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立ち止まり!‥見て!‥聞きなさい! GP 74  1971年5月

 

  1.主は、あなた達に決断することを教えようとしておられる。決断に至るための主要な原則の一つとは、「語り始めてはならない−−祈れ!」ということである。神は、あなたが少しの敬意を払うのを喜ばれる。祈りとは、ただ膝まずいてあなたの言い分を話すのではなく、神にも神の言いたいことを話していただく事なのだ! そして、主が答えて下さるまで待つということである! あなたは、祈りの内に入るだけではなく、御霊の内に入らなければならない。そして、もしあなたがそうしたなら、主はあなた達一人一人に、何をすべきかを語って下さるであろう。

  2.あなたは、主に語りかけることを学び、とりわけ主が語られることに耳を傾けることを学ぶ必要がある。王が自分の臣下を追いかけ回し、望み通りに彼らを働かせるために大声をあげたり、怒鳴ったりすることは王にふさわしいことではない。あなたのほうが静かに、敬意をもって王に近づき、誠意とおののきをもって願い事を述べ、そしてその回答を得るために沈黙して待つのである。あなたは、主を恐れ、尊び、敬い、王である主を王として扱うべきである。

  3.正しい事をしていると信仰によって知らない限り、たとえ私達が正しいことをしていたとしても、それは罪である。私達は、聖書の預言、証し、暗記などであまりにも忙しくしている。でも、もしあなたがどのように祈るかを知らないなら、御霊ではなく、律法の文字しか持っていないということになってしまう。あなたがどれだけ賜物を持っていても、私は気にしない。もしあなた達が常に主との接触を保っていないなら、困ったことになるであろう。しかし、祈りを聞き入れてもらうためには、狂気のように祈りながら、手をつき、膝をつく必要はないのである。祈りとは、たとえあなたが何をしていても、常に欠かさずにするものである。あれやこれが終わってから祈るということはできないのだ。祈りとは、行動しながら考えるようなものである!

  4.私はある時、私の祖父に、彼の演説の成功の秘訣を尋ねたことがあった。すると祖父は、 「ただ、前もってその話題について自分自身を一杯にするんだ。すると、聴衆の前に立った時、自然に心から話すことが出てくるんだよ。」 と話してくれた。これこそ祈りの秘訣である。祖父は、一体いつ自分の心を満たしたのか? 演説をするために演壇に立つ前に、彼は自分の心と頭を自分が知る必要のあることで満たしたのであった。心からあふれることを口が語るのである。あなたの心を一杯にするのだ。そうするなら、何を話すべきか、また何をすべきかを知るのに何も困ることがないであろう。時々、あなた達が走り回ったり、やきもきしたり、いらだったりして、一体何をしたらいいかわからず、主に尋ねることもしないのを見ると、私は実に腹が立つ。

  5.あなたが行動中で、静かになれない時もあるが−−その時は行動しながら祈らなければなららない。それは兵士が戦いに備えているようなものであり、静かな時があるべきである。正常な判断力のある兵士なら誰であれ、戦いの前と戦いのさなかに祈るであろう。しかし、主の戦いにおいては、あなたは前もってほとんどの戦法を用意しておくことになるのだ! パットン将軍のように。彼は、そのインスピレーションのほとんどを主から受けたのだと、私は確信している。彼は、おもにインスピレーションによって行動した。パットンは、自分の戦術と戦略がどのようになるかを、ずっと前に計画したものであった。そこで戦闘中に、時には第二の決断に迫られ、突然の計画の変更をしたが、大抵の場合それは、神が彼にずっと前に示して下さったものだった!

