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神殿の預言! GP9 1970年11月

 

  1.エリヤがカルメル山に登って、バアルの祭壇の所に行き、神の火をもって偽りの預言者たちを辱めたように、私達も、カルメル山に登り、バハイの神殿に行き、 そこで神の御霊によって啓示を受けた。私達は、ひっそりとした内部へと静かに入って行った。私達は、美しいペルシャのつづれ織りじゅうたんの上に座り、畏怖の念にかられた沈黙さの内に、目の前に広がる美を眺めた! 飾りけのない簡素な白壁が、私達の前にある象徴の美を一層引き立てた。

  2.突然、象徴はそれぞれ一つずつ、まるで幻みたいに、生きた物になったかのようだった。一本一本のろうそくは、神の言葉を宣言する預言者になり、一つ一つの花は、神の存在を示す芳香を放つ聖者になった。一つ一つの壷は、主の御用にふさわしい器となり、そして一つ一つの明かりは、真理を宣言する情熱的な宣言者となった! 私の目前で、すべてのものが生気を与えられ、生きているように見えた。そして、それらのものが作られた最初の意図が何であったにせよ、神は聖霊によって、彼の小さな預言者に御自身の解釈を与えられたのだ。神は聖霊が発音するままに、他の言語をもって語り始められた。

  3.(預言)  「これらはみな、わたしの預言者達を通じたわたしの現れであり、非常に単純で、子供のようなイラストである。第一に、この油の壷は人々に仕えるために油を注ぎ出し、この壷は人々の乾きをいやすため使われた。そしてこれらのろうそくは、周囲に光を与えるために燃え、上にかかったランプにはエネルギーがあって光を与え、花には命があって知恵を与える。だから、これらすべては、その背後とその中に生命がなかったら何の価値もない。壷は、見掛けだけで何にも使えなく、器も水なしに無価値なものとなり、人々の乾きをいやしてやることもできないだろう。ろうそくも、油がなかったら燃えることはできないし、上にかかった明かりも光を与える力なしには暗いだろう。花も、命がなかったら枯れ、言葉も聖霊に満たされていなかったら死んだも同然である。そして、これらすべてのものは、わたしの命、わたしの霊、わたしの愛なしには、無である。それらのものは、わたしがなかったら、ただの壷、ただのろうそく、ただの明かり、ただの花、ただの言葉であって、使い道がなく、何の役にもたたず、力も光も知恵も美もないだろう。

  4. 「わたしこそ、すべてのものを満たし、乾いた地に水を注ぎ、しえたげられた人生を美しいものとし、疲れた傷をいやし、愚かな精神を啓蒙し、恵みと美と知恵をもたらす唯一の者である。わたしなしでは、あなたがたは何一つできない! わたしなしには、あなたがたは、油脂のないろうそく、光を与える力のないランプ、乾いた花のようになり、油のない壷、空の器のようになって、全く価値もなく役にも立たないものになってしまうだろう!

  5. 「すべての預言者も、わたしのために、わたしのことを、わたしによって語った。わたしの力によって、わたしの命をもって、わたしの知恵を通じて、わたしの光の中で、わたしの美について語った。そして彼らはわたしがいなかったら、 無に等しい者達である。ある者は真実を語り、ある者は虚偽を語った。ある者は光をもみ消したため、周囲が暗くなった。彼らはわたしの言葉をとり、その真の意味を曲げてしまった。油は汚染され、水は汚されてしまった。 花は芳香を放つかわりに、有毒な異臭をもって鼻をついた。ろうそくの煙は息を詰まらせ、力は消滅させ、破壊し、光の代わりに闇が襲った。知恵ではなしに無知が、芳香ではなしに悪臭が、美ではなしに灰が、そして生命ではなしに死が襲った!

