DB418

 

私は去ろう!−−パート2

  GP 29    1970年12月

 

   1.アレクサンダー・セルカークのことを聞いたことのある者はいるか?−−孤島に置き去りにされたイギリスの哀れな水夫である。しかしその孤島で彼は、自分の経験を書きとめる時間があり、一冊の本を書いた。その本こそ、世界中で読まれ、あなたたちの中にも読んだ人が多くあるはずの 「ロビンソン・クルーソー」 であり、彼はその中に今も生き続けている。彼は体制の微々たる一水夫にすぎず、誰も彼のことを聞いたこともなかった。しかし、彼はドロップ・アウトし、本を書いた。そしてその革命的な本は、その後の世界に大きな影響を与えたのだ。

  2.イエスでさえこう言われた。 「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたたちの所に助け主は来ないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。」−−ヨハネ16:7  イエスがここで言っておられることは、イエスが去っていくことによって、彼ら全員との意志疎通がもっとうまくいくようになるということであった。

  3.イエスは、彼らが最も必要としていることを彼らに伝えることができるように、去って行かなければならないのだと言われた。ペテロも次のように言っている。 「私達は彼を見た。私達は彼を聞いた。そして私達は声を聞いた」 が、それ以上のもの−−より一層そう確実なもの−−もっと永続的なもの−−もっと説得力のあるもの−−もっと効果的なもの−−「一層確実な預言の言葉」(2ペテロ1:19)があったと。

  4.私達は、 「一層確実な預言の言葉」 を持っている。主の言葉の真理は、主が肉体で存在されるよりも重要なものであった。主の言葉の中にある真理は、主を見、主を聞くよりもずっと良い証拠であった。預言の霊は、主の肉体に触れるよりもっと現実的であった。真理の霊、真髄−−見えるものではなく、見えないものの真の現実である。 「なぜなら、見えるものは一時的だからである。」−−2コリント4:18

  5.パウロについてこう言われている。 「彼の手紙は重みがあって力強いが、会ってみると外見は弱々しく、話はつまらない。」(2コリント10:10) 使徒パウロは、どんなふうに力強かったのか?−−どんな点で? 彼の最大の力強さ、彼の最高の仕事は何であったか。彼が直接会った何人かの病人をいやしたことだっただろうか。あるいは、彼とじかに接した時に感じる彼の霊の力だっただろうか。彼を見ると励ましになるということだっただろうか。彼が持っていた火の霊感だっただろうか。−−あるいは、彼の語る人間の知恵の言葉だったのだろうか。これらのものは、彼の最大の力ではなかった! そうではなくて、霊の力の顕示がそうであった!

  6.この力が最も素晴らしく顕示されたのは、どんな形でであったか−−彼が肉体的に目の前にいた時だけか? 今日、私達は彼がどんな外見をしていたかさえ知らない! 私達は、彼が目の前にいる時の力は感じたこともない! しかし私達は、何世紀も越えてきた彼の言葉の内に、ダイナミックな彼の霊の力を感じるのだ。

  7.何がきっかけで今日、彼の言葉があるのか? それは、パウロが離れた所に行かなければならず、自分がそこにいない間、そこの人々に手紙を書かなければならなかったからである。パウロがそれを書かなかったとしたら、記録は全然残っていなくて、今まで彼の手紙から益をこうむってきた何百人という人々は、闇の中に取り残されていたことであろう。そして、ごく少数の人達だけが、彼と直接出会うことによって益を得、彼の言葉を楽しみ、それによって生きたことであろう!

  8.新約聖書の半分は、去らなければならなかった人達の書いた書簡から成っている。−−彼らは、肉体的に離れなければならなかったが、それは霊の内に共にいるためであり、また彼らの言葉が将来の世代の追従者のために記録されるためである。

  9.私達は、今日どうしてイエスの言葉を持つことができるのだろうか。それはイエスが去った後で、彼らがそれを記録にとったからである−−聖霊のコミュニケーションを通して、イエスの言葉を思い出したのである。 「わたしの霊−−真理の霊−−がことごとく思い起こさせるであろう!」  イエスが、肉体的に彼らとまだ一緒におられた間は、彼らはイエスの真理やイエスの霊をそれほど意識しておらず、それらが何を意味しているのかも知らなかった。彼らはイエスを愛していて、イエスも彼らを愛しておられ、また彼らはイエスが共におられるのを喜んだ。彼らは肉において、イエスを見て嬉しがった。それによって彼らの恐れは和らげられた。彼らは、イエスに触れることで慰められた。彼らは、まだ本当にはイエスを知っていなかった。彼らは後になって、イエスを霊において−−イエスご自身の霊において−−イエスご自身の生きた言葉によって−−預言の永遠の霊によって−−彼が示された永生不死の真理によって−−初めて知るのである!

  10.彼らは、肉体を備えられたイエスが彼らと一緒におられた間は、霊においてはそれほど強くなかった−−彼を見、彼の声を聞き、彼に触れることができる間は。彼らは、霊に対して鈍感な、平凡な土くれ、生の肉のかたまりでしかなかった。愚鈍で、常に誤解し、誤った解釈ばかりした! 「ああ、愚かで、心の鈍い者たちよ!」  彼らの肉体が−−イエスの肉体さえもが−−邪魔をしたのである。彼らは、事柄の真の霊に近づくことが全くできなかった。彼らは、イエスの霊を必要としなかった。イエスが一緒におられたからである! イエスが何を言おうとしておられたのか、そんなことを気にする必要もなかった。イエスはそこにおられたのだ! ちょうど揺り篭の中の赤ん坊のように、彼らは理由は知らなかったが、イエスがそこにおられるだけで安心しきっていた! 彼らは、イエスが肉体的に離れ去ってしまわれるまでは、まるで子供のようで、まだ大人になっておらず、霊的に未熟であった。

  11.彼らが真にイエスを知るために、イエスは去らなければならなかった! 彼らが真にイエスを霊的に理解するために、イエスは肉体的に去らなければならなかった! 彼らがイエスの霊を感じることができるように、イエスの肉体は去らなければならなかった−−彼らが、肉的に考えるのではなく、心をイエスの霊の内に置くためであった! 

