DB419

 

あなたはリーダーになりたいか?

 GP 31    1970年12月

 

  1.たとえばレーニンのような指導者達の生涯の中でも劇的な、そして絶頂的な行動というものは、世界の人々の注目を引き、一般大衆に対する最大のアピールになるものである。例えば、レーニンが何回も危機一発の状態に陥ったことや、革命指導の際の彼の行動など−−たとえば彼が皇帝の政府を転覆させるのを援助するためにロシアに密入国する時、内部が見えないようにされた車に入れられて、ドイツ人たちなどによって運ばれたことなどである! これなどは、人々が特に興味を持つような話の材料である。たいていの人は、彼が追放された生活で夜昼読書に没頭したとか、革命の戦術を研究したとか、その戦闘方法の計画をたてたとかいうことにはあまり興味を示さない! 事実、彼にとっては、革命の計画を立て、その戦闘方針を工作することのほうが、実際に戦争を起こすよりも多くの年月がかかったのである! レーニンは、やり方を分析し、計画を立てるのに数年をかけたが、それらを実行し終えるには数日しかかからなかったのである! そしてその後も、革命後の態勢固めをする方法を考え、計画を立てるのに幾年もかかった!

  2.これらの表面に現れた劇的な行為は、その大部分が、水面に隠れている巨大な氷山の一角にすぎない。あるいは、下のほうで長いことかけて醸造されている、大きなかめの中の小さな泡粒にしかすぎない。しかし、人々が目をとめるもの、大衆が見るものはそれなのである!

  3.ほとんどすべての立派な建物、すべての偉大な事業、すべての大きな戦争、すべての偉大な運動などは、それを計画し方法を練るのに何年もかかった。多くのつらい時間と日々と週と月と、なかには何年にも及ぶ計画作り、長い時間を要する土台作りなどの、目に見えない表面下にある仕事が最も困難なものであり、大部分の時間を要するものである。それは最も称賛を受ける対象にはならないものであるが、しかしそれなしでは建物は決してできあがらず、決して立たないのである。

  4.人生のことの大半が、大体そんなものである。私達は、その背後にある、多年の目に見えない働きや考案をありがたく思うことはない。それらは、幾世代にも渡る発明と考案、試練と過ち、成功と失敗、喜びと失意を重ねてきたものである。一着のズボンの背後にも、たくさんの目には見えない手工、時間、工夫、労働などがある! しかし、私達はそれを見て買い、それを着用するが、その背景にあるものを考えようともしない!しかし、それが出来上がるまでには、誰かのあるいは非常に多くの人々の労働と時間と工夫と考案と発見を必要としたのである。

  5.私達が食べるすべての食べ物、私達が着る衣類、私達が住む建物、私達が乗る乗り物、毎日の生活に必要なすべての雑多なものは、幾世代にも渡る世界の労働者の工夫、考案、発見、実験、設計、計画、生産の賜物である。 「われわれは、他の人々が労苦したものを刈り取り、他の人々の労苦の実にあずかるのである。」 「ある人が蒔き、他の人が水を与える。しかし育てられるのは神である。」

  6.目に見えるものの背後にある神の働きは、ほとんど目に見えないものである。宇宙を造り出し、それを運行させておられる創造のわざ、人間に対する神の設計と計画、神が創造されたものに対する霊の王国からの、神御自身の不断の世話、それらのものは目に見えない。神は舞台裏の仕事場で、神ご自身のほとんどすべての仕事を実際にしておられる。だから、私達には、 「地上のものに心を引かれてはいけない。目に見えるものは一時的なものである。」 −−その背後にある目に見えないもののかすかなる現れである。 「しかし、目に見えないものは永遠である。」  目に見えるものを作り出した霊的な世界、また、神の力と計画のことである。私達は、神がどんなにしてそれをされたかも知らない。私達にできることは、それを楽しむことだけである。私達は、それを理解することさえできない。私達にできることは、ただそれを消費することだけである!

  7.新しい国の建国、戦争、改革、あるいは革命、あるいは歴史の中のいかなる大きな変革も、全く同様である! それが実際に起こるためには、誰かが前もってそれを夢見なければならなかった! 誰かがそれについてのインスピレーションを、ビジョンを、信仰を、発明の才を、特殊な才能を、炎を起こす火花を持たなければならなかった! しかし私達の見るものは、火だけであり、私達はその火の栄光を見て感激し、驚愕する!私達はその背後にある働きと計画は見ない。どういうふうにして資材を集めるか、どういうふうにしてそれを始め、どういうふうに運行させるかは見ない!