  6.あなた達がこんなにも騒がしくしている時に、一体どうやって主の御声を聞くことができるのか、私には見当がつかない! ずっと前、ハンティントン・ビーチにいた際、私はこう言った。 「あなた達は、サムエルを逆さにしたようだ。夜の静けさの中で主の御声を聞いた時、彼は、 『主よ、お話し下さい。あなたのしもべは聞いております!』 と言った。だが、ほとんどの人の祈り方は、 『主よ、お聞き下さい。あなたのしもべは語っております。』というものなのだ。」 ほとんどのクリスチャンは、神が言われることを聞くよりも、自分たちの言いたいことを神に聞いてもらうことにもっと関心を持っている。彼らは、自分のプログラムを神に差し出して、主の御名を自分のプログラムにサインしてもらおうと努めている。私はある時、ある人がこう言うのを聞いたことがある。 「主のサインを求めてあなたのプログラムを神に差し出すのではなく、さらにまたあなたのサインをするために、あなたのための神のプログラムを差し出してもらうのでもなく、−−あなたは神のプログラムがどんなものになるかを知らなくても、あなたは喜んで白紙にサインをし、神にその白紙に記入させるだろうか?」

  7.そのように走り回ったり、機械的にやっていると、−−もし注意しないなら−−もしもこのまま続行するなら、あなた達は他のすべての教会のようになってしまうであろう。 「ああ、ママ、子猫ちゃんがエンジンをかけっぱなしで眠ってしまったわ!」 と、あの小さな女の子が子猫について言ったように、あなた達は忙しく走り回り、それでもなお霊的には眠った状態でいるかもしれず、何事も果たせないかもしれない。空を打つ人のように! これは実に哀れなことであり、私は本当に心配しているのだ! なぜなら、あなた達が静かにして、主を求めようとしない限り、一体どのようにして主から何かを受けるつもりなのか!

   8.私が独りでいて、静かにしている時こそ、他のどんな方法よりももっと多くのものを主から受け取っていると私は心から確信している。なぜなら、主はあなただけに語りかけられるし、あなたは主に十分な注意と主にふさわしい尊敬の念を払うことができるからであり、またあなたは耳を傾けているからである。もしあなたが、部屋いっぱいの人々の間におり、テレビがついているなら、また、もし人々が声をあげて、テレビの音声をかき消すような声で話しているなら、たとえどれだけテレビの音量があがっていても、テレビの言っていることがわからないであろう。そして主は、テレビとは異なり、もしあなたが耳を傾けないなら、口を閉じてしまわれるのだ!

  9.私は、とても静かな子供であった。そして人を恐れていた。内向的で、恥ずかしがり屋だったのだ! おそらくそのために、主の御声をよく聞いたのであろう。いつも一人きりでいたので、いつもいろんなことを聞いていた。そして、今わかるのだが、主御自身が私を教えて下さっていたのだ! ほんの最近になって、私は他の人々とのフェローシップを楽しむことを学んだのであった。私は、主と二人だけでいるのが大好きだ。一人きりになり、静かにしていると、神の御声を明瞭に聞くことができるからだ。主は、静かな小さな声で、しかし、非常に明確で、非常にしっかりした、そして、非常に愛に満ちた声で話される。だが、もしあまりにも騒がしいと、あなたはその御声が聞こえないのだ! 多分、私達の子供たちは、祈り方を学ぶ必要があるだろう! あなたたちは、森の中で一人になれるはずだ。そして、一人で祈るために外へ出るべきだと考えるが、その森の中へ入ると、声を限りに大声で叫ぶ。確かに一人きりになったが、一人になる目的をぶち壊しているのだ。あなた自身が大声でわめくので、あなたは、主の御声を聞くことができないのだ。私が話しているのは、このたぐいの祈りではない。神はつんぼではない。あなたは、しばらく待たなければならず、そして、主があなたの祈りに答えて下さるかどうかを見るのである。すなわち、祈りを止め、静かにして、神の答えを待つのだ。あなた自身が、自分の気を散らすものになることさえある! 静かになり、主の御声を聞くために外へ出るのでなければ、外へ出る意味は全然ない!

