試し、清め、白くするためです。」PTL! 神は御自身の目的を果たしておられるのである!

  29.私達はまた、世界の教師にもなる。 「賢い人は、多くの人を導く。」とあるからだ。時がいかに短いかを知ることは、あなた達を、自分自身だけのために熱心に勉強したり、暗記したりするだけではなく、多くの人々に対するより良い証人となり、他の人達がまた他の人達に教え、その人達がまた他の人達に教えることができるように他の人達に教えられるようになりたいという気持ちにさせるはずである! この仕事には、どれだけ多くの教師やリーダーが必要とされることだろうか! そして、その準備をするのに、つまり、そのために彼らを準備するのに、一体どれだけ、少しの時間しか残されていないことだろうか!

  30.道理で神は、それがどれだけすぐに起きるようになるかを、正確に私達に告げておられ、私達にはあまり多くの時間が残されていないこと、忙しくし、仕事に取り掛からなければならないことを、告げておられるわけである。ある者たちのように、 「終わりの時に、あざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、 『主の来臨の約束はどうなったのか?−−先祖たちが眠りについてから、すべてのものは、天地創造の初めからそのままであって、変わっていない』」と言うことがないようにである! 神はあなた達もまた眠りに落ちてしまうことは望んでおられない!

  31.これらのことを知ることは、あなた達をぞくぞくさせ、励まし、霊感し、狂ったように働くように駆り立て、試験のための一夜づけをしているかのように勉強し、証しすることが流行遅れになるのを恐れるかのように証しするよう駆り立てるはずである! これらの事が、どれだけ早く起きるようになるかを知ること−−それらの事が明らかにもうすぐ起きるということを知ること−−正確な 「年の数を」知って、私達に残された時間が、いかに少ないかを知ることは、あなた達をして、あなた達が以前には決してしなかったように、またこれからも決してすることがない程に、祈ったり、勉強させたり、働いたり、証しさせたりするはずである! 今は全員にとって、証しに取り組み、終わらせる最後のチャンスである−−なぜなら、もう終点が近づきつつあるからだ!

  32.だから、あなたはそのことに関して何をするつもりなのか?あなたは、すべてが祈りに依存しているかのように祈り、すべてが働くことに依存しているかのように働き、すべてが学習することに依存しているかのように学習し、すべてがプロビジョンをすることに依存しているかのようにプロビジョンし、すべてが教えることに依存しているかのように教え、すべてが証しをすることに依存しているかのように証しするのか?−−それともあなたは、 「ああ、私達にはまだ何年も残っている! だから気楽にやろう!」と言うつもりなのか? あなたの時はもうすでに間近で、あなたはまもなくこの世から去るようになるのかもしれない。あなた達の中には最後まで生き延びることはない者達がいるからだ。全世界の現状を見ては、なおさらである! 主はあなたに、 「よくやった、良い忠実なしもべよ。」と、あなたに言うであろうか? もうあまり長くはない!