  8.あなたは大きな事業を見れば、自分があんな事業のボスになれて名誉と富を自由にし、他の者たちにあれをせよこれをせよと命じることができたらと思う! しかし、あなたはいつかボスになったら、四六時中働き、あれやこれを心配するようになる。そうなるよりは、8時間だけ働いて、全然心配を持たないほうがいい! そうなるまでは、あなたにはその背後にあるすべての問題や、困難、障害、悩み、混乱のすべてを見ることは到底できない。何をすべきか、どんな決断を下すべきか、他の人々にそれをどうすべきかを示すかを知ることや、成功によって称えられるだけでなく、失敗の責任も喜んで負うことがどれだけ困難かがわからないのだ!財産を持ち、人を雇い、事業を持ち、政府を運営することは責任が大きく、喜びどころではなく、喜びよりも重労働のほうがはるかに多いのである。

  9.下っぱであることを楽しめる間に、大いに楽しんでいたほうがいい。心配事も責任も称賛も非難も呪いも名誉もあまりない状態を。そのうちにあなたは将軍になるかもしれない。そうすれば、ほとんど何でも一人でやらなければならず、一人ですべての事を心配し、そして大抵の場合、非難も一手に引き受けなければならなくなるだろう! 今あなたは、あなたのリーダーたちを見て、 「私も彼か彼女のような者になりたいものだ。今、彼らの地位に就けたらどんなにいいだろうに。」 と言うだろう。しかし気をつけなさい。いつかあなたは、そういうような地位に就くかもしれない。しかしその時あなたは、 「こんな地位に就かなかったらよかったのに。」 と思うだろう! しかし、ならなくてはならない。彼らが、今日の純金のようになるためには、どれほど深い絶望と傷心、試練、苦難、苦い経験を味わわなければならなかったか。また、試練の火を通ってこなければならなかったか。また今日の、美しく、色彩豊かな陶器になるためには、どんなに熱い白熱のかまどを耐えてこなければならなかったかを、他の人々は到底推測できないであろう!

  10.リーダーになることを求めるな。それを望んだりもするな。あなたは、あなたが何を求めているのかさえおそらく知ってはいないだろう。リーダーになろうとするな。神があなたをその地位に押し込まれ、あなたがそうしなくてはならなくなるまで。今はただ、良き追従者でありなさい。そして自分が導く必要もなく、決断を下し、責任という重荷を負い、責めを受ける必要もないことを感謝せよ! リーダーになるためには、どんなに大きな事が必要か、あなたにはおそらくわからないだろう!長年に渡る経験という厳しい学校、長年に渡る経験の積み重ね、試行錯誤、成功と失敗、苦悩と苦難、何年もの追従者としての生活、従順、訓練、御霊の多くの働き、数え切れないほどの教訓、落第してもう一度やる学年、降格や昇格、成功や失敗、ある時は名声、ある時は非難、目に見えない労働、実現に至らなかった考案、たくさんの時間、日、週、月、年を重ねた祈りを伴った計画作り。血と汗と涙。狂喜と苦悩、リーダーになるためにはそれらのものが必要である!

  11.生まれながらのリーダーなどいない。リーダーは作られるものである! リーダーは、神の無限の心づかい、計画、準備の最後の生産品であり、短い期間だけ続く! 今日はここにあり、明日はもういなくなる!  「あなたの生命とは何だろう。それは霧のようなもの。今ここにあるけれど、すぐになくなる。」  花が満開になり、リーダーという実を結ぶには、随分長い時間がかかる。そして、その人がリーダーの地位にいるのは、それまでの長い準備期間に比べればまことに短いものである!

  12.あなたのリーダーたちをうらやむな! 彼らを憐れみなさい!彼らのために祈りなさい! 彼らを助けなさい! 彼らはあなたを必要としている! そして、リーダーとなるのを望むな。神が無理にそうさせない限り! あなた達は、聖書の中に自分からリーダーになろうと望んだリーダーが一人でもあったか、調べてみたらいいだろう。彼らのほとんどすべてが、その任務から逃げようと努力した! そのためには、あまりにも長い時間がかかり、困難を伴い、しかもそれに応じた称賛は決して受けない! しかし、これらのリーダーなしには、神の御仕事は進展しないのである!