  10.しかし、主の御声を本当に聞くことを望んでいるのなら、主はあなたに語りかけられるであろう。あなたたちが聞くことのできる唯一の機会は、腰を下ろし、静かにする時なのだ! 神は普通、大声をあげられない! 神があなたに大声をあげ始められる時にはもう遅すぎるのだ。神が、神の裁きを雷鳴のように告げ始められる時、それは、神がひどく立腹された時であり、それはもう遅すぎるのだ。ああ、あなたたちは、その時には静かになるだろう! その時には口を閉じ、よく聞くだろう。しかし、その時では少々遅すぎる。その叫び声に少しも注意を払わないなら、あなたたちはピシャリと打たれ、たたきふせられるだろう。そうしたら、あなたたちはやっと耳を傾けるだろう! 神が、そんなにも多くの人々を事故や病気や死別などでたたき伏せる必要があるのはこのためである。それは、耳を傾けさせるために、人々を十分長い間立ち止まらせるためである。

  11.主よ、あなたの御前に静かになり、耳を傾けるように私達を助けて下さい! 他の人々の口を閉じさせるだけではなく、私達自身を黙らせることを助けて下さい。もし、主と共にいくらかの静かな時間を持たないなら、あなたがどのようにしてやっていけるのか、私にはわからない!夜の静けさの内に一人きりでいて、すべてが完全に静かで、注意をそらすものが全くない時に、私は主からほとんどのことを受けるのである。もし夜中に目が覚めて、再び眠ることができないなら、この時こそそのための時間なのだと考えるのが普通である。しかし、もしあなたが眠れないなら、多分神はあなたに祈ることを望んでおられるのだ! 祈り終えるや否や、私は再びすぐに眠ってしまう!

  12.私が主より受けるほとんどの事に関して、誰一人として私が祈っていることを知らない。それは、主と私の間の秘密なのだ。 「あなたの押し入れに入り、戸を閉めよ。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 −−マタイ 6:6 さて、公に祈る時もある。グループで共に祈る時である。主の御前で、あなた達の心を団結させる時である。そして、集まった人達全員が静まれば、神はそこでも話して下さるであろう。

  13.ハンティントン・ビーチで、50人の人が手を取り合って輪を作り、立ったまま一言も話さずに、ただ待っているのを見て、人々はその光景を信じることができなかった。私達は、毎日毎晩、これをしたのであり、そして、神は答えて下さったのである。それは、私達が、ただそこに立ち尽くし、主から御声を聞くことを迫ったからであった。そして、私を信じなさい、主は驚くほど語って下さったのである! 私達はクラスを持ち、それから祈ったものだった。そして祈りは、神に向かって大声をあげるものではなかった。私達は集まって、手をつなぎ、主を少しばかりほめたたえ−−ポンプに呼び水を入れたようなものだ−−主をほめたたえることによって、主を喜ばせたのだ。王の前に出る時のように、敬意を示し、そして膝まずいたまま、黙って主が何と言われるかを見守ったのだ。普通、このようにするのである! まず何よりも先に、主をほめたたえる。多分、誰かが祈りを先導するのだ。その後で、賛美の流れが静まり始め、そして主が語られるのを待つのだ。それからその後で、多分誰かが、その適用か判断を少し加える。多くの場合、人々は主が何を語られたかを理解しないものである。あなたは、 「主をほめたたえよ! 主が何を言われたかわかりましたか? 主は、かくかくしかじかと言われました。」 というようなことを言うのだ。そして、その後で、主をもう少しほめたたえて、それから待つのだ。

  14.私達は、これらのベーブ達を通して、次々にメッセージを受け取った。海辺と通りからすぐにやって来た若者達は、祈り方を学んでいた! なんと、私はシャドが初めて来てから2、3週間後には、彼をクラブのマネージャーにしたのである。そして、彼が共に働かなければならないほとんどの若者達、例えばアブナーなどは、全くの新入りであった。私達は、彼らをただちに仕事につけたのである! そして彼らは、実に驚くべき仕事を成し遂げたのだ! なぜか? 彼らが、何をすべきかを知らず、主に尋ねなくてはならなかったからだ。そうして、彼らは素晴らしくやってきた。聞きなさい。シャドは、毎朝そのクラブで力強い祈りの集会を持っていたのである。彼らは、祈りをしないで一日を始めることがなかった。心から主の助けを求めていたのである!

