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愛は敗れず! GP 25 1970年12月

 

  1.愛は敗れず、ということを忘れないように。自分の内面を見つめ、分析し、苦悩するといったことはすべて単なる肉のわざであって、次の週にまた同じことを繰り返すだけである。「戦いは決して終わらない!」 「正しい者には災いが多い。しかし、主は、すべてその中から彼を助け出される。」−−詩篇32:19

  2.神のみがそれを成し得られる! 私達の救いは、ただ恵によってだけであり、決して私たちの働きや、告白集会や、肉における罪との戦いによってではない。神にできないことは誰にもできない! 偽りの根絶の教義に習って、「聖なる」人々が到達したふりをするような、罪のない完璧な状態に到達しようとしているなら、あなたは失望する運命にある!−−そんなことはできっこないのだ!

  3.もしも、いつか自分自身と、あるいは罪と、あるいは「古き人」と戦わなくてもよくなる時が来ると思うなら、あなたは間違っている! 私は今もその戦いをしているのだ! あなたはどうか? 私達がこんなに多くの勝利を得ているのは、私達には本当に多くの戦いがあり、私達が戦うべきものが本当にたくさんあるからだ! たいていは、鼻もちならない自分自身との戦いだが! 

  4.私達が成長し、何らかの進歩を遂げなければならないことや、いくつかのテストに合格しなければならないこと、いくつかの試練を切り抜けなければならないこと、いくつかの勝利やテスティモニーを得なければならないことを神は知っておられる。しかし、これらの哀れなヘマばかりやるベーブ達を奇跡的に一晩で罪を犯すことのない聖人にしようなどとは考えないように!

  5.自分にも同じ罪のある時、そして私達の大部分に同じ罪、あるいはもっとひどい罪がある時に、その罪のことで人を怒鳴りつけるのは私にとって難しいことだ。だから私にできることは、少しの間叱りとばし、自分もそのことでは大きな失敗を犯したことがあることを告白し、少しの涙を流し、少々泣き、少し祈り、いくらか同情してあげ、互いに手を取り合って許し合い、またやり直すことぐらいである。

  6. 「もしあながたが人々のあやまちを許さないならば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを許してくださらないであろう。」 −−しかも、あなた達はたくさんの過ちを犯してきた! そのことを直視しよう!−−あなたたちの任務の重要さと大きさのゆえに、あなた達の過ちはより大きく、より悪くさえある。 「教師になることを求めるな。なぜなら、教師は、もっと厳しい裁きを受けるからである。」  あなた達が謙虚な心を忘れないようにするために、神が使われる「肉体のとげ」は、おそらく何かのからみつく罪だということを、あなた達もきっと遅かれ早かれ知るであろう。あなたは、一生この罪と戦わなければならず、一生その罪を克服し続け、その罪と戦い続けるには、たくさんの神の恵みが必要となるだろう。これが、私達を正しく保ってくれるのである。よく私が言ったように、 「試練なしには勝利もなく、テストなしにはテスティモニーもなく、戦いなしには勝利もないのだ。だから、戦い続けなさい!」 

  7.あなた達は、時々は勝利するはずだ。そして、敗れたら、それはあなた達が謙虚な心を保つ助けとなり、他の人が、あなた達も結局人間なのだと知り、神にすべての栄光を帰する助けになるだろう! 私は、 「ホーリネス」 の根絶の教義など信じない。またバプテストの単なる抑制の教義も信じない。むしろ私が信じるのは、古くから聖書にある 「栄光に満ちた希望、キリストがあなたの内に住まわれる」 という不断の教義である。 「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。」  イエスさえ、ご自身についてこう言っておられる。 「わたしは、父がわたしに示されること以外は、何もできない。」  いわゆる 「神聖さ」 とは、たいてい独善的で、聖人ぶり、われ汝よりも清しとする、偽善に満ちた、プライドの業でしかない!あなた達はこのことを直視したほうがよい。

  8.あなたには勝利を得ることはできない! あなたが勝利するのは不可能なのだ! キリストだけにそれができる!  「任せよ、神に任せよ。」 自分で勝利することはできない。 「決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」 「あなたがたの救われたのは、実に恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」 −−ただ神のみが、それを与えることができる! あなたはそれを、頑張ることによって手に入れることもできなし、働いてそれを手に入れたり、祈り落としたり、祈り続けたりして、完全に聖化され、何か罪も犯さぬ聖人になったりすることはできない!

  9.あなたにあるのは誰の義でもない、ただキリストの義だけである。キリストだけが、あなたに義を与えることができる! あなた自身の義は、悪臭を放つ! それは、きたない月経帯のぼろくずである! だから、自分でやろうとするのをやめよ! 神にそれをしてもらいなさい! 光を内に入れよ! そうすれば、暗闇はおのずと逃げ去るであろう!

  10.霊と言葉によって満たされよ! そうすれば、あなたは悪臭を放つ自分自身のことや、いかに自分が悪いかを思い悩む時間はなくなる!もちろん、あなたは悪い! 私達はみんな悪い! イエスだけが善なのである! だから、「イエスのことを話そう」! 私は、自分に関しては、ずっと前にあきらめてしまった−−パウロがローマ7章17-25節のところで言ったように、 「わたしは何とみじめな人間なのだろう! だれが、この死の体から私を救ってくれるだろうか? 私たちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。」  イエスこそが、勝利を与えることのできるただ一人の人である! 汚い罪を告白する集会をいくらしたところで、勝利を得ることはできない! 私は、悪魔のわざを宣伝するのは、よしとしない。悪魔の汚い仕業について聞くのは好きではないのだ。

  11.自分の罪について語るというのは、サタンを称えているということだ。自分の欠点について語るというのは、自分自身を称えているということだ! なぜならあなたは、イエスのことではなく、自分自身のことを語っているからである!

  12.自分がいかに悪いかについて語り尽くすことはできない。だから、そんなことをしようとするのはやめよ! イエスのことを語ろう! 自分こそ、ひどい暴君で、憐れみもなく、人を許そうともしないのに、人々の、心からではない小さな間違いを取り上げて、彼らをそんなに厳しく過酷に罰するのはやめよう!−−互いに許し合おう。神が、キリストにあって私達を許されたように!

  13.あなたも、イエスが独善的な偽善者に言われたこと、つまり 「わたしが好むのは憐れみであって、いけにえではない、という意味を学ぶ必要がある。」 を、自分にあてはめて考えてみなければならない。それがどういう意味か、あなたは学ぶ必要がある。あなた達は、ベーブの何人かをひどく非難したが、あなた達リーダーの何人かがそのベーブ達よりもずっと大きな間違いを犯した時に、私達はあなた達を許した。また私が、もう追い出そうと思った人々の何人かを、あなた達は愛によってとどまらせた。だから神のために、イエスにしか勝利できないということを肝に銘じ、法を定めることによって人々を義にしようとするのはやめよう! それは、神の賜物である! 神にしてもらおう!−−愛は敗れず! イエスは敗れず!

  14.すべての人に必要なものは愛である! ここで愛を見つけることができなかったら、どこでそれを見つけることができるのか?