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霊感された歌と霊感されていない歌! DFO 92 1974年7月

 

  1.私達がカリフォルニアで小さなクラブを持っていて、私達の中の、スターになりたい人々が、一人で何時間もうなるのを主張していた時でさえも、どんなに上手な歌手であっても、一人の歌手が2、3曲以上歌うのに我慢できる人は誰もいないのだと言って、私はそのような事とその変化のない退屈さにストップをかけなければならなかった! そして私は、シンガーの歌える曲数を一人につき長い曲なら2曲、短いものは3曲までと限定して、この同じ調子がいつまでも続くのをやめさせたのである!

  2.誰でも変化が必要である! そしてバラエティーは人生に趣を与える。たとえその歌手がどんなに上手でも、伴奏がどんなに良くても、歌がどんなに良くても、同じ音楽か同じ歌手をいつも聞くことをみんなが望むわけではない。

  3.それらの歌の幾つかを聞いているとあの気違い病院の男の話を思い出す。なぜ頭を壁に打ち続けるのかと尋ねられたその男は、 「止めた時にとても気持ちがいいんだ!」 と答えたそうだ。何曲か聞いた後で私達が感じたのもそれと同じだった。それらの歌の幾つかは、あのひどいジャングル音楽と同じように、単調で、不調和な、数少ない同じ音符を終わることなく繰り返している! もう少し震える音があったら、ジャングル音楽と区別がほとんどつかなくなるだろう。その内のいくつかは軽薄で、うわべだけで、単調で、最悪なことには、あなたがたを真に感動させる種類の真の霊に欠けている! それには中身がない! すまないが!

  4.もし私達が革命をし、戦争を戦い、世界をものにしようと努力しているのでなかったら、私達は、あなたがたが演奏仲間と共に、彼らの子供じみた音楽を演奏するのを許すことだろう! しかし、あなた達は、今は私達と共に戦っているべきである。そしてメッセージを、自分の町や国だけでなく、世界に広めるために、あなた達をショー・ビジネスでやっていけるだけの質を持った本当のヒットにしようと助けてくれている王達を私達が助けるのに反対すべきでもない。だから、あなた達がこのような演奏をして、多くのトラブルを起こし、少しも役に立たない状態でいることを許す時間はないのだ!

  5.自分は何でも知っているという馬鹿げた考えから目を覚ませ! 自分達が、今苦労して入ろうとしているビジネスを、あなたがたは何も知ってはいない。何をすべきかを真に知っている王達より得られる助けは何でも必要なのだ! 彼らは、あなたがたが望むほど霊的ではないかもしれない。また常に、正しくないかもしれないが、ショー・ビジネスに関する限り、誤りを犯しやすいのは、彼らよりもあなたがたのほうである!

  6.売れないと彼らが信じるなら、おそらくそれは売れないだろう。これらの歌幾つかは売れないと彼らが言っていることに私は賛成する!−−また、私達の歌の幾つかでさえも、より良いものにするには基本的なメッセージを変えないという条件つきで、型か文脈を少し変える必要があるかもしれない。もし少しでも彼らがメッセージを入れたなら、私達はありがたく思う。もしヒットするなら、世界中へと届くからである。自分が尊敬を得ようと望んでいるのなら、王達への尊敬の気持ちも忘れてはいけない!

  7.歌は人を動かすものでなくてはならない! 人に何かをしたいという気持ちを起こさせなければならない。−−踊りたいとか、戦いたいとか、愛したいとか、泣きたいとか、あるいは何かをしたという気持ちを!私達のイエスのための革命の歌は、娯楽のためではない。それは、人々にメッセージに応答させるために歌われる。人々に何かの感情を呼び起こして、行動に出させるためのものである!

  8.しかし、もし人が覚えやすく、人の心をひくメロディーでないなら、良いメッセージでも与えることはできない。いかに立派なメッセージであっても、そのメロディーがアピールするものでなかったら、決して成功は望めないだろう。

  9.メロディーには、本当に感情を表現する特別な何かがある!−−メッセージも歌詞もないただのメロディーだけである。メロディー自体がメッセージも表現するからである! たとえ幸福な状況を歌った、楽しい歌詞の歌であっても、そのメロディーが絶望的な悲しみに満たされていたなら、その歌の目的は完全に失敗し、悲しく歌われるその歌を聞いた人々は、 「私はあなた達を心から信じることはできない。」 と言うことだろう。あなたの歌詞が、いかに幸福なものであれ、そのメロディーが歌詞にマッチしないなら、何かが誤っているのであって、人はその歌を偽善的なものと思うことだろう。