  15.朝になって、いろいろなことが動き出し始めるまで待つのは、少しばかり危険なことである。これらの合同の祈りの集会に頼り切ることはできない。時には、その合同の祈りの集会を開かないこともあるからである! もしあなたが、主からの御声を聞くつもりなら、どこかの場所で、何らかの方法によって、時間を見つけて、自分だけで静かになるようにしなければならないだろう! あなたは、他の人の演奏を聞きながらやっていかなくてはならない (訳注:その場その場で決断をしながらやっていくこと)。−−そしてそれは、あなたが聞き、主が演奏するのでなければならない! あるクリスチャンにとっては、聞きながらやっていくとは、神が私達の言うことを聞くという意味であると思っている。神に大声で呼びかけ、自分たちのプログラムを押しつけようとすることだと! 私は、ほんの少ししか知らない。主に尋ねなければならないのだ! そして、どうしたらいいかをあなたに告げなければならないのは、主なのである!

  16.主の御前に、静かになることについて、あなた達はどれだけ知っているのか? 主に敬意を払うことについて、どれだけ知っているのか? 静かになることを学ぶために、どれだけあなたは静かな時間をとっているのか?  「穏やかにして信頼しているなら、力を得る。」 「信頼」 という意味を知っているか? それは信仰である! あなたが静かでいるというその事実は、あなたに信仰があるということを示しているのだ! あなたが、神が何かをされると期待していることを示しているのであり、あなた自身でそれをしようとしているのではない! もし、あなたが何をすべきかを知らないなら、すべてのことを中止しなさい! 静かにして、神が何かをして下さるのを待ちなさい! 何をすべきかを知らない時には、どんどん続けることほど悪いものはない。サウルが犯した過ちがこれであった。彼は、その王国を完全に失ったのである! なぜなら、何をすべきかを知らなかった時でさえ、彼は絶えず動き続けたからである。彼は、ただ忙しくしていればいい、何が何でもやっていこうと考えたのであった!

  17.神が私達に何を語ろうとしておられるのかを知ることが何よりも大切なことだ! ただ、主の御声をよく聞くために忙しくしていれば、あなたがしなければならないと思うような他の事で悩まされる必要はないだろう。結局、もしあなたが主の奉仕に携わり、主に何をすべきかを尋ねているなら、またあなたが主を待つなら、主は必ず世話をして下さるであろう!

  18.主の御前に静かになることは、神がその状況を良いように扱って下さるのだという信仰をあなたが持っていることを示すものである。それは、あなたが主を信頼していることを示す。 「あなたは、全き平安をもってその思いをあなたにとめている者を守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」 −−イザヤ26:3 もしあなたが信頼していないなら、常に混乱の内にあることになるだろう。信頼しているなら、くよくよ悩むことはない! くよくよ悩むなら、まだ信頼していないのである! もしあなたが気をもんだり、 混乱したり、心配したり、くよくよしたり、立腹したりしているなら、あなたは信頼していないのである。当然持ってしかるべき信仰を持っていないのである。信頼するということは完全なる休息、平安、思いと心と霊の静けさを持っているということである。肉体は働き続けなければならないかもしれないが、あなたの態度と霊は穏やかである。

  19.嵐の真っ只中にあっても、安らぎを持てるのはこの理由からである。私はあなた達に、かつてコンテストで賞をもらった、平和を描いた絵について語ったことがある。ほとんどの画家が、この静かな、平穏な、牧歌的風景、つまり、完全なる全くの静けさを描いた。それは、平和の一つの形である! しかし、もっとも得難いタイプの平和とは、賞を獲得したこの絵のようなものである! その絵は、恐ろしいうねりをあげる、怒り狂った激流であり、あわを吹いて荒れ狂う河の絵であった。だが、その怒り狂う流れをまたいで、ちょうどその真上に一本の細い木枝の上に、きれいな小さな小鳥の巣があり、小鳥がそこに座って、この嵐のさなかだというのに、のどかにさえずっていた! あなたの信仰が試されるのはこのような時である。すなわち、嵐の真っ只中で試されるのである! 静けさは信仰のしるしなのだ!