  6. 「それは、彼らがわたしに栄光を帰さず、神に栄光を与えず、自分自身に栄光を与え、神の賛美を求めるよりも、人々の称賛を求めたからだ! それゆえにわたしの力は彼らから断ち切られ、もはやわたしの油で満たされることも、わたしの水で乾きを癒されることもなく、彼らの知恵は衰えた。美は色あせ、彼らの中に生命はなくなった。人々は暗闇に座っており、雲にはもはや雨を含まなかった。泉を求めたが水は枯れてしまっていた。彼らの美は、暗闇へと消えて行った。彼らの言葉は、沈黙の内に死んでしまった。彼らの言葉を信じた者もまた、死に絶えてしまった。彼らを崇めていた者達も、暗闇に包まれてしまった。−−その暗闇のなんと暗かったことか。」

  7.(その情景は、人々の前に立ち、神のスポットライトを浴びて、自分の役を演じている預言者のものだった。しかしそのうちに彼は、自分自身の言葉を意識するようになり、自分自身の考え、自分自身の感情にとらわれるようになった。−−彼は、神によって正しく霊感されることよりも、もっと自分自身を意識するようになった。だから神は、光を全部消してしまわれたのだった。しかしその預言者は、まるで光が全部消えてしまったことに気がつかないかのように、自分の仕草を続けた。それは滑稽な程になり、人々はそのばかばかしさを笑い、彼をあざけった。しかしその光が消えた後、何百万の人々はその完全な闇の中にあぐらをかいて座し、飢えと渇きのために死に絶えようとしていた。それは、神の預言者が力を失い、自分自身の力で続けていたからだった。)

  8. 「だから、彼らのようになってはならない。すべてのことでわたしに栄光を帰せよ。そうすれば、あなたのろうそくは高く掲げられ、あなたの壷は油で満たされ、あなたの器からは命の水が溢れ出るだろう。あなたの花は決してしぼまず、あなたの力は決してひるまず、あなたの知恵は決して尽きることはないだろう。

  9. 「そうすれば、あなたはいつまでもわたしの民に対する光となり、永遠の水を求める彼らの渇きをいやし、彼らの傷をいやし、灰の代わりに美を、愚かさの代わりに知恵を与え、あなたの命を渇いた地に注ぐであろう。それは地に実を結ばせ、あなたはわたしに、すべてのものの創始者であり、かつ完成者であるわたしに栄光を帰するだろう。あなたが、わたしの力によってのみ燃え、わたしの生命と共に流れ、わたしの霊によって語り、自分自身にではなく、わたしに栄光を与えるならば、あなたは、死んだ生命のない預言者、あるいは真理がなかったために死んだ人々のようにならないですむだろう。

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  10.この全体の出来事は、恐ろしい警告のようだった。それは、私達が、何事も自分の手柄にせず、常に神に栄光を帰するべきであり、さもなければ、これらの偽りの預言者と同じ運命に陥るだろう、というものだった。ろうそくの一本一本は、それぞれの預言者であった。そして私は実際に、それぞれのろうそくが特定の預言者の姿を現すのを見ることができた。そして、それが行なわれていた過程で、神は、それらの預言者の名前さえ具体的に挙げられた−−モハメッド、バハーウッラー、孔子、釈迦、その他にも多くの名前が挙げられたのだった。それらの預言者の中には、最初は真理をもって始めた者もあったが、後で邪道に入ってしまったのだ。

  11.それらの明かりの一つ一つでさえ、あたかもそれらの人々の人生、預言者、神の人、神が使われた人、あるいは使おうとされた人を象徴的に表しているかのようだった。あたかも一人一人が炎、あるいは花、あるいは器であるかのようだった。その一つ一つが、神が用いようとされた、あるいは現に用いておられる預言者であった。しかし、彼らの中のある者たちは、その栄光を自分自身のものにし始め、神の御言葉をねじまげ、主からの霊感を失ってしまった。そこで彼らは、神の力なしに自らのことを語り、虚偽や偽りの預言を語り続けたのだった。それは、彼らが不従順な預言者となったために、神が彼らと共にいることをやめられたからであり、彼らは、人々に対して、もはや道を知らない偽りの案内人となったのだった−−自からもその道を見いだすことができなかったからだ。それは彼らが不従順になり、 「神のほまれよりも、 人のほまれを好んだからである。」−−ヨハネ12:43.

    12.このようなことが、私達の内の誰にも起こらないように、神がそれを禁じたまわんことを! 謙遜と従順をもって、神の言葉と神の愛に強く結びついていよう。 「見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しい。あなたが主の言葉を捨てたので、主もまたあなたを捨てられた。」−−サムエル記上15:22,23 私は、神の恵みと憐れみによって、このことが決して私達について言われることがないように祈りたい。 「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれを取り除き、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。わたしにつながっていなさい。そうすればわたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」 アァメン。ヨハネ15:2,4