  10.大抵の人は、歌詞よりも、メロディーに大きな反応を示す。強烈なメロディーは、たとえ歌詞が貧弱であっても、立派にメッセージを人に伝えることができる。逆に、もし歌詞が人に訴え、人の心を捕らえ、その注意を引くようなものであれば、それはメロディーを補足し、高め、そのメロディーを一層強烈なものにする。しかし、もし歌詞がメロディーに合ったものでなかったら、メロディーが間違っているのであって、それを克服するために、強くて説得力のあるメロディーをつけなくてはならない。

  11.音楽のことを言うなら、メロディーこそ最も重要なものである。−−メロディー自体もメッセージでなければならない。−−メロディーそのものが、その歌のメッセージの感情もしくは情緒的な絵を描き上げていかなければならない。歌詞の内容が悲しいものであるなら、メロディーも悲しいものでなければならない。歌詞が喜びに満ちたものであれば、メロディーも喜びに満ちたものでなければならない。また歌詞が滑稽なものであれば、曲も滑稽なものでなければならない。

  12.真のインスピレーションというのは、私達が真の感情を持ち、それを言葉と音楽で表現する時に沸いてくる。この二つがそろって、私達を同じ方向に動かすだろう。悲しい繰り返し部分が入っている曲もあるけれど、それらの歌の中には快活なところがあり、希望のきざしのようなものがある。彼らの悲しみの暗い雲の上から、希望の陽光が差し込んでくるように。ワーズワースは言っている。時々、 「一番甘美な歌とは、ひどく悲しい思いを歌った歌のこと。最も誠実な笑いさえ、心の痛みを伴う笑いである。」

  13.このように、悲しい歌でも、甘美さと楽しい希望の光線−−希望のきざし−−幸福な結末−−問題に対する答−−を持つことができる。そうでなかったら、それには全然価値がなく、聴衆を前以上に暗い憂うつな淵に落とすので、世俗的な歌と同じになってしまう。しかし、私達の悲しい歌でさえも希望を与える。−−たとえば、「私は解放されるだろう。」、 「イエスは本当にあなたを愛している。」、「革命の叫び」、「今がその時」 などのように。

  14.このように、悲しみの歌は必ずしも全部悲しくある必要はなく、そのような歌でも、明るい調べ−−希望の光線−−で終わることができるのである! それは証しのようなものである−−誰かに、彼には救い主が必要だということを納得させるためには、その前に、彼が罪人であることを知らせなければならない。その時に、その方は一体誰かという幸福な答えを教えるのである。最初に、あなた達は 「災いだ、災いだ」 と叫ばなければならない。そして、それに 「イエスが救われる」 が続く。その時私達の歌は、この両方の最も良いところが組み合わさったものになる。

  15.私達がここで言おうとしていることは、幸福な歌詞には幸福なメロディーが必要であり、悲しい歌詞は悲しいメロディーで表現されなければならず、幸福な歌詞を悲しいメロディーで表現したり、あるいはその逆にすることはできないということである。しかし、悲しい歌−−悲しい歌詞と悲しいメロディーの歌でも−−幸福なメロディーをいくらか途中に入れたり、そのメロディーで終わったりすることができる。つまり、幸福な歌詞と幸福なメロディーの幸福な結末で終わることができるのである。

  16.今までに作られた流行歌の中には、大抵一つの文句が繰り返し出てくるのが多い−−人が覚えやすい、人の心を引きつける文句のようなものである。−−そして、その部分がその歌の主題になるようなものである。もし、ある歌に良い文句が一行あって、その一行が何回も繰り返されると、たとえ、霊感されているのがその一行だけであっても、その歌の他の部分がどうであろうと、その歌はヒットすることができる。

  17. 「幼な子にならないと!」 が成功した秘密の一つは、その一つの文句が繰り返し出てきて、それが人々の頭から離れず、忘れられないものになったからである! 歌の題をつける時は、人の心を引きつけるような題をつけるか、あるいはメッセージを持った題をつけるか、最も繰り返し出てくる文句を選ぶかのいずれかにすべきである。

  18.結局のところ、私達の歌の目的は、人に娯楽を与えることではない。そうではなくて、人が簡単に忘れ去ることのできないような理念かメッセージを心に植えつけることである。−−そして、それをする最善の方法は、メロディーと歌詞の両方を、人の心を捕らえるものにし、簡単に忘れられないようにすることである!

  19.説明がついていないとわからないようなもの、それは歌としては失敗である! 歌をヒット曲にし、それが持っているメッセージを広く伝えるのに成功するための要素は、そのメッセージを奏でるメロディーと、その詞全体に絶えず出てくる際立った繰り返し文句との組み合わせである−−その歌全体を通して盛り上がってきて、人の耳に訴えやすいところで特に強調されるものである。繰り返し、繰り返し、繰り返さなくてはならない! 人の感情に訴え、その人を行動に駆り立てるものは、その忘れられない一つの文句につきるのである! ハレルヤ!