  20.イエスは、御自分の宣教をする前の晩、荒野に出て、ある人の言葉によると40日間、昼も夜も一人きりで、山上で時間を浪費されたのだが、その多くの時を悪魔と過ごされたようであった。イエスは、まず最初に悪魔をやっつけねばならなかったのである! もしあなたが主と二人だけになって、まず悪魔をやっつけないなら、そんなことは忘れてしまったほうがましだ! ノアは、その120年の内どれほど多くの時間を、祈りの内に過ごしたことであろうか! かなりの時間を祈りのために過ごしたに違いない。そうでなかったら、あの船を作る方法についてのあらゆる指示を受けることができなかったであろう! 忘れてはならないことは、彼らが船というものをそれまで一度だって見たことがなかったということである! その船の、細部に至るまでの正確な設計明細書を、おそらく神は、ノアに与えられたのであろう! 雨でさえそれまでに降ったことがなかったのである! しかしノアは、その箱船を作る仕事を落ち着いて続けたのであった。雨が今にも降ってくると思えば、無我夢中になることもできたであろうし、箱舟を無造作に作ってしまったりしたであろうが、ノアは落ち着いて、その船を作る仕事に120年間かけたのであった! 何と言うことだ! あなただったら、その仕事に120日かけただけでも、多くの時間をかけたと考えるであろう! このことは、ノアが信仰を持っていたことを確かに示すものであった!

  21.人々が、農夫は最高の宣教師になれると言うのも、この理由からである。農夫は万事を一日では期待していないからである。作物が育ち、家畜が子を産むのを待つ長い過程の中で、彼らはたくさんの忍耐を持っているのだ。農夫は、主がそれらを育てられることを信頼しなくてはならず、心配しなくていいのだ! 神が、その作業の最も大きな役割をなさるのだ。神が雨を送られ、神が作物を育てられるのだ! 農夫は、ただ監督するためにそこにいるのだ。もし穏やかなタイプの人がいるとするなら、その人は農夫である! 都会の人々は農夫をばかにするが、もし農夫がゆっくりと仕事をしないなら、彼らは都会に住む人々のように気違いになってしまうだろう! 農夫のモットーは、 「ゆっくりとやる」 ということである! 農夫は、信仰と忍耐の完璧な手本である。農場に住みたいと望む人々がこうも少ないのは、この理由のためだ。それはあまりにも神に頼らなければならないことだからである! 彼らにできることはそれほどないのである。そして、すべてを神に委ねなければならない! 人々は、どんどん農場を離れつつある。あまりにも神のコントロールされることが多

いからだ。農場はあまりにも静かだからだ。彼らはあまりにも活気がなさすぎると呼んでいる。アクションが全然ない、と言うのだ! ある人々は常に動いていないと気がすまない。何かをしていなくてはならないのだ! そしてその理由の一つは、彼らが考えることを望んでいないことだと思う! そのような理由から、彼らは実に多くの娯楽を持っている。この言葉が何を意味するか、あなたは知っているであろう。 「考えることから離れる」 ということなのだ。