  13.ただ、最終生産品を感謝せよ! それを楽しめ! それに従え! それに従順であれ! そして、それを助けよ! そして、神があなたをリーダーにされるまでは、リーダーの一人でないことを感謝せよ! 聖書の中の、ほとんどすべての偉大なリーダーは、その地位に押し込まれなければならなかった。ただ、愚劣な世俗的な人たちだけが、これらの虚名を争って戦うのである! ただ、この世界のうんざりさせる体制の中でだけ、人々は権力、地位、富、名誉をめぐって闘争する。その結果は、決して人を満足させるものではないことを見出すだけであるけれども! 

  14.この世の人たちは、何と哀れな結末を迎えていることであろうか。神を失望させたクリスチャンもである! 神が選ばれたリーダーたちは、世の人達と同じぐらいの代価と犠牲を払うけれど、少なくとも永遠の報酬と永久的な栄光を待ち望むことができ、純粋の永遠につらなる業績を持つことができたという感情を持って死ぬことができる。彼は、その生涯を神の御仕事に投資したのであり、彼はこれ以後は、永久に利益配当を受けることができるのである!

  15.しかしあなたは、あなた自身がそこに到達するまでは、彼らがそこに到達するまでにどんな苦労をしなければならなかったかわからないのだ。そして、正気の人間なら、それを神と神の子以外のためには決してしないであろう! あなたの仕事の大部分は、神とあなた自身、及びあなたに非常に近い何人かの人を除けば、誰にも見られることも知られることもないであろう。あなたの苦しみ、あなたの犠牲、あなたの多年の労苦の大半が、この世で認められることなく、他の人々もそれに気づかず、天国で報酬が手渡された時に初めて、明らかにされるであろう。その時、小羊の婚姻の席でメダルが胸に授与され、至福千年の間にあなたの治める町々が褒賞として与えられるだろう。

  16.あなたは言う、「主よ、私達にはできます。」 しかしあなたは、自分が何を求めているのかわかっていない。あなたは、自分のリーダーたちを神に感謝し、自分が決してリーダーの一人にならなくてもいいよう願いなさい。そうするより他になくなるまで、自分がリーダーになろうとはするな! 神がそれをさせられるまでは、他の人を導いていこうとするな。どうしても導くことが必要で、あなた以外にそれをする人がなく、あなたは自分がそれをしなければならないということを知る時がくるまでは、それをするな! それは神の意志であり、神の計画であり、あなたに準備ができてさえおれば、−−たとえあなたがそう感じなくても−−神がそれをさせられるだろう! 神の御手による長期間の準備と計画と設計と養成によって用意ができたなら、そうされるだろう。

  17.私達は神の消耗品だ! 神の犠牲の祭壇の上で焼かれるために作られたものである。あるいは、神が設計に使われる道具のように、磨り減っていく。−−人が生きられるように、自分が死ぬのだ。 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」 からだ。私達は、「日々死んでいる。」 私達があなたに与える招待の言葉はただ一つ、私達と共に来て死になさい、である。それは肉において死に、霊において生きるためである!

  18.長い年月をかけての養成、準備、計画の後、あなたは白熱した戦いの中で、ほんの短い間だけあたりを照らし、その結果、戦いは勝利となるかもしれない! しかし、人生の準備期間は価値あるものである。たとえそれが、 「決定的瞬間」 だけの存在価値であっても、また、主によってだけ認められるものであっても、あなたはその瞬間のために、あなたが割れ目に立つ日のために、あなたが必要を満たし得るその時間のために、あなたが任務を果たすその時のために、設計されたのである。その後、あなたは、神の御声を聞くであろう。 「よい忠実なしもべよ、よくやった! 主人と一緒に喜んでくれ。」 このすべてと、天国をも経験するのだ!

  19.あなたは自分が実際にリーダーとなるまでは、リーダーのことを十分感謝することは決してないだろう。あなたは、栄光の中で神と一緒になり、神がどんなに大きな犠牲を払われたかを知るまでは、神のことを十分感謝することはないだろう! どんなに長い時間がかかったか、神がどんなに不断の思いやりと愛と忍耐を与えて下さったか、また、その最終生産物−−まことにつまらないあなた達と私−−を作られるために、いかに大きな見えない労力が払われたかを知るまでは。あなたは、今でもまだリーダーになりたいと望むか?