  12.あなたたちは今、イエスを、当時の弟子達よりもよく知っている。あなたたちは今、イエスの真理を、イエスが肉体的に弟子達と一緒におられた時よりもよく知っている! あなたたちは今、彼が奇跡を行なわれるのをただ見ていただけの弟子達よりも、イエスの霊の力をよりよく理解している。なぜなら、あなたたちには今、イエスの力があるからである! あなたたちはイエスの霊を持っている! あなたたちは、彼の真理である! 「あなたたちは、わたしの証人である!」 あなたたちは、弟子たちよりもよく彼を知っている。

  13.「あなたがたは、地上のものに心を引かれてはならない。」 そうではなくて、上にあるもの−−霊的な王国−−を思うべきである。なぜなら、目に見えるものは一時的なものであり、永遠のもの、目に見えないもの、霊の王国、天の御国の美しさ、奇跡、恍惚、純粋さに比べたら、それはほとんど嫌悪を感じさせ、吐き気を催させる。私が去ってから、あなたは初めて、真に私の霊を理解し、すべての意味がわかるだろう。なぜなら、目に見えるものは一時的なものであり、目に見えないものは永遠だからである!

  14.肉体は、私達の手に負えないものである! それは私達の邪魔になる。私達は完全に霊の領域に入るまでは、完全なる現実を知ることはない。

  15.今私は、あなたが本気なのか、それとも単に私を好きだっただけなのか−−あなたが単に個人崇拝をするカルトのメンバーか、あるいはキリストの霊的な体に属するのかを知ることができる! 私がそこにいないと、あなたが真に愛しているのが誰であるかがわかる! 人に追随する者は、その人がいなくなると去ってしまう。しかし霊に従う者は、永久に従っていく!

  16.イエスは言われた。 「あなたも、わたしのしている業をするであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。」  彼がもし行ってしまわなかったら、私達は決してもっと大きい業などできないであろう。なぜなら私達は、彼の肉体の存在に頼り続けていたであろうから。私達は、彼がすべてして下さると期待し続けていたであろう。

  17.今私達は、主の肉体的な現れである! 今私達は、主の体である−−主の手、主の足、主の目、主の口なのである! 私達は、その務めを果たさなければならない。そして、私達を通して主がして下さるのだ!もし主がずっとここにおられたなら、私達は主に仕事を続けさせ、私達はその上に惰眠をむさぼり、彼が祈っておられる間に眠り込み、彼の偉大さによりかかり、彼のしり馬に乗っていただろう。しかし、私達は今成長し、それを主の力によってなし、それによって、霊と真理とにおいて私達が真に主のものであり、主が真に私達のものであることを示さなければならないのである。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである!

  18.主がここにおられた時は、主は彼らと共におられた。だが主は、自分が去った時、自分の霊が彼らの内にいるようになると言われた!私がそちらにいた間は、肉においてあなたたちと一緒にいただけであった。今、あなたたちには私の霊しかないが、それはあなたたちの内にある。私が言う言葉、私が示す考え、私が教える真理、私が書く手紙を通してである。今あなたたちは、真の私を知っている。今あなたたちは、どこにいても私を心の中に持つことができる。私達は霊の内に、すぐに、終わりのないメイクラブをすることができる! 決して衰えることのない永遠の愛の、至福のエクスタシーである!

  19.今あなたたちは真に私を知っている。なぜなら、私があなたに語る言葉は私の霊であり、私の生命だからである。あなたたちが私の言葉をあなたたちの心の中に受け入れるなら、私達は常に共におり、共に働くことができる。それは、肉の内に隣合って共に働くのではなく、霊の内に一つになってである。−−それはあの、すべてのものを思い起こさせてくれる真理の霊でもある!

  20.これは、主が語られた助け主である! あなたは主をそばに持つことを望むか、それともあなたの中に持つことを望むか。あなたは、あなたの恋人を単にあなたのそばに持つことを望むか、あるいは、まさにあなたの心の中に持ちたいか。恋人の霊が快い圧迫を加え、あなたの中にあふれるような喜びを与えるのを望むか? 私達は、肉において最も遠く離れている時、霊において最も近くありうるのである。私達は肉において近くにいると、肉の思いに気をとられて、霊において一つになることができない!

  21.あなたは、霊において私と一緒にいるか、それとも肉において私と一緒にいることを望むか。私があなたたちに語る言葉は、私の肉体が到底及ばないほど強力であり、私が肉体で一緒にいられるよりもずっと慰めになる。そして、私が肉体的にあなたと一緒にいるよりもずっと、あなたに益になるだろう。あなたが私の言葉を読み、学び、理解し、吸収し、それによって生き、それを実行するならば。そして、私の言葉は霊において生き続けるだろう。人を生かすものは霊であって、肉は何の役にも立たないからだ!−−ヨハネ6:63 

  22.「たとい、わたしは肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたと一緒にいて、あなたがたの秩序正しい様子と、キリストに対するあなたがたの強固な信仰を見て、喜んでいる。今わたしは、あなたたちの内に住んでいる。世はわたしを知らないが、知るようになるだろう。見よ、わたしは霊において、世の終わりまであなたたちと共にいるのである!」