  22.人は静けさと沈黙を非常に恐れるのである。彼らは、神の御声がそこからくるのを知っているからである! そこで悪魔は、人々の思いや目を、さらに耳をも騒音と暴力的光景と音で満たすのである! 都会がこんなにも呪われたものであるのは、この理由からである! 都会とは、何から何まで人間が作った環境なのだ! だから、都会とは、神から全く離れた存在なのだ。草の葉一枚もなく、星や太陽や、月や空を見ることができない所である。人々は地下で生活しているのだ! 鋭い音をたて、キーキー鳴る地下鉄、交通の恐ろしい騒音! 田舎に比べて、都会にははるかに多くのつんぼの子供たちがいる。なぜなら、彼らはやかましい雰囲気、絶え間ない騒音の中に暮らしているからである。これに反して田舎の子供たちは、非常に鋭敏な聴覚を持っている。もしあなたが、霊的と肉的に混乱した雰囲気の中に暮らすなら、神の御声に反抗する頑なな心を育てることになるであろう。なぜなら、あなたの周囲のあらゆる騒音に耳を傾けない気持ちを増長させることになるからである。そこであなたは、主の御声を聞くことさえできなくなるのだ! しかし、もしあなたが、静けさと平和と穏やかさと静止の内に暮らすなら、あなたの耳が実に非常に鋭敏になり、シャープになることに気づくであろう。私達は、農夫達から教訓を学ぶべきである! 都会の人々は聴覚が鈍り、その心は頑なになってしまう!

  23.アブラハムが群れを見守って、どれほど長い年月を野原で過ごしたかを想像したらいいだろう! 彼が主の御声を聞いたのも不思議ではない! すなわちアブラハムには耳を傾けるための時間があったのだ! 主よ、私達を許して下さい! 私達はとても忙しくしています! もしあなたが忙しすぎて祈れないなら、あなたはあまりにも忙しすぎるのである! もしあなたが忙しすぎて神とうまくやっていけず、祈ることができないなら、あなたは忙しすぎるのだ。召し使いが王に向かって、 「申し訳ありません。今日は、あなたの命令を聞きに行けません。あなたにお仕えするのにあまりにも忙しすぎますから!」 と言ったらどうだろう。

  24.あなたの最も重要な任務は、王に耳を傾けること、すなわち立ち止まり、よく見て、よく聞くことである! そうでないなら、あなたは引かれてしまうであろう! この無我夢中で活動すること、これが最も大きな危険である! これは、主のために働く、働き人にとって、最も大きな誘惑である!

  25.これと全く同じことをするクリスチャンがたくさんいる。彼らは神のもので遊び始め、神ご自身を無視しているのである! あるいはまた、お父さんの誕生日のためにベッド・ルーム用のスリッパを作ろうとして、父親と一緒に過ごす楽しい時間を奪ってしまい、父親の心をほとんど砕いてしまったあの少女のように、あなたが主のために作っているベッド・ルーム用スリッパを主は感謝されるかもしれないが、主はどちらかといえば、あなたのほうを求められるのだ! そして事実、あなたは、もし主を無視するとしたら、おそらく大変な混乱を引き起こすことになるであろう!

  26.あなたが、どうしても学ばねばならない最も大きな教訓の一つは、主が働かれるのを待つことである! 私は、自分が何回か主の御声に耳を傾けなかった時のことを知っている。そして主が私を振り向かせられた唯一の方法とは、私を仰むけに、一方角しか見ることのできない−−まっすぐ上しか見ることができないようにされることであった! 私の母は、自分があまりにも主の仕事で多忙であったので、主に対して十分な注意を与えねばならなくなるように、主が悪性のガンで彼女をはり倒す必要があったのだ、と彼女自身のテスティモニーを語ったものである!

  27.神は、御自身を、御自分への奉仕の次に置かれるとしても、二番目の地位に置かれることを受け入れないであろう!  「あなたは、わたしのほかに何ものをも神としてはならない。それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしはねたむ神であるから‥‥」 −−出エジプト20:3、5 神への奉仕を一つの神ならぬ神とすること、おそらくこれは、誠実なクリスチャンの犯す最も大きな誤りであろう。あらゆる活動、あらゆるこの騒ぎ、空を打つ事、礼拝を行うこと−−そして神のものは少ししかないのだ! 私達は、この短い歌をよく歌ったものである 「任せなさい、神がその素晴しい御業をなさるのに委ねなさい。任せなさい、神の御旨に委ねなさい。主は御霊で満たされ、日々を守って下さるであろう。任せなさい、神の御心に委ねなさい。」  神に委ねるほうがはるかに容易である! そして、主の御前に静かになることで、あなたが神にお任せしていることを示すのだ! あなた自身の活動を停止して、神が働きかけて下さるのを待つことによって、あなたが信仰を持っていることを示すのだ! 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。静かになることを学ぶのだ。」 

  28.ある日、マルチン・ルターと彼の協力者メランクソンが、その日の仕事を始めるに際して、メランクソンは彼らの祈りの時間を半分に削ろうと提案した。ルターは激しくこの提案を拒絶して、いつも2時間祈るかわりに、仕事の多い今日こそ主の面前で4時間祈る必要があると主張したのであった!

  29.モーセが40歳の実に賢い若者であり、仕事のやり方をよく心得ていると本気で考えていた頃、彼は実に大きな過ちを犯して、命からがら逃げ出さねばならなかった。彼の過ちを正し、主に頼る必要のあることを教えるのに、神は40年も費やされたのであった!

  30.急ぐことは、あなたが遅くなることを恐れている 「しるし」 であり、これは、あなたが恐れを持っていることを表し、それはあなたに信仰がないことを意味しているのだ! もしあなたが遅れたら、あわてないことだ! 主を信頼せよ! 何よりもまず、遅れたから急ぐという一つの理由は、遅れたことがおそらく私達自身のせいであり、その結果起こる事で苦しいめにあいたくないからである! それはプライドである! あなたが本当に遅れたことを、あなたは人々に知られたくないのだ!

  31.あなたが急ぐもう一つの理由は、あなたが主を信頼していないからである! 間に合わなければ何かを失うことになると、あなたは恐れているのだ。ヨシュアが主にしてもらったように、神は全世界を止めることや、太陽の動きを止めることが可能な方であるのに、あなたは信頼することができないのだ。私は、列車に間にあうようにと急いでいた時のことを決して忘れない。主は私に、もしそんな神経と肉体の緊張を続けていたら、私自身を殺すことになるであろうと、警告して下さったのだ。そこで私は、列車を止めることを主の御手に委ね、リラックスして、時間をかけたのだった! そして列車に乗った後、私は40分もそこに座ることになり、いつも時間通りに発車する列車がどうして駅を出ないのかと不思議に思ったのである。私はとうとう、主に尋ねてみた。すると主は 「あなたはまだ出発したい、と私に言っていないではないか。」 と答えられたのである。

  32.「急いで行けば行くほど、私はそれだけ遅れてしまう!」 リラックスせよ。スピードを落とし、ばたばた走ってはいけない。あわただしくしてはいけない。握りしめよ、引っ張るな。すると主は、もし必要ならあなたのためにすべての動きを遅らせて下さるだろう! あなた自身を殺そうとする必要はない! あなたは、主の内に休息することを学ばなければならない! そして、もっと気楽にすることを!

  33.聖書の内に記されたあらゆる忍耐の手本、すなわちヨブ、モーセ、そしてダビデを見てみよ! ダビデは、あの年取ったへまをやらかすサウル王の下で24年間を費やしたのであり、サウルを見ることで、主はダビデをとてもよく教えられたのであった! サウルはすっかり神経質になってしまい、彼自身の力でもっていろいろなことを試みたのだが、自分の力が十分に強くないことを知ったのであった! ダビデは、神にすべてを委ねる必要のあることを学んだのである! そして主を待つことを! スピードを落とすのだ! 立ち止まれ! 見よ! よく聞け! 主を待て! 特に、もしもあなたがどうしていいのかわからず、まだ主の御声を聞いていないならば!

  34.イエスは、彼の人生の30年間を準備の内に暮らし、彼の公の伝道はわずか3年を少し越えるものであった! 私達は実に急いでいる!もしも私達が、これらの出発するチームに、他に何も用意をしてやれないなら、少なくとも彼らに、どのようにして主からの命令を受けるかを教えようではないか!

  35.主に愛されたヨハネに関して、あなた達は多くを聞いていない。彼が主と共にいたことなどを、わずかに知るだけである。ヨハネは、ヨハネの福音書を書いた人である。その仕事をするには、主と共にかなりの期間を過ごさなければならなかったはずである! しかし、彼の最高の傑作は、ある島に追放されている間に主の力によって書かれたのである。つまりヨハネの黙示録である。彼の最大の仕事は、ただ神にすべての指示をまかせて、主にすべてのことをしてもらい、すべてのことを主にまかせたのであった! ゆっくり行こうではないか! 止まれ!‥‥ 見よ!‥‥聞け!‥‥そうでないと、あなたは引かれてしまう。

  36.世界は常に急いでいる! 世界をスピードアップさせることは、悪魔自身の仕組みである。すべてをより速く動かすために何でも利用しているのだ! 神は6000年前に、この地球を創造されたのであるが、それ以来、そのスピードにおいては何ら変わっていないのだ! 神は、季節や年月の速度を速められたことはなかった。人間がスピードを上げているのであり、いやがおうでも破滅へと向かっているのだ! スピードを落とせ、握りしめよ、引っ張るな! しかし、何より大切なことは、立ち止まれ! 見よ! 聞け! そして待て! あなた達は、危険な場所、十字路や、交差点や、危険な場所にあるような標識、つまり、きまりきった仕事を中断するもの、あなたの行く手、あなたの道、あなたの走るハイウェイを中断するものを見るであろう! そうでないと、あなたはそこへ飛び込み、急行列車に跳ねられるかもしれない!

  37.しかし、あなた達は言う、 「私には立ち止まり、見て、耳を傾ける時間がありません!」 と。もしそうしなければ、何事も決してやり切れるものではない! 着かないよりは、遅れてでも着くほうがいい! 汽車にぶちあたったり、無理に汽車を横切ろうとしたり、汽車の上を飛び越えようとするのと、ただ立ち止まり、汽車の通過するのを見守り、そのあと余分に2、3分待つのと、どちらがより容易であろうか。汽車はやがてあなたに道をあけ、あなたは何事もなく進むことができるのだ! 状況を無理に変更しようと努め、あなたの流儀を押しつけようとすることは、何の役にも立たないであろう!

  38.私は、自分が何をしようとも、主の仕事は続行するのだということを知った。それが神の仕事であるなら、何ものもそれを止めることはないのだ。たとえ、私がいなくても! 主をほめたたえよ? だから、主があなたに、どこで何をするのを望まれるかを確実に知るために、あなたが主を待っているのが当然である時に、走り回り、くよくよ悩み、怒ったり、どこかへ行って何かをしようとしても、それは何の益にもならないであろう!

  39.あなたにはそれができないことを知らなければならない! 神の答えを得るために絶望的になり、すべてを中止して、神に耳を傾けなさい! 主の御前に静かになることは、神が事態を処理して下さるという信仰を、あなたが持っているということを示すものである。時間をかけて神の御声を聞け。すると主は、その悩みを解決する時間をさいて下さるであろう。あなたの注意、あなたの愛、あなたの時間、あなたの霊的交信を王に与えないなら、あなたの熱烈な活動は何の意味もなく、あなたの奉仕は何の役にも立たない。

  40.急ぐことは信仰の欠如であり、それは悪魔のものであることを忘れてはならない! もしあなたが急いだり、走り回ったり、いらいらして忍耐がないなら、問題への解決であるその質問への回答、すなわちその事態への最良の決断を求めるための、あなたの全注意−−あなたの目と耳と精神を主に集中することができなくなるであろう! しかし、もしあなたが立ち止まり、見て、聞き、それから主との霊的交信の内に待つなら、そしてこれをすることを学び、主の答えを受けることを学ぶ時、あなたはいかに決断を下すかを学び取ったことになるであろう! あなたは、祈ることを学ぶのであり、真に神のリーダーの一人になるのである。 「主は、その選択を主に委ねる人々に、最善のものを与